負傷と回復
明希は計器を弄りながらトニーの乗る機体の位置を確認してその場所へ降り立つ。
「思ったより遅かったな‥」
ヘリから降りるとトニーが駆け寄ってくる。
「ちょっと用意に手間取ってな‥それよりミシェルの居場所は掴めたか?」
続いて降りてくるマリー達を見ながら明希が返すとトニーは首を振った。
「機体の残骸や周りの状況から見て墜落する前に脱出したらしい
広範囲で探したけど全く掴めないんだ」
「東條が言うには何処か森の中に居るらしいって事なんだがこの辺りで森と言えばこの山岳地帯か湖の周りだろう‥此処からだと10km先だが山岳地帯なら自動操縦に切り替えるには無理が有り過ぎる
恐らくこの湖周辺だろう」
トニーが説明すると明希は冷静に地図を広げ返すがマリーは気が気で無い様子で地図を覗き込みながら爪を噛んだ。情報の擦り合わせをしながら捜索範囲を絞るとまずそちらへ向かった。
辺りを警戒しながら少し開けた高台にヘリを下ろすとトニーはまず機体を隠してレーダーを設置し、三七三は地面に円陣を書き始める。呪術で更に目隠しをして粗方の野営準備を終えると明希達は地図を見ながら捜索方法を相談し始める。恐らくヘリを捨てたのは理由があるだろう。この辺りで敵に気付いて早々に身を潜めたとしたら遭遇する確率も出てくる。そうするとヘリで大っぴらに捜索する訳にもいかない。
「余りばらけるより少し時間はかかるが大勢で探す方が安全だろうな‥もし敵に出くわした場合は連絡を取られる前に抹殺しねぇと厄介だ」
地図を片手に森の方を見ながら明希が言うとマリーもそちらに視線を向けた。
「あの、お師さんが怪我をしてると仰ってましたのでそうアクティブに動けないと思うんです
私の占では今は身を潜めていると出ましたので何処かに留まっていると思います」
「あいつの事だ‥もしそうならある程度、周りの状況を把握してから罠を張ってる
私等でも近付くのは難しいかもしれんぞ?」
「ずっと一緒に居るお前ならあいつの癖もやり方も熟知してるだろ?
お前なら何処ら辺に潜む?」
二人の横から三七三が言うと明希とマリーはミシェルの行動を予測する。マリーは辺りを眺め起伏を頭に入れながら難しい顔で考え始めた。湖を中心にだいたいは平たんな場所だが少し離れた所は見た目より起伏しているように思える。
「私なら下手に谷合は避ける
何処か中腹辺り‥見つかり難く逃げる条件の揃ったあの辺の場所を選ぶだろうな‥」
暫く考え込んだ後に数ヶ所を指差しポツリと言う。
「しかしあくまでもこうして外側から見た場合で実際は行ってみないとはっきり断言出来ない」
「よし、それなら手近な所から少しずつ潰していこう
三七三は此処で少しでもミシェルの気配を感じたら教えてくれ‥一応、通信はずっとオンの状態にしておく」
マリーが続けると明希は空かさず返して装備を始め、それに続くようにサイファやロックも身支度を整えた。そして装備が整うと連れ立って森の中へと入って行く。昼日中だというのに鬱蒼と茂る木々のせいで辺りは薄暗く道も無いので易く進む事は出来ない。明希はコンパスを頼りに感だけで目的地まで進む。
日が落ち始める頃にはようやく一つ目のポイントに辿り着いたがミシェルの気配は無く、三七三も其処では無いと断言したのでまた先へと進んだ。夜が更けきった頃にまた次のポイントにやってきたが其処にも手掛かりは無く、とりあえずその日は其処で野営をする事にした。適当な洞を見つけて交代で休み、翌日、次のポイントに来た時、ようやく誰かが野営をした痕跡を見つけた。
「ミシェルで間違いないわ‥其処から北へ向かってる」
マリーに確信はあったが皆は三七三からそうお墨付きを貰ってより安心したように指示された方向へと向かう。途中でやはりトラップが幾つか仕掛けられていたがそれはマリーが難なく見つけて解除した。どれも簡単な物で作られたトラップでミシェルが余り装備も持たず、この森に入ったのだと判った。しかし仕掛け方は巧妙でマリーが居なければ無傷で進む事は出来なかっただろう。そして日が傾きかけた頃に明希は立ち止まり、少し先の茂みにうっすら気配を感じると少し身を屈めて皆をその場に残し、注意深く歩み寄った。あともう少しという所で踏み込むと大きくジャンプして傍の木の枝に掴まりその気配のする茂みに向かって金属の糸を放つ。すると茂みはざっと掻き消えるように粉々になって人影が現れこちらに銃口を向けた。
「思いの外、元気そうじゃねぇか‥」
木にぶら下がったまま明希が言うとミシェルはニッと笑って銃を下げる。それを離れた位置で見ていたマリー達はようやく二人に駆け寄ってきた。ミシェルがマリーの方を振り向くと拳が飛んできてそれをしっかりとミシェルは受け止める。
「ったく‥死に損ないが‥」
顔を伏せてからマリーは小さく言う。
「心配させてすまなかった‥」
ミシェルは一言だけ言うと受け止めた手を静かに下ろす。
「とりあえず三七三の所に戻って手当をしよう‥話はそれからだ‥」
明希はミシェルの脇腹に巻かれた布切れに目をやるとそう言って戻る事を促した。
今度は最短距離で戻ると行きは二日かかったが帰りはほぼ一日で帰還できた。
「奴等を追っていて奇妙な化け物を見た
そいつはレーダーに映らず気付くのが遅れたんで闇夜に紛れて機体を自動操縦に切り替えこの森へ逃げ込んだ
化け物が俺に気付かず機体を追いかけてくれたんで何とか逃げる事は出来たが無理な着地をしたせいでこの様だ‥急いでいたんで碌な物も持ち出せず連絡が出来なかった」
三七三の手当てを受けながらミシェルが話す。
「まぁ、とにかく無事で良かった‥
それより追ってた奴らはどっちの方へ行ったか分かるか?」
ようやく一息吐いた明希が煙草を咥えながら返した。するとミシェルは傍に有った地図を皆の前に広げる。
「俺はこの位置から南東方向に進む機体に距離を取りながら低空で追っていた
そして俺が化け物を目視したのはこの辺り‥暗視スコープ越しだからはっきり見た訳じゃ無いが普通の鳥なんて大きさじゃ無かった
そいつは奴らが向かっている方角から入れ替わるように現れた、その方向には例の施設がある
恐らく奴らが向かった先も此処だろうな‥怪鳥の方は軽く攻撃はしてみたが思いの外、素早くてエアホークでさえ逃げるのがやっとだった」
地図を指差し説明しながらミシェルは記憶を辿った。
「とにかく後は俺等でやる‥あんたは箱庭で紫苑にちゃんと見て貰え
三七三も一度、箱庭に戻って休めよ‥目の下にクマが出来てるぜ?
悪いがトニーはもう少し俺等に付き合ってくれ‥これから睡眠を取って明け方前には出るからしっかり休んどけよ」
煙草を揉み消すとテントへ向かう明希を見送りそれぞれは各自が思う場所で眠りにつく。翌明け方になると準備を早々に終え、日が射す前にその場を飛び立ち、明希達は安心も束の間に新たな戦いに向けて気を引き締めた。
目的地のかなり手前で着陸すると明希達はヘリにトニーを残して徒歩で施設まで向かう。進んで行くと森が開け、小さな村のような所に出た。殆ど何も無くバラック小屋や井戸など人の生活していた痕跡はあるものの人通りは無かった。そんな中を呪術系の人間が居ない為に無駄に細心の注意を払いながら進むとようやく遠目に施設が見えてきた。明希達は物陰に隠れ、その周りを双眼鏡で見渡してみたがこれと言って厳重な警備は無い。
「夜になるのを待ってもう少し近付いて様子を見た方が良いんじゃないか?」
サイファが言うと明希は少し考えて宙を見上げる。二人を余所にマリーはロックに荷物を預け、武器を一通り準備しながら辺りを窺う。
「そうだな、だが迂闊に近付くよりやはり先に東條に結界の有無を確認した方が良いだろう‥向こうにもやり手の術者がいる筈だ
もしかしたらもう気付かれてるかもしれんしな」
明希は通信機を出すと箱庭にアクセスし海が出ると東條に代わるように伝えた。
『今、東條さんいなくてさ‥代わりに響と東條さんの知り合いだっていう女の子が結界を張ってくれてるんだけど‥
今、ちょっと席を外してて‥その子呼ぼうか?』
「いや、それなら直に東條に連絡してみる
通信コードを教えてくれ‥」
海が伝えると明希は暫く沈黙してから溜息の後に言うとイヤホンの向こうがいきなり賑やかになった。
『おわっ、いつのまに入ってきたんだよ』
『先生は今、忙しいさかいうちがさして貰いますぅ~
何でも言うて下さい』
やたら明るい見知らぬ若い女の子の声に明希は言葉を失う。
「おい、一体そっちはどうなってる?」
ようやく返す言葉は少しげんなりしていた。
『えーっと‥話すと長くなるんだけど‥』
口籠りながら帰ってくる返事に明希はどうやら向こうでも何か起きているようだと悟るが鬼気迫る状況では無く、かなり人事的な意味で厄介だと理解すると関わりを持ちたくなくなった。
「もう良い、とりあえず三七三を返したんで響がいるなら響をこちらに寄越してくれないか‥」
明希が頭を抱えながら返す。
『うちより響の方がええなんて心外ですわ!
