交差点
すいませんちょっと陰陽師関連の記述を修正しました;
もうかれこれ10年くらい前の作品を何度も修正したものなんですが陰陽師関係とかに関する内容だけほったらかしになっていたのでアフター物語と齟齬が出てしまっている事に今更気付きまして修正してます_|‾‾|○¡|||
某所で既に上がっている白銀の龍神遣いシリーズや久遠シリーズなどのアフター物語を読まれてまだまだあれこれ「ん?」って思われるかもしれませんが生ぬるく見逃して下さいますと幸いです( ̄▽ ̄;
ずっと臥せっていたサイファは喉の渇きを感じ、目覚めるとよろよろと起き上がりラウンジへと足を運ぶ。フレッシュジュースを飲んで落ち着くと少し辺りを見回した。交代時間に入ったのか多くの人が食事を取っているのを見てようやく自分が空腹である事に気付くと人混みが苦手なサイファは簡単なサンドイッチと缶コーヒーを部屋に持ち帰り食事を取る事にした。
「ちゃんと食べないとダメだよ!」
カウンターで恰幅の良いおばちゃん職員に言われサンドイッチのパックの上にから揚げのパックも乗せられるとサイファは頼まなかったのだがと困ったような顔をする。
「おまけ!ちゃんと食べるんだよ!」
「‥ありがとう」
気前よく笑いながら言われると小声で返しサイファはちょっと嬉しそうにそれを持ってラウンジを去って行く。余り言葉を発さないサイファにお節介を焼くと僅かだがほんのり嬉しそうな顔を見せるので皆はつい嬉しくなってしまうのだ。人見知りのサイファは慣れた職員であっても自分の事を話したり気軽に挨拶出来ない。初めて来た頃はそんなサイファに皆は不気味さを感じていたがただ単に人見知りなのだと分かると気さくに話しかけるようになり、そして微妙な反応でサイファの感情の動きを悟れるようになると素直な若者である事を知った。
「あ、サイファ、補強剤の調合出来たから後で医務室に取りに来てね」
部屋に戻る道すがら医務局の者に話しかけられても一つ頷くだけで返す。本当に必要最低限の言葉しか発しない。立ち止まって部屋に戻る前に医務室に寄ろうかとも思ったが食べ終ってから取りに行く事にしてまた歩き出す。部屋の傍まで来ると自室の前でおろおろしている樹莉に出くわした。
「どうかしたのか?」
しかしサイファはジェイの分身である樹莉には気軽に話しかける事が出来た。
「あ!サイファなの!良かったの!
今かくれんぼ中なの、樹莉くん隠れる所探してるの」
樹莉はキョロキョロしながら自分が隠れられそうな所を探す。サイファはそれを聞くと同じように辺りを見回して隠れる所を一緒に探してやる。
「此処より植込みの所の方が良いんじゃないか?」
サイファが中庭の方を指差し言うと樹莉は一目散にそちらへ向かって走って行った。そして溜息混じりに自室のドアを開けると視界の端に何かが横切ってそちらを見て固まる。樹莉と同じようなのが辺りを見回しながら駆けまわっていた。しかも自分と同じ真っ赤な髪をしている。
「おい、樹莉を見なかったか?」
その小さいのはサイファを見て聞いてきた。
「もしかしてお前‥ファイアか?」
もしやとは思いつつも聞いてみるとこくりと小さいのが頷く。
「樹莉を探している」
もう一度、ファイアが言うとサイファは困ったような顔をする。
「かくれんぼは自力で探すのがルールだ」
少し考え、困った顔のまま説明するとファイアも困ったような顔で少し考え込む。
「分かった‥」
顔を上げて返すとまたヒョコヒョコ走りながら樹莉を探して走り出す。それを見送るサイファは気持ちを落ち着けるように大きく息を吐くと部屋に入った。普段は食事と任務以外の時に部屋から出る事は無く、ジェイドがいなくなってからよりその傾向は強くなっている。別に一人が好きな訳では無いのだが上手い関わり方が分からないので何時も一人でいる事が多かった。だからという訳では無いが樹莉が来るとよく構ってやっていたのだが他のエレメンツロイドが来た事で足が遠のくのかもしれないと思うとサイファとしては少し寂しい気分だった。唐揚げを摘まみながらそんな事を考えていると小さくノックの音がする。
「また面白いアニメ見せて欲しいの」
ドアを開けると樹莉が他のエレメンツロイドを連れてサイファを見上げていた。
「もうかくれんぼは終わったのか?」
優しげにサイファが聞くと樹莉達は頷く。どうぞと言わんばかりに樹莉達に道を開けると皆はちょこちょこサイファの部屋に入ってきた。ドアを閉めてサイファは徐にベッドサイドのモニターを操作すると幼児向けアニメを流してやり、皆をベッドの上に乗せてやる。皆が興味深く画面に見入る姿にサイファは少し顔を綻ばせるとまた食事の続きを始めた。別に何を話す訳で無くてもこうして誰かの傍に居ると気持ちが和む。サイファの幸せな一時はこうして過ぎて行くのだった。
明希は庵に来ると一瞬、戸惑ったように立ち止まりそれからゆっくりと中に入る。中では迦狩が寝そべって雑誌を読み、東條がお茶を啜っていた。
「どうかしましたか?」
東條が相変わらずにこやかに話しかけると明希はチラッと迦狩を見た後、東條の前に腰を下ろす。
「ちょっと聞きたい事があってな‥」
明希が返すと東條はもう一つ湯呑を取ってお茶を入れ明希に差し出す。
「智裕様の事ですか?」
相変わらず核心を衝いた答えに困ったように頭を掻く。迦狩は一瞬ページを捲る指を止めたがすぐに気にしていない風を装った。
「まぁ、そうなんだが‥あいつの事ってよりはあいつの家や仕来りみたいなモンの事を教えてくれないか?
