不穏な協力者
翌日ラウンジで織彩を囲んでノアについての情報を聞き出そうとミーティングが行われる。
「私も実験体扱いだったから詳しい事はよく分からないけど最近別の施設から新しい人が来て共同で研究をする事になったの‥私が育成した検体DaCK、FiA、MtⅬ、RoKはDaCK‥つまり樹莉君を除いて全て成体になった
でも他で育成してた検体は結局、上手く行かなかったらしいの
そんな時に新しい科学者が入ってきて、別の方法で新しいタイプの検体を作り出したって‥どんな方法か実際にこれから共同で始める所だったから分からないけど資料によればヴァンパイアの血を手に入れたとかでそれをベースにしてたみたい」
織彩が話すとみんな重い表情になった。また新たな力と研究者を向こうは手見入れたという事なのだから尚更だ。
「困りましたね‥龍とヴァンパイアでは全く力の性質が違う
主要個所の結界を張り直さなくてはいけませんね‥」
東條は深刻な顔で呟く。
「どう違うんだ?
どっちも同じようなモノじゃないのか?」
一番先に海がそれに返す。
「龍が陽の力だとするとヴァンパイアは陰の力‥この世には陽の性質を持つ聖獣や精霊に対して陰の性質を持つ魔族と呼ばれる類の鬼やヴァンパイアがいます
妖怪もこのどちらかに分類されますね
陽のモノは司る物質の力を借りて武器とするのに対し陰のモノは物質を従属させ武器にします
従属させるのは人であったり物であったり様々ですが複数従属させればそれだけ力は衰えますし本体にダメージがあれば従属が解けるのも特徴です
言わば本体の質の大きさに左右される不安定な力ですね
その点で言えば貴方達の方がより強力であると言えます‥ただ‥」
そこまで言うと東條は言葉を切った。
「ただ?」
ミシェルが考え込む東條に先を促す。
「ただ、私も専門外なので詳しくは知らないのですが始祖といわれる強力なヴァンパイアの血統というのがあるそうです
何度かヴァンパイアと対峙した事は有りますがどれも左程、力のある者はいなくて‥その血の持つ力が如何ほどのモノなのかは私には想像できません」
東條が話し終えるとそれぞれに俯いたり溜息を吐く。
「その新しい奴が持ってきた資料とか見て無いのか?」
明希が織彩に聞くと織彩は少し考え込む。
「うん、少しだけは見せて貰ったけど確かに科学的に見ても全く性質は違ってた
たぶんエレメンツと掛け合わせたら力を相殺し合いそうな感じだったかな?
その時点では龍の鱗の力と五分五分みたいに見えたけど‥実績はあったからその人の研究者としての能力は凄く高いと思う
ただ凄く気まぐれな人みたいであの日も実験に参加する筈だったのに来て無くて他の人達が怒ってた
研究も急に進めたり中途で止めたり、いい加減みたいだし‥」
難しい顔で答える。
「気まぐれで遅れが出るのはこっちにとっちゃ好都合だが新しい能力となると対処法が分からんな‥向こうにはエレメンツロイドもいるし頭が痛いぜ」
明希は溜息交じりに言うと宙を見上げた。重い空気が皆の間に漂う。
「‥そう言えばこの間、海と街に出た時に奇妙な奴を見た」
沈黙を破るようにサイファが口を開く。
「え?そんな話言って無かっただろ?」
「気配は異質だったがそれほどの力を感じた訳じゃ無いから話さなかっただけだ」
海が驚いたようにサイファを見ながら聞くとサイファはチラッと海を見て表情を変えるでもなく返す。
「どんな奴だった?」
明希が短く被せた。
「顔は日本人だったが髪は金髪、少し先が赤みがかってる感じで瞳は金色、染めたりコンタクトをしている訳じゃ無かった
俺達とは気配が違ったから施設の奴じゃないだろうが‥警戒心も無かったしこちらを探って来る様子も無かったが何かしら力は有していると思う
人間の気配でも無かったからな」
サイファは簡潔にその特徴を話す。
「あ、そう言えばそんな子と擦れ違ったよ!
今時の女の子って感じの子だったかな‥可愛かったから覚えてた」
思い出したように横から海が言うと皆は少し呆れた顔で海を見た。
「可愛かったからって‥そこかよ‥」
明希は呆れながら溜息を吐く。
「これだから男って‥ねぇ‥」
遠い目をして紫苑が続けた。一気に重い空気が消える。
「だっ、だって仕方無いだろ?
本当に可愛かったんだからさ!」
その空気感に海は慌ててそう弁明した。
「で、あんたはその可愛子ちゃんから何か感じなかったか?」
期待して無いけれどと前に付きそうな感じで明希が聞く。
「別に‥可愛いなって事と高校生くらいかなって事くらいで‥そう言えばお前にどことなく雰囲気似てたかも?」
とにかく特徴を細かく思いだそうとするがやはり容姿しか思い出せない海は取り繕うのに必死だ。期待通りの答えに皆は深く溜息を吐く。
「金髪なら皆こいつに似ているように見えるだけだろう?
単細胞には付き合いきれないな」
呆れながらサイファが立ち上がる。
「そう言えばこの間のデータの事だけどちょっと相談があって‥ちょっと良い?」
紫苑も織彩に言いながら立ち上がり場は解散ムードになった。海はサイファに言い返す事も出来ず己の不甲斐無さに心で泣く。
「ま、あんたも訓練頑張れや‥」
ポンと海の肩を叩いて明希もラウンジを後にする。東條は少しかわいそうなモノを見るような目で海を見る。
「とにかくせっかく体調も戻ったので訓練‥続けましょうか?」
苦笑いを浮かべて言うと海はそれに頷き東條に続いてラウンジを後にした。
呑み屋街が賑やかになった頃、陸は勤務を終えるといつもは利用しない繁華街の居酒屋へ足を運ぶ。のれんを潜り店内を見回すとカウンターの隅で一杯やっている中年男性の隣に腰を下ろした。
「具合はどうだ?」
中年男は陸を見ようともせず焼酎をすすりながら呟く。
「まだ慣れるには程遠いですけど何とかやってます
それよりこの間の件の‥」
陸も男を見ずに返すとコソッと男に何か渡してカウンター越しに生ビールを注文した。男はそれを受け取るとポケットに捻じ込んだ。
「今度、転勤になるのでチャンスだと思ってます」
「気をつけろよ‥所長は向こうの息がかかってるしコーディネーターも出入りしてる
見つかったら俺等はあんたが捕まる前に殺らなきゃなんねぇ‥」
陸はジョッキを受け取りながら言うと男は溜息交じりに答え、焼酎を煽る。調整の後、陸がコーディネーターに連れられて病院に向かう道すがら自分も戦うと申し出ていた。無論、海には内緒であくまで裏方として情報収集を主とする人員としてだ。陸もまた海を守るために何が出来るのか考えていた。
「協力者が増えるのは嬉しいのだが海君はそれを望まないだろう?」
「俺も海を守りたい‥それに不安を抱えて生きるより打って出る方がいくらか健全な生き方であると思います
職業柄、俺は役に立つと思いますよ?」
見舞いの席でヒューバートは陸にそう言ったが心配無用と言わんばかりに微笑んだ。
「ふむ、良いだろう‥ちょうど君に適任のコーディネーターがいる
その人物から指導を受けてくれたまえ‥」
ヒューバートがにっこり微笑み陸の元を後にした数日後、陸の前に現れたのはよく見知った人物だった。それは刑事がよく利用する情報屋、利用した事は無いが何度か顔を合わせていた。陸はその男に必要な情報の選別の仕方や当たりの付け方を学ぶ。だいたいは刑事の仕事と似通っているがやはり見えない組織である分、その難しさは格別だった。
「あんたは能力者な分あっちのコーディネーターに悟られやすい‥だから対象に近付く時には絶対に力は使うなよ
たいがいあっちのコーディネーターは名の売れた呪術師かエクソシストだ
俺みたいなちょっと霊感が強い程度の輩じゃねぇ‥まぁ、俺みたいなのがコーディネーターやってる方が稀だ