今からうちが行きますよって!
迦っちゃん、この人のトコまでうち運んでや‥』
『運んでやってお前‥俺そんな長距離飛んだ事無いっちゅうねん!』
『そんなん心配せんかてうちが底上げしたるやん』
『ちょっと待てって!
お前らが行くようなトコじゃねぇっての!
それに子供だけで行かせられるかよ!』
『ほな、そっちのお兄さんも一緒に行ったら問題ありませんやろ?』
『あ‥ちょ‥待っ‥』
すると智裕は明希に食って掛かってそのあと何かイヤホン越しにガタガタしている様子が受け取れた。
「おい、頼むから‥」
「来ましたで!」
明希が言いかけると目の前に見知らぬ女の子と迦狩と陸がその場に現れて明希達は呆然とする。陸もまたいきなりの事に呆然とし迦狩は息を荒げてぐったりその場にへたり込んでいた。
「全く無茶やでちぃ‥俺、こんな長距離、飛んだ事無いねんぞ?」
「何言うてんのん‥ちゃんと力の底上げしたったやろ?
うちかて結構力使うたで」
相変わらず迦狩と智裕は周りも気にせず言い合って見せる。明希は呆然としつつ難しい表情で陸の顔を見た。
「少し‥話せば長くなるんだが‥」
海と同じように何とかそれだけ言うと明希は諦めたように視線を外して大きく溜息を吐いた。とりあえず状況を整理する為に明希達は陸の話を聞く事にする。
「本当ならあの日の内に顔を出そうと思っていたんだがいろいろゴタゴタしていて来るのが遅れた
来てみれば君達は居ないし東條さんは留守だって言うし仕方なく海に事情を聴いた
君達が出た後で東條さんは迦狩君に箱庭の守りを固めて貰ってすぐに出かけたそうだ
行先は智裕さんの家で彼女もまた東條さんと同じ術者だそうだ
東條さんは彼女の家に本来の力を使う許可を貰いに行ったらしい」
陸はそこで言葉を切って智裕をちらりと見た。
「先生は本来、うちらの管轄外におったらあかんお人やねんけど害は無いと思うたから力の一部をうちらが預かって自由にしてもうてたんです
せやから今回はその力を先生にお返ししました
でもタダで返すのも勿体無いんでせっかくやから個人的にうちの家事にかかわる事を片付けてもうてますんや」
智裕がにっこり笑って言うと陸はまた続ける。
「とにかく其処に響君もいて二人で昔馴染みの迦狩君の話しているのを聞き、智裕さんが無理やり響君について来たらしい
響君が言うには術者としては東條さんに並ぶかそれ以上だそうだ」
話し終ると少し困ったように溜息を吐く。
「事情も実力も分かった
が、協力して欲しいのは山々だが子供を連れてく訳にはいかねぇ‥
こっからは殺し合いだ‥子供の出る幕じゃねぇよ」
明希はそれを聞くと同じく困ったように頭を掻き煙草を咥えると少し言い難そうに呟く。それを聞いて智裕は今までの表情を一変する。
「殺し合いならもっとえげつないモン見てきてますで‥今更、怖い事も無いわ」
小声で言うと智裕の今までと打って変わったその表情に迦狩は呆然とした。いつも明るい顔しか見た事が無い彼女の表情は何処までも暗い闇の淵を覗いているように見える。
「そういや東條が言ってたな‥代々続く家ほど中身はえげつねぇって‥」
煙草を蒸かして言うが明希は視線を逸らしたまま表情は変えない。この少女がどんな目に遭ってきたのか東條から聞いてきた術者に関する話で大凡の見当は付いたからだ。
「とにかくそれでも連れてく訳にゃいかねぇ
陸、お前は此処でこいつら見張ってろ‥」
「うちの何があかんのん?
ちゃんと先生の代わりは出来る言うてるやんか」
明希が言うと智裕はグッと表情を強くして詰め寄るが明希は構わず煙草を蒸かして答えようとはしない。
「とりあえず結界があるかと術者がいるかどうかだけ教えてくれないか?
それだけ分かれば俺達だけで問題は無い」
横からサイファが堪り兼ねたのか智裕に言う。それを聞くと智裕は少しだけサイファの方を見てからムスッとしたまま目を閉じる。
「結界は無い、術者はおるにはおる‥けどたいした事無い
遠隔でもうちが十分抑えられる
それより変な感じがする‥聖の気と魔の気が混在してるわ
しかも魔の気の方は変に歪められとるから遠隔では処理しきれん
聖の気はあんたらと同じやさかいなんとか出来ますやろ?」
言いながら目を開けるとしっかりした視線でサイファの方を見た。内部監察は三七三の比では無く予想以上に早い。それを聞くとサイファは頷き明希を見る。
「それだけ分かりゃ十分だ‥とりあえず夜まで待たなくても入り込めそうだな‥」
明希はそのまま視線を合わせようともせずに煙草を揉み消して建物の方へ向かって歩き出す。
「何かあったらすぐに飛ぶさかいそうならんようにせいぜいおきばりやすぅーっ!」
智裕はいつもの表情に戻ると明希の背中にべーっと舌を出しながら言った。
「心配してくれてありがとうな‥」
マリーはクスッと笑って智裕の頭を撫でると明希の後に続く。サイファも少し微笑んで智裕を見てから続いた。明希は建物の脇まで来ると見張りを気絶させて傍に潜んでいたマリー達を呼び寄せる。空かさずサイファがロックされた施錠を解除して皆は辺りを警戒しながら中へ潜り込んだ。
外もそうだが中も人っ子一人おらずまるで廃墟のようだった。監視カメラすらなく誰もいる気配は無い。
「下で懐かしい気配がする‥」
ロックがぽそりというと明希達は顔を見合わせた。
「地下か‥」
呟くと地下への通路を探るようにマリーに目配せをする明希、マリーは傍の壁に手を付いて目を閉じる。
「こっちだ‥」
入口が分かったのかマリーは言いながら皆を連れて廊下の先へ向かい、地下への階段を下りるが本当にこれといったセキュリティーも無く安易に進む事が出来た。
「どうやら俺達は罠にかかったネズミってところみたいだな‥」
少し口の端を引き上げて不愉快そうに明希が言うとサイファ達はグッと気を引き締め、辺りを窺う。やはり見張りなど無く、どんどん奥へと進む事が出来たが例え罠だと分かっていてもエレメンツロイドがいる以上、此処を放置する事は出来ない。廊下を進んで行き各部屋を見渡すが誰もおらず更に奥へ行くと広いオフィスのようになっていてようやく人影があった。一行の前に現れたのはサイファのエレメンツロイドであるFiA。明希は立ち止まると辺りの気配を探る。どうやら此処にいるのはファイアだけのようだ。
冷たくこちらを見据えていたかと思うとすっと片手を掲げて火炎の球を出し、投げつけるように放つと体制を低くしてこちらに向かってくる。それぞれは後方や横に跳んでその攻撃を交わすがファイアはすぐに次の攻撃に移る。少しでも動きを止めようとマリーは機関銃を乱射しながら周りのコンクリートの壁を変形させて捕えようとするが追い付かず火炎玉を食らいそうになった。マリーを援護するようにロックは動きを止めようとするが悉く交わされる。サイファは火炎玉を相殺しつつ攻撃するがやはり力の差は歴然で全く力では敵わずもろに火炎玉を食らってしまった。金属の糸を不意に繰り出すと明希はサイファに襲い掛かろうとするファイアの動きを止めたがそれは一瞬の内にパンと弾けて切れた。
「くそ、いつの間に‥」
明希は咄嗟に横に跳ぶと後ろを振り返る。そこには明希のエレメンツロイドのMtLがいた。狭い中で混在して戦う事に無理を感じはしたが広い場所の方が尚、不利になる事は明白で下手に広域へ出る事は出来ない。
「マリー、俺とこいつを隔離しろ!
そっちはお前達に任せる!」
一番厄介なメタルを引き受けると言った明希は応戦しながらもサイファ達から少し距離を取る。
「一人じゃ無理だ!」
「そんな事言ってる場合じゃねぇ!