前に言ってたそういう家系独特のモンがどうせあるんだろ?」
返すと明希は湯呑を少し自分の方へ引き寄せた。
「そうですね、何からお話しましょう‥まずは成り立ちについて簡単に話した方が分かりやすいでしょうか‥
智裕様のいる朱雀王寺家は京の南の守りを任された一族なのですが他にもそれぞれの方位を北は武藤司家、東は竜王院家、西は虎倉守家と言ったように四神の名を捩って苗字が付いています
京に都を置く時に四方に守りを施した四人の陰陽師が朝廷より拝命した名だそうでその後もこの国や京の守りを固めてきた一族です
でも歳月と共にその力は衰え、今も昔と変わらぬ術師としての家系を守っているのは朱雀王寺家と竜王院家のみ‥他の二家は少し霊感が強い程度の普通の者ばかりの家になってしまいました
ですからこれ以上、衰退させぬよう朱雀王寺家と竜王院家は切磋琢磨しつつ家を守ってきたのです
しかし竜王院家にも近年、陰りが見え始め、跡目となる者がもう百年近く誕生しなくて現当主は寿命と戦いながら後継ぎとなる者が誕生するのを待ち続けてきました
しかし3年前に生まれた曾孫の千代丸様でさえ当主印が出なかったのです」
「当主印?」
東條が言葉を切ると明希が空かさず聞く。
「当主印とは四神四家当主の資格を持つ者を現す印で身体に自然と現れるのですがそれぞれの家によってその出方は違います
龍王院家のように生まれつき当主印を持ちそう定められている家系と印を奪い合う家系、引き継ぐ家系に授ける家系と様々です
そうして各家の術式や作法と共に家は守られるのですがその龍王院家に跡継ぎが未だ生まれないのです
このまま途絶えた二家のように龍王院家もまた途絶えてしまうかもしれない
それを懸念した当主は千代丸様が生まれる前に印の有無は関係無く当主となる事を決められました
しかしまだ胎児であった千代丸様に当主印があるかどうかは分かりませんでしたので朱雀王寺家の前当主である智裕様のお爺様とお話し合いの末に言わば保険として膨大な霊力を持つ智裕様との縁談を決められたのです
その頃、まだ智裕様は当主では無かったので龍王院家に嫁ぐ予定だったのですが千代丸様がお生まれになられた年に智裕様が当主になられてしまったので一旦、婚約は保留になりました
四神四家の当主同士の婚姻は基本的に出来ませんから‥しかし力の強い後継ぎが欲しかった龍王院家の当主は千代丸様を婿養子に出し、お二人の間に生まれた第一子を当主印が無くとも無条件で龍王院家の当主に据えるという事で婚約を復活させました
言わばこの婚姻は両家のみならずこの国を守る要の一つと言っても過言ではないのです」
東條は言葉を切ると少し視線を落とす。明希はそこまで聞くと少ししっくりきたという顔をした。智裕の見せてくれた過去の記憶と符合したからだ。
「確か前に聞いた時、そういう家にゃ桁外れの人間がゴロゴロいるって言ってなかったか?
別にあいつに其処迄の責任を押し付けなくても良いだろう?」
明希は湯呑を片手に視線を逸らしたまま聞く。
「確かに眷属の家になら代わりは幾らでもいますが四神四家ともなると別格なんですよ
同格の人間ですら当主印を持つ者には敵いません
故に個人の争い事に介入してはならない暗黙の掟があるくらいです
強大な力を持つが故に縛られて生きて行かなくてはいけない‥それでも一族の者は家やこの国を守るというその責任と義務を誇りとして自ら当主になりたいと願うのです
だからこそ敬われ崇められる
その家系に生まれたのならば貴方もきっと当主を目指した事でしょうね」
答えた東條も納得出来ない事があるのか目を伏せた。明希は苛つく自分を収めるようにお茶を一気に飲み干すと頭を掻く。
「ちぃはそれで納得してるんか?」
今まで黙っていた迦狩が雑誌をめくりながらぽそりと呟いた。
「この国や朱雀王寺家は己が守らなければならないという事は理解した上で当主にはなったと思います
でも龍王院家の跡目の事は婚約当初から反対していました
龍王院家が片を付ける事であって朱雀王寺家が関与する事では無いと‥しかし前当主の命令は絶対ですので後は龍王院家が智裕様の意見を聞き入れてくれない限り婚姻の件は難しいでしょう
しかも龍王院家の当主であられる綾之助様はもう百歳を超えられている
この婚約が破棄されれば印を持たない仮当主の家になってしまいますからね
そうなれば他の二家のように陰陽統領の称号を天皇家にお返ししなくてはいけなくなってしまいます
智裕様は龍王院家の千代丸様を仮当主とし、正式に印が授かる者が生まれるまで自分が後見となると進言してはおられるのですが綾之助様は聞き入れては下さいません
この先、印を持つ人材が生まれるのか不確かなモノに賭けるより可能性の濃い朱雀王寺と龍王院の血を注ぐ跡目を残したいのだと思います」
それに東條が答えると迦狩は雑誌を閉じて東條と明希の方へ向き直って座る。
「確かに普通に考えたらその龍王院の爺さんの気持ちは分かるけどそんなん完全に人権無視やんけ‥その千代丸っていう奴もかわいそうや‥」
まるで独り言のように呟く迦狩を見て東條は小さく溜息を吐く。
「まぁ、智裕様の家に限った事ではありませんよ‥こういった家は力や家をどう守って行くかに重心が置かれますから基本的に人権なんてありません
私達の平穏はその上で成り立っているのだと知っている者が感謝するくらいしか出来ないんです
でも綾之助様も智裕様に逃げ道は残しておられます
あくまでこの婚姻の成立は智裕様が承服しなければ進めないという事になっていますから‥」
その言葉に明希と迦狩が顔を上げ東條を見る。
「何や、せやったら爺さんが死ぬまで承服せぇへんかったら終いやんけ
後はどうとでもなるやろ?」
「ただそれには条件があるんです
今、朱雀王寺の家は少し複雑な事になっていてそれには龍王院家の協力が必要なんですよ
その力を貸す代わりに婚姻を承服しろという事なんです」
迦狩が言うと東條は難しい顔をして考えてから真っ直ぐ迦狩を見て答えた。
「何だその問題ってのは?」
今度は明希が口を開く。
「朱雀王寺家の当主候補だった智裕様の兄、時生様の眷属保護です
智裕様に付かなかった眷属や当主争いに負けた智裕様のご兄弟はみな原則的に処分が言い渡されるのですが当主争いに加担していない時生様は眷属剥奪処分のみに留まる事になっています
しかし幾ら当主争いに加担していなくとも眷属をそのまま周りに置いておく事は出来ませんので‥龍王院家も今は力のある眷属が少ない事もありますのでそちらへ力を分散する目的もあるのですよ
無論、これは時生様の眷属である各家の当主も了承しています
後は龍王院家が主として眷属を引き取る承認儀式が必要でこれは当主印がある者にしか行えません
ですから綾之助様ご健在の内に承認儀式をして頂かなくてはいけないのです」
「そもそも何で眷属を龍王院家へやんねや?
その時生っていう兄貴が害無いんやったら別に眷属くらい傍に置いといたらええやんけ‥」
「本来なら当主争いに加わらなくとも権限があるだけで新当主が決まった時点で処分対象となるんです
これでも智裕様はかなり苦労されて元老院を説得されたのでこれ以上は無理ですね」
「処分ってのは?」
「朱雀王寺家の生贄です‥当主失格者とその直轄眷属当主は生霊を剥がされ、お家の礎として封じられます
怨霊信仰というのがあるでしょう?
簡単に言えばそういう事です」
東條は明希と迦狩の質問に答えると二人は押し黙ってしまった。軽い口調で答えてはいるがかなりエグイ内容だ。智裕はそんな中でずっと戦ってきたのかと思うと二人は何も言葉が出ない。
「勿論ですが智裕様が負けていれば三七三も直轄眷属当主の一人として生霊を剥がされていたでしょう
智裕様の直轄眷属当主の命さえ智裕様は握っておられるのです
それはどの当主候補も同じ‥ですから例え兄弟であっても殺し合う事になるのですよ
しかし智裕様はこのシステムをいずれ変えたいとお考えでその皮切りが時生様の処分取り消しと眷属の保護なんです
ですからこれが上手くいけば今後も道筋を付け易いと一人で戦っておられるのですよ」
付け足すように言うと東條はお茶をすする。その時、迦狩のスマホが鳴り響いた。
「何や、美里か‥」
『何やじゃないでしょ!
