第105話 決定する流れ
昨晩は夜遊びをこってりと怒られ、くたくたになってぐっすりと眠った叶は翌日
「ううああ、体が痛い。」
筋肉痛になっていた。
癒しの光で傷や体力は回復したが筋肉痛までは治らなかったらしく歩き方がぎこちない。
こういう日は大人しく席に座っていようと思いながら学校に向かう。
「かーなえ!」
バシンッ
「~~ッ!!」
突然背中を叩かれて声にならない悲鳴を上げた。
叶を一撃で撃沈させた猛者である裕子はプルプルと体を震わせて蹲る叶を見てやっちゃったという顔をした。
「叶、大丈夫?」
「うう、この世界に優しい神様はいないんだ。」
いつだか誰かが言っていた言葉を呟く叶だった。
気を取り直して裕子と一緒に学校へ向かう。
最近は"Innocent Vision"でいろいろあったり裕子も芳賀と一緒が多かったのであまり一緒に登校する機会はなかった。
「あ、そうだ。クラス委員長からたまたま聞いたんだけどね。」
「副委員長がたまたま聞くのは問題だと思うよ。」
裕子は叶のツッコミを華麗にスルーした。
「もうすぐ文化祭で何やるか決めるんだって。叶は何がしたい?」
「文化祭…」
文化祭の時期は叶にとって複雑な思いがある。
陸は文化祭の前日にアルミナを手に入れた真奈美と戦い左目と共にジュエルを破壊していなくなった。
それを目撃した叶は一時期、陸を本気で憎んだほどだった。
「あー、そういえば真奈美が目をやっちゃったのもその頃だったね。まったく、犯人は捕まってないの?」
叶の表情から考えていることを理解した裕子は叶の代わりとばかりに怒る。
叶は今は眠っている犯人を教えるわけにもいかないから曖昧に首を傾げるだけだ。
「今年は楽しくなるよ。いや、楽しくしないと。」
「そうだね。」
感傷的な気分になったところを元気付けてくれる親友に感謝しつつ
「何がいいかな?」
「水着の女体盛りとか?」
「そんなのやだよ!」
2人は内容を考えながら教室に向かった。
ヴァルキリーは毎朝のようにヴァルハラに集まる。
メールでの連絡は傍受される可能性があることもあるがそれ以上に毎日のように顔を合わせることで結束を高めていた。
たとえ前日に大敗を喫してもメンバーは律儀に集まった。
「あー、無駄に雲一つない青空だとムカつきますよね。」
美保が世界に対して悪態をついた。
不機嫌な理由は当然昨晩の"Innocent Vision"による琴奪還である。
不機嫌のとばっちりに会いたくない緑里や良子は葵衣のお茶を黙々と飲んでいた。
「空が眩しく感じるのは寝不足だからじゃないですか?美保さんの事ですから"Innocent Vision"にしてやられたのが悔しくて一晩中文句を言っていたんでしょう?」
だというのに悠莉はズバズバと危険言語で切り込んでいく。
「言ってたわよ!あんたに電話したけど出なかったのよ!」
「ストレスと寝不足は体によくないですから。」
「あたしは悠莉のストレスか!?」
美保は一言ごとに白熱し悠莉は普段通り微笑みを浮かべて切り返す。
「美保を爆発させることなく怒らせ続けるなんて悠莉くらいしか出来ないよね。」
「ボクには絶対無理。」
美保の苛立ちを理解できる良子と緑里は悠莉に弄られる美保に同情しながらやっぱりお茶を飲み続けていた。
美保が力尽きるまで続くのかと思われた会話に葵衣が割って入った。
「悠莉様、美保様。よろしいでしょうか?」
「構いませんよ。」
すぐに悠莉は何事もなかったかのように会話を切り上げた。
行き場をなくした美保が頭をガリガリしながらドカッと頬杖をついたのを見て葵衣は頷く。
「お嬢様が今後のヴァルキリーの方針についてお話があると仰っております。」
そう告げると本来は黒板が設置されている場所を隠していたカーテンを開いた。
「え、テレビなんて付いてたっけ?」
そこには黒板と同サイズの大画面薄型液晶テレビが植え付けてあった。
スイッチを入れると画面が揺らぎスーツ姿の撫子が映し出された。
『おはようございます、皆さん。昨晩はお疲れさまでした。』
テレビ会議形式に興味が沸いたのか美保も不機嫌さを和らげた。
ウェブカメラによるリアルタイム映像とはいえ撫子が視線を動かしてもカメラの映像は動かないのだが全員の顔を見るように見回した。
