第125話 明日を見据える少女たち
叶と真奈美は快気報告として太宮神社に訪ねていた。
八重花も一緒に行く約束をしていたのだが遅れると連絡があった。
「あの鬼畜の陸さんに酷い目に会わされた叶さんたちが元気になられてこれほど喜ばしいことはありませんね。」
他人が聞けば陸の社会的立場が悪化すること間違いない琴の発言に2人は苦笑いを浮かべる。
「お茶とお菓子の準備をして参りますので寛いでいてください。」
琴が裏に引っ込むと真奈美は少し足を崩して座り直した。
義足では正座を続けるのが少々困難なのである。
「八重花も意地悪しないで由良お姉ちゃんを呼んであげればよかったのにね?」
叶はこの集まりをただのお茶会だと思っているが真奈美も含めて他の人間にとっては"Innocent Vision"再結成の集まりと取れるものだ。
現在ヴァルキリーに雇用という形とはいえ関わっている由良を呼ぶのは様々な波紋を作りかねない行為だった。
真奈美はどちらの意見も理解できるので
「由良先輩も今はヴァルキリーの護衛で忙しそうだから気を使ったんじゃないかな?」
と説明するに留めた。
(それに八重花の事だから由良先輩がヴァルキリーにいた方がいざという時に情報を聞き出しやすいとか考えていそうだし。)
そしてちゃっかり読み切る鋭い真奈美である。
「遅くなったわ。お邪魔するわね。」
「お待ちしていました、八重花さん。」
遅れた八重花も社務所で合流して4人で煎餅の並べられた皿を囲んでお茶にする。
「ごめんなさい、琴お姉ちゃん。本当なら私たちがお世話になりましたってお菓子を持ってくるものなのに。」
「構いませんよ。どうせわたくし1人では処理しきれない量のお菓子があるのですから。むしろ無駄にしないですむ分助かっています。」
実際に"太宮様"への土産として高級食材や菓子を持参する参拝者は多い。
琴が買わなくてもお菓子が多いのはそういう事情があった。
「それなら遠慮なくいただきます。」
「どうぞ召し上がれ。ですが最近運動していなかったようですから食べすぎにはご注意を。」
「「「ギクッ!」」」
琴の言葉に3人の手が止まった。
特に引きこもっていた八重花など昨日の晩の自転車疾走だけで軽い筋肉痛になっていた。
そして煎餅は米から作られているので意外とカロリー豊富な食品。
皆が手に取ったザラメの乗った煎餅になればさらに高いという。
「…決めたわ。地獄の特訓第二弾を決行するわ。…明日から。」
八重花はバリッと煎餅をかじって宣言した。
「あたしも付き合うよ。…明日から。」
真奈美もバリバリと食べてお茶で飲み込んだ。
「頑張るよ。…明日から。」
叶は手を引っ込めようとしたが2人に睨まれてパリッと煎餅をかじった。
別に太っていない面々だがやはり体重は女性型人類の最大の敵なのである。
「ふふふ、皆さんは本当に仲がよろしいですね。わたくしも参加してみたくなりました。」
以前のソルシエール復活計画の際の特訓の様子を話でしか聞いたことがなかった琴は興味を示したが
「命が惜しいなら止めることをお勧めするわ。」
「まずはフルマラソンを走りきれる体力をつけてから挑んだ方がいいですよ。」
「琴お姉ちゃんはここで私が無事に帰ってくることを祈っていてください。」
なんだか物凄く決意と悲壮感を纏った3人の言葉を受けて諦めた。
「無理はなさらないようにしてくださいね。それで皆さんはこれからどうなさるおつもりですか?」
「地獄の特訓という名のダイエットは明日からよ?」
八重花は煎餅をかじりながらニヤリと笑う。
もちろん琴の質問の意図を理解した上での返答だ。
「そうだよね。明日から、明日から。」
叶は素直に信じて恐る恐る煎餅に手を伸ばしていたが。
「わたくしとしては今のような女の子らしい会話をする集団になって叶さんを危険な目に会わせないでいただけるのならそれに勝る幸せはありませんけれど。」
琴の願いはその守るべき対象である叶自身の瞳が否定している。
「私たちは陸君に会います。話し合って、それでも完全に拒絶されるようならその時は…どうしよう?」
