反逆と忠誠
明希の部屋で右往左往しながらメタルは忙しなく何かを運んでいる。見れば医療品が殆どだ。チョコチョコ走るメタルは何処か樹莉を彷彿とさせ明希はベッドに寝そべりその様子を眺めていた。あの後、海と陸を追って司令室に行ったのだが帰ってきた安心からか明希は気を失うように倒れ、それから安静を強いられている。勿論、監視役はメタルだ。
「もう傷はほぼ塞がってるしあいつらだけじゃ心元ねぇ‥いい加減に開放しちゃくれねぇか?」
明希は足元を拘束されていてベッドから迂闊に動けない。
「ダメだ、お前は目を放すと無茶をする」
メタルに言われるとまるで自分に説教されている気分になる。明希は頭を掻きながら複雑な表情で視線を天井に向けた。本当ならすぐに抜け出せるのだが一応、明希はメタルを尊重して付き合っている。そこへ外部から明希の所へ通信が入ると明希は横になったまま腕を伸ばして頭部上方の受話ボタンを押す。
『おう‥生きてるか?』
電話の主はアレックスだ。
「ああ、あんたこそもう良いのか?」
少し気晴らしが出来たと明希は少し表情を緩めた。
『何とかな、それよりあの棺の主が分かったぜ』
アレックスが言うと明希は途端に表情を硬くする。
『あの棺の主はキャロライン・ド・リィ、リィ伯爵と呼ばれる伝説級のヴァンパイアの妹らしい』
「妹?」
明希は訝しげな表情で聞き返した。
『大司教が保存していた古い資料にあったんだ‥間違いない
それに因れば数百年前、キャロラインは自ら法王の元に出向き大聖堂の地下で眠りに就いたとある
理由は分からんが無理に捕まえた訳でも強要した訳でも無さそうだ
なのにその数年後に大聖堂はデュラン・ド・リィ伯爵に襲撃されている
当時、死んだ神父の屍で山が一つ出来たと言われてるそうだ
恐らくその時に棺を結界ごと移動したんだろう‥それから多くの討伐隊が出たが結局、リィ伯爵は見つからなかったとされている
伝説級の代物なんで何処まで本当かは分からんがもしこのリィ伯爵ってのがあの写真の若僧なら俺等はとんでもない化け物を相手にしてる事になるぜ』
其処まで説明すると言葉を切り、深く溜息を吐く。
「恐らくその文献はハッタリじゃねぇだろうな‥」
明希はあの姿を思い出しながら額に汗を浮かべて返す。文献や記録とは大げさに書いてあるものだが神父の屍で山が出来たというのは本当の事だろうと思った。内容もキャロラインが妹という事実を除けば英梨香の話と符合する点が多い。それに実際に見たあの威圧感は化け物になった己の身が普通の人間に戻ったのかと錯覚させる程だった。
『会ったのか?』
尋常でない動揺を含んだ返答に何かを悟ってアレックスが返すと明希は知らずに震えていた己の手を眺める。
「ああ、ありゃ正真正銘の化け物だ‥
全く勝てる気がしねぇ‥」
恐怖を払拭するようにその手をグッと握りながら答えて薄く笑みを浮かべた。
『仮にそいつがリィ伯爵だとしてけして顔を見せなかった奴が何故、今、出てきたのか‥とにかくこっちはその情報で法王庁がパニックだ
今、精鋭を総動員して居所を探ってるがまだ場所が掴めねぇ
お前ん所で何か情報は無いか?』
アレックスが言うと明希は少し考えてから今までの経緯を簡潔に説明する。
「とにかく俺達もあいつを探してる
今は動けんが明日には俺も心当たりを直に当たってみるつもりだ」
最後に明希は付け足すと話を終えた。
『そうか、俺も戦線には参加出来る状態じゃねぇが対ヴァンパイアに関する術は幾らか使える
今からそっちへ向かうから俺も捜索に加えてくれ』
アレックスの申し出を受けると明希は通話を終えて深く溜息を吐く。ぼんやり天井を眺めていると視線を感じてそちらを見る。
「織彩が言っていたんだが俺達の身体はお前達オリジナルの身体によく適合するらしい
俺の身体をお前の身体に融合させればもう少し戦えるんじゃないか?」
じっと明希を見つめていたメタルが明希の視線がこちらに向くと言った。明希はそれを聞くと少し驚いたような顔をする。
「俺達はもともとお前達の細胞を媒体に作られている
全く違う個になったとは言っても同じ血を分けた命だ
お前の糧になるなら俺はお前の一部になる」
続けるメタルをジッと眺めると明希はまた天井に視線を戻し溜息を吐く。
「確かにやってやれん事は無いだろうがそれはお前の個を失くすという事だ
言ってみれば死ぬのと同等だろう?
俺もお前が嫌いじゃない‥だからそんな事はしねぇよ」
答えるとゴロリと背を向けた。
「ファイアは既にサイファの為に身体を提供した
そうしないとサイファの命が尽きたからだ」
明希はガバッと身を起こすと驚いてそう言ったメタルを見る。
「お前達が出て行ってすぐだった‥サイファの細胞が分解し始めたんだ
何とか織彩達がそれを阻止しようとしたが分解速度が速くてな‥自分の片割れの姿が崩れ落ちる恐怖の中であいつは決断した
俺はあんな想いはしたくない
だから恐怖を感じる前に俺はお前の中に帰りたい」
淡々と言ったメタルはけして視線を逸らさない。明希はグッと唇を噛み厳しい表情をして足にされた拘束を取るとふらつきながら歩き出す。メタルは何も言わずにそれに続くと歩き続ける明希の跡を追う。明希は調整室まで来ると少し呼吸を整えるように大きく息を吐いてからドアを開けた。調整槽にはサイファの姿が相変わらずあるがその容姿は少し変化している。髪の色が元に戻っているのだ。それを呆然と眺めて歩み寄り傍まで来ると立ち尽くす。
「融合した途端に元の人間に戻ってしまったの
力の数値は格段に増してるのに‥どういう事なのか‥」
茫然とする明希に織彩が手を止め戸惑いながら答えた。シルビアと紫苑はまだ無言で忙しく端末を叩いている。
「もう大丈夫なのか?」
サイファの安否を確認するように織彩の方を向くと織彩は安心したように少し笑みを浮かべて頷く。
「けれどもう怪我をしても以前のように治らないし病気にもかかってしまうわ
下手をすれば自分の力で死ぬ事になる」
端末を叩きながら厳しい表情で紫苑が言う。それを聞くと明希はもう一度サイファを見る。ふと隣にいたはずのマリーがいない事に気付いた。
「マリーは?」
「叔父様に呼び出されてロックと一緒に後始末の手伝いよ
組織が崩壊したんですもの‥組織関係者も携わる各国もパニック状態よ
身を守りながらこれからの事を交渉しなければならないから当然の判断だわね
それに試薬品が流出したと思われるアンデッド騒ぎの事もあるし‥細かい事や表向きに収束しなければならない案件で叔父様も手いっぱいなのよ」
明希の問いに今度はシルビアが表情も変えず作業をしながら答える。確かに外交的な面で明希達が動く事は出来ないのだから必然的にそうなるだろう。第一、政治的駆け引きや根回しにはある程度のブランドがいる、ヒューバートはその点、世界に顔の知れた一流ブランドだ。彼が直接駆けまわれば多くを隠蔽しながら話を優位に進める事が出来るだろう。少し視線を辺りに振ると明希はまた考え込むようにサイファのいる調整槽を見ながら沈黙した。
「サイファは何時出られる?」
ポツリと明希が聞くと織彩はデスクの端末で計算し始める。
「最低でもあと4時間‥本当なら7時間は欲しいかも」
出てきたデータを眺めて答える織彩の方を向くと明希はまたちょっと考え込む。
「なら十分、調整してやってくれ‥出たら俺に連絡をくれと伝えてくれないか?」
そう言い残すと調整室を後にする。
「おい、そのまま戦うつもりか?」
調整室を出ると何か言いたげなその質問に明希は足を止めて振り返る。
「お前はもう既に一つの個だ
言いたい事は分かるが俺はお前を死なせたくは無いんでな‥その代り傍にいて協力して貰う‥それで勘弁してくれ」
沈黙のあとそう答えを出した明希にメタルは一つだけ頷く。明希はそんなメタルを抱え上げると自分の肩に乗せて部屋とは違う方向へと歩き始めた。
テラスのテーブルで樹莉は正座をして難しい表情で固まっている。
「だから何もしないって言ってるでしょ?」
英梨香はそんな樹莉を見ながらコーヒーミルクを入れる小さなカップに入った紅茶を差し出した。
「でもサイファとケンカしてたの」
あの古城での戦いの時にサイファと英梨香の戦いに割って入った時の記憶がある為か樹莉は英梨香に対して緊張感を持っている。何よりきつい口調でものを言う怖い女性というイメージしか無い。
「仕方ないでしょ!
