箱庭へようこそ
箱庭へようこそ
「樹莉くんどこ行くの?」
暫くして目を覚ました樹莉が少し不安げに明希に聞く。辺りを見回すも陸達はいない。
「ん、ああ‥俺達の仲間がいる所だ
箱庭って呼んでるがな‥」
「陸達は?海はどうなったの?」
「あいつなら大丈夫‥とりあえず普通の生活は送れるようにして家に帰した
お前はこれから調整して貰わんとそのままって訳にもいかんだろ?」
二人の不在を訪ねる樹莉に明希は答えてから立ち上がりデスクに突っ伏して寝ている紫苑に上着をかけてやるともう一度戻ってきて座った。
「それよりおまえが何であいつらといたのか説明してくれるか?」
明希に言われ樹莉は廃棄されそうになって織彩に助けられた事からあそこにいた所までを身振り手振りを交えながら説明した。
「なるほど‥事情は分かったよ
そういう事なら組織もお前が生きてる事を知らないだろう
無事に調整が終われば普通の人間の容姿になるだろうから戻って今まで通り生活すりゃ良いさ」
あまりにも老女を心配しているようなので明希はそう言って樹莉を安心させた。
「初めて会ったのにどうして明希は樹莉くんの事よく知ってるの?」
今度は樹莉が質問すると明希はどう説明したもんかと少し宙を見上げる。
「じゃぁ、箱庭に着くまで少し昔話でもするか‥
俺達はそれぞれ事情があってガキの時に組織に拾われた
始めは普通の孤児院らしく思えた施設だったがある時、俺を含めた施設の半数ほどが別の施設へ移されたんだ
そこでは特殊な訓練を受けたりいろんな薬を打たれ、徐々にその数は減っていった
だが数が減るとまた新たに補充され同じように実験が続き、始めの内は逃げ出そうとした奴もいたが見せしめのように殺されだんだんその意欲さえ無くしていった
そんな頃だ‥俺達のいた施設に織彩と沢山の科学者達が来て子供達を一人づつ強化ガラスの部屋に隔離してある薬を打った
子供達の多くはのた打ち回りながら化け物に変化したりショックで死んだが俺達は生き残り力を手に入れたんだ
でもそこから更に地獄の日々が続き始めは科学者と共に織彩を憎みもした
けれども俺達が苦しむのを見て辛そうに泣くその姿に織彩も組織に抵抗出来ないのだと悟った
助けたかった‥しかしモルモットのままじゃ織彩は守れないと組織を抜け出す機会を窺っていた時、俺達を連れ出してくれたのが今の組織だ
始めは俺とジェイド、サイファ、マリーの四人で助け出されたんだがジェイは調整中の事故で死んじまった
それから暫くして俺達四人の細胞を元に新しい生体兵器を開発してるって情報が入り、施設をあちこち探っている途中にお前らに出くわしたんだ‥お前の大元になったのがそのジェイドだよ
単純なクローンじゃ無くオリジナルの片割れを別の生態として発生させるものだからその気は無くてもお前は俺達の仲間なんだよ」
過酷な話を素っ気無く語り終えると明希は少し力無く微笑み、樹莉は複雑な表情のままよく分からないが込み上げてくる悲しさで目に涙を溜める。
「今はこんな話聞いても分からんだろうがインプットが終われば理解出来るようになる
だから覚えておいてくれ‥俺達はお前等を織彩同様大切に想っている事を‥」
明希は言いながら樹莉を慰めるように頭を撫でてやった。明希にしてみれば戦友の片割れも同然の存在で、それは他の者にとっても同じ事なのである。
「着いたぞ‥」
暫くするとスピーカーから声がした。涙を拭ってやると完全に止まるのを確認してから明希は樹莉を肩に乗せトラックを出る。大きな倉庫や工場内のような不思議な空間に樹莉は呆然として辺りを見回した。
「ようこそ、セラムの箱庭へ‥」
怪しげな老人が杖をつきながらそう言って歩み寄ると樹莉は戸惑いながら老人から明希へ視線を移す。
「心配しなくても良い
この人は織彩を作った人達の一人だ」
明希に言われると樹莉は戸惑いながら老人に視線を戻した。
「こ‥こんにちはなの‥」
少し身を引きながら躊躇いがちに挨拶すると老人はニッと笑って奥へと手を差し伸べ無言で誘う。樹莉は初めて見る景色や人間達に不安と興味でいっぱいだった。
一ヶ月ほどしたある日の夕方、海は会社からの帰り道を自転車で軽快に走っていた。
「全く人使い争いんだから‥」
少し愚痴って自転車を停め定位置に付けるとマンションのエントランスへ向かいポストからダイレクトメールや広告を取り出しエレベーターに乗った。自宅の前まで来るとドアノブには傘が掛けてある。
〈今日は連勤の遅番終わりか‥〉
兄弟一緒に住んでいるとそれぞれ生活サイクルが違うのでいろんな合図があった。傘を取ると鍵を開けて中へ入り丸めた広告をゴミ箱へ捨て、ダイレクトメールをテーブルに置いて冷蔵庫を漁る。ラップされた食事を見つけてそれを取り出し食べ始めた。