俺達側のコーディネーターはいろんな奴がいるが向こうはボディーガード兼責任者だからな‥一般人だと思わん方が良い
俺達なら逃げ切れる相手でもあんたには無理だと考えとけ‥混ざりモノは呪から抜けるのは難しいからな」
始めの頃に陸は男からそう言われ呪術の気配というのがどういうモノなのか肌で感じようとそれらしい人物と接触を図る。街の占い師から祓い屋‥何げなく仕事の合間に多くの人間と接する機会を持つようにした。その内に似非か本物か分かるようになり、その力の差も少し感じ取れるようになると、この男もちょっと霊感が強い程度と言いながらかなりの力の持ち主だという事も分かった。
「俺は祓い屋でもなきゃ呪術が使える訳でもねぇが相手がそういう人間かどうかってのは分かる
あんたがこの薬を飲んでる限りは俺達にゃ気配は掴めんから大丈夫だろ」
男は話の最後にそう言った。
「たぶん大丈夫でしょう
これでも演技派なもんで‥」
陸はジョッキを空けるとお代りを注文しながら返す。
「確かにタヌキのあんたにゃ打って付けの仕事かもな‥こうして話すまで俺ぁ、あんたは堅物なただのエリートだと思ってたぜ
おまけに肝も座ってやがる」
それを聞くと男は噴き出すように笑って背中を丸めながらそれを収めるようにまた焼酎をクイッと飲んだ。
「そりゃどうも‥」
陸は返し暫く二人で呑んで男は勘定を済ませると千鳥足で店を出た。陸は暫く一人で呑んでいたがふと思い出したようにスマホを取り出すと時間を確認して店を出る。
「ああ、ごめん‥少し用事で遅くなって‥
うん‥今から帰るよ‥」
キンと冷えた夜空を見上げながら陸は電話の向こうにいる誰かに向かって話す。その顔はとても穏やかだった。
その頃、箱庭ではようやく明希が自由に身体を動かせるようになり海は相変わらず訓練に四苦八苦していた。
「チョイ休憩‥もうダメ‥」
「そうですね、今日はここまでにしておきましょう‥」
海は息も絶え絶えに言うと東條はにっこり余裕の表情で微笑んで返す。それを聞くとその場にへたり込んで息を整える。あれから格段に進んだ訓練で海の戦闘能力は十分実戦で使える程になっていた。後は苦手な細かい調整をする事が出来れば明希達と共に戦闘に加わる事も可能だろう。今はその細かい部分の訓練中なのだ。
「なぁ、今更なんだけどこの部屋ってやっぱりかなり強力な呪術とか掛かってんの?」
まだ荒い息を整えながら海が聞く。
「ええ、この施設に関する呪術は私が統括して行っています
普通の術者ならこれを破る事は出来ないでしょうね
まぁ、そのお陰で私はここを離れる事が出来ないんですが‥」
相変わらずニコニコしたままあっさり東條は返したが海は改めて東條の凄さを実感する。いくら攻撃してもびくともしない壁や天井、それだけで無く施設全体を覆う結界や細々とした防壁の数々からセンサーに至るまで膨大な数だ。
「あいつら以外にも弟子いるんだろ?
手伝って貰えば良いんじゃねぇの?」
海は息を整えるとゆっくり立ち上がりながら言う。
「残念ながらこれほどの規模となると普通の陰陽師では無理なんですよ
鬼子の力を持つか憑依体でもない限りは一月と持たないでしょうね」
「って事は普通の人間じゃないって事?
俺達と同じだったり?」
東條が答えると訝しげな顔をして更に続ける。
「私は元鬼子なんですよ」
サラッととんでもない告白をする東條に呆気にとられる海。
「私の母は巫女でしたが歪んでいましてね
力を得る為に鬼人の子を宿してその力を取り込もうとしたんですよ
しかし鬼子の持つ力に逆に取り込まれて自我を失い狂気に堕ちながら母は私を生み落としました
もはや人の道を外れ、人成らざる身になった母を退治したのが私の師です
師は私を哀れに思い力を封じましたがやはり肉体が耐えられなくて成長出来ずに腐り落ちてしまいました‥腐り落ちてもミイラ化した状態でまだ現存するのですがね
思念体になった私は師の計らいで師の知人の母胎に宿った命に憑依したんです
2人目の母なのですが憑依体しか産めない体質で私のような子が数人いるんですよ
お陰で私もこうして普通の人間の身体に落ち着いていられるという訳です
ですがやはり名残がありまして普通の陰陽師では出来ない事が易々と出来るんで重宝してますけれどね」
呆気に取られる海にやはり平気な顔で続ける東條、それを聞いて海の表情は見る間に変わり視線を逸らせた。
「どうしてここの奴らはみんな平気な顔でそんな辛い事を話せるんだよ‥」
少し泣きそうな顔で海は言う。
「それは今が幸せだからですよ‥強がっている訳でも無理をしている訳でも無いんです
辛い事を乗り越えたからこそ今、ここで生きている幸せを感じ取る事が出来るんです
貴方にもいずれ分かりますよ」
東條は相変わらず微笑んで少し慰めるように答える。海はそれを聞くと改めて本当の強さというものを知った気がした。
『おい‥ちょっと出れるか?』
強化ガラス越しに明希がマイクで声を掛けてきた。二人は明希の方を見ると顔を見合わせてから頷き訓練室を出る。
「悪い東條、こいつ連れてちょっと出る」
出てきた二人に明希が言う。
「構いませんよ
今日の訓練は終わりましたから‥」
東條は答えると海に微笑んでからその場を後にした。
「何だ?どこか行くのか?」
「ああ、ちょっと人出が欲しいんだ
付いてきてくれ‥」
汗を拭いて海が聞くと明希はスタスタと歩き出す。海がその後ろを着いて行くと格納庫へやってきた。格納庫では既にサイファが待っている。明希が乗るよう目配せすると二人はそれに乗り込み、車を走らせるながらポケットからアンプルを取り出し渡す。
「さっき知り合いのエクソシストから連絡があった‥どうやら吸血鬼関連の輩がこっち方面にいるらしい
詳しい話を聞くついでに関連会社に偵察に入るからそのつもりでいてくれ」
「ちょ‥お前まだ動けるようになったばっかだろ?
他の奴に任せて寝てろよ!」
それを聞いて海は噴き出しそうになったアンプルを慌てて飲み込んで怒鳴る。
「うっせ―な、もう平気だよ‥それに今回は戦闘にゃならんだろうしエクソシストも付いてる
あんたさえ下手踏まなきゃどうって事ぁ無いんだよ」
相変わらず拍子抜けしそうな声で明希は鬱陶しそうに返す。海はそれでも納得出来ないという表情で明希を睨んだが構わず無視して運転を続けた。三人は指定された街まで来ると適当なコインパーキングに車を停め商業ビルに入る。中はたくさんの店舗が在りかなり賑やかだ。屋上まで来ると親子連れで溢れかえっていて、どうやら子供向けのイベントでもあるらしい。
「おい、まさかヒーローショーでも見るつもりなんじゃ無いだろうな?」
ひっそり聞く海は辺りをかなり気にしていた。どう見ても場違いな男三人組はその中で格段浮いている。
「見たいならあんた見てるか?」
気にする風も無く明希が答えると海は少し眉間に皺を寄せた。
「そうじゃ無くてだな‥」
怒ったように言いかけて何かの気配に言葉を飲み込んだ。明希とサイファもその気配に気付いて視線だけで辺りを見回す。
「こっちか‥」
明希は言うと舞台の設置された方と逆の喫茶店側へ歩き出し、二人も無言でそれに続く。野外喫茶店の前にはパラソルとテーブルセットが並べられていて寒さのせいか人はまばらにしかいない。その一つに黒ずくめの人影があった。明希は溜息を吐くとその人影へ歩み寄る。
「あんた相変わらず頭可笑しいんじゃないか?」
明希がその人物に声を掛けた。
「なに、こういう場所の方が返って目立たなくて良いんだぞ?」
黒ずくめの男はニッと笑って返すと明希を見た。歳の頃は髭のせいで老けて見えるが三十代半ばといった感じだろうか、栗色の髪に口髭と垂れ目の下の泣き黒子が印象的だ。明希とはまた違った軽い口調に海とサイファの緊張が少し解れる。
「で?