約束!明日の約束どうするのよ!
連絡するって言ってたのにいつまでたっても連絡してこないで!』
「あ、悪ぃ‥今ちょっと手ぇ放せんでな‥堪忍や‥後でちゃんと掛け直すから‥な?」
電話を取ると二人に聞こえるくらいの声で女の子が怒鳴るが迦狩は肩を竦めながら平謝りで早々に電話を切る。
「女か?」
明希が余りの変貌ぶりに呆れたように聞くと迦狩は少し赤くなって視線を逸らせた。
「気ぃ強いけどええ奴やねん‥悪いけど俺、明日ちょう抜けさして貰うわ‥」
照れ隠しに表情を硬くしつつ二人に視線を合わせないように迦狩はその場を去る。残された東條と明希は同時に溜息を吐いた。
「もし普通の生活が望めたなら智裕様もああやって学生生活を楽しまれたのでしょうね」
その言葉が聞こえているのかいないのか明希は頬杖をついたまま黙っている。しかし何かに気付くと深い溜息を吐いた。
「あんた‥結構ずるい奴だな‥」
ポツリと明希は呟きチラリと東條を見る。
「ふふ、貴方も結構ずるいと思いますよ‥智裕様から逃げたでしょう?
四神四家で婚姻とはお互いの中に在る真名の交換です
そして真名、つまり真の名を交換した以上、破棄は出来ませんし相手が死なない限り他の方と新たに交換する事も出来ません
これがまだ幼児である千代丸様と婚姻出来るカラクリです
智裕様は今頃、婚姻の承諾をするために龍王院家へ向かっている事でしょうね‥」
少し含み笑いで東條が意地悪そうに言うと明希は頭を掻いて困ったような顔をしてから溜息を吐く。
「あんたワザとあいつを此処に来させたろ?」
明希は立ち上がると東條を見据えた。屋敷を訪ねた折に智裕が窮地に立っている事を知り、己の将来を考える為の時間稼ぎをしてやりたかったのだろうと此処迄の話で流石の明希でも理解出来る。ただ今回の一件は東條にも嬉しい誤算だったようだが‥。
「少し予想外の展開でしたが丁度良いじゃないですか‥きっとお似合いだと思いますよ」
悪びれる事も無く返すと徐にメモを取り出して何かを書くと明希に手渡した。
「間に合うか否かは運命が二人の行く末を決めるでしょう‥私は此処を離れる訳にはいきませんので‥」
東條が言いながらにっこり微笑むのを見て明希は小さく舌打ちすると庵を出て行く。中庭の隅でぼそぼそ話している迦狩を見つけるとそちらへ向かって歩き出す。
「悪いがここまで飛んでくれ‥」
電話を切り少し力の抜けた迦狩を捕まえ言うと突然の後ろにいた明希に驚きながらも手渡されたメモを見て難しい顔をした。
「住所だけってのはちょう無理やな‥有名な神社とか建物とか何か対象物無いか?」
「あいつ‥智裕の所まで飛んでくれ」
迦狩が返すと明希は少し考えてから答え、迦狩はまた難しそうな顔をしてから明希の腕を取って目を閉じる。するとフッと体が軽くなったと思ったら何処かの座敷に風景が様変わりした。
「迦っちゃんっ!?」
その声に明希と迦狩はそちらを見ると智裕が畏まった姿で座っている。それと同時に何時出てきたのか見知らぬ男達がその首や心臓に刃物を突き付けていた。二人は少しギョッとしながら無抵抗である事を示すために動きを止め息を呑む。
「控えんかお前達‥」
後ろから声がしてフッとその者達はそちらに一礼すると一歩下がり控える。ゆっくりと明希と迦狩はそちらを見ると一段上がった上座に威厳のある威圧感たっぷりの老人が腰を下ろしてこちらを見据えていた。
「何してんのんあんたら!
此処はあんたらが来るとこや無いでっ!」
智裕が二人を叱ると明希は徐に智裕の傍へ行きその身体を抱え上げる。
「悪いがこいつは俺の女房になる女だ‥誰にもやる訳にゃいかねぇ」
向き直り老人を見ると臆せず明希はそう言った。その台詞にその場は騒然となり迦狩はただ呆気に取られてその様子を眺めている。
「な‥何が女房や!
うちの事振ったんはあんたさんやろ!?
早よう放してさっさと帰りやっ!」
智裕がジタバタ暴れながら明希に返す。明希は構わず智裕を抱えたまま迦狩の傍まで来ると上座の老人を見据えた。
「こいつの未来は俺と共に在る
あんたらの未来はあんたらで探しな‥」
緊迫した中で明希が静かに言うと老人は明希を威圧するように眺める。
「フン、その血を持ちながら儂に逆らうか‥面白い‥
歪んだ姿で天敵を娶るその度胸に免じて今は下がる事を許そう‥」
老人は意味深な言葉を明希に投げかけると少し笑って手にしたセンスを小さく振った。すると明希と迦狩を取り巻いていた男たちはスッと部屋から出て行く。
「放せ言うてるやろ!」
その間もずっと智裕は明希の上で必死に藻掻いている。明希は迦狩に目配せすると智裕を抱えたままその場を出て行こうとした。
「朱雀の巫女よ、そちらの要件は受け入れよう‥
ただし次に来る時はそ奴に最低限度の礼儀は教えておくが良い
これ以上、儂の機嫌を損ねぬようにな‥」
廊下に出る手前で老人が智裕に言うと明希は立ち止まって振り返り、智裕は暴れるのを止めて抱えられたまま泣きそうな顔で深く首を垂れる。明希はそんな事も構わずその場を後にした。
「この儂も老いたものよ‥」
一人呟くと老人は深く溜息を吐いてから表情を緩め穏やかに微笑んだ。
二人は智裕を連れて屋敷から離れ、竹藪に囲まれた道中で辺りに気配が無い事を確認してから智裕を下ろす。そして困ったように明希は頭を掻くと智裕から視線を外した。
「何してくれてんねん!
あんたさんのせいでうち大恥やん!」
智裕は涙目で明希に訴えるが迦狩はもう何が何やらといった感じで困り果てて二人に背中を向けている。
「悪かった‥」
ぽそりと呟くがやはり智裕の事は見ない。強気で言ったあのセリフが嘘のように明希は自分の言動に困惑しているように見える。
「悪かったって何やのんなっ!