一人づつでも確実に仕留めなきゃ共倒れだ、心配すんならさっさと片付けて応援に来い!」
サイファが叫ぶと明希は空かさず返してまた少し皆から距離を取った。
それを見るとマリーは自分達と明希達の間に分厚い壁を作って戦力を分断する。
「やっちまうぞ!」
マリーはサイファに言うと攻撃を始めた。見る間に辺りは炎に包まれ、熱気だけで参ってしまいそうだ。ロックも始めは援護するように立ち周っていたがその内に一番前に出始める。
「だいぶ動きは掴んだ
此処からは私が前に出る」
ロックは強い口調で言うとファイアに向かっていく。逆に今度はサイファとマリーがロックの援護に回った。それにしても流石にエレメンツロイド同士の戦いは規模が違うせいかマリーもサイファも追いかけるのがやっとだ。激しい攻防の末、ようやくファイアに致命傷を負わせる事が出来たがあの時のロックと同じようにそれでもファイアは向かってくる。やはり脳内をかなり弄られているのか片腹を抉られてもまだこちらに向かって攻撃を仕掛けてきた。それを交わすとサイファは完全に動きを封じる為に炎を繰り出そうとしたが壁が二人を隔てるようにバンと弾け割れる。
そしてその砂埃の中から現れたのはメタル、明希を引きずるようにこちら側へ入って来た。明希は気を失っているのか死んでいるのかピクリとも動かない。メタルは明希の身体を壁の方へ投げつけるとマリーは咄嗟に壁をクッションのようにして明希を受け止めた。
「明希っ!」
ボロボロの明希に向かってマリーは叫ぶように呼びかけるが返事は無く、その反応を見てキッとメタルの方へ向き直る。怒りに満ちた表情で襲い掛かろうとするが次の瞬間、コンクリートが行く手を阻み咄嗟にマリーはそれを蹴って後方へ飛んだ。
「邪魔するなロック!」
凄い剣幕でマリーはロックを振り返るとロックはマリーの足をコンクリートで固定した。
「マリーには無理だ、私がやる‥」
今まで以上に表情を厳しくしてロックがメタルに歩み寄る。
「お互い人形だけど私はもうお前等と違う‥
前は何とも思わなかったけど今はお前等と戦うのが嫌だよ」
ロックは少し寂しそうに微笑んで言った。メタルが構わず手を振り下ろすとロックは横に跳んで何かを避けながら懐へ入ろうと間合いを窺う。一方、サイファとマリーは動きの鈍くなったファイアを何とか抑えようと引き続き攻撃を再開していた。その内に戦いのせいで所々、床が崩壊して階下と部屋が繋がり、下には夥しい数のバーサーカーがいてマリー達はそちらにも気を配らなくてはいけなくなった。絶体絶命だ。その内に明希が横たわっていた床付近が崩れ身体もろとも階下へ落ちる。
「!!」
マリーとサイファはそれを見て明希を助けようとしたがファイアの攻撃や這い上がってくるバーサーカーの対応に手いっぱいで様子を確認する事すら儘ならない。仕方なく先にファイアを何とかする事にした。
メタルとロックは相変わらず攻防を繰り広げていたがロックが押され始めた。元々、能力差としてメタルの方が大きい事はロック自身知っていたが負ける訳にはいかないという気持ちがその力を底上げしていた。片腕を落とされ内臓を抉られてもロックはメタルに向かっていく。少しでも傷を負わせる事が出来ればと足掻くがもう全く歯が立たない。蹴り飛ばされてしこたま頭を壁に打ち付け倒れ込んだロックにメタルは歩み寄ると金属の糸を剣に変えてその首を切り落とそうと構えた。そして振り下ろした瞬間にロックの首元ギリギリでその動きは止まる。よく見れば剣に巻きつくように金属の糸が絡まっていた。
「悪ぃがそりゃ俺の仲間だ‥殺させる訳にはいかねぇな‥」
明希は息も絶え絶えにそう言って崩れ落ちかけた通路の端に立つ。その後ろには智裕が立っていた。
「言うとくけどあんまり持ちまへんで?」
「構わねぇよ
少し頭が冷えたんでな‥何とか片が付きそうだ‥」
智裕が言うと明希は強がって微笑み視線をメタルに置いたまま返す。すると明希に向かって再びメタルは糸を繰り出しながら懐に入り込むが明希はそれを避けずに手にした金属の糸を今度は自分が剣に変えて振り下ろした。メタルは咄嗟にそれを避けて明希を蹴り飛ばそうとするが明希もまたそれを交わし、メタルの身体を踏み台にして後方へ飛んだ。智裕はそれを身動きもせずただ黙って眺めている。
「悪いけどうちが手を貸せるんは此処までや‥後は自分等で何とかして貰わなな‥」
表情も無く小さな声で呟く。そしてチラリと階下を見てから再度、明希に視線を向ける。メタルの動きを読み先回りするように攻撃をし始め、力の差こそあれど戦闘経験という意味では明希の方が数段上だ。上手く攻撃を交わしつつ少しづつ間合いを詰め、追い込んでいくといきなりメタルの両腕が胴体から離れ落ちる。よく見ればあちこちに細い金属の糸が張り巡らされていて明希はその罠の一つにメタルを追い込んだのだ。メタルはその場に倒れ込むと叫びながら藻掻くようにその場でバタバタと足を動かし、明希はその足首から下もあっという間に切断した。すると失血のショックからか意識はカクンと途絶える。
「悪いが今の内に束縛用の封印をしてくれ‥」
明希もまたガクンと膝を折った後にようやく顔を上げて智裕に言い、それを聞くと無言で封印用の札を頭部に張り付けた。それから徐に明希の顔を覗き込む。
「あんたさん思ったより根性あるやん?
うちのトコに婿養子にけぇへん?」
そう言いながらにっこり微笑む智裕に明希は何とか立ち上がると溜息を吐く。
「ガキに興味はねぇよ
俺にはロリコンの趣味は無いんでな‥」
少し首元に手をやり身体の感覚を確かめながら返し、引きずるようにまだ戦っている気配のある階下へと歩を進めた。
「それ以上戦ったら流石のあんたさんも死にますえ?」
智裕は表情を戻して言うが明希は無視してそのまま進む。大きな溜息を吐き智裕は明希の方へと歩み寄りその腕を取って引き留める。
「止めとき‥もうすぐあのお兄さんが来はる
下におった他の化けモンを処理してはるよってもう上がってくる筈や‥足手纏いになりたないんやったら今は此処におり」
振り返ると智裕は明希の目を見ながら強く言った。明希はそう言われて階下が見渡せる位置まで進むと下を見る。すぐ下ではマリーとサイファがようやくファイアの動きを止めようとしていてそれを見た智裕はふわりと二人の元へ飛び降りた。
「動きを止めてくらはったら後はうちが封呪しますよって!」
二人に言うと智裕がまた札を出し構えるがその後方から殺し損ねたバーサーカーが智裕を貫こうと爪を伸ばす。血飛沫が舞い智裕が目を見開く。
「油断してんじゃねぇよ‥」
腹を貫かれながら明希は空かさずバーサーカーの首を落とし智裕に言った。
「早よ動きを止めて下さい!」
智裕は何か言いかけたが言葉を飲み込み背を向けてマリー達に強く言うと一瞬、呆気に取られていた二人はまたファイアを拘束しようと攻撃を仕掛ける。明希は自分を貫くその爪を抜くと崩れるように膝を着いて吐血した。焦る二人はなかなか動きを止める事が出来ない。だが次の瞬間に落雷のような爆音と共にファイアの身体が宙に舞い、半分焦げたようになった身体がドサッと床に落ち、智裕は空かさず札を張る。
「お兄さん遅いわ!」
安心したように溜息を吐いてから智裕は暗がりに向かって不服をぶつけた。
「これでもかなり急いで処理してきたんだがな‥」
陸はうっすら額に汗を滲ませながら皆の傍に歩み寄り言う。
「ったく、こいつら見張ってろって言ったろ‥」
明希は気を失いそうになりながら陸に言うが本心では無い。
「すまない、それより爆弾を作動させてきた
早く此処を脱出しよう」
陸は言いながら明希に肩を貸し立ち上がらせる。
「あいつはどうした?」
辺りを見回して明希は迦狩の事を聞いた。
「迦っちゃんはこんなん慣れてへんし慣れて欲しゅうも無いから眠らしてきた
今、階段横の納戸みたいなとこにおるから起こしてくるよって先行ってて!」
智裕が言いながら駆け出そうとすると上階で燃えていた何かの塊が落ちてくる。明希はそれに気付くと陸を振り切って智裕を庇うように抱え、奥へ飛んで二人は間一髪で壁の傍へ倒れ込んだ。
「ちょおっ!しっかりしいや!」
倒れ込んだ際に何処かを打ったのか明希の意識が途絶えて動かなくなり、智裕は必死に呼びかける。
「とにかく俺が迦狩君を連れてくる
何時でも脱出出来るようにしててくれ!」
一番ダメージの無い陸が言うとマリーとサイファは頷いた。まず崩壊の少ない非常口近くの柱の傍に明希と智裕を連れて行くと二人はロック達の回収に向かう。サイファは広がった火を抑えつつファイアとメタルの身体を非常口の方へ、マリーも軋む身体で何とかロックの身を持ってきた。暫くすると陸が迦狩を負ぶって戻ってくる。智裕が呪を解いて起こすと迦狩は目の前の光景に混乱しつつもとりあえずトニーが待つ場所までテレポートで皆を運んだ。しかし人数の多さと前に跳んだ時のダメージでへたり込んで動けなくなった。
「情けないなぁこのくらいで」
「うっさいわ!