『今後のヴァルキリーの活動ですが、まず第一に各地のジュエルの勢力拡大を目指します。サマーパーティーで失われた以上の戦力を作り上げヴァルキリー全体の戦力を安定させます。皆さんにはまた各地に飛んでいただくことになりますがよろしくお願いします。』
サマーパーティーが終わって一月以上の時を置いたのはジュエルたちの心と体を休め再び立ち上がる十分な時間を与えるためだった。
一時期は"Innocent Vision"やオーへの恐怖でジュエルクラブを退会した者たちもこの期間に再びジュエルとして帰ってきており戦力の低下は最終的には20%以下だった。
「それよりも"Innocent Vision"と巫女はどうするんです?」
今の美保の関心は使えない部下よりも宿敵にあった。
琴をもう一度誘拐するなら次はもっと上手くやれる自信があるし、協力を誓わせるために痛め付ける役をやるのもいいかと思っている。
撫子は画面の向こうから美保を見ると一度目を伏せ、一呼吸置いてから顔を上げた。
『太宮院さんの件ですが、しばらくの間ヴァルキリーは干渉しないことにします。』
撫子の意外な提案に全員が動きを止めた。
「それは未来視の確保を諦めるということですか?」
撫子の発言の意図を汲み取れば悠莉の言うように琴を手に入れるのを断念し未来視を諦めると言っているように聞こえた。
撫子は画面の向こうで首を横に振った。
『未来視を諦めてはいません。しかし太宮院さんの勧誘は後回しにするべきだと考えたのです。』
「と言いますと?」
悠莉の合いの手に撫子は頷いて説明する。
『太宮院さんは"Innocent Vision"と親しい間柄です。今回のように誘拐・監禁のような手段を用いたとしても彼女は協力を承諾してはいただけないでしょうし、"Innocent Vision"も助けにやって来てしまいます。』
「はい。どのような手段であろうと太宮院様が本当の意味で納得されない限り"Innocent Vision"の妨害は避けられないと考えられます。」
琴が叶を特に親しい友人としており"Innocent Vision"と懇意にしていることは疑う余地はないため葵衣が同意した。
たとえ本当に何らかの心変わりがあって琴がヴァルキリーに協力をすると言ったとしても"Innocent Vision"は動くだろう。
それはヴァルキリーの活動にとって妨害でしかない。
『ですから順序を変えます。まず"Innocent Vision"の問題を解決した後に太宮院さんを説得します。』
前提条件を考えればひどく単純で合理的な意見だった。
琴が何をしようと"Innocent Vision"が介入してくるなら先に"Innocent Vision"をどうにかしてしまえばいい。
そこで良子が手を挙げる。
「その問題の解決は説得と力ずく、どっちなんです?」
『それは…』
撫子は即答を避けた。
あるいは撫子自身その答えをもっていないとも言えた。
「撫子様は説得を諦めてないってことですか?」
緑里が違ったら申し訳ないとばかりに恐る恐る尋ねると撫子は困ったような笑みを浮かべた。
『確かに"Innocent Vision"を引き込むことを諦めたわけではありません。特に作倉叶さんのセイントとしての力。彼女を引き込むことが出来ればヴァルキリーは神の力すら従える存在となります。』
「だけど説得でも脅迫でも今までだって成功してないんですから上手く行くわけないですよ。」
みんな美保が脅迫じゃない説得をしたことなんかあったかなと疑問を抱いたが藪をつつくほど無粋ではない。
そして美保の意見は撫子も考えていたことだ。
『"Innocent Vision"の力は強力です。そしてそれは確実に増してきていると考えられます。ジュエルの力で手につけられない"化け物"に戻ってしまう前に説得するためには武力による鎮圧も辞さない心積もりです。』
ヴァルハラに集うヴァルキリーの全員が撫子の示した決意を受けて気を引き締める。
それはサマーパーティーの再来、"Innocent Vision"対ジュエルの総力戦が再び開かれる可能性を示唆していた。
『わたくしは仕事がありますのでこれで失礼させてもらいます。』
