はじまりのうた~旅立ちと出会い
此処から樹莉君の物語が始まります。
旅立ちと出会い
「お母さん!お母さん!樹莉くんどんぐり見つけたの!!」
手にしたどんぐりを自分の数倍も有る大きな狐に見せながら樹莉は嬉しそうに言う。
「よく見つけてきたね
それより泥だらけじゃないか‥ネズミにでも追いかけられたのかい?」
優しい眼差しで樹莉を見ると狐はぺろりと泥だらけになった顔を舐めて綺麗にした。あの後あまりにも樹莉を哀れに思った狐は自分の子供達と同じように育てる事にしたのだ。
「違うの‥葉っぱで遊んでたらこんな風になっちゃったの」
眉をハの字にしながら心配をかけたと樹莉が少し申し訳無さそうにしていると狐は横たえた身体を持ち上げる。
「なら良いよ‥ほら、此処へ座ってお食べ」
少し身を寄せ樹莉の為に自分の体温で温もった場所を開けた。
自分達と違い体毛を持たない樹莉には少しでも暖かい場所をいつも空けてやる。種は違えども立派な親子であった。
「あのね!あのね!今日ね!」
空けられた場所に腰を下ろすと樹莉は今日あった出来事や出会ったモノの事を勢いよく話し始め、狐は相槌を打ちながら優しい表情で聞いていた。その内に他の子狐達が帰ってくる。樹莉がここへ来た頃は五匹の子狐が居たが今は二匹だけだ。そう、今は巣立ちの季節、子狐達はほとんど巣立ってしまったのだった。
「母さん‥俺、明日出てくよ」
一番、樹莉の面倒を見てくれていた子狐が少し気怠そうに伸びをしながらそう言う。
「じゃぁ樹莉くんも一緒に行くの!」
「あなたは無理、次の秋が来るまでお待ちなさい」
樹莉が続けると母狐は空かさず返した。そう言われてシュンと肩を落として俯く樹莉は絞り出すような声で呟く。
「樹莉くんもう大人なの‥一緒に行けるの‥」
ようやく自分で食糧を確保出来るようになった樹莉は巣立つ気満々だったがいつも兄弟の内の誰かに面倒を看て貰わなければイタチや肉食系の鳥からも身を守れない、そんな樹莉を心配して狐はもう暫く見守る決心をしていた。しかしそれが逆に樹莉の心を傷つける。
「母さん‥俺、樹莉と一緒に行くよ」
巣立つと言った兄貴分の子狐がそう言う。
「私、お母さんの所に残るし一緒にいようよ‥ね、樹莉‥」
一拍置いて今まで黙っていた姉代わりの子狐が宥めると違う意見に少し戸惑いながら樹莉は二匹の顔を交互に見つめ、狐は樹莉の意見を待つ。本当はもう少し自分の傍に留めておきたいがそれが巣立つタイミングを逃してしまうかもしれないのだ。だから樹莉自身の意思に任せる事にした。
「樹莉くん兄ちゃと行きたいの‥もう大人なの‥」
俯きながらか細い声で言う。樹莉自身、巣立つのは不安で一杯だが他の兄弟が意気揚々と巣立つのを見ていつか自分もと思ってきたし何より皆に一人前として見て欲しいという想いが強かった。
「仕方ないね、じゃぁ一緒にお行き‥でもけして無理はしないでおくれ」
「大丈夫なの、樹莉くんもう大人なの!」
狐は言いながら頬を舐め樹莉の痩せ我慢見え見えな強気な発言に少し不安を感じながら続ける。
「良いかい、くれぐれも人間に近寄っちゃいけないよ
人間はイタチよりも鷲よりも怖い生き物だからね‥」
母狐は鼻で頭を撫でながら樹莉が無事に巣立てるよう祈った。
翌朝、意気揚々と樹莉と兄狐は旅立っていく。幾つかの山を越えた所で兄狐が恋の相手と出会うと樹莉は気を利かせて一人で旅を続ける事を決意した。兄狐は反対したが樹莉は大丈夫だと言って聞かず兄狐は仕方なく樹莉を見送る。樹莉に本当の巣立ちの時が来たのだった。
実りの季節が終わりを告げ山に食料が尽き始めた頃、樹莉は人里近くの山にいた。草木に遮られた視界の中を進んでいると人家に近付いている事に気付かなかったのだ。樹莉は狐の言いつけ通り人間に近付く事は無かったがその人間達の世界が見渡せる所に居を構える。育った山以外何も知らない樹莉にはとても興味深く魅力的な世界に映った。
早速、冬眠に備えようとしたが肝心の蓄える為の食糧はもうあまり集まらない。一番良い時期に家探しをしていたせいもあるがよく人間達を眺めていて時間が過ぎてしまったからだ。それでも出来る限り食料を掻き集め寒さに備える為に藁木を拾い、冬眠準備が整い始めた頃、雪がちらつき始めた。
初めて迎える冬
一人ぼっちの冬
初めて迎える冬は寒くて寂しくて樹莉は身を竦めながら藁木にくるまり暖かな家族を想い眠りに就いた。
雪も深くなり辺りが一面の銀世界になった頃、僅かだった蓄えが無くなり巣穴を出る事を余儀なくされる。冬眠とはどういうものかは狐から聞いていたが、初めて見る雪に驚いたりはしゃいだり興奮したせいか上手く冬眠に入る事が出来ずに無駄に食料を食い尽してしまったのだ。雪の中を凍えそうになりながら木の皮や草の根などを掘り起こして食べていたがそれも近場はすぐに食い尽してしまい、もう巣穴の傍に食べる物は無かった。仕方なく出来るだけ暖かい日を選んで別の場所に移動する事に決める。