無茶や言うてんのに無理さしたん誰やねん!
しかも挙句の果てに仲間外れにしよってからに!」
へばっている迦狩に向かって智裕が言うと迦狩は立ち上がる気力は無くても強がって言い返す。二人が言い合っていると遠くで地鳴りのような音と共に施設の方から黒い煙が上がった。
「間一髪だったな‥」
平気そうな顔をしているが陸は内心、焦りながらそう呟くと言い合っていた迦狩と智裕も黙ったまま煙を眺める。その光景に今更ながら二人は冷や汗をかく思いだった。
「今、施設の消失を確認した
周囲に監視の気配も追手の気配も無いしそろそろ箱庭に戻るから‥」
トニーが操縦席から降りてきて皆に言うとようやく安心したようにそれぞれ溜息を吐く。そしてトニーはロック達の身体をヘリに積み込み、各自も順にヘリに乗り込むと席に着いた。智裕はまだ気を失っている明希に膝枕をするように地べたに座り顔を眺める。ヘリが舞い上がり暫くすると明希が目を覚ました。
「もう少し寝てなはれ‥今から帰りますよって‥」
智裕が優しく言うと明希はまたそのまま目を閉じ、その横で迦狩は疲れたのか爆睡している。傷だらけの明希の顔にまた視線を落とすと智裕はそっとその頭を撫でた。
「残念、どうやら逃げられちゃったみたいだねぇ
本当なら此処でだいぶ戦力を削ぐはずだったんだけど‥英梨香ちゃん達を置いてきたのは誤算だったなぁ」
双眼鏡を覗きながらトラストは言う。施設から離れた丘で見学していたのか簡易のテーブルの上にはワインと砂嵐になったモニターがあった。
「行こうか?」
傍にいた少女は一言、ヘリを眺めながら呟く。
「いや、今は良いよ
君にはもっと最高の舞台を用意してるんだ
少し予定は狂っちゃったけど予想範疇だからまぁ、構わないさ」
双眼鏡をテーブルの上に置くと椅子に腰を下ろして答えた。ピクニックさながらに余裕の表情でワインに口を付ける。少女はそんなトラストを眺めチラッとヘリの去った方を見てから自分も椅子に腰を下ろした。
その翌日、広い豪華な部屋に高価な調度品が置かれた王座さながらのCEO専用の役員室、場違いな少女が重厚なデスク前の床でビー玉を弾いて遊んでいた。トラストはデスクの上に半分、腰かけたような状態で一枚の紙切れを眺め、見終わるとパッと手を放して溜息を吐いた。
「せーっかく大事にしてるエレメンツロイドを貸したげたのに全部持ってかれちゃったみたいだねぇ
おまけに施設まで破壊されて‥ちゃんと誘き出すよう言ってた検体すら来てなかったし‥
上手く餌を蒔いたって言うから張り切って見に行ったのに残念極まりないよ」
別に怒るでも無くただ呆れたようにトラストが言うと深々と椅子に腰を掛けているヴァネッサは苦虫を噛み潰したような顔で手を口の前で組んで答えない。
「悪いけどこのままじゃCEOの椅子は預けられないけど?」
失態を責めるような言葉とは裏腹にトラストの表情は緩いが眼差しは冷たくヴァネッサを見つめる。
「分かってるわ!
今度こそ例の検体を捕獲する‥だからもう一度チャンスを頂戴!」
返すヴァネッサの額には脂汗が滲んでいた。
「仕方ないねぇ‥今度だけだよ?
本来なら一度も失敗なんて許されないんだから僕としては大サービスさ
もし次も失敗したら君の中に在るカプセルは全部弾けてその綺麗な顔が化け物みたいになっちゃうよ?」
トラストは愉快気に微笑んで言うとヴァネッサは小さく頷く。少し震える指先に気付くとトラストはもう一度クスッと笑ってから少女を伴い軽い足取りで部屋を出た。
「次も失敗すると思うな‥」
廊下を進みながら少女が無表情に呟く。
「そうだねぇ、でも使える駒は使わないと勿体無いだろ?
それに君の出番はあまり作りたく無いんだ‥こうして僕の傍にいてくれなくちゃ寂しいからね」
トラストは優しげに言うと少女は表情も無いままトラストを見る。
「私が死んでもまた創ってくれるんでしょ?」
少女が言うとトラストは少し困ったような顔をした。
「そうだね、君のストックは沢山あるから‥でも、もう創りたくは無いなぁ‥」
苦笑しながら言って立ち止まり、トラストは繋いだ手を離し少女を抱き上げて愛しそうに眺めながら頬にキスをしてまた歩き出した。
箱庭に到着するとようやく明希は目を覚まし自力でヘリを降りる。格納庫には技師や紫苑達が待ち構えていてエレメンツロイドを運び出したり降りてきた面子の負傷状況を確認し始めた。
「悪いけど先にエレメンツロイドとマリーを調整槽に入れるわ‥空いたらすぐに二人の治療も始めるから‥」
紫苑は状態を見て明希達に言う。
「俺達はほっといても別に大丈夫だ
此処に戻ってくるまでにだいぶ治癒しているし寝てればそのうち治るだろう
それより暫く休みたいんで急用が無い限りはそっとしといてくれ‥」
チラッとサイファを見てから明希は紫苑にそう言いながら身体を引きずって部屋に戻ろうと歩み始めた。
「ちょっと待って、うちが肩貸したるわ!」
トンとヘリから降りて智裕が駆け寄ってくる。
「姫様っ!」
響がそれを制止するように格納庫の入り口からやってきた。その後ろには東條の姿もある。
「何や先生、もう戻って来はったん?」
智裕はそれを見ると響を無視して東條にそう声をかけ、明希は何かいろいろ言いたげに東條を眺める。
「ご迷惑をかけてすみませんでした
智裕様、どうか早々にお屋敷にお戻り下さい
皆が心配していますから‥」
東條は明希を見てから智裕に視線を移して言う。
「婚約破棄はちゃんと成立したんやろね?」
智裕が疑うような顔で見据えながら返すと東條は少し困ったような顔をした。
「ご婚約の件は先代様と竜王院家の当主がお決めになられた事ですので現当主の貴方が破棄を申し入れても安く受け入れる事は出来ないと仰っておられます
何か相応の理由が無ければ婚約の件も盟約も守って貰うと‥」
「相応の理由ならあるわ!
うちはこの人と結婚すんねや‥約束したもん!
それにうちの言うてる事はあちらさんも理解出来る筈や!」
言い難そうに答えると智裕は頬を膨らませて明希の腕に抱き付いて言い放つ。その言葉にその場にいた皆の動きが止まった。
「な‥コイてんじゃねぇぞガキっ!!」
余りの事に明希が言いながら智裕を振り払おうとするが智裕は離さない。
「おい!姫様になんて事をっ!」
空かさず響が明希を怒鳴りつける。
「黙り響っ!
誰もうちが決めた事に逆らうんは許さへんで!」
「智裕様、それでは何の解決にもなりませんし言い訳にもなりません
どうかとにかくお屋敷にお戻りになって今後の事をお考え下さい
一応、竜王院家としても婚約破棄以外なら智裕様のご意向は汲むと仰っておりますのでそこからお話を進めて行かれた方が良いと思いますよ」
東條は痛む頭を押さえながら説得するように言って無理やり微笑んで見せた。
「何言うてんのん!
盟約はともかく今、婚約破棄しとかへんかったら結納始まってまうやんか!
何が悲しゅうてまだ3歳の子と夫婦にならんとあかんのよ!
うち保母さんちゃうで!」
智裕は悲壮な顔で訴える。しかし東條は駄々っ子を見るような目でしか智裕を見ない。
「3歳の子供と結婚ってどういうこっちゃねんちぃ?」
ずっと寝ていてほったらかしになっていた迦狩は目が覚めたのか欠伸交じりでヘリから降りてきて会話に割って入る。また無礼な奴が現れたというような顔で響は迦狩を見た。
「お前等は知らないだろうが姫様はこんな所にいて良い方じゃないんだ
日本屈指の陰陽一族の当主でありこの日本における術者の最高位‥本来なら軽々しく口を利ける相手じゃないんだぞ!」
迦狩と明希を交互に見て響は怒りを抑えながら言い付ける。
「黙り響!
うちが勝手に仲ようしてるだけやねんからそないな事言いなや!」
「今までそういう勝手が出来たのは皆の理解があったからでしょう?