あれから老女の元へ戻り樹莉が織彩の知人の所へ行く事になったという話だけしてそれ以上は何も言わなかった。また老女も詳しく聞いてこなかったので二人は少しホッとする。そして用事をあれこれ手伝い翌日の夕方には帰路についた。帰りの道中も家に着いてからも、何処と無く海はあの時の話を避けていて陸もそれを悟って何も聞こうとしなかった。翌日から仕事だった二人は全く変わらない日常にあれは夢か幻ではないかとさえ思い始めていた。しかしそう思い始めた頃に差出人不明の紙袋がポストに入っていて中身はあのアンプル、海はそれを見てやはり夢ではなかったのだと実感した。それに今まで出来なかったような事が易々と出来るようになりそれを周りに隠すのが面倒になっていた
〈まだ朝の九時‥渚チャンは今寝てるか‥
サクラなら捕まりそうかな‥〉
徹夜明けだが現場に張り付いて特種を得た時は気が高ぶって眠れない。そんな時は手頃な女友達を物色して事に及んだ。偶にカチ合って修羅場もあるが海にとってそれは然程、重要な事で無く特に思い入れのある女性などいなかった。残りを掻き込み洗い物を済ませるとシャワーを軽く浴びて繁華街へと向かう。
「え~っ‥マジかよ」
当てが外れたようにスマホ片手に繁華街をフラつく。さっきから断られたのはコレで5人目で珍しく今日は誰も捕まらない。電話をするのもなんだかバカらしくなってきた海は風俗にでも行くかどうしようか植え込みの端に座り込んで考える。
「こんなトコで会うなんて奇遇だな‥」
そう声を掛けられて海がそちらに視線を向けると見知らぬ青年が煙草片手に立っていた。
「あ?誰だっけ?」
知り合いの多い海だが人の顔は大概覚えている方で覚えの無い顔にマジマジと青年を見る。
「俺だよ」
「あ‥」
海は呟くと少し驚いたような顔をする。髪の色が違うので分からなかったが間違いなく三上明希だ。
「何でこんなトコにいるんだよ?」
思わず立ち上がり海は明希を見ながら聞く。
「んー‥ちょっと馴染みの店がこの近くにあって偶に来る」
ニッと笑って煙を吐き出した。
「馴染みの店って‥家この近所なのか?」
「いや、別に近所って訳じゃないがこういう人の多い所の方が返って目立たんからな」
続けると雑踏にあふれる街並みを眺める。流石、昼間だけあって人通りも多い上に二人の会話も搔き消されそうなほどの喧騒だ。
「暇なら茶でもどうだ?」
明希が言うと海は少し戸惑いながら頷く。海が先に歩く明希について行くとどんどん怪しげな方向へ進み、仕舞いには風俗店が立ち並ぶ一角まで来てしまう。その中に一件場違いな店があり明希はそこへと入った。中は落ち着いたヨーロッパ調の風合いで適当に明希が腰を下ろすと海もその前に座る。
「俺はダージリンとシフォンケーキ‥あんたは?」
店員が注文を聞きに来ると明希は慣れた感じでそう言った。
「俺はホットで‥」
「銘柄は何に致しましょう?
お勧めは当店のオリジナルブレンドです」
「じゃぁそれで‥」
海も注文を終えると辺りを見回す。客層はと言えば風俗店に通う客らしい者から務めているであろう女性等が多く、そのせいかあまり賑やかしさは無いがゆっくり話すには丁度良い感じの店だ。
「馴染みの店ってここか?」
「いや‥まぁ此処も馴染みっちゃ馴染みに近いが本命はこの手前の店だ」
明希が答えるのを聞いて海は考える。確かこの店の手前は辻を入ってからずっと風俗店しかなかった。
「ああ‥そう‥」
ちょっと呆れた感じで視線を明希から横に逸らせて返すが自分も同じ穴の狢だったと思い出す。
「この間、樹莉を婆さんのトコまで送ってきたよ
それよりそっちは生活には慣れたか?」
明希は別に気にする風も無く煙草を揉み消した。
「ああ、うん‥それは樹莉からこの間、電話あったよ
結局、調整上手く出来なくてあのままなんだってな‥
俺はまだ慣れるにはちょっと程遠いかな」
海が答えていると店員が品物を持ってきてそれぞれの前に置く。
「まぁ、徐々に慣れてきゃ良いさ‥」
言い終わるとフォークに手を掛け明希は大きな口を開けてシフォンケーキを口に運ぶが少しそれが海には可愛らしく見えた。
「お前ってもしかして俺よりかなり年下だったりする?」
余りにその姿が幼く見え聞いてみる。
「21‥あんたより7歳下なだけだ」
「若っ!ってかガキじゃん‥」
相変わらず気にする風でも無く返す明希に海は驚きながらハッとした。自分の年齢など教えた記憶は無い。
「一応、あんたらの身辺は監視も兼ねて調べさせて貰ってる
戦争になる前にあっちの組織にこっちの情報を知られる訳にはいかんからな‥」
海が驚きで言葉を失っているとサラリと続け明希は紅茶に口を付けた。
「おいおい、それってプライバシーの侵害ってヤツだろ?」
海の顔付きが一気に変わる。
「そんな身体になった以上、俺等にプライバシーなんてあると思うなよ
今、俺達がこうしてる事もうちの情報部には筒抜けだぜ?