藁着を身に纏いふらふらと雪深い森の中、食料を求め彷徨う内に樹莉は人間のいる所まで下りてきてしまう。もう辺りは暗く人間の巣であろう大きな塊からは明かりが漏れ、それはそれは暖かそうに見えた。樹莉は意を決して近寄ってみようと四苦八苦しながら雪の中を進み、ようやく一つの塊の傍に出るがとても大きくて寒さも忘れてそれを見上げる。少し辺りを警戒しながらウロウロと見て回るが周りに人間がいる気配は無く、樹莉はそれを確認するともっと近寄ってそれを見た。傍まで行くと更に大きい上に下部は大きな空洞になっている。ともかく寒さと空腹と疲れでヘトヘトだった樹莉は見つからないようにその空洞の隅に腰を下ろして眠りについた。
翌朝、日が昇りきる前にそこを離れるつもりだったがついうっかり寝過し、気付けば人間が辺りをうろついているようで樹莉は息を殺して身を固くする。そして警戒しながら物陰に隠れつつ人間が見える所までゆっくりと進んだ。その途端に空洞のすぐ脇を大きな足が横切り、樹莉は腰を抜かしそうなほど驚いて悲鳴を上げそうになったが寸での所で堪えその場に屈み、その足が完全に通り過ぎるのを確認してからそっとそちらを見る。人間とは何て大きいのかと興味深くその行動を観察していると、忙しく動く人間は巣の前にある雪を除けて地面から何か掘り出した。
見た事も無い大きな白い根っこ。樹莉が美味しそうだとついついそちらへ身を乗り出した瞬間、人間がこちらを振り返りハッとして素早くまた物陰に身を潜めた。ドキドキしながらこっそり窺うと暫く人間はそのままこちらを見ているようだったがその根っこを持って巣の中へ姿を消す。樹莉はそれを確認すると脱力した。人間が巣にいる内に山に戻ろうかと思ったがあの美味しそうな根っこが欲しくて夜になるのを待つ事にした。
しかし暫くすると巣から今まで嗅いだ事の無いとても良い匂いがし始め樹莉の空腹は頂点となり、どうにかしてあの美味しそうな根っこが欲しくて警戒しながら人間が掘っていた辺りへ向かう。だがそこには虚しく大きな穴があるだけであの根っこは無い。もしかしたら他の場所にあるかもしれないと雪を除け始めたら巣の方から音がして慌ててまた空洞へと掛け込み、息を殺して人間が巣に戻るのを待つが一向に戻らず周りをウロウロしていた。樹莉は見つかるのではないかとドキドキしながら生きた心地がしない。少しの間、近くを徘徊していた人間は諦めたように溜息を吐き、巣の前の平たい石の上に何かを置いて立ち去った。
樹莉は人間が去った後も暫く警戒していたが戻って来ない事を確認し、置いて行った物を見にその傍までそっと近寄る。すると近付く程に巣からしていた同じ良い匂いがし始め、辺りに人間がいないかもう一度よく見渡してから石の上によじ登り、置いて行った物を見ると原因はそこにあった。恐る恐る手を伸ばし触れた瞬間、その暖かさに思わず手を引っ込め暫く訳が分からず固まっていたがもう一度手を伸ばして少し手にとって匂いを嗅ぐ。やはり良い匂いがしてもう涎が止まらず口に運んでみると今まで食べた事が無いくらい美味しくて夢中でそれを頬張り、全て平らげると樹莉はようやく我に返りまた巣の下の空洞に身を隠す。
暫くしてから人間が戻ってきて食べ物を入れていた器を持って行くと樹莉は忘れた物なのかもしれないと少し申し訳無く思い何かお返しを探しに森の方へ向かう。しかしあれこれ探してはみたもののやはり碌な物は無く、少しの木の皮と草の根っこしかない。それを携え戻るとあの石の上にそれらを綺麗に並べて置き人間がちゃんと受け取ってくれるか空洞に隠れその時を待った。
日が暮れ始め、美味しそうな匂いが漂ってくると人間が巣から出てきて石の上の食糧に気付き、暫くジッと眺めてクスクスと笑いながらそれを手に取りまた自分の食べ物を置いて戻って行く。その様子を見て樹莉はきっとあの食べ物と交換してくれたのだと思いそれを全部平らげ、そして空洞に戻ると久しぶりに満足しながら眠りについた。
翌朝、あまりの寒さに目が覚めると外は吹雪だった。人間の巣のお陰で吹雪や強風は凌げるが如何せん広すぎる為か寒さは厳しく樹莉はガタガタと震えながらそれに耐える。その日は一日中、吹雪いて樹莉は朦朧としながら小さな身体をより小さくして耐え続け、夜が来て少し吹雪が収まるとようやく眠りに付く事が出来た。
翌日は吹雪いてはいないが津々と雪が降っていた。樹莉は空腹に耐え兼ね、何か食べ物を探すべく空洞から出るが少し緊張が緩んでいたのか人間に気付かず出た瞬間に鉢合わせる。途端に緊張が戻り慌てて空洞に駆け込むが心臓が止まりそうなほど驚いてもう半泣き状態だ。
「あら、どこにいるのかと思ったらうちの下にいたのね‥」
優しげな声がして近寄ってくる人間の気配に樹莉の緊張は頂点になり、見つからぬよう必死に隠れて身を小さくした。人間は屈み込んでどうやらこちらを窺っているようだがもうそれを確認する勇気は無く、ただ必死に見つからないように小さくなる。
「大丈夫、怖くないから出ておいで‥」
人間はそう声をかけてきたが樹莉は見つかってはいけないと必死に縮こまりその様子に気付いた人間は空洞の入り口付近に何かを置いた。ほんのり良い匂いがしてそれに釣られ樹莉がこっそりそちらを見るとあの美味しい食べ物がそこにある。
「お腹減ってるでしょ?