貴方はもう当主です‥どうかお立場を弁えて下さい」
怒りを露わにして智裕が言うと静かに東條は窘める。流石の智裕も東條にそう言われるとグッと黙り込み、縋るように明希の腕を強く抱きしめた。
「帰らへん‥うちは帰らへんで!
他の事は何でも我慢したるけどこればっかりは絶対譲られへん‥婚約破棄出来るまで帰らへんからそのつもりでおりっ!」
東條を射殺すような目で見ると智裕は言い放ってフッと姿を消す。それを見て驚いたのは迦狩、智裕が飛ぶ所を始めて見たせいだ。
「あいつ‥テレポート出来たんか‥」
呆気に取られたように迦狩が言う。
「呪術だけで無くサイキックも僅かばかりですが持ち合わせておいでです
ですからその力で飛ばれると私では追い切れません
やれやれ、これではもう一度お屋敷の方へ戻らなくてはいけませんね‥」
東條は説明すると大きく溜息を吐いた。何時の間にか辺りにいた者達は作業を再開していて辺りはざわついている。今は東條の内輪揉めをのんびり聞いている暇は無いのだ。
「ったく、あんたより巻き込まれた俺の方が災難だぜ‥」
明希は疲れ切ったように溜息を吐きながら言うと東條は苦笑した。
「とにかくもう一度あちらに掛け合って参りますので今、少し時間を下さい
恐らく急場凌ぎに適当に言っただけの事と思いますので軽く流しておいて下さいね」
「元より本気にしちゃいねぇよ‥」
慰めるように言うと明希は引きずる身体を重そうに前に傾けて返し、冷ややかな響の視線を余所にその場を後にする。そして何とか部屋まで辿り着くと軽くシャワーを浴びてからベッドに入った。目を閉じて眠りに落ちそうになったがもう一度、身体を起こすと出口に向かい普段はかけない鍵をかける。溜息を吐いてもう一度ベッドに戻り、目を閉じるとすとんと落ちるように眠りについた。
どれだけ眠っていたのかふと隣に気配を感じて明希が目を覚まし、視線だけ気配のする方へ向けてみるとそこには柔らかな黒髪が見える。一瞬、目を見開いて固まったが次にガバッと起き上がってその黒髪の主を見た。
「何や‥もう起きはったん?
うちまだ眠たいわ‥」
智裕はもぞっと布団に潜り込むように明希に擦り寄る。
「‥おい!」
明希が少し怒りを含んだ声で呼びかけると智裕は片目だけうっすら開けて明希を見たが我関せずと言う顔でまた目を閉じた。
「一体どういうつもりだ?
良家のお嬢さんがちっとはしたねぇんじゃねぇのか?」
「うちちゃんとプロポーズしましたやんか‥こういうもんは既成事実作った方が勝ちでっしゃろ?」
呆れ顔で言う明希に対して智裕は明希の気持ちなど別にどうでも良いと言わんばかりに返す。明希はそれを聞くと盛大な溜息を吐いてからずいっと智裕の身体を押してベットから落とした。
「いったっ!何しますのんっ!
女の子に対してちょっと酷いんちゃいます?」
ベッドから落とされて智裕はようやくはっきり目が覚めたのか声を荒げて言う。
「普通の女の子ってのは野郎の布団に無暗に潜り込まねぇもんだ
ガキの対応ならそれで充分だろ?
ったく、さっさと家に帰ってクソして寝ろ!」
明希は返すと横になり布団を深く掛け直して智裕に背を向けた。智裕はその態度にカチンと来て布団を捲ると明希に背を向けるようにまた布団に入って目を閉じる。しかし明希はまた智裕をベッドから落とし、暫くそれの繰り返しになった。
「いい加減にしろ!」
明希は堪り兼ねて智裕の両手を抑えるように馬乗りになる。
「やっと女として見てくらはる気になりました?」
別に焦るでも無く返す。
「だからガキに興味はねぇっつってんだろ‥あんまり調子に乗ってると痛い目見るぞ?」
静かに言い、睨み付けながら手に少し力を込める。
「それでも構へん
結婚してくれはるんやったらどう扱われてもええわ‥伴侶くらい自分で決めたい思うんは素直な欲求やと思いまへんか?
無論、好きなお人がおるんやったら諦めます‥でもあんたさん、もう死にはったフェリシア言う人の事しか愛してませんやろ?
せやったらうちと結婚くらいしてくれはっても良いですやんか‥」
ずけずけと言うと最後に明希の心を抉る。
「記憶を‥読んだのか?」
明希は更に手に力を込め怒りを含んだ顔で問う。
「好きな人の事知りたいんは心理ですやん
別に嫌いや言うんやったらそれで構へんねん‥どうせ怖がられるばっかりで愛してくれる人なんかおらへんよって‥
せやからせめて形だけの結婚でも自分が惚れた人としたいんや!」
目を逸らす事無く真っ直ぐにそう言った智裕の言葉は間違い無く本心だろう。明希は漠然とだがその瞳の向こうに深い闇を見た気がした。掴んでいた手を放すと明希は無言でまた横になり智裕に背を向け、智裕はそんな明希を見るとゆっくり身体を起こして少し痕が残った手首を擦る。
「同情でも何でも構しません‥うちと結婚してくらはらへん?」
智裕は手首を擦りながら小さく言う。
「あんたは良い女になると思うぜ‥だから愛され無いなんて諦めんなよ」
背を向けたまま明希がぽつりと返す。
「あんたさんだけや‥そう言うてくらはるの‥」
智裕は明希に視線を向けると寂しそうに微笑んでそっと部屋を出て行く。ようやく静かになった部屋は明希には少し広く感じた。
暫く目を閉じてジッとしていたが眠れる筈も無く身体を起こすと煙草に手をかける。時計は帰ってきてから9時間を過ぎた朝の6時を指していた。
〈あいつ‥何時から居たんだ?〉
明希は考えると少し複雑そうな顔をする。今まで誰かが隣に来ればすぐに目が覚めたり寝てはいても半覚醒状態になった。それは誰に対してもそうで大怪我を負っていようと熟睡していようと気配がすればすぐにそれに反応して目が覚める。でも智裕が何時、布団に入ってきたのか全く気付かなかったのである。明希は頭を掻くと煙草を咥えたまま部屋を出た。身体はまだあちこち痛むが熟睡したせいで意識はしっかりしている。庵の方まで来ると辺りを見回した。しかし其処には智裕の気配は感じられない。溜息を吐くと明希は我に返ったように自室に戻ろうと歩き出す。ふと中庭の隅に目が行くと明希はそちらに向かって歩を進めた。
「何やってんだ?」
蹲るように膝を抱えている智裕を見つけて声をかける。智裕はその声に驚いたように顔を上げると顔を拭ってから振り返った。
「何?罪悪感でも感じて追いかけて来てくれはったん?」
何時もの図々しさで智裕は返すがその態度に溜息を吐くと頭を掻いて少し後悔の色を見せた。
「別に罪悪感なんかねぇよ
それより早く家に帰ってやれ‥あんたが此処にいると東條の奴が戻って来れねぇからな」
煙草の煙を大きく吐くと明希が答えた。
「あんたさんが結婚してくらはったら帰るやん‥そんな嫌やったら婚約破棄出来るまでの間でええねん」
もう望みは無いと思ったのか冗談っぽく言う智裕に明希は目線を合わせるように屈む。
「お前らの言う結婚ってのは一般的に籍を入れるような形式的なモンじゃねぇんだろ?
記憶を読んだんなら俺が断る理由は分かるな?」
今まで誤魔化すようにしてきた返答とは違って明希は至極、真面目な顔で答えた。話に聞く陰陽師一族の婚姻についてチラッと東條から聞いた事がある。
血筋存続の為に本人の意思は無視され、当主は相手に寄らず複数の子を持つのが道理とされている。普通の神経の持ち主なら耐えられない事だろう。そんな世界に身を置いている智裕に自分では不相応だと明希は理解していた。
「そんなんよう解って言うてますわ‥化け物になってしまうよって子供つくらはらへんねやろ?
せやから子供作らなあかんうちとの結婚は無理や思うてはる‥もっと言うたらあんたさんがどれだけ優しい人でどれだけ大事なモン失くしてきはったかも全部見せて貰いました
うちに冷たくするんは優しさや言うのも分かってます
でもうちはあんたさんが欲しいんです
もし一時でも望み聞いてくれはるんやったらうちは絶対にあんたさんを残して死にまへんと約束しますわ」
それに答えるように真面目な態度で優しく囁くように言う智裕の表情は高校生のそれでは無く一人の女の顔だった。明希はその返事に少し視線を逸らして沈黙する。
「やっぱりもう宜しいわ‥困ってる顔見るんも面白うてなかなかええけど潔う振られんのも悪無いし‥
先生にダダ捏ねるんもええ加減にしとかんと愛想付かされますよってな‥」
立ち上がりながら言うと今までの顔が嘘のようなくらい明るく微笑む。明希はその笑顔を見る事も無く沈黙したまま動かない。
「ほな達者で‥」
智裕は言うと気にせず歩き出した。
「おい‥」
遠ざかる背中に明希が声をかけると智裕は一瞬、立ち止まったがまたすぐに歩き出す。明希はそれを追いかけるように歩き出しその速度を速めて追いつくと智裕の手を取った。
「もうええって言うてますやん!
