大賢者の幸福(前半)
異世界に飛ばされるかもしれない、死刑囚が収監されている特殊刑務所。
そこから二人ほど、姿を消した。
マッドサイエンティストたちの妄想は、現実だったのかもしれないと見直されつつある。
空いた独房に、新たな死刑囚も入った。
三人目の男は、急に空気が圧縮されるような、押しつぶされるような圧迫感に襲われた。
ぶわっと圧縮パックに空気が入るような開放感に、目を開けてみれば、異世界だった。
毛皮のようなふわふわの襟のコートを着て、ひげ面で顔の彫りが深い人々。
「よう、おいでくださった。異世界人殿。
そなたは何をもたらしてくれるのかな?」
でっぷりと肥えた男が声を発した。この場で一番偉そうな態度なので、おそらく王なのだろう。
横柄な態度の王に軽く苛立ちを覚えた。
だが、ここが異世界ならば、慎重に情報を集めなければいけない。
「と、おっしゃられても……ここはどこなのでしょうか?
私は自分の部屋にいたはずなのに、突然ここにいて……戸惑っております」
不安げにキョロキョロと回りを見回した。
「それは失敬。では、宰相から話を聞くがよい。明日、改めて目通りを許す」
ぷくっとした指先を払うようにして、退出を促された。
偉そうに。
あとで吠え面をかかせてやるからな。
大広間を出ると、廊下はかなり寒かった。囚人用の服では凍えるし、靴下しか履いていないのでとてもじゃないが歩けない。
控えていた使用人が、コートをかけてくれる。
そして、なんと……護衛らしき大男に、お姫様抱っこをされた!
ぎゃー、気持ち悪ぃ。恥ずかしい。
「ちょ、ちょっと、これは……!」
前を歩く宰相はちらりと目線を寄越し、「ブーツもご用意致しますので」と言葉少なに言った。
あ~、もしかして、ここは、あんまりしゃべらない系の国か。
客間に入ると、さっと下ろされた。床が温かい。
応接セットに座ると、宰相が持ってきた資料を広げた。
今まで召喚された日本人が広めた文化がたくさんある。
下水道、風呂、街灯、たこ焼き、おにぎり、弁当、箸、屋台、味噌、醤油、お花見、漫画、将棋、折り紙、書道、柔道……忍者。
「さて、あなたは何が得意なのでしょうか」
期待を込めて見つめられるが、「空き巣」ですとは答えられないよな。
下調べをちゃんとするプロの空き巣だ。同業者との情報交換も欠かさない。
運悪く帰宅されてしまい、騒がれたから仕方なく殺した。
俺が体を鍛えていて、相手が弱すぎたのもいけない。一家全員、あっという間に倒してしまった。
要は、俺も人様の物をいただいて生活していたわけだ。
こいつらも、自分たちで創造しようとせずに、楽して豊かさを享受しようとしている。
ははは、同類なわけか。努力より先に、奪うことを考える怠惰な生き物――ってな。
そんで、奪うための労力は惜しまない。俺の下準備に、こいつらの異世界召喚。笑えるぜ。
仕事の下見では、誠実に見えるように心がけていた。いかにも怪しいと、すぐに通報されちまうだろ。
「今まで、失敗した物も教えていただけますか。二度手間にならぬように」
宰相が嫌そうな顔をした。こいつ、三流の人間だな。
失敗しない事業などない。次に活かせる物があれば、それは「挑戦の過程」だ。
それがわからないなんて……ああ、だから異世界から完成品をもらおうとしているのか。
しょぼいな。
えーと、義務教育、国民皆保険、王制廃止、議員制度、選挙、警察を全国的な組織にする、水道、飛行機……なるほどね。
「実際に、街へ出て見せていただくことはできますか?
あちらの世界と同じ物なのか、環境に合わせて違う物になっているのか、確かめませんと」
ふふ。簡単に「できる」とは言わないぜ。
慎重で頼りになるような、仕事人に見えるだろう?
特に歓迎の晩餐などもなく、客間に料理が並ぶ。
異世界召喚された先達たちのおかげで、美味しい物が食べられた。
風呂もついていて、最高だぜ。時間制限なく入れたのは、何年ぶりだろう。
翌日、宰相に案内人を紹介された。
「なんとお呼びすればいいでしょう?」
名前を呼ばれるより、ご大層な肩書きで呼ばれたいかな。
「多くを知る者、『大賢者』とでもお呼びください」
事情がわからない者は、そう呼ばれるのを聞いて、俺がすごい人物だと勘違いするだろう。
ここで「全てを知る」などと言ったら、詐欺っぽくなる。言葉選びは慎重に。
騙される方が悪い。油断した方が悪い。
案内人が、この街に召喚された地球人の子孫がいるという。
興味はないが、人が良さそうな顔を作って「ぜひお目にかかりたいです」とうそぶいた。
紹介された女性は、もう、こちらの世界の人間と区別がつかなかった。
女性でも俺より背が高い人がたくさんいて、日本人より骨太な感じがする。
「祖母はよくニホンの話をしてくれて、帰りたいと言っていました」
案内された墓地は、小さく柵で囲われ大きめの石が十個ほど並んでいた。
天然の石のようだった。
一人一人の名前を聞かされても、浚われた人に興味がなかったから覚えてない。
「ここに、召喚された人は全員埋葬されたのですか?」
「いいえ。この街に骨を埋めた人だけです。王族や貴族と結婚した人もいますし、呪術師に連れて行かれた人もいるそうです」
「思った以上に被害者がいるな」
しまった。つい、口に出してしまった。
「被害者、ですか?」
きょとんとした顔をされた。
「突然、違う世界に引っ張り込まれたんです。積み上げてきた生活、人間関係を断たれて。
そういうの、誘拐っていいませんか?」
子孫の女性は口を押さえて、真っ青になった。
「ここで新たに家庭を築けたなら、それも新たな幸せと言えるかもしれません。
それは王の罪であって、あなたがご自分を責める必要はありませんよ」
その女性はもっと顔色を悪くして、今度は男の口を塞いだ。
「いけません! 誰かに聞かれたら、不敬罪で即処刑です」
うつむき加減で、声を小さくする。
「わざわざ、異世界から呼んだ私を、ですか? そんなに簡単に?」
二人で頭を近付け、囁き合った。
「この墓の数を見てください。簡単に呼べるんだから、大事になんかしませんよ。
街に降りたのは、不興は買わなかったけれど、『使える』と思われなかった人たちです。」
「……ひどいな」
持っている者たちは、傲慢だ。持たざる者を平気で切り捨てる。
「あの、お名前をお聞きしてもいいでしょうか? 私はエリンです」
「高橋緑史だ。リョクと呼んでくれ」
「あ、この方もタカハシさんでした」
エリンは人懐こい笑顔を見せる。
こちらに来て、初めてちゃんと人と話している気分になった。
それから度々会うようになり、二人はいつしか恋人になる。
さて、城に戻り「大賢者」として、防衛体制の見直しを指導した。
空き巣ならではの、人が見落としがちな所を強化していく。
王も、満足げにうなずいた。
半年くらい経った頃に、王が魔王を討伐しようと言い出した。
特に、攻めてきたという話は聞いていないが……?