大丈夫だから食べにおいで‥」
また優しげに言われ樹莉がジワジワと物陰に隠れつつそちらへ寄って行き人間の方を見る。そこには沢山の皴が刻まれている優しげな老女の顔があった。
「あらあら‥まぁ‥」
老女は樹莉を見ると驚いたような顔でそう言い次にニッコリと微笑む。
「なんて可愛らしいのかしら‥
ほら、お食べ‥」
そう言うと食べ物の入った器をそっと樹莉の方へと押すが樹莉はまだ顔を半分だけ出したまま警戒心剥き出しで老女をジッと見ている。
「大丈夫よ‥ほら‥」
更に入れ物を押してから老女は樹莉が警戒を解くように手を引っ込めた。
「つ‥捕まえたりしないの?」
樹莉が意を決して聞いてみるとまた老女は驚いた顔をしたがすぐに微笑む。
「あらあら、お喋り出来るのね
大丈夫、捕まえたりしないから‥ほら‥」
老女がまた樹莉の方へ器を押すとようやく物陰から恐る恐る出た。樹莉は老女を見据えたまま少しづつ近寄りそれを口に運ぶが空腹のせいか今まで食べた物より美味しく感じ、すぐに夢中で食べ始め老女はそれをニコニコしながら見ていた。全部食べ終わると樹莉はようやく安心したように微笑んで一つげっぷをする。
「美味しかった?」
老女が聞くと樹莉はコクリと頷く。
「そう‥良かった
雪、まだ止みそうに無いしここじゃ寒いでしょ‥せめて雪が止むまでうちで温まっておいで」
空を見上げてからそう言うと老女は変わらない笑顔を見せた。
「い‥良いの?」
その優しげな表情に戸惑いながら答える樹莉に老女は頷き、誘われるまま人間の巣に一歩入って樹莉は至極驚く。外とは比べ物にならないほど暖かく今までいたどの巣穴より綺麗だった。
「段差あるから持ち上げても良いかい?」
呆然としている樹莉に伺うように言うと老女は傍に屈む。樹莉は頷きいつも狐に持ち上げて貰う時のように背中を向けたが柔らかくフワッと持ち上げられ、その感覚に驚いている間に段差の上にそっと下ろされる。そこはピカピカの地面で全く冷たく無く、少し歩いてみると足跡だらけになり慌てて歩くのを止めて固まった。
「どうしたの?」
「ぴ‥ぴかぴかの地面汚れちゃうの‥
樹莉君が歩いたら汚れちゃうの‥」
老女が聞くと樹莉は至極、悲しそうな顔でそう答えた。
「そうね、じゃぁちょっと待っててね‥」
そう言い残し老女が奥に入って行くと樹莉はその場で立ち竦んでジッとしているしかなかった。
「こんな所でなんだけどお風呂にしましょうね」
老女は言いながら慌ただしく戻ってきてあっと言う間に小さな簡易の風呂場を用意し樹莉をそこへ入れた。
「身に着けている物を脱いでね」
樹莉の横に置いた小鉢にお湯を注ぎながら老女が言うと樹莉は藁着を脱いだ。
「まぁまぁ、一寸法師のようね
さぁ、ここへ入って身体を綺麗に流してね」
樹莉は言われて小鉢に近づくと水面をじっと眺めた。白いモヤモヤが立ち上りそれを掴んでみようと手を伸ばすが掴めず、それはほんのり暖かい。
「お風呂は初めて?」
「お風呂って何なの?
それに白いの掴めないし暖かいの」
老女に聞かれたがそれに質問で返しながら樹莉は不思議そうにモヤモヤを眺めた。
「お風呂はね身体を綺麗にする所よ‥それは湯気って言うお水の違う形」
それを聞くと樹莉はその入れ物の中に入れられた水をジッと見て少し躊躇いがちに手を入れてみた。
「あ‥温かいの!お水、温かいの!!」
少し興奮気味に樹莉が言うと老女はまたクスクス笑う。
「それはね、お水を温めたお湯って言うのよ
さぁ入って身体を綺麗にしましょうね」
老女に教わりながら樹莉は初体験の風呂というものを堪能し、すっかり綺麗になると藁着の代わりにフワフワの布を渡されてそれに包まった。
「柔らかくて暖かいの‥良い匂いもするの‥」
少しうっとりしたように言うとそれに頬擦りした。その様子を見ながら片付けを済ませ老女が付いて来るように言って居間へ向かうと樹莉は嬉しそうにヒョコヒョコ歩きだす。居間に入ると樹莉が見た事も無い物ばかりで老女を質問攻めにし、一頻り聞いてようやく腰を下ろしたかと思えば今度は出されたお菓子とお茶に驚き、また老女を質問攻めにした。そのお陰かようやく老女に慣れた樹莉は自分のこれまでを話し始める。親代わりの狐と暮らしていた事やそこからまだ巣立って間もない事、居場所を探している事等を身振り手振りで一生懸命話した。
「じゃぁ此処で一緒に暮さないかい?
樹莉君がいてくれると賑やかで楽しいしいろいろ助けて貰えると助かるんだけど‥」
樹莉はそう言われると少し考え込んで狐から人間は怖いと言い聞かされていた事を思い出す。
「お母さんが人間は怖いから近寄っちゃダメって言ったの‥でもお婆ちゃん優しいの‥」
困惑しながらポツリと呟いた。
「そうねぇ、確かに人間の中には悪い人もいるし怖い人もいるけど優しい人もいるのよ
動物の中にも怖い動物もいれば優しい動物もいるでしょ?