敵同志なんだし‥あ、今は君に敵対心は無いからね!
それにデュランの友達になったんなら私にとっても大事な人だし‥」
何だかあの時と違う様相と雰囲気に英梨香もかなり戸惑っているようだ。
今朝、デュランの下で目覚めた樹莉は朝食後に英梨香に引合されてからずっとこうして二人でいる。デュランは暫く留守にすると言ったきり屋敷を出て行ったまま昼を回っても戻って来ない。デュランが留守にする間、樹莉の警護を頼まれたのだが樹莉は英梨香を怖いものと判断してなかなか馴染もうとしない。
「ほら、これ食べたら良い所に連れてってあげるから‥ね?」
少し面倒臭いなと思いつつも英梨香は機嫌を取ろうとするが樹莉は出された生クリームのいっぱい乗ったケーキを見たまま動かない。しかし空腹に耐えかねて一口だけ難しい顔のまま口に含んでみるとクリームはフワッと溶けて消えた。そのほのかな甘さに感動して樹莉は思わず顔ごとケーキに突っ込むように生クリームを堪能する。此処へ来てから目新しい食べ物は然程無かったがどれも今までに食べた事の無い美味しさで樹莉は食事の度に感動していた。
「美味しい?」
その様子を少し含み笑いで見ながら英梨香が聞くと樹莉はぼふっと生クリームだらけになった顔を英梨香の方へ向ける。
「凄く凄く美味しいの!」
満面の笑みで言ってからまたハッとして表情を険しくした。今日はもうこれの繰り返しである。
「ほら、そんなに慌てなくても取ったりしないから‥私の分も上げるからゆっくり食べないといっぱいクリーム付いてるよ」
そう言って笑いながら自分のケーキ皿を差し出すと傍に有ったナプキンで顔を拭く。その悪意の無い優しげな笑顔に樹莉はむぅっと考える。何処かしら明希を思い出させる彼女に樹莉は少し警戒を解いた。
「あ、ありがとうなの‥」
拭き終ると樹莉は戸惑いがちに礼を言う。
「どういたしまして‥それよりちゃんとお風呂に入った方が良いかもね
服まで染みついてるし‥」
英梨香は微笑みながら言うと樹莉の服を指差した。樹莉がそう言われて服を見ると生クリームだらけでズルズルになっている。照れたように今更、顔を赤くして慌てると英梨香はまたプッと笑う。
「大丈夫、洗って貰えば良いから‥それより早く食べなね」
英梨香は言うと更に自分の分を樹莉の方へ押してやる。樹莉は戸惑いつつもそれをモサモサと食べ始め、全て食べ終ると執事がテーブルの食器を下げ、代わりに浅めのトレーにドールハウスにあるような小さなバスタブを持ってきてお湯を注いだ。樹莉は戸惑いつつも執事と英梨香を交互に見ると視線で促されてそのバスタブの方へ歩いて行く。余りにも可愛らしく綺麗なバスタブを樹莉は物珍しそうに眺めたり触ったりしてみる。
「お風呂だよ‥こういうお風呂は入った事無い?」
英梨香が聞くと樹莉はぽかんと見た。
「樹莉くん小鉢やお椀のお風呂しか入った事無いの‥こんな綺麗なお風呂、初めてなの」
感動したように返す。そしてそっとバスタブのお湯に触れてみる。
「お湯加減は宜しいですかな?」
執事が聞くと樹莉はこくんと頷き執事はそれに微笑みで返す。そして徐に服を脱ぐと樹莉はバスタブに浸かってみる。陶器のバスタブはとても心地よく肌触りも良かった。空かさず執事は樹莉の服を持つと足し湯をしてから出て行く。樹莉が満足そうに溜息を吐くと心地良い風がテラスを吹き抜けた。
指令室で海達は慌ただしく情報をかき集めてはそれを要か不要かに振り分けて少しでもデュランや樹莉の居所を掴もうとしていた。
「これは結構有力やな‥
はぁ、でもそろそろ限界や‥ちょっと飯食うてくるわ‥」
その資料から迦狩は二人の痕跡を探すがずっと慣れない力を使っていたせいかどんどんその判別速度は遅くなっていた。
「おう、その間に今まで出てきた情報から位置を探ってみる
後、ちょっと寝た方が良いぞ‥帰ってから殆んど寝てないだろ?」
「そらお互い様や‥」
海が言うと迦狩は疲れた笑顔で手を振って指令室を後にする。ラウンジに来るとぼんやり食事を取っている織彩に出くわした。どうやら彼女も今しがた此処へ来たらしい。
「なんやあんたも休憩か?」
気さくに声をかけると織彩は同じく疲れた顔に笑顔を浮かべる。
「うん、とりあえず一段落したから‥少し休憩を取ったらまた頑張らなきゃ」
健気に疲れを隠し微笑む彼女は実に愛らしいと迦狩は思う。少し微笑み返してからカウンターで食事を注文しそれをトレーに乗せて織彩の席に戻ってくると向かいに座った。
「そう言うたらあんたもあいつらと同じなんやろ?
やっぱりあんな力使えるんか?」
ズバリ思ったままの事を聞く。
「同じとはちょっと違うかな‥私は異質な細胞とママの細胞を使って出来た人工人間みたいなものだから‥
あ、でもクローンって訳でも無いんだよ
何て言うのかな‥普通の受精卵じゃなくって精子側にあたる細胞が特殊生命体だっただけで‥
私の細胞から変異遺伝子を取り出して感染させたのが明希達、バーサーカーなの
本来なら親株の私にもそういう力がある筈なんだろうけど私には全くそういう素質は無いみたい
何をインプットしても脳を刺激してもそんな力の波形は見られなかったから‥」
織彩がそう語ると迦狩は何となく複雑な気分になる。見た目は自分より年下なのに明らかに子供に教えるように説明しているのがよく分かったからだ。調整室で飛び交っていた専門用語が一言も出て来ていない事でそれが理解出来る。
「ふーん、それも何やおかしな話やな‥
俺は難しい事は解らんけどホンマやったらあんたさんの方がどえらい力持ってそうに思うたんやけどな」
気を取り直しつつ返すと食事に手を付けた。
「本当は皆みたいに力が使えたら良かったんだけど‥そうしたらもっと皆を守れたのになぁ‥」
ポツリと呟いて織彩は俯き加減で寂しそうに微笑んだ。その姿がとても儚く、か弱く見えて迦狩は明希達がこの少女を守りたいと感じた訳がよく分かった。
「別に力なんか無くてもあんた十分、皆の事守っとるやろ‥
あんたがおらんかったらあいつら当に死んどった‥ちゃうか?」
表情も変えず、さも当たり前と言わんばかりに言った迦狩に織彩は少し躊躇いがちに微笑む。邪気の無い顔に迦狩はまた少しドキッとしたがそれを誤魔化すように視線をトレーに向けた。
「それより目の下にクマ出来とる‥若い間から無理しとったら歳いってから難儀する言うておかん言うとったから睡眠はちゃんととらなあかんで‥
いくら別嬪でも寝不足は美容の大敵や‥」
少し茶化すように言うと織彩は始めポカンとしたあとクスクス笑う。
「ありがとう‥何だか少し元気出てきた」
笑いながら言う織彩を見て迦狩もホッと笑顔を作る。少しの間だけ談笑すると織彩は食事を終えて先に席を立ちラウンジを出て行った。それを見届けると迦狩は手早く食事を済ませてコーヒー片手に自分もラウンジを出ると仮眠を取る為に庵へと向かう。庵の前まで来ると出てきた明希とばったり出くわした。
「東條を見なかったか?」
辺りを見回しながら聞く明希に迦狩は少し呆れたような顔で溜息を吐く。
「まだ起きん方がええんちゃうか?
