第1話 新たなる始まり
Innocent Visionの続編です。
暗い闇の中を漂っている。
上も下も左も右も前も後ろも時間の感覚さえ分からず、そもそも自分がここにいるのかすらわからない絶対の闇。
ここは終わった世界。
嘆くべき過去はなく
求めるべき未来はない。
ただ一つの記憶は黒い悪魔の跋扈する赤い世界。
怖い
恐い
こわい
コワイ
何もない世界で恐怖の感覚だけが意識を追い詰める。
体を自覚できないのに闇がまとわりついてくる。
叫ぼうにも声が出ているのかもわからない。
そして意識さえも闇に呑まれて消え行く直前、光を見た気がした。
春は出会いと別れの季節。
3月末に別れを過ごした学生たちは4月の出会いの時期を迎えていた。
「3組か。」
「あ、俺もだ。」
「ざんねーん。」
そんな些細な一喜一憂の声がクラス分けの貼られた掲示板の前で行われていた。
そこに登校してきた叶たちの姿があった。
「クラス分けか。みんな一緒だといいけど。」
裕子を先頭に掲示板の前に移動して自分の名前を探していく。
叶も人を避けながら前に出ると
「ん、作倉か。」
「羽佐間先輩。」
同じく掲示板を見ていた由良と出くわした。
叶の顔が微妙な感じになる。
由良は出席日数や成績の関係で留年したからだ。
その張本人は叶のその表情の意味に気づいて笑む。
「気にするな。自業自得だからな。それに今日からは先輩じゃない。」
「は、はい。羽佐間、さん?」
由良は特に何も言わず自分の名前を探しに行ってしまった。
それを見送っていた叶は
「あ、叶、4組で一緒だよ。」
「にゃはは、まなちんもね。」
「なかなか高確率だね。」
喜ぶ裕子たちに呼ばれた。
戸惑っていた表情も笑顔に変わる。
「よかった。あ、でも八重花ちゃんは…」
「あったわよ。明夜と同じ1組に。あと羽佐間由良もね。」
突然背後からの声に驚いて飛び上がりそうになった叶が振り返ると大して興味も無さそうに八重花が立っていた。
「八重花ちゃん。」
叶が悲しそうな顔をすると八重花はフッと笑った。
「そんな顔をする必要はないわ。クラス3つくらい会おうと思えばいつでも会えるじゃない。」
「…うん。」
八重花は叶の肩を叩くとみんなとは離れていってしまった。
隣に並んだ真奈美も心配そうにその姿を見送る。
「八重花は元気ないね。」
「うん。」
2人はもう一度掲示板の名前を見る。
その中に半場陸の名前はなかった。
「叶、やっぱりまだ半場くんはよくならないの?」
クラスに向かいながら裕子が尋ねる。
陸は今、壱葉総合病院にいた。
一応家族が看病しているらしいがそれ以外では一番叶が通っていた。
ここ最近毎日のように顔を出していたため病院の看護師の間ではすっかり彼女扱いされている。
「外傷はないから眠っている状態なんだって。でもいつ覚めるのかわからないって。」
ファブレを倒したあの日以来、陸はいつ覚めるともしれない眠りの中にいた。
何日も何ヵ月も、夢の中にいる。
「りくりくの病気、悪化しちゃったのかな?」
久美の意見は正しかった。
陸はInnocent Visionの力を限界まで引き出した代償として夢と現実の狭間に取り込まれてしまったからだ。
普通の眠りとは違い、いつ目覚めるかもわからない長い夢。
「早く良くなるといいね。」
だけど叶と真奈美は真実を語れない。
世界を救った英雄を化け物扱いさせたり、その万能とも言える力を心無い人間に利用させるわけにはいかないから。
「そうだね。」
だから今は同意する以外、何もできなかった。
「やっと来たのか、お前たち。」
教室に入るといきなり不敵な笑みを浮かべて仁王立ちした男が出迎えた。
「あ、同じクラスだったんだ、雅人くん。」
一応恋人である裕子が真っ先に反応したが中身は結構素っ気ない。
「リアクション薄いな。俺は早く来ないか待ってたっていうのに。」
「友達、いないの?」
「うるせー!」
裕子と芳賀の漫才のような掛け合いに叶たちも顔を綻ばせた。
「しっかし東條以外は1年の時と同じだな。あとは陸がいれば言うことなかったんだが。」
「にゃは、目が覚めてもりくりくは1年生だよ。」
そして出席日数不足で陸は進級できていなかったりする。