うちの覚悟めちゃくちゃにしてんで?」
智裕も訳が分からずただ捲し立てるが明希は弁解もせずそれを聞いていて智裕の怒りは頂点に来た。
「その気も無い癖にあんなん‥」
その内に言葉に詰まって泣き始める智裕に迦狩はせめて慰めの言葉をかけてやろうと二人の方を向いた瞬間にまたクルリと背を向ける。そして真っ赤になっている顔を片手で覆って視線を宙に走らせた。明希は泣いている智裕を抱きしめ唇を奪っていた。
「まだ気持ちの整理もついてねぇしあんたが好きなのかも分からんがそれでも良いなら名前をくれてやる‥だからあんたの名前も俺にくれ」
固まる智裕を見て口付けの後に明希が言う。暫く固まっていた智裕は明希に飛びつき嬉しそうに泣きながら耳元で何か囁いた。明希はそれを聞くとゆっくり目を閉じて智裕を優しく抱きしめる。真名というモノが何なのか分からない明希は智裕の真名を聞いて身体の底から浮かんできた何かに心を委ねてみた。一つの名が浮かび、その名を智裕の耳元で囁く。するとするりと何かが身体の中を通り抜ける感覚がしてそれは己の奥深くで熱を帯び、暖かいその温もりに二人はお互いの心を感じた。
「あー‥仲ええとこ悪いけどそろそろ俺、帰りたいんやけど‥」
暫くの沈黙の後、迦狩が遠慮がちに背中を向けながら言うとようやく二人はハッとして離れる。
「うち、まだやる事あるから‥」
「ああ‥」
俯いたまま潮らしい表情で智裕が返すと明希も照れたように頬を掻いて返す。明希は照れる顔を隠すように俯くと迦狩の方へ歩み寄りながら表情を戻し迦狩の肩を叩く。
「戻るか‥」
明希が言うと迦狩は智裕の方を見る。
「うちは大丈夫や‥一人で飛んで帰れるよって‥」
まだ照れているのか頬を赤くしたまま迦狩に微笑みかけた。
「ほな‥」
迦狩はそんな智裕を見てバツが悪そうに言うと明希を連れてフッと姿を消す。智裕は二人を見送るとまだ興奮冷め切らぬ頬に手を当て一つ溜息を吐いた後で自分も自宅へ向け飛んだ。三人が去った後、ざわっと竹藪に風が吹き火照った場の空気を洗い流した。
陸は調書を書き終えると書類を整え所定のファイルに入れてもう帰宅した上司の机の上に置いた。時計を見るともう夜の7時を回っている。
「おい藤木、悪いけどちょっと良いか?」
麻薬課の刑事が部屋に入ってくると陸を見つけて声をかけてきた。
「何ですか?
この間の件でしたら私の調書を読んで頂いた方が早いですよ?」
陸は空かさず返しながら机の上を片付ける。
「此処だけの話だがな‥お前の持ってきた松沢屋の案件、握り潰されてたぜ‥
俺もあそこは怪しいと睨んでるんだが上がどうしても松沢屋に関しては動きたがらねぇ
うちじゃ関われねぇのか別働隊がいるのかしらねぇがお前ももう関わるなよ」
すると刑事はそそくさと陸に駆け寄ってきて近くに人がいない事を確認してからこそこそ耳打ちするように言った。
元々、麻薬課にもいた事もあり課の事情はある程度は把握出来る。有力者や政治家等やその親族が絡んでくると操作が打ち切られる事は屡あった。だが今回の場合は組織絡みだろうと陸は睨んでいる。だからこそ情報を麻薬課に流してみたのだがビンゴだったようだ。
「分かりました‥
私も今は部外者なのでこれ以上は突っ込みませんから安心して下さい
それより此処に居るとまた煙たがられますよ」
陸も小さく返しながらチラチラ二人を見る離れた席の同僚に少し視線を向ける。
「んじゃ、また今度、時間が開いたら呑みにでも行こうや」
わざとらしく刑事は笑いながら大声で言って陸の肩を叩く。
「残念ながら彼女優先なので‥」
陸も平然と惚気交じりに笑顔で返すと苦笑しながら刑事は参ったと言って部屋を出て行く。それを見ると同僚はまたかという感じで呆れながら机の上に視線を戻した。陸は他所の課の刑事や警官と仲が良いせいかよく呑みに誘われる。だからこんな感じの会話は日常茶飯事なのだ。お陰で少しくらいヤバい会話をしていても悟られる事は無かった。陸は早々に帰り支度を整えると同僚達に挨拶をして部屋を出る。本当ならもう少し早い退勤時間なのだが長期休暇の為に片付けられる仕事は毎日ちょっとでも片付けている。来週は有給も使って10日ほどの休みを取り、翔子の両親に会う為もあるが海達の事も気になっているので暫く箱庭にいようかと考えていた。
帰り道、翔子に電話をかけながら帰路に着く。あと二日で休みに入るので二人は綿密な計画を立てているのだ。
何時もは車で通勤している陸だがゴールデンウィークに入ってからは電車を利用していた。この時期は通勤に使う道が混むので電車の方が早い。人通りの多い駅前を見ると若者や地方から来た観光客が多く残業帰りとは思えない程の賑やかしさだ。陸はその賑やかな駅前を通り過ぎ電車に乗り込むと窓の外をぼんやり眺めた。その内に何か見られているような違和感を覚え、振り返るがこれと言って怪しい人物はいない。気のせいかと溜息を吐いてまた窓の外に視線を向けると陸はギョッとした。窓に映る自分の後ろにあのヴァネッサの姿がある。バッと陸は振り返ったがやはりヴァネッサの姿は無くもう一度、窓を見るとやはりヴァネッサが映っていて陸を見ていた。
『次の駅で降りなさい』
ヴァネッサの口元はそう言うとフッと姿を消す。陸はそれを見るとスマホを取り出したが少し眺めた後、何もせずにまたポケットに仕舞う。指定された通り次の駅で降りると人混みの中にヴァネッサの姿を見つけてそちらへと歩み寄る。
「一般人だなんてよくも言えたものね‥」
不敵な笑みを浮かべてヴァネッサが言うと陸は少し距離を置いたまま向かい合う。
「一般人ですよ‥嘘は吐いていない」
平然と答えるが内心冷や汗を掻いていた。
「まぁ良いわ、とりあえず此処じゃ落ち着いて話も出来ないわね
一緒に来て貰って良いかしら?」
ヴァネッサが言うと陸の後ろに大柄な男が二人立ちはだかり退路を断つ。
「断る事は出来なさそうですね
良いでしょう」
陸はチラリと後ろに立つ男を見てから言うと歩き出す。駅前には一台の場違いなリムジンが止まっていてヴァネッサに促され陸がそれに乗り込むとすぐに車は動きだした。
「これ‥貴方よね?」
ヴァネッサは一枚の粗い画像の写真を陸に差し出し聞く。陸はそれを見る事も無くただヴァネッサを見据えていた。
「ふふ、愚問だったわね‥
私が聞きたいのは貴方達の本部の位置と機動力よ
もし教えて貰えないなら貴方を餌に釣りでもしてみようと思うんだけどどうかしら?」
かなり焦りがあるのかヴァネッサは駆け引き無しで率直に陸に言う。
「別にそれでも構いませんがこのまま大人しく捕まるとでも?
