第116話 "Akashic Vision"
校門に向けてジュエルを含めた一斉攻撃を仕掛けていたヴァルキリーだったが
「あれは、まさか!?」
悠莉が驚きの声をあげて足を止めたのを皮切りに撫子や良子まで振り向いたまま固まってしまったため押し返されていた。
「こら、悠莉、何やってんのよ!」
「良子お姉様!」
「撫子様もどうされたんですか?」
先陣を切っていた美保と緑里も戻ってきて
「なっ、インヴィ!?」
「それに江戸川蘭と、柚木明夜まで!?」
目玉が飛び出しそうなほどの驚きを見せた。
そこにあったのはあり得ない光景だったからだ。
モーリオンの刺突を漆黒の盾オブシディアンで受け止めた江戸川蘭。
茜の斬撃を交差させた刃で受け止めた、サマーパーティーで行方不明になっていたはずの柚木明夜。
そして魔女に手を向け叶を支えている半場陸。
「これは、夢でしょうか?」
悠莉がポツリと呟いた。
今日、今目の前にある光景を見る直前まで誰一人としてこの現実が存在する可能性を想像すらしていなかった。
むしろ赤い世界が作り出した夢だと言われた方が信じられるほどに。
「はは、だとしたらこれはヴァルキリーにとって最高の悪夢だね。」
良子が乾いた笑いを漏らす。
確かに"Innocent Vision"に陸だけでなく明夜と蘭までが戻るとなれば間違いなくパワーバランスは"Innocent Vision"に傾くことになる。
「お嬢様。このまま脱出作戦を続行されますか?」
葵衣が主に問う。
もちろん撫子の解は理解していて、それでもなお撫子の口から聞くために尋ねた。
葵衣の予想通りの言葉を撫子が告げる。
「ここがわたくしたちの戦いにおける分岐点。この場に居らずして今後の戦いに関われる訳がないでしょう。皆さん、魔女とインヴィの動向に注意をしつつ待機してください。」
ヴァルキリーは事の推移を見守るために戦いの場に留まることを選択した。
「陸、君…」
叶は目の前の現実が信じられないように呟いて恐る恐る手を差し伸べる。
だがその手が触れるより前に陸は叶を立たせるとオリビアに向かって歩き出した。
叶はその後ろ姿を見つめながらその先にある光景を見た。
「明夜ちゃん、江戸川先輩も…」
そこでは処刑されるはずだった由良と真奈美も割り込んできた蘭と明夜によって救いだされていた。
それによって標的が2人に代わった。
「邪魔するんじゃないわよ!」
「ハハハ、無駄無駄無駄無駄ァ!」
蘭は余裕そうな笑い声を上げながらモルガナの槍を分身して避けていく。
「あんたはあの時の…」
「…誰だっけ?」
「このぉ!」
明夜もまた茜の攻撃を難なく捌いて戦いを繰り広げていた。
皆が助かってほっとした叶は協力するために陸に駆け寄ろうとした。
「陸君!」
しかし陸は振り返らず来るなというように手を横に伸ばした。
「叶さんは皆の治療をお願い。」
「は、はい。」
久し振りに聞いた陸の肉声に泣きそうになりながらも慌てて八重花に駆け寄る。
「八重花ちゃん!」
叶が見たのは前進ボロボロで虫の息になった八重花の姿だった。
こんな姿になるまで自分を守ってくれた八重花に涙が出る叶だがすぐに強い意志のこもった瞳に変わった。
「オリビン、お願い。八重花ちゃんを助けて!」
助けたいという思いを精一杯オリビンに込めて叶は八重花の胸に聖なる刃を突き立てた。
八重花の体がオリビンの淡い若草色の光に包まれ、小さい傷からみるみる消えていく。
「っ…はあ、はあ…はあ…」
徐々に呼吸もしっかりしてきて危険な状態は越えたようだった。
「よかった。…陸君。」
叶は治療を続けながら視線は陸を見ていた。
「オリビア様。これがあのInnocent Visionです。」
茜が明夜を牽制して距離を取りつつオリビアの斜め前に立った。
飛鳥も蘭に邪魔されてモルガナで叩きのめそうとしていたが蘭の実体が掴めないため全てが空振りに終わり
