原点
高級ホテルの一室で英梨香は押し黙ったまま膝を抱えている。
「それほど気にかかるなら帰れば良いじゃないか‥」
「別に今更、兄妹ごっこがしたい訳じゃないの!
ただ昔は私の言う事なら多少の我儘でも聞いてくれたのに‥それに何だかおっさん臭くなってるのが嫌だったの」
声を掛けられてそちらを見ると英梨香は不貞腐れたように返し膝の上に顎を乗せて頬を膨らませた。
「誰だって成長すれば変わるものだろう?
それに私は君が居ても居なくてもたいして困らない‥君を血族にしたのはただの気まぐれだしね」
少し困ったなと言う顔で微笑むとデュランはワイングラスを片手にソファに腰を下ろす。英梨香はその頬を収めると顔を上げてデュランを見た。
「別に貴方が私を必要としてないのは知ってる
でも私には必要なの‥だから私は此処に居るのよ‥」
表情を曇らせて英梨香が言うとデュランは慰めるように微笑む。
「君はよく働いてくれると思ってるよ‥望んでそうなった事も嬉しく思う
でも私にとって所詮は仮初の伴でしか無い
何の感慨も無いからこの先も君の自由にすれば良いさ‥」
気にかけているのか突き放しているのか分からないような言葉だがこれがデュランなりの慰め方なのだ。それを理解しているから英梨香はこの孤独な闇の王に惹きつけられる。
あの時、事故で海に投げ出された時に買って貰ったばかりの浮き輪をしていた英梨香は海流に乗って波間を瀕死の状態で漂っていた。意識は遠くなり声も出せなくなっていた英梨香の前に現れたのはまるで漆黒の天使のような青年だった。
「生きたいか?」
海上に佇むデュランのその言葉に微かに頷くと意識は飛んだ。気が付いた時には客船に乗っていて傍にはそのデュランが居た。英梨香は全ての記憶を失くし、己が何者で目の前にいる人物が誰かも分からなかったが不思議と恐怖を感じなかった。それ程デュランは幼い英梨香の目に美しく荘厳に映っていたのだ。
デュランの周りにはいつも執事が居て英梨香もまるでお姫様のように育てられる。最高最上の英才教育を受け、時に親子のように時に兄弟のように接するデュランを信頼するのに時間はかからなかった。
そんな年月を過ごし、記憶を取り戻したのは十六歳の時だった。些細な一言で徐々に記憶が蘇る。記憶が戻るとデュランは家族の元に帰るように言ったが英梨香は傍を離れる事が無かった。英梨香にとって恋愛と憧れの対象となっていたデュランの正体を知ったのもその時だ。だが真実を知っても恐れるどころか益々、心酔し生涯傍にいると誓い、幾度と無い拒絶にもめげずようやくその血を受け眷属となった。
幾度か日本に来た時に元居た家をこっそり見に行ったがそこに家族は誰も居なくて英梨香は家族の行方を調べる。そこで知った両親の死亡や兄の行方不明と言う事実が英梨香の中のデュランの存在をより大きなモノにした。
「デュラン‥私、貴方の傍をこれからも離れる気無いから‥」
そう言うと英梨香は少し寂しそうに微笑む。例え自分を見てくれなくても良いから傍にいたいと思う感情は本物だ。でもこうしてはっきり言われると時折、悲しくなる。
「それならそれで好きにすれば良いよ」
ワインを飲み干してデュランは答えると英梨香に優しく微笑んだ。幾度と無くこういう会話をしてきたがいつも出る答えは同じ、しかしデュランはこの先に来る別れを予感していた。
ピッピッピッ‥カタカタカタ‥
機械音しか鳴り響かない部屋で調整槽を前に白髪の女性が慌ただしく端末を叩いている。中にいるのはおよそ人とは思えない化け物の様相をした何かだ。
「相変わらず忙しそうだねぇ‥」
女性の背後からメガネをかけた軽薄そうな白衣の男性が声をかける。
「大きなお世話よ‥それよりさっさと研究データを持って来なさい
それが無いとこっちの仕事も進まないわ」
女性は男を見るでもなく素っ気無く返す。
「まぁ、そう焦らなくても良いでしょ?
それよりたまには食事でもどう?
あんまり研究所に籠ってばかりだとパパも心配するよシルビアちゃん?」
男はそう言うとシルビアの座るデスクの端に凭れ掛かる。シルビアはようやく男の方を向くとキッと睨んだ。
「どうやってパパに取り入ったのか知らないけど私は貴方を信用してないからそのつもりで‥
とにかく早くデータを持ってきて頂戴、トラスト博士」
それだけ言うとまた端末を叩き始めた。トラストはそれを聞くとやれやれといったような溜息を吐き徐に部屋を出て行く。それも気にする事無くシルビアは端末を叩き続け一通り作業が終わると手を止め化け物を眺める。
「まさか生きてるなんて思ってないでしょうね‥」
独り言のように呟くと深く溜息を吐いた。すると薄く化け物の目が開いて暫くシルビアを見た後、また目を閉じる。シルビアはそれを見届けると書類を片手に部屋を出た。
数日間、出張して戻ったシルビアはいつも通り研究の続きをする為に余所の部署を覗いてから自分の研究室に入った。しかし調整槽に入れられていたあの化け物の姿は無く思わず辺りを見回す。いくつか調整槽が有りその中にタイプの違う化け物が数体いるのだがどれも今、研究中のものではなかった。シルビアは内線で事務局に問い合わせる。
「私の研究室から誰か実験体を持ち出したりしてた?」
『ああ、はい‥トラスト博士がプロフェッサーに依頼されたとCA592を運び出してます
ベトナムの研究室に輸送中ですが‥』
それを聞くとシルビアは勢いよく電話を切って研究室を出た。そしてある部屋の前まできてドアを開けると受付カウンターの女性が座っていてシルビアを見てすぐに立ち上がり一礼する。しかしそんな素振りを気にするでもなくシルビアはそのままそこを突っ切って奥のドアを開けた。
「パパ!どうして私の研究室の実験体をあんな奴に自由にさせるの?
あれは大事な実験体だってパパも知ってるでしょ?」
入るなり捲し立てるシルビア。
「少し静かにしてくれないか‥今、大事な所なんだ‥」
部屋の奥には沢山の画面と端末に囲まれた老人がいて作業をしながらポツリと答える。
「大体どうしてあんな奴がこの研究所に自由に出入り出来るの?
