第103話 聖なる光
叶は右手に握ったオリビンを逆手に握ってわずかに腰を落とした。
悠莉は太股にくくりつけてあるショートベリルに手を触れて2つの青い宝石を待機させると片手を刀身に添えてサフェイロス・アルミナを構えた。
「デュアルグラマリー・コランダム・コア。」
コランダムの宝石が悠莉の指示を受けて叶に向かって飛び出した。
弾丸のように飛来するコアを叶は体捌きだけでかわした。
身体強化はされていないはずなので避けたのは叶の動体視力の賜物と言える。
「すぅ…。」
叶は呼吸を整えて構えを取り直す。
叶は後の先、あるいは完全に防御することで相手を疲弊させる戦法を得意とするため接近してこない相手は苦手であった。
「よく避けました…と言いたいところですがまだですよ?」
「!?」
叶が半身で振り返って後ろに目を向けるとコアは悠莉を含めて三角形の頂点を形成するように滞空していた。
「これで封じさせてもらいます。コラン…」
3枚の巨大な障壁で動きを封じるコランダムを発動しようとした悠莉だったが
「えーい!」
それよりも早く叶が迷いなくオリビンをコアの1つに投げつけた。
スピネルより強力な魔剣優位性を持つシンボル・オリビンはコアに触れた瞬間にその存在を打ち砕いた。
起点の1つを失ったことで障壁は生成せず、叶はすぐにオリビンを拾い上げて距離を取る。
流れるような一連の脱出劇を悠莉は当事者だというのに観客のように見つめてしまっていた。
「お見事です。まさかここまで簡単にコランダムを破られるとは思いませんでした。」
思わず拍手してしまうほどだが、悠莉が太股に手を持っていくとまた別のコアが空中に出現した。
「オリビンが教えてくれました。」
それが謙遜か本当かはシンボルを持たない者たちには分からず、ただ面倒な能力があると認識するしかない。
「仕切り直しですか。しかし、このまま続けても同じ攻防の繰り返しで体力勝負になりそうですね。」
叶はまず自分からは攻撃しない。
そして悠莉もコアを使っての拘束が攻撃の主体となる。
攻撃をしてくる相手ならコランダムの破砕によるダメージも与えられるが叶では望めない。
「そうですね。止めてくれますか?」
「そういうわけにもいきませんよ。ですから…」
悠莉がサフェイロス・アルミナを掲げると刀身に刻まれた紋様が青い光を放ちコアの前に盾のような障壁を作り出した。
「コア、体当たりです。」
「ええっ!?」
まさかのコランダムによる肉弾戦。
叶は動きとオリビンでの受け流しで攻撃をかわすがすぐに旋回して戻ってくる。
「えい!」
タイミングを見極めてコアをオリビンで攻撃するとヒビが入るが
「ブレイク。」
消滅間際にコランダム・コアと障壁が爆砕した。
「きゃあ!」
至近距離での破裂で叶を小片がつぶてのように襲い掛かる。
一つ一つは大した威力ではないがダメージには違いなかった。
避けても延々と追い掛けてきて、攻撃すると至近距離で爆発する。
回避でも攻撃でも叶の体力は削られていく。
「この攻撃は他の皆さんですと威力が小さすぎて有効ではないのですが、作倉叶さんには有効のようですね。」
ソーサリスやジュエルなら身体能力が強化されているため防御力も向上しているが、セイントである叶は生身なので石を投げつけられたような攻撃でも痛い。
「うう。い、癒しの光。」
叶はコアの突撃を避けた瞬間に癒しの光を放った。
傷と体力が回復していく。
一瞬光を浴びたコアが止まったように見えたがすぐにまた旋回してきた。
回復した叶はそれをかわしていく。
「…そうでした。オリビンの本質は回復能力でしたね。」
威力が低いということは回復が容易だということ。
悠莉は本当に体力勝負になると覚悟した。
だが叶はコアを避けながら別の事を考えていた。
(さっき癒しの光であのコアが止まった。もしかしたら止められるかもしれない。)
叶は接近してくるコアを見据え
「癒しの光。」
再び癒しの光を発動した。
回復を実感しながらコアを見ると確かに空中で動きを止めていた。
「やった。」
だが光が弱まっていくと震えるように動き出しまた飛んできた。
(やっぱりダメ。)
ヒュンヒュンと飛んでくるコアを避けながら叶は考える。
(前にオーも癒しの光で止まったけどやっぱり一瞬だけだった。きっと癒しのオマケなんだ。)
真奈美のスピネルを見れば分かるように光には魔を払う力があるが、癒しの光の場合、力の大半は癒しに回されている。
「うっ!」
考え事をしながら避け続けられるほど叶は器用ではないのでコアが顔の横スレスレを横切った。
「さすがに動きの精度は落ちてきたようですね。ふふふ、頑張ってくださいね。」
悠莉は少しずつ弱っていく獲物を観察するつもりらしかった。
叶にはそれが好都合だった。
頭の中、胸の内であやふやな形をしている力をもう少しで導けそうな予感がしていた。
(癒したいんじゃない。私は…)
叶は考える。
壊したいとは少し違う。
海みたいにすべてを消したいわけじゃない。
叶がしたいこと、それは
(守りたい。自分を、琴お姉ちゃんを、みんなを!)