「あー、もー、なんなのよ、あいつ?」
首を捻って不平を漏らしながらオリビアの隣に並んだ。
明夜と蘭が陸の所に集まる。
「ファブレを滅ぼしたアズライトの魔石の保持者じゃな。お初にお目にかかる、魔女オリビアじゃ。」
「これはご丁寧にどうも。」
黒いコートを着て少し印象が違って見えたがやはり陸だった。
オリビアは上から下まで品定めするように陸を眺める。
その視線は普通の相手なら竦んでしまうほどの力が込められていたが陸もその左右に立つ明夜と蘭も平然としていた。
オリビアは陸の力量を計り知れず僅かに目を細めた。
「して、汝の左目は如何様な未来を見せておるのかのう?」
優雅な動きで手を前に翳していく。
八重花の腕を砕いた未知の力と同じ動きに
「陸君、危な…!」
叶が警告するがすでに手のひらは陸に向けられていた。
オリビアの顔が壮絶な笑みに歪み
パァン
何かが破裂した音と共にオリビアの目が見開かれた。
「ッ!?」
陸は微動だにせず薄く微笑んでいるだけ。
「そうですね。とりあえずあなたの攻撃が僕の首を締め上げる未来は見えませんよ。」
攻撃をされたというのに焦る素振りもなく余裕を見せる予言者の言葉にオリビアは不快げに目を細めて目線を左右に流した。
飛鳥と茜が同時に陸へと襲いかかる。
「いくら未来が見えたってこの攻撃が避けられる?モルガナ!」
「八重花さんを奪った張本人、絶対に殺す!アルファルミナ!」
見えざる触手と輝く刃の攻撃が瞬く間に陸に近づいていく。
「もう、懲りないね。」
「撃退する。」
迫る攻撃を前にしても怯えた様子のない蘭と明夜を陸は笑顔で制す。
「その必要はないよ。もう、帰ってきた。」
シュン
陸の横を漆黒の影が駆け抜け、勢いをそのままに茜へと低空の飛び蹴りを叩き込んだ。
「くあぁ!」
茜が吹っ飛んでいくのを見送ることもなくデーモンはモルガナをブレードで受け止める。
ズドンという重たい音がしてデーモンの足が地面にめり込んだ。
「死に損ないの悪魔が。モルガナで潰れちゃいなよ!」
モルガナの一撃を受けてボロボロになったデーモンの体にヒビが入っていく。
オリビアの度重なる攻撃に晒されたデーモンが砕けていく。
パリパリと体表の組織が剥がれ落ちていく。
バキン
一際大きな音がしてブレードに大きな亀裂が走った。
ピカァ
直後、ブレードの内側から目映い光が溢れ出した。
「何よ、この光は!?」
飛鳥が光に目を細める中でデーモンの殻が粉々に吹き飛び
シュン
凝縮した光の線が空間を走った。
光が消えた後、モルガナは根本からゴトリと地面に落ちて消滅した。
「お、お前…」
「あれは!」
飛鳥と同時に叶も癒しの手が止まってしまうほどに目を見開いて驚愕した。
「海、さん?」
デーモンから出てきたのはオリビアに倒されたはずの海だった。
海は校舎にまで弾き飛ばされた後、デーモンとして再び叶を守るために現れ、そして今ようやく真実の姿を晒した。
「はぁ。あー、死んじゃうかと思った。」
海は水浴びをした後の犬みたいに体を揺らして伸びをすると一瞬叶に目を向け、すぐに陸に微笑みかけた。
「お兄ちゃん。私、ちゃんと叶ちゃんを守ったよ。」
「ああ、ご苦労様、海。」
陸が撫でると海はご満悦な様子でえへへと笑った。
それを見た蘭と明夜が不満げに陸の服を掴む。
「えー、海ちゃんだけなの?ランにも。」
「ずるい。」
好感度マックスのハーレム主人公みたいな陸は困ったように笑いながらポンポンと空いた手で2人の頭を叩いた。
「それは後でね。」
陸が視線をあげるとオリビアの軍勢が陸たちを警戒している姿があった。
海も緩んだ笑みを引き締めて陸を守るようにアダマスを構える。
陸を守るように明夜、海、蘭がそれぞれのソルシエールを握り締めた。
「まだ何か現れるのかえ?」
「いえ、これで全員ですよ。」