多少深手は追ってもこの場から逃げ切るくらいは出来ると思うんですけどね」
少し余裕を見せ陸が答えるとヴァネッサは高笑いをした。
「本当に度胸があるのね‥でも残念だけど貴方は逃げる事は出来ないと思うわよ?」
言うとヴァネッサは一枚の写真を差し出し陸はそれを見て表情を硬くする。
「可愛い彼女ね
こういう案件に関わる時に恋人は作らないものよ‥刑事さん」
含みを持たせヴァネッサが陸を見据えて言うと陸はヴァネッサを睨み付けた。
「大丈夫、まだ何もしてないわ
彼女をこのまま平穏な世界で過ごさせたいと思うなら貴方は大人しくしてなさいな
心配しなくても暫く危害は加えないわ
ただ少し私の言う通りに動いて貰う事になるけれど‥」
続けるとシャンパンを二つのグラスに注ぎ片方に何か粉末を入れ陸に差し出す。
「仲間を売れという事か?」
「薬で喋らされたのなら言い訳も立つでしょう?
それとも素直に話してくれるのかしら‥」
陸はグラスを眺めながら苦々しい顔をする。そしてグラスを手に取り口元に運ぶと見せかけてそれをヴァネッサにぶちまけ、同時に走るリムジンから飛び降りる。受け身を取ったがかなりあちこち打ち付けながら着地すると何とか体勢を立て直す。そして急停止して追ってきたリムジンを撒くように小道へ入ると防衛陣を張って更に路地の方へと進んだ。人気のない場所を走りながら陸は見つかるのも時間の問題かと思いつつスマホを取り出すと翔子にかけた。
「翔子、今から海に迎えに行かせるからとにかくうちを出るな‥電話もだ
良いか‥誰が来ても海が行くまで絶対に出るんじゃない」
翔子が出ると陸はそれだけ言って電話を切る。そして次に急いで海にかけた。
「悪いが事情を説明してる暇は無い!
今すぐ翔子の身柄を保護してくれ‥翔子を頼んだ!」
それだけ言うと電話を切ってリムジンの動向を確認する。やはりヴァネッサがいるせいか防御壁など通用しないらしく確実に陸を追い詰めていた。逃げ場を断たれ陸は観念してリムジンの前に立つ。
「逃げ切れるんじゃなかったかしら?」
ヴァネッサがゆっくりリムジンから降りてきて言うと陸は拳を固く握ってヴァネッサを睨み付ける。先ほどの男達が下りてきて歩み寄り陸の肩に手をかけた途端にバチッと青い光が男達を吹き飛ばす。それを見てヴァネッサが驚いたように目を見開く。
「そう‥貴方も化け物な訳ね
でも解せないはね
感染者が術を使える筈は無いんだけど‥」
少し焦りが増したのか悔しそうに笑みを漏らしながら続けると陸は少し体制を低くしてチラリと辺りを見た。辺りには住宅もあれば店舗や工場もある。技術的に広範囲の結界は張れない以上、大掛かりな戦闘をする訳にはいかない。それにもし結界を張った所でヴァネッサの魔術に対抗できるとも思えず陸は何とか逃げ道を探す。
「残念だけど逃がす訳にはいかないわ
私も後が無いのよ」
胸元から数枚の札を出すと陸に向かって投げた。それを交わすと陸はヴァネッサの横をすり抜けようとしたが後ろから衝撃を受けてその場に膝を折る。札は舞い戻って陸の身体の背中側に張り付いていた。身体が痺れ動きが制限される。ヴァネッサはゆっくり陸に近付いて来るとようやく顔を上げた陸の額に人差し指で何かを書く。途端に体は鉛のように重たくなり陸はそのまま地面に倒れ込んだ。それを見てヴァネッサは指をパチンと弾くと先ほど吹き飛ばされた男達が目を覚ましまだふらつく頭を振りながら立ち上がった。そして舌打ちをすると陸の身体を持ち上げる。
「悪いけど今は余り派手な魔術は使えないから暫く大人しくしてて頂戴‥二人きりになれる所でじっくり調教してあげるわ」
陸に顔を近付けて言うとヴァネッサは不敵な笑みを浮かべた。それから成す術も無く男達に抱えられたまままたリムジンの方へ運ばれる。このままでは恐らく自分の意思とは裏腹に全てを自白させられる事は目に見えているが施された術のせいか全く体の自由が利かない。身体を何とか捩ってはみるが何の抵抗にもなりはしなかった。
チリン‥
少し身を捩った際に海からお守りにと貰った鈴がポケットから零れ落ちる。海が風神に貰ったあの鈴だ。その音でヴァネッサが鈴に気付いて拾い上げる。
「あら、少し古そうだけど綺麗な音色の鈴ね
見た目は趣味じゃないけどこの音色は気に入ったわ‥貰っておいてあげる」
鈴を眺めながらヴァネッサが言うと陸は返せと言わんばかりに睨み付ける。
「そんなに怒らなくても素直になれるようなら返してあげるわよ
貴方の首輪にでも付けてね」
そう言いながら笑うとヴァネッサは男達に陸を早くリムジンに乗せるよう促した。陸はやはり何も返せないまま大人しくリムジンに乗せられようとした時に突如として信じられないほどの突風が吹く。その場にいた全員がその突風に顔を覆って足を踏ん張り、風が止むと男達に抱えられていた筈の陸の姿は無くなっていた。ヴァネッサは目を見開いて驚くとすぐに表情を険しくして辺りを見回す。男達も同様に陸の姿を探した。
「悪いがこいつは貰ってくぜ‥」
上の方でそう声がして一斉に上を見ると陸を抱えた風神がヴァネッサ達を見下ろしている。
ヴァネッサは鬼の類かと呪を読みぶつけるが何の効果も無い。舌打ちしながらより強力な封じの札を出して投げてもみたが悉く跳ね返された。
「全くこれだから人間って奴は‥身の程を弁えろよ」
風神は空いた方の手を口元に持ってくると掌の上に乗る何かを吹き飛ばすように軽くフッと息を吐く。するとまるで救い上げられるようにリムジンとヴァネッサ達はその風に巻き上げられ地面に叩き落とされた。涼しい顔でそれを見届けると風神は竜巻と共にその姿を消す。
「この仮は‥必ず返すから覚えてらっしゃい‥」
いつの間にかヴァネッサの手にあった鈴は消え去り体中に痛みが走る。身を起こし血が滲むほど拳を握り締めながら風神が消え去った方向を睨み付けた。
海は陸から電話を受け慌てて東條がいるであろう庵を訪れて迦狩の所在を聞く。
「残念ながら迦狩君は明希と出かけています
暫く戻りませんよ‥多分‥」
息を切らす海に困ったように微笑みながら返す東條。
「くそ、こんな時にいねぇのかよ‥」
海はそれを聞くとがっくり肩を落としながら息を整える。
「どうかしたのですか?」
その焦りっぷりに東條が尋ねると海はまだ整わない息を何とか整えようと大きく深呼吸した。
「陸が翔子ちゃんを保護してくれって‥急いでる風で詳しい事は分かんねぇけどあいつが俺にそう言うって事はかなりヤバイ状態の筈なんだ