それと同じ‥でも樹莉君は確かに他の人間には見つからない方が良いかもしれないねぇ
じゃぁ、樹莉君の事は誰にも言わないからそれなら構わないでしょ?」
その提案に少し迷いはあったが老女の優しさに触れた事で人間の温かさを知り、樹莉は同居を決意した。
それから暫く経ち少し二人の生活に慣れてきた頃の朝食時に老女はこんな話をした。
「今日はね大晦日って言って一年の最後だからいっぱいおうちを綺麗にする日なんだよ」
「最後?どういう事なの?」
また知らないワードに樹莉が質問すると老女は暦の話を聞かせ、それを聞いて樹莉は感心したような顔でポカンと老女を見た。
「婆ちゃんただいまーっ」
すると玄関が開く音と共に誰か知らない人間の声がして樹莉はビクンと驚き、慌てていつものように物陰に隠れる。老女が徐に立ち上がり玄関へ向うと樹莉はこっそり物陰からその様子を見た。玄関には来客があり老女と挨拶を交わしていて、一人はラフで少し髪に癖のある感じ、もう一人はスーツ姿のサラリーマン風、どちらも同じ顔だ。
「まぁまぁ、今回はえらく早く帰って来たんだねぇ‥」
「うん、偶々二人とも休みが取れてさ‥」
「せっかくだから大掃除も手伝おうと思って‥」
口々に老女に返し慣れた感じで靴を脱ぎ始める二人の青年。
「せっかく纏まった休みなのに悪いねぇ
でも帰ってきてくれて嬉しいよ」
仲良さげに老女と話す二人を樹莉が警戒しながら観察していると不意にくせ毛の方と目が合ってしまったがすぐに隠れて難を逃れた。
「???婆ちゃんなんか飼い始めたの?」
くせ毛の方の青年が一瞬見た何かを訝しげに注視しながら聞くと老女は居間の方に視線を向けた。
「ああ、樹莉君‥この人達は大丈夫だよ」
居間にいる樹莉に向かって話しかけるとまたおずおずと険しい顔で顔を半分だけ出して覗く。
「え?何あれ?ネズミ???」
その様子を見たくせ毛の方が驚いたように言うと樹莉はカチンときた。
「ネ‥ネズミさんじゃないの!
樹莉くんなの!!」
そう怒鳴るとまたサッと居間に引っ込んだ。青年達はその声と容姿に目を丸くしてお互い見合ってからまた居間の方を見るが、老女はやれやれと言った感じで少し困ったように微笑み二人に上がるように促した。青年達はとにかくさっき見た物の正体が知りたくていそいそと居間へ向かうがその姿は無く、老女は何事も無かったかのように炬燵に腰を下ろす。青年達はしつこく辺りを見回すがさっきの生き物は見当たらず仕方なく二人も上着を脱いで炬燵に腰を下ろした。
「この二人はねぇ、婆ちゃんの孫なんだよ‥
とっても優しくて良い子達だから怖がらなくても大丈夫だよ」
老女が視線を少し落としたまま話しかけると物陰に隠れていた樹莉がまた顔を半分だけ出して警戒したように二人を見た。それに気付いた二人は固まりつつ樹莉と睨み合ったままいたが樹莉が老女に駆け寄りしがみついたのを機にようやく我に返る。
「大丈夫よ、ちゃんと紹介するからね‥」
樹莉を撫でながら優しく言うと老女はそっと炬燵の上に乗せて二人を紹介した。
「こっちが陸でこっちが海‥二人とも婆ちゃんの孫だよ」
「じゅ‥樹莉くんなの‥よろしくなの」
老女に青年達を紹介されると樹莉は戸惑いつつも自己紹介しながら二人を交互に見る。
「おう、さっきは悪かったな‥海だ、よろしく」
「はじめまして」
くせ毛の方が言うとサラリーマン風もそう続け二人が微笑む。それを見て樹莉がぱぁっと嬉しげに微笑んで老女の方を見ると「だから言ったでしょ?」という感じで微笑み返す。それから皆で大掃除を始め年越し蕎麦を食べる頃にはもうすっかり樹莉は陸と海に馴染んで老女に話したように自分の事をあれこれ話していた。
「へぇ、じゃぁ樹莉は生まれた場所は分かんないのか‥」
海が年越し蕎麦をすすりながら聞く。
「そうなの、織彩が連れてきてくれた所で初めて外に出たの‥そこに狐のお母さんがいたの」
樹莉も答えながら年越し蕎麦を頬張る。
「でも話からするとどこか研究所っぽい感じだな‥」
蕎麦を食べ終えた陸は言ってからお茶をすすった。
「樹莉は織彩ってやつの事どれくらい知ってんの?」
「樹莉くんに名前付けてくれてとてもとても優しいの
樹莉くんも織彩の事、大好きなの
でも織彩の事、何も分からないの‥」
少し悲しそうに答え手を止め涙ぐむ樹莉を見て陸と海は溜息を吐いて顔を見合わせる。
「会いたいのか?」
陸が優しく聞くと樹莉はコクンと頷いた。
「じゃぁ探してみるか?」
海が言いながら蕎麦をすすり汁も飲み干す。
「!!探してくれるのっ!?」
身を乗り出し海に言うとすぐにハッとして樹莉は老女の方を見たが相変わらずニコニコと話を聞いているだけだった。
「せっかくだから二人がいる間に探して貰っといで‥お婆ちゃんは探してあげられないからねぇ」
「でも、でも‥樹莉くんいなくなっちゃったらお婆ちゃんまた一人になっちゃうの‥」
老女が微笑みながら言うと樹莉はハの字に眉を潜めて俯きながら返す。