微妙な空気を払うように芳賀が手を叩いた。
「とにかく、今年もよろしくな。」
「ほらー、席につけ。」
ちょうど担任が入ってきたため指定された座席に散っていく面々。
こうして2年4組が始まった。
「…。」
「…。」
「…。」
「…。」
2年1組は静寂に包まれていた。
隣のクラスからは多少なりと騒がしい声が聞こえてくるのに1組は音を立てるのが罪悪のような雰囲気だった。
クラスの生徒の大半は何かに怯えた様子で俯いていて担任すら泣きそうな顔をしている。
その元凶は由良の存在だが八重花と明夜もこの状況を作り出した原因の一端を担っていた。
「東條八重花よ。狙ってる男がいるから他の男子は極力構わないで。」
八重花が自己紹介でクラスメイトの度肝を抜き
「羽佐間由良だ。よろしく。」
由良が無意味にクラスを震撼させ
「…柚木明夜。」
明夜が短い単語によくわからない存在感を滲ませたことですっかりクラスのスリートップにされてしまったのだ。
「…。」
「…。」
「…。」
恐る恐る進行させる担任の話を3人はまるで聞いていない。
つまらなそうにしている3人が考えていたのは陸のことだった。
入学式と始業式が午前中で終わった放課後。
壱葉高校の一室、花鳳撫子が在学中に作り上げた乙女の乙女による乙女のための集い、乙女会の会室には5人の乙女たちが集まっていた。
テーブルの中央には現乙女会会長の等々力良子、その右隣には実質的な業務を行う裏ボス海原葵衣が座っていて、その向かいには海原緑里、神峰美保、下沢悠莉が座っていた。
葵衣の淹れた紅茶で一服すると皆の視線が良子に集まった。
「新学年になったわけですが、ヴァルキリーの方針はどんな感じなんですか、良子会長?」
美保が冗談めかして尋ねると案の定何も考えていなかった良子は固まった。
「あー、それは…ええと…」
その視線が隣の葵衣に向く。
「お嬢様から乙女会の活動方針が送られてきていますので報告させていただきます。まずはじめに…」
当然のように進行する会議。
これを見れば誰だろうと良子が張りぼて会長であるとわかるはずだ。
良子も含めた全員が撫子からの活動方針に耳を傾ける。
「乙女会はあくまで校内の女子の模範となるよう心掛けて下さい。…最後に、第二次ジュエル計画についてです。」
「!?」
葵衣が最後に上げた案件で皆の態度が硬化した。
第二次ジュエル計画。
それは全くの初耳だった。
「ジュエルも力を失ったんじゃなかったの?」
「いえ。ヴァルキリーとしての活動が休止していたため"ヴァルキリーのために"の条件が適合しなかっただけでジュエルの力は失われていないことを確認しています。」
いろいろな意味で驚きを隠せない面々は気持ちを整理しているのか無言だった。
ジュエル…人造ソルシエールは魔女ファブレからもたらされたものではなく撫子がソルシエールの力を解析して造り上げたものである。
一時期は壱葉を中心に100を越えるジュエルを従え、さらにはジュエルのコアとなるジュエリアの全国販売により100万の軍勢を成す直前まで行ったが、クリスマスパーティーでの"Innocent Vision"への敗退とジェムのジュエリア襲撃によって配備人員の大半と未来の人員を失い頓挫したかに見えた。
「花鳳様は強かな方ですね。裏で再量産化を進めていたと。」
悠莉の皮肉なのか褒め言葉なのか分かりづらい言葉を褒め言葉として受け取って葵衣は頷く。
「はい。前回の反省点を生かし、安定供給が望めるようになるまでジュエリアとしての公表を控えるようになります。」
撫子が花鳳グループのアクセサリー部門を本格的にプロデュースし始めたことでWVeの売れ行きは着実に増加している。
そこにジュエリアだと明かさずに商品の装飾の1つとして仕込み、売っていくことでジュエリアを展開していく計画になっていた。
「でもさ、あたしたちのソルシエールが無くなったから今までみたいにはいかないんじゃないかな?」
お飾りの良子会長がもっともらしい意見を出した。
確かにこれまではジュエルの上位に位置するソルシエールを持つヴァルキリーが隊長として指示を出していたが力の無くなった現状では不満を抱くものも出てくるだろう。
