第120話 暗中模索
「いらっしゃいませ、叶さん。ゆっくりしていってくださいね。」
叶は琴に夕飯に誘われて夜の神社にやってきていた。
もちろん両親には許可を取っているので琴が強引に傷心の叶を連れ込んだわけではない。
(フフフ、今夜は叶さんと2人きり。)
下心がないかと言われれば間違いなく否だが。
今日はもう神社の営業は終了しているので社務所ではなく本宅にお邪魔していた。
「ご飯にしますか?お風呂が先ですか?それとも…」
「あの、それじゃあご飯で。」
叶はその先を語らせることに危機感を覚えて素早く答えていた。
「…。ご飯はすぐに用意できますから待っていてくださいね。」
琴はちょっぴり切なそうな顔をしたがすぐに笑みを取り戻すと叶を今へと連れていった。
(神社のご飯てどんななのかな?精進料理とか?)
微妙に寺と神社の違いが分かっていない叶が居間に入ると食卓の上には唐揚げやらきんぴらやらが並んでいた。
まだ湯気が立ち上っていていい香りがするので作りたてのようだった。
つまり琴は最初から叶の答えが分かっていて時間もピッタリになるように準備していたのである。
尤も、時間はともかく叶の答えは普通に考えればあの三択ならご飯以外ないわけだが。
「もうすぐお魚が焼き上がりますので座って待っていてください。」
「あ、何かてつだ…」
琴は実に楽しそうな足取りで台所に引っ込んでしまい叶が手伝いを申し出る暇もなかった。
仕方なく座布団の上に腰を下ろして琴を待つ。
手持ち無沙汰だが勝手にテレビをつけるのもつまみ食いをするのも悪いと思って天井の染みの数を数え始めた。
「叶さん、天井を眺めているくらいお暇ならテレビをつけて構いませんよ?」
「!?」
声は完全に台所の方からするのにピンポイントに叶の奇抜な行動を言い当てる琴に叶はバッと背後を振り返るが当然琴の姿はない。
監視カメラも探してみるがやっぱりそんなものはない。
"過程"を見るはずの"太宮様"の巫女の未知なる力に叶はいくつもクエスチョンマークを頭に浮かべた。
「さあ、お魚も焼けましたし夕食に致しましょう。」
「あ、ご飯とお魚受け取ります。」
琴がお盆に乗せてきたものを食卓に並べていくと夕食の用意は完了した。
妙に上機嫌な琴が叶の向かいに座い、手を合わせた。
叶もそれに倣う。
「それではいただきましょう。」
「いただきます。」
お辞儀をして箸を取るとまずはまだプスプスと脂が音を立てている鮭の切り身に箸を伸ばした。
焼き立ての身は柔らかくすぐに解れる。
口に含めばフレークでは味わえない脂の乗りと適度な塩加減が口一杯に広がった。
「んー、美味しいです。」
「それはなによりです。ささ、他の料理も温かいうちに食べましょう。」
琴の料理は何度も弁当で食べて知っていたが作りたては絶品だった。
きんぴらは絶妙の味にしゃきしゃきした食感を、唐揚げは外はカラリで中はジュワーのコラボレーションを、白米は輝きを放つ白と甘い味を、味噌汁もまた薄すぎず濃すぎず出汁の味をと自然と箸は次から次へと進み
「ふふ、別にそこまで急いで食べなくても誰も取ったりはしませんよ。」
「むぐぅ…」
叶はすでに口一杯に料理を詰め込んでリスみたいになっていた。
「あらあら、今お茶を淹れますね。」
琴は口許を袴の袖で隠しながらクスクスと笑うとお茶を用意し始めた。
2人分の夕飯はすぐに無くなり、食後の和菓子まで食べた叶は満腹と幸せで一杯だった。
「どれも美味しかったですよ。きっといいお嫁さんになれます。」
「ありがとうございます。いつでも嫁いできてもらって構いませんよ?」
フフフと笑う琴の目が本気っぽいので叶は背筋を震わせた。
「そ、それじゃああんまり遅くなると悪いですからそろそろ帰ります。」
「別にわたくしだけですから問題ありませんよ。それよりも女同士ですし一緒にお風呂に入りましょう。」
琴は逃げ出す口実を使う叶をやんわりと引き留めつつある意味本題をさらりと切り出した。
「え、お風呂…ですか?」
叶が興味ではなく恐怖や疑念を抱いて琴に問い返す。
さすがに琴と風呂に入って無事でいられると思うほど叶も楽観的ではない。