「お嬢様、ありがとうございました。」
画面がブラックアウトし葵衣がカーテンを閉めて席に着くと良子が難しい顔をしながら口を開いた。
「"Innocent Vision"と戦うのは別に問題ないと思う。でも飯場海は危なすぎる。多分本気になれば1人でジュエルを全滅させられるよ。」
サマーパーティー、そして昨日の戦いで海の恐ろしさを知る良子からの提案はテンションが上がってきた美保や緑里に水を差した。
「よく良子先輩は生きてますね?」
「あっちは遊んでるからね。だから本気になられたら危ないんだよ。」
良子とて一流の魔剣使いだ。
その良子が手放しに危険だという存在、ファブレの使った王者の剣アダマスの担い手。
「しかし現実問題として飯場様を止める手だてはありますか?現在も調査は続けていますがいまだに住所すら不明です。」
「あれ?偽名とはいえインヴィの妹なんだから同じ家じゃないの?」
確かに海は謎の存在だが素性という意味に限れば明夜や蘭よりもよほどはっきりしている。
調べればすぐに分かりそうなものだが葵衣は否定した。
「ご実家に戻られた様子はありません。そもそも飯場様は本来お亡くなりになっているのですから帰っては余計な混乱を招くだけです。帰宅の際に尾行させているのですが気付かれているようでいつも見失うと報告を受けています。」
叶の魔を払う光に力を取り戻しつつあるソルシエールとセイバー、さらに海の魔剣、それがヴァルキリーの倒すべき相手。
超えるべき壁は途方もなく高く見える。
悠莉は困ったようにため息を漏らした。
「前途多難ですね。」
「まったくだね。まあ、文化祭も近いし戦いの時期は慎重に考えた方がいいね。」
良子がそうまとめたところでチャイムがなり朝の集会はお開きとなった。
「かっなえちゃーん!」
「きゃあああ!」
叶が教室に入るなりいきなり海が抱きついてきた。
人前で抱きつかれるのも問題だが今日に限って言えば筋肉痛のダメージの問題の方が大きかった。
海が抱きついてスリスリ顔を擦り付ける度に叶はピクピク体を痙攣させ苦悶の喘ぎを漏らす。
「あぁん、叶ちゃん、そんなに気持ち良さそうにして。」
「ちが、んっ…は…」
痛みだろうと何だろうと当事者以外からしたらユリユリでエロエロに見えなくもない。
雑談していた男子たちはすっかり黙り込んで観察していた。
「海ちゃ…んっ、止め…」
「はぁ、はぁ、叶ちゃんの声、いいわぁ。歯止め利かなくなりそう。」
いつもと違う叶の反応に海も段々息を荒らげてきた。
ただ抱き締めていた腕が撫でるように動き回り、叶がピクリと反応を示す度に海のボルテージが上がっていく。
「あー、もう我慢できない!叶ちゃん、保健室に行…」
ゲシッ
「キャア!」
ハァハァと危ない呼吸を漏らしながら叶を連れ去ろうとした海は脳天直撃の幹竹割りチョップを不意討ちで食らってベチッと床に倒れた。
「やりすぎだよ。」
手刀を振り下ろした真奈美は小さく嘆息するとふらついた叶を支えた。
「真奈美、ちゃん。」
息を荒くしてクテッと体の力を抜いた叶の力のない呟きは
(うわぁ、これは確かに可愛いかも。)
と至極ノーマルな真奈美すら揺さぶるほどだった。
「大丈夫だった、叶?」
「うん…ありがとう。」
安心したように微笑んだ叶は真奈美の胸に抱きつくように身を寄せ、真奈美も抱いた片腕で叶の頭を撫でた。
「きゃー、芦屋さん、かっこいい!」
「王子様とお姫様みたい!」
黄色い歓声にぎょっとして振り返ると悶々としていた男子とは対称的に興奮した様子の女子たちが詰め寄ってきていた。
「今年の文化祭は芦屋さんと作倉さんを主役にした演劇にしよう!」
話し合いの前から物凄い勢いで決定しつつある出し物に危機感を覚えた真奈美が慌てて口を挟む。
「さすがに女同士の演劇だと脚本とか今からじゃ間に合わないんじゃないかな?」
「あの、大丈夫です。わたし、そういう話の脚本、あります。」
文学部の森本美里が控え目ながらしっかりと答えた。
いったいいつ使う脚本なのか気になったがそれを問い質す前に裕子が教卓の前に立った。
「今年のうちのクラスの出し物は演劇で文句ないかー!?」
「「おー!」」
こうして半ば勢いで2年4組の出し物は演劇に決定したのであった。