陸は自分を守る3人を見回してフッと笑みを浮かべた。
「これで大丈夫のはず。」
八重花から出ていた若草色の輝きが徐々に小さくなっていき叶は八重花の治療を終えた。
医者に見せてみないとはっきりとしたことは言えないが腕は外見上は元通りになっている。
叶は八重花の腕を優しくさする。
「ん、…叶?」
「八重花ちゃん!よかったよぉ!」
目を覚ました八重花を見て叶は安堵の涙を流して抱きついた。
治療はしたがこのまま目を覚まさないのではないかと不安だったのだ。
八重花は横になったまま抱きつく叶の頭を撫でる。
「どうして…私は生きてるの?」
八重花は死を覚悟していた。
意識を失ったら次に目が覚めるのは地獄か来世だと本気で思っていたほどだ。
「何があったの、叶?」
だが実際目の前にいるのは一瞬天使に見えたが紛れもなく叶だ。
オリビアが慈悲をかけるはずはないので八重花には何故自分が生きているのかや叶が無事だったのかがまるで理解できなかった。
叶に説明を求めるのは当然だった。
「ええと…ちょっと待っててね、真奈美ちゃんと由良お姉ちゃんを今のうちに助けてくるから。」
陸の事をうまく説明できなかった叶は逃げるように真奈美の所に向かう。
まだ本調子ではない八重花は横になったまま叶を見送った。
叶は走りながら胸に手を当てた。
(どうして私、陸君が助けに来てくれたって言えなかったんだろう?)
それは叶自身ですら理由のわからない小さな違和感。
それでもその違和感は真奈美や由良を癒している間も真っ白な布に落ちたインクのように徐々にその染みを広げていっているように感じた。
「りく…」
「蘭もいやがる。」
「明夜、無事だったんだ。」
目覚めて八重花の所に集まった"Innocent Vision"はオリビアと対峙する陸たちの姿を見て歓喜の声を漏らした。
それも当然だ。
"Innocent Vision"は陸の中心にして集まった集団であり、蘭も明夜も突然姿を消してしまった初期メンバーだったのだから心配していたし帰還をずっと望んでいた。
ようやく"Innocent Vision"のフルメンバーが勢ぞろいしたのだ。
(うん。そうだよね。陸君が帰ってきてくれたんだよね。)
皆が純粋に喜んでいるから叶も違和感は気のせいだと思うことに、いや、思い込もうとした。
陸とオリビアが無言でにらみ合いを続けているため"Innocent Vision"は陸に声をかけるのを躊躇ってしまう。
叶たちが復活したのはわかっているはずなのに陸たちは動こうとしない。
不気味な静寂に満ちる赤い世界。
「インヴィーー!!」
そこに怒号が響いた。
見れば美保がレイズハートを展開して怒りの形相で駆け込んでこようとしていた。
「ここであったが百年目。覚悟しなさい!」
「美保さん!」
さらにその向こうからは美保に追撃するためか、あるいは美保を止めるためにヴァルキリーが駆けてきている。
「蘭さん、お願い。」
「アイアイサー。」
陸の言葉に蘭は敬礼するとオブシディアンを胸の前に掲げて美保をその鏡面に映し出した。
「ゲシュタルト。根性の無限耐久マラソン!」
蘭がゲシュタルトを発動した瞬間、漆黒の盾が輝きを放ち、美保がピタリと足を止めた。
「あああー!なんでどこまで走っても全然距離が縮まらないのよ!?逃げるな、インヴィ!」
だが意識は走っていることになっているらしく腕を振り回して怒鳴っていた。
意識と肉体の感覚を切り離し、精神力が続く限り走り続ける幻覚、故に無限耐久マラソン。
相変わらずゲシュタルトは地味にえげつない。
駆け寄ってきたヴァルキリーは
「大丈夫か、美保?」
「しっかりしなよ!」
と美保を正気に戻そうとする良子と緑里、葵衣と
「…蘭様。」
「半場さん。」
様々な感情を込めて陸たちを見つめる悠莉と撫子に分かれた。
「やっほー、撫子ちゃんに悠莉ちゃん、また会ったね。あ、でもりっくんは渡さないよ?」