話もここでしようってんじゃ無いよな?」
「はっはっは、流石に俺もそこまで無神経じゃないさ‥まぁ、とにかく座れや
せっかく久しぶりの日本なんだから平和的情緒ってもんを楽しませろよ」
明希が呆れながら聞くと男は大声で笑いながら少しオーバーアクション気味に返し席を進める。向こうではヒーローショーが始まり子供達の歓声が上がっていた。
「あ!さっきのおじちゃんだ!!」
子供の一人がその黒ずくめの男に気付いて叫んだ。男は子供に微笑みながら手を振るとその指先から花を出した。子供はそれを見てヒーローショーそっちのけで男に駆け寄って来る。
「ねぇねぇ!また風船出して?」
「ごめんよ‥おじちゃん大事な用があって今は出せないんだ
これで我慢しておくれ」
強請る子供に男はその花を握り込むと飴玉に変えて子供に差し出す。
「わぁ‥ありがとう!」
子供は嬉しそうにそれを受け取るとまた両親の方へ向かって駆け出し、遠くにいた両親は男を見ると会釈をした。
「相変わらず器用なもんだ‥最近の神父は手品もカリキュラムに含まれんのか?」
「まぁ、貧乏教会やってるとこれくらいは出来んと経営に差し支えるからなぁ」
明希が聞くと顔で笑いながらシビアに男は返し一気に現実的な話になる。
「あんたの教会の話はいい‥それより本題に入りたいんだが‥」
明希が男を急かす。
「全く相変わらず君はせっかちでいかんねぇ‥もっと余裕を持って生きた方が良いぞ」
溜息交じりに男は言うとゆっくり立ち上がる。「来たまえ‥」
明希を見て言うと歩き出し三人はそれに付いてビルの谷間にある小さな教会にやってきた。教会に入ると擦れ違う教会関係者達が深々と男に頭を下げる。男が高い地位にあるらしい事はその仕草で理解出来た。
「悪いが人払いを‥」
男は関係者らしい人間にそう言って一つの部屋に入る。部屋の中にはたくさんの資料が収められた本棚と応接セットがあるだけだ。そこにドカッと腰を下ろす。
「悪いがこの件に関しては俺も首突っ込ませて貰う
ちょっと知り合いが絡んでるんでな‥場合によっちゃお前等まで手が回らんから自分の身は自分で守ってくれや‥」
言いながらソファへ座るよう促す。
「そりゃこっちにも好都合だが‥じゃぁ詳しい話を聞こうか‥」
腰を下ろしながら明希が聞くと海とサイファもそれに続いた。
「つい最近、俺は依頼を受けてある村の悪魔払いに向かった
それ自体はたいした事じゃ無かったんだがその村人の一人が奇妙な事を言っててな‥近くに古城があるんだがそこで食い殺されたような遺体を見たそうなんだ
だが警官と一緒に戻った時にゃ、遺体も血痕も無かったんだとよ
いつも呑んだくれたような爺さんだから夢でも見たんだろうって笑ってたんだが気になって行ってみたんだ
そしたら妖気がバンバン立ち込めてやがった‥ただの悪魔憑きの妖気なんてもんじゃねぇ
その妖気の元を探したが結局見つからず、ともかくその場を浄化して村へ戻ったが翌日またそこを訪れてみりゃ元に戻ってやがった
それで気付いたんだ‥アレはヴァンパイアのマーキングだ
しかも犠牲者じゃ無くオリジナルだってな‥恐らく爺さんが見た遺体はその眷属の喰い残しだろう
何かしらの意図があって施したマーキングならまた戻ってくると踏んで俺は別件の依頼を消化する間、知人にその場所を張らせた
無論、相手が相手だ‥何があっても手は出すなときつく言っておいたんだが‥」
そこまで言うと男は視線を落とした。
「やり合ったのか?」
明希が聞くと男は無言で頷く。
「俺が駆け付けた時には虫の息だった
だが手掛かりは残してくれたよ‥こいつが知人の思念から引っ張ってきたものだ」
男は言うと胸のポケットから写真を数枚取り出した。そこにはまだ十代後半らしい青年と化け物、そして眼鏡を掛け白衣を着た男と金髪の先が赤みがかっている女性の後ろ姿が映し出されている。
「あ‥これ‥」
その女性の後ろ姿の写真を見て海がサイファに視線を送った。
「間違いない‥たぶんこの間、見た女だ‥」
サイファも同意する。
「やはり日本に来ていたか‥その青年がおそらくヴァンパイアだろう
黒髪に金の瞳‥文献と符合する
その化け物はお前らが追ってるモノと類似しているだろう?
女は犠牲者かそれともお前達と同類かは分からんが白衣の男は科学者だろうな
白衣の男はこの企業に関係しているようで、ある懇親会で関係者と話していたという情報を得てる
たぶんこの企業を探れば何か出てくるだろう‥お前さん達がこの辺りでこの女を見たってんなら尚更な」
男は更に何かを取り出すとテーブルの上に置きながら続ける。明希は男が出した紙切れを手に取ってみた。それはその企業の役付きの名刺だ。
「繋ぎは取ったって事か?」
明希が名刺から男に視線を戻して聞く。
「まさか‥少し失敬したのさ
向こうに手掛かり残すほど迂闊じゃないぜ」
男は冗談交じりに返すと表情を崩した。
「最近の神父はスリも必須条件か?」
明希が少し呆れた含みを込める。
「人聞きの悪い事言うなよ‥借りただけでちゃんと用が済めば返すさ
それよりこの企業、研究室とは別に事務所ビルを所有してて、それがこの二つ隣の区画にあるんだが深夜にゃ警備員だけ残してもぬけの殻になる
しかしセキュリティーが厳しくてな‥それをそっちが何とかしてくれりゃ事は簡単に運ぶんだが‥」
「ま、それは任せろ‥ただし結界関連はあんたに任せるからそっちはしっかり頼むぜ」
男が笑いながら言うと明希は溜息交じりに返した。
「おう、それよりいい加減そっちの男前、紹介して貰っても良いか?」
男は海とサイファを見ながら明希に言う。
「そっちはサイファ‥こいつは海、こいつらはノーマルだから手ぇ出すなよ?」
簡潔に二人を紹介すると意味深な言葉を含めて明希はソファに凭れた。
「今更だが俺はアレクサンドラ・ガードナー‥アレックスで良い
イギリスの田舎町で小さな教会の神父をやってる」
アレックスは微笑みながら自己紹介すると握手を求め、海はそれに応じたがサイファは目も合わせなかった。
「それよりお前、何かさっきから気配が安定して無いな‥久しぶりに俺に会って緊張してんのか?」
明希をチラッと見てから少し茶化すように続ける。
「うるせぇ、大きな世話だ‥それより日が落ちるまで用が無いなら俺達は一旦引くぜ」
「君等は適当に時間を潰して来ると良い‥俺はこいつともう少し話あるから‥じゃ!」
明希が立ち上がると空かさずアレックスはそう言って無理やり引っ張って行く。
それを呆然と見送ると仕方なく二人は教会を後にした。
日が落ちて教会へ戻って来るとアレックスは十字架の前で祈りを捧げていた。静かに二人はその背後に歩み寄ると辺りを見回す。
「あいつは今、熟睡中だ‥」
二人を見ずそのまま十字を切りながらアレックスは言うと振り返る。
「あいつ動くのがやっとみたいなんで少し眠って貰った‥偵察には俺とあんたらだけで行きたいんだが構わんかね?」
「俺はあんたを信用した訳じゃない
明希に会わせて貰おう」
アレックスが不敵な笑みを浮かべて言うとサイファは表情も無くそう返す。困ったようにアレックスはやれやれと肩をすくめてから二人を連れて先ほどとはまた別の部屋まで来るとドアを開けた。部屋には簡素なベッドとサイドテーブルがあるだけで他は何も無く明希はそのベッドにうつ伏せで眠っている。表情は少し気怠そうな感じではあるが穏やかだ。その姿にサイファは赤面し、海は視線を少し逸らせた。何も着ずシーツだけ纏っていてまさに情事の後、気を失うように眠ったかのような姿だったからだ。
「気が済んだかな?」
言ってアレックスはドアを再び閉めた。
「いやいや、本当に警戒心が強くて隙を付いて呪を掛けるのが大変だったよ
会ってすぐ調子が悪いのには気付いていたんだがあいつは言っても聞かないだろう?
