第108話 演劇演戯
翌日、壱葉高校の掲示板の前はクラス分けやテスト結果発表と同じくらい大盛況だった。
そこには
『乙女会講演、シンデレラ上演決定。』
というポスターが貼られていた。
「きゃー、乙女会の演劇だって。やっぱり王子様は等々力先輩だけどシンデレラは誰かな?」
「意地悪な継母は神峰さん得意そうだよね。気が強そうだから。」
「それ姉の方じゃなかったっけ?」
まだタイトルしか決まっていないのにポスターを1日で作り上げたことも凄ければ学生たちの注目度も凄かった。
撫子が乙女会会長を務めていたときはヴァルハラの公開だけだったことを考えれば今回の上演は乙女会に憧れる女子にとっては驚愕すべき事態だった。
当然その情報は朝のうちに1組、4組にも伝えられた。
八重花や由良が4組に出向いて輪になっていた。
"Innocent Vision"の面々は困惑も含めて難しい顔をしていたが裕子はむしろテンション上げていた。
「乙女会も演劇だって!スゴい見たい!でも自分達の劇もある、あぁー!」
どちらかと言えば嬉しい悲鳴の様子で裕子が騒ぐ。
程度の差はあれ他のクラスメイトも似たようなものだった。
唯一脚本を書いた森本だけは
「シンデレラなんてテンプレートな作品には負けないんだから!」
と闘志を燃やしていたが。
「にゃはは、乙女会って会員もやるのかな?」
一般的に乙女会はヴァルハラへの入室を許されたヴァルキリーのメンバーをさすがそれでは現在5人だけだ。
5人で舞台操作をしながら演劇を行うのはいかに万能執事海原葵衣とて…たぶん無理である。
そうなると当然乙女会の会員を使ってくるだろう。
そして乙女会の会員は1組にも4組にもいる。
「注目。乙女会に入ってる人、挙手して。」
真奈美がクラスにいた生徒に問いかけた。
パラパラと手が上がっていき女子の半数以上に昇った。
そして真奈美の隣にも手を挙げている人物がいる。
「ブルータス、お前もか。」
「いやいやいや、だって乙女会だよ!?興味あるじゃん、淑女になりたいじゃん?」
裕子の弁解に手を挙げた女子たちも頷いている。
八重花は必死な裕子の頭をポンと叩く。
「別に責めているわけじゃないわ。ただ急に人員が割かれると予定に支障が出るから早急に両クラスの乙女会会員をリストアップして。それと乙女会にその辺りを確認しに行く必要があるわね。」
「あ、あたしはクラスの演劇に出るよ!せっかく5人で演劇出来るんだもん。」
どっちも必死な裕子の篤い友情を感じていると廊下からきゃーと黄色い悲鳴が上がった。
「ああ、やっぱりここにいた。」
2年4組のドアから入ってきたのは乙女会会長の等々力良子と真の会長であらせられる海原葵衣だった。
乙女会の登場に会員のテンションが高まった。
こういう時はなぜかリーダーの叶ではなく八重花が前に立つ。
本物のリーダーは観客みたいに成り行きを見守っていた。
「カボチャの馬車役の等々力先輩、おはようございます。」
慇懃無礼な挨拶に良子は笑う。
「はっはっは。相変わらず八重花はあたしに容赦無いね。馬ならまだ分かるけどさすがに馬車はないよ。ないよね?」
急に不安になったらしく隣に立つ葵衣に尋ねるが解答は無かった。
泣きそうな感じに不安げな会長を放置して葵衣が頭を下げる。
「この度は急な決定でご迷惑をお掛けして申し訳ございません。」
「それは構いません。生徒の反応を見ればどちらが喜ばれているかは分かりますから。」
八重花が自嘲気味に肩を竦める。
確かにポスター1枚で学内を震撼させるのだから乙女会の影響力は大きい。
「ありがとうございます。すでにご理解されていると思われますが乙女会だけでは演劇を行える人数ではありません。そして学園祭である以上極力お嬢様のお力をお借りしない方向で、つまり学生の力で事態に望みたいと考えております。」
「そうですね。花鳳の黒服が黒子をやっている姿はかなりシュールでしょう。」
「ご理解いただき恐縮です。つきましては乙女会会員の助力を求めるにあたり許可を戴きたく参りました。」
始終丁寧な言葉に一部生徒がついてこれていないが大体はさっき八重花がまとめようとしていたことだった。
