第121話 凄くない姉の想い
「…」
今日も八重花は1人部屋に籠ってパソコンの前に座っていた。
さすがに引きこもってばかりもいられなくなったのか部屋から出てきて風呂に入ったり食事を家族とするようにはなっていたが登校する様子はない。
「八重花、学校は平気なの?」
親は心の問題なので気遣いつつもやはり心配で尋ねる。
「平気よ。まだ出席日数も危ないわけじゃないし。」
多少窶れてしまったが一月前に比べればだいぶ元気になったと言えた。
文化祭のすぐ後などは本当にこのまま死ぬんじゃないかと心配してしまうほどに生気が感じられなかった。
「それじゃあお母さんは買い物に行ってくるけど、何か買ってくるものはある?」
着実に復調の兆しを見せているため八重花の親も無理はさせずゆっくり立ち直らせることを選んだ。
「特には何も。」
八重花は母が買い物に出掛けたのを見送るとソファーに深く身を沈めた。
腕を額に当てて窓からの光を遮る。
「…結局、自分の命をチップにりくへの当て付けをする事はできなかったわね。」
陸を想っていたのに裏切られて自殺まで考えた八重花だったが実行には移せなかった。
それは命を蔑ろにしようとする度に浮かんでくる叶や由良、仲間や友人たちの泣き顔だったり怒り顔だったりを見て躊躇ってしまったからだ。
座っていた体勢から完全にソファーに横たわって八重花は大きいため息をついた。
「まったく、見透かしてくれて。りくはいい性格してるわ。」
陸は八重花が変わったと言った。
実際、ソルシエールを手に入れた頃は全てを壊してでも陸を手に入れることを望んでいた。
だが悠莉に本質を見抜かれ、叶達と行動を共にしていくうちに心配してくれる仲間を八重花もまた大切にしてしまっていた。
その暖かさを知ってしまった八重花はもう戻れない。
鉛のように重く感じる体をゴロリと転がして背もたれ側に顔を埋める。
「つまり、りくだけを愛することができなくなった私は要らないって事なのね?」
冗談で呟いてみたが予想以上に堪えて涙が出てきた。
確かに仲間は大切だが陸への想いは同じくらいに大きいものだった。
それをフラれたのだから…
(?…私、フラれた?)
その表現に違和感を覚えて涙が溢れた目を拭って天井を見た。
あの時は陸に捨てられたことで頭が一杯になってしまって会話の内容なんてもう気にしていなかった。
(りくは私が"Akashic Vision"に参加することを拒んだ。私が昔の私じゃなく仲間を大切にするようになってしまったからと。)
それは先ほど八重花が考えたように陸よりも仲間を取ったから拒絶したように聞こえる。
(だけど、もしそうでないとしたら?"Akashic Vision"が取ろうとしている道は修羅の道。恐らくは私たち"Innocent Vision"がやってきたもの以上に壮絶な戦いが待ち受けている。)
停止していた歯車が軋みを上げながら回り始める。
一度火がついた八重花の洞察眼は急速に事実と推察と各個人の心の在り方をもって事象の本質を組み上げていく。
(りくはInnocent Visionでその事を知っている。常に死と隣り合わせの"非日常"。もしもりくが、仲間の大切さを知った私を守るために拒絶したのだとしたら…)
少なくとも八重花は仲間を大切にするようになったことを指摘されはしたが陸への想いを否定されてはいない。
多少の願望を織り混ぜて完成した陸の本質。
「…ふ、ふふふ…」
そこに至った時、八重花は本当に久し振りに笑った。
そして晴れ晴れとした顔で自室に向かう。
「妄想でも構わないわ。本当にりくは嫌な人になっていて、私を本当に捨てるつもりかもしれない。」
部屋のドアを乱暴に開けてパソコンの前に座ると一月手をつけていなかった机の棚を開いた。
そこには箱に仕舞われたプラチナカラーのフラッシュメモリ『エクセス』が入っている。
八重花はエクセスを手に取りパコソンに接続した。
「『エクセス』、起動。久しぶりね。」
ディスプレイがサイバネティックなものに切り替わりいくつものウインドウが展開する。
「だからもう一度話をするわ。その為に、絶対に見つけ出す。覚悟しなさい、りく。」
画面に向かう八重花の目は爛々と輝いていた。
「おはよう、裕子ちゃん。」
朝、登校した叶が裕子に声をかけると何故かお化けでも見たかのように目を見開いて驚かれた。
「?」
叶が首を傾げているとガシッと両手を包み込むように握られた。
「かな、叶が、挨拶してくれた?」
「あ、うん。おはよう。」
「おーー!」
漆黒紅目の化け物みたいな声を上げて裕子がブンブンと叶の手を上下に振り回す。
「叶が元に戻った!」
「にゃはは、よかった。」
久美も嬉しそうに笑う。
当の叶はむしろ困惑しているが裕子が涙を浮かべながら喜んでいるので
(私、そんなに酷かったのかな?)