とは言っても俺も今はプライベートな事情で此処へ来てるんだがな‥」
明希は言いながらまたケーキを頬張る。
「お前それで平気なのかよ?」
「監視付きでも自由にこうして動けるだけ俺にとっちゃまだマシなんだよ‥
なに、慣れりゃ結構便利な事も多いぜ‥」
訝し気に海が聞くと明希はまだ口をモゴモゴさせながら答えフイと宙を見上げる。
「ああ、そういやこれからは女関係ちょっと整理しとけよ‥
誰と寝ようが構わんがガキは作るな、子供は漏れ無く化け物になる
っつってもほぼほぼ出来ねぇがな‥」
そして思い出したように付け足す明希に海はそんな事まで筒抜けかと少し恥ずかしそうに視線を逸らせた。
「相手に何か影響はあるのか?」
改めて自分の立場を痛感し視線を合わせずに海は小さく聞く。
「いや、セックスで感染はしない
ただ高確率で次世代への遺伝が認められてる
人の姿で生まれてくれりゃ良いが化け物の姿だった日にゃ目も当てられん‥
俺達の場合は普通に血液が混じった所で感染もしないからあんたもこうして自由でいられる訳だ
が、あんたらの見たタイプは体液に触れると感染する
それを抑制する為に俺達の体液は有効だがそれ以外、全く害は無いから安心しろ」
相変わらず飲み食いを止めないまま明希は説明した。海は黙ったままコーヒーカップを見つめ目隠ししてきた現実にただ戸惑いと不安しかない。
「心配しなくても辛くなったら死なせてやる
今は目の前にある現実だけ生きていきゃ良いんだよ‥」
サラリと酷い事を言うと思ったが実際に崖っぷちに立たされた時、きっとこの言葉は救いになる。漠然とだが明希の言葉の端に希望が持てた気がした。
「そうだよな、今は‥それしかないよな‥」
何故だか妙に腹が据わった気がして海はようやくカップに口を付ける。
「そういや馴染みの店って頻繁に通ってるのか?」
思い出したように海が口を開く。
「ん‥ああ、まぁ、男の性ってヤツだ
素人も偶には良いが面倒でな‥」
ケーキを食べ終えてようやく満足したのか明希がまた煙草に火を点けながら呆気らかんと返す。その様子からかなり遊んでいるというか風俗慣れしているようだと海は少し妙な親近感を覚えた。何となくそこから風俗や引っ掛けスポットなどの話で盛り上がって二人は意気投合し結局、明希の馴染みの店や海がよく利用する店を梯子して下が落ち着くとまだ明るい内から居酒屋に足を運んだ。
「なぁ‥お前いつもあんなのと戦ってんのか?」
少し酔いが回ってきた所で海がポツリと聞いた。
「まだ明確に敵意を向けてくる相手と戦うなら楽さ‥元仲間だった奴らと殺し合いしなきゃならん時もあったからな‥」
周りの騒音に消えそうな声で明希が答えると海はフウと一つ溜息を吐く。話を聞いていて何となく明希がどれだけ過酷な状況に生きてきたのか気付いていた。でも己がそう生きろと言われた所でけして出来やしない。また不安は大きくなる。
「心配しなくても首を突っ込まない限り巻き込まれる事は無い
あんたにゃ帰る場所も有るんだ
くれぐれも下手な事するんじゃねぇぞ‥」
明希は言いながら席を立って伝票を持つとヒラヒラ手を振って去って行く。海はその後ろ姿を見送ると一気にジョッキを開けて自分も店を出た。
自宅に戻ると海はベッドに寝転がり天井を眺めて昔の事を思い出す。両親は小学校の時に事故で亡くした。孤児院で育った両親にたいした身内はいない。母のただ一人の血縁の妹はその頃、夫が脱サラして商売を始めた事と幼い子供を抱えていたせいで陸と海を引き取る余裕がなかった。だが夫の母親が海と陸、二人の面倒をみると申し出てくれたので二人は施設に行かずに済んだ。それがあの老女である。二人にとっては赤の他人ではあるが実の孫のように大事にしてくれた。だから二人も実の祖母のように慕っている。それでもやはり経済的負担を掛ける訳にはいかないと進学を諦めようとした。
「勉強は出来る時にしておかなきゃね
お金なんて婆ちゃんが何とかするわよ」
しかし祖母にそう進学を強く勧められ二人は高校を卒業し優秀だった陸は大学まで行かせて貰った。勿論アルバイトもして家計を助けた。海は高校卒業後、数年バイトに明け暮れお金を貯めると田舎から都会へ引っ越して夢だった新聞社に勤め、陸は大学卒業後に警察学校へと進んで警察官になりそのタイミングで二人は同居を始めた。二人とも生活サイクルは違ってもやはり一緒に居ると落ち着くのだ。長期の休みは揃って老女の家へ帰る。二人にとってはもうあの家こそが実家なのだ。
〈婆ちゃん、知ったら泣くだろうな‥〉
ぼんやり思うと海は寝返りを打つ。もし自分が生きる事を諦めてしまえばきっと陸も老女も悲しむだろうと思うと負ける訳にはいかない。海は止め処無く沸き上がる不安と戦う事を決心した。
それからふと何かを思い出すと起き上がってパソコンの電源を入れる。そして少し前に先輩が調べていた一件の記録を読み始めた。海は親しい先輩と互いの追ってる事件の内容をよく交換する。極稀だが繋がっている場合があるのでそうするようになったのだがその一つの記録で海はスクロールを止めた。それはある企業が官僚と癒着している問題が綴られた内容で、その記事の中に廃工場の売買の内容が書かれている。これと言って怪しい内容では無いが何かが引っ掛かる、自分が関わっている事と関係している感じがした。海はその廃工場の画像を見ながら何かを考え込む。
「‥何だっけか」
呟くと必死で思い出そうとしてみたが思い出せそうで思い出せない。
「くそっ!」
苛立ちながら吐き捨て立ち上がり頭を掻きながらキッチンへ向かう。冷蔵庫からビールを出し一気に飲み干して外を見るともう日はすっかり落ちていた。
〈‥とにかく寝るか〉
少し落ち着き再び横になる。酒のおかげも有りすぐに眠りに落ちた。
翌日、海は出社すると書類を少し纏めてからいつも通り取材に出かける。向かうは警察署。本署に着くと慣れた感じで中へ入り喫煙所で顔見知りの刑事達の輪に交じって傍で世間話から会話に入る。
「ったく、兄貴が言わん事を何故、俺等が言えると思ってる‥」
中年の刑事がドスの利いた声で海に言う。
「そりゃ俺だってそうしたいんだけどあいつ口固くてさ‥どんな捜査に関わってるとかそういうのも教えてくれないんだぜ?
