第100話 追う者追われる者
「そろそろ太宮院さんも疲弊してきたでしょうか?」
撫子たちヴァルキリーは琴を誘拐してほぼ1日、郊外の別荘で過ごしていた。
本当なら連れてきた直後から徹底的に痛め付けてヴァルキリーへの協力を誓わせるつもりだったのだが
「やはり精神的苦痛を与えて心を折ってからの方が良いですよ。」
と精神攻撃のプロの悠莉が進言したためそちらは完全に悠莉に任せていた。
「悠莉の拷問なんて見たくないわ。」
何度もコランダムに放り込まれた経験のある美保は頭を抱えて蹲った。
「さすがにあの道具一式を使うとか言い出した時には止めたけど、巫女さん大丈夫かな?」
良子はげんなりした様子で部屋の角に置かれた段ボール箱を見た。
モザイク処理してほしい大人の玩具と称されるアイテム群に皆それなりに興味はあるが手に取る勇気はない。
「悠莉様が最終的に要望されましたのは微振動マッサージ器具ですので問題ないと…思わないことも、ないです。」
「普段はっきり言う葵衣が言葉を濁した!」
緑里が突っ込むほど葵衣は大っぴらに目をそらしている。
特に振動で共通するせいで否定しきれないのだ。
悠莉の嗜好は誰にも理解されない。
「もうすぐ1日経ちます。さすがに太宮院さんとて心根が折れた頃合いでしょう。ヴァルキリーへの協力の交渉を始めることに…」
ピリリリリリ
撫子が立ち上がろうとした矢先に葵衣の携帯が鳴り出した。
「どうしましたか?…そうですか。直ちに迎撃に向かいます。監視を継続してください。…無闇に手を出せば怪我ではすみません。監視です。」
葵衣の平淡な声に宿る真剣さにヴァルキリーの面々も緊張感を持って静まり返る。
ピッと終話を押した葵衣は全員を見回して口を開いた。
「この別荘に近づく人影あり。青が2つに朱が3つ。」
「"Innocent Vision"!なぜこの別荘が…こんなにも早く?」
「それは不明です。すでに私有地にまで侵入を許しており"Innocent Vision"がここを目指し、太宮院様を奪還しようとしているのは明白です。」
秘密裏に行動して迅速にこの別荘に退避したため目撃情報などほとんど皆無であったはずなのになぜ見つかったのかヴァルキリーには分からない。
「まさか太宮院の未来視で?」
真っ先に考えるのはそこだった。
未来視ならば連れ去られる場所を知ることなど造作もない。
だが問題がある。
「撫子様。それならば自分が拐われるのを避けるのではないでしょうか?」
「それに捕まえに行ったときにすごい驚いてたからね。もし拐われて監禁場所まで分かってるなら驚かないんじゃないかな?」
緑里や良子の言うように本当に未来視なら誘拐という行為自体を防げたはずなのだ。
それが抵抗もなく即座に捕まった。
(まさか…"太宮様"は太宮院さんではない?そんなはずは…)
八重花の『エクセス』の情報検索能力を知らない撫子はこの誘拐の目的の根底すら疑い始めていたが頭を振ってその可能性を無理矢理否定する。
(太宮院さんが"太宮様"の力、未来視を有していることは間違いありません。)
「理由は何であろうと"Innocent Vision"がこの別荘に向かっている事実は変わりません。必ず勝利し、未来視とその他の魔剣全てをヴァルキリーに迎合します。」
「"Innocent Vision"を迎合ですか。随分と大変そうな野望ですね。」
良子が苦笑しながらラトナラジュ・アルミナを手にする。
「魔剣と聖剣の迎合を果たしたとき、ヴァルキリーは世界の頂点に立つのです。」
撫子もアヴェンチュリン・クォーザイトを顕現させて夢を語る。
緑里、美保、葵衣もジュエルを手に"Innocent Vision"が迫る暗い森を睨み付けた。
「花鳳先輩。迎合するにしてもここで撃退されるような弱い魔剣使いはいらないですよね?」
美保は獰猛な笑みを浮かべて問う。
「そうですね。力無き者はわたくしたちの作り上げる世界に必要ありません。」
撫子は美保の思惑を知りながら敢えて枷を外した。
美保がニヤリと笑って夜闇の森に飛び出していく。
「わたくしたちも出ましょう。悠莉さん、太宮院さんの警護をお願いします。」
「分かりました。」