「はは‥大丈夫だよ、皆がこうして遊びに来てくれるから婆ちゃん寂しくないよ」
老女は樹莉の頭を撫でながら背中を押すように笑った。
「別にもう二度と会えなくなる訳じゃ無いんだし平気さ‥」
陸が微笑みながら言うと樹莉は少し安心したように頷く。しかしこの出会いが波乱の始まりになるとはこの時、誰しもが思いもしなかった。
一夜明け元旦、人目に触れぬよう海のコートのポケットに樹莉は潜り込んで皆と同じように初詣というものの場の空気を楽しむ。いつもなら静かなこの山奥の村も正月や祭りの時などは里帰りの人で人口が増え賑やかになる。海がヒソヒソと樹莉にだけ聞こえるようにいろんな事を説明すると樹莉は目を輝かせて周りに見入りながらそれを聞いていた。
「後で林檎飴買ってやるから一緒に食おうな」
屋台を眺めて海が言うと樹莉は嬉しそうに頷き、お参りを済ませて帰宅すると二人で仲良く林檎飴を頬張る。
「駐在所で地図を借りてきたぞ‥」
初詣の後すぐに出かけた陸が戻ってきて言うと炬燵でゴロゴロしていた樹莉と海はのっそり起き出し、陸の広げた地図を覗き込んだ。
「樹莉、お前が今いる所はここなんだがどうやってここまで来たか分かるか?」
陸が地図を実際の方位に合わせ聞くと、樹莉はヒョコヒョコと陸が指示した位置まで来てクルリと身体を反転し来た方向を指す。
「あのね、あのね、樹莉君あっちの方から来たの」
「山は幾つ越えた?」
陸は樹莉から聞いた情報を順に地図に落とし込みながら勘を頼りに位置を特定していくと一つの施設に丸を付けた。
「ここ‥確か前に爆発事故があった製薬会社の工場だ」
「あ、そう言えばその辺でそんな事故あった!
確か行方不明や怪我人の身内が製薬会社を訴えようとしたけどすぐ取り下げたんだよな‥口封じにかなり金積んだんだろうって話だったけど大事の割にたいしたニュースにもならなかったっけ‥」
「何でも警察の捜査が入った途端に上から圧力がかかったらしい
俺も管轄じゃないから詳しい話は聞いて無いが‥」
「うちもこの件は取材に行く奴いなかったし余所もノータッチみたいだったからやっぱ製薬会社から金積まれたりしたのかなー?」
2人の会話について行けずに?が飛び交う樹莉。
「あの、あの、何のお話なの?」
「ん、樹莉にはちょっと難しい話だな‥」
堪り兼ねて樹莉が聞くと陸は微笑んで少し誤魔化すように返し頭を撫でた。
「でもやっぱこの場所が一番怪しいんじゃね?」
「そうだな‥ここからならかなり迂回しないと行け無いから4時間くらいか‥もう今日は無理だから明日の朝一で行ってみるか」
地図から視線を外さず海が言うと陸は現在地からの道筋を確認して返す。
「だな!樹莉、もしかしたら明日、織彩に会えるかもしれねぇぞ」
「ホントなの!?」
「おいおい、まだ会えるかどうかは分からないだろう?」
「でも確率は高いんじゃねーの?」
少し不安そうな樹莉を励ますように陸と海は努めて明るく振舞った。
翌日、早朝から例の製薬会社へ出かける事にした三人は車の中で食べるようにと老女から渡されたおにぎりを頬張りながら地図を片手に走りだした。ナビは搭載しているが細かい道がナビとは若干違うのだ。深い山間を抜け休憩を取りながら雪山を車で進む。擦れ違う車も余り無く、特にこの時期は地元の人でも利用しない道が多いので走り難かった。
「えと‥この先のY字路を左だな‥」
海をナビゲーターに運転していた陸がY字路の手前で車を止めると海はどうしたのかと顔を上げて先を見る。すると進行方向に柵が施され除雪もされておらず、誰も入った形跡が無い。
「どうやらあの噂‥本物だったか‥」
「何それ?」
ポツリと陸が呟くと空かさず海が返す。
「いやな、知人に聞いたんだが製薬会社名義の土地は大した事は無いが複数のスポンサーなんかが周りを買い上げてるんで実質この山全体がその製薬会社の持ち物らしい
山を走る道路は複数名義上、公道扱いだから本来なら通行出来る筈なのに実際はこうして封鎖され警察もノータッチ‥かなりヤバイ施設なんじゃないかって噂だ」
陸は柵の向こうを見据えたまま少し考え込み、海と樹莉もそれを聞いて同じように陸の視線の先を眺めた。
「織彩に会えないの?」
心細そうな声で樹莉は海の方を見て聞く。
「なぁ、ちょっとその建物だけでも見て来ようぜ‥せっかく来たんだしこっから歩いても二時間かからないだろ?
誰もいなくたってもしかしたら樹莉が分かる事も有るかもだしヤバそうなら逃げりゃ良いし‥」
海はそんな樹莉の頭を撫でてやると陸の方を見て言うが陸は少し眉間に皺を寄せ考え込んでいる。
「それに表向きは公道なんだから入っても問題無いだろ?」
続けて海が樹莉を肩に乗せ車を降りるのを見ると陸は仕方ないと頭を抱えつつ車を寄せ、エンジンを切り同じく車を降りた。少し雪を踏み固めつつ柵を超え歩き始めると一見、太腿まで埋まりそうなほどの積雪だが思いの外、新雪のすぐ下は固められていて沈み込まない。
「やっぱ誰か出入りしてるんじゃないか?