まぁ、その辺は付き合いの長い君達の方が知ってるだろうがね」
そして礼拝堂の方に歩きだし愉快そうに笑いながらアレックスが言うと二人は至極、気不味そうな顔をする。明希に個人的な知り合いが多い事はそれなりに熟知していたがまさかそういう関係だとは思いもしなかったからだ。
「さて、とりあえず本題なんだが‥」
礼拝堂まで戻って来るとドカッと椅子に腰を下ろしてアレックスが口を開く。
「君等の組織の事は明希から聞いてだいたいは知っているがぶっちゃけ俺達には関係無い
俺達が追ってるのはあくまでヴァンパイアだけで、こちらとしてもややこしいのはご免だからさっきの化け物に関しちゃノータッチで行きたい
無論、そっちの案件にヴァンパイアが関係しているなら協力するし資料も提供しよう
その分、君等もこっちに協力して貰う‥内緒事は無しだ
今回はあくまで利害が一致するから仮初の共闘だって事は理解しておいて貰おうか」
続けてシビアな事を言うアレックスの表情はどこか余裕さえ伺える。二人は内心、本当に頼りになるのかと少し不安を覚えた。
「良いだろう
ただし使い物にならなければ切り捨てる」
サイファは挑戦的とも取れる返事をする。
「そりゃお互い様だ‥こっちだって命張ってこの仕事してるんでな
君等が俺の足を引っ張ろうもんなら見捨てさせて貰うさ」
惚けた表情でアレックスは厳しい答えを出した。二人の駆け引きに海は言葉も出ない。
「まぁ、あんたは肝が据わってそうだがそっちのくせ毛は怪しいな‥海って言ったか?
あんた実戦経験無いんじゃないのか?」
サイファから海に視線を移しながらアレックスが言う。
「確かに実戦は経験無いけど足は引っ張らない‥ようにする」
海はその惚けた表情から放たれる眼光の鋭さに一瞬、言葉を失うが何とか虚勢を張ってそれだけ返した。
「まぁ、今回は偵察程度だ‥そんなに硬くならなくても大丈夫だろ」
言うとアレックスは立ち上がり出口に向かって歩き始める。
「それより明希はいつ目を覚ます?」
サイファがその背中に問う。
「そうだな‥身体に施したマーキングが消えりゃ目を覚ます
俺達が戻る頃には起きるんじゃないか?」
アレックスは顔だけ振り返ると少し笑みを浮かべて答えた。それを聞くと二人は何となく視線を泳がせてからアレックスに続く。
「この近くに良い雰囲気の店があってな‥そこで食事でもしながらもう少し話そうか‥」
「まず対象のビルだ」
アレックスが言うとサイファは反論する。
「まぁまぁ、とりあえずゆっくり食事をしようじゃないか‥どの道まだ時間が早過ぎる」
ふざけた口調でそれに返すとアレックスはあるビルの最上階へとやってきた。そこは半分以上が展望レストランになっていて辺りのビルが一望出来る。
「予約していたガードナーだが‥」
店員に言うと一番見晴らしの良いテーブルへと案内された。そして席に着くとワインが運ばれてきてグラスに注がれ、サイファと海は少し戸惑いながらそれを見ていた。並べられた沢山のフォークやナイフに海は気後れながら辺りを見回す。皆それなりにキチンとした服装でラフな格好をしているのは自分達だけだった。
「こういう所は初めてか?」
アレックスが聞くと二人は少し顔を見合わせて沈黙する。
「まぁ、社会勉強だと思って楽しみたまえよ
それよりそこのビル‥例の会社だよ」
アレックスは言いながら目の前に聳えるビルに視線を移し、それを聞くと慌てて二人もそちらへ視線を移した。
「此処からだと多少、中が分かるだろう?
丁度ここと同じ階層に社長室やら重役の個室が固まっている‥今はブラインドで所々目隠しされているが大まかに探りを入れるとしたらこの辺りだと踏んでる」
少し声のトーンを落としてアレックスが続けるとサイファはアレックスに視線を戻して小さく頷く。
「そんなにガン見してると怪しまれるぞ?」
茶化すようにアレックスに言われ海は少しハッとして顔をテーブルに向けた。どうも興味の対象には夢中になるらしく時折、立場を見失う。三人はそれからゆっくり食事をとりながら細かい作戦を練った。打ち合わせが終わる頃にはビルの灯りはほとんど消え、三人は店を後にすると対象のビルの前まで来る。
「正面は御覧の通り営業時間外は完全封鎖されていて夜間はこの裏手の通用口から社員が出入りしている
そこに警備室やらがあって警備員はいるが巡回するのは9階までで10階より上の階は防犯カメラとセンサーだけという話だ
それさえクリアすれば心置き無く資料を覗き見る事が出来るんだが後は問題の侵入経路だ
さっき話した通りまずはセキュリティーをどうにかせんといかん」
アレックスが言いながらサイファを見るとサイファはスマホを取り出し何処かへ電話した。
「ああ、悪いが今から言うビルのセキュリティーにダミーを流してくれ‥」
淡々と用件を説明すると電話を切る。
「あのさ、上の方なら屋上から入れば早いんじゃないか?
さっきの店があったビルの屋上から飛び移るとか‥」
海が提案すると二人は呆気にとられたように海を見た。食事をしたビルと対象のビルの間には大通りが有りかなり距離がある。
「まぁ、悪い話じゃないがそりゃ無理だ‥俺達ぁスーパーマンじゃないからな」
「まだ人を運ぶのはやった事無いけど多分、出来ると思うぜ‥」
苦笑しながらアレックスが言うと海は少し自信有り気に返す。それを聞くとアレックスは困ったように頬を掻いた。
「やってみよう‥」
表情も変えずサイファはさっきのビルへと引き返す。
「お‥おい!マジかよ!?」
アレックスは青褪めながら言うが海の自信有り気に微笑む顔を見て観念したのかトボトボと大きな溜息を吐いてから二人に付いて行った。そして先ほどのビルの屋上までは最上階から非常階段を使い、辿り着いたが案の定、屋上に繋がるドアには施錠されている。しかしそれをアレックスは難なく解錠して三人は屋上へ出た。
「最近の神父はピッキングも必須なのか?」
それを見て呆れながらサイファが明希を真似て突っ込んだが軽く笑ってスルーされる。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
念を押すようにアレックスが言いながらビルの下を覗き込む。地上20階の高さはかなり背筋を寒くした。
「大丈夫だって‥それより悪いけど結界張って貰って良いかな?