王が「いかに魔王が悪辣か」を演説しているが、意味がわからない。
首をかしげていたら、宰相が耳打ちしてくれた。
魔王城のあたりは資源が豊富で、あんな奴らの物にしておくのはもったいない――そう言っているのだと。
俺の空き巣理論と、たいして変わらねぇ。やっぱ、コイツもクズだな。
出陣前にエリンに会いに行った。
魔王は人間の領地に攻め込んだりしないのに、と彼女は俺の腕の中でつぶやいた。
「じゃあ、人間が一方的に侵略戦争を仕掛けてるわけか」
王たちは、厚かましく正義面してるんだな。
「行軍の休憩時間に下っ端の兵士が話しかけてきたら、聞いてあげてほしいの。
平民たちは戦争なんかしたくないわ。
魔王の側近と会って、停戦の道を探ってみてくれないかしら」
そう、唐突に言われて、面食らった。
俺は外交官でも、平和の使者でもない。ただの詐欺師で、空き巣だぞ。
こいつの目に、おれはどう映っていたんだ?
ヒーローか何かと勘違いしているのか。
なんか、急に萎えた――。
大賢者として魔王討伐に同行し、ときどき助言を求められた。
小説やゲームの知識を活かして、それっぽいことを答える。
あと一日で魔王城に着くという場所で、夜に平民の兵士に案内されて、魔族と会合を持った。
聞いていたとおり、魔族は人間の土地に興味はなかった。
欲をかいて責めてきたら、退治するのは当然の権利だと言う。
もっともだ。
魔族と結託して、この侵略戦争を終わらせることにした。
王子や司令官たちは天幕で寝ている。
外で働いている平民たちに、音を立てずに静かに戻れと指示を出した。
こっそり家に帰ってもいいし、危険を覚悟で国に給金を請求しに行ってもいい。というのは、何があったのか尋問される可能性があるからだ。
今夜は半月だが、灯に慣れていない平民なら、充分歩けるだろう。
平民たちの姿が見えなくなってから、魔族たちが天幕を囲んだ。
入り口を捲って中に入る魔族もいたし、幕の上から押しつぶした者もいた。
突然の襲撃に、慌てふためく貴族たち。平民の従者が武器を差し出してくれないから、探すところからスタートだ。
阿鼻叫喚の悲鳴を聞いているのは、魔族や森の獣だけ……。
運良く逃げだそうとして、俺と目が合った貴族は、もちろん殺した。
王子も、騎士団のお偉いさんも、寝込みを襲われてあっという間に戦闘が終わった。
平民に寝ずの番をやらせて、ぐうすか寝てるんだもんな。
貴族ってやつは、命を張る戦場でさえ人任せだ。
俺は、貴族がいない国から来たんだ。貴族ってだけで、敬意を払ったりしないぜ。
そして、今回、平民たちに「王侯貴族の裏をかく」ことを教えた。
少しずつ「従わない平民」が増えたら、好き勝手できなくなるぞ。
見た感じ、王侯貴族は頭が硬いけど、平民たちは新しいことを思いついたりしている。
上から押さえつけなきゃ、独自の技術や文化は生まれるだろう。
いつまでも異世界召喚に頼らなくていいはずだ。
つーか、気楽にやられて、極悪な殺人鬼が召喚されるとか勘弁してほしい。
だから、隙を見てあの国から逃げようとは思ってたんだ。
それに、可愛がっている王子を王太子にしたいからって、従軍させるのもアホだ。
うまくいけば功績を立てられるが、こうやって死ぬこともあるだろうよ。
騎士団や貴族が盾になって守るはずだと、信じていたんだろうが。
王子たちの装備で価値がありそうな物を回収して、俺は魔王城に向かった。
繋いである馬は、魔族が欲しがったから、魔王のところに一緒に連れて行くことにした。
戦のあとに褒美を与えるのはトップの役目だから、俺は良いとも悪いとも言えない。
騙される方が悪い。大賢者の俺様を利用しようとした王のことなど、知らん。




