第114話 魔女オリビア
それは信じられない光景だった。
「海、ちゃん…?」
叶は呆然と目の前から一瞬で消えたように見える友の名前を呼んだ。
背後の校舎で爆発したような音が聞こえたが海との関連性を考えることも出来なかった。
ただあれだけ強かった海が消えたことに恐怖を通り越して放心していた。
最強の魔剣アダマスの担い手・半場海が敗れた。
それは海と飛鳥が戦っている時だった。
「モルガナ!」
飛鳥の意思を受けて動く10本の触手はブリリアントを避けるために細く鋭く形を変えていた。
「ちょっとは知恵を使うようになったね。」
「うるさい!刺し貫け!」
押し潰すのではなく突き刺すためによりあげられたモルガナが海を襲う。
「だけどまだ底が浅いよ。」
アダマスが輝きを放ち、迫ってきていたモルガナを真正面から斬った。
そのままひょいと他の触手を避けきると横薙ぎに一閃、モルガナを根本から切り落とした。
「出所が同じならどんな形でも簡単に斬れるからね。」
実際は防御力無視、射程無視のアダマスだからこそ可能な芸当だが破られている飛鳥にとってはどちらでも同じであり悔しげに顔を歪めていた。
叶はその戦いを海の後ろから見ていた。
「海ちゃんすごい。」
完全に観客化しているが海も叶を守る戦いということでモチベーションを上げているので上手く共存が成されていた。
「あれ?」
海が優位の戦いをただ観戦している状況になってようやく叶は一つの疑問を抱いた。
それは海の戦い方。
あれだけの射程と威力を誇るブリリアントを何故か海はモルガナを切り落とすのにしか使わない。
飛鳥にはアダマスで斬りかかることは何度かあったがその時はモルガナに弾かれていた。
要するに本気で戦っているように見えなかった。
「あ、もしかして…」
思い出すのはサマーパーティーで海と会った時の事。
"Innocent Vision"への参加を表明した海に対して叶は無闇に相手を殺さないようにと忠告していた。
「海ちゃん、それを守ってくれてるのかな?」
叶はヴァルキリーであれ時坂飛鳥であれ誰かに死んでほしくはない。
だから約束を守って殺さないでいてくれる海に感謝した。
「だったら飛鳥も動けば…」
「はい、そこ。トラップ発動。」
飛鳥が横に飛び出した瞬間、着地した地面に魔法陣が浮かび上がり飛鳥の動きが制止した。
一時的に時間を消滅させるグラマリー・ディアマンテである。
飛鳥は駆け出そうとしている姿勢で固まっている。
「今回はちょっと頑張ったけどまだまだだったね。」
海はポンポンとアダマスを手で弄びながら飛鳥に近づいていく。
「海ちゃん、どうするの?」
叶はこのまま軽い調子で海がアダマスを飛鳥の胸に突き立てそうな不安を抱いて尋ねた。
海は顔だけ振り返り優しく笑う。
「大丈夫、ちゃんと"Innocent Vision"の誓いは守るよ。」
「よかった。」
「…ちょっと手足の腱をスパッと斬っちゃうだけだよ。」
「…っ!?それもダメ!」
海があまりにもあっさりと言うのでスルーしそうになったがある意味死ぬより嫌な仕打ちだった。
叶は慌てて止めようとするが海はすでにアダマスを振り下ろし始めていた。
「危険な存在は無力化しないとね。」
「駄目!」
すでに賽は投げられた。
アダマスは狂い無く飛鳥の右腕の腱を狙い、叶の悲鳴であっても止まらない。
振るわれた刃は
パシッ
あり得ないほどに軽く受け止められた。
「な…」
「え…?」
アダマスを握る海も、止めに入ろうとしていた叶もその状況が理解できなかった。
必殺ではないが確実に飛鳥を傷つけるはずだった刃。
それは
飛鳥の影から伸びた手がアダマスを掴んでいた。
「何、これ?」
海が叶の知る限り初めて怯えの感情を露にしてアダマスを引き抜こうとするがその手はまるで吸い付いたように離さない。
叶もまたその腕に言い知れない恐怖心を感じていた。
勝手に震える体を抱き締める。
「あれは…怖い。」
海は必死にアダマスを取り戻そうとするがびくともしない。
「だったらブリリアントで!」
刃を握られたままでも刀身にブリリアントの力を宿すことはできる。
海はその力で腕ごと切り落としてやろうと考えていた。
アダマスの刀身が輝くと突き出してきた腕はようやく手のひらを離した。
そして
ドン
海の体が突然吹き飛ばされた。
それは信じられない光景だった。
「海、ちゃん…?」
叶は呆然と目の前から一瞬で消えたように見える友の名前を呼んだ。
背後の校舎で爆発したような音が聞こえたが海との関連性を考えることも出来なかった。