高崎さんならちょっとくらい教えてくれそうかなって‥」
思い切り愛想を振り撒きながら海が返す。
「現行の事件に関してはノーコメント!
だが少し前に追ってた件なら決着がついた‥明日、朝一に来い」
溜息を吐きながら頭を掻くと仕方ないと言った感じで刑事の一人が返し海はにっこり笑った。
「流石!じゃぁうちが一番にスッパ抜くから他には漏らさないでよ」
言いながら缶コーヒーを差し出し辺りを見回してから海が少し刑事に身を寄せる。
「それから探してる売人‥別件で張ってた場所で見たよ‥」
こっそり耳打ちしてニヤッと笑みを浮かべた。
「!?」
刑事は驚いたように海を見た後、受け取った缶コーヒーと一緒に渡された紙を見る。
「まぁ、いつものお礼って事で‥」
「全く兄貴と言い弟と言い‥食えん奴等だ」
これが有るから邪険に出来ないんだと言わんばかりに刑事は呟くと溜息交じりに背を向けた。駆け引きは記者と刑事の間には有りがちだがそれを引き出すのが海は抜群に上手い。人懐こい性格でついつい刑事達も世話を焼いてやりたくなるようだ。だが陸はと言うと堅物で正統派、おまけに切れ者で世話を焼くと言うより一目置く者の方が多かった。
〈さて‥明日の朝一は清っさんに任して俺はそろそろあっちの件を探りに行くか‥〉
海はスケジュールを確認しながら社に電話を掛け人の手配を進める。
「‥じゃぁ、そう言う事なんで暫くそっち張り付きます‥ええ‥はい‥じゃ!」
そう言って電話を切るとびっしり埋まっている手帳を更に黒く染めるようにペンを走らせた。数日、出社や連絡が無くても編集長を始め誰も煩く言う事は無く実際、海にはそれだけの実績が有った。だいたいの予定を手帳に書き込むと優先順位をどうするかを考える。ペンを片手に警察署の脇で考え込んでいると陸が数人の刑事達と裏口から署内に入って行くのが見えた。海はもう一度スマホを取ると陸にコールする。
「お疲れ‥今日は休みじゃないのかよ?」
陸が電話に出ると開口一番そう聞く。連勤遅番の場合は大抵その翌日は休みだからだ。
「ちょっとな‥暫く帰れんからそのつもりでいてくれ‥忙しいから切るぞ‥」
陸はそれだけ言って一方的に電話を切る。いつもの事ながら素っ気無いと海は溜息を吐き、スマホをポケットに押し込んでその場を立ち去った。
自宅に戻ると自転車から車に乗り換えあの写真の廃工場へ向かう。次の予定まで二日ほどあるので少し調べてみようと思ったのだ。現着すると離れた所に車を止め辺りの様子を徒歩で窺った。海岸線に面しているせいで冷えた潮風が身体に沁みる。ザっと眺めると波止場に釣り人がちらほら、機械音が響く工場では其処彼処で人や車が作業に準じている、よくある工場地帯の景色だ。例の廃工場は敷地的に他の工場の倍くらいの規模があり、フェンスには有刺鉄線が巻かれていて地面は所々コンクリートの合間から雑草が伸びている。出入口の錆び具合から長く人が出入りしていない感じがした。
〈海沿いからだと堤防に登ればそれに添って中に入れるか‥〉
考えながら注意深く工場の周りを歩き一頻り見て回ると車に戻って食事を取った。そして車の中で仮眠を取ったり記事を纏めたりして時間を潰す。日が落ちて辺りが静かになると海は工場の方へ車を移動させた。昼間と違い人っ子一人見当たらない。廃工場の前で無くそこから死角になる位置に車を止めると昼間確認した堤防の方へ懐中電灯片手に向かう。時計を見るともう夜の八時を回っていて流石にこの時期だと海沿いにも釣り人すらいない。工場地帯のせいで街頭以外の灯りは無く堤防も暗闇に包まれていた。堤防から工場の敷地に入り、建物の傍まで来ると入り込めそうな場所を探すが何処も厳重に鍵がかかっている上に、覗けそうな窓は上の方で中の様子は分からない。海は粘り強く建物を調べ中に入る方法を探したが見つからず車に戻る事にした。
敷地を出ようと入って来た場所まで戻る最中、道路側の方からチラチラと光るものが見え慌てて電気を消し建物の陰に身を隠す。それは数台の車らしく海が車を停めた反対側の工場の方へ向かって行った。何事だろうと物陰に隠れつつ身を潜めながら、堤防沿いにそちらへ向かうと停車した車の方を見る。数人の男達が車を降りて何か話しているようだ。海はその中の一人を見て目を見開いた。陸だ。よく見れば知った顔がちらほらいる。
〈何だ‥もしかして捕りモノか?〉