私には納得出来ないわ‥」
更に詰め寄るシルビアに老人はようやく手を止め視線を向けた。
「お前の研究成果では埒があかん
彼の持ってきた成果は素晴らしいものだ‥より優秀な成果を上げてきた者に特権を与えるのは当然の事だ‥違うかね?」
語りかけるように言ってシルビアを見つめ問う。確かにここ数ヶ月たいした結果を得られなかったのは事実、それでも以前の父ならあらゆる可能性を示唆し導いてくれた。でも母が亡くなったあの日から父は変わってしまい狂気とも取れる思慮と研究に没頭し続けている。何度も元の優しい父親に戻そうと懸命に務めてきたシルビアにとっては限界だった。もう父に娘としての自分の事は見えていないのかもしれないと感じるほど親子の仲は冷え切っていた。
「パパはいったい何処を向いてるの?」
消え入りそうな声でシルビアが呟く。
「お前は何も考えずにただ与えられる仕事をすれば良い」
また画面に視線を戻しあちこちの端末を弾くと冷たく言い放つ。シルビアは入ってきた威勢とは裏腹にただ俯き加減で父に背を向けると何も言わずに部屋を出た。
そして自分の研究室に戻ってくると力なく椅子に腰を下ろしデスクの上の写真を眺める。そこには父と母と幼い自分、それからヒューバートが映っていてみんな穏やかな笑顔を湛えていた。研究成果を上げる為、時には自分の身体さえ実験台にして研究に取り組んだ。お陰で体中にあった無数の傷は消えたが美しかった亜麻色の髪は白髪になり優しい木漏れ日のような黄緑の瞳は冷たい紫暗を映す。しかしその成果はみんな父の手によって悉く悪意へ向けられ新たな化け物が生み出された。本当はこんな姿になった者達を元に戻す為の研究なのに‥シルビアはやるせない気持ちを抱えながらそれでも諦める事が出来ない。
「叔父様‥私はいったいどうすればパパを止められるの?」
いつも強気なシルビアが弱音を吐く。ただ機械音がその声に答えるように鳴り響いていた。
陸は夜勤を終えると自宅とは別方向へ歩を進める。転属が決まってから残務処理や事務処理に追われて現場へ出る事も少なく定時に上がる事が増え、夜勤の日は帰りに翔子の家に寄って朝食を二人で取るのが日課となった。いつものように二人で朝食を取り翔子が出勤すると陸は家路に向かって歩き出す。すると一台のスモーク張りの高級車が陸の前で停止して後部座席の窓が開いた。
「やぁ、少し構わんかね?」
相変わらず胡散臭げな微笑を湛えてヒューバートが声をかけると陸は少し辺りを見回してから後部座席に無言で乗り込んだ。
「感心しませんね‥誰かに見られるとお互い困るでしょう?」
乗り込むと走る景色を眺めながら陸はポツリと呟く。
「心配しなくても大丈夫、それより移動の件だが知人に頼りになる男がいてね
何かあればこの男を頼ると良い‥」
ヒューバートは胸元から一枚の名刺を取り出すと陸に差し出した。陸はその名刺を受取り名前を見て少し驚いたような顔をしてからヒューバートを見る。
「彼はこちらの息のかかった人間だ‥君の事も話してある
ただし表立った接触はしないでくれたまえ‥彼にも家族があるのでね」
ヒューバートは続けると少しだけ陸に視線を向けた。
「一体、貴方はどういう人物なんですか?」
陸はヒューバートを見たまま返す。インプットで少しはヒューバートの情報は得ているがそれは創設者の立場としての彼であり詳しい事は何も知らない。
「少し長い話になるが年寄りの昔話だと思って聞いてくれたまえ‥」
陸の疑問を察したかのように少し微笑むと宙を見上げてヒューバートは語り始めた。
「私が生まれ育ったのは内戦の多いヨーロッパとロシアの境の町だった
町には孤児やゲリラも多くいてね‥物騒な町だったよ
私も早くに親を内戦で亡くして町の小さな孤児院にいた
そこでノーマンやレティーシアと出会った‥物騒で貧しい町だったが私達はそれなりに幸せに暮らしていたんだ
だが海外からの軍事介入で内戦は激化し町は孤立状態になった
そんな時に伝染病が蔓延し、正規軍は私達の住む町を‥一般市民をゲリラごと焼き払おうとした
私達はシスターと共に何とか山奥に逃れたが町の者は殆ど焼き殺され、それは無残だったよ
でも逃げた先で孤児院の子供達が次々と伝染病に倒れ、私達3人は正規軍に薬を貰う為に皆には内緒で、命懸けで駐屯地を訪れた
私達は子供だった事もあり保護され正規軍に付き添われ戻った時にはもう他の者は手遅れの状態になっていた
それから私達はその正規軍の計らいでそれぞれ里親を宛がわれ養子となった
けれど我々はあの病に倒れた仲間の事が忘れられずにそれぞれ医学の道を歩んだ
もう大切な者を病で失わぬようにとね‥三人が再会したのは公の研究所だったよ
三人共、同じ志を持っていたんだととても嬉しかったのを覚えている
同じ研究に取り組む中でノーマンとレティーシアは愛し合い結婚し、私はそれを祝福した
そして皆それなりの地位に就くと自分の研究以外の仕事が増え、したい研究ではなく利益のある研究ばかり任せられるようになった
それに業を煮やして私達はノアという新しい私設の研究所を作る事にした
この世から難病や伝染病を失くす為の研究‥それをメインに活動していく内に思わぬ副産物が出来、私達は予想外の富を得た
そこでより踏み込んだ研究をするべく各所から優秀な人材を引き抜いた
私達は益々、利益を得て何時しか各国から協力を求められる組織になった
我々はスポンサー獲得も兼ねて各国の有力者と広く付き合い、お陰で伝手も多くなってね
そんな時に出会ったのが龍の鱗だった‥私達はその未知の物質に万能薬を夢見たんだ
しかしそれは上手く抽出出来ず、その物質は生物の細胞のようでありながら外気に触れると煙のように消えてしまい永久氷壁から取り出すのは困難を極めた
そこで地元の伝説を元に非科学的だが呪い師に協力を要請し、ようやく9つのサンプルをカプセルに封じ込める事に成功した
何分、外気に触れれば消失してしまうその物質をどう扱えば良いのか解らず一旦クローンを試みる事にした
一番相性の良い生物を割り出したのだがそれが人間のDNAでね‥レティーシアは自分の細胞を使って研究を始めた
初めは目も当てられない結果だったがようやくコツを掴んで形になり始めたのが7体目で、もうその頃になると私達には倫理や正常な判断よりも研究に対する興味や情熱の方が勝っていた
だがもう一歩という所で上手く行かず我々は龍に縁のある日本の陰陽師という存在を探し当て協力を要請した‥その結果、ようやく誕生したのが9体目の織彩だ
織彩はありとあらゆる面で人間の限界を超えていてどんなウイルスも受け付けず細菌や化学物質まで浄化した
そしてレティーシアの細胞を使ったにもかかわらず彼女と全く違う個体となった
DNA配列は人と変わらないのだが思考速度や演算能力がずば抜けて高く、赤ん坊なのに言葉を理解し教える事は漏らさず覚えた
そして彼女の血液からまたいろいろな研究が始まった
人の形をし、人と同等の成長速度と感情を持ち合わせている彼女をレティーシアは自分の娘と同じように可愛がった
しかし研究の最中、彼女は病に倒れた
私達は何とか懸命に救おうとしたがその甲斐も無く意識は戻らなくなりノーマンはまだ開発中だった織彩の血液から作った薬を彼女に打った
すると意識は戻ったが次の瞬間、まるで断末魔の叫び声のような雄叫びを上げて藻掻くようにショック死してしまった
私達はその光景に途方に暮れ全ての研究意欲を一時的に失ったがその悲しみから逃げ出すように私とノーマンはすぐに研究に没頭し始めた
だが悪い事は重なるもので同じく職員となっていたノーマンとレティーシアの娘のシルビアが私と他の研究施設を訪れている時に事故に合ってしまってね
私は片足を負傷しシルビアは瀕死の重傷を負った
その時あれほど我々に協力的だった機関が掌を返したように粗暴な扱いをしたのだよ
お陰でシルビアの体には無数の手術痕が残り私は片足を切断する羽目になった
私は彼らを恨み狂気にも似た研究を始めた
しかしそれはノーマンも同じでシルビアをそんな目に合わせた国や人を恨むようになり私達は世界を滅ぼす研究を始めた
でもシルビアがレティーシアの夢を語った時に私は目が覚めたんだよ
世を儚み恨んでもけして彼女は喜んだりしないと‥私はその事をノーマンに話したが彼はもう心を閉ざし聞き入れようとはしなかった
ただ、世界を混沌に導く事しか見えてはいなかったんだろう
だから何とか止める方法を考えたがそんな私を彼は殺そうとし、それをシルビアと織彩が助けてくれた
私は傍で彼を止める事を諦め、こうして対抗組織を作る事で止めようとしている
本当はこんな内輪揉めに君達を巻き込みたくは無いのだがね‥我々だけの問題にしては事が大きくなり過ぎてしまった
それにそれを利用しようとする輩も増えた
私は自分の犯してきた罪も含め、その全ての決着をつけなければならないのだよ
だからどうか‥今、少し手を貸して欲しい」
語り終えるとヒューバートは躊躇いがちに陸に微笑む。陸は全てを聞き終えて憤りと戸惑いを感じながらも事の重大性を改めて悟る。もし自分達が負ければこの世はノーマンの手によって滅ぼされる道を歩む事になるのだ。
「自分に何が出来るのか分かりません
でも‥俺にも守りたいモノがあります
それを守る為ならば協力は惜しみません」
そう言うと陸はちょうど停止した車から降りた。
「必要な事があればいつでも言ってくれたまえ‥私も君に協力を惜しまない」
それだけ言うとヒューバートは微笑み、車は走り去る。陸は暫くその方向を眺めていたが空を見上げると身を返してマンションのエントランスに消えた。
白い廊下にヒールの音が響くとトラストは研究室内からガラス越しに視線を向けた。程無く見知った金髪の女性が現れるとその姿に手をヒラヒラと振る。すると女性はその姿を見て研究室に入ってきた。
「いきなり呼びつけるなんて無礼極まりないと思うけど?」
相変わらず上からものを言う英梨香。
「あはは、ごめんねぇ‥今手が離せなくてさ
それより殿下は元気?」
相変わらず軽いノリで答える。
「そんな事よりこっちが依頼した研究は進んでるの?