キィン
オリビンが眩い輝きを放つ。
「何ですか、この光は?」
それは優しい癒しの光とは違う力強い輝き。
叶は前方から迫る2つのコアにオリビンを向けて頭に浮かんだその名を叫んだ。
「聖なる光!」
オリビンから発した光は周囲一帯を目を開けていられないほどの輝きで埋め尽くした。
「攻撃…では無いようですね。」
ようやく弱まってきた光に悠莉が目を開いていくと地面に効力が切れたコランダム・コアが転がっていた。
そのままコアは端から光となって消えていく。
「グラマリーの無効化能力。」
おそらくこの光が完全に消えるまでは一切のグラマリーを使用できないだろうと判断して別荘に向かう。
戦場に叶がいない理由など1つしかない。
バンとドアを開けると予想通り琴を捕らえていたロープは切られて部屋はもぬけの殻だった。
「意外と度胸がお有りですね。あの状況で迷わず逃げるなんて。」
悠莉は瞳を閉じて意識を集中する。
聖なる光はもう完全に消失しているようだった。
コランダムコアを生み出し、開いたドアから外へと放つ。
「まだ逃がしませんよ。コア最大有効範囲へ移動。グラマリー、コランダム・レギオン。」
コランダム・ウォールをさらに巨大な領域で発生させるデュアルジュエルを用いた悠莉の最大のグラマリー。
一辺1キロにも及ぶ魔の大三角形は入ったものを逃がさない。
どこに誰がいてなにがあるかも手に取るように分かる。
だから
「いました。…これは!」
見つけた叶の反応がさっきよりも強い力を秘めていることに気が付いて驚愕の声を上げた。
(さきほどの一撃は試し撃ち。真の威力はさらに上だと言うのですか?)
叶のいる地点から凄まじい速度でコランダムが解除されていき
ビキィ
聖なる光は蘭の生み出したイマジンショータイムすらも打ち砕いた。
その瞬間、別荘を中心とした森一帯が一斉に光に包まれた。
そこに存在した炎を、風を、聖なるものではない光を、すべての魔の力を打ち消す。
それは魔の力から全てを守るように。
「この光は…叶?」
唯一聖剣に類する真奈美のスピネルだけは力を失わなかったがそれ以外の全てのグラマリーが消滅し、空にかかっていたオーロラ、地を徘徊していた木々が元の姿に戻っていく。
「入り口にいたはずの叶の力が森の中から?行ってみよう!」
真奈美は顔を覆って身を固めている撫子と美保の間を抜けるように光の発生地点へと向かった。
「待ちなさいよ!」
美保がその背中にレイズハートを叩き込もうとしたが
「何で出ないのよ!?」
翠の光は出なかった。
美保が叫んでいる間に真奈美は森の奥に消えていた。
「ジオードが落ちた。あの光は叶ね。」
「カナのやつ、とんでもない力を使えるようになったな。」
グラマリーが一気に消え去ったため戦いは膠着状態で由良たちは海原姉妹と睨み合っていた。
力が戻ったらすぐにでも戦いを再開しそうな闘志を見せている。
「…叶が太宮院の巫女さんを助けたのならここに長居する必要はないわよね?」
八重花が真実にたどり着いた。
八重花たちは誰かが琴を助け出せば目的は達せられる。
それが叶というのは予想外だったが終わったのなら戦う理由はない。
「太宮院様もお2人も逃がすわけには参りません。」
だがヴァルキリーには戦う理由がある。
琴の再確保やソーサリス達の迎合をするためには勝たなければならない。
葵衣はセレスタイト・サルファでの攻撃を諦めて拳での戦いを挑んだ。
武術百般の葵衣なら2人を抑え込むのも造作のない行為。
特にグラマリーのない今の八重花たちはただの少女である。
だがこれは武術ではなく戦い。
八重花は向かってくる葵衣にポケットから取り出したものを投げつけた。
咄嗟に葵衣は払い落とそうと手刀を振るった。
だが葵衣の手で叩かれた瞬間、それは赤い粉塵を撒き散らした。
「ゲホ、ゲホッ!唐辛子、爆弾ですか!」
唐辛子の主成分カプサイシンは目や呼吸器に入ると痛みを伴う刺激を与える。
八重花はカプサイシンの粉末が入った煙玉を投げたのだ。
「目が痛い!喉が痛い!」
「こら、ヤエ、てめぇ!」
約1名味方も被害を受けたようだったがその隙に八重花は由良の手を引いて戦線を離脱していった。
光が弱まっていく中で叶と琴は森の中を走っていた。
聖なる光の副次効果で明るくなっているので走るのは楽だった。
「琴お姉ちゃん、大丈夫ですか?」