俺、外で力使うの初めてでさ‥」
苦笑いを浮かべて海が言うとアレックスの背筋はますます寒くなる。
「しゃぁねぇな‥」
腹を決めてそう言うとアレックスは何か呪文を唱えポケットから小瓶に入った液体を出して四方に巻きながら歩く。すると円形に淡く光り始め三人を包んだかと思うとそれはスゥっと消えた。
「これで俺達の半径20m以内でなら力を使っても術者に悟られんし外部にその力が漏れる事も無い‥とりあえずこっから落ちるのだけは勘弁してくれよ」
少し顔を強張らせながらアレックスが言うと海は了解と少し微笑んでから床に手を付いた。すると旋風が巻き起こりそれは瞬く間に大きくなってふわりと三人を持ち上げ、まるでスカイダイビングのように風に乗って難なく目的のビルの屋上へと舞い降りる。
「すげー‥君等はこんな事も出来るのか‥」
アレックスは恐怖と感動で少し呆けた顔で海に言う。
「はは‥上手くいって良かった
ちょっと緊張でやばかったかも‥」
やった本人にそう言われてアレックスは言葉を失うと青褪める。サイファは別に動じていない風だが内心かなり冷や冷やしたのか小さく溜息だけ吐いた。
「んじゃ、とりあえず無事に侵入出来たんで先に結界張っちまおう」
自分を誤魔化すようにアレックスはそう言いながら懐から紙の束を出す。
「さっき張った結界じゃダメなのか?」
「さっきのは力を閉じ込める結界で今から張るのは言ってみりゃセンサーだな‥誰かが俺達の行動半径内に入れば分かるようにしておく為のモノだ
無論、俺達が侵入した形跡も結界を解けば跡形も無く消えるって寸法でこれを使えばかなりの術者でも俺達が侵入した事を知るのは難しいだろうな」
海が聞くと自身満面に答えながらアレックスは紙の束に何やら呟きそれを頭上高く投げた。するとそれらは散り散りに飛んでビルの要所を囲むようにして貼り付く。アレックスは結界を確認するとビルの入り口にかかる鍵をまた難なく開ける。三人は明かりの落ちたビルへとまるで自宅に帰るような素振りで入って行くのだった。
シンと静まり返った部屋で明希は眼を覚ますと気怠そうに辺りを見回す。
〈チッ‥やられちまったぜ‥〉
心の中で吐き捨てるとまだはっきりしない感覚を取り戻そうとしながら身体を起こした。まだ完全に呪が抜けていないせいか身体がギクシャクする。何とか服を着終えると溜息を吐いてから部屋を出た。スマホを取り出して皆の位置を確認しながら歩くがまだ如何せん身体が思うように動かない。壁に凭れ掛かり少し目を閉じ身体の感覚を確かめる。どうやらまだ力は使えそうに無かった。
その頃、無事に目的の場所に潜入したアレックス達は室内を物色していた。
「おい、そっちはどうだ?」
金庫の中身の書類に目を通しながらアレックスが資料棚を物色しているサイファに声を掛ける。侵入してから順にめぼしい部屋から情報を漁っているのだ。そしてこの部屋が本命であろう名刺の人物の部屋である。
「こっちにそれらしい物は無いな‥」
答えるとサイファは海の方に視線を送った。
「これ、なんか変な内容だな‥」
海がデスクでパソコンを弄りながら難しい顔をしていたが不意にポツリ呟くとアレックスとサイファは歩み寄り画面を覗き込んだ。いくつも窓が開かれている中の一つに届いたメールの履歴が表示されている。
「これさ‥届いたのついさっきだ、0時17分‥件名は無しで内容が“先日のプレゼントに殿下は大変お喜びでした
些少ながらお礼を届けさせて頂きます
また完成した施設でお会いできる事を楽しみにしております”って‥どう考えても企業同士のやり取りじゃないよな?」
二人を見ながら海が言うと横からサイファは片手を出してキーボードを叩く。しかし操作の結果エラーしか出てこない。
「どうやらプロテクトされているな‥送信先を探りだすのは無理だろう」
サイファが呟く。
「なら間違いなくこれが本星から来たメールって事だな‥ともかくそのお届け物ってのを張るしかないか‥」
アレックスは言いながら頭を掻いた。
「金庫には何も無かったのか?」
海がアレックスに聞く。
「ああ、あるのは裏帳簿やら裏口座の番号くらいだな‥汚れちゃいるが至って普通だ」
普通なら警察沙汰になりそうな事をサラっと言うと溜息を吐いた。
「残念だがこれ以上探っても何も出んだろう‥あんたらの方はどうだ?」
続けるとアレックスは二人を見る。
「俺の方は特にないが‥」
「手掛かりになるかどうかだけどちょっと気になるデータは転送しといた
こっちも用事は終わったかな‥」
サイファが答えると海はちょっと自慢げに言いながらパソコンの電源を落とす。
「じゃぁ、そろそろ引き上げるか‥」
アレックスが言うと三人は元来た廊下を戻り階段を上がって屋上に出た。そして気付くとさっき入ってきたビルの灯りは消えてしまっている。
「ああ、そういやあのビル‥営業0時までだっけか‥」
思い出したようにアレックスは言いながら苦笑した。
「オフィス街だからそんなに人影がある訳でもないしこのままここから下りようぜ
大通りと反対側の方なら人目にも付かないだろうし‥」
大通りの反対側を見ながら海は先ほど成功して味を閉めたのかそう言うとアレックスの顔が青褪める。しかしまた向かいのビルの警報を切るよりもそれが早いかと半ば諦め状態で溜息を吐いた。
「仕方ねぇなぁ‥シクんじゃねぇぞ?」
そう言うとアレックスはビル側に張った結界を解き、海は来た時と同じように風に乗せて皆を持ち上げるとビルの下へと運ぶ。まるで絶叫マシンにでも乗っているかのような感覚にアレックスは出そうになる悲鳴を噛み殺す。裏通りまで来るとフワリと着地した。アレックスは涙目で地面の感触を確かめるように踏ん張った。
「お、俺は絶叫マシンの類は苦手なんだよ!
もっと丁寧に下ろせバカ!!」
思いきりビビり丸出しで言うと海は苦笑で返す。
「おい!」
そんな二人を余所にサイファは宙を見上げながら呼び掛け、慌てて二人も視線を移すとあの金髪の女性がビルの谷間を飛び移りながらこのビルへと向かっている。
「こんな時間にお届け物ってか?
やっぱりあのメールの殿下ってのはヴァンパイアの事だったみてぇだな」
アレックスの目に光が戻りその女性の姿を追う。女性はヒラヒラとあちこち飛び移りながら対象のビルに飛び移った。
「捕まえるか?」
「当然!」
サイファの問いにアレックスが短く返して懐からまた紙束を出しそれに何か呟くと空へと投げた。すると辺りの気はまるで凍りついたかのようにぴんと張り詰める。
「今、あの女がこの周辺から出られないように結界を張った
ビルから出てきたら更に結界を狭めるから死なない程度に拘束してくれや
後は俺が動けないように封じてやる」
アレックスは言うと今度は地面に先ほどの液体で別の結界を張り始めた。それを聞くと海とサイファは眼で合図をしてそれぞれ動きやすい位置で女性が出てくるのを待つ。10分程で女性は出てきてそのビルの屋上から別のビルへ飛び移ろうとしたが何かに阻まれるかのようにぶつかり落下してきた。そしてまるで猫のように身を翻すと何事も無かったかのように地面に屈んで着地して辺りを伺う。
「レディーに対して失礼じゃない?」
海とサイファに挟まれた女性は二人を交互に見ながら言った。
「悪いが一緒に来て貰おう
抵抗しなければ危害を加えるつもりはない」
「ごめんなさい
ナンパされて付いてくほど軽く無いの私」
サイファが言うと女性は立ち上がってからサイファの方を見て少し余裕の口調で返し掌を空に向けて掲げる。すると掌から光が漏れ出し一本の剣がまるで沸きだすように現れた。「気を付けろっ!
そいつは犠牲者だ、相当出来るぞ!」
少し離れた所からアレックスが叫ぶ。それを聞いてサイファは身を低くして構えたが女性の姿は瞬間的に消え気付けばサイファの懐に剣の先が迫っていた。
寸での所で交わしてサイファが指を弾くと途端に女性の目の前で小さな爆発が起こり女性も身を引いた。
「火傷したらどうすんのよ!