まぁ無茶すんな言うても無理な状況やろうけど‥あの人やったら此処におらんかったら部屋ちゃうか?」
「いや、部屋にも見当たらない
何か聞いてないか?」
迦狩が返すとすぐに明希も答える。
「いーや、こっちにはいっこも顔出してへんし何も言うて来てないけど?」
同じように少し辺りに視線を走らせて迦狩は気配を探ったがこの辺りにはいなさそうだ。
「まぁ、せっかくやから今までの状況説明しとくわ‥入りや」
迦狩は明希に庵に入るように促すと先に中へ入った。やはり中は蛻の空で誰もいないが少し違和感を覚えて迦狩は奥の箪笥を眺める。
「空間が歪んどる‥」
微妙な違和感を口にすると明希は迦狩の視線の先を追うが何も変わった感じは無い。
「俺には解らんが‥どういう状態なんだ?」
明希は迦狩に視線を戻して聞くと迦狩はそっと歪んだ空間の傍まで来て辺りを見回す。
「此処ん所に少しやけど僅かな歪があるねん
こういうもんは下手に触るととんでもない事になるからその歪んどる原因を探さんと‥あの人がやった事やろうから滅多な事は無い思うねんけどな」
空間が歪んでいるという場所を軽く指差しながら辺りに気を配る。
「此処かな‥」
ある一点に視線を向けると迦狩はそちらへ歩いて行き半間の開きの前に立つ。そして取っ手に手をかけるとそれを開いた。
「うわっ!」
開けた途端にドサッと何かが倒れてきてよく見るとそれは東條の身体で全く意識が無いような状態だ。
「おい!何があってん?」
迦狩は咄嗟にその身体を抱き起し声をかけるが明希は始め驚いたように駆け寄り、ハッとして身を返すと箪笥を開けた。あの紙の包みだけがきちんと仕舞われていて東條の元の姿だというミイラは消えている。
「どうやらそれは抜け殻だな‥」
呟くように言うと少し表情を厳しくした。
「抜け殻?どういうこっちゃねん?」
明希の行動をポカンと見ていた迦狩が返す。少し迷ったが迦狩になら話しても大丈夫だろうと明希は掻い摘んで東條の事を話した。迦狩はすぐに納得したのか暫く沈黙して意識の無い東條を眺める。
「その手の話は俺も知り合いから何ぼか聞いてる
せやけど本体が残ってるっちゅうのは初めて聞いたな‥でも本体があるっちゅう事はこの状態は凄い不味い事なんちゃうんか?
下手したらこっちの身体に戻られへんようになる可能性もあるやろ?」
全てを話した訳では無いのに迦狩は其処まで理解していた。
「それも本人はかなり自覚していた
それでもそうしなきゃならん理由があるって事だな‥」
明希はいろいろな考えに頭を巡らせながら答える。
「こうして単独で動くんは俺等に何か隠してるっちゅう事か‥やっぱりあの人の師匠言うのが絡んどるせいか?」
「恐らくな‥そっち方面にゃ俺たちゃトンと疎いからな‥
何か樹莉に繋がる足がかりでも見つけたのかもしれん」
「せやかて一人で行くんは無謀やろ‥
言うても俺は今、跡追えるほど体力無いからよう飛ばれへんけどちょっと休憩さしてくれたらいっぺん跡追えるかやってみるわ」
「じゃぁ、その間に俺はあいつらの様子を見てくる‥起きたらすぐ来てくれ」
会話をしながら迦狩は手際よく横にした東條の身体に掛け布団をかけると自分も布団を出してごろんと横になった。明希は言い終えるとその様子を見届けて庵を出る。
「また無茶しようなんて考えるなよ‥」
ずっと黙って肩に乗っていたメタルが釘を刺す。
「無茶して何とかなる相手じゃない事は分かってるさ‥今度はお前もいるし何も心配してやしない」
答えて少し笑顔を作る明希に少し安心したのかメタルは小さく溜息を吐く。時折ふらつく足元を誤魔化すように明希は少し足を速めて司令室に向かった。
洞窟特有の湿気と暗闇の中で入口の方からぼんやりと薄く明かりが近付いてくる。鬼火を灯しながら入ってきたのは東條だ。静寂の中で天井から滴る僅かな水滴とその足音だけが木霊する。少し広い空間まで来ると立ち止まり、辺りを見回してから突き当りの大きな鍾乳石を目指した。まるで臼のように窪んだそこには水が溜っていて天井から滴る滴で時折、波紋を広げている。
「触れる事はならんぞ‥」
その水面にそっと手を伸ばした東條の後ろからそう声がした。東條は伸ばした手を引っ込めてゆっくりと振り返る。其処には何処となく明希に似た端正な顔をした少年が立っていてジッと東條を見つめていた。
「やはり見たのですね?」
東條はその少年を見据えて言う。
「最早、視る事も無いと思うておったのじゃがな‥如何せんこの世界の存続がかかっておってはそうも言ってはおられんで‥」
少年は姿とは裏腹に至極、年寄り臭い言葉を綴る。
「で、貴方は何をご覧になったのですか?
この世の破滅ですか?
それとも存続ですか?」
東條が冷ややかな顔で質問すると少年は少し口元を緩めた。
「お前さんの仕事は信じてやる事じゃ‥
我等はあくまで見届ける者‥儂はその流れを少し整えているだけに過ぎん
この先で如何なる事態が起ころうともそれは人が下した決断じゃで‥」
穏やかな顔で返す少年に東條は冷ややかな視線を送る。
「無責任な言い方ですね
それは神託の鏡に手を出してまで未来を覗いた方のお言葉とも思えませんが‥貴方は全てを知った上で私を利用し、このシナリオを描いたのでしょう?
数十年‥私の元に本当の姿を現さなかったのはその姿を見られたくは無かったからですか?」
ゾッとするほど冷たい声で更に質問を続けるがその問いに少年は答えない。
「私を駒にして貴方は一体どうされたいのですか?
貴方は己を見届ける者と言いました‥今も己がそうだと言い切れるのですか?」
沈黙の後に東條は重ねて続けた。
「確かにただの禁忌ならば手出しはせなんだがな‥異界にまで歪を起こしておると分かれば手を出さぬ訳にはいくまい
この世の事はこの世だけで収集するのがこの世界に生きる者の務めじゃで‥」
張りつめた空気をものともせずに相変わらず穏やかな顔で少年は答える。
「やはり我々は過ちを犯すのですか?」
「そうじゃな、しかしお前さんは何も出来ぬよ」
東條の問いに素気なく答える。
「出来ないというよりしてはならないという事ですか?
どうして貴方は何時も過酷な運命を私に背負わせるのですか‥師よ‥」
恨めしそうにその少年を見ながら声を絞り出す。
「この世に苦悩は付きもの‥それを乗り越えられれば久遠の命も辛くは無かろう?
最早、人の姿に戻る気が無いのならそれくらいの覚悟はせねばならん
幾ら人の真似事をしておっても所詮お前は鬼‥いずれは悪鬼となるか神となるか選ばねばならぬ」
穏やかに微笑んで言った少年を見て東條はグッと拳を握る。初めて拾われた時から変わらない笑顔に安心感と己の背負わされた宿命を想う。
「私は悪鬼にはなりません‥しかし神になるつもりもありませんよ‥そんな器じゃない」
静かに歩き出すと東條はそう言い残して少年の横を通り過ぎる。
「儂をこのまま放置するか?」
「どの道、貴方には勝てませんから‥それに目的が分かった今、戦う必要は無いでしょう?」
師の問いに簡潔に答える東條はその歩みを止める事は無く、少年はその後ろ姿を眺めると少し笑みを浮かべてからパチンと指を弾く。すると今まで行き止まりだった奥が開けあの水鏡を湛えた土台は消えてしまった。
「さて、最後の仕上げに向かうとしようかの‥」
誰に言うでも無く少年はフッと姿を消し洞窟が闇に包まれる。二人の想いを食らうように天井から滴る水滴の音だけが木霊していた。
空港のロビーに明希と迦狩の姿が見えるとアレックスは松葉杖を付きながら二人に歩み寄ってきた。
「おう、いきなりで悪いがちょっと付き合ってくれ‥」
顔を合わせてすぐにアレックスは言いながら手にしたカバンを明希の方へ渡してまた歩き出す。
「おいおい、それで大丈夫なのか?」
少し予想外の重傷ぶりに明希は少し疑うような眼差しを向け返した。
「これでもまだ動けるようになった方なんだよ!