少し沸き立つ心を押さえ、カメラを取り出しながら男達が向かう先へ視線を移し、こっそり後をつけるように場所を移動した。そして各班に分かれ一つの工場を囲むように散らばるのを見ると、その建物を監視しやすい位置に着き海は時折カメラを回す。陸達は全く動かず潜み続けその内にどんどん夜は更け、気付けば二時間以上が経過していた。
すると一台のバンがやってきてその建物の前に停車し、一斉に刑事達がそれを囲んだ。しかしバンはその刑事達を振り切り逃走を図ろうとしたが時既に遅しで警察の車両が道を塞いでいた。運転手を始め乗車している者達が一斉に車から降り蜘蛛の子を散らすように逃げ始めると刑事達はそれを追う。途中、何度か発砲音が聞こえ、相手が銃を持っている事が分かった。静かな工場地帯は飛び交う怒号で一気に騒々しさを増し、海は犯人の一人を目で追いながら堤防を走る。その一人が例の廃工場へ入り込んで行くのが見えた。
「おいっ!こっちだ!」
海は道路の方へ出ると被疑者を探し回る陸を見つけ声を掛ける。
「何だってお前がこんな所に居るっ!?」
「偶然そこの廃工場に用があって‥それよりお前らが追ってる奴の一人がその廃工場に入って行ったぞ」
怒鳴る陸に海は弁明しつつ情報を伝えた。
「とにかくお前はさっさとここから立ち去れ!」
陸は言い放ち、すぐに一緒にいた刑事とその工場へ向かうが海は聞かずに二人の後に続く。そしてふと自分がこの暗闇で一度も懐中電灯を使っていない事に気付いた。暗闇に目が慣れたせいもあるだろうが、それでもこんなにはっきり周りを視認出来るのは可笑しい。また一つ自分が人では無いモノである事を実感する。
後を追いながら元々あったフェンスの穴を無理やり押し広げて入った跡が海には確認出来たのだが陸達は気付かず通り過ぎた。
「陸、こっちだ!!」
思わず海は陸を呼び止め、それを聞いて二人は振り返る。
「海、離れろと言った筈だ!」
「良いからほらココ!
早く追わないと逃げられるだろ!?」
陸が怒るのを宥める様に穴の開いたフェンスを指して海が言うと二人は顔を見合わせ無言で頷きその穴を通り抜けて中へ入る。
「お前は此処にいろ!」
陸が念を押してから連れの刑事とその穴を潜り中へ入ると、見えなくなってから海もそれをこっそり追いかけた。建物まで来ると陸は刑事と控えめに辺りを照らしながら建物の辺りを探している。
「おい、向こうだ」
後ろから小さく声がして二人が振り返ると海がすぐ傍で反対方向を見ていた。
「海、あそこから動くなと‥」
陸が言いかけると海はしぃっとゼスチャーをして見せ思わず言葉を切る。
「入る所を見たのか?」
陸の後ろから連れの刑事が小声で聞いた。
「いや、見ては無いけど昼間来た時にこの工場の扉は全部厳重に閉まってたんだ
でもあの扉だけ少し開いてたからそこから中に入ったと思う」
海が説明すると陸は盛大に溜息を吐いた。
「もう付いてくるなとは言わんからせめてオフレコにしてくれ‥それと絶対に俺達の前へ出るな」
呆れたように言うと陸は海の示した扉へ警戒しながら連れの刑事と歩み寄り海はそのすぐ後に続く。海は陸の後を追いながら二人の動向に集中していたが普通なら判ら無いような感覚を認知している事に気付いた。周りで行われる捕り物等の雑踏以前に人がそこに在ると言う感覚的な人の気配のようなモノ、それを感知する事が出来たのだ。
ライトを消しそっと扉を開けて順に中に入るとやはりその人の気配というモノを強く感じた。姿勢を低くして陸と刑事は中を窺うが真っ暗で何も分からず、かと言って下手に明かりを点ければ逃げられるかもしれないし拳銃を所持していれば標的になる。
「右側のプレハブの中に居る
ここならたぶん明かりを点けても相手から見えない」
暗闇で見えない筈の建物内がぼんやりではあるが分かる海は小声で二人にそう言った。
「こんな暗闇の中で見えるのか?」
訝しげに刑事が小声で聞くと海は慌てる。
「えっと‥これでも夜目は利く方なんで‥
それに微かだけどほら、人の気配っての分かるじゃないっすか?」
誤魔化すように同じく小声で言う海に陸は突っ込む事は無かったが険しい表情をして見せた。海は陸に目線を合わせないようにしながら懐中電灯を服で覆い照度を絞って点けると少しだけ周りが見えるくらいの明かりを灯す。流石に廃工場だけあって機械類は取り払われてだだっ広い空間が広がっている。一番奥にプレハブが並んで在った。三人は壁伝いにそっとプレハブに近寄り陸達は慎重に中を窺うが摺りガラスの窓で中は見えない。海がここにいるとゼスチャーで示す。その時、海は別の気配に凍りついた。人の気配では無い何か異質な気配がプレハブの下にある。しかも一つや二つではなく複数の気配を感じた。そんな海を余所に、陸と刑事はプレハブのドアに手をかけ一斉に飛び込んで一悶着の末に被疑者を確保した。そんな事を気にもかけず海はもう下にある気配に身体が固まって動けない。