ただあれだけ強かった海が消えたことに恐怖を通り越して放心していた。
海がたった一撃で敗れた。
飛鳥の影から伸びた腕は不気味にゆらゆらと揺れていた。
「カナ、どうした!?」
「叶、大丈夫?」
「何があったの?半場海は?」
そこに由良や真奈美、八重花が駆けつけた。
それでも叶は地面から突き出た手から目が離せない。
「なんだ、あれは?」
「時坂飛鳥が止まってるから彼女じゃないわね。」
由良たちも腕の存在の異常さに気付いて警戒を強めた。
「あの手が、海ちゃんを…」
叶がようやくそれを説明した直後、
「世話の焼ける娘じゃのう。」
そんな声が飛鳥の影から聞こえてきた。
パキンとガラスが割れるような音がして飛鳥の時間が動き出した。
それはまるで海のグラマリーを破ったかのように見えた。
「な、何?あのアダマス使いは?」
復活した飛鳥は突然目の前から海がいなくなったことに困惑していた。
そして飛鳥の目が影から伸びた腕に気付くとニヤリと唇を歪めた。
「ようやく出て来たわね。」
「まったく、口の減らない娘じゃ。」
地面から突き出した腕がまるで下から押し上げられるように影から出てくる。
そんな非常識極まりない現れ方をしたのは中世ヨーロッパの貴族が着ているような服を召した妙齢の女性だった。
その女性は飛鳥を見て目を細める。
「妾が来なければ汝は今頃ダルマになっておったぞ。感謝せい。」
「ふん。余計なお世話よ。あんなやつ飛鳥一人で倒せたんだから。」
古風な口調で話す女性は飛鳥と無防備なくらい普通に話している。
だが"Innocent Vision"はまるで攻撃をしかけなかった。
突然の乱入者を警戒していたのはある。
だがそれ以上に得体の知れないプレッシャーを感じていた。
奇妙な女性がようやく気が付いたように叶たちの方を向いた。
「これは失礼したのう。妾としたことが初対面だというのに挨拶を忘れておったわ。」
女性はスカートを摘まむと優雅にお辞儀をした。
「妾の名はオリビア。汝らが魔女と呼ぶ存在じゃ。」
"Innocent Vision"は声すら出せないほどに驚愕して身を凍りつかせた。
「あれが、ファブレとは違う魔女ですか。」
撫子は押し寄せるオーをグラマリーで払いながら新たに現れた魔女オリビアに目を向けた。
離れていてもオリビアから感じる圧倒的な力で身がすくみそうになる。
「"Innocent Vision"の加勢に向かわれますか?」
葵衣もまたデュアルジュエルを駆使してオーを倒していくが後から溢れてくる闇の人型はキリがなかった。
「どれだけいるか分からないオーよりも親玉を倒した方が早いと思いますよ、撫子様。」
緑里も不本意ながら"Innocent Vision"に加勢することを推奨する。
オーはとにかく撫子たちを外に出させたくないらしく校門に向かうほど壁が厚くなっていた。
コロナがあれば焼き払うこともできただろうがジュエルの出力では大量の敵を一気に吹き飛ばすのは難しかった。
だが撫子は考えた末に首を横に振った。
「よく見えませんでしたがあの魔女は飯場海さんを一撃で倒していました。もしかしたら"Innocent Vision"の力を持ってしても敵わない相手かもしれません。ならばわたくしたちは退路を確保し最悪を想定して生き残ることを第一に考えましょう。良子さんたちが戻られたら一気に正門までの道を開きます。」
撫子はオリビアの気配に強い警戒を示していた。
それは"Innocent Vision"が敗れるという状況まで想定していた。
「ならばジュエルにも召集を掛けておきます。現在のヴァルキリーにはジュエルという数の力も存在しておりますので。」
ヴァルキリーは勝つことではなく生きることを選択した。
ただ一つの出口を目指して放たれる数という名の矢を一つに編み上げるために力を蓄えていた。
「魔女オリビア。」
「叶のオリビンやあたしのスピネルを狙ってきたオーの親玉。」
由良や真奈美が呆然と呟く中、叶は震えながらあることを思い出していた。
「10の魔女が動き出したかもしれない。明夜ちゃんが言ってたのはこのことだったんだ。」
「カナ、それはどういう意味だ?」
「明夜ちゃんがサマーパーティーの時に時坂さんを見て言ってたんです。他の魔女が動くかもしれないって。」
「ちっ、明夜のやつ、何を知ってやがったんだ?」
悪態をついたところで明夜はここにはいない。
この場の誰もその答えを知る者はいなかった。
「時坂飛鳥がオーを生み出したにしては下っ端っぽいと思っていたけど、やはり裏に魔女がいたのね。」