「ええ、叶さんが助けに来てくれただけで元気になりました。」
実は別荘の前で癒しの光を使ったときに中にいた琴も回復していたのだが叶に会えたから回復したという演出のため秘密にした。
「それと、決して!まったく!全然!下沢悠莉さんとは関係も持っていませんよ。理解していただけましたか?」
「は、はい。…。」
口でははいと言っているが頭の中にはあの時見た禁断の関係の図が背後に薔薇とか百合とかを配置して美化度120%で浮かび上がっていた。
もちろん詳しくはないがあの光景を見る限り間違いなく悠莉が攻めで琴が受けだ。
叶の内心がまったく信じていないことに気付いた琴は涙を流しながら手を握る。
「本当に、ホントーに違いますからね、ね?」
「わかりました。琴お姉ちゃんを信じます。」
本気で泣きついてきたので頭を撫でながら理解したことにしたが
(やっぱりあれは…)
信じきれていなかった。
「叶!やっぱり叶が助けたんだ。」
「あ、真奈美ちゃん!」
真奈美が駆け寄ると叶はパッと表情を明るくした。
琴は密かにやっぱりさっきの事でちょっと距離を置かれたんじゃ?と思ったが尋ねて肯定されると立ち直れなくなりそうだったのでやめた。
「皆揃ってる?」
「あー、まだ目が痛ぇ。」
そこに八重花と目を細めて怖さ2割増しの由良もやって来る。
由良を見た叶がビビって小さく悲鳴を上げた。
別に示し合わせたわけでもないのに上手く合流できる辺りに"Innocent Vision"の結束とか運の良さとかが感じられる。
やはりセイントがいるだけに神様に愛されているのかもしれない。
「あ、海ちゃんとまだ会ってないよ?」
「あれは大丈夫よ。1人で敵地に放り込んでも敵を全滅させて帰ってくるわ。」
「まるで生きた戦略兵器だね。」
真奈美の相づちに叶は納得が行かなそうな顔をしていたが
「まずは太宮院の巫女さんを安全な場所まで連れていくのが最優先よ。それでも帰ってこないようなら迎えに戻ればいいわ。」
「うん。」
八重花の説得に頷いた。
「真奈美は先頭でその後を叶と巫女さん、殿は由良、お願いね。」
「唐辛子かました上に仕事を押し付けやがって。覚えてろよ。」
"Innocent Vision"はヴァルキリーの襲撃を警戒しながら森を進んだが光が消えるまでに襲撃はなく、
「やっほー、上手くいったみたいだね。」
海は森の出口で合流できた。
「私たちが大変な目にあっている間に逃げてるなんていい御身分ね?」
「いや、ちょっと乙女的にお花を摘みに…」
「まあ、何でもいいわ。さっさとずらかるわよ。」
「イエッサー。」
琴を救出した"Innocent Vision"の面々は早足で逃げていった。
別荘の広間に集まったヴァルキリーは体力と気持ち両方の疲れでぐったりしていた。
葵衣と緑里は唐辛子を流すために仲良く一緒のシャワータイムである。
「"Innocent Vision"にしてやられました。太宮院さんを逃したのは痛いですね。」
これでますますヴァルキリーの弱味を握られたことになる。
そのうち本気で社会的に報復されそうな気すらしていた。
悠莉はシャワー前に葵衣が淹れた紅茶を1人だけ暢気に飲んでいる。
「悠莉、あんただって逃がした責任はあるんだから反省しなさいよ。」
美保に反省しろと言われて目を見開いた悠莉はコホンと咳払いした。
「問題ありませんよ。少なくとも花鳳様に対する脅迫の音声は消去しましたしヴァルキリーへの脅迫も行わないと約束を取り付けました。」
寝耳に水の情報に沈黙が訪れ
ガタン
「よ、よかったぁ。」
ちょうどシャワーから戻ってきた緑里が安堵で膝崩れになった。
ヴァルキリーの面々も不安要素が減ってほっとした表情になっていた。
「これで余計な心配をせずに事を進められそうですね。今回の作戦も無駄にはならなかったということでしょう。」
撫子のまとめの言葉に全員は大きく頷いて椅子にもたれかかった。
悠莉も同調しながら窓の外に目を向ける。
(太宮院琴さんに叶さん大好きと白状させることができました。弱味を握ったことになるんでしょうか?)
目的と手段が逆な気がしていた悠莉だったがしっかりおいしいネタを確保していた。
(それにしても、あの現象はイマジンショータイム。なぜ蘭様が介入してきたんでしょう?)
そして悠莉にとっては1つの謎が残されたままだった。