私達は貴方の希望を叶えてあげたんだから貴方もちゃんと協力して貰わなくちゃ困るわ」
やはり気に食わない人物だと思いながら用件だけを口にすると英梨香はトラストを睨む。「大丈夫、殿下の奥方は目覚めるよ
それよりもう少し血液を提供して貰いたいんだけどさ」
ニコニコしかがら機嫌を取るように返すが媚びた感じは無い。
「こんな所で油を売るほど余裕があるようには思えないし本当にやる気あるの?
こっちはもう教会側からも目を付けられてるのよ?
早くしてくれなくちゃ敵が増えるばかりだわ‥せめて棺が開くまではもうそちらの要求に答えるつもりは無いから!」
英梨香はトラストを睨んでいたが不意に化け物の入れられた調整槽を見て凄い剣幕で声を荒げた。二人に関心がないのか慣れているのか他の研究員はまるで気にせず作業を続ける。トラストはそう言われると困ったように微笑みながら頭を掻く。
「だいたい殿下の奥方に一番目覚めて欲しくないのは英梨香ちゃんじゃないの?
好きなんでしょ‥殿下の事‥」
返すトラストを驚いたような顔で見てすぐに表情を険しくする。
「とにかくこれ以上そちらの要求ばかり呑む気は無いわ!
協力して欲しいなら先に成果を上げて!」
言い放つと不機嫌そうにヒールの音を響かせながら出て行った。
「やれやれ、相変わらずワガママなお嬢ちゃんだな‥」
まるで困った子供にでも言うように苦笑混じりに呟くとまた頭を掻きながら端末を触りはじめる。その顔には何か企みを秘める笑みが浮かんでいた。
研究所から空港へ向かい到着すると黒ずくめの老人が英梨香を待っていた。
「如何でしたか?」
老人は英梨香を見て長く一礼した後に端的に聞いた。
「ダメ、全然進んで無いみたい
やっぱりあんな怪しげな男に頼るのが間違ってる‥もっとちゃんとした人じゃなきゃキャロラインを目覚めさせられ無いよ
もう一度ちゃんとデュランと話さなきゃ‥」
英梨香は少し視線を遠くにしながら足を止める事無く答え、老人はその少し後方を卒無くついて歩き出した。
トラストに協力するきっかけとなったのは今から一年前の事、表向き世界でも有数の財閥の総帥として名を連ねるデュランは各国の企業や施設のスポンサーでもあった。その為に売り込みに来る人の数も半端ではない。勿論、本人が対応する事は無く全て執事か代理人が審査を行い有望だと認められればそれなりの投資をし、還元された利益でその財力を増やしていた。
ある時、大勢の科学者へ投資をする話が持ち上がり、その中にいたのがトラストだった。一見、無謀な研究に見えてその成果を着々と上げるトラストに興味を持ったデュランは謁見の申し出を受けた。その時にオカルトと化学は必ずしも反するモノでは無いというトラストの話からデュランは益々、興味を持ち二人は時々、会見するようになった。
数百年前、教会の手により封印を施された妻のキャロラインを復活させるべく何度も挑戦したがそれは無駄に終わっていた。棺には強力な結界が張られ、このままでは滅ぼされると思ったデュランは彼女を封印ごと別の地へ移動した。結界で棺を守っていたが最近弱まりを見せ始めていた為にデュランは天才であるこの男に賭けてみる事にしたのだ。トラストはその見返りに不死の血を要求し更なる投資を持ちかけ、デュランは成果を上げる毎にその要求に答えてきた。しかしそれも始めの内だけで今は殆ど要求ばかりが先行している。英梨香はその事に業を煮やしているのだ。
本来、惚れた相手の妻など煙たいだろうが英梨香にとってはデュランの愛するモノ全てが大切でならない。どんな性格なのか分からなくてもデュランが愛した人ならばきっと素敵な人なのだろうと素直に思う。だからこそ皆と同じようにキャロラインの復活を切実に望んでいた。その気持ちに嘘は無い。何よりいくらシュバリエと言えど生粋の貴族と同じ時間は生きられないのだ。また彼を一人にするくらいなら誰かに傍にいて欲しかった。でも彼の横に並ぶ自分でない誰かに切なさを覚えるのも事実、英梨香の想いは複雑だった。
そしてゲートまで来ると老人は空かさずチケットを英梨香に手渡す。二人は慣れたように飛行機に乗り込むと英梨香はようやく腰を下ろした。
「今まで幾度となく殿下に不老不死の法を求めて科学者が協力を申し出て参りました
殆ど取り合われる事はありませんでしたが今回だけは私も何かしら進展しそうな予感がします」
老人は静かにそう言うと英梨香を見つめる。
「確かにあいつは天才かもしれない‥でもやる気が無さ過ぎるわ!
