第115話 燃える命
八重花が倒れ、仲間が分断された状況で魔女の魔の手が迫っていた叶の前に突如現れたデーモン。
だがその雰囲気は以前とはまるで違っていた。
「前の時は話さなかったけど意思は感じられたのに、今日は…。」
「まるで獣じゃな。畜生が妾の邪魔をするというのかえ?」
「ガアアー!」
デーモンは本物の悪魔のように吠えるがオリビアは眼中にない様子で手を払うとゆっくり叶に近づいていく。
叶は恐怖心を押し込めてオリビンを構えた。
叶とオリビアが対峙する。
だが足が震えている叶と絶対の自信を滲ませて立つオリビアでは初めから勝負が見えていた。
「ガアアアアー!」
デーモンが右腕のブレードを振り上げてオリビアに襲いかかった。
「セイントの娘よ。汝の犬の躾がまるでなっておらんぞ?」
「わ、私のじゃないです。」
オリビアは高速で動き回るデーモンの攻撃を舞う花びらのようにふわりとかわすと叶を窘めるように言った。
叶はブンブンと首を横に振って否定するが端から見れば間違いなくデーモンの位置付けは叶を守る番犬のようだった。
デーモンは朱色の瞳をまるで血走っているかのように爛々と輝かせながらブレードを振るう。
地を蹴る強靭な脚力と背に生えた漆黒の翼による飛翔と旋回で視認不可能なレベルにまで加速したデーモンの一撃がオリビアに向かって突き出された。
「飼い主が躾られぬというならば妾が従順な獣に調教してくれようぞ。」
そのブレードはオリビアの手のひらに直撃する寸前、見えない壁に阻まれたかのように動かなくなった。
「ガアアアアー!」
デーモンは翼を羽ばたかせて推進力を生み出しているがブレードは一ミリたりと進んでいない。
オリビアは吠えるデーモンに残忍な笑みを浮かべた。
「妾の躾は厳しいぞ?簡単に死なぬようにのう。」
叶たちから離れた場所ではモルガナが猛威を振るっていた。
「超音壁。」
由良が玻璃を地面に突き立てて振動する壁を生み出す。
「そんな壁、モルガナには意味ないよ!」
ハイドラを使った不可視のモルガナは叶がいない現状見切ることは出来ない。
襲い来るモルガナを由良は警戒しているがまるで見えていない。
バリン
超音壁が一撃で砕かれた。
「弱っ!これで…」
「これでも食らえ!」
高笑いをする飛鳥に被せるように玻璃を振り上げた由良が見えないはずのモルガナを切り裂いた。
さっきまでの機嫌の良さはどこへやら、親の仇でも見るような眼光を由良に向けている。
「見えないから強引に見させてもらうぞ。」
由良は玻璃を構えて超音壁を展開し直す。
超音壁の砕かれた音でモルガナに対抗しようという苦肉の策で実際はかなりの綱渡りだった。
だが由良が追い詰められていることなど飛鳥は知らない。
知っていたとしても関係ない。
飛鳥にとってモルガナを傷つけた奴は皆等しく死刑だと決めているから。
「だったらレベル10で相手をしてあげるわよ。しっかり避けなさいよね!」
「あー、手加減ねぇな!」
由良のヤケバチな叫びはモルガナに砕かれる超音壁の音に消えていった。
また一方では真奈美と茜の戦いが展開されていた。
スピネルとダイアスポアのどちらもがアルミナ系のソルシエールであるため刀身に光を纏いながら攻撃を仕掛けている。
「ダイアスポアを、ソルシエールを手に入れてあたしは強くなった。今度こそ芦屋真奈美、お前を倒してやる!」
「それで八重花に認めてもらうのかい?」
上と下からの斬撃がぶつかり合い光が弾ける。
以前のジュエルならここで弾き飛ばせていたがソルシエールであり今は拮抗していた。
完全に力を取り戻していないスピネルではソルシエールに対する魔剣優位性が低いのである。
「うるさい!八重花さんは、東條八重花は殺す!そうすればあたしは認めてもらえる!」
狂気に輝く瞳が力を増す。
(これは、半場に助けられる前のあたしだ。)
成し得たい願いのために何も見えなくなっている状態。
真奈美は陸によって救われたが茜を救ってくれる者はいなかった。
その違いが今の2人の立場と言えた。
(半場に救われなかったらあたしもこうなってたのか。)
その事に真奈美は同情してしまった。
「考え事なんて余裕だね!だったらこれも受けなさい!」
ダイアスポアの刃から風船のような泡が溢れ出して周囲に展開していく。