新雪のすぐ下‥これ人工的に固められてる感じだぜ?」
「そうだな、この積り具合からして3日程度か‥ともかく先へ進もう‥」
陸は返してから辺りを見回す。この先には製薬会社しか無い割には道幅があるのは大きな車両が出入りしていたからだろう。警戒しつつも三人は先へ進むが歩いても歩いても建物の影すら見えず二時間が経過した。
「ったく、まだ見えないのかよ!」
息を切らせながら海が言うと陸は立ち止まって周りを見渡してみた。
「どうやらもう少しらしい‥」
陸が何かに気付くと進行方向よりやや左を見る。木々の合間に何やらゲートらしきものがあった。海はヨシと呟くとまた歩き出しゲートまで来るとそれを見上げる。2Mほどの高さの頑丈そうな金属製の門とその横には屈強なコンクリートの壁が続いていた。二人は壁に沿って視線を走らせ中を覗けそうな場所を探し、丁度良さそうな所を見つけるとそちらに歩を進めた。足元を確認しながらゆっくり進むが道路から逸れるとグッと身体は沈み込む。
「このままじゃあそこまで進むのは無理だな‥とりあえず何か方法を考えよう」
陸が膝まで沈み込んだ身体を何とか反転させると海はそのまま辺りをキョロキョロ見回した。
「あれ良いんじゃね?」
道路を挟んで反対側の木の根元に乱雑に立てかけられた廃材を指す。
「‥なるほど」
海の意図を理解して陸は答え二人はその廃材で簡単なカンジキを作った。そして目的の場所まで辿り着くと近くにあった木を伝って塀の上へ移り中を覗くが驚くほど何も無い。敷地は球場が三つほど入りそうなくらいあるが一面の雪原しかなく建物があったであろう場所は大きく円形に凹んでいてまるで擦り鉢のようだった。
「こんな大きな爆発だって聞いて無いぞ?」
「確か実験室の一つが爆発して一部が火災になっただけって話だったよな?」
呆然と陸が言うと海も続け樹莉は言葉も無く雪原をただ眺めた。
「なぁ‥あの凹んでる所、明らかに他より低くないか?
もしかしたら建物を壊す為に後から爆破したんじゃね?」
「確かに‥少し傍まで行ってみるか‥」
海が不自然な地形に気付き言うと陸はチラッとゲートの方を確認してから敷地の方へ飛び下りる。
「あ!おい、塀を乗り越える足場が無いのに出られなくなんだろ!」
海が塀の上から言うが陸は平気そうに外していたカンジキを再び装着しゲートを指す。
「内側からなら十分よじ登れる」
陸に言われて海がゲートの方を見ると確かにあれなら問題無く登れそうだった。海は納得すると自分も飛び降りて陸の後を追いかける。陸は段差の大きな所まで来ると立ち止まった。
「どうやらこの先に行くと穴の底に滑り落ちるな‥ここでも既に雪が流れて沈み込む」
陸は進める範囲を確認してから少し戻るよう海に促し、安全な所まで後退すると雪を掘り何かを見つける。
「こんな場所に微かだが瓦礫と煤が混じっている
大規模な火災か爆発があったな‥雪の積もり具合からして十日くらいか‥」
「流石エリート刑事‥よくそんなとこまで見当付くね」
陸の考察に口笛を吹きながら海が茶化すと陸はそれに構わず辺りを見回す。
「ともかく噂やらなんやらが沈静化してからこっそり消すなんてやっぱり普通の製薬会社じゃ無さそうだな」
何か残っているモノは無いかと見渡しても雪原の向こうは塀が囲むばかりで建物どころか木々さえ見当たらない。
「おい‥あれ、何だ?」
呆然とする陸に海はすり鉢状に窪んだ底を指した。陸がそちらに視線を向けると雪が盛り上がり中で何かが蠢いている。それを見ながら二人が動けずにいると中から何か手のような物がガバっと突き出してきた。
「ダ‥ダメなの!二人とも逃げるの!!」
樹莉が叫ぶと二人は樹莉を見てまたすぐに視線を戻す。雪の中で蠢く何かが徐々に姿を現すと今まで見た事も無い生物だった。強いて言うなら特撮モノに出てきそうな怪物と言った風貌で二人は目の前の事に反応出来ず固まってしまっている。
「早く!早く逃げるの!!