とにかくすぐに翔子ちゃんのとこ行ってそれから陸を探さねぇと‥」
海が焦る気持ちを抑えながら陸のパソコンにアクセスして見つけた翔子の住所を見せ説明すると東條は少し目を閉じて沈黙した。
「陸の居所は分かりませんがその翔子さんという方は捕えました‥今から道を作りますので‥」
焦る風も無く海を見て微笑むと紙を取りだし何か訳の分からない図を書き、住所をメモした紙をその上に置いた。するとその住所を書いた紙は一匹の小鳥に変化して舞い上がる。
「この小鳥が案内してくれますので付いて行って下さい
貴方なら見失わずに付いて行けるでしょう‥」
二人の上を旋回する小鳥を見ると海は東條に視線を戻し頷く。すると小鳥はすいっと庵の外へと飛んで行った。海は後を追って駆け、舞い上がると小鳥は飛ぶ速度を増して海はがむしゃらにそれに付いて行った。一瞬、何かを潜り抜けたかと思うと小鳥は速度を緩め海は辺りを見回す。見た事のある風景に海は呆気に取られながらも小鳥を追うとマンションのバルコニーに舞い降り、海も同じく其処へ着地した。小鳥はまた紙切れに戻り海はそれを拾い上げると部屋の方を見る。此処が翔子の部屋なのか確信は持てなかったが小さくノックしてから翔子の名前を読んでみる事にした。
「翔子ちゃん?」
その声に駆け寄る足音が聞こえてバッとカーテンが開く。
「藤木君っ!」
翔子は驚いたような安心したような顔で海を見て言うと窓を開けた。
「えと‥陸から言われて‥」
「彼は大丈夫なのっ!?」
海が状況を説明しようとしたが翔子は真っ先に陸の安否を問いかける。
ピンポーン‥
その時、ドアホンが鳴り二人は玄関の方へ視線を向けた。
ピンポーン‥ガチャガチャ‥ピンポーン‥
ドアノブを弄る音とドアホンがしつこく聞こえる。
「翔子ちゃん、悪いけど何があっても声出さないでね‥」
海は表情を厳しくして言ってから翔子を引き寄せると身体をしっかり掴んで宙に舞いあがった。翔子はそれに驚いて声を上げそうになったが慌てて口元を抑える。そしてそのまま翔子を抱えて玄関側にある建物の屋上へ舞い降り表の様子を見ると数人の男が玄関先で今にも玄関を抉じ開けようとしていた。
「何で‥」
翔子はそれを見ると驚いたように零す。
「悪いけど今から安全な所まで連れてくからもう少し我慢して‥
陸は俺が必ず連れて帰るから‥」
海が途方に暮れる翔子に言うと翔子は海の方をただ茫然と眺める。そして開け放たれた自宅の玄関の方を見てから海に視線を戻し一つ頷く。もう一度、海は翔子を抱き上げると舞い上がり箱庭の方へ飛んだ。繁華街を抜けた所で電話が鳴り海は適当な場所に舞い降りてそれを取る。
『ミシェルと三七三が今そちらに向かってるから合流しろ
対象はこちらで保護するから引き渡したら今から送る位置に向かって‥陸がいる筈だ』
電話の向こうからトニーが簡潔に説明するとミシェルの現在地と陸がいるであろう場所の地図が送られてきた。かなり速い速度で移動していていつものトラックでは無いようだ。とにかく海はミシェル達の進行方向の少し先まで移動する為に再び舞い上がる。地上に舞い降りると同時に一台のスポーツカーが海達の前で停車した。
「悪いけど翔子ちゃんの事頼む‥」
降りてきたミシェルと三七三に海は翔子を託すと再び舞い上がる。
〈頼むから生きてろよ‥〉
願いながら海は速度を速めた。
人気の無い神社の境内まで来ると風神は陸を大木の根元に寄りかかるように下ろしてその額にそっと手を振れる。すると背中に貼られた札が落ち身体の自由も利くようになって陸は驚いて風神を見上げた。
「何だ、あいつと同じ顔や匂いだと思ったのに別人か‥お前その鈴どこで手に入れた?」
風神に問いかけられ陸が手元を見ると何時の間にか鈴はその手の中に戻っていた。
「これは弟が‥双子の弟がお守りにと持たせてくれたものです‥貴方は一体‥」
手元からまた視線を戻し陸が答えると風神は視線を合わせるように屈み込む。
「なるほど、道理であいつと同じ姿と匂いな訳だ‥へぇ、質以外はまんまそのものだな」
感心したようにじろじろ見ながら答えるとにっこり微笑んだ。
「ちょいとした縁でお前の弟と知り合いになってな‥まぁ、これであいつに借りを返す事も出来たし良しとするか
弟に宜しく言っといてくれ‥じゃぁな‥」
風神は続けるとふわりと浮きあがって疾風とともに姿を消した。
「あ‥」
陸は礼を言う為に呼び止めようとしたが空しくその手は宙を掻いただけに終わる。暫く風神の去った方を見ていたがようやく助かった事を実感すると大きく溜息を吐いて木に凭れ掛かった。そして手にした鈴を眺めるとハッと我に返り慌ててスマホを取り出すと電話をかけようとして一陣の風に遮られ顔を上げた。
「陸っ!」
血相を変えた海が駆け寄ってきて陸はまた胸を撫で下ろす。海が此処へ来たという事は翔子の身は保証されたという証だろう。
「大丈夫か?」
あちこち擦り切れた服を見て海が心配そうに屈んだ。
「俺は大丈夫だ‥それより翔子は?」
少し笑みを作って返すと立ち上がる。
「大丈夫、ミシェル達と一緒にいるよ」
海もそれに続いて立ち上がるとホッと息を吐いた。
「とにかく詳しい事は後で話す‥先にミシェル達と合流しよう」
陸に言われると海は一つ頷いてミシェル達の所まで飛んだ。翔子は顔を見るなり陸に飛びついて安心したように泣き出す。
「すまない翔子‥君をこんな危険に巻き込む筈じゃなかったんだ‥」
「そんな事どうだって良い‥貴方さえ無事でいてくれるなら私は大丈夫よ」
ようやくお互いの無事を確認出来た二人は安心したように微笑みを交わす。
「それよりこれからどうする?
もうあいつらに目を付けられているならこのまま箱庭へ連れて行って保護した方が良いと思うが‥」
ミシェルが二人に割って入るように陸に聞くと少し考え翔子を眺めた。
「いや、彼女は箱庭には連れて行かない‥」
不安そうな顔の翔子を見ると陸はミシェルに返す。
「でもこのままじゃ彼女が危ないぜ?
現に向こうは翔子ちゃんの家まで押しかけてるし今頃きっと網を張ってる
このまま帰すのは無理だ」
海は陸の考えが分からず訴えた。
「悪いがこのまま実家へ帰っていてくれないか翔子‥あと二日もすれば俺も休みに入るしそうすれば彼女と一緒に行動出来る
奴等もまさか何も持たずに出て行った翔子が百キロ以上離れた実家にいるとは思わないだろうしな」
翔子に言ってからすぐに海とミシェルに視線を向けながら不敵な笑みを浮かべる。
「ちょ‥こんな目に遭ってもまだ通勤すんのか?