私は早くデュランに笑って欲しいのに‥」
憤慨を隠さず不機嫌そうな悲しそうな表情を作り英梨香が答え、それを見た老人は少し嬉しそうな笑みを浮かべた、
「殿下が今、心穏やかで在られるのは全て英梨香お嬢様のお陰です
お嬢様が殿下の元に来られてから随分と嬉しそうな顔をされる事が増えました
私もお嬢様には感謝しているのですよ」
優しく語りかけると英梨香は照れたような顔で頬を赤くして視線を逸らせる。
「だって、デュランは‥貴方達は私の恩人だもの
だから何時でも笑っていて欲しいのよ」
呟くと赤くなった顔を背けたまま外を眺め、それを見ると老人はまた穏やかな顔で微笑んだ。飛行機がゆっくり離陸を始めるとデュランのいる日本へと飛び立った。
「うぅ‥寒ぃ‥」
少し鼻をすすり気味に雪景色を眺めながら海が零す。飛行機の乗り継ぎで訪れた極寒の地は海にとって初めての海外であり、予想を上回る壮大な景色に魅了されていた。しかし流石にこの寒さには勝てない、そう感じてはいるのだが何故か目が離せないのだ。
「いくら風邪引かねぇって言っても流石に堪えるだろ?」
いつまでも戻らない海を探して明希がやってきた。
「ああ、でもなんか目が離せないっていうか‥すげぇな、俺こんな景色初めて見た」
少し振り返ると海は真っ赤になった鼻を掻きながら返す。空港の周りには何も無く、遥か向こうにポツポツと家らしき物が見え半分、雪に埋もれていてまるでお伽話の風景だ。
英梨香とのやり取りがあった数日後、マリーからの情報で得たノアが関与する施設がアレックスの話に出てきた古城に近いので二人は現地へ行ってみる事にした。もし何か手がかりを得られるなら一石二鳥だ。アレックスは引き続き日本でデュランの行方を追いつつ明希達と連絡を密にする事にした。本当なら明希は一人で来るつもりのようだったが海が付き添うと聞かなかったので同行する羽目になった。
「そろそろ飛行機が発つ‥戻るぞ‥」
流石に明希も寒いのか肩を竦めて言うと身を翻し、海は名残惜しそうに何度か振り向きながらそれに続いた。二人は搭乗手続きを済ませ飛行機に乗り込む。離陸すると海は眼下に広がる景色をいつまでも見ていた。
現地に近い町へ着いた明希と海はとりあえず今夜の宿を探す。小さな町では夜に人気を探すのは難しく、誰かに聞ける明るい内に宿を探そうという魂胆だ。明希が情報を得ようと道行く人に話しかけるが海はというと言葉は理解出来るし話せるのだが如何せん発音が悪く上手く通じない。
「知っていても出来るとは限らない
練習するんだな‥」
明希にそう言われ悔しくてあちこち聞いてまわる海、持ち前の愛嬌の良さと人懐こさで何とか会話が成立し始めると宿と関係の無い話にまで内容が弾む。
「おい!宿が見つかりそうだぞ!」
話し込んでいる海に明希がそう言うと海は話している人達に別れを告げ駆け寄る。
「あんまり目立つな‥」
小声で明希に言われて海は思わず不機嫌そうな顔をしつつも押し黙った。ここへは遊びに来た訳では無い。二人はアパートのような感じの宿に着くとチェックインを済ませて食事に出る。食事をしながらアレックスの友人が殺されたという場所とノアの関係施設の位置を地図で確かめた。
「ここからだと歩いて二時間程度か‥
関連施設は更に西に半日ってとこだな‥」
「まさか歩いて行く訳?」
「そんな効率の悪い事するかよ
観光用のバスが出てる‥明日の朝それに乗って古城まで行く
観光客に交じれば目立たねぇし‥施設の方はその後だ‥」
ボソボソと話しながら食べ慣れない郷土料理を突く二人に海が昼間、仲良くなった外人が気付き寄ってくる。外人は観光客だという二人を持て成すように郷土料理の説明を始め、地元の酒を振る舞うと歌まで唄い出した。二人は少し複雑な思いを抱きながらもそれに付き合う。どうやら海は余程、気に入られたらしかった。適当な頃合いを見計らって二人は店を出たが時計は夜中を指している。かなり呑まされたせいで酒に強い海も足がフラ付いていた。明希はと言えば途中で潰れて海の背中で爆睡中。何とか宿まで戻ると海は明希をベッドに寝かせてシャワーを浴びに浴室へ。身体を流しベッドに寝転がると海は大きく溜息を吐いてなんとなく明希の方を見る。時折、気分が悪いのか眉を寄せてはまた通常の表情に戻る。
〈そういやこんなに呑んでるとこ初めて見たな‥〉
ぼんやり考えると海もまた目を閉じ眠りに落ちた。
翌日、明希に叩き起こされて海は目覚める。
「早く用意しろ、バスが出ちまう」
言った明希の顔も半分寝惚けた感じだ。いつもなら二日酔いコースだが体質が変わったせいか少し気怠いくらいで不快さは無い。慌ただしく用意を済ませ、宿でバスの停留所を聞いて駆けるが間に合わず次のバスは昼過ぎに出るとの事だった。二人が途方に暮れていると昨日の外人にまたバッタリ出会い事情を話すと乗っていたトラックで明希と海を古城まで送ってくれた。
「いやぁ、マジ助かった‥」
「まぁ、元はと言えばあのおっさんのせいなんだがな‥」
海がトラックに手を振りながら呟くと明希は心持ち笑顔を作りながら同じように手を振り毒を吐く。そしてトラックが木々の向こうに消えると同時に脱力し溜息を吐いた。二人はそれから観光客がうろつく古城内を避けて写真にあった場所を探す。観光客と言っても数人程度でバスはもう町の方へ引き返してしまったようだった。ガイドも無くかなりマニアックな古城である事はアレックスから聞いていたが本当に数人の観光客以外は誰もいない。二人は余り警戒する事も無く城の周りを散策する。そろそろ日も高くなろうかという頃、二人は空腹を覚えて他の観光客がいるであろう古城の方へ戻ろうとした。恐らく他の観光客と一緒なら何か食事にありつける方法があるだろうと考えたのだ。しかし古城の方へ針路を向けた瞬間に二人は同時に違和感を覚えて立ち止まり辺りを無言で警戒する。
「どうやらアレックスが感じたってのはこの気配みたいだな‥」
小さく明希が言うと海は無言で頷き視線を走らせるが気配が漂うだけで捕え処が無い。
「なぁ、もしかしてこの真下からじゃないか?」
暫く無言でいた海がそう言って足元に視線を向けると明希は屈んで地面に手を付いた。
「どうやらビンゴっぽいな‥だがどうやってこの真下に探り入れるかだが‥」
「古城なら地下室の一つや二つあるんじゃねぇの?
もしかしたらこの真下に繋がってる道とかあったりして‥」
明希が言うと海は何か思いついたように空腹を忘れ、ちょっとミステリーっぽい展開に興奮気味で古城を指す。
「残念だがあの古城にゃ地下室はあるが全部城の真下にしか無いそうだ
ここから古城まで少なくとも200mはある‥入口が古城って線は皆無だな」
明希は言うと古城と反対の方を見渡したが建物はおろか洞窟さえ在りそうも無い。少し起伏のある森が広がっているだけだ。
「でも写真で見た場所より少し離れてるよな‥写真じゃあの城壁みたいなのが崩れた辺りだろ?
さっきあそこに行った時はこんな違和感無かったけど何でこんな離れた場所で違和感有るんだろう?