それより応援を要請しといたんだがそいつが別の空港に入っちまっててな‥
地元の教会で落ち合う手筈になってるから其処まで向かうぜ」
アレックスは足を止める事も無く説明するとタクシーに乗り込み明希と迦狩もそれに続く。郊外の教会に着くと三人はタクシーから降り中へ入る。ステンドクラスが綺麗で思わず見上げる二人を余所にアレックスは祭壇の傍まで来ると十字を切って二人に目配せし、奥へと入った。それに続くと一人の神父がいて一礼すると更に奥の部屋へと案内する。
「もうすぐお着きになられるそうです」
神父はぽそっとアレックスに言うと部屋から出て行った。
「応援って言うからにはちゃんと役に立つんだろうな?」
明希が不躾に聞くとアレックスは少し困ったような表情を浮かべる。
「二人来る予定になってるんだが一方が少し天然でな‥だが対ヴァンパイアって事に関しちゃ折り紙付だ
少しは戦力の足しになる筈だぜ」
答えるアレックスに一抹の不安を覚えながら明希はその応援の手を無言で待つ。
「で、そっちのガキはまた新たなお仲間さんか?」
ようやく迦狩に視線を向けるとアレックスが聞いた。
「まぁそんなトコだ‥」
明希が素気なく答える。迦狩はガキ扱いされるのが慣れているのか反発する事も無くただじっと腕を組んだまま二人の話に耳を傾けていた。暫くするとバタバタという足音と何か話している声が聞こえる。慌ただしい足音はどんどん近寄ってきて扉をバンと開けた。
「すすすすすすいませんっ!
初めての土地だったので間違えてしまいましたっ!」
足音の主が平謝りに謝る。迦狩くらいの少女だった。修道女らしく黒い衣装に身を包んでいるが背中には大きなケースを抱えている。
「ああ‥うん、それは良いからこっち来て落着けや‥
ん?シンヴァはどうした?」
「ああ、彼はこちらの神父様方にご挨拶をされています
相変わらず律儀な方です」
困ったような顔でアレックスが問うと失礼しますと元気に言ってから答えつつ修道女は下座の椅子に腰を下ろす。明希と迦狩は大丈夫かという目で見てからアレックスに視線を移す。
「見てくれはこんなだが対ヴァンパイアに関してはプロ中のプロだ‥貴族クラスの奴もいくらか倒してきてる
まぁ、修道女としてはまだまだなんだが‥」
疑い深い視線に気付くと苦笑交じりにそう説明した。少女はそう言われて少し照れくさそうにえへへとはにかんで見せる。少ししてからもう一人、いやに冷たい視線を湛えた青年がノックの後に入ってきた。
「おう、急で悪いな‥」
アレックスは相変わらず人懐こい表情で微笑みながら言うと青年は丁寧に深々とお辞儀をしてから少女の隣に座る。
「さて揃ったところで話を始めようか‥
一応、軽く紹介しておくとイギリス教会からの派遣で来たアンジェリカとシンヴァだ
こっちは俺の友人の明希、と‥」
そこで切ってから迦狩の方を見る。
「迦狩や‥」
一言だけ答え続きを促す。
「この二人とこれから落ち合う奴等に関してはちょっと訳有りなんで教会の方には黙っててやってくれや
とりあえずこっちの資料は持ってきたんで目を通してくれ」
アレックスが紹介しながらカバンの中から資料を出して明希に差し出す。
「ほぼ電話で話した内容と同じだが細かい点が詳しく書いてある
何かの参考になるならしてくれ」
明希が資料を受け取りパラパラ捲っているのを眺めながらアレックスが続けた。迦狩はそれを覗き込むが難解なアルファベットの羅列に頭が痛くなって見るのを止める。
「余り参考になりそうなものは無ぇな‥ぶっちゃけ言うと俺達の力が何処まで及ぶか見当が付かん
そっち方面はあんたらに任すよ
それより奴らの居所なんだが怪しいのはこの二ヶ所‥結界のせいでどっちが当たりか分からんが踏み込むなら同時に踏み込みたい
こっちもあんまり良い状態じゃないんで二手に分かれるなら戦力を均等にしたいんだが‥」
一通り目を通し明希は資料をテーブルの上に置いてポケットから簡単な日本地図を出し開いて見せた。そこには赤い丸が二か所ほど打ってあってアレックス達はその点を確認する。
「そちらに陰陽師の方がいるとお聞きしたんですがその結界を通して確認する事は出来ないんですか?」
アンジェリカは明希を見ながら聞いた。
「残念ながら一番、分かりそうな奴が今、行方不明でな‥他の奴に聞いてみたら下手に結界内に意識を飛ばすと悟られるって話だ」
明希は背凭れに凭れ掛かると煙草を取り出す。アンジェはそれを聞くと地図に打たれた丸の上に手を翳し小声で何か呟くと手をもう一方の丸までスライドさせた。
「確かにこれだと悟られますね‥それに結界を超えても確認は難しいかもしれないです
どちらからもヴァンパイアの気が濃く出てますから‥」
難しい顔でアンジェは言いながら手を引っ込める。
「複数のヴァンパイアがいる可能性は?」
「神祖クラスは一人で間違いないですね
結界から漏れ出すカラーが一色なので‥ただ眷属は結界のせいで詳しく掴めません
やはりこの方の言う通り奇襲をかける方が無難だと思います」
アレックスが聞くとアンジェは空かさず答えた。皆が黙り込んで考えを巡らせていると明希の電話が鳴り響く。明希はそれを取ると一言二言短く会話をしてから電話を切った。
「こっちの準備はだいたい整った
俺と陸、海とサイファで二手に分かれるんだがあんたらはどうする?」
明希が聞くとアレックスは少し考えながらアンジェとシンヴァを見る。
「俺は今現状では防衛呪しか使えねぇんだがこいつらは逆に戦闘にしか特化してねぇンだよなぁ‥逆に聞くが戦闘に特化した奴が行けば良いのはどっちだよ?」
困ったように明希に聞き返す。
「そうだな‥俺はまだ本調子じゃないからこっちに戦闘能力が高い奴が来て貰う方が良いかもしれん
逆にサイファの奴は訳有って戦闘能力は上がったが致命傷を避けないと命に係わる
あんたらは俺達と来て貰った方が良さそうだ‥」
明希はアレックスから二人に視線を移して答えた。
「決まりだな、後はそれぞれ現地で対策を練るか‥双方の連絡手段はそっちに任せるぜ」
「ほな俺はこのおっさんと海の所に行ったらええねんな?」
アレックスが納得したように言ってから小さく溜息を吐くと迦狩が明希にそう聞く。
「ああ、もうすぐこの上空に差し掛かる筈だから連れてってやってくれ」
おっさん呼ばわりされて少しムッとしたアレックスを余所に明希が返すと迦狩は立ち上がってアレックスの傍へと歩み寄る。
「すぐ戻ってくるさかい待っててや‥」
別にそんな事を気にも留めないように迦狩はアレックスの肩に手を置きながら言うとアレックスは少し迦狩を煙たそうに見たが瞬間に二人の姿はふっと消えた。それを見ていた二人は驚いた顔で言葉を失う。
「超能力‥ESPってヤツだ‥」
明希がさらりと言いながら煙草に火を点ける。そして一呼吸した後にまた迦狩が戻ってきてそれを見ると明希はゆっくり立ち上がり二人にも立つように促す。
「悪いけど今あんまり余裕無いから振り落とされんようにしっかり掴まっててくれへんか
疲れが溜まってるせいかどうも着地が安定せぇへんわ‥」
何だか困ったように頭を掻いてから迦狩は両手を軽く広げて掴まるように促した。戸惑いながらアンジェリカは握手をするように迦狩の右手に掴まるとシンヴァは左手を掴んだ。明希は迦狩の肩をガシっと掴んで一つ頷くとそれを合図に陸の待つヘリに跳ぶ。瞬間的にヘリの中へ移動すると其処には陸の姿があった。ヘリの中はプロペラの爆音が響いていて人の声など容易に届かない。少し驚いたような二人に明希は陸から渡されたヘッドセットの一つを付け残りを二人に渡す。二人は渡された物を同じように付けながら辺りを見回した。