そりゃ無謀だろ?」
その答えに海は思い止まるように説得し翔子は更に不安そうな顔で陸を見た。
「心配無い、恐らく人目に着く署にいる限りは安全だ
寧ろ勤務時間外の方が問題だがな‥俺も暫く家には戻らないつもりだが連絡は密に取る
どうやら俺はあの魔術師に喧嘩を売ってしまったらしくてどの道また狙ってくるだろう
だが魔術に関しては向こうが一枚も二枚も上手だ
それをどうするかだけが問題なんだが‥」
まるで他人事のように困ったような顔で言うと陸は溜息を吐く。
「それなら私が護衛に入ります
相手の魔術がどういうモノか分からないので明確な対処法は無いんですが少なくとも身を守るくらいの事は出来ると思います」
三七三がそう言うと陸はにっこり微笑んだ。
「ありがとう、頼りにしている
海、悪いが翔子をこのまま実家まで送り届けてやってくれないか?」
返しつつ陸は海に翔子を委ねる。
「俺が送って行こう‥この姿のこいつは目立ち過ぎる
それよりそのまま帰ると彼女の両親が心配するだろう?」
ミシェルは言いながら翔子の足元を見た。何も履かず部屋着のままで手荷物も無い。
「トニーに荷物と着替えを支度させて持って来させる
そのあと俺が彼女を連れて実家まで送り届け、お前が来るまで見張っていよう‥お前達はとりあえず箱庭に戻っていろ」
ミシェルは言ってから皆に背を向けトニーに連絡を取る。
「悪いがミシェルの言う通りにしてくれるか?」
「うん、陸も気を付けてね‥」
「ああ、落ち着いたらすぐにそっちに行く」
「待ってる‥」
名残惜しそうに会話を終えると陸達はミシェル達を残しその場を後にした。
明希と迦狩は戻ってくると見慣れた風景に溜息を漏らす。
「一体どういう心境の変化やねん‥」
迦狩は呆れた様な表情を浮かべながら聞いてみたが明希もまた己の行動に困惑しているようだった。
「俺が聞きたいくらいだよ‥」
何だか疲れ切ったように返すとふらふら歩き出す。本調子でない上にあれだけ動き回ったのだから当然だろう。
ただの同情かもしれない。でもこうしなければきっと後悔すると思ったから自分でも驚くような行動に出てしまったのだが今更やってしまったという気持ちが湧いてきた。迦狩はまだ混乱する頭を整理しながら困ったように明希の後ろに付いて歩く。庵に入ると東條が黙ったまま少し目を伏せた状態でじっと座っていて迦狩と明希がその前に腰を下ろしても微動だにしなかった。
「何や?」
その状態に迦狩は顔を覗き込んだり目の前で手を振ってみるが何の反応も示さずただじっと座ったままでまるで瞑想状態にでも入っているようだ。明希はその様子に嫌な予感を覚えスッと立ち上がると司令室の方へ向かう。迦狩はそんな明希を見て慌てて後を付いて行った。
指令室では今まさにトニーが出て行こうとしているところで明希は事情を聴く。焦っているトニーの為に移動しながら話をしていると樹莉が慌てふためいて駆けてきた。
「大変なのっ!サイファが大変なのぉっ!」
明希達を見つけて樹莉がそう叫ぶと明希は舌打ちしながら樹莉の前に屈んだ。
「悪いけどそう言う事だから俺は少し出るぜ」
トニーは説明途中だったが明希に言い置くとそのまま格納庫の方へ向かい明希は視線を樹莉に戻して何があったのか先を促す。
「あのねあのね、サイファがね、お薬飲んだら苦しみだしたの!
それからね、動かなくなっちゃったのっ!」
樹莉は落ち着かない様子でウロウロ明希の前を行ったり来たりしながら涙目で訴えた。明希はそれを聞くと樹莉を持ち上げ肩に乗せながらサイファの元へ駆け、迦狩もそれに付いて行く。
サイファの部屋まで来ると先に来ていたシルビアが傍で処置をしていた。周りにはロック達もいて心配そうにサイファの事を覗き込む。
「間違って貴方用の薬を投与したみたいね‥あまりよろしくない状態だけど命に別条無いと思うわ
とにかく調整槽へ運んで頂戴」
駆け込んできた明希達に机の上のバットに入れられた薬類を遠目に見ながら冷静に説明するとシルビアは立ち上がる。明希は少し疑うような視線でシルビアを見たがすぐに言われた通りサイファを抱き上げて調整室へ向かった。仮死状態に近いのかまるで反応を示さない上に体温も異様に低い。調整槽へ明希がサイファの身を運び入れるとシルビアは内線で織彩と紫苑を呼び出す。
「大丈夫なのか?」
「多分ね、恐らく極度のショック状態なだけだから蘇生すれば問題無い筈よ
誤って投与したとはいえこんなバカげたレベルの強化剤を投与するなんて自殺行為ね」
内線を切って端末の前に腰を下ろしたシルビアに明希が聞くと表情を変える事無く端末を操作しながら答えた。話している内に織彩と紫苑が調整室に駆け込んでくる。シルビア達は何か専門用語で話し始め、明希達には全く何の事か分からないが二人の慌てようからただ事で無いのは察する事が出来た。
「俺達に出来る事は?」
「無事でも祈ってなさい
ほら、あんた達も邪魔よ」
明希は忙しそうに端末を弄るシルビアに聞いたが暗に出て行くように促される。仕方なく明希は樹莉達を連れてその場を離れる事にした。ラウンジへ行くととりあえず何があったのかを聞く。
「俺達がテレビを見ている時に薬を取ってくると言ってあいつは出て行ったんだ‥」
「それでね、帰ってきた時にね、樹莉くん達にジュースも貰ってきてくれたの!」
「戻ってきてからアンプルに入った薬剤を自分で投与して何かカプセルのような物を飲んでいた
それから数分で苦しみ始めて床に倒れ込み藻掻くように胸を掻き毟った後、動かなくなり声をかけても反応が無くなってしまった」
「だからね、樹莉くん誰か呼んで来なくちゃって慌てて探してたの
そしたら明希がいたの‥」
「私はとりあえず医務室へ行ってその場にいた奴を連れてきた」
ファイアが言葉を切ると樹莉が割って入りメタルが続けてまた樹莉の後にロックが閉めた。恐らく樹莉だけなら状況を此処まで細かく把握出来なかっただろう。それにしても同じサイズであるというのにこの違いは何だろうかと明希は少し思った。
「じゃぁ、誰もあいつがどうやって薬を貰ってきたのかは見てないのか?」
明希はテーブルの上に仲良く座る四人を見て言うと四人は一斉に頷く。
「普通なら俺の薬は特別な印が施されているから間違えない筈なんだがな‥
とにかくこうなっちまったからにはあいつらに任せる他無いか‥」
頭を掻きながら答えて大きく溜息を吐いた。シルビアが敵方のスパイではないかと若干疑っているのだ。しかしそれならもっと確実にばれない方法でサイファを消す事も出来ただろう。明希は疑心暗鬼を抱えながらも今は考えない事にした。
「聞いてええか?