ここら辺は原っぱだけで何も無いし‥」
海が写真の場所に視線を向けながら呟くと確かに離れている事実に明希は少し考え込むようにそちらに視線を向けた。
「そうか‥」
一頻り考えた後にそう言うと明希は古城に向かって歩き出す。
「え?そうかって何か解ったのかよ?」
海は慌てて後を追いながら聞いた。
「この気配事態フェイクかもしれない‥とにかく古城の地下へ行ってみよう」
答えながら一心に古城を目指し、辿り着くと観光客が古城の中庭や城門の所でピクニックさながらサンドイッチやパンを食べていた。それを見ると二人は再び空腹を思い出しつつもやはり食事を取れるような場所は無いのだと諦めにも似た表情を浮かべる。古城の地下へ通じる階段や扉を探すがそれらしい場所は何処も厳重に封鎖され、観光客がフラっと入り込めそうな場所は無い。開けようと思えば明希には簡単に開けられるのだがもし誰かに見られると不味いので今は諦める事にした。
「仕方ねぇな‥一旦町に戻って人気が無い夜に出直すか‥」
明希が零すと海も頷きとにかく二人は町に戻って食事と仮眠を取る事にした。
夕方頃に宿を引き払うと適当に食料を買い込んで町を出る。
「やっぱ夜の冷え込みは半端ねぇな‥」
身を竦めて歩く海は少し震えていた。
「これくらいならまだマシだ
ここいらは位置的に日本と変わらんからな‥
乗り継ぎで寄ったとこならあんた凍死してるぜ」
言われて海が明希の方を見るとまるで寒さなど感じていないかのように平然としていた。それに気付くとまた自分の軟弱さを実感して海は悔しくて足を速めた。しかし明希は立ち止まり辺りを見回す。
「そろそろ良いか‥」
呟いて人気の無い事を確認し、暗くなった空を見上げた。空には満天の星が瞬いていて海は自分も立ち止り、明希を訝しげに眺める。
「せっかくだ‥練習がてらあんたの力で古城まで運んでくれよ」
ニッと笑って明希が言うと海はなるほどという顔をした。確かに徒歩で行くよりその方が早いしこれだけ暗ければ空中の方が人目に着き難い。海は言われると機嫌を直して風を起こし、二人の身体を高く宙に舞いあげ流れるように古城へ向かわせる。道の無い森を抜け橋の無い渓谷を渡り、あっという間に古城へ着いた。
「空を飛ぶってのはなかなか気分良いもんだな」
フワリと着地して明希が言う。前にアレックス達を運んだ時より上達して安定していたせいだろう海自身も心地良いと思った。
「まぁな、元々、高い所は好きだけど自分で飛ぶとなると本当に気持ち良いぜ」
少し自慢気に返すと今まで寒さに震えていたのが嘘のように胸を張る。
「さて、じゃぁ行くか‥」
それを軽くスルーすると明希は古城へ足を向け海もそれに続いた。古城の入り口は誰が閉めたのか固く閉ざされ昼間とはまた違う風景を醸し出している。明希はいちばん手薄そうな入口を探し出すと金属を変形させて鍵を開けた。中は真っ暗で高窓から微かに明かりが入っている程度だ。明希は懐中電灯を点け辺りを見回すと昼間アタリをつけておいた場所に向かう。そしてその扉も難なく開錠して中に入った。海はその手際の良さに内心感心しながら後に続く。開錠したドアの先には地下へ続く階段があり警戒しながらも下りていくとまた施錠されたドアがある。それも難なく開けるとまた階段があった。しかし片側に壁が無い。壁の無い方を照らし出すとそこには沢山の棺が並べられていて一瞬、目の前の光景に海は生唾を呑む。
「どうやら霊廟らしいな‥」
明希は気にせずに階段を下りていくと海も慌てて後を追う。並べられた棺を順に見ると古さや年代の違う名盤に此処に葬られているのは代々の城主やその親族だろうと推測出来た。そしてそれらを眺めながら一番奥の一段高くなっている棺を目指し、辿り着くと名前を確認する。
「どうやらこの城を建てた城主の物みたいだな‥」
確かに一番初めの入り口にあった説明看板の中で見た名前だ。明希はそれを確認した後その周りを照らしながら注意深く気配を探る。海も集中して何かを感じ取ろうとしたが昼間感じたような異質な気配は何処にも感じられない。すると明希が何かに気付いて棺の根元を照らし出す。
「昔の棺にしちゃ敷石が綺麗だな‥」
言ってから屈んで更に注意深く棺を観察する明希を見て海も視線を低くして辺りを見回した。
「何か此処だけグラグラする‥」
気になった背面の煉瓦を指で揺すりながら海が明希の方を見る。明希はすぐに傍へ来てその煉瓦を触ってみたが確かに不安定で周りと接着されてはいないようだった。注意深くその煉瓦を外して中を照らすと小さな宝石箱のような箱が入っている。明希がそれを取り出そうと手を伸ばした瞬間、バチッと弾かれて少し後方へ飛ばされた。
「おい!大丈夫か!?」
「結界か‥こりゃ厄介だな‥」
慌てて海が声をかけると明希は少し面食らったような顔をしつつ零す。
「結界?」
「ああ、でも普通なら結界張ってりゃ気付ける筈なんだがこれはどうやら特殊なヤツらしい‥
いってぇ‥モロに触っちまった‥」
言って手を軽く振りながらまた穴を覗くがやはり箱はそのままそこにある。
「結界がある以上、俺達には手が出せんな‥とりあえずアレックスに聞いてみるか‥」
明希はスマホを取り出すとまずはアレックスにかけた。
『何!?
古城の地下にそんなもんがあるのか!?
俺が行った時にゃそんなもんの気配は無かったが‥とりあえず手が空いたらそっちへ向かう
俺も確認してみんと解らんが恐らく圧縮系の結界だ
下手に何かするなよ‥大怪我するぞ』
話を聞くとアレックスはそう言って電話を切った。既に触ってしまった事は恥ずかしいので内緒の話と心の中で呟く。
「‥だそうだ、とりあえずそれ戻して出るぞ」
明希が言うと海は煉瓦を戻し立ち上がる。二人は来た道を戻り、城を出ると空を見上げ満天の星に少しホッとする。幾ら夜目が利くと言っても閉鎖された空間というのは息が詰まるものだ。
「恐らくこの辺りを漂う妖気はあれを誤魔化すためのモノだろう
アレが何なのかは解らんが近くに施設があるって事は組織絡みは間違い無いだろうな‥」
空を眺めながら明希が言うと海はチラリと明希の方を見た。しかしその視界の隅に動くものを感じて海は確認しようと顔を向け、それに気付いた明希もそちらに視線を移す。城壁の上で何か動いていてよく見ると誰かが長い髪を靡かせながらこちらを見ている。もっとよく観察しようと目を凝らした瞬間、明希は固まったまま動けなくなった。
「女か?」
海が少し警戒したように明希に同意を求める。「フェリシア‥?」
呟いた明希の顔はただ驚きに満ちていた。表情も無くまるで高級ブティックにあるマネキンのような出で立ちで佇むフェリシアはフゥっとバランスを崩して城壁から落ちる。海は咄嗟に駆けながら風を起こしフェリシアを受け止めるように仕向けた。明希も海と同時に駆け緩やかに落下するその身を受け止めそっと地面に下ろす。フェリシアは気を失っているのか目を閉じたままで明希はそっとその顔に少し震える手を触れた。
暖かい。
生きている事を実感すると明希は今にも泣き出しそうな顔で彼女を強く抱きしめた。海は明希の態度にただ傍らに立ち尽くす。
「‥明希?」
フェリシアが消えそうな声で呟くと明希はようやく少し身を離して顔を見た。
「明希?」
もう一度、彼女が確認するように呟くと明希は少し微笑んだ。
「此処は‥何処?