離したって!」
智裕は足を止めると明希を見ずに言うが明希はグイと腕を引いて智裕をこちらに向かせる。
「お願いや‥もう‥ほっといて‥」
涙に濡れた顔で明希を睨み付けながら言うと言葉を詰まらせた。どれだけ大人ぶっても強がってもただの高校生の女の子なのだとやっと明希は理解する。
「勝手に人の過去見て一人で舞い上がってんじゃねぇよ‥あんたは俺を解ってるのかもしれねぇが俺にゃあんたが全く解らねぇ
一方的に気持ちを押し付ける前にちゃんと俺にもあんたが理解出来るようにしてから出てけよ」
明希はそんな智裕から目を逸らさず真っ直ぐに返すと智裕を優しく抱き寄せた。
「抱いてやる訳にゃいかねぇが少なくとも解ってやる事くらいは出来ると思うぜ」
聞こえるか聞こえないか微妙な声で囁くと智裕は明希をぎゅっと抱きしめてその胸で声を殺して泣く。
〈こいつは‥こんな歳で声を上げて泣く事も出来ないのか‥〉
明希はまた智裕の今まで見せなかった一面を垣間見ると少しだけ抱きしめる腕に力を込めた。
落ち着くと明希は自室に智裕を連れて戻ってきてベッドに腰を下ろし、前に立つ智裕は明希の頭を抱えるように抱きしめた。その手は少し震えていて明希は安心させるようその腕にそっと手を添えると目を閉じる。すると明希の頭の中に智裕の記憶が流れ込んできた。
幼い時から当主争いに巻き込まれ心を殺し生きてきた智裕、物心付いた頃から大切な人に裏切られ、時には兄弟さえも殺さなければならなかった苦悩や始終、命を狙われてきた状況が智裕の心身を凍らせていく。害成す相手は悉く呪殺し、屍の上に立って尚、前を向く事を強いられ続ける。何時しかただの殺人人形のようになっていた智裕に心を与えたのが東條の存在だった。
一人の人間として生きていく事の大切さを知ると普通の女の子として生きてみたいという夢を持ち始めた。東條に勧められ一般の学校に入り素性を隠して友人を作った。その内にようやくこの国の民や自分を取り巻く者達を守りたいという自覚が芽生え、智裕は愛するというのがどういう事かを理解した。
そして寄り添う相手が欲しいと強く思うようになった矢先に現れたのが明希だった。始め、軽い気持ちで近付いたのは事実だが記憶を読み己と同じ失う痛みや望めない苦しみを知っている明希に智裕は深く心を奪われた。傷つき傷付ける事を承知で本気でぶつかっては見たがやはり手は届かない。無様に己を晒してようやく自分の気持ちに折り合いを付けまた諦めるように心を殺す。それでも智裕は初めて持った感情を大事に心の奥に留めていた。
そっと智裕は明希の頭を開放すると泣き腫らした目で微笑む。
「何や自分の事を見せるんは恥ずかしいなぁ‥」
少し照れたように言うが内心は明希の反応を恐れているのか少し俯いたまま顔を見ようとはしない。己が無残に殺してきた人々の屍を見られたのだからきっと恐怖を湛えた視線でこちらを見ているに違いないと思った。それを考えるとまともに視線を合わせられないでいる。
「俺を優しいと言ってくれたがあんたにゃ負けるよ‥」
その言葉に智裕は驚いて明希を見ると今まで見た事が無いほど優しい微笑だった。僅かな表情の一片にも智裕に対する恐怖は見受けられず、智裕はその笑顔を見て安心したようにまた表情を歪めると涙を零す。
はらはらと落ちる涙を拭ってやり明希は智裕をまた抱き寄せて頭を撫でてやる。
「あんたはまだガキで声を殺して泣くなんざ10年早ぇよ‥もっと自分の感情ちゃんと表に出せよな」
内容とは裏腹にその声は優しい。智裕は初めて甘えるように声を出して泣いた。明希はただ何も言わずにそんな智裕を抱きしめたまま頭を撫でてやる。心の底から湧き上がる気持ちが恋愛感情なのか肉親のような愛情なのか分からないがそれでも明希は自分以上に苦しみを抱えたこの少女に同情以外のモノを感じていた。一頻り泣いて満足したのか智裕は顔を上げると少し照れくさそうにはにかんで立ち上がる。
「何か飲み物でも貰ってきてやるからそこ座ってろ」
明希は立ち上がってドアの方に歩き出すとノブに手をかけた。すると同時にか弱いノックの音がしてそのままドアを開けてみるとそこには驚いたような三七三の姿がある。
「あ‥あの‥」
ノックと同時にドアが開いてかなり戸惑っている様子だ。
「ちゃんと寝たか?」
明希は別に表情を変えるでも無く気遣う言葉をかけた。
「はい、帰ってきて兄様に智裕様がこちらにいらしてると聞きました
私、休んでいて皆さんが帰ってきてからの事知ったの今さっきなんですけどその‥智裕様は本当はお優しくて繊細な方なんです‥ですから‥」
明希から視線を逸らし数歩下がりながら三七三は恥ずかしそうに何とか智裕の事を説明しようとするが上手く言葉にならない。三七三は明希の前に立つといつもこんな具合で端から見ていてもすぐに明希に惚れていると分かるくらいだ。
「分かってる‥それよりミシェルの具合はどうだ?」
言葉を遮るように明希が同じように数歩前に出ながら聞くと三七三は一瞬だけ明希に視線を合わせまた頬を赤くして顔を逸らす。
「だ‥大丈夫です!
傷は塞いで貰ってますし三日もあれば問題無く動けるようになると‥」
慌てて返すが至近距離で明希の顔を見たせいで顔が茹蛸のようになっていた。明希の顔がオープンになった分、余計に三七三の気持ちは舞い上がる。
「そうか、なら暫くは待機してるしかなさそうだな‥お前もしっかり身体休めとけよ‥」
明希は答えると後ろ手にドアを閉めて三七三に背を向け歩き出す。その気持ちを知りつつも皆と同じようにしか三七三を扱わないのは気持ちに応える事が出来ない明希なりの優しさだった。三七三はホッと溜息を吐くとその背中を見送り自分も部屋に戻る。
その一部始終を陰で見ていた智裕は三七三の気持ちを悟ると気不味そうな顔で視線を落とす。暫くして明希がコーヒーを持って帰ってくると智裕は複雑な表情で明希を見た。
「あの対応はちょっと三七三がかわいそうちゃうん?
あの子‥あんたさんの事好きなんやろ?」
余りの素気無い態度に少し智裕は憤っているようだ。
「その気も無いのに気を持たせる方が残酷だろ?
あんたみたいにはっきり言ってくれりゃ断りようもあるがあんな風に咋に態度に出す癖に何も言ってこねぇ奴は苦手なんだよ」
少し鬱陶しそうに答えながらコーヒーを手渡す。
「三七三はちょっと内気なだけやんか‥そういう言い方はかわいそうやわ!」
いつものように強気な口調で言って頬を膨らませる。さっきまで泣いていた弱々しい智裕が嘘のようだ。
「言わねぇで伝わる気持ちってのがあるんなら俺もあんたもこんな辛い想いはしなかったろ?
本当にそう願うならちゃんと言わねぇとダメなんだよ」
明希はコーヒーをすすりながら答えると目を閉じる。そう、望むならまず口に出さなければ相手に伝わらない。明希も智裕もそれは身に沁みて解っている。そして大切に想うからこそ言えない辛さも知っているのだ。
「でも‥ホンマにあの子かわいそうやわ‥
ただでさえ甘やかされて育ってきたのに自分の気持ち押し殺して当主としてやっていけるんやろか‥」
ポツリと呟くと智裕は深い溜息を吐いた。
「だから東條はその甘やかしてる響を引き離してるんだろ‥こればっかりはあんたが心配してもしょうがねぇよ」
コーヒーを飲み干すと明希がそれに返し、智裕はまた盛大な溜息を吐いてから同じくコーヒーを飲み干した。
「とにかくうちは一旦戻るわ‥響も三七三も心配してるやろうし何時迄も此処におったって解決せぇへんもんな
せやけど来て良かったわ
こんな私でもちゃんと誰か好きになれるん解ったし‥振られたけど‥」
少し強がったように微笑みながら智裕は言うと立ち上がり明希を見る。
「ま、愚痴くらいなら何時でも聞いてやるからまた来いよ」
明希もそれに微笑み返すと智裕はそれを見届けてから足早に部屋を出て行く。その後姿を見送ると明希はベッドに寝転んで一つ溜息を吐いた。
その頃の海は皆が戻ってきて安心したのも束の間、あんな事が有ったせいで身の置き場に困っていた。響と迦狩は口も聞かずお互いそっぽを向いたままだし陸は早々に自宅に戻ってしまうし唯一相談出来そうな明希は寝込んでいるしで適当に手の足りなさそうな所に顔を出しては作業を手伝っていた。しかしそれも終わると何となくラウンジに足を運んで一人ぼんやりと食事にありつく。気が立っていたせいでずっと眠気が飛んでいたが食事を終えるとようやく睡魔がやってきて部屋に戻ろうと重たそうに立ち上がる。
「こっちなの!」
すると樹莉がラウンジ入り口に姿を現し誰かにそう言っていて海は声をかけようとして固まった。樹莉サイズの何かがわらわらやってきたからだ。
「あ!海なの!」
樹莉は海に気付くと海を指差して小さい仲間に紹介した。よく見ればどれも見覚えのあるような顔ばかりだ。樹莉以外は皆仲良くスタッフが樹莉用にと作った水色の袷を着ていてまるで幼稚園の制服のようにも見える。
「何だそいつらは?」
驚いて海が樹莉に聞く。
「何だとは失礼な奴だ」
金髪の目付きの悪い奴がそう返す。
「樹莉くんの仲間なの‥今は小さくなっちゃってるけど本当は皆おっきいの」
樹莉に言われて海はようやくそれがエレメンツロイドだと分かった。
「え?何で?