アレは危ないの!!」
樹莉自身、何故そう思うのかは分からなかったが本能がそれを告げ、その声にハッとしてようやく二人は元来た方向へ駆け出した。しかし雪のせいで思うように進めず何とか足を前に出しながら後ろを振り返ると既に二人が元居た辺りまで化け物は迫っていてその速さにギョッとしてまた必死に足を前に出す。何とか二人は引き離そうとするがゲートまではまだ遠く、海がもう一度、距離を確認しようと振り返った瞬間に化け物はこちらに向けて何かを放つ。海は陸に当たりそうなそれに気付いて咄嗟に陸の身体を突き飛ばした。
「海!」
陸が雪の中に倒れ込みながら叫ぶと海の肩を掠めたそれはシュルッとまた化け物へ戻って行った。
「ぐ‥うあぁぁぁぁっ!!」
海も雪の中に倒れ込むと悲鳴を上げる。何かが掠めた部分はまるで抉れるように溶けてケロイドのようになっていた。陸が海を抱き起し化け物を見ると、長く伸びた舌を歪な口に収め排気音のような声を漏らしながらこちらへ近付いている。
「樹莉、陸と一緒に逃げろ‥」
息も絶え絶えに痛みを堪えながら海は自力で体を起こし自分にしがみ付いている樹莉を陸の方へ乗せると何とか立ち上がる。
「何言ってる!」
「頼むから行けって!」
怒鳴る陸に言い返し海はフラフラになりながら溶けた肩を押さえて化け物の方を向く。
「バカ言うな!俺が何の為にこの仕事に就いたと思ってる‥俺を舐めるな!!」
言うと陸は海の腕をグッと強く引いて抱えるようにゲートに向かって歩き出す。
「バカ兄貴‥」
海はそんな陸を見て溢すと意識を失い樹莉は化け物を警戒しながら陸の首元で急かす。
「早く!早くなの!!」
海を抱えて思うように進めず、距離は徐々に縮まりあと数メートルという所でまた化け物は舌を飛ばしてきた。
「陸!危ないのぉっ!!」
樹莉がそれに気付き叫ぶと陸は咄嗟に振り返った。その目の前、数センチの所で化け物の舌は宙に浮かんだまま静止していて陸は固まってしまう。何が起こっているのか訳が分からない。その舌の先から化け物の方へ視線を辿ると鋭い棒のような物が舌を地面に縫い付けていた。次の瞬間、人影が降り立ち一瞬にして化け物を両断した。
「大丈夫か?」
今の凄技が気抜けするくらいぼんやりした声で話しかけられ陸は訳が分からずにただ途方に暮れる。派手な金髪以外はその辺にいるような普通の青年だった。
「誰なの?樹莉くんと同じ匂いがするの‥」
樹莉は呆気に取られながらも青年に問いかける。
「へぇ、生きてたんだな‥」
傍に歩み寄ってくると青年は樹莉をまじまじと眺めその様子に陸はやっと我に返った。
「海を‥弟を今すぐ病院に連れて行きたい、手を貸してくれないか!?」
陸が懇願すると青年は海の傷口を見た。
「血液にあいつの体液が混ざっちまってる
このまま死なせてやった方が良い‥」
相変わらず緊迫感の無い声で答える。
「バカを言うな!
こんな怪我ぐらいで死んで堪るかっ!」
陸はキッと睨んで叫ぶと海を見て傷の具合に目を見開く。海の傷口は化け物の身体のように変色しそれが見る間に広がって周りの組織を変形させていた。
「このまま化け物になっちまうか死ぬか‥選択肢は二つだけだぜ?」
青年は淡々と言う。
「どうすれば‥」
突然の非現実的な出来事に困惑する暇も無く事態だけが変わって行く。陸は何も考えられずに頭が真っ白になった。
「このままだとあいつの体液に犯されてショック死だ
助ける方法はあるがそれはそいつが完全に化け物になっちまう事になる
そうなったらもう普通の生活は送れないがそれでも助けたいか?」
「どんな風になろうが海は俺の弟だ!」
少し間を置いて青年が問うと陸は海を見ながら決心したように答えた。迷っている暇はない。
「短絡的だな‥そいつが本当に化け物になってまで生きたいと思うのか?」
「俺が後悔させない!」
陸の意志は固く青年は溜息交じりに頭を掻くとヒョイと海を抱き上げる。
「おい、車を持ってこい‥犠牲者だ」
呟くように言うと青年は海を抱えたままゲートの方へ向けて歩き出す。よく見れば首に何か付いていてそれで通信しているのだろう。陸は雪に足を取られつつその後を追うが海を抱えているというのに青年の足元は全く雪に沈み込まずまるで普通の道を歩いているかのようだった。陸に合わせてゆっくり青年がゲートまで来ると屈強な金属製の扉にそっと手を触れる。どういうカラクリなのか扉が見る間に変形して人が通れるほどの穴が開いた。その穴から当たり前のように青年が出ると陸も困惑しながらそれに続く。外に出ると運送屋のようなトラックがやってきて目の前で停車した。すぐに運転手が下りてきて青年に駆け寄る。
「アンプル無いけどどうするの?」
「緊急事態だしとりあえず俺の血で間に合わせるさ」
二人は話しながらトラックの荷台を開け中にある棺桶のような箱に海を横たえると、青年は何処から出したのか手にした刃物で自分の手首を切り海の傷口にその血を掛けた。
「なっ‥何をするんだっ!」
「助けたいなら黙って見てろ‥」
陸が叫ぶと青年は冷たく言い放ち出血が弱まると運転手が差し出した医療用テープで手首を止血した。
「これで暫く持つからとりあえず移動する
この車じゃ処置も出来んからな‥」
荷台から降りると青年は目配せして運転手に車を出すように指示した。陸と樹莉はただそれを見守るしか出来ない。
「下にあったのあんたらの車だろ?
俺達もさっさと後を追いかけようぜ」
「せめてそこまで乗せてって貰った方が良かったんじゃないのか?