私は‥どうしてこんな所にいるの?」
まだ意識がはっきりしないのか朦朧とした目付きで宙を仰ぎながら尋ねる。
「それは俺が聞きたいくらいだ‥それより身体は何ともないか?痛い処は?
動かない場所や感覚が無い所は無いか?」
海は今まで見た事が無いそんな優しげな明希の態度に戸惑うと同時にこの女性が明希にとってとても大切な人物である事を理解した。
「何だか頭がぼうっとして‥それに関節がギクシャクする‥」
言いながらまだハッキリしない頭にフェリシアは手を翳そうとして目を見開く。そして自分の手をマジマジと見た後で自ら身を起こし身体を確認した。
「元に‥戻ってる?
夢‥かしら?
私‥元の身体に戻って‥る?」
驚いたようにそう言うと呆気にとられたような顔で明希を見た。
「私‥元の姿に戻ってるの?」
そう続けると明希はまた微笑みながら頷く。目を覆いたくなるような容姿だったフェリシアが施設にいた時と変わらない抜けるような青い瞳に優しい栗色の髪でいる事に正直、明希は驚いていた。少なくとも感染すれば人の形をしていても必ずと言って良いほど髪の色や瞳の色に変色が起こるからだ。するとフェリシアは思い切り明希に抱きついた。
「私‥元に戻ってる‥」
嬉しそうに再び同じ言葉を繰り返すフェリシアを見て海も何だか感激してしまう。明希はそんなフェリシアを抱きしめながら失ったはずの大切な人の生を実感した。一頻り再会を喜び合った後、明希はフェリシアに何があったのか聞いてみる。
「明希達と戦わされた後で私は再生室という所に入れられたの
本当なら絶命していた私達を再生してくれたのがシルビア博士だった
あんな姿になって死んでしまいたかったのに‥それでも諦めるなって博士が‥
自分がきっと元の姿に戻すから戦えって言ってくれたのよ」
フェリシアは思い出せる範囲の話を始めた。
「シルビアって言や俺達を切り刻んだ奴だな‥そんな優しい奴には見えなかったが‥」
「確かに最初は私も他の奴等と同じだと思った
でも本当はとっても良い人なのよ、本当に私達の事を考えてくれてた!」
明希が不快そうに口を挟むとフェリシアは慌ててシルビアの事を庇う。あまり必死に言うので明希は散々受けた苦痛に対する恨み言を飲み込んでフェリシアに先を促す。
「とにかくシルビア博士がいなかったら私達はとっくに諦めてた‥仁もラウルも生きてる
他の皆は間に合わなかったみたいだけど‥
その内に私達は調整槽に入れるまでになって本部の方へ移され、そこで本格的に調整を始めて少しだけど人のカタチを取り戻していったわ
でもこの間、新しい科学者が来て私だけシルビア博士の所から連れ出されたの‥その後からの記憶が全く無くて‥」
フェリシアはそう言うと不安な顔をする。
「とにかく俺達のいる所へ行こう‥どうして君が元に戻れたのかきっと解るはずだ
それに他の奴らも助け出さんとな‥」
明希が安心させるように微笑むとフェリシアは戸惑いがちに同じように微笑んで返す。
「じゃぁ一旦、偵察は止めて戻るのか?」
海が遠慮しながら口を挟むと明希はいつもの顔に戻り海を見る。
「ああ、とにかくここを離れよう‥」
先程から感じる視線に気付いてはいたがそれには触れず少し考えてから明希は答えた。
宿を取っていた町まで戻るとフェリシアはまだ本調子でないのか上手く歩けず途中から明希が負ぶって歩く。町へ戻る頃にはすっかり夜は明けていて通りでは朝市が並んでいた。一先ずフェリシアを休ませる為に再び昨日の宿へ再チェックインする。
「とにかく少し身体を休めた方が良い‥」
そう言うと明希は眠るように促しフェリシアはそれに答えるように微笑んで目を閉じた。
「なぁ、本当に連れて帰るのか?」
暫くして寝息が静かな部屋に響くようになると海は小声で明希に確認をする。明希は無言でフェリシアを眺めたまま考え込んでいた。
「罠でも‥このままほっとけねぇ‥」
少しそのまま無言でいたがポツリとそれだけ返し静かに立ち上がると部屋を出ていく。海もまたそれに続いた。部屋を出ると階下へ行きロビーと言うには狭い空間にある椅子に腰を下ろす二人。
「フェリシアは俺が施設に入った時にいた仲間の一人だ
同じように化け物にされてその実験の末、仲間同士戦わされて‥彼女は俺が殺した‥」
宙を見たまま明希が話すとそれを聞いて海は目を見開いて明希を見る。明希は壁に凭れ掛かると溜息を吐いた。
「他にも俺達は何人も仲間を殺した
俺もサイファもマリーもジェイドも‥その結果生き残った
もし生きているなら‥助けるのは俺達の義務なんだ」
目の前に手を翳すと目元を覆いながら酷く疲れたような顔をした。恐らく今、明希はあの悪夢を走馬灯のように思い出しているのだろう。海はなんと声をかけて良いのか分からない。そんな時、明希のスマホが鳴り響く。明希はゆっくりと電話を受けた。
『おう、奴が動き出したぞ!
どうやらそっちに向かってる』
電話の相手はアレックスだった。
「こっちに?英梨香も一緒か?」
『ああ、あと執事風の奴や陰陽師くさいのまで数人居るぜ‥とにかく俺も後を追ってこれから日本を発つ
そっちへ着いたら連絡するから後で落ち合おう』
アレックスはそれだけ言うと電話を切った。かなり慌てている様子に明希は今起きている現状も話せないまま少し途方に暮れたようにスマホを眺め溜息を吐く。
「どうかしたのか?」
「英梨香達がこっちへ向かっているらしい‥どうやら暫く此処を離れられんな‥」
海が聞くと明希は答えてまた大きく溜息を吐いた後、何処かへ電話をかける。
「すまない‥マリーに繋いでくれ‥」
そう言ってから数分待った後。
「悪ぃが手が空いたらこっちへ回ってくれないか?