蘭は2人と陸の進路を塞ぐように両手を広げた。
もちろんこの2人がいきなり陸に抱きついたりするわけがないのだが蘭は猫みたいに威嚇している。
「お久しぶりです。」
「…ええ、本当に。」
それきりまた無言になる撫子。
陸が叶や撫子、オリビアを見てフッと笑った。
「ッ!」
叶は悪寒に近い震えを感じてよろける。
「叶、大丈夫?」
真奈美に支えられて倒れることはなかったが足はまだ震えていた。
「何か様子がおかしいわね?」
「陸のやつ、なんでこっちに来ないんだ?」
八重花や由良も叶とは違う視点で疑問を抱き始めていた。
「陸君の目が…怖いの。」
何を叶が恐れているのか"Innocent Vision"の面々にもわからない。
それでも無邪気に駆け寄れる雰囲気ではないことは理解していた。
パチンッ
陸がおもむろに手を上げて指を鳴らすとたった今までそこにいた陸たち4人の姿が消えていた。
「消えた!?」
「どういうこと、幽霊?」
ヴァルキリーの美保や緑里が驚いて慌てている。
「いいえ、あちらです。」
悠莉が指差した先、さっきまで立っていた場所から少し離れた場所に陸たちはいつの間にか移動していた。
それは囲まれていた立ち位置から全体を見渡せる位置に移ったようだった。
「そんな手品を見せてなんとする?」
「ちょうど各組織のトップが揃ってるね。」
オリビアの疑問には答えず陸はもう一度全員を見回すと左目の朱色を強く輝かせた。
ゴゴゴゴゴゴ
すると地面が直下型の大地震のように激しく揺れ、陸たちの立っている場所が盛り上がっていく。
まるで舞台装置のようだが高校の土地にそんな特殊なギミックが仕込まれているはずもない。
これまさしく超常の力だった。
「Innocent Visionは天変地異まで起こすのですか!?」
「いえ、これは…幻覚です。」
悠莉だけは辛うじて幻覚だと認識できたがそれでも現実味が有りすぎた。
"現実と認識する幻覚"を前に誰も動くことができない。
地震が収まると各組織の前には土とコンクリートで作られた舞台が出来上がっていた。
「何をするつもりだ?」
「あんなものを準備してすることは一つよ。でも、嫌な感じがするわ。」
八重花たちだけでなく他の者たちも陸の行動の意味を理解できず様子を窺っている。
陸はせりあがった舞台に立ち、深呼吸をした。
その姿はまるで舞台を前に緊張する役者、もうすでに遠い過去のように思える今日の演劇前の叶たちと同じに見えた。
「聞け!」
陸らしからぬ口調と声にビリビリと空気が震える。
「この世界は狂っている。正しき人の営みの裏側で黒き化け物が人を食らい、命を奪う。」
その言葉は今は亡きファブレの率いたジェムを指す。
「そして、人の姿を取りながら負の感情を糧に殺戮の刃を手に取る乙女たちがいる。」
陸はヴァルキリー、そして"Innocent Vision"にもその視線を向けて語った。
皆それぞれに反感を抱いたが金縛りにあったように口が動かない。
「それらは全て魔女と呼ばれる存在によって引き起こされた。僕たちはいたずらに力を与え世界に混乱を招く存在を許さない!」
オリビアは強い怒りと嫌悪の感情を剥き出しにして陸を睨み付けている。
思いは同じはずなのに叶には陸の言葉が異質に感じていた。
陸が手を振り上げると控えていた3人のソーサリスが陸に並んだ。
「僕はここに宣言する!」
それは、破滅への言葉。
「我らはこの世に存在する"非日常"の力とその根源である魔女を滅ぼすために戦うと!」
それは、世界を壊す存在の宣誓。
「抗わず全ての力を放棄せよ。抗うならば我らはこの身に宿る全ての力を行使してその力を破壊する!」
それは、"Innocent Vision"を含めた全ての組織に対する敵対の意志だった。
「我らは"Akashic Vision"、あらゆる"非日常"の力の敵である!」