と申し訳なさそうに微笑んでされるがままになっていた。
「朝から賑やかだね、裕子は。おはよう、みんな。」
「ま、真奈美!」
裕子は爽やかに声をかけてきた真奈美に抱きついた。
真奈美は驚いたがすぐにポンポンとあやすように背中を叩いた。
「おっと。芳賀に苛められた?」
「失敬な。」
成り行きを見守っていた裕子の彼氏である芳賀雅人も何だかんだで嬉しそうな顔をしていた。
「にゃはは、よかったよかった。」
叶と真奈美に笑顔が戻って2年4組にも明るさを取り戻した。
4組で喜ばしい出来事が繰り広げられていた頃、学内のヴァルハラではピリピリとした雰囲気が漂っていた。
「…。」
「…。」
対立の構図は海原姉妹 v.s. "RGB"、昨晩のソルシエール論争の続きである。
「ふぁー。」
それを由良は紅茶片手に盛大なあくびをしながら見ていた。
美保の怒りに満ちた目がターゲットを葵衣から由良に変えた。
「何、暢気にあくびしてんのよ!」
「なんで俺が怒られてんだ?俺はどっちでもいい話だからな。ヴァルキリーの方針なんか知らん。」
由良の言い分に美保は歯をギリギリと軋ませながらも黙った。
撫子や葵衣はこれを機に由良をヴァルキリーへ勧誘しようと画策しているが名目上は護衛であるため内情にまでは関わらない。
美保も八つ当たり先が欲しかっただけなので犬のように唸っているだけだ。
「そもそも朝っぱらから俺がここに来る必要はないだろ?こんな時間に攻めてくるほど奴らも根性腐っちゃいないはずだ。」
奴らとはオーと"Akashic Vision"の両方を指す。
陸や蘭がその裏をかいて乗り込んでくる可能性は否めないが、"非日常"から遠ざかった叶や真奈美がいる学校にわざわざ来るとは思えなかった。
そうなると会議に参加する必要のない由良がこの場にいる必然性は無くなるわけである。
「すぐにでも復活計画を始めるためよ。」
「行うのでしたら解析のできる研究施設でお願いします。」
ソルシエール派とジュエル派、美保と葵衣は互いに一歩も引かず意見を譲らない。
とは言え葵衣はデータが得られてソルシエール発現のメカニズムの解明やグラマリーの発生に繋がるヒントが得られるなら復活計画を進めるのもやむなしと考えているので、口論の原因はちゃんと話を聞かない美保にある。
ちなみに良子は美保と同じで反対されるから反発しており、悠莉はちゃんと葵衣の考えを理解した上でニコニコと美保を眺めている。
由良も察しているため美保が気付くのを勝手に待たされている状態だった。
それは退屈にもなる。
「ん?」
いつまでも吠えている美保とどこまでもクールな葵衣を見ていると葵衣の横にいる緑里が目線で部屋の外に行くぞと誘導していた。
ヴァルハラを出た廊下で由良は怖い顔をした緑里と向き合った。
「それで何の用だ、双子の凄くない方?」
「凄くない方って言うな!」
以前明夜が呼んでいたあだ名を持ち出すと緑里が吠えた。
怖い顔と言うよりも葵衣を真似て冷静に振る舞おうとしていただけなのでいきなり出鼻を挫かれた形になり悔しそうに顔を歪めていた。
「早くしないとチャイムが鳴るぞ?」
「分かってる。…すー、はー。」
茶化しても美保みたいに噛みついて来ないで深呼吸までして冷静でいようとする緑里の様子から真面目な話だと由良は悟り気構える。
「羽佐間由良、あんたは…あんたはヴァルキリーに入りたいの?」
「は?」
それは由良にとって予想外の質問であった。
どう好意的に見ても嫌っている緑里がヴァルキリーに入ろうと思うな!ではなく尋ねてきたことが意外だった。
「撫子様も葵衣もこのままあんたをヴァルキリーに引き込もうと考えてる。」
「まあ、そうだろうな。」
まだ直接勧誘はされていないがこのまま護衛を続けていればヴァルキリーに入るように言ってくるのは目に見えている。