「どうした?」
被疑者を連れて出てきた二人は海が硬直してるのを見て声をかける。
「は‥早く出よう‥」
何とか固まる足を動かし傍まで来ると脂汗を掻きながら海は陸に言う。
「ああ、それより明かりをくれ
手錠が上手く掛けられん‥」
陸は刑事と共に被疑者をやっとの事で押さえながら返した。
「それ所じゃねぇって‥
とにかく先に此処を出ねぇと‥」
海が顔面蒼白になりながらプレハブに目をやると何事かと陸もそちらを見るがこれと言って何も無い。
「良いから早く明かりを貸せ!」
刑事が焦れて怒鳴ると海はハッとしたように懐中電灯から手を離してしまい、ガシャンという音と共に辺りはまた暗闇に包まれる。チッと舌打ちすると刑事は被疑者を抑える反対の手でポケットからライターを取り出し点けた。
「藤木、早くワッパ掛けろ!」
刑事が言うと陸もまた片手に持っていた手錠を被疑者に何とか掛け、落ちた懐中電灯を拾い上げた。そして明かりを点け直すと二人はプレハブを見て固まる。擦りガラスの向こうに何かが蠢いているように見え、次の瞬間、プレハブの壁がどんどん赤く熱を帯び溶け出し始めたのである。まるで火炎放射機で内側から熱しているようだった。
「駄目だ、早く逃げろっ!!」
海は叫ぶと恐怖に固まる身体を無理やり動かす。刑事と被疑者は始め固まったままその様子を見ていたが中から化け物の顔が覗き始めるとわぁっと叫んで出口に向かって走り出した。プレハブの炎上で周囲は明るくなり工場内がよく見えたお陰で皆は真っ直ぐ元来たドアを目指した。しかしすぐ傍まで来た時に何かが飛んできて扉に当たり出入口はバンっと勢い良く閉まって変形したのか中からどうやっても開かない。
「くそっ!何なんだっ!!
誰かいるなら開けてくれ!」
悪態を吐きながら必死にドアを叩く刑事。
「他に出口を探しましょう!」
「くそ、仕方無ぇ‥」
陸が言うと刑事は被疑者を引っ張り先へ行こうとするが被疑者はもう腰を抜かしかけでヨタついていてなかなか進めない。陸がそれを反対側から支えて後方を振り返ると化け物達が迫っていた。被疑者もそれに気付き思わず叫び声を上げると刑事は振り返らないままより足を速める。少し化け物との距離が出来ると化け物は火球を吐き出し進路を塞いできた。海は辺りを見回して出られそうな扉を探す。化け物がいる反対側の壁面に出入口を見つけると何とか扉まで来た。だが当然の如く鍵が掛けられているのか開かなかった。
「俺が囮になるからその間に拳銃で打ち抜くなりして鍵を壊して出ろ!」
化け物達はどうやら早く動けないようで、それに気付くと海はそう言ってから化け物の方へ向かって走り出す。
「海!」
陸はその手を掴もうとしたが擦り抜けた。後を追おうとしたがまずは二人を外に出そうと鍵の部分を拳銃で何度か打ち、ようやく扉が開くと二人に出るよう促した。
「徳永さんは被疑者を連れて逃げて下さい
俺はあいつを連れてきます!」
陸は刑事に言ってすぐに海を追う。刑事は一瞬、陸を制止しようかと躊躇ったがとにかく助けを呼ぼうと先に被疑者を連れて仲間の元へ急いだ。
持っていたカバンを化け物に投げつけ海が自分の方へ誘導すると陸は援護するように発砲し、化け物は一瞬だけ動きは止まるものの何食わぬ顔でまた動き出した。
「陸!逃げろって言ったろうがっ!」
陸に気付いて海が足を止め怒鳴った。
「バカか!走れっ!」
陸は化け物の間を擦り抜けて海の方へ来ると怒鳴り返し二人は駆け出す。化け物は炎の塊を放ちながら進んで来たが二人はそれを何とか避けながらプレハブの方へ引きつけようと必死に化け物を挑発した。海と陸が徐々に化け物に囲まれ、ここが頃合いと出口に向かって走り始めたが炎に阻まれて上手く進めない。仕方なく化け物の間を縫うようにして進むが限界があった。
「援護するから先に行け!」
「バカ言ってんな!
お前が先に行け、俺はちょっとやそっとじゃ死なない!」
陸が言うと海は答えて手にした鉄パイプを構えて陸に背を向けた。
「早く!」
海の背中を戸惑いながら見ている陸に海は追い立てるように叫んだ。
「せめてこれを使え!