責任取って貰うわよ?」
顔から少し余裕が消えながらも女性はまだ強がりを言う。そしてジリジリと間合いを詰めては牽制し合った。海はそんな二人の速さに付いて行けずにただ残像を目で追うばかりだ。一瞬の隙を付いて二人の間に割って入ろうと覚えて間もない鎌鼬を繰り出すと幸か不幸かそれが女性に当たった。しかし女性はそれを持っていた剣で受け止め少しふっ飛ばされた程度で堪える。
「女の子相手に男二人って卑怯じゃない?」
怒ったように言ってからニッと笑うと剣で旋風を巻き上げ、隙を突き二人に背を向けて駆け出す。
「無駄だ!」
アレックスが言ってから持っていた紙切れに指で何かを書いて投げた。飛んできた紙切れを振り返り様に女性が切り捨てるとその紙切れは裂けて燃え落ちる。
「チッ!魔剣かっ!」
サイファと海も続けて攻撃を仕掛けようとしたが女性はヒラリと身を交わし、宙をその剣で切り付けた。すると何かが割れるような甲高い音がして空間に亀裂が入り砕ける。その瞬間に張りつめた空気は一気に消えて無くなった。
「くそ!結界を破られた!」
アレックスは吐き捨てると更に紙切れを出して女性に受かって投げつけるが空しくそれは燃え落ちる。三人はヒラヒラと飛び移りながら逃げる女性を追うがどんどん離された。
「英梨香っ!?」
誰かが大声で叫ぶとその声に女性は強張った顔で振り返りその場に留まる。
「お兄‥ちゃん?」
女性の振り返った先を三人が見るとそこには明希の姿があった。英梨香は明希を見て一瞬固まったがそれを振り切るようにまたヒラリと飛んでビルの谷間へと消えて行った。明希はそれを目で追いながら立ち尽くす。
「どういう事だ?」
三人が明希に駆け寄るとアレックスがまず口を開く。
「俺が聞きたいぜ‥」
明希は三人を見ずに英梨香が消え去った方角だけをただ眺めていた。教会に戻ると始めに入った部屋で四人は黙ったまま難しい顔をしている。
「こうなった以上、話したくないだろうが話して貰うぜ?」
アレックスが沈黙を破るように開口一番、明希に言うと明希は一つ溜息を吐いてから頷く。
「俺が中学の頃、夏休みに親父の知人に会いがてら家族旅行に行く事になったんだが俺はどうしても抜けられない空手の合同練習があって一日遅れて出発する事になった
両親と妹は朝から車で出発し、俺は道場へ向かった
両親が乗った車が事故にあったと知らせを受けたのはその日の昼過ぎだった
駆けつけた時には両親は死んでいて妹は行方知れず、何でもトラックとぶつかった衝撃で車ごと海に転落して両親は車内にいたが妹は海に投げ出されたのか周辺に身柄は確認出来なかったそうだ
暫く妹の捜索は続けられたが潮の流れの速い所らしくて遺体は上がらなかった
一週間後に捜索は打ち切られたが俺は諦めきれずに何度か警察に連絡を取った
だが帰ってくる答えはいつも同じで何時しか俺も妹の事を諦めたんだ
その後、いろいろあって組織に入る羽目になったがそこでも出会う事は無かったしな‥だから妹の英梨香とはそれきりだ‥」
明希が話し終えるとアレックスは深く溜息を吐いた。
「嫌な事、話させちまったな‥だがその妹が何でヴァンパイアと居るんだ?
本当にあの女‥妹だったか?」
「ああ、少し雰囲気は変わってたが間違いない‥あれは英梨香だった」
アレックスに明希はそのままの体勢で囁くように答える。アレックスはそれを聞くと頭を掻きながら何かを思い出そうとしているようだった。サイファと海はそんな二人のやり取りを静かに見守る。
「ヴァンパイアの犠牲者には二通りあってな‥餌とされるモノと眷属とされるモノだ
両方に共通して言えるのはヴァンパイアにその意思を制御されるって事だがどう見てもあの女‥制御されてるようには見えなかった
しかし使っていた力はまさしく犠牲者が放つ力に酷似している
そうなって来るとただの犠牲者ではなく一段上のシュバリエである可能性が強い」
「シュバリエ?何だそれ?」
アレックスが言い終えると海は即座に横から口を挟んだ。
「シュバリエってのは自分から望んでヴァンパイアの眷属になった奴を指す
自らヴァンパイアに平伏し、忠誠を誓って特別な血を受かるのさ
そうする事で自我を保ち新たに自分の眷属を増やす事も出来る
言ってみりゃヴァンパイアの複製だな
こいつはなかなか厄介でオリジナルを倒してもその力を失う事は無い
それに他の犠牲者と違って頭を使う分、やり難いのも特徴だ」
アレックスがそれに答えると明希はグッと拳を固くする。
「ヴァンパイアは人間を餌にする‥そんな輩を野放しにしとくほど俺達は温厚じゃ無い
とにかくお前の妹であってもこればっかりは情け掛けてやれねぇ
俺は全力で行くしお前が邪魔するってんなら共闘の話は無しだ‥どうするよ?」
冷やかにアレックスは明希に問う。
「英梨香が向こう側にいるってのはどういう理由か俺にも分からん
だが、これは俺だけの問題じゃない
ケジメはちゃんとつけさせて貰うさ‥」
ようやくアレックスに顔を向けると静かに答えた。
「分かった‥」
了承するとアレックスは静かに目を閉じる。それから明希が無言で席を立ち部屋を出て行くと海とサイファは掛ける言葉も無く続きそのまま教会を後にした。
「なぁ‥」
駐車場までの道すがら海は明希に声を掛けると足を止める。それを聞いて明希も足を止めて海を振り返った。
「お前、この件から手ぇ引けよ‥半端な俺が言うのも何だけど俺達で何とかするからさ」
海は言い難そうに明希を見ながら言う。明希はそれを聞くと少し無言のまま海を見た。
「心配しなくても私情は挟まん‥気にすんなよ」
そして平然と答えながらいつものように懐から煙草を取り出して火を点ける。もうその態度に動揺の色は見られない。
「俺も海の意見に賛成だ‥」
黙っていたサイファが一番後ろから呟く。
「お前等に心配されなくても俺は至って冷静だ
箱庭に帰る頃にはあいつが資料をまとめて送って来るだろう
それを分析して対策を練るぞ」
明希は溜息を吐くとまた歩き始めて囁くように言う。海とサイファは複雑な表情でその後に続く。白み始めた空が朝の到来を告げようとしていた。
ヴァンパイア
・人の生き血を好み数世紀に渡り存在する事が出来る妖魔
・多くの眷属を要し、その身を闇に隠し生きている
・滅する際は灰まで焼きつくすほどの炎を用いるか白木の杭による封印しか樹立されていない
・しかしヴァンパイア同士の対立において他者のヴァンパイアの血を心臓に送り込むと消滅するという話もある
・一般的に陽光を嫌うとされているが始祖に近いドゥラクル伯爵家やリィ伯爵家の正統血統には関係無い
・正統血統による能力は未知数であるが呪によって対抗する事も可能
シュバリエ
・ヴァンパイアの眷属の最高位
・人間として生を受けながらヴァンパイアへの忠誠を誓い力を授けられた存在
・正統血統であるドゥラクル伯爵家、リィ伯爵家などを軸とした眷属が主流
・他の犠牲者と違いその忠誠心から感情を奪われず独自の判断で行動出来る
・一般的な能力としては魔剣や精神的要素を加えた物質を服従させ操り、結界によりその存在を隠す事が出来る
・身体能力は通常の人間の比では無いがそれも人であった頃の身体能力に比例する
・対処方法としてはオリジナルと同等である
【近年では正統血統は既に滅んだとされている
現代に残るヴァンパイアは正統血統の遺品とされ正統血統程の力を持たない
故にそのシュバリエも然程の力を有する事は無く、聖水等で簡単に行動を抑制する事が出来る】
資料をプリントアウトした物を睨みながら各々難しい顔をしていた。実際に対峙したサイファと海はより眉間の皺が深い。あの身体能力と魔剣の扱いから見て間違いなく正統血統のシュバリエであろう事は追記として書かれていた。近年、滅んだと書かれているのはこの数百年、その存在が教会側に認識されなかったせいだろう。正統血統はその間、暗闇の底でこうして生き延びていたのだ。そしてその力をノアが手に入れた可能性が高いという事はこちらにとって致命的、自然と重い溜息も出てしまうというものだ。
「で、海が転送した資料の中に組織に関連しそうなモノは有ったのか?」
明希が問うとトニーは顔を上げる。
「ああ、うん‥たぶん繋がってる
何よりこの合田って人物、前に潰した施設の建設にも関わってるからいろいろ繋がってくんじゃないかな?