「昔は戦ってでもヴァルキリーに入るのを拒絶していた羽佐間由良が今は護衛とはいえヴァルキリーの側にいる。これは心変わりでしょ?それならそのまま入ることを承諾することだってあるはず。」
「確かに、そうとも言えるな。」
昔は魔女への復讐心に満たされていて、魔女から与えられたソルシエールで大層な理想を掲げるヴァルキリーが虫酸が走るほどに嫌いだった。
だが、陸や仲間たちと出会い魔女を滅ぼしたことで心に余裕が生まれたのか、今は由良も力を持つ者が上を目指そうとする考え方を少しは理解するようになっていた。
それは間違いなく心変わりと呼ばれるものだ。
「海原姉。その話をしてきたってことは何か考えがあるんだろ?お前はどうして欲しいんだ?」
もし何も意見がないなら放っておけば勝手に撫子なり葵衣が話をしてきただろう。
それをしなかったってことは緑里は何か言いたかったのだろうと由良は自分の答えよりも先に尋ねた。
緑里は複雑な顔をしたが頷いた。
「ボクは羽佐間由良が嫌いだよ。だけど撫子様の理想を進めていった時、魔剣の本質を理解していてジュエルが暴走したときに止められる人が必要になってくると思う。」
「俺にその役をしろって?」
「…撫子様は凄くて素晴らしいけどジュエルのすべてが撫子様じゃないから、暴走とか反乱とかいろいろと問題も出てくると思うんだ。そういうときにジュエルより上のソルシエールがあれば鎮圧できるし、それにヴァルキリーとは違った視点で見ている人がいれば間違った方向に進まないで済むかもしれない。」
緑里の話を聞いて由良は大きく緑里に対する印象を改めた。
(妹と違ってただの花鳳の取り巻きだと思ってたが、こいつはこいつなりに花鳳の作る世界のことを考えてんだな。)
普段の戦闘では美保と同じように直情型に見えるが、それは撫子の作ったヴァルキリーに抵抗する"Innocent Vision"や"Akashic Vision"が許せなくてカッとなってしまうだけだ。
緑里の本質は妹へのコンプレックスを抱え、主を一心に思いながらそれに見合う存在となるために日々努力を重ね、色々と考える人間なのである。
「だからもしも万が一どうしてもヴァルキリーに入りたいと思うなら…歓迎してあげない、こともないんだから。」
「ツンデレか?」
「?」
緑里はツンデレを知らないらしく首を傾げる。
由良は情報源である八重花に余計なことを吹き込まれたことに舌打ちして頭を掻いた。
「真面目に考えたみたいで悪いんだが、少なくとも今の俺はヴァルキリーに加わる気はない。」
「…。」
由良の意志に緑里は悔しそうに顔を俯かせたが糾弾してくるようなことはなかった。
「俺がヴァルキリーの護衛なんてやってるのは陸たちを一発ぶん殴らないと気が済まないからで、"Akashic Vision"の大層な理想が気に食わないからだ。魔剣をすでに手にしちまった俺らが簡単にこの力を捨てられるはずがねえ。あいつらの言い分はまるで魔剣使いを全員殺したがってるように聞こえるからな。」
緑里が考えを明かしたお返しとばかりに由良も誰にも話していなかったヴァルキリー護衛の理由を語った。
聞いてみれば凄く納得できる理由で緑里は頷いた。
「あいつらをぶっ叩いて、オリビアを滅ぼしたら…どうするかな?」
そんな先の事を考えても仕方がない。
もしかしたら今夜にも"Akashic Vision"やオリビアが攻めてきて殺されるかもしれない。
だけど未来を考え、そこに向かって進む努力をすることは決して悪いことではない。
「だからもしすべてが終わって、その時お前らヴァルキリーの考えるような未来が待ってるなら…そん時にもう一度誘ってみろ。もしかしたら今よりもさらに心変わりしてるかも知れねえからな。」
「絶対に時代は来るよ。だから今のうちからちゃんと考えておいてよ。」
緑里はようやく由良の前で笑顔を浮かべた。
だから由良も笑っていた。