"Innocent Vision"の面々は丁寧な挨拶に宿る底知れない力に体を強張らせた。
「下っ端じゃないわよ!飛鳥はオリビアの同志!」
八重花の発言が気に食わなかったのかモーリオンを振り回しながら憤慨する飛鳥。
(時坂飛鳥の性格を上手く利用してるのね。さすがは長年生きている魔女。)
八重花は冷静に判断してオリビアの印象を認識し直す。
演出だったのか地だったのかは不明だがミステリアスだったファブレとは違い、オリビアは話を合わせながら裏で自分の計画を進めて最後に裏切るタイプだと。
「とりあえず叶のオリビンと真奈美のスピネルを狙う理由を聞いておこうかしら?」
八重花が前に出てオリビアと正面から向かい合った。
深い海の底みたいな紺色の瞳を見ているだけで魂が吸い取られそうな感覚に陥るが指が皮膚に痕をつけるほどに拳を握り込んで耐える。
八重花の内心の恐怖を知っているように魔女オリビアは口許を隠して目で笑う。
「妾の野望のため、とだけ言っておこうかの。その為に…」
オリビアの視線の先にいる叶を庇うように由良と真奈美が間に割って入る。
「妾の崇高な野望を邪魔をするとは無粋な輩じゃ。」
「そう思うならその崇高な野望とやらを説明したらどうかしら?少なくとも自分で崇高とか言っている人の言葉なんて簡単には信じられないわよ。」
八重花は少しでも魔女から情報を引き出すためにあえて相手の神経を逆撫でするような言動で煽った。
魔女が言う崇高な野望とやらがどれほどの物かは知らないが少なくとも魔女が聖なる力に手を出そうとしている時点で怪しすぎる。
それ以前に叶と真奈美が狙われている時点で八重花が協力を申し出る可能性は皆無だった。
「妾の野望を他の者が知る必要はないぞ。ただ妾の前にひれ伏せばよい。」
「そうよ。飛鳥だってオリビアの野望なんて知らないしどうでもいいし。飛鳥はただこんな世界をぶち壊せればそれでいいんだから。」
同志にすら明かさない心のうち。
そんな相手と同志でいられる飛鳥の精神を疑うが八重花には関係ない。
(思った以上に切れ者ね。)
「嘆かわしいのう。ファブレに選ばれた資質ある者たちがこのような腑抜けであるとは。もうよかろう。疾くセイントを差し出し妾の前から消えよ。」
オリビアが左手を叶に向けて伸ばそうとする。
「何をするのかはわからないけどさせないわよ。ジオー…」
八重花はジオードを顕現させながら間に飛び込んだ。
ゴキッ
嫌な音が一瞬で静まった世界に響く。
「ならばまずはその腕から貰い受けよう。」
「あああああ!!」
直後、八重花の左腕が人の関節ではあり得ない方向に曲がり、八重花は白目を向いて絶叫した。
「八重花ちゃん!」
「ヤエ!」
八重花の腕は肘の先から捻られたようにぶら下がっていた。
「このやろう!」
由良が激昂して音震波をオリビアに向けて放つ。
だがそれは巨大な触手の壁に阻まれた。
「アダマス使いがいないから今度はあんたと遊んであげる。」
「ちっ!」
「だったらあたしが!」
真奈美が飛び上がりスターダストスピナを放つ体勢に移る。
だがそれよりも高く輝く刃があった。
「アルファルミナ!」
「うわぁ!」
叩き落とされた真奈美の前にはダイアスポアを手にした茜が立っていた。
「あたしの人生を滅茶苦茶にした芦屋真奈美、許さない。」
ゴキィ
「あああぁ……!!」
さらに八重花の右腕までもが砕かれて垂れ下がる。
それでも八重花は倒れない。
「もう止めて!止めてください!」
叶が泣き叫ぶがオリビアは恐ろしいほどに微笑みを崩さない。
「ならば妾に汝の力を差し出すのじゃ。でなければ仲間全てが使い物にならなくなるぞよ?」
「だ…めよ…叶…」
八重花は振り返りながら叶が降伏するのを止めようとしてそのまま地面にグシャッと倒れた。
頭から血が流れ出す。
気が動転しすぎてオリビンで癒しをかけることも忘れている。
ただ八重花のように仲間達がやられていく様を見るのは耐えられないという思いが叶を押しつぶそうとする。
魔女の与える答えこそが一番幸せなのではないかと思えてしまった。
「私は…」
叶が降伏しようと口を開き、オリビアがにやりと口角を吊り上げたとき
「ガアアァァーーーーー!!!!!」
学校の屋上から天地を震わせるような咆哮が響いた。
「な、なに!?」
屋上から飛び上がった黒い影が一瞬のうちに降下してきて叶とオリビアの間に地面を砕きながら着地した。
涙に濡れた叶の瞳がその漆黒の翼を持つ背中を見る。
「あの時の、デーモンさん?」
「ガアアアア!」
デーモンは獣のような雄たけびを上げた。