途中まではリーダーらしくかっこよく説明していたが失敗したときの事を考えていなかったらしく困り顔で振り返った。
「拒絶させないっていうのが理想だけどね。」
「そこは交渉次第よ。まずは成功することを前提に対話するための準備をすればいいわ。」
「です。」
完全に最後は他人の言葉で説明を終えた叶だが琴には十分に3人の仲の良さが伝わった。
「皆の意思は一つのようですね。ならば"Akashic Vision"との対話は意外と早く成るのではないでしょうか?」
「それは"太宮様"の予言かしら?」
八重花の問いに琴は口許を袖で隠してクスリと笑う。
「いえ、巫女の勘ですよ。」
「それはそれは、頼もしいわね。」
八重花と琴の含みのある笑いには気付かず叶も笑い、真奈美もつられて笑う。
太宮神社の社務所には笑い声が満ちていた。
叶たちが笑っていた頃
「…」
由良は物凄く不機嫌な様子でヴァルハラにいた。
久し振りに昔の由良に戻ったように怒気を振り撒いているのでヴァルキリーの面々も扱いに困っていた。
普段は何かと突っかかる美保ですら声をかけるのを躊躇うほどだった。
「どうしてこういう時に空気読まない発言ができる良子先輩がいないのよ?」
「ある意味この場にいないこと自体が空気読んでないわけですね。」
悠莉が上手いこと言ったとばかりにクスクスと笑うと由良の目がギロリと向いた。
それでも悠莉は軽く頭を下げて口許に手を当てるだけで笑みは消していない辺り図太い。
「それで、良子先輩はどこ行ったか聞いてる?」
「良子様は綿貫紗香様をグラマリーが使えるジュエルに育てるべく河原へ走りに行かれました。」
「河原って…。この辺に走りやすいいい河原なんてなりました?」
葵衣ですら首を傾げるくらい壱葉周辺にぱっと思い浮かぶような河原は存在していない。
果たして良子と紗香はどこまで行ったのか、ヴァルキリーのメンバーは興味があるような無いような微妙な感じだった。
「ジュエルのグラマリーはどうでもいいけどうちらのソルシエールよ。結局どうすることになったんですか?」
美保は紗香の話題自体が嫌いらしくさっさと切り替えて葵衣を見た。
撫子が忙しいため実質的に撫子の代弁者は葵衣となっている。
「以前と同じです。ヴァルキリーは魔剣の研究においてのみソルシエールの力を認めます。」
結局どこまで行っても平行線の話になってしまうので美保はうんざりしていた。
研究対象になることを我慢すればソルシエールを扱えることにはいまだに気付く様子はない。
「…こんなところで暢気に話してていいのか?"Akashic Vision"は今もどっかのジュエルクラブを叩き潰してるかもしれないぜ?」
今まで黙っていた由良が不機嫌さを全く和らげることなくヴァルキリーのやり取りを馬鹿にした。
堪忍袋の緒が細く弱い美保はあっさりと眉毛がつり上がった。
「遊んでるんじゃないわよ!だからこうしてソルシエールを手に入れようと…」
「してないよな。」
確かに議論はしているが結局は言い負かされているというかうやむやになってしまっていた。
美保は反論できず怒りで顔を茹で蛸のように赤くしていく。
緑里は頬杖をついて由良を流し見た。
「何があったのかは興味ないけど、八つ当たりはやめてよ。」
「…ふん。」
由良も緑里に看破されてつまらなそうに顔を背けると腕を組んだままドカリと椅子に座った。
子供の喧嘩みたいなやり取りに緑里はため息をつき、悠莉は笑っており葵衣は別の書類業務を始めて誰一人として止めようとしなかった。
いよいよ美保の頭が爆発するんじゃないかというほど赤くなった。
「あー、もーいいわ!羽佐間由良!明日からあたし1人でもソルシエール復活計画の時のトレーニングをやってやるわ、指導しなさい!」
ついに爆発した美保はビシッと由良に指を突き付けて宣言した。
由良は立ち上がった美保を下から睨み付けたがその視線を葵衣に向けた。
「雇われ護衛の仕事はいいのか?」
「基本的にはヴァルキリーの護衛ですので壱葉高校から著しく離れないでいただければ外出されても構いません。ただし連絡はいつでもつくようにお願いします。」