貞操の危機まではいかないものの危険な感じがしていた。
「大丈夫です。うちのお風呂はそれなりに広いですから2人でも十分入れますよ。」
笑顔の危険人物が近付いてくる。
後退るがお腹一杯で動きは鈍く、すぐに襖に行き当たった。
「別に何も怖いことなんてありませんよ~。」
琴の魔の手が伸び
「いやーーー!!」
叶の絶叫は夜の静けさに飲まれて誰にも届かなかった。
チャプン
「うう、辱しめられました。」
叶は湯に首まで浸かって顔を真っ赤にしていた。
琴はタオルで前を隠しながら湯船に腰かけてクスクスと笑った。
「大袈裟ですね。体の洗いっこくらいは女の子の普通のスキンシップとものの本に書いてありましたよ。」
「それは、無いとは言いませんけど。む、胸とか揉むのはどうかと。」
恥ずかしさが再燃した叶はブクブクと鼻の辺りまで沈んでしまう。
琴は琴で思い出したのか鼻を押さえて上を向いていた。
「少々慎ましい叶のお胸をもう少し大きくして差し上げたいという気遣いです。」
鼻血を垂らしながらでは説得力皆無で、叶の目の前には明らかに叶より大きい膨らみがあるわけで
「ブクブクー。」
とうとう叶は完全に風呂の中に沈んでしまった。
琴は微笑ましげにそれを見つつ風呂に浸かる。
叶が海から上がってくる怪獣のようにゆっくり顔を出した。
「…ありがとうございます、琴お姉ちゃん。」
「胸の話ですか?」
「違います!…私を元気付けようとしてくれて、です。」
叶は泣きそうなのか困っているのか、色々な感情のこもった笑みを無理矢理浮かべた。
琴はその顔を見ないように格子窓の向こうに浮かぶ月を見上げる。
「当然ですよ。わたくしは叶さんのお姉ちゃんで、友達なのですから。」
厳密には"Innocent Vision"の仲間ではないから、陸を慕って集った彼女らとは違うからこそ今こうして気遣ってあげられる。
「うん。」
叶は琴の隣に座ってはふうとため息をつく。
「私は、どうしたらいいんでしょう?」
「それは叶さんの心のままに。このまま"Akashic Vision"の言うように力を手放してすべてを忘れて平和な日常に戻るもよし、あるいは…」
琴はその先は言葉にしなかった。
その未来は叶の選択によって大きく変動するもの。
言霊が宿る琴は不用意な言葉を告げられない。
「…」
黙ってしまった叶の頭を琴は優しく撫でる。
「ですが、今は心と体を休めて、早くいつもの叶さんの笑顔に戻ってくださいね。」
「…はい。」
叶は儚く微笑んだ。
夜は闇が訪れる時間。
だが人の生きる町は明かりに照らされて本当の闇が訪れることはない。
だが、その深夜の町をまるで闇から滲み出してきたように黒いものが駆けていた。
全身が黒い人型に深紅の瞳を持つ"化け物"、魔女オリビアの尖兵オーは
「オーッ!」
そう名付けられる要因となった雄叫びを上げながら、逃げるように屋根の上を跳んでいた。
オーは森の中の猿が枝から枝へと移動するように屋根を跳ねていく。
その速さは自動車並、人が追いかけたところで追い付けるような存在ではない。
ならば
「はーい、到着ー。」
「オッ!?」
オーよりも先にオー自身が向かっていると気付かなかったゴールに立っている者はもはや"人"ではないだろう。
左手に夜の闇を映し出したような漆黒の盾を握る"化け物"は驚いて足を止めたオーの懐にするりと滑り込むとまるで踊るようにくるりと回転した。
背を向けた"化け物"にオーが爪を振り下ろそうと動き、ズルリとオーの視界が斜めにずれた。
最期の叫びすら上げることも出来ないままオーは消滅し、屋根の上には黒い盾を持つ少女が立っているだけになった。
「ランちゃん大勝利。」
江戸川蘭は誰も見ていないのにブイサインを掲げて笑顔になった。
「いやはや、りっくんのInnocent Visionは凄いね。ゴール地点があらかじめ見えてるんだもんね。」
ソルシエールで身体能力が強化されているとはいえ、オーのように器用に屋根の上を飛び回れるかというとなかなかそうはいかない。
だがオーがどんなルートで移動しようと最終的なゴール地点が分かってさえいれば最短距離で先回りすることができるのである。