以前同様武器を強化するだけだと思い込んでいた真奈美にとってポアズは完全に予想外だった。
「しまっ…」
「ふっ飛べぇ!」
茜の叫びと共に無数の気泡が連鎖的に大爆発を起こして全てを飲み込んだ。
(こ、こは…)
八重花は全身が熱を持つ感覚と腕から伝わってくる激痛に意識を取り戻した。
腕はまるで動く気配がない。
朦朧とする意識で目を開くと横になった八重花の頭上をボロボロに傷ついたデーモンが吹き飛んでいって地面と激突した。
(あのデーモンが…叶…)
琴や叶の前に現れたデーモンが叶たちを守ろうとしていたことは簡単に想像できた。
そのデーモンが一方的に傷つけられている。
それは叶の危機に等しかった。
コツ、コツとゆっくり地面を歩くわずかな振動が寝転がった八重花には大きく感じられた。
「すまんの。少々キツく躾すぎたようじゃ。」
「ひどい…どうしてみんなを。」
叶は嘆きながらも抗うために戦う決意をしたのが声から伝わってきた。
(駄目…叶じゃ、勝てない。)
セイントの力は魔を払う力があるが叶では絶対にオリビアには勝てない。
それはたとえ追い詰められたとしても叶にトドメを刺すことはできないからだ。
それ以前にオリビアの未知の力には対抗できない。
(動、くのよ…叶を…ジオード…)
八重花の意思に反して体は動かない。
自らの分身であるジオードも手に握っているのかすら感覚がないため分からない。
「さあ、ようやく妾の手にセイントの力が。」
「いやぁ、来ないで!」
叶の虚勢も戦う前から失われてしまっていた。
完全に叶を守るものはなくなった。
このままでは叶は連れ去られる。
どうなるのかはわからないが一つだけ確実に言えること。
それは…もう二度と叶と会うことはない。
「…冗談じゃ、ないわよ。」
小さくかすれた呟きが八重花の口から漏れて弱々しく唇を噛む。
意識がわずかに覚醒に向かい、それ以上に心に激情の火が灯る。
「私を許してくれた叶を…りくの帰る場所を守りたいと願う叶を…、私の親友の叶を!魔女の好きになんてさせられるわけがないじゃない!」
激情の炎は瞬く間に八重花の全身に広がる。
だがどんなに意志の炎を燃やしてもジオードを握れない八重花では戦えない。
叶を守れない。
…何も、守れない。
「…何を…納得、しようと…してるの、かしら?」
自らの弱気を歯を食い縛って噛み潰し強引に目を開ける。
腕にまるで力が入らない。
全身も動かない。
(これが今の私の全力よ。)
そう冷静な自分が判断する横で熱く燃えるもう1人の八重花が叫ぶ。
(これが全力?笑わせないで!私の全力はこんなものじゃないわ!この私の中に眠ってる全てを使うことが私の全力なら…)」
激情の八重花の色が赤から変化していく。
それはまるで氷を思わせる青の炎。
「さっさと目覚めなさい、ドルーズ!!」
ゴオオオオ
突然
青い火柱が立ち上りオリビアは足を止めた。
「なんじゃ?」
「え?」
叶も驚いた様子で涙を溜めた目を炎に向けている。
「…何を、泣いてるのよ?そんなんじゃ、りくの戻ってくる"Innocent Vision"のリーダーは、務まらないわよ?」
炎の中心には両腕をダラリと下げて全身を気だるそうに俯かせた八重花がフッと笑っていた。
「八重花、ちゃん…もう…」
それはまるで命の炎を燃やしているように見えて叶は涙を流す。
もう止めてと言おうとする叶を無視して八重花はオリビアへと体ごと顔を向けた。
「ソルシエールも握れぬ汝がまだ邪魔をするのかえ?少々目障りじゃ。その足ももいでやろうかのう?」
オリビアがわずかに顔を不快げに歪めて手を上げる。
腕と同じように足を砕くべく未知の力を込め
「っ!?」
シュパン
それよりも早くオリビアの手の前を炎が通過した。
咄嗟に引いた手に一筋の線が生まれ、そこから血が流れる。
「妾の体に、よくも傷を…」
オリビアが怒りに顔を歪めるのを見て八重花はフッと笑みを浮かべた。
「いい顔ね。私のジオードの味はいかがかしら?」
八重花は両腕を使えない。
だがオリビアの手を切り裂いたのは青ではなく赤の炎だった。
立ち上っていた青い火柱が収まり、収束した青の炎・ドルーズが八重花の左肩からまるで腕のように現出していた。