絶対に付いて来い!」
陸は海に拳銃を手渡すと走り出し、海はパイプを放り投げ受け取った拳銃を構える。陸は海を信じて化け物を避けながら走るがかなり際どい。海はそれを援護しようと発砲するが慣れない物が当たる筈もなく無駄打ちして結局、弾が無くなった。
「くそっ!」
援護する筈が陸を危険に晒す羽目になり、海は吐き捨てながら拳銃を化け物に投げつけ慌てて走り出した。二人で化け物と炎を何とか擦り抜けあと少しで出口という所まで来ると誰かが扉を開け放つ。
あの朝日に染まっていた赤毛の青年がそこにいた。
そして身を低くしたかと思うと信じられない速度で走り出し、手を触れると化け物は爆発するように炎上した。工場内はまた炎に包まれ真冬とは思えないほど熱くなる。それを見ると化け物達は一斉に青年に向かって炎の塊を投げつけた。
「危ないっ!!」
海は叫んだが青年は涼しい顔で身動き一つしない。すると炎の塊は青年の手前でまた爆発するように炎上して消えた。
「早く逃げろ」
静かに青年が二人に言うと目の前の出来事に見惚れていた陸達は我に返って出口まで駆ける。そして出口まで来ると二人はもう一度、青年の方を振り返った。次々に化け物を燃やし尽くす姿に思わず時が止まる。全ての化け物を殲滅し終えた青年がゆっくりこちらを向くと炎に浮かぶその姿はまるで美しい紅蓮の鬼のように見えた。工場内は炎に包まれ建物が崩れ落ちるのも時間の問題だ。
「早く出よう」
陸が言って出口に身体を向けた刹那、上から何かが陸の身体の上にボタボタと滴り落ちてきて二人は上を見上げる。キャットウォークの上にまた違う化け物がいて、まるで涎のような物を滴らせながら二人を見ていた。グルグルと唸りを上げるとそいつは俊敏に飛び降りてきて陸は咄嗟に海を外に押し出しドアを閉める。
「陸っ!!」
海は叫ぶとドアを開けようとしたがびくともしない。
「早く此処から‥ぐあっ!!」
ドア越しに陸の声がしたと思ったらすぐに叫び声に変わりそれを聞いてドアを叩き続けながら海は名前を呼ぶ。しかしすぐに呆気無くドアは開いて青年が気を失った陸を抱きかかえていた。
「ここから離れるぞ‥」
表情も変えず青年は言いながら何事も無かったかのように前を通り過ぎた。驚きを隠せないまま後を追い車の傍まで来ると青年は陸を地面に下ろす。
「おい!陸!」
海は声を掛けながら身体を揺さぶったが触れた部分に違和感を覚え、よく見ると陸は大量の血に塗れていた。
「おい!しっかりしろ!!」
海は叫ぶように更に声を掛ける。
「無駄だ、出血は致死量を超えてる上にあいつの体液を被っている‥もう目を開ける事は無い」
「頼む、助けてくれ!
何だってするから‥陸を助けてくれ‥」
静かに青年が言うと海は悲痛な表情で懇願した。もう息はしているのかしていないのか分からないほど弱く青年は屈んで海の腕を引っ張るとポケットからナイフを出し陸の傷口の上で海の手首を切り付けた。
「ぐぁっ!!」
痛みに思わず海が叫び、止め処無く噴き出す血液は陸の身体を思い切り濡らし始めた。勢いが弱まると青年は傷口をグッと抑え込む様に握る。
「情けない声を出すな‥こいつはもっと苦しむ羽目になる」
海を睨むように言うと青年はチラリと陸を見てから視線を戻す。海はその顔を恨めしそうに睨み付けると陸に視線を移した。陸は何の反応も示さずその呼吸はどんどん衰える。少しそのままでいた青年だったが出血が止まると海から手を離し静かに立ち上がった。海は恐る恐る傷口を見るがもう血は止まり傷も塞がっていて少しふらつきながら陸を車に乗せる。運転席へ乗り込むと助手席に青年が座りナビを立ち上げた。
「おい、合流場所を転送しろ」
いつの間にか手にしたスマホで誰かに言うと電話を切りナビには程なく目的地が触れてもいないのに設定される。
「ここへ向かえ‥」
海が言われるまま車を出すと青年は軽く指をパチンと弾く。すると地面に残された血痕が炎と共に跡形も無く消失した。海は刑事達がいる騒々しい方向を避けて大回りする形で工場地帯を抜け、ナビに案内されてただ直走る。辿り着いたのは何も無い山の中、海は車を停めると後部座席を見た。陸の顔から血の気が失せていて海は慌てて車を降り後部座席の陸を抱き起すがもう息はしていない。
「おい、陸っ!陸っ!!」
海が叫びながら陸の身体を揺さぶると力無く腕が落ちる。海は発狂しそうに何度も叫ぶと陸が呻きながら薄く眼を開けた。それに気付いて海は少し安堵したようにまた名を呼ぶがその声はまるで陸には届いていないかのように反応は無い。しかし次の瞬間、眼を見開くと叫びながら苦しみ始め、暴れる陸から手が離れそうになり海は必死にそれを抑えつける。
「おいっ!これはどうなってんだっ!?」
助手席に座ったままの青年に怒鳴る海。
「苦しむと言った筈だ‥もうすぐ到着するからそれまで抑えていてやれ」
態勢も変えずに言う青年に少し苛立ちを覚えながらも海は必死で陸を抱きしめる。普段から何があってもこれほど苦しむ姿を見せた事は無く、仕事で大怪我をした時も呻き声さえ上げなかった。海の目に涙が溢れ出す。たった一人の肉親を失いたくは無かった。でもこんなに苦しむ兄を見たかった訳じゃない。
「‥来たな」
ポツリと言ってから車を降り道の中央に立って指を弾くと道路沿いにフワッと明かりが灯った。するとトラックがその明かりを目印にこちらへ走って来て停車する。運転席から下りてきたのは明希だ。明希は青年と少し言葉を交わすと海の元に歩み寄ってきた。
「大丈夫か?」
静かに明希は海に話しかける。相変わらず叫びながら藻掻き続ける陸を押さえ海は泣きながら訴えるように明希を見た。
「すぐに調整槽へ入れよう‥」
明希は言ってからペンぐらいの筒のような物を取り出し陸の首元に押し付ける。暫くしてすぐに陸は動かなくなった。
「一時的に仮死状態にしただけだ‥心配するな」
明希に言われてグッと何かを堪え唇を噛むと誘われるまま陸をトラックの荷台へ運ぶ。以前、海が入っていたカプセルに陸を横たえると脇にあるシートに腰を下ろして頭を抱える。
「あんた、自分のせいで兄貴がこんな目にあったって事に気が付いてるか?」
明希は手際よく機会を操作してカプセルを閉じると海の方を見て静かに聞いた。海は何も答えずただ項垂れたまま頭を抱えている。
「まぁ、これで恐らくあんたらの存在もバレちまった
一体これからどうするよ?