部屋の奥から返事が聞こえたので撫子たちも後を追うように迎撃に赴くのだった。
"Innocent Vision"は別荘に続く整備された道ではなくその周囲を覆う森の中を進んでいた。
そのため森への侵入を許すことになったわけだが、むしろこの暗い森の中"Innocent Vision"を見つけた黒服たちを褒めるべきだ。
それほどまでに夜の森は人の姿を闇へと溶かしてしまう。
闇の中で微かに輝く朱色と青の光が不気味だった。
「…。」
忍者の如く誰一人として言葉を発することなく森を駆ける。
「レイズハート!」
「サンスフィア!」
その闇がカッと眩い光に照らされてその中にあるものをひけらかした。
「ッ!」
突然の閃光だったが"Innocent Vision"は察知していたかのように木の陰に飛び込んで身を隠した。
一瞬世界を照らし出した輝きもすぐにまた闇に飲み込まれた。
「アポイントメントは無かったと思いましたが何かご用ですか、"Innocent Vision"の皆さん?」
撫子は闇の中をゆっくりと歩く。
手にしたアヴェンチュリン・クォーザイトからは淡い光が漏れていて撫子の周囲を照らしていた。
だがそれは敵に相手の所在を教えているようなものだった。
コン、ガサッ
物音がした直後わずかに草が揺れた。
撫子は足を止めてスタンスを広く取り、周囲を警戒する。
コン、ガサガサッ
今度は別の生い茂る草が揺れた。
「隠れていないで出てきてはいかがですか?」
呼び掛けるが返事はない。
その草むらに向けてアヴェンチュリン・クォーザイトが突き付けられた。
「出てこなければ撃ちますよ?3、2、1…」
カウントダウンしても草むらからは誰も出てくる気配がない。
撫子は明かりを生み出すため草むらに向けてサンスフィアを撃ち放とうとした。
ダンッ
まさに発射するタイミングで下ではなく木の上の枝が激しく振動してガサガサッと揺れ、そこから人影が飛び出してきた。
撫子は慌てて顔を上げるが発射体勢に入っていて応対が間に合わない。
一瞬で人影は撫子に迫り
「ようやく姿を現しましたね?」
撫子は笑っていた。
「獲物発見!行け、レイズハート!」
そこに翠色の光が一斉に押し寄せてきた。
空中にあった人影、レイズハートの光に照らされたのは真奈美だった。
真奈美は撫子に向けていた左足の刃を引くとそのまま光の渦に突っ込んだ。
「まさか、そのまま突き抜けるのですか!?」
撫子が驚きの声を上げて後ろに下がる。
予想では飛び込んできた相手がそのまま防御するか不意打ちで直撃して足を止め、そこに美保と撫子の攻撃を叩き込む流れになっていた。
だが真奈美の速度は減るどころか増していた。
「レイズハートの力をなめるんじゃないわよ!」
翠色の光の波に真奈美が突っ込む。
いかに5つしか生み出せないジュエルのレイズハートであっても一度にぶつければソルシエールの一撃すら凌ぐ威力を誇る。
それを正面から加速をつけてぶつかるなどトラックに正面からぶつかっていくくらいの愚行。
「一人目、撃…」
シャキキン
勝利の声をあげようと口を開いた美保の目の前で翠色の光が縦一文字に切り裂かれた。
「はぁ!?」
確認するまでもない。
真奈美のスピネルがあの状況でレイズハートを切り裂いたのだ。
魔剣の上位に存在する聖剣だからこそ出来た芸当と言えた。
「セイバー、やはり強い!」
アヴェンチュリン・クォーザイトが赤い光を纏う。
「デュアルグラマリー、ルビヌス!」
撫子自身をも包み込んだ燃えるようなルビヌスの赤。
撫子はアヴェンチュリン・クォーザイトをグッと握ると正面から真奈美に向かって振るった。
真奈美も空中で切り上げていた足をさらに引き上げて力を溜めていた。
「ガンマスピナ!」
赤に染まった錫杖と光を纏った刃がガギンと凄まじい音を立ててぶつかり合った。
「くぅ、スピネルでも通らない!」
「ルビヌスの力を見くびらないことです。」
セイバーとジュエルを触れさせたまま撫子は周囲にサンスフィアを生み出す。
「これなら避けられないでしょう!」
至近距離でサンスフィアを一斉に真奈美に向けて放つ。
「危ないな!」
真奈美は右足を大きく下に蹴り出すとアヴェンチュリンを踏み台にして大きく飛び退いた。
「なっ!?」