どうして小さくなっちゃった訳?」
理解出来ないという感じで海は樹莉達の傍に屈んで不思議そうにそれぞれを眺める。
「生命維持の為とコントロール下から解放する為に一時的にこうなったらしい
詳しい事は私にも分からんが暫くこのままだそうだ」
小さくなったロックが海に説明すると樹莉は難しい話に?マークを出していた。どうやら樹莉と違って他のエレメンツロイドは姿が変わっただけで中身はそのままらしい。
「そうなんだ‥」
とりあえずそう返してはみたものの余りに可愛らしくなってしまった姿に海の顔は自然に綻ぶ。あの恐ろしいエレメンツロイドがただの小動物にしか見えない。
「あのね、これから樹莉くんと皆でご飯食べるの
それからいっぱいお話しするの」
樹莉は初めて出来た自分と同サイズの仲間にかなり興奮しているようでとても楽しそうだった。
「良かったな、せっかくだからいろいろ案内してやれな‥」
「うんなの!皆で一緒に遊ぶの!」
樹莉の頭を撫でてやると海は微笑ながら立ち上がりラウンジを出て行く。そんな海に手を振り見送ると樹莉はまた皆を連れて元気良くラウンジの奥の注文カウンターへ嬉しそうに駆けた。海が自分の部屋に向かっていると目の前を智裕と響が通りかかる。
「あ‥」
思わず海が声を上げると二人は海を見た。
「あ、さっきはどうもお騒がせしました
うち、もう帰りますよって‥」
足を止めると智裕は海に言いながら微笑んだ。
「え?もう帰っちゃうの?
じゃぁ結界はどうなるの?」
海も足を止めると不思議そうに聞いた。あれだけ帰るのを嫌がっていたとは思えないほどあっさりした態度に疑問が湧く。
「明希さんにも振られてしもうたしおってもしゃぁないんで帰りますわ
結界はうちがおらんでも大丈夫なんで心配ありませんよって‥」
苦笑交じりに返す智裕に海は愕然となった。今にも明希の所に跳んで行って真相を確かめたい気分だ。
「あ‥そうなの?」
「ほな‥」
返すと相変わらず響は面白くなさそうに海を睨み付けて、微笑み会釈する智裕を伴って歩き出す。それを見送ると海は早足で明希の部屋へと向かった。部屋の前まで来るとノックをしようか迷ったがそのまま入るかと思い直してノブに手をかける。
「何や‥あんたもそいつに用事か?」
後ろから声をかけられ海は驚いて振り返ると声の主を見た。
「俺もそいつに話しあってんけどまぁええわ
先ちょっとあんたと話したいから顔貸してくれるか?」
迦狩は海の顔を見てそう言うとクイと顔で合図して付いて来るように促す。海は後ろ髪引かれる思いでドアの方を見てから迦狩の後に続いた。庵の前の中庭まで来ると迦狩は立ち止まって海の方を振り返る。
「あの明希っていったい何モンなんや?
あんたら以上に気色悪い気配してるし何考えてるかわからへん
何や得体が知れんわ‥ホンマに人間か?」
「あいつは正真正銘人間だ‥って言うかそれが人にモノを聞く態度かよ?」
開口一番、迦狩が聞くと海は少しムッとして不機嫌そうに言い返す。
「口が悪いんは生まれ付きやけどちゃんと認めてる相手にはもう少しましや‥あんたの兄貴はしっかりしとるけどあんたは俺等とそう変わらんやろ?
別に気に入らんねんやったら俺の事、無視してもうて構へんけどそれやったらもっとましな態度とってみぃや」
歯に衣着せぬ物言いに海はグッと言葉を飲み込む。確かに迦狩の意見は正しくて海には反論の余地は無い。実質いきなり来た迦狩にさえ順応性と行動力では負けていると感じた。
「まぁええわ、あんたかて苦労してるんはそれなりに知ってるし俺の方が異質なんも熟知してる
ホンマやったらこんな過酷な状況に置かれて正気でおる方が可笑しいわな‥
ちょっと苛ついててあんたに当たってもうた‥悪かったな‥」
海の気持ちを悟ったのか迦狩の方から先に謝る姿勢を見せてきたせいで海はより不甲斐無いと更に落ち込む。
「お前の言う通りだ‥俺は人に説教出来るほど大層な人生歩いてきた訳じゃねぇ
陸みたいに頭も良くなけりゃ明希みたいに強い訳じゃ無い
けど、それでも今の自分の精一杯で力になりたいってのは皆と同じだと思ってる」
恥ずかしさで逃げ出したい気持ちを抑えながら真っ直ぐに答えると迦狩は少し視線を逸らせて小さく溜息を吐く。
「何や聞いてて恥ずかしい台詞やけどその気持ちは分かるわ‥見てくれだけで決めつけてた俺もまだまだみたいや‥堪忍
俺かてまぁ、こないな大層な力持っとるけどまだ人間が出来てへんからな
今みたいに気悪い事、また言うかもしれんけど許したってや‥」
ちょっと照れくさそうに薄く笑顔を作って言うと海の表情も緩んだ。此処まで来てようやく話せた事でお互いの誤解も解けると二人の心の中は幾分か軽くなる。気が抜けたのか迦狩がその場に腰を下ろすと海も続いて腰を下ろし、そして話は本題の明希の事になった。
「俺も付き合いが長い訳じゃ無いし詳しい事は分かんねぇけどいい加減な奴じゃ無いし冷たい訳でも無いぜ
ただ不器用って言うか‥対人関係がさ‥
小器用に付き合ってんのかと思ったら突き放したりして‥好きだとか心配だとか言ってやれば良いのにそういう肝心な事を言わずに突っ走ってくタイプなんだよなぁ‥」
腕を組みながら海が困ったように明希の事を話す。
「あー‥おるおる、そう言うちょっと気取ったような態度取る奴おるな!」
「だろ?あいつそう言う奴なんだよ
だから傍目に見てて痛々しいっつうか‥その癖、キツイ事はズバズバ言うもんだから一見すると冷たく見えたり何考えてるか分かんない奴に見られてさぁ‥
俺としては何だかほっとけなくなるっていうか‥多分、皆そういうとこ分かってるから心配したり信頼してるんだと思う」
共感したように迦狩が言うと海は更に続ける。それから困った顔で大きく溜息を吐くと海は少し宙を見上げた。
「まぁ、でも基本ええ奴やねんやったら問題無いわ
性格なんかすぐに治るもんや無いし人それぞれあった方がおもろいしな」
高校生らしからぬ発言に海は思わず無言で迦狩を眺める。
「何かお前、高校生の癖に考え方しっかりしてるよな‥俺、高校の頃なんかバカしかやってこなかったぜ‥」
ちょっと落ち込んだように海が表情を曇らせると迦狩は少し笑う。
「そんなん普通やろ?