俺達と戦うか大人しくみんな忘れて誰も来ないような僻地で隠遁生活するか‥
無論、最低限度のケアはするがな‥」
明希は一連の操作をしながら溜息交じりに言うと終えてから海の方へ向き直り煙草を咥えた。
「俺はどうなっても良い‥戦えってんなら戦う
けど陸は‥陸だけは普通の生活に戻してやってくれ‥」
震える声で答える。
「死を選ぶという選択方法もあるが?」
明希が煙草に火を点けながら聞くが海は何も答えない。
「辛いぞ?」
更に明希は続けるがやはり海から返事は無かった。溜息を吐くと頭を掻き明希はその場を離れる。トラックはゆっくりと箱庭へ向かって走り出した。
トラックが箱庭に到着し施設内のカプセルに移される時に着ている物を全て脱がされ、まるでモルモットのように扱われる陸に海は少し抵抗して見せたが明希に抑えられ別室へと移される。
「おい、何時までそうしてるつもりだ?」
施設内のラウンジのような場所に連れて来られると海は椅子に蹲るように座って誰とも口を聞かず、見兼ねた明希がそう声を掛けた。
「分かってる、あんたらが陸を助けようとしてくれてる事‥
でも‥それでもあんな扱いは見てらんねぇ」
そのままの体勢で顔も上げずに海が絞り出すように答えると明希は溜息を吐き隣に腰を下ろす。
「まぁ、すぐに受け入れられるもんじゃ無いわな‥だがこれが現実だ
とりあえず兄貴の状態はかなり酷い
あんたのように中途覚醒のような方法はもう効かないから完全に俺達と同じになる
兄貴の生活を守りたいならあんたもレベルを上げるんだな‥」
明希が言ってから煙草を取り出し火を点けると海は少し顔を上げて明希を見る。
「レベルを上げるってどういう事だよ?」
少し疲れた声で聞く。
「調整を進めればレベルは上がり戦えるようになる
多少キツイが薬を使えば二、三日で終わるだろう‥後は訓練次第だな」
煙草を蒸しながら明希が答えた。
「じゃぁその調整ってのすぐに進めてくれよ
強くなれんなら薬だってジャンジャン使えば良い!」
海が立ち上がり明希の方を見ながら訴えた。頭を掻き明希も立ち上がると溜息を吐きながら海を連れて部屋を出る。
「長さん、調整槽使えるか?」
明希は実験室のような部屋まで来ると声を掛けた。
「おう、何時でも入れる」
白衣を腕まくりしている中年の男が振り返り明希に返す。
「例のX―W57637なんだが戦闘向けに再調整で宜しく‥民間人だからお手柔らかに頼むよ」
明希は海を指し言ってその職員に近付きながら辺りを見回す。
「あー‥っと、ウラさんはいないのか?」
「ウラジミールはあっちの手伝いだ
どうやら素質はお前と同じソルジャークラスらしいぞ?」
「へぇ、それよか頼まれてたヤツ出来たって顔見たら言っといてくれ」
「おう、分かった
再調整ならとにかくインプットだけ先に済ましちまおう」
海を他所に二人で会話をしながら準備を進めていく。
「それを飲め‥不味いが一気に飲んで絶対吐くなよ」
それなりに準備が整い、タブレットを眺めながら職員がアンプルを差し出すと海はそれを受け取り一気に飲み干す。
「注射打つからそこ座れ」
薬液を充填しながら明希も言うと海はそのマズさに吐きそうになる口元を抑えて座る。
「ハハ、まぁリアクションとしてはそんなとこだろうな」
まるで他人事のように笑いながら言う明希を海は涙目で睨み付ける。そして明希が肩口に注射を打つと見る間に海の髪の色が元の黄緑色に戻った。
「着てる物脱いで腕を出せ‥」
職員が眼で傍にある空のワゴンをチラリと指して脱いだ物をそこに入れるよう指示すると海は言われた通りにした。
「全部だ、肌着も靴も靴下も‥素っ裸になれって言ってんだよ」
そう言われて海は明希に助けを求めるような視線を送る。
「さっきの見てたろ?
此処じゃ恥ずかしいとか以前の問題だ‥諦めろ」
明希は別に気にする風でも無く答え海は仕方なく全て脱いで裸になると椅子に座り直して腕を出す。職員が出された腕に少し大きな注射器でゆっくり薬液を流し込み始めると液体がもたらす苦痛に海は呻く。
「それくらいで呻いてたらこの先続かないぜ
まだ入り口みたいなもんだからな‥」
明希がサラリと言うと海はまた上目遣いに明希を睨みつけた。
「ほら‥早く入れ」
注射を終え調整槽の入り口を開けて職員が言うと海は少しフラつきながら立ち上がり言われたように調整槽に入る。身体に電極のような物を付け調整槽が閉じられて何か液体が注入されると海は思わず息を止めるがすぐに呼吸が出来る事に気付いて安心する。するとどんどん眠気が襲ってきて気を失った。
「ま、そこを出る頃にゃだいたいの事は理解出来るさ‥」
明希は呟くように海を見ながら言うと部屋を出て行った。