あとメールにあった殿下ってのもまだ調査中‥また分かってから報告するよ」
説明しながら明希に別の資料を提示した。明希はそれを見ながら他にめぼしい手掛かりが無いか探す。
「これ、向こうで見た検体と同じだ」
例の写真の化け物を見て織彩が言った。
それを聞くと明希は顔を上げる。
「もっと他に何か思い出せないか?」
明希が聞くと織彩は困った顔で首を振った。
「とにかく俺は何か他にないか引き続きいろいろ辿ってみるよ‥」
トニーは言ってラウンジを出ていった。
「織彩!紫苑!
三七三に作って貰ったの!!」
代わりに樹莉が入ってきて嬉しそうに花冠を掲げて言った。その顔には所々に泥が付いていて思いっきり遊んだのであろう事を示している。
「凄く綺麗‥良かったね樹莉君‥」
曇った表情は一変して途端に笑顔になる織彩。樹莉はうふーと微笑んで自慢げにそれを頭に乗せ皆に見せる。それを見て張り詰めていた皆の気持ちがスッと軽くなった。
「樹莉君、泥んこだからお風呂入ろうか?」
紫苑は言いながら立ち上がり樹莉の傍に屈む。
「うんなの!樹莉君お風呂大好きなの!」
樹莉が元気に返すと紫苑は樹莉を連れてラウンジを出た。
「あいつはこの先もあのままなのか?」
何気なく海が織彩に聞く。
「大丈夫、きっと皆と同じように出来ると思う
今そのデータを組んでるの‥でも‥」
「あいつはあのままで良い
ジェイとは違うんだ‥」
織彩が言葉を濁すとサイファが織彩の心情を察して答える。樹莉は皆と戦う事を望んでいた。あんなに暢気に見えるので想像もつかないが樹莉なりにいろいろ考えその答えを出し今、此処にいる。だから皆は樹莉の希望を叶えてやりたいと思う反面、血生臭い戦場へ出て欲しくないという願いもあった。だが今、一番強力な武器に成り得るのが樹莉なのも事実で心情は複雑なのだ。
「私は‥樹莉君の気持ちを優先したいと思ってる‥
大事だから‥自分の気持ちだけ押しつけたくない‥」
ポツリと織彩が言うと皆は何も言えなくなる。
「とにかくトニーに情報を集めて貰ってる間は俺達が出来る事をしよう
暫くは相手の戦力規模の分析だ‥把握しきれていない施設を徹底的に洗おう」
明希は言って立ち上がるとラウンジを出て行く。その後ろ姿を海は複雑な思いで見守っていたが姿が見えなくなると後を追う。そして声をかけようとしたが小さく見えるその背中に声が出ない。もし自分が明希の立場であったなら間違いなく取り乱すだろう。しかし明希は冷静だった。だからこそ何と声を掛けて良いのか分からなくて海はただ自室に戻るしかなかった。
部屋に戻った海は初実戦で暫く興奮状態だったが早目の夕食をとるとすぐに眠りに落ちた。どれほど眠ったか微かなノックの音で目を覚ますと身を起して時計を見た。まだ明け方の4時少し前、誰だろうかとドアを開けるとそこにはサイファの姿があった。今までけして部屋に尋ねてくることなどなかった人物の姿に海は少し驚く。
「俺はこれから少し出る‥たぶん暫く戻れそうにないから明希を頼む」
「うん、ってかお前もまだ本調子じゃないだろ?
あんまり無理すんなよ‥」
小声でサイファが言うと意識がまだ朦朧としているのか海の視線はまだ虚ろだ。
「俺はもう心配無い‥それよりもああ見えて意外と堪えている
出来るだけ傍に居てやってくれ‥」
いつものように単調にそれだけ言うとサイファは背を向ける。それを見送ると海は静かにドアを閉めた。寝直そうとベッドに潜り込んだがどんどん眼が冴えてくる。何度も寝がえりを打っては寝ようと努力してみるが虚しく時間だけが過ぎた。仕方なく諦めて自主訓練にでも行こうかと再び身を起こす。すると部屋のドアが不躾に開いて明希が入ってきた。
「おう、ちょっと付き合え‥」
入って来るなりベッドに腰掛けてぼんやりしている海に声を掛ける。
「あぁ?
お前まだ調子戻ってないだろ?寝てろよ」
海は言いながら大きな欠伸をした。
「調子が戻ってねぇから付き合えっつってんだろ?
ほら‥早く服着ろよ‥」
明希がぼやくように急かすと海は仕方なく立ち上がり出かける用意をした。
明希が運転する車の助手席でまだぼんやりしながら何も聞かずに海は朝焼けに染まる窓の外を眺める。暫く走ると繁華街が見えてきた。だが明希はそのまま車を走らせて隣りの市街地まで来ると車をコインパーキングに入れる。
「こんな朝っぱらからどこ行くんだよ?」
車を降りるとようやく明希に話しかけた。
「この辺の風俗は結構上玉だぜ」
明希はニッと笑うと言って歩き出す。
「はぁ?
風俗って‥そんな場合じゃねぇだろ?」
何を考えているのか分からない明希に思わず突っ込むが素知らぬ顔でスタスタと歩いて行く。仕方なく海はその後を追いかけ、少し歩くと如何わしい店の立ち並ぶ一角に来た。通い慣れた風にその中の一つの店に入る。
「こういう場所のが偶に良い情報掴める‥あんたも楽しんでばかりじゃ無くそのつもりで遊べ」
店内で別れ際に明希がこっそり海に言うと海はそれ以上何も言え無くなった。久しぶりに女性との快楽を楽しみながら何か使える情報は無いかと話をするがこれと言って何も無く、その後また以前のように風俗を梯子して歩き二人は遅めの昼食を取りに喫茶店へと入る。流石に昨日の今日だけあって疲れたのか海はもうぐったりしていたが、明希はと言うと風俗を回る度に元気を取り戻しているような気がして海には得心がいかない。
「あんたよく平気だな‥底無しか?」
昼食を取りながら顔色の良い明希の顔を見る。
「ま、あんたよりは若いからな‥」
勝ち誇ったように言う明希に海はムッとしながらパスタを口に運ぶ。いつものように軽口を叩く明希に安心したような痛々しいような複雑な気持ちになった。昼食を終えてコーヒーを注文すると明希はポケットから煙草を取り出し口に咥えたが入ってきた客の方に目を向けると固まって動かなくなる。海はその態度に視線の先を辿って同じように固まった。その客は真っ直ぐ二人に近付いて来ると明希の隣に腰を下ろす。
「煙草‥嫌いって言って無かったっけ?」
言いながら英梨香は少し怒ったような顔で明希の口にある煙草を取り上げる。
「英梨香‥お前‥」
明希はただ呆然と英梨香を見て海は固まったまま動かない。
「今日はお兄ちゃんと話したくて来たの
あ、すみません!ミルクティー下さい」
まるで海を無視しているかのような口調で言いつつ微笑みながら傍にいた店員に注文する。
「生きてたんならどうして戻って来なかった?」
明希はようやく平静を取り戻すと次に訝しげな表情を浮かべながら英梨香を見据えた。
「だって事故のショックで記憶喪失になってたんだもん‥デュランが助けてくれなかったら私、死んでたんだから!」
事も無げに答えると運ばれてきた水を飲んだ。
「デュラン?」
「そ、命の恩人‥今、その人と居るの
助けて貰ってからずっと私の面倒見てくれてたのよ
記憶が戻った時も帰るように言ってくれた‥でも私、ずっと傍に居たかったから帰らなかったの」
明希が聞き返すと英梨香は簡潔に答える。それを聞いた明希は無言のままだ。
「でもね、一度だけ家は見に行ったよ
誰もいなくて‥ちょっと寂しかった
お父さんとお母さんが死んだ事もその時知ったの
お兄ちゃんは行方不明になってるし‥まさか変な組織で化け物にされてるなんて思いもしなかった
まぁ、私も人の事言えないけど‥」
更に英梨香は続けると運ばれてきたミルクティーを飲んであちっと目を閉じた。その様子は何処にでもいる女の子の仕草だ。
「そのデュランってやつがヴァンパイアなのか?」
明希が核心に触れる。
「そうよ、もう千年以上生きてるんだって‥人間の事には関心無いみたいだけどちょっと理由があってあんな怪しい科学者に手を貸してるの
私はデュランさえ良ければどうでも良いけど個人的には何だか嫌味な感じで嫌い
まぁ、それでもお兄ちゃん達の事いろいろ教えてくれたから感謝はしてるけど‥言っとくけど私がこうなったのはあくまでデュランと一緒に居たいからでお兄ちゃんみたく歪んでそうなったんじゃないから安心して」
ズバズバ遠慮無く言う英梨香に海は呆気に取られた。本来なら秘密の漏洩とも取れる内容の事だらけだ。
「全部‥聞いたのか?」
明希が英梨香から視線を逸らせて聞く。
「うん、お兄ちゃんがどういう経緯で組織に入ってどう扱われてきたのかも全部聞いた
それで組織を抜けて反組織側で害を成す存在だって言う事は分かってるみたいよ
今それに対抗する生体兵器も研究されてるって‥」
呆気らかんと英梨香はその問いに答える。流石、明希の妹と海は内心感心した。
「良いのかそんな事、俺にばらして?」
「だって私はあの組織と全く関係無いもん
デュランにさえ害がなければ潰れようが潰れまいがどうでも良いわよ
それよりお兄ちゃんこそそんな危ない事、止めなよね‥そんな組織とは縁を切って静かに暮してけるんでしょ?