そもそも強化剤てなんや?」
「強化剤ってのはその名の通り肉体や力を強化する為に織彩の細胞因子から作った激薬物だ
こうして深手を負った時や早く治癒を促す時に使ったりもする
サイファ達が使う物は軽く作られているが俺が使う物は人体への負担が大きい
俺は直に強化しているから耐えられるがサイファ達には命懸けの代物だろう」
迦狩が聞くと明希は宙を見上げながら答え迦狩は視線を落とす。
「ま、今、俺達に出来る事なんて無いし焦っても落ち込んでも仕方ねぇ
とりあえずお前はもう休めよ‥明日戻るんだろ?」
明希が迦狩に視線を移すと溜息のあと迦狩は頷き立ち上がった。
「あ、そういや東條さんはどうすんねん?
あのままほっといても大丈夫やろか‥」
思い出したように言う。
「あいつなら心配ねぇだろう‥少なくとも無謀な事はしない奴だからな‥
トニーから聞いた限りじゃ陸達も危機は脱したようだしとりあえず問題はねぇんじゃねぇか?
俺もこいつら連れて一旦、部屋で休む事にするさ」
答えると樹莉達を自分の肩に乗せて明希も立ち上がり少し伸びをする。何時もの少し気怠そうな表情に戻った明希を見て迦狩も少し安心したのか表情を崩す。
「ほな俺、庵に戻ってちょっと休ましてもうたら家帰るわ
あそこにおったら何かあっても分かるし布団もあるしな‥」
樹莉の頭を撫でてやりながら明希に言って手を振り出て行く。それを見届けると小さく溜息を吐いてから明希もラウンジを出た。
風神は適当な大木を見つけると幹から伸びた大きな枝へ舞い降り枝先をジッと眺める。
「いい加減に出てきたらどうだ?」
枝先に向かって問いかけると東條がすぅっと姿を現した。
「鬼畜の分際でコソコソ俺の後を付けるとは良い度胸じゃねぇか‥」
風神は東條を見据えたまま言うと腰を掛け幹に凭れ掛かって腕を組む。
「ご無礼をお許し下さい
ただお礼が言いたかったもので‥」
威圧的な風神に対して相変わらず東條はにこやかに答える。
「ふん、てめぇの知り合いだって分かってたら野暮はしなかったぜ?
礼を言いに来たなんて回り諄い言い方すんなよ‥で、何が聞きたいんだ?」
どうやら東條とは顔見知りなのかあっさり風神は警戒を解いた。
「まさか、あそこまでの術者を霊体で片付けるのは骨が折れますよ
尤もあの身体では実力の半分も出せないでしょうが‥それに知った上でお力を貸して頂けたのでは?」
そこまで返し一旦、言葉を切ると風神に歩み寄って枝の上に正座する。正座すると言っても霊体なので少し違和感があるが‥。相変わらず全てを悟ったような東條の口ぶりに風神はケッと吐き捨てるように口元を釣り上げた。
「樹莉が清水宮尊様から神器を頂いてきました
あれは樹莉の存在が認められたと考えて良いものなのでしょうか?」
穏やかな表情ではあるがかなり張りつめた空気を纏う東條。
「さぁな、あのババァの考えてる事なんざ知らねぇよ
ただ、試しているのは確かだろうな‥
このまま人間が自分達のしでかした事への決着を付けられるのか否か‥もし出来なきゃ人間は窮地に立たされるぜ?」
まるで東條を試すような口調で風神が言う。
「確かに樹莉達はこの世界に存在してはいけない種です
それでも生まれてしまった以上は生きる権利がある事も確か‥ただその存在が齎す副産物は私も頂けないと思っております
ましてや神の血を用いて同族殺しの道具にするなど許される事では無いでしょう」
「一応ちゃんと解ってんじゃねぇか‥世界がめちゃくちゃになるその前に人間を一掃しようと考える天界や地上の神々もいる
天帝を始めそんな輩に手を回すのは結構骨が折れたぜ
まぁ、俺を含め何だかんだ人間を好きな奴等もいるからそいつらの力も借りはしたが‥
全くどうかしてるぜ‥この世界を守る為にわざわざその身を捧げた前天界竜王の亡骸の一部を人間風情が私利私欲で好き放大してるんだからよ
天津さえそれを使って新しい種を誕生させちまったらそりゃ慈悲深い天帝も怒るわな‥」
答えた東條に肩を竦めて言うと風神は近くにある葉を一枚取り草笛を吹きだした。東條は難しい顔で黙ったまま何かを考えている。
「大きな過ちを犯す前にこの問題を我々で処理せよという事ですね‥貴方はその監視役なのでしょう?
聖天風歐大帝様‥」
沈黙の後、ゆっくり口を開いた東條を見ると風神は草笛を止めて東條を見つめた。
「その名は好きじゃねぇ‥俺は此処(地上)にいる時はあくまで一塊の風神だぜ?
ったく、肩書きが付いただけで不自由になったもんだ
ババァみたいに天界に戻らずこっちで好き放題してりゃ良かったな‥」
「何を仰います、貴方様ほど相応しい方はいないでしょう
それに窮屈に思うほど天界にはおられないのではないですか?」
風神が返すと東條は少し苦笑しながら言う。
「言うじゃねぇか‥まぁその通りだがな
けど、俺に天界は合わねぇンだよ
あそこにいると身体が腐っちまいそうだ
前風帝様が俺を指名したりしなけりゃこんな仕事は願い下げだったぜ‥」
風神はぼやくとまた草笛を吹く。その音色はまるで雅な歌のように流れ、木々のざわめきすら止み東條も耳を傾ける。一見、傍若無人に見えるが天界貴族の嗜みは一通りその身に付いているようで何事にも雅さが滲む。
「我々は道を違えずに進めるでしょうか‥」
草笛が止むと東條が下げた視線もそのままにポツリと呟く。
「はっ、知った事かよ
正解・不正解は藻掻きながら探してこそだろ?
鬼畜風情が奢るな‥」
呆れたように笑いながら返す風神を見て東條の気持ちは幾ばかりか軽くなった。一人で背負うなと言われたのだから気負う必要は無い。どういう結果が出ようと己が信じて歩いて行く道なら悔いは無いと思った。
「そうですね‥」
穏やかな気持ちで答えると東條は立ち上がる。
「もしもの時は俺とババァがケツ拭いてやるから心配すんな‥最低限度の事しかしてやれねぇかもしれねぇがいざとなったら代わりに天帝に土下座でも何でもしてやるさ
とにかく俺等は何時でも見てるからよ」
姿を消す前に風神が小さく言うと東條は深々と頭を下げて姿を消す。風神はそれを見届けるとまた草笛を拭き始めた。