「ほな俺は戻るけどなんかあったら呼んでや!」
明希の耳元で大きく叫ぶと明希がこくりと頷くのを見てからまたふっと姿を消す。
「俺達の能力については聞いてるか?」
「多少は‥」
明希はシンヴァ達を見ながら聞くと二人は少し顔を見合わせてからアンジェの方が躊躇いがちに答える。それを聞くと明希は二人に己の力の詳細と陸の力の詳細を話しバーサーカーについての説明を始めた。
「だいたい理解した‥俺達は主に魔術と物理攻撃メインなのであまり人間離れしたような動きにはついて行けない
そのバーサーカーという類には対応出来ないだろうからそちらは任せる」
聞き終ってからシンヴァが答えると明希はそれで良いと言うように頷く。
一方、海の方はと言えばアレックスに質問攻めにあっていた。迦狩の事だ。
「あんなもんこそドラマか映画だと思ってたぜ
いや、ちょっとしたのは知ってたが‥本当にお前らが創ったもんじゃないんだな?」
人造能力者でなく特殊能力者である事を何度も確認する。
「だからあいつは陸が連れて来たんだってば‥
俺も詳しい事は知らねぇよ」
「とにかく彼は普通の人間で俺達のこの諍いと関係ない所で生きている
だから戦闘には極力巻き込みたくは無い」
海があたふたと返す脇からサイファが冷静に付け足す。
「ん‥んん‥まぁ、事情は分かったがそれよりずいぶんイメチェンしたんだな」
改めてサイファを見ながらアレックスに言われサイファは少し切ない表情になった。己の助かった訳を知ってから何時も以上に無口になってしまったサイファを海は内心、凄く心配している。
「とりあえず大まかな作戦なんだけどさ‥」
話を逸らせるように海が慌てて口を挟むとアレックスは思い出したようにそちらに耳を傾けた。そして目的地の周辺地図を広げ海があらかじめ明希と立てていた計画を話し、それぞれの戦いは静かに始まりを見せた。
その頃、多数の調整槽を前にトラストは少し微笑みを浮かべていた。
「私は化け物の大量生産に加担した覚えは無いのだが?」
その背中に話しかけられトラストは慌てるでも無く調整槽のコントロールパネルに寄るように振り返った。闇の中から輪郭だけ浮かび上がりデュランが姿を現す。
「別に約束を破った訳じゃ無いですよ
ちゃんと棺を開ける手筈は整ってます」
「その割には奇妙な気を放つ化け物が目立つようだが?」
「これはあくまでその副産物ですよ
聖と魔を併せ持つ化け物‥言ってみれば貴方達に対抗する事が出来る唯一の存在です」
言い訳出来ないほどの大量の調整槽に入れられた化け物を余所にイケしゃぁしゃぁと答えたトラストに不快な表情を浮かべる。
「お前は何を望んでいる?」
「人類の滅亡‥かな?」
静かにデュランが聞くと少し沈黙した後、口の端を持ち上げて小さく一言呟いた。それを聞いてデュランは冷ややかな表情を少し緩めて小さく溜息を吐く。
「私はどうやらお前を見誤っていたようだ
愚を極めし人の子よ‥此処で死ぬが良い‥」
言い終わると今まで以上に冷たい表情でスッと左手をトラストに向かって指し示すと一瞬の内に調整槽が全て粉々に割れ中から大量の実験体が床に倒れ込んだ。
「あーあ‥まだ理性をインプットしてないのに‥」
残念そうな表情を浮かべながら楽しそうに言い放つと実験体は各々、立ち上がり、あるものは雄叫びを上げ、あるものは形態変化を始めた。そしてデュランに気付くと一斉に襲い掛かる。しかし何か見えないモノに阻まれて化け物達はデュランに近寄る事さえ出来ない。
「人の身でこの所業は少し目に余る」
囁くように言ったデュランは何かに気付いて視線をそちらに少し移すと空間に細やかに亀裂が入り化け物の爪が見えない幕を突き破るように飛び出していた。
「いやぁー‥あの小さい実験体の細胞を通常サイズにするのにかなり手間取りましたよ
おまけにヴァンパイアのように魔の性質のモノと組み合わせるのもかなり困難でした
まだ実験段階ですがこうして実戦で成果を検証できるとは本当に貴方には感謝してますよ‥殿下‥」
嬉しそうに言いながらトラストは荒れた実験室の片隅にある椅子を持ってきて腰を下ろす。
「愚の骨頂だな‥」
慌てるでもなくデュランは言うとカッと目を見開いた。すると群がっていた化け物は一斉に四散する。辺りは血の海となったが眉すら動かさずにトラストを見据えた。トラストにゆっくりと歩み寄るデュランの前に少女が立ち塞がり少女はデュランを見上げる。
「パパ、お人形が壊れちゃったの‥」
デュランを見たまま少女が言う。
「また新しいのを買ってあげるよ」
トラストは楽しそうに答えるがその表情は無機質だ。少女はそれを聞くと表情も無いままその身を化け物へと変化させる。
「哀れだな‥」
デュランが呟くと少女だった化け物は雄叫びと共にデュランに襲い掛かった。
その頃、英梨香は化け物と戦っていた。
「お嬢様!棺の間をどうか‥」
何時も樹莉達の傍にいる執事がそう言いながら剣で化け物達を薙倒していく。
「分かった、こっちは任せて!」
英梨香はそう言うとクッションの下に隠していた樹莉を肩に乗せ屋敷の深部へ走る。どうしてこんな事になっているのかと言えば遡る事、数分前、異様な気配に気付き屋敷の外を見ると敷地広域に張っていた結界を擦り抜け数百体のバーサーカーが侵入していた。気付いた時にはもうこの様で皆はとにかく屋敷内に侵入されないように必死に応戦している。しかし何体かは屋敷内に侵入してしまいこうして駆除をしているのだ。棺の間へ続く一室まで来ると英梨香は頑丈な扉を閉めて怪我をした部分をハンカチで拭う。
「だ‥大丈夫なの?」
樹莉が戸惑いながら聞くと英梨香はふっと微笑む。
「大丈夫、これくらい何とも無いから‥」
強がってはいるがかなり痛そうだ。本来これくらいの傷はどうという事は無いのに何時までも傷は痛み塞がらない。考えられるのはあの化け物が明希達だけでなく自分達にも対応出来るよう作られた存在であるという事、どうやって戦えば良いのか英梨香は考えを巡らせる。
「どうやらお兄ちゃん達だけが敵って訳じゃ無かったみたいね‥」
何時までも血が止まらない傷口をハンカチで縛りながら英梨香が言うと樹莉はドアの方を見て不安そうな顔をする。
「大丈夫、君は私が守るからね
もしもの時はちゃんとお兄ちゃんの所に行けるようにするから心配しないで‥」
安心させるように言うと樹莉は英梨香の方を振り返った。
「樹‥樹莉くんも戦うの!
デュランの大事な人を守るの!」
その言葉に英梨香は始めキョトンとしたがすぐに微笑みに変えて樹莉の頭を撫でた。
「ありがとう‥でもその気持ちだけで十分だから危ない事はしないでね」
英梨香に言われると樹莉は小さなサイズである事を悔しく思う。
「樹莉くん大きくなりたいの
このままじゃ皆を守れないの‥」
はらはらと涙を零しながら拳を握る。
「どうしてデュランが君を友人と呼んだのか分かった気がするな‥
君にはいろんな境界線が無いんだね」
英梨香は言うと樹莉を持ち上げて膝の上に乗せると頭を撫でた。樹莉は英梨香を見上げると何の事だろうと不思議そうな顔をして鼻を啜る。暫くするとドアの向こうが騒がしくなり英梨香は樹莉を棺の間に通じるドアの向こうへ下ろす。
「とりあえず隠れててね
それから向こうのドアの横に装飾された柱があるでしょ?