「うー、寒い。」
今は12月の深夜、肌に当たる風は氷のように冷たい。
蘭はコートの襟を寄せて身を縮こまらせる。
「とりあえずノルマは終わったし戻ってりっくんに温めてもらお。」
照れ笑いを浮かべた蘭はピョンと屋根の上から降りて
「へい、タクシー。」
大通りでタクシーを捕まえて帰った。
コツコツコツ
静寂の支配する空間に足音が響く。
世界は死んだように静まり返り薄暗い明かりがわずかに世界を彩るだけ。
どこか気味の悪い雰囲気の漂う屋内は今にも幽霊が出てきそうなほどに不気味だ。
その耳が痛くなるほどの静寂をわずかに壊しながら蘭は目的の部屋へと到着した。
ここが"Akashic Vision"のアジトだ。
スライド式の扉を開けると中からは眩しいほどの光が溢れてきた。
「りっくーん。お仕事終わった、よ!?」
にこにこしながら入ってきた蘭が驚愕の表情で固まった。
「あ、ああ。蘭さんお帰り。」
陸はとても困ったような顔で蘭を迎えるが残念なことに蘭の思い描いていたハグとか自主規制な感じの温め方はなかった。
「あ、蘭姉お帰り。遅かったね。」
「遊んでた?」
何故なら、椅子代わりにしているベッドの中央に座った陸は両側から海と明夜に抱きつかれて身動きが取れない状況にあったからだ。
むしろ陸の方が温められていた。
密着度が高めなのでむしろ暑そうだがこの光景を一般男子が見たら間違いなく陸に殺意を抱くだろう。
「あー!海ちゃん、明夜ちゃん、ずるいー!」
蘭が子供みたいに手を振り回して怒るが2人は取り合わない。
「ずるくないよ。寒かったからお兄ちゃんに温めてもらってるの。」
「ぬくぬく。」
考えることは同じだっただけに蘭もダメだとは言えず
「ムーッ、りっくーん。」
泣きそうな顔で陸に助けを求めた。
「うーん、僕も出来れば助けてほしい。」
「よーし、実力行使で…」
蘭が飛びかかろうと考えたがキランと明夜のオニキスが明かりを受けて鈍い黒の輝きを放ち、ピカンと海のアダマスが光を乱反射させた。
蘭は中途半端に腰を落としたまま硬直する。
「…。りっくーん。」
「はいはい。2人とも、もう温まったでしょ?」
べそをかき始めた蘭に微苦笑した陸はやんわりと2人を剥がした。
そのまま真面目な顔に変わる。
「それで、成果は?」
「オー。」
「オー。」
「オー。」
「とりあえずは向こうもまだ様子見か。だけどそろそろ次の動きを見せるはず。」
冗談みたいな返事に陸は真面目に思案し、もちろん海たちも冗談ではなくオーを狩っていた。
「あの時代錯誤の魔女の残忍な性格を考えるとオーが夜にこっそり活動してる理由がよく分かんないんだよね。」
オリビアにボコボコにされた海は表現が辛辣だ。
だが内容は全員同意だった。
「つまり人目につかない深夜に活動していることに何か理由がある。」
"Akashic Vision"のソーサリスたちはそれだけで陸の考えを察して頷いた。
陸は頼もしい仲間たちの反応に微笑む。
「明日は少し北に行ってみよう。」
「北海道で蟹?」
「少しじゃないから。」
「それじゃあ倉谷モールでお買い物?」
「近すぎるしあそこは近々炎上するよ。」
「じゃあ間を取って盛岡の冷麺だ!」
「冷麺はともかく、仙台か。東北のジュエルの基点、いいね。」
陸の左目が朱色を帯びる。
そこに映し出されるのは如何なる未来なのかはまだ陸しか知り得ない。
「次のジュエルを潰したらその次は関西に行きたいな。舞妓さんになって帯引っ張られてあーれーってやつがやりたい。キャッ、りっくんのエッチ。」
「あれは別に舞妓さんの仕事じゃないしいつの間にか僕がやることになってるし。」
頬を赤く染めてチラチラと視線を送ってくる蘭に陸は冷静なツッコミを入れ、
「ナイスツッコミ。私は北海道で蟹がいい。」
「拘るね、明夜。」
明夜に何故かサムズアップでツッコミを評価され、
「私は沖縄がいいな。水着でお兄ちゃんを悩殺するの。」
「…」
「あー、お兄ちゃん想像したでしょ?エッチ。」
「エッチ。」
「エッチぃ、りっくん。」
最後には集中的に弄られる。
闇に浮かぶ小さな明るい部屋で破壊者たちは穏やかに笑っていた。