違いは乙女会が無理矢理召集するのではなく許可を取りに来た点だ。
その誠意に少々驚きつつ八重花は疑問を口にする。
「それは乙女会会員全員を連れていくってことですか?」
裕子があっと声を漏らした。
葵衣が是を唱えれば裕子は強制的に乙女会の演劇に回され5人で演劇をすることが出来なくなる。
ある意味最大の嫌がらせと言えた。
だが葵衣はすぐに首を横に振った。
「決して強制ではございません。あくまで有志を募る形となります。私事で自惚れと思われるかもしれませんが恐らくは相当数の生徒が参加の意志を見せてくださるでしょう。」
「乙女会からの号令がかかればそうでしょうね。」
「はい。ですのでそちらの合同演劇に支障が出ない範囲で許可していただければ構いません。2年1組および4組の生徒が集まらなくても問題はありません。」
嫌がらせどころか合同演劇を気遣う姿勢まで見せる乙女会に八重花は眉を寄せる。
「何か疑問がおありですか?」
「そうですね。乙女会が演劇を上演しようとした理由ですね。」
八重花が率直に尋ねるとさすがの葵衣も言葉を詰まらせた。
何しろ昨日の放課後に突然悠莉が演劇をやろうと言い出し、言葉巧みにメンバーを言いくるめただけだから理由は知らないのである。
嘘を言うのは気が引けるし、かと言って黙っていても不審がられる。
葵衣がまったく表情を動かさず困っていると
「八重花たちとあたしらで演劇勝負ってことだよ。なかなか面白そうだと思わない?」
いつの間にか復活していた良子が代わりに答えた。
良子の勝手な思い込みだがなぜか良子が言うと嘘に聞こえず、今回に限れば真実である。
八重花は良子の顔を覗き見るが浅い底は本音しか語っていない。
(裏はない、みたいね。)
ヴァルキリーも劇で忙しくなれば"Innocent Vision"を襲撃する暇はなくなるので八重花たちの安全が増える。
ジュエルを集めて作戦を展開するにしても露骨すぎる。
八重花が導いた結論は危険はない真剣勝負のお遊びとなった。
「分かりました。ですが人気の前提が違いますからこちらが負けた際のペナルティは受けませんよ?」
勝負事に付き物のペナルティを八重花があらかじめ潰しにかかる。
ちょっと期待していた良子は動揺して隣を見るが葵衣はすぐに頷いた。
「人気の差を覆しあなた方の劇が認められたならば乙女会からプレゼントをご用意致しましょう。」
乙女会からのご褒美と聞いてクラスがどよめく。
クラスで宣言することでヴァルキリーとの関わりを断った。
本気でヴァルキリーが演劇勝負を仕掛けてきたと認めた八重花はフッと笑って腰に手を当てた。
「いいですね。俄然やる気が出てきました。それでは今日中に1組と4組の会員に確認を取りリストを提出します。」
「乗り気だね、八重花。そうこないと張り合いがないよ。」
良子も嬉しそうに迎え撃つ。
良子も葵衣も嘘を付いたようには見えない。
八重花はスッと右手を差し出した。
戸惑う良子に
「互いに良い劇を演じましょう。」
八重花は不敵に笑いかける。
口では謙虚だがその目は闘争心に燃えているようだった。
良子はその目を見て手を取る。
「楽しくなってきたよ。」
グッと固く握って離すとすぐに良子は去っていく。
葵衣もお辞儀をして帰っていった。
「私、何にも話してない。」
叶がリーダーとしての自分に疑問を感じている間に八重花は教壇に立った。
「後で1組と4組の先生に名簿を貰うから乙女会の会員はどちらに参加するかを書いて。別にどちらの劇も強制ではないから出ないという選択肢もありよ。あるいは、どっちも出たいって強者も歓迎するわよ?」
ちょうどのタイミングで担任がやって来た。
八重花は名簿の件を伝えると教室に帰っていく。
「私、要らない子なんだ…」
「…大丈夫だよ、叶ちゃん。私も海じゃなくて空気だったから。」
「こら、作倉、飯場。席に着け。」
「「…はい。」」
一部が会話に参加できず落ち込んでいた。
その日の夜、葵衣は風呂上がりの撫子の髪の手入れをしていた。
「お嬢様、お尋ねしてもよろしいですか?」
「葵衣から質問なんて珍しいわね。何かしら?」
普段一を教える前から十を知っている葵衣からの質問に撫子は興味を持った。