そしてそのドルーズは先端にジオードを掴んでいた。
「魔炎による第3の腕とな?小賢しい娘じゃ。」
「第3の腕、カペーラ。新しい力の慣らしに付き合ってもらうわよ。」
八重花はヒュンヒュンとカペーラでジオードを振り回しながら一歩オリビアに近づいていった。
赤と青の炎が空間を駆け抜ける。
オリビアはそれらを両手で捌いていた。
「厄介なグラマリーじゃ。忌々しい。」
八重花はふらつく足で体を地面に楔のように固定しながら赤と青の混じりあった紫の腕を振っている。
「自分の腕と違って壊れない分、遠慮なく振れるわね。」
人間が腕で剣を振るう時にはどうしても腕が動く限界速度が存在する。
だがカペーラにはそれがないため人智を越えた斬撃の速度を発揮していた。
未知の力でアダマスすら退けたオリビアに傷をつけていく。
「八重花ちゃん!」
「邪魔をするではないわ、セイント。」
それでも八重花は限界をとっくに越えており立っているのが不思議なくらいだった。
叶が癒しをかけようとする度にオリビアが妨害するため八重花の動きは徐々に精細を欠いてきていた。
「まったく、口惜しいわね。せめてこんな腕になる前にドルーズが復活していれば…」
「じゃがこれが現実じゃ。そして汝に次はない。意識を手放した時が汝の最後じゃ。」
オリビアはいっそ敬意すら感じる言葉で八重花の最後を宣告した。
八重花は曖昧に微笑み、最後の時に向かって炎を燃やし続ける。
「八重花ちゃん、もう止めて!」
叶にも分かっていた。
八重花が死ぬ覚悟で今戦っていることを。
そして、その終わりがもう目の前だということを。
もはや振るう刃が速すぎて見えず赤と青の線が引かれるだけしか見えない攻撃の最中、八重花が叶に微笑んで見せた。
「八重花ちゃ…!」
叶の叫びと同時に立ち上っていた炎が消え、八重花が崩れ落ちた。
かすかに呼吸をしているがピクリとも動かない。
「危険じゃな。こやつは早急に始末せねばならん。」
オリビアが八重花に止めを刺すために切り傷のついた手を向ける。
「駄目です!」
叶は八重花を守るために間に駆け込んだ。
「セイントの娘よ。よもや自分は殺されないと考えているのではないじゃろうな?」
「…。」
その考えがないわけではなかった。
オリビアは叶のシンボル・オリビンを欲しがっている。
だから殺されないで済むかもしれないと。
「甘いのう。妾に掛かれば死人になった娘の体からでもセイントの力を抜き出すことも出来よう。」
オリビアはゆっくりとした足取りで近づいてくる。
叶は震えそうになるが両手を広げて動かない。
「阿呆じゃな。」
オリビアの手が叶の首を掴んだ。
「っ…」
「妾を殺す気概もないセイントが前に立つでないわ。」
ギリギリと指の力が強まっていき苦しくなっていく。
「ちょっと待った。」
そこに掛けられる待ったの声に叶は助けを期待した。
ドサッ、ドサッ
だが見たのはボロボロにされて地面に投げ捨てられた由良と真奈美の姿だった。
「オリビア、どうせなら一斉のせで殺すべきじゃない?」
「1人足りないけど。」
「構うまいて。僅かな差じゃ。」
手が離されて未知の力が首を締め上げる。
由良にはモーリオンの切っ先が突きつけられ、真奈美の首を狙うダイアスポアを茜が構えている。
撫子たちは校門への道をこじ開けて撤退すべく突撃を開始していた。
どこにも助けはない。
(もう、駄目なの?)
どこからか飛んできた矢はオリビアの直前で不自然に停止して地に落ちた。
(私じゃ…守れなかったよ、"Innocent Vision"。)
意識が遠退いていく。
「さらばじゃ、"Innocent Vision"。」
3人の死刑執行人が刑を執り行う。
(ごめんね、陸君。)
もう言葉にできない思いを胸に叶は瞳を閉じた。
一筋の涙が溢れて
パァン
ギン
ガキン
涙の雫が落ちきるよりも早く叶は温かな感覚に包まれた。
「ゲホッ、何、が…?」
開いた目蓋が見開かれる。
朱色の左目と凛々しい表情。
それは夢のような光景。
「現れたな、"化け物"。」
茜の忌々しげな声も叶には現実を認識する証明となった。
叶を左腕で抱きとめながら右腕を突き出しているのは
「陸、君…」
Innocent Vision…半場陸だった。