ちょっと問題が起きた‥詳しい事は来てから話す」
それだけ言うと電話を切った。
「さて、とりあえず飯でも食うか‥」
今置かれている現状を整理する時間が出来たせいか明希は少しホッとしたように言って立ち上がる。二人は食事を取る為に宿を出た。軽く朝食を取り戻るとフェリシアはまだ眠っていて二人は起こさないように目覚めるのを待つ。昼間際に海がテイクアウトでサンドイッチを買って帰るとフェリシアは目覚めて明希と楽しそうに話していた。
「美味しい
何だかこうしていると夢みたいね‥」
フェリシアはベッドの上で噛み締めるように味わいながらサンドイッチを頬張る。口から物を食べるのはどれくらい振りだろう。その様子を明希はただ微笑みながら眺めていた。少ししてから明希は自分達があの後どうなったのかを話し、海はただ黙ってその話を少し離れたソファで聞いている。
「そう、ジェイらしいって言えばジェイらしいわね‥」
フェリシアはジェイドの死について聞かされた後、ポツリと言って寂しそうに微笑んだ。傍にいた海はその話を聞き樹莉の性格に一人納得する。
「本当なら此処へ来たのもノアの関係施設を偵察する為だったんだが‥まさかこんな所で君に再会出来るとは思ってなかったよ」
明希が躊躇いながら言う。
「私もどうしてあんな所にいたのか‥確かベトナムの施設へ送るって言ってたのに‥
それに意識はたいてい有ったのに突然閉ざされたみたいに無くなってしまって‥私いったい何をされたのかしら‥」
返しながらまたフェリシアは不安そうな顔をした。
「大丈夫、心配しなくても俺が必ず守る‥少し用事があって今すぐは戻れなくなっちまったが用事を済ませたら一緒に日本へ帰ろう」
安心させるように明希はフェリシアに微笑んで見せる。
「うん、ありがとう‥
貴方もこれからよろしくね‥海」
フェリシアは明希に微笑み返すと海を見てから言った。
「こっちこそ‥まだ全然、頼りないけど俺も頑張るから心配すんなよ」
少し照れたように海は答え、束の間の穏やかな時は三人にとって細やかな幸せの時間となった。
デュラン達は空港に降り立つと一台のリムジンへ歩み寄る。
「どうも忙しいのにすいません殿下‥」
待っていたのはトラストで後方のドアを開けると乗るように促すがデュランはその場を動かない。トラストは一つ溜息を吐く。
「いや、もう日本に用は無かったのでね‥それより話は本当なのか?」
デュランは表情も無く淡々と尋ねる。
「ええ‥まぁ、たぶん大丈夫だと思いますよ
今、準備に入ってます‥つきましては‥」
何とも頼りない返事だがこういう言い回しをする時のトラストはかなり自信のある時だとデュランは理解している。言葉を切ったトラストに視線で先を促す。
「少々手荒い方法なんで件の陰陽師以外に護衛を一人か二人付けて頂きたいんですが‥勿論、奥方様には何の問題もありませんから安心して下さい」
その言葉に何も答えずデュランは英梨香と陰陽師らしき頭巾を深くかぶった和装の男を見た。すると二人は無言で頷く。
「では私はこれで失礼するよ」
デュランはそれだけ言い残すと英梨香と陰陽師らしき人物を置いて他の者と共にその場を去った。
「相変わらず連れない方だ‥」
トラストが小さく呟きながら少し微笑むと英梨香はそれをキッと睨む。おお怖と言わんばかりに肩を竦めトラストはリムジンに乗り込み後の二人も続いた。
「で、私達は何をすれば良いの?」
棘のある口調で英梨香が走り出したリムジンを合図に口を開く。
「だから僕の護衛だよ
さっきも言ったけどちょっと手荒い方法でさ‥流石に一人で行くのは怖くてね」
そう言うトラストは怯える処か楽しそうで相変わらず何を考えているのか捕え処が無い。
「もしかしたら君のお兄さんと戦って貰う事になるかもしれないけど大丈夫かな?」
一息入れてからトラストはいやらしく笑みを湛えながら英梨香に聞く。
「今は兄弟云々なんて関係ないわ
デュランの敵は私の敵よ!」
不機嫌そうに眉間に皺を刻むと相変わらずきつく返した。
「結構‥ではとりあえずシナリオが進むまで少しの間、別荘で寛いでいて下さいな
まぁ、一番厄介な君のお兄さんには相手を用意してあるから戦わずに済むだろうけどね」
英梨香の態度など気にするでもなくニマッと上機嫌で微笑むとトラストはシャンパンに口をつける。田舎町の街並みを超えてどんどん森深い場所へ進むと一軒の別荘が見え車はそちらへ走り去った。
食事の後また眠気を訴えたフェリシアを寝かせ明希と海はフェリシアの着替えを買いに出かけた。華美な服過ぎてこんな田舎町では目立つし何より動き難い。何か動きやすく目立たない服をと調達に出て適当な物を見繕ってから宿へ戻る。
「もしかして恋人だったりする?」
宿の前まで来ると海は何となく聞いてみた。
「大事な仲間だ‥」
足を止めるでも同様するでも無く明希は多くを語らずそれだけ答える。けれど他の者に対する態度と明らかに違う事は明白、海は意外な明希の一面を見た気がした。部屋に戻るとフェリシアはまだ眠っていて明希と海は物音を立てないように配慮しながら買ってきた物を置いてそれぞれ腰を下ろす。
「お帰り‥」
その気配に気付いてフェリシアはそっと目を開けて少し微笑み二人を見ながら言った。
「悪ぃ‥起こしたか?」
明希は優しく言うと微笑む。海は明希の態度や表情からやはり彼女に特別な感情を持っていると感じた。
「ううん、それより少し喉が渇いたの‥お水ある?」
フェリシアは言いながらゆっくり身体を起こす。
「ああ、水は無いけど紅茶ならあるよ
水の方が良いなら貰ってくるけど?」
海は道すがら買ってきた紅茶を見せながら言う。
「ありがとう‥それで十分よ」
フェリシアが言うと海はそれを渡した。
「飲みかけじゃないだろうな?」
少しムッとした顔で明希が海にそう言った。
「まだ口付けてねぇよ!
ってか今時おっさんかガキしかそんな事言わないだろ?」
「明希は初心な所があるからそういうの煩いのよ‥昔から女の子苦手だもんね」
海が言うとフェリシアはクスクス笑いながら返し明希はフイと照れたように顔を背けた。余りに意外な話に海は一瞬、吹き出しそうになったが明希に睨まれて堪える。
「でも本当に明希は昔のままね
あ、背はだいぶ伸びたみたいだけど‥皆にも早く会いたいな‥」
楽しそうに想いを巡らせながらフェリシアは紅茶に口を付けた。
「他の奴らも変わんねぇよ
サイファは相変わらず人見知りで無愛想だしマリーは喧嘩っ早いし‥
それより着替え買って来たんだが起きれるようなら着替えると良い‥その服は動き難そうだ」
明希はそれに答えると買ってきた服をフェリシアに渡す。
「ありがとう
確かに綺麗だけど私が着る服じゃ無いよね」
改めて己の姿を見ながら苦笑交じりにフェリシアが言う。
「別に似合ってない訳じゃない
綺麗だとは思うが‥今は動きやすさを優先した方が良い」
慌てて頬を染めながら弁明する。海はいつもと違う明希が面白くて仕方がない。どうやらかなり惚れているのだろうと安易に推測出来る言動に笑いを堪えるのが苦しいくらいだ。フェリシアはそんな事も気付かずそう言われ嬉しそうに着替えを持ってバスルームへ向かった。明希はフェリシアと再会してから一度も煙草を吸っていない。海は明希がフェリシアに一方的に惚れているのだと確信しつつあった。
「何だよ‥惚れてるなら言っちまえよ‥」
フェリシアの姿が完全に見えなくなったのを確認すると海は明希に言う。
「煩ぇ‥そんなんじゃねぇよ!」
少し頬を赤くしてムキになる姿は年より若く感じた。
「それより余計な事は言うなよ」
続けて釘を刺す明希を海はニヤニヤしながら眺めた。
「別に良いけど‥彼女がうち来るなら風俗は卒業だな」
揶揄うように言うと明希は面白くなさそうな顔で黙り込む。弱味を握られ明希は不機嫌で海は上機嫌だった。
「お待たせ‥」
暫くしてフェリシアがバスルームから出てきた。ついでにシャワーを浴びたらしくまだ髪が濡れている。
「ちゃんと髪拭かないと風邪引くだろ?