「それに関しましては検討中ですが暫くは皆様にもジュエルを使って指揮をしていただくことになります。」
葵衣は一度席を立つと部屋の角に置かれていた桐の箱を持って戻ってきた。
テーブルの真ん中で蓋を開ければ中には無色の正八面体の宝石が5個入っていた。
「先行生産分です。量産品よりも性能を上げてありますので扱いは難しいでしょうが皆様なら問題ありません。」
色のない宝石なのに良子たちには力を誘う妖しくも魅惑的な色に輝いて見えた。
4人が知らず口許に笑みを浮かべながらジュエルを手に取る。
「葵衣先輩。これはスマラグドと同じようなグラマリー使えます?」
「類似した系統をご用意しましたが…それは直接確かめていただいた方がよろしいでしょう。」
すでに言葉は必要ないと皆の表情から判断した葵衣が最後に残った宝石を手に取った。
全員が頷き合い
「「ジュエル。」」
ヴァルハラが久方ぶりに朱色の輝きに染まった。
叶と八重花は放課後の商店街を並んで歩いていた。
裕子発案で急遽「新学期記念パーティー」をやることになり2人は買い出しの当番になったのだ。
「お菓子とジュースは買ったね。あとは…」
「じゃんけんに負けたから仕方がないけど、割りと重労働よね。」
因みに負け組2人が買い出しで3位は場所の提供ということで会場は真奈美の家となっている。
明夜と由良も誘おうとしたが捕まらず、芳賀は裕子が連絡したのかどうか不明である。
「…あの2人の関係がよくわからないわ。裕子は釣った魚に餌をやらないタイプかしら?」
少なくとも学校で彼氏彼女らしい姿を見たことはない。
むしろ裕子と久美の仲の良さがちょっと異常で時々ヤバイんじゃないかと思うこともあった。
「…。」
あの赤い世界でデーモンと化した久美の願いを知る叶としては何も言えない。
みんな忘れているようだが心の奥底ではあの時の気持ちを知っているのかもしれない。
「大丈夫だよ。みんな仲良しだし。」
ジュエルやソルシエールが無くなって誰かと争う機会がなくなって数ヵ月、町も人も元通りと言えるほどにまで回復していた。
これからもこの平和が続けばいいと願う。
「…そうね。」
八重花は無理矢理納得したように頷いて話を切り上げた。
その後買い出しを終えて真奈美の家に到着すると何故かすでに裕子が出来上がったように騒いでいた。
八重花がそのままドアを閉めて帰ろうとするのを叶がどうにか押し留め、近所迷惑に発展するレベルまで裕子主体の狂乱の宴は日暮れまで続いたのだった。
そして帰り道、暴走した裕子はガス欠を起こしたみたいにグッタリとしたまま久美に寄生しながら帰っていった。
「年度始めからいきなり今年が不安になったわ。」
「あはは…」
叶も弁解する言葉は持っていないらしく苦笑いを浮かべるだけだった。
赤く染まる町、そして空の向こうからやって来る闇はあの日を連想させる光景だった。
「これが私たちの勝ち取った平和。…りくだけを置き去りにして。」
「…」
八重花も叶も、そればかりではなく"Innocent Vision"の面々、ヴァルキリーのソーサリスでさえあの時もっと力があればこんな結末を迎えることは無かったと悔やんでいた。
だが今はその力すらも失って行き場のない感情をもて余している。
「大丈夫、陸君は目を覚ますよ。」
「叶は変わらないわね。」
叶の信じる姿に苦笑して八重花は顔を前に向け、訝るように歪めて足を止めた。
「どうしたの?」
「人気が、無くなってるわ。」
「え?」
周囲を見回すと夕飯の買い物時だと言うのに買い物客がいなかった。
それどころか店主の姿もない。
「さっきまで人がいっぱいいたのに…何かイベントでもあったのかな?」
「何を暢気な事を言ってるの。…でもまあ、私たちにとってはイベントみたいね。良くない意味でのね。」
ピリピリと肌を刺すような感覚に八重花は覚えがあった。
だがそれは3ヶ月前のことだし何よりあり得ないと表面上は平静を保ちながら内心困惑していた。
「なんか怖い。早く帰ろう?」
「…その方がいいわね。」
八重花は原因の究明よりも安全を取った。
帰路に続く道を早足で歩く。
「あ…」
叶に続き、八重花の足も止まる。
「そんな、…ジェム?」
東に続く道の先、夜の闇が訪れる方角に闇色の影が立っていた。