寧ろそう生きて行けるんは幸せな証拠や‥
逆に俺はそういう奴が羨ましゅうてよう妬んだりバカにしてたわ
今から考えたらそんな俺のがガキやった思うもん
多分、ちぃもそう思うてるからあんなふうに振る舞うんや
子供らしい阿保さ加減って言うのを今更、取り戻したいんやと思う
普通に生きるっていうんが実はホンマは一番難しいっちゅう事がこんな境遇におるからよう分かるんや」
少し遠くを見ながら迦狩は返した。
「そう言えばちぃちゃんってそんな凄いの?」
思い出したように海が聞くと迦狩は少し驚いたような顔をしてから難しい表情を創る。
「凄いっちゅうか‥此処にちぃが来るまで正直、俺もあんな凄い奴やとは思わへんかったわ
中学で一緒やった頃は普通の女の子やったって言うか‥いや、ちょう変わってるんは変わってたけどちょっと霊感強いんやろうなって言う程度でな
でもそれってぶっちゃけ言うたら自分の力をそんだけ隠せるくらいの力持っとったって言う事やねん
俺、目の前の奴がどれくらいの力持ってるかっていうんは粗方分かるんやけどちぃに関しては全く分からんかった
あいつの力に初めて触れて凄い奴やって分かったって言うか‥せやから俺なんかよりもっとキツイ想いしてきた思う
元々あいつはしっかりしてたけど歳相応に同年代に見せるんはかなり骨折れる筈や
知ってる事とか辛い事を隠し通すんは自分に嘘ついてるんと同じやさかいな」
迦狩は言い終えると溜息を吐き頭を掻く。海はそれを聞いて迦狩も智裕も自分と違う世界で生きてきたのだと思い知った。
「何だかお前らの話聞いてると俺ってかなり恵まれてるんだなって思うよ
早くに両親亡くして陸と二人きりだったけど本当の肉親みたいに可愛がってくれる婆ちゃんがいて一緒にバカやってくれる友達がいて解ってくれる上司がいて‥ずっと両親がいる奴が羨ましくて妬ましかったけど本当にそんくらいの事は小さい事だよな」
少し自虐的な笑みを浮かべて海が言うと迦狩は立ち上がり空を見上げる。
「他人から見てどんな小さい事でも本人に取ったら一大事や‥今までもこれからもそれだけは変わらへん
要は自分がどう在れるかや、いじけて俯く暇あったら出来る事したらええねん
あんたはあんたが出来る事、俺は俺が出来る事‥せやろ?」
海を見下ろし迦狩がニッと笑ってみせると海も遠慮がちに笑顔を作った。
「そうだよな‥焦ったって始まらねぇや‥」
同じく立ち上がると汚れを払う。
「ほな俺ちょっとあいつに話しあるから‥」
迦狩は言うと手を振って海の横を通り過ぎ明希の部屋の方へ戻る。
「なぁ、お前もしかしてちぃちゃんの事好きなのか?」
「何でそうなんねん‥あいつは親友やけどそういう対象や無いわ
俺、これでも彼女おんねんからそういう迂闊な事は人前で言うなや
そんなん聞こえたら化け物の前に俺、彼女に殺されるやんけ!」
その背中に海が問いかけると迦狩はバッと振り返って反論し海は驚いたような顔をする。慌てふためいて歳相応らしく少し頬を赤くしている迦狩が可愛く見えた。どうやら彼女の尻に敷かれているらしい。
「あ‥そうなんだ‥」
思わず笑みがこぼれる海を少し睨んでまた振り返ると足早に去って行く迦狩、海は少し思い出し笑いのように含み笑いをすると少し間を置いてから自室へと戻って行った。
彼女の事に触れられたせいで少し気持ちが動揺した迦狩は気を落ち着けると明希の部屋のドアをノックする。程無く中から気怠そうな明希がドアを開けた。
「ちょう話ししたいんやけど‥ええか?」
迦狩が言うと明希は無言で部屋へ入るように促す。
「手短にしてくれ‥もう少し寝たいんだ」
ベッドに腰を下ろすと不機嫌そうに明希が言う。迦狩は傍に有る椅子をベッドサイドに持ってきてどっかり腰を下ろすと明希に向き合った。
「ちぃの事なんやけどな‥あいつは軽はずみにああいう事言う奴や無いねん
せやからはぐらかさんとちゃんと答え出したってくれるか?」
迦狩が開口一番、言うと明希は煙草を手に取りそれを咥える。
「そりゃお前が言う事じゃねぇだろ?
それにちゃんとあいつと話はした‥俺が出来る事ぁもうねぇよ‥」
煙草に火を点けるとぼんやりした顔で答えた。
「大きな世話なんはこっちかて分かっとる‥せやけどあいつは人の気持ち優先しすぎて自分が傷つくタイプなんや‥それに傷ついてるなんて絶対見せへん
あの時かて連れの俺に気ぃ使うて内緒で立ち回りよった
あいつの気持ち汲んで知らん振りしてるけどあいつかなりエグイ事やったやろ?
せやけど何でも平気でやってる訳や無いんや‥冗談みたいに言うたんは振られても自分を納得させる為とあんたが断り易くする為や‥
多分あいつがあんたの事を認めた上で精一杯の告白やったんや思う
あんたにも事情はあるやろうけどちゃんと一人の人間としてあいつの事考えてみたって欲しいんや」
あの時、迦狩が眠ってる間に智裕は最下層にいた研究者や術者を含めた全員、呪を唱えた一瞬で血の海に沈め、茫然とする陸に微笑みながら作業を促した事を明希はこっそり陸から聞いている。それ以前に智裕の記憶の中に在る悍ましい記憶の数々を見てきていたので今更そう言われても驚かなかった。それよりその事実を迦狩が知っていた事の方が明希には驚きだ。
「お前はあいつが怖くないのか?」
ぼんやり煙草を蒸かしながら明希が問う。
「怖無い言うたら嘘になるかもしれんけどホンマのあいつは優しいええ奴や‥意味も無く人を殺したりする奴や無い事くらい俺でも分かっとる」
迦狩は明希を真っ直ぐ見たまま正直に答える。
「だったらもっと傍にいてやれ‥あいつに必要なのはあいつを理解して寄り添ってやれる奴だ
俺にゃあいつは眩し過ぎるよ」
煙を吐きながら答えると目を伏せた。その態度に少し苛っと来た迦狩は気持ちを落ち着けるために一呼吸おいてからもう一度、明希を真っ直ぐ見る。
「あんたなぁ‥ちぃがどれだけ勇気振り絞ったかもうちょう考えたってくれ
代わりなんかおれへんねん
あんたが必要やからあんたに告ったんや
子供やとか無理やとか言う前にもっとちゃんと向き合ったってくれへんか?」
切実な表情で訴えかけると明希は頭を掻いて視線を逸らせた。そして少しの沈黙のあと煙草を揉み消すと面倒臭そうに溜息を吐いてから迦狩を見る。
「だからちゃんと話はしたと言ってるだろ?
俺ははぐらかしても無いし今の自分の気持ちは正直に伝えた
あいつの抱えてきた想いも過去も全て知った上でだ
俺にもまだ整理出来ない気持ちもある‥お前があいつを大事に想うなら後は黙って見てろ
これから先の事は俺とあいつの問題だ」
智裕に話した時と同じように正直な気持ちを伝えると迦狩は押し黙って少し視線を逸らせた。
「分かった、そう言う事やったらもう何も言わへん‥邪魔して悪かったな‥」
まだ納得いかないという顔で小さく呟きその場を去ろうとした。
「あいつの事が好きならお前が付き合ってやれよ‥」
迦狩の背中に聞いたようなセリフが掛けられると迦狩はまたバッと振り返って何か言いかけると一つ咳払いをする。
「ちぃには友達以上の感情なんか無い
俺はちゃんと彼女おるしちぃもちゃんと知っとる!」
少し顔を赤くして答えると明希はほぉっというような表情をする。
「とにかく俺の事はええからちぃの事よう考えたってくれ!」
吐き捨てるように言うとまた足早に明希の部屋を出て行った。明希はドアが閉まるのを見届け溜息を吐く。
〈あんな風に素直になるにゃ少し歳を食い過ぎたのかもな‥〉
ぼんやり思うとベッドに横になり目を閉じる。脳裏にフェリシアの笑顔が浮かぶとフッと目を開けた。生々しい感触が甦ると顔を手で覆い強く目を閉じて刻み込まれた失う恐怖を振り払う。忘れていた訳じゃ無い、けれど思い出さないように深く閉じ込めていた感情が今更溢れ出す。明希の目から溢れるように涙が零れ何かが胸を締め付けた。
フェリシアを失くしてから初めて明希は自分の感情に向き合い、辛かった思い出が走馬灯のように過っては消えていく。今まで堪えてきた全ての想いが噴き出してようやく明希は智裕の記憶が己を癒している事に気付いた。
感情を殺し全てを諦めて生きてきた記憶は明希の傷と重なり客観的に見る事で己と向き合う事が出来たのだ。それと同時に智裕が未だ闇の中から抜け出せず光を求めて彷徨っているのだと気付くと智裕の痛みを想う。あの小さな身体にどれほどの苦悩を背負ってきたのか理解したつもりだったが全く解っていなかったのだと実感した。
明希は身を起こすと時計を見る。何時の間にか時計は智裕を見送ってから9時間以上、経過していた。明希は洗面所へ向かって泣き腫らした顔を見ると冷水で顔を洗いパンと頬を叩く。鏡に映る己を睨み付けると明希は何かを決したようにフッと息を吐いて顔を拭いた。引き出しからスマホを取り出しポケットに捩じ込んでそのまま部屋を出ると海の部屋の方をチラリと見てからまた足早に歩き出す。明希はまだ整理しきれない感情を抱いたまま東條が戻っているであろう庵へ向かった。