葵衣は予想していたように由良の質問に答えた。
実際、近いうちに美保がそう言い出すだろうこと、その時に真面目な由良が職務の範囲について聞いてくることを予測していた。
由良は承諾を得て美保に向き直った。
「お許しが出たぞ。血反吐を吐こうが弱音を吐こうが止めてやらないから覚悟しておけ。」
「上等よ!」
怒りと反骨心で燃える美保とニヤリと笑う由良。
「あーあ、ボク知らないよ?」
「楽しそうでいいじゃないですか。」
「記録班として数人のジュエルをつける準備をしておきましょう。」
そして何だかんだでソルシエールの復活に興味のあるヴァルキリーの面々は誰も止めない。
美保をモルモットにするつもり満々だった。
「絶対取り戻すわよ、ソルシエール!」
美保の叫びがヴァルハラに木霊した。
美保がソルシエール獲得に燃え出した頃、良子は
「良子、お姉様…。いつになったら、河原に、着くんで、しょうか?」
紗香を引き連れてひたすら走っていた。
もうすぐ1時間近く経とうとしているが目的としているトレーニングが出来そうな河原はともかく人工的に手を加えられた河川すら見当たらなかった。
「大丈夫。南に行けばきっと河原に着くさ。」
「このまま、川じゃ、なくて、海に、出ちゃいそう、です。」
川は海に向かって流れているのでもしも川が南に向かって平行に流れていた場合紗香の言うように海にまで到達しかねない。
尤もその前に紗香の体力が尽きそうだが良子ならやり遂げかねない。
「それに、どうして、河原なん、ですか?」
日々ジュエルで鍛えている紗香も段々とバテてきた。
これは紗香の体力の問題以上に良子のペースが速いせいだ。
(さすがに頑張るね。うちの部員でもこのペースに1時間ついてこられるのは数人だっていうのに。)
ことスポーツに関しては詳しい良子は紗香の素質の高さに改めて感嘆していた。
「ジュエルクラブでやると紗香が除け者にされるかもしれないし、それにやっぱり特訓と言えば河原じゃないか。」
いつの時代のスポコン漫画に影響されているのか良子の熱血理論は昭和の薫りがする。
昨今は河原はおろか公園だって減ってきているのに良子の頭の中では夕陽に向かって走った先には河原があると思っていそうであった。
「お姉様の、河原への、思い入れ、は、理解しました、から、地図を、見ましょう?」
紗香は信号で足踏みしている最中に携帯で地図を開いた。
紗香は良子の昭和テイストを理解しつつもバリバリの現代っ子だった。
アプリケーションの地図のGPS機能で現在地を知り、そこから南にスクロールさせていった紗香は
「…お姉様。このまま行ってもあるのは海だけです。」
悲しい現実にちょっとうちひしがれながら報告した。
すでにハーフマラソンは走り終え、帰りも同じだけ走る上に河原で特訓をするのだと考えると、さすがにお姉様にぞっこんで追い付きたいと頑張り続ける努力の子の紗香でも
(さすがに死んじゃうかも。でもお姉様の胸で死ねるならわたしは本望です!)
と弱音を吐いた。
それでも倒れるなら前のめりとばかりに前向きなのは流石としか言いようがない。
「あー、そうなんだ。それじゃあ今日は学校まで走って終わりにしよう。」
だが紗香の危惧とは裏腹に良子はあっさりと河原を捨てると来た道を戻るべく反転した。
「河原での特訓はいいんですか?」
「さすがにマラソン走った後に出来るほど優しくはないからね。今日は紗香の基礎体力を知れればそれでいいよ。明日は河原を探して特訓を始めよう。」
スポーツをやっているからこそ良子は限界を超えた状態での体の酷使が危険なだけで無駄だと知っている。
もしもジュエルとしての覚醒がその無駄の領域にあるのだとしてもまずは限界を見極めるところから始めるべきだと良子は考えたのである。
ヴァルハラでは空気読まないキャラだとか熱血直情型とか言われているがちゃんと考えているのである。
「さーて、それじゃあさっきよりもペース上げて帰るよ。」
「え…。待ってください、良子お姉様ぁ。」
良子は底なしの体力バカだった。