ほら、拭いてやるから‥」
明希は言いながら傍へ来るよう促すがスマホがまた鳴り響き舌打ち交じりに電話を取る。
『今どこにいる?』
相手はアレックス。
「古城の近くにある町に来てる‥空港から車で二時間ほどの場所だ」
明希はアレックスに自分達のいる現在地の場所を説明し始める。
『そうか、じゃぁ俺が仕事した村の反対側だな‥今、乗継の空港にいるんだがお前等のいる町の便に変更しよう‥あと3時間もあれば着けるだろうから空港まで迎えに来てくれ』
電話を切ると明希はゆっくり立ち上がる。
「すまない、少し出てくるからちゃんと髪は乾かしておけよ
あんたはフェリシアとここにいてくれ‥アレックスを空港まで迎えに行ってくる」
残念そうに二人に言った。
「お前がここにいろよ
迎えになら俺が行ってくるし‥」
「バカ言うな‥日本とは訳が違う
良いからあんたは此処に居ろ」
海が任せろと言わんばかりに立ち上がると明希は見え見えの気遣いに少し呆れ果てながらジャケットを羽織る。
「大丈夫だっつってんだろ?
それに俺が傍にいるよりお前がいた方が彼女も安心すんだろうが‥」
言い返しながら海が詰め寄った。
「だったら皆で行けば良いじゃない‥ね?」
「「ダメだ!」」
フェリシアが割って入るように言った途端に二人はステレオ放送のように返す。それを聞いてフェリシアは一瞬、呆気に取られたがすぐに笑い出した。
「本当に仲が良いのね‥」
そう言うと二人を見る。
「とにかく調子が戻るまではここにいた方が良い‥明日になればもう少し体調も良くなるだろうからそれまでは大人しく寝てろ」
明希がフェリシアに言うと海も同意するように頷く。フェリシアは言われると少し寂しそうに微笑んだ。
「それから迎えは俺が行く
変な気を回すんじゃねぇよ‥」
もう一度、釘を刺すと明希は部屋を出ようとしたが海はそんな明希の肩に腕をまわしグッと引き寄せる。
「良いからっ!
惚れてんだったらちゃんと伝えろよ!」
フェリシアに聞こえないように明希に言うとすぐに海は身を離した。
「せっかく再会したんだ‥二人で積もる話もあるだろ?
良いから俺に任せとけって!」
言い放つと明希の制止も聞かず小走りに部屋を出る。
「ったく、いらん気ばかり回しやがって‥」
明希が小さくぼやくとチラリとフェリシアは申し訳なさそうに明希を見た。
「‥まぁ、折角だから任せるとするか」
そんな彼女を安心させるように明希が微笑むとフェリシアは嬉しそうな顔をした。
しかし、いざ二人きりになると何を話せば良いのか分からない。明希はとりあえずもう一度ベッドに腰を下ろした。暫く何も話さないまま二人は視線も合わせず話題を探す。不意にフェリシアが何かを思い出してクスっと笑うと明希は彼女に視線を向けた。
「そういえば初めて会った頃、いつもこんな風だったよね‥」
クスクス笑いながら言うフェリシアが明希には昔と変わらず眩しく感じる。
「そうだったな、俺はまだ誰も信用出来なくて話しかけられても無視したりな‥
君が初めて俺に微笑みかけてくれた時、ようやく生きてる事を実感出来たよ」
明希は語りながらその時の事を思い出した。皆と同じようにしか見えなかった彼女の笑顔が鮮やかに映った瞬間、凍りついた己の心が少し解けた気がしたのだ。差し延べられた手を取ってようやく生きている事を実感したあの気持ちを思い出す。
「大袈裟ね‥ただ私は貴方と話したいと思っただけよ
だってあそこには心に傷を抱えた子供しかいなかったから‥皆、同じなんだって知って欲しかったのよ」
フェリシアは言いながら視線を落とすと静かに目を閉じ、明希はそんな彼女から目が離せなくなる。思えばあの時から彼女の事を好きだったのかもしれない。でもそれを口にする事は出来なかった。いつも彼女の視線はジェイドを見ていたからだ。明希はそれを思い出すと視線を逸らせる。
ジェイドは男女問わず人気があり、面倒見が良く優しかったし何よりいろんな面で優れていた。ジェイドはいつもサイファの傍にいてサイファもまたいつもジェイドの傍にいた。やはり二人も訳有りで同時に施設に入ってきたのだがそういうのは稀なので余計に絆が固かったのかもしれない。サイファが内向的で人見知りな分、社交的で人懐こいジェイドがそれをフォローする。周りから見ても良いコンビだった。そんな二人と仲が良かったフェリシアはよく一緒にいて皆はそこへ自然と集まる。いつも遠くから見ているだけだったその輪にフェリシアに導かれ、ようやく明希は徐々に心を開き始めた。その頃から明希はフェリシアがジェイドに惹かれていると気付いていた。自分の気持ちを隠す為に前髪を伸ばし、特別な感情を殺して良い友人を装う。その内に明希は持ち前の性格でジェイドと同じように皆に慕われるようになった。
「でも俺にはその気持ちが嬉しかったよ」
明希は懐かしさと切なさを思い出しながら答える。ジェイドがいなくなってもきっとフェリシアは彼を想い続けるだろうと思った。だからやはり想いを告げる気にはなれない。
「私も‥明希が答えてくれて嬉しかった
それにずっと私の事支えてくれて凄く心強かったの‥だからあまり会えなくなった時は辛かったな‥ずっと心細かった」
フェリシアは言うと閉じていた眼を開けて明希を見る。
「本当はね、あのまま元の施設にいる事が出来てたら明希に言いたかった事があるんだ」
少し照れたように頬を染めてフェリシアが言葉を切ると明希は視線を合わせた。
「もしね‥この先、施設を出る事が出来るなら私‥明希と一緒にいたい
そう言いたかったの‥」
突然の告白で明希はそのまま固まるがすぐに口元を抑え同じく赤面しながら勘違いしそうな自分を諌める。
「そ‥そうだな‥
皆で暮らせばきっと楽しかったろうな‥」
視線を逸らしつつ精一杯そう答えてはみたが返事としては成立していない。
「そうでなくて!
その‥誰より明希と一緒にいたいって‥思ったの‥」
フェリシアは真っ赤になって言い直すと明希はポカンと口を開けてフェリシアを見る。
「あ‥その‥君はジェイが好きなんじゃなかったのか?」
ようやく我に帰り真っ赤な顔を背けて明希が返すとフェリシアも居た堪れなくなったのか顔を背けた。
「ジェイは‥いつも相談に乗ってくれてたの
明希の傍にはいつも誰かいたから告白する機会が無くて‥その内にあんな事になっちゃったから‥」
そこまで言うとチラリと明希を見るが顔を背けたままフェリシアを見る事は無かった。ずっと勘違いをしてきた恥ずかしさと想いを伝えられなかった悔しさで目頭は熱くなる。
「明希?」
何時までもこちらを向かない明希を不安気に見ながらフェリシアが声をかけると明希は顔を上げ空を仰いでから息を整えてゆっくり振り向き少し微笑んだ。
「俺も君と一緒に生きていきたい
この先、何があっても傍にいてくれるか?」
躊躇いがちに言いながら明希は手を差し出す。遅くても本当の気持ちを伝えたい明希のこれが精一杯だった。フェリシアは頷くとその手を通り越して明希に抱きついた。明希はその温もりと幸せを噛み締め、全てを愛おしむように抱きしめる。今まで辛かった事もこの先の過酷な現実もフェリシアさえいれば怖くない。ようやく二人の想いは重なった。