それを登ればライオンの口の中に穴があって裏にある隠し通路に出られるから最悪の事態になったら其処から表に出て逃げなさい
外に出れば私の使い魔がきっと君をお兄ちゃんの所まで連れて行ってくれるから‥」
英梨香に言われると樹莉は頷きそれを見るとにっこり微笑んでドアを閉める。外側のドアの向こうに化け物が迫り、ドアを破ろうとぶつかる音が始まった。少しずつ衝撃でドアに亀裂が入る。英梨香は魔剣を出すと身構えてその時を待つ。緊迫した中で状況を把握する暇も無く樹莉は英梨香の無事を信じて棺の間へ行く為のドアの方へと駆けた。
茂みに身を潜めながら明希達が屋敷の方を窺うと監視カメラはあちこちにあるが人影は無かった。
「結界は本当に無くなってるのか?」
明希が疑うようにアンジェに問うと少し戸惑うように辺りを見回す。
「はい、おかしな話なんですが張られていた形跡はあるんですが今はその結界が全て消失してるんです
まるで意図的に解いたようで‥」
罠を警戒しているのかアンジェリカは広い範囲まで気を巡らしながら答えた。
「中の様子を探れるか?」
シンヴァが屋敷に視線を合わせたまま聞くとアンジェはスッと目を閉じる。
「中には大きな気が四つ‥小さなものも幾つかありますね
一つはヴァンパイアですが残りはよく分かりません‥他にも何か複数、異様な気配がします
戦っているのかしら?」
気配を注意深く探りながらアンジェが答えると明希はスイっと金属の糸を伸ばす。
「何かあったようだがとりあえず混乱してるならその隙に屋敷内に入り込んでみるか
陸、こいつを辿ってカメラを麻痺させられるか?」
明希は糸の先端を差し出すと陸はそれを受取り集中した。
「モニター電源をショートさせた‥暫くは大丈夫だろう」
陸が答えると明希達は茂みから出て素早く屋敷に駆けて中を窺い、人気が無い事を確認してから窓から侵入する。屋敷の中にも本当に人気は全く無い。
「俺が来た時にゃもう少し人の気配がしてたんだがな‥」
英梨香に会った別荘である事はすぐに解ったが余りにも人気が無かったので明希は少し不気味さを感じていた。一応、気配を探りつつ大きな気の塊のある方へ向かう。そして広間へ来た時、床がまるで爆発するように崩れデュランと二体の化け物が交戦するように姿を現す。明希達はその光景に圧倒されたがすぐに何か内輪揉めのような事が起きているのを察知した。デュランに攻撃を仕掛けている化け物の内の一体が明希達に気付くとこちらへ向かって攻撃を仕掛けてくる。
「アンジェッ!」
シンヴァが叫ぶとアンジェは背中に掲げていたケースをシンヴァの方へ投げて何かを唱えた。するとケースは消えて美しい剣が姿を現しシンヴァはそれを取ると華麗に操り化け物を一刀両断した。しかし化け物は裂け目からまた元通り修復しシンヴァの方へ腕を伸ばす。今度はその腕を明希が金属の糸で細切れに砕いた。アンジェはその隙に魔術で化け物の動きを抑制し、シンヴァは化け物の核となるであろう部分を感知して止めを刺しようやく一体を片付ける。気付けばデュランと化け物は表で交戦状態になっていて四人は壊れた屋敷の中からそれを見ていた。
「どうやら内輪揉めらしいが一体どうなっているんだ?」
陸が途方に暮れながら言うとアンジェは床に出来た穴の方に目を向ける。
「この下にもう一体います‥さっきの化け物よりもっと気味の悪い気配がする‥」
不気味な気配に厳しい表情でそう呟く。
「二手に分かれるか‥どの道、俺達は此処を潰さなきゃならん
俺達は下へ行ってみるからあんたらはあっちを頼む」
シンヴァとアンジェは頷き屋敷の外へと駆けた。明希は陸に目で合図をすると金属の糸を伝って出来た穴から下へと降りていく。最深部に到達すると瓦礫の山で所々に化け物であったモノの一部が転がっていた。異臭と焦げ臭さで二人は口元を覆う。するとゴトリと瓦礫の一角が崩れてトラストと化け物が姿を現した。
「おやおや、こんな時にお客さんとは困ったね‥これじゃぁ、お茶も出せないなぁ」
別段、慌てるでも驚くでもなくトラストは愉快そうに言う。明希と陸は半歩後退して身構えるとトラストと化け物を睨んだ。
「そんな怖い顔をする事は無いだろう?
僕は君達と戦うつもりは毛頭ないんだしさ」
服の汚れに気付いてそれを払いながらやはり余裕の表情で続ける。
「フェリシアを玩具にしたのは貴様か?」
静かに冷たい声で明希が聞くとトラストは驚いたような顔をしてから少し考え込む。
「ああ!CA592ね!
名前で言われてもピンと来なくて‥アレは失敗作だったけどご希望なら完全体を作ってあげるよ
サンプルは取って‥」
「黙れっ!」
トラストが楽しげに言うと明希の表情が今まで見た事が無いほど変化していく。怒りとも悲しみとも取れないゾッとするほど冷たい表情に陸の背筋は寒くなった。
「そんなに怒る事無いじゃない?
かつての恋人を蘇らせてあげたんだから君には感謝して欲しいくらいなんだけどね」
少し笑みを含んでトラストが言うと明希は右手をぶんと振る。するとトラストの周りの瓦礫が粉々に砕け散った。
「今度は貴様が砕け散る番だ‥」
明希が呟くとトラストはまるでマジックでも見たかのように感心しながら嬉しそうに微笑む。
「流石に君はエレメンツの中で跳び抜けているだけの事はあるね
技の切れも威力もピカ一だ
どうだい、僕の実験台にならないか?
もっと君の才能を引き出して‥」
其処まで言うと言葉を切って自分の頬に視線を向ける。何時の間に放ったのか明希の糸がトラストの頬を掠め薄く切れていた。
「残念だな‥君は良いモルモットになると思ったんだけどねぇ‥」
眼鏡を上げるように手を添え立ち上がるとトラストは明希以上に冷たい表情をしていた。
「明希‥」
後ろから陸が心配して小声で声をかける。
「心配無い‥それよりメタルと一緒にあの化け物の動きを封じてくれ」
冷静なその指示に幾分か陸の気持ちは安堵した。万が一の時の為にメタルは陸のポケットにいる。二人はそれぞれの方向へ駆けだすと化け物に向かって攻撃を仕掛ける。トラストはそれを見て半歩下がると化け物は庇うように前に出た。激しい攻防の中トラストはそれを優雅に眺めつつその部屋をゆっくり退室していく。明希は逃すまいと糸を放つがそれは届かなかった。
海はサイファ達と共にヘリから降り、目的地に向かって風を使い移動する。
「なんじゃこりゃ?」
目的地まで来ると薙倒された木々や化け物の屍骸に目を見開いた。
「一体何が起こってるんだ?」
アレックスもこの惨状に困惑の色を示す。そしてまだ化け物が所々たむろする屋敷を見つけてその手前にある木の上へ舞い降りる。
「どうやら何か起こってるようだがどうする?
このまま暫く様子を見るか?」
「いや、樹莉があそこに居るかもしれねぇならドサ紛で助け出した方が良い
もしヴァンパイアが居るならこれは逆に好都合だろ?」
問いかけるアレックスに海が少し考えてそう答えるとアレックスはサイファの方を見た。
「確かに余り悠長な事は言っていられない‥
どう出るかは分からんが海の言う通りどさくさ紛れに入り込んだ方が良いだろう」
サイファの答えにアレックスは天に向かって十字を切ると諦めたように溜息を吐く。
「言っとくが俺は防衛呪しか張れねぇから最後尾かあんたらの間で頼むぜ
それとまだ怪我が治ってねぇんで全力で走れねぇからな!」
アレックスが半分、自棄になったように言うと海は頷いて何もいない場所を探し、上階のテラスが開いているのを見つけると全員を運ぶ。化け物達は海達の事など気にも留めないでひたすら屋敷内に入ろうと躍起になっていた。屋敷に入ると注意深く気配を探るがどうやら階下では戦闘が繰り広げられているのかかなり騒がしかった。
「一体、下で何が起きてるのか探れる?」
海が聞くとアレックスは屈んで魔法陣を使って下の様子をモニタリングしていく。其処では絵本でしか見た事の無いような怪物が化け物達と戦っていて海とサイファもそれを注意深く覗き込んだ。
「どうやら完全に内輪揉めだな‥
あんたらが敵対してる組織とヴァンパイアの眷属が戦ってやがる‥」
アレックスが言うとサイファが何かに気付いた。
「その通路の先はなんだ?