「お嬢様は演劇をされたことがおありだったと記憶しております。」
「演劇と言っても中等部の文芸会での催しよ。」
撫子は壱葉高校に入るまでは一貫性の所謂お嬢様学校に在学しており、その学校での文化祭に当たる会で劇を演じたことがあった。
尤も服飾が豪華なことを除けば普通の学生の劇と何も変わらないが。
「私は演劇の経験がありません。何かご教授いただければと思いまして。」
「壱葉の学園祭で演劇をするのね。演目は何をするの?」
すっかり興味を持った撫子は手入れを中断させて葵衣を前に座らせた。
普段は葵衣が学生らしい話をしないからこういう機会が楽しいのだろう。
「急に決まったことでしたのでポピュラーなシンデレラに決まりました。ですがまだ配役は正式決定はされていません。何人か既に内定している方はいらっしゃいますが。」
良子の王子役と美保の意地悪な義姉役は揺るがない。
美保が文句を言ったとしても全員が適任だと言うのは目に見えていた。
肝心のシンデレラを誰がやるのか決まっていないが悠莉には考えがあるらしく、葵衣の予想では順当に悠莉がやることになる。
「葵衣がシンデレラという可能性もあるわ。今のうちに日程調整をして見に行けるようにしないといけないわね。」
撫子は子供の学芸会を楽しみにしている親のように手帳を開いて文化祭の日時に印をつけた。
「私がシンデレラではせっかくの舞台が台無しになってしまいます。私は…そうですね、ねずみの御者でしょうか。」
「そうかしら?葵衣ならどんな役でもこなせるでしょう。あとは笑顔ができれば完璧ね。」
少なくとも葵衣の高い能力は演技だろうと台詞だろうと完璧にこなす。
だが唯一乏しい表情変化だけが役者として不足している点だった。
葵衣は諦めたように笑う。
「それではやはり私では役者不足です。笑顔でしたら悠莉様こそ適任です。」
「悠莉さんは確かにそうですが…時々あの微笑みが恐ろしく感じるのは気のせいかしら?」
「…。」
葵衣は微妙すぎて何も言えなかった。
撫子はそこで疑問を持った。
「葵衣、悠莉さんは2年生だからクラスが違うのではないの?」
「はい、悠莉様は2年2組に在籍されております。」
互いに不思議そうな目をしている。
重大な前提条件が抜け落ちていることに両者同時に気付いたらしく
「申し訳ございません、お嬢様。この度の演劇はクラスではなく乙女会役員主演となります。」
「先に言いなさい!これは絶対に予定を空けないといけないわ。」
ようやく話の本質に行き着いた撫子はモンスターペアレントを彷彿とさせる熱心さで関係各所にメールを打ち始めた。
お付きの者として説明不足を悔い、撫子の為にもしっかりと演じようと心に誓った葵衣は
「葵衣様、貴女がシンデレラです。」
翌朝、満面の笑みで悠莉に大役を押し付けられた。
表情を変えないまま数分間固まった。
「悠莉様。私はお嬢様にも言われましたが演劇に必要な感情表現に難がございます。舞台を成功させるためにもお考え直し下さい。」
撫子はむしろ笑顔があれば完璧だと褒めたのだが、葵衣は曲解していたようだった。
「そうよ!あたしが意地悪な義姉なんてありえないわよ!」
「あー、美保はこっちでボクたちと話し合おうか。」
「は、離して!?」
葵衣の味方となりそうな緑里は美保のところに行ってしまった。
悠莉が何を考えているのかまったく理解できず葵衣はただ答えを待つ。
「だからこその起用です。葵衣様はその鉄壁完璧執事として皆が知っています。その葵衣様が演劇で泣き、怒り、そして笑う姿はオーソドックスなシンデレラにインパクトを与える最大の手段です。」
悠莉はずずいと葵衣に詰め寄る。
「葵衣様の感情表現が成功の鍵となるのです。」
割と無茶ぶりに近かったが言っていることは正論であり、葵衣は頷くしかなかった。
その日を境に合同演劇と乙女会は本格的に演劇の準備を開始した。
配役の決定と台詞覚え、小道具の準備、欠き割りの製作とやるべきことは多く、それらを授業時間以外でこなさなければならないため時間は瞬く間に過ぎていった。
その間ヴァルキリーからの攻撃や妨害もなく、遂に演劇当日を迎えた。