元に戻る方法は私が探したげるからひっそり暮らしなよ」
更に明希が聞くと英梨香は別段気にする風も無く答え、訴えるように明希の方を見た。
「それは出来ない
お前に大切なモノがあるように俺にもある‥俺はそれを守らにゃならん」
明希は昔と変わらず高飛車な物言いに少し戸惑いつつ平静を取り戻そうとコーヒーに口をつける。
「じゃぁ私達の邪魔したら死んで貰う事になるけど良い?」
表情を変えるでも無く英梨香はとんでもない事を口にした。海はその言葉に更に困惑して呆然と固まる。
「そりゃ、お互い様だ‥」
明希は英梨香をチラリと見て一拍置いてから答えた。英梨香はそれを聞くと見る間に不機嫌そうな顔になる。内心ハラハラしながら海は二人を見守るしか出来ない。
「ねぇ!貴方、お兄ちゃんの友達でしょ?
こんな危ない事止めさせてよ!」
今度はいきなり自分に怒鳴りつける英梨香に海はただ気圧される。
「あ‥っと‥何て言うか俺も手を引けとは言ってんだけどさ‥」
しどろもどろで明希に助けを求める視線を送りながら答えるが昨日、一戦交えた相手だけにこうフレンドリーに話しかけられても海自身どう反応して良いか分からない。
「こいつにキレんなよ
ドン引きしてるじゃねぇか‥」
少し呆れたように言うと煙草を取り出し火を点ける。しかし空かさず英梨香はそれを取り上げ揉み消す。
「私は煙草なんかずっと嫌いなの!
とにかく忠告はしたからね!」
言ってから立ち上がり来た時と同じようにスタスタと店を出た。
「なんて言うか‥妹‥凄いな‥」
溜息を吐く明希に海は英梨香が去った方向を見つめながらしみじみ言う。
「昔から甘やかされ過ぎてああなんだ‥すまんな‥」
現状を忘れそうな程の勢いに困惑しながら明希も答える。二人は暫く言葉も無いままコーヒーを飲みつつ頭の中を整理したのだった。
箱庭に戻ってから明希は英梨香から聞いた情報を各自に報告した上でアレックスにも連絡を取る。
『何だかぶっ飛んだ妹だな‥まぁ、お前の妹らしいっちゃらしいが‥
とにかくうちもそっち方面からもう少しアプローチしてみるからまた情報が入ったら知らせてくれ』
アレックスはちょっと呆れたような口調で言うと電話を切った。明希は切られた電話を見つめると一つ溜息を吐いてベッドに腰を下ろす。さっき何とかこれ以上強化できないかと織彩に相談に行ったが今は身体を休める事が先決と言われて取り合って貰えなかった。やる事も無く中途半端に動けるようになったおかげで少し手持ち無沙汰だ。力はそれなりに使えるようにはなったがまだ身体が思うように動かない。
〈あいつの特訓相手でもするかな‥〉
思うと明希は早速、海の部屋を訪ねる。
「だから寝てろって言ってるだろ?
どっちみち俺はお前みたいに動けないし力の精度増すくらいしか出来ないんだからさ」
言いながら海は動きやすい服装に着替えつつ明希を見た。明希はそれを聞くと頭を掻きつつ海に近寄り抱き寄せて身体を弄る。海は始め驚いたがすぐに明希から離れようと手に力を込めるが抵抗してもびくともしない。見る間にベッドに押し倒された。
「ちょっ‥俺もう出ないっての!」
朝から風俗を梯子したせいもありもうそんな気は更々無い海は顔を背けて叫ぶ。
「いつでも付き合うって言ったのはあんただろ?
俺はまだ足りないんだよ‥ジッとしてりゃすぐ済むから大人しくしてろ」
明希は言いながら着かけている服をまた脱がせた。
2時間後、抜け殻のような海がベッドで放心状態になっていた。
「おい‥食事持ってきたぞ」
明希がドアを開けるとそう言いながら入ってきて海はベッドで動けないまま恨めしそうに睨み付ける。結局あれからみっちり一戦交えて海は腰が抜けていた。
「お前‥タフ過ぎだろ‥」
海はぼそっと吐き捨てると枕に顔を埋める。
「あんたが弱過ぎ‥これくらい普通だろ?」
何時も通り飄々と返す明希に更に腹が立つ。海は自分の若い頃を思い出すと少し納得したように押し黙るが共に歳を感じて寂しさを覚えた。それから何とか身体を起こすと深く溜息を吐く。明希はその膝の上に食事の乗ったトレーを差し出した。
「それよりお前の妹‥本当に強ぇな‥やっぱり空手か何かやってたのか?」
話を逸らそうと食事に手を付ける。
「いや、あいつはピアノと体操くらいだな‥だが負けず嫌いで地区では何でも一番だった
恐らく超人的な力を手に入れて手に負えん程になってるだろう
俺は実際、交えて無いから分からんがあんたならそれが過大評価じゃないって分かるんじゃないか?」
明希もまるで他人事のように返しながら食事に手を付けた。
「サイファより早かった
‥と思う‥たぶん‥」
海はあの時の事を思い出しながら呟く。
「本当に厄介だな‥おまけにあの性格だ
キレたら更に手が付けられん‥」
手を止めげんなりした表情で呟いた。そして二人で同時に溜息を吐く。下手をしたらエレメンツロイドより厄介かもしれないと内心思う。
「俺は兄貴だけだし従姉妹になら妹みたいな奴はいるけど‥やっぱ女兄弟って可愛いもんなんだろうな‥」
そんな明希の顔を見ながら海が言う。やはり兄妹で敵同志になるかもしれない現実を思うと海は心配になった。
「そうだな‥我儘で気の強い所は有るが根は寂しがりやで‥」
ぼんやり遠くを見ながらそこまで言うと言葉を切る。幼い頃を思い出しているのかそのまま押し黙ってしまった。海はそれを聞くと掛ける言葉を失い同じように押し黙る。
「でも、もう昔には戻れない‥今は目の前にある現実をお互い歩いて行くしかないさ」
暫くの沈黙の後に明希は納得したように言ってまた食事を続ける。もし自分が陸と戦うかもしれないとなったらここまで割り切れるだろうかと海は思う。明希はそれほど冷静で現実を直視しているように見えた。また海は自分の弱さに気付きそれと同時にこの状況に言いようの無い悲しみを感じた。