やけにバーサーカーが多い」
山のように倒れたバーサーカーを見て言うサイファにアレックスが意識を集中すると出てきた映像に皆はハッとした。今にも事切れそうな状態で英梨香が化け物と対峙していたからだ。
「行こうっ!」
海が空かさず言って立ち上がると皆も続く。階下に降りると化け物達がひしめいていて眷属と鉢合わせ無いよう、化け物を薙倒しながら前に進むと英梨香が戦っている部屋まで来た。どうやら何体かは奥へ入って行ったようで部屋は荒らされドアはぶち破られている。後から来る化け物を食い止めるようにアレックスと海は応戦しサイファは英梨香を援護するように炎を繰り出し化け物を滅していく。
「!!」
それに気付いた英梨香は驚いた顔をしてから安心したのかガクンと膝を着いた。サイファは化け物と英梨香の間に割って入る。
「気を付けて‥そいつらは私達の力を中和するわ‥」
朦朧とした意識で英梨香がサイファに言う。
「問題無い‥」
チラリと英梨香を見て言うとサイファは化け物に触れた。すると一瞬で消し炭のように燃え散り他の化け物も連鎖するように火を噴いて倒れる。
「樹莉は何処だ?」
相変わらず表情も無く聞くと英梨香はハッとして傷だらけの身体を無理やり立ち上げて奥へと向かう。
「きっとまだ戦ってる‥早く助けないと‥」
悲壮な顔で身体を引きずる英梨香をヒョイと抱き上げるとサイファは奥を目指して駆けた。
「樹莉がいる所まで案内してくれ」
サイファが駆けながら言うと英梨香は頷いて先を示す。幾つか破られたドアを抜けて広間に出ると化け物の屍の向こうにフルサイズの樹莉が棺の方を向いて立っている。サイファは英梨香を下ろすとゆっくり樹莉に歩み寄った。
「大丈夫、誰も傷付けたりしないから出て来て良いよ
皆、貴女が出てくるの待ってるんだ」
樹莉は棺に話しかけるとそっと手を添える。すると光と共に棺は消え、中からそれは美しい女性が現れ、樹莉を見てにっこり微笑むと英梨香とサイファの方を見る。二人は呆気に取られたようにその女性を見つめた。
「貴女が英梨香ね‥デュランの傍にいてくれてありがとう‥」
女性はそう言いながらゆっくりと歩み寄り、英梨香の頬に手を添えると抱きしめた。英梨香の頬からはらはらと涙が流れ落ちる。恨めしさを超えた感動と喜びが英梨香の身体を通り過ぎ声が出ない。
「キャロライン‥」
意識しない内に英梨香は彼女を抱きしめて呟く。感動の再開も束の間、通路の向こうから激しい音が響き何かが近付いてくる気配が迫る。
「ともかく脱出しよう」
サイファが言うとキャロラインは英梨香から身を引いた。
「デュランを助ける為に手を貸してね」
キャロラインは英梨香に言うとサイファと樹莉にも視線を送る。
「行こう、デュランを助けに‥」
樹莉は人懐こい笑顔でキャロラインの手を取った。
「おい!此処はもうダメだっ!
脱出するぞ!!」
そう言いながら部屋に転げるように飛び込んできた海とアレックスはキャロライン達を見て固まる。
「話は後だ、まず脱出する事を考えよう‥」
サイファが二人に言うと同時にキャロラインは深く息を吸い歌を奏で始めた。その旋律は不思議と心を和ませて海達に続いて雪崩れ込んできた化け物達は大人しくなりバタバタと倒れ始める。それを皆は呆気に取られて見ていた。
「行きましょう、余り持たないかもしれない‥」
キャロラインが言うと皆はその場を急いで離れ屋敷の外に向かう。
「お嬢様!」
執事の一人が傷だらけでそう言いながら駆け寄って来た。
「おお‥おおッ!これは奥方様‥」
そして樹莉に手を引かれたキャロラインを見て平伏しつつ涙を堪える。
「今まで心配をかけました
とにかくデュランの元へ向かいますから皆を集めて‥」
キャロラインが言うと執事はぴぃっと指笛を鳴らした。すると伝説の怪物達が姿を現しスッと人の姿になり、その内の一人が大きな鷲に変化すると皆その背中に乗った。海達が戸惑っていると樹莉は乗ろうと目くばせする。それを受けて同じようにその背中に乗ると鷲は空高く舞い上がった。
一方、血塗れで戦う陸の横でメタルは必死で化け物から陸を守る。明希は化け物に身体を貫かれてもう数分前から動きを止めていた。
「此処は良い‥お前は何とかあいつを連れて逃げろ‥」
陸は息も絶え絶えにメタルの身体を持ち上げ明希の傍まで来るとメタルをその隣に下ろして化け物めがけて向かっていく。そしてその脇をすり抜けると散り散りに切れたケーブルを掴みそれを化け物めがけて巻きつけるように立ち回ると目いっぱいの電圧をそれにかけた。
「陸っ!」
メタルが叫ぶのと同時に電気爆発を起こし衝撃で全てが吹っ飛んだ。そして爆風と砂煙で視界は無くなりメタルは何とか明希と自分の身体をガードする。しかしそのガードは完全で無く明希の身体は半分瓦礫の下となり、メタルは明希の顔を眺めたあと陸の姿を砂煙の中に探そうと目を凝らす。ゆらりと何かが蠢いた。しかし次の瞬間、砂煙の中から現れたのは化け物の姿で足元に転がる動かない陸の姿を見るとよろよろと何処かへ去って行く。メタルはとりあえず陸の傍まで行き息があるのを確認するとまた明希の元へと戻る。
「‥陸は‥どうした?」
意識を取り戻した明希が薄く目を開けると絞り出すような声でメタルに聞くがもう目の焦点は定まっていない。恐らく瓦礫に挟まれた部分から大量に出血しているのだろう。見る間に顔色は血の気を失い今にも息を止めそうになっている。
「お前よりは大丈夫だ
今、瓦礫を退けるからしっかりしろ!」
メタルは傍に有る金属に手をかけるとそれを使って瓦礫を退け始める。
「そう言えばまだお前に名前付けて無かったな‥暁ってのは‥どうだ?」
それだけ言うと眠るように目を閉じ微かだった呼吸は止まってしまった。それを見てメタルは手を止めると顔の傍へとやってきてじっと明希を眺める。
「お前は卑怯だ‥」
力無く明希を見ながら呟く。そこへふわりと洞窟で東條と話していた少年が現れ暁は身構える。実態が無くこの世の者では無さそうだ。
「助けたいか?」
少年が聞くと暁は明希の方をチラッと見てから頷いた。
「お前の望みを叶えてやろう‥ただし個としての人格は消えてしまうが良いか?」
「構わない、どうせ俺はこいつの一部に過ぎない
片割れを失くす事に比べれば何も怖くない」
その問いに暁が即答すると少年は暁を抱えて明希の胸元へ乗せ頭を覆うように手を置いた。少年が何かを唱えると辺りは淡い暖かな光に包まれ、その光が消えると同時に少年の姿は消え暁の姿も無くなった。
真っ暗になった上階の部屋で足を瓦礫に挟まれたトラストは何とか瓦礫を退けるとその場に座り込んで痛む足を見ながら溜息を吐く。
「やれやれ、派手にやってくれるもんだからとばっちり食っちゃったじゃないか‥
仕方ない、離れの予備体を起こして脱出するか‥」
全く焦るでもなくのんびり言いながら立ち上がると通路の向こうから黒い輪郭が浮かび上がる。
「パパ‥」
「化け物の時はそう呼ばないでくれる?