驚きの声をあげたのは撫子である。
あの至近距離での必中のはずの一撃を真奈美はかわした。
さらに飛び退いたまま木々の枝の中に紛れ
「この!」
美保がレイズハートを追撃で放ったが真奈美には当たらず再び光が消えた。
「はあ、はあ。花鳳先輩。」
美保が撫子の背中を守るようにスマラグド・ベリロスを構えた。
本来は撫子を囮とした波状攻撃で早々に1人倒すつもりでいた。
「まさか芦屋真奈美さん1人に2人が足止めされるとは。他の"Innocent Vision"の方の潜伏も考えられますね。」
「あー、さっさと出てきて勝負しなさいよ!」
よー、よー、よ…
美保の叫びは夜の森の静寂に微かに木霊するだけで誰も出てきはしない。
撫子と美保はいつまた襲撃があるか分からない緊張の中で身を固くするのであった。
撫子たちの戦いが静の状態に入ったとすれば緑里と葵衣の方は激動に突入したと言えた。
「全てを焼き尽くしなさい、ジオード!」
八重花は森の中だというのに全力で魔剣の生み出す火炎を振り回し
「見えないなら一帯全部ぶっ飛ばすぞ、玻璃!」
由良は木々をへし折らんばかりの衝撃波を適当にばら蒔いていた。
「わー、式、鎮火!鎮火!」
「音震波を打ち消します、エアスラスト。」
それに対する海原姉妹は正直戦闘どころではなかった。
放置すれば山火事になり別荘が焼けるか通報されて人が集まってくる。
どちらにしても極秘裏に動いていた撫子たちにとっては大問題だった。
もちろん八重花と由良はそれを理解した上で容赦なく周囲に被害を与える攻撃を仕掛けているのだから質が悪い。
「ボクたちが相手なんだから周りを燃やすな!」
せっせと式を操って火を消しながら緑里が八重花に文句を言った。
2人とも覚悟とか食らえとか言いつつ実際は周囲にばかり攻撃していたのだからバレバレだ。
「姉さん、それは…」
葵衣が何か言うより先に八重花がニヤリと口の端をつり上げた。
隣にいる由良とも目配せしあって怪しい雰囲気を見せ始めた。
「ヴァルキリーを相手に勝負を挑まれたなら仕方がないわね。全力で相手になるわ。」
ゴオォ
天に掲げたジオードの刀身から赤い炎が立ち上った。
「自分と戦えと言った心意気は買ってやる。だから手加減なしだ!」
由良も狂暴な笑みを浮かべて玻璃を横に薙いだ。
ギギギギと悲鳴のような振動音が木々に反響して響き渡る。
振動は空気の波を呼び、それは風となって八重花の炎を猛り上がらせた。
「えっと…どうしよう。」
挑発したはいいが、いざ対面してみると真っ向勝負を挑むこと自体が無謀だと思い知らされた。
デュアルジュエルで式と光刃を生み出してもそのどちらも飲み込まれてしまいそうだ。
「良子、助けて!」
恥も外聞も捨てて緑里は近くで戦っている良子に助けを求めた。
「助けてほしいのはこっちだよ!」
良子は走っていた。
ルビヌスの強化とエアブーツの複合によって生じる速度は魔剣使いの中でも最速と言っても過言ではない。
その良子が走れば逃げ切れぬものなどない。
…はずだった。
「残念、トラップ発動。ディアマンテ。」
良子が地面を踏んだ瞬間、足元に光の円が浮かび上がり良子が片足で着地した体勢のまま静止した。
一時的に時間を消滅させるグラマリー・ディアマンテを設置型の罠として海が扱っているのだ。
ディアマンテは5秒で効果を失うように設定してある。
海はゆっくりと歩いて近づいていく。
だが効果が切れた瞬間、良子はまた風のように走り去っていく。
この繰り返しだった。
とてもじゃないが美保の救援に行けるような状況ではなくむしろ誰かに海を止めてほしかった。
「来るなー!」
「そう言われると追いかけたくなるよね。さあ、次だよ。」
海は笑みを浮かべながらアダマスを天に向け
「む。」
突然明後日の方向を睨んだ。
笑みの張り付いていた海の顔が歪む。
「この力は…」
「みんなだらしないな。せっかくランが琴ちゃんを連れてくるのを手伝ってあげたのに。それじゃあもう少しサービスしてあげようかな?」
蘭は別荘の屋根の上で不満げに腰かけていた。
その顔が面白そうに笑うと左手に顕現させたオブシディアンを掲げ
「イッツショーターイム!」
イマジンショータイムを発動させた。