キモイんだけど‥」
傷だらけの化け物がそう言うとトラストは無表情に化け物に言い放つ。その瞬間、化け物はトラストを貫いた。
「パパ‥私を‥そんな目で見ないで‥パパ‥大好き‥」
化け物は少女の姿に戻ると涙を流しながらそう言った。トラストは吐血してその場に倒れ込むと少女を優しい眼差しで見る。
「そう‥それで良い‥でも、君は僕の娘じゃない‥
分かってたんだ‥どんなに再生しても所詮、化けも‥げほっ‥ごふっ‥」
言葉半ばで更に吐血するとトラストは目を開いたまま動きを止めた。少女は動かなくなったトラストの頭や頬を撫でながら愛しそうに寄り添う。
「パパ‥パパ‥大好き‥パパ‥」
化け物だった少女は繰り返す。まるで本当に父親を欲する子供のようなその切ない声はいつまでも暗闇に響き、やがて崩れ始めた建物の崩壊に巻き込まれその声は絶えた。
その頃のデュランは思わぬ苦戦を強いられていた。当初、利いていた化け物への攻撃が利かなくなりやがて少しずつ間合いを詰められ挙句にシンヴァ達の相手もしなくてはいけない状況で窮地に立たされていたのだ。ジリジリと挟まれて追い込まれていく。
「待ってくれっ!」
頭上から声がしたかと思うとデュランを庇うように樹莉と海が割って入る。シンヴァとアンジェはそれを見て攻撃の手を止めたが化け物は相変わらずデュランに襲い掛かった。樹莉は化け物に手を振れてあっという間に凍らせると海はそれを鎌鼬で粉々に砕く。空かさずアンジェとシンヴァが残った化け物を魔術と剣術で止めを刺すと空から大きな鷲が舞い降りてきた。
「キャロライン‥」
デュランは驚いてそう呟くとキャロラインはデュランに駆け寄り抱きついた。暖かなその温もりと懐かしい匂いに知らず知らずの内に抱きしめる手に力が籠る。
「デュラン‥痛いわ‥」
困ったような嬉しいような声で微笑みながら言ったキャロラインにデュランはようやくその力を緩めた。
「会いたかった‥とても‥」
少し涙を浮かべて言ったキャロラインだがデュランは少し表情を曇らせる。
「なら、どうして私の元を去った?
やはり奴らが君を攫ったのか?」
捲し立てるように言った。
「いいえ!いいえ、違うの!
彼らは何も悪くないわ
私はそれを伝える為に彼の力を借りたのよ」
キャロラインが樹莉の方を見ると樹莉は何の事か分からずキョトンとした表情を浮かべた。
「デュラン‥ねぇ、デュラン
私は貴方の事が大好きよ
でもそれは許されない事なの‥貴方も気付いているのでしょう?
だから私は貴方の手の届かない所へ行ったの‥でもそれが本来の貴方とはかけ離れた狂気へ導いてしまった‥
私はねデュラン、貴方を一人の男性として愛している半面、兄としても慕っているの
どうか私を想うならもう私を追わないで‥
どうか‥昔の優しいお兄様に戻って‥皆もそれを望んでいるわ」
キャロラインは言い終わると優しくデュランに口付ける。
「私の想いはどうなる?
お前を失っても生きて行けと言うのか?
この永久の時を‥呪われたこの身を他に誰が癒せるというのだ」
まるで駄々っ子のように言ったデュランにキャロラインは困ったような顔をして微笑む。
「貴方は一人じゃない
それに貴方を慕う人は沢山いるのよ?
本当は人間の事も大好きなのでしょう?
だから英梨香達を傍に置いているんだわ」
そう言うと執事や英梨香の方を見てキャロラインは微笑んだ。英梨香は少し照れくさそうにふいと視線を避けて頬を染める。辺りを見回したデュランの表情から途端に棘が抜け落ちたようになった。
「私は貴方の愛するモノが大好きよ
この空も緑も動物達も人間も全てが大好き‥だから元の貴方に戻って欲しいの
私は何時でもずっと見守ってる‥さようなら‥」
そう言ったキャロラインに視線を向けるとキャロラインの身体は薄く透け始めていてまるで光に溶けるようにフワリと消える。その光景に呆気に取られたデュランはその光の欠片を捕まえようと手を伸ばしたがその手は空しく宙を掻いただけだった。完全に失った消失感でデュランはその言いようの無い感情の矛先を目の前にいる者達に向けるよう顔をゆっくり向けた。
「力尽きてしまわれましたか‥」
その声にハッとして皆は一斉に振り返る。其処には鬼の姿をした東條がいた。東條はデュランの傍まで来て膝を着く。
「あのお方はこの世界の為に命を賭して貴方様と向かい合われました
闇の王よ‥どうか此処はお引き下さい
あのお方もそれをお望みです」
言葉少なく言うと頭を下げて返事を待つ。
「鬼畜風情が私に堪えろと?」
その一言で一斉に緊張が走る。聖の力に触れ、己の身を滅ぼしても伝えたかった想いを汲めという東條にデュランは怒りを露にした。新たな戦いに発展するのかとシンヴァ達は少し身構え、同時に英梨香達も腕に力を込めた。人間のせいで大切な人を失った事実はどんな理由であっても変わらない。怒りが肌に伝わるほど空気に溶けているがそれでも東條は動かない。
「こっちだって大量に同志を殺されてる
黙って引けねぇ‥」
東條に向かってアレックスも反論すると更に緊張が高まり険悪な状況になった。まさに一触即発。
「喧嘩は良くないよぉー‥キャロラインが悲しむ
俺は皆、仲良しが良い‥」
樹莉が涙を堪えるようにぽつりと寂しそうに言うとそれまで険悪な状況だった空気が少し緩み、デュランは樹莉を見て少し視線を落とした。
「大切な友人が言うなら仕方ない
だが次に私の前に立ち塞がれば容赦しない」
「それはお互い様だ!
今度、人間に危害を加えたら完全に滅ぼしてやる!」
デュランが言うとアレックスが返す。しかしボロボロの姿な上に脂汗を浮かべていて強がりは誰の目にも明らかだ。デュランはそれを見て蔑む様にフッと笑って姿を消し、他の眷属もそれを受けて搔き消えた。
「あっ!そういや明希と陸は?」
思い出したように海は慌てて辺りを見回す。
「彼らなら化け物の開けた穴から地下に降りて行きました‥もしかしたらまだ交戦中かもしれません!」
アンジェも慌てて答えるとその方向を指差した。一斉に駆け出すと英梨香もまたそちらへ向かう。
「気様の計らいはあの陰陽師の仕業か?」
残された東條に執事が聞く。
「いえ、私、独自の行動です
双方、共存出来る道がこれしか無かったと言うだけです」
東條は屋敷の方を見ながら答える。
「ふん、鬼畜風情にしては上出来よ‥
我が君はもう人を襲うまい‥それで良かろう?」
「はい、我々も闇を畏れて参りましょう‥」
「後の事は任せる、お嬢様にはご自由になされよと伝えてくれ」
「きっと戻られると思いますよ?」
「かもしれぬな‥」
そう言い残し姿を消した。
気付くと明希は何もない白い闇の中にいた。己の手を眺めて死んだのだろうかと思う。
明希‥
その声に顔を上げると暁が立っている。穏やかな微笑を湛えていて今までに見た事無いほど人間らしい表情だった。
やっと帰ってこられた
そう言うと明希の身体をゆっくり擦り抜けて消える。無性に温かくて悲しくて固まったまま涙が止まらない。
「‥き‥あ‥お‥ん」
遠くで微かに声がして誰かが自分を呼んでいる事に気付き、明希は顔を上げて宙を見上げる。やはり白いだけの闇が広がっているだけだ。しかし声が徐々に大きくなり足元がストンと抜けて何処かへ一気に落ちる。
「お兄ちゃんっ!」
「明希っ!」
目を開けると英梨香とサイファが自分の顔を覗き込んで名を呼んでいた。明希は力なく視線を巡らせてこちらを見る陸の姿を捕えると安心してまた目をとじた。