ここからだと二時間はかかる‥」
青年が言うと陸は遠ざかるトラックを見ながら車までの距離を思い出し答えた。青年はハッとしたように気付いて頭を搔いて誤魔化す。
「滑ってきゃ30分もかからんだろう‥」
バツが悪そうにそう言うとポケットから何かを取り出してそれを投げた。投げた瞬間は何かの塊だったのに地面に着地する時には二人乗りのソリになっていて陸はまた固まる。
「ほら、早く乗れよ」
促されて陸が青年の後ろに乗るとソリは勢いよく走り出しアッと言う間に陸の車の所まで戻ってきた。しかし車を停車している付近にトラックの姿は無く陸は青年を見る。
「車に乗ってナビを立ち上げてみろ」
その意図を理解したように青年が答えると陸はすぐにナビを確認する。すると設定した覚えのない目的地が表示された。
「とりあえずそこへ向かってくれ」
ただただ訳の分からない事態に困惑していると青年は助手席に乗り込みながらそう言って一つ溜息を吐く。陸は動揺を収めようと同じく溜息を吐くと一路、目的地を目指した。
「とりあえず災難だったな‥
だが立ち入り禁止区域に入り込んだあんたらの自業自得だと思えよ」
暫く無言でいた二人だったが青年が沈黙を破り陸に話しかけた。単調で軽い口調だがその内容は厳しい。
「君達はいったい何者だ?それにアレは‥」
陸は何から聞けば良いのか分からないがとりあえず思う事を口にする。
「んー‥詳しい事は知らない方があんたらの為だ
まぁ、最低限度の事だけは話してやるが他言無用でな‥」
チラリと陸を見て青年が念を押すと無言で頷く。
「そう言えばまだ自己紹介して無かったな
俺は三上明希だ‥」
「‥俺は藤木陸、あっちは海‥弟だ」
思い出したように自己紹介を始めた明希に少し戸惑いがちに陸も返した。すると陸の肩口で困惑したまま難しい表情を浮かべていた樹莉が何かを言いたげに明希を見る。
「あの‥あの‥」
意を決したように樹莉が何かを聞こうとすると明希は聞いた事も無い言語で語りかけ樹莉も同じ言葉で興奮気味に返している。
「どうやらある程度のインプットは完了してるみたいだな‥じゃぁエレメンツとかは知ってるか?」
奇妙な言語で少しやり取りした後、普通に明希が確認すると樹莉は何の事か理解出来ずにただ困った顔をするばかりだった。
「あの‥そのエレメンツとかさっきの言葉って‥」
陸は樹莉同様に戸惑ったように聞く。
「あれは特殊な古語でな‥こいつが話せるか試した
こいつとは初対面だが俺の知り合いみたいなもんだ‥まさかこんな所で会うとは正直驚いたよ」
明希は言いながら樹莉をその手に乗せ自分の膝に座らせると撫でてやる。会話の内容は分からなかったが樹莉が安心しているのを見て陸も少し気持ちが緩んだ。
「こいつは見ての通り人間じゃない‥だが全く人間じゃないって訳でもない
人工的に作られた生体兵器の不完全体だ」
「生体兵器?樹莉が?」
明希が続けると陸は思わず視線を明希に向けたがハンドルを取られそうになり慌てて運転に集中する。それを聞いた樹莉もまた驚いたような顔で戸惑いを隠せない。
「あくまで不完全体だ、育成中に発育不全を起こして廃棄されたって聞いてる
コード番号DaCK、通称ダックと呼ばれていた
でも樹莉って名前をお前は貰ったんだな‥」
少し微笑みかけるように明希が言うと樹莉は嬉しそうにうふーと微笑む。
「じゃぁ、やっぱりあの施設で樹莉が?
君もあの製薬会社の関係者なのか?」
陸が質問攻めにすると明希は視線を進行方向へ戻す。
「俺もこいつらに関して詳しい事は分からん
なんせ関連施設を転々として極秘の研究をしている組織だからな‥あの製薬会社も自分達が何をやらされてるのか知らなかったろう
俺はその組織に創られた化け物ではあるが今はあいつらと敵対する組織にいる」
そこまで言うとポケットから煙草を出して咥えた。
「悪いがこの車は禁煙車だ」
それをチラッと見て陸が言うと明希は仕方なく煙草を仕舞う。
「あんた達を襲った化け物や生身の人間を弄った俺達のような化け物を創り出して兵器として売る‥そんな組織を潰すのが俺達のいる組織の目的だ」
所在無げに明希が続けると陸は突拍子もない話に思考を整理する。
「‥良いのかそんな事まで俺に話して?」
纏まらない頭で考えても仕方がない事だし何より実際に見てしまっている以上、信じるしかない。後は明希の話がどこまで本当なのか探る必要があった。
「まぁ、本当なら内緒の話だが関わった以上は多かれ少なかれ巻き込まれる羽目になる‥それは覚悟しとけよ
一応、今までの生活に戻れるよう配慮はするが普通の人間の営みは無いと思え」
相変わらず気の抜けたような喋り方で返すその表情に偽ろうという悪意は見えない。むしろ自然体で話すその姿に身に降りかかった現実を突きつけられ絶望が増す。
「あ、あの‥織彩はどこにいるの?」
お互い続く言葉も無く沈黙していると樹莉が躊躇いながら明希に聞く。
「まだあっちにいる
必ず俺達が助け出す‥だから心配すんな‥」
優しく明希はその質問に答える。心なしか明希が樹莉に向ける視線には親愛の様子が見て取れた。
「樹莉の言う織彩って人もその‥生体兵器ってやつなのか?」
陸が樹莉の手前どう質問して良いのか迷いつつも聞くと樹莉も明希の方を見て返答を待った。
「元々この実験の大元は織彩から始まったって言っても過言じゃ無い
織彩事態が初めに成功した完全な実験体だ
織彩の細胞から特殊遺伝子を採取して兵器としての実験体は作られる」
明希が言うと陸と樹莉は言葉を失う。
「俺達にとっては母であり憎むべき科学者とも言えるが彼女はただ言われるがまま出来る事をしているだけなんだ
だからいずれ助け出す‥必ず‥」
意志の強い目で真っすぐ前を見据えて明希が締め括る。
「助け出すと言いながら君等が利用するってんじゃないだろうな?」
一泊置いて少し湧き上がる疑問をぶつけてみたが聞けば聞くほど陸の頭は混乱し次の言葉が出なくなる。いったい自分はどういう事態に巻き込まれ、これからどうすれば良いのかさっぱり見当もつかない。そんな気持ちを察してか明希はこんな話を始めた。
「昔、ある地域で龍の化石と言われる鱗のような物が数枚、永久凍土の洞窟の中から発見された
まるで天使の羽根のように七色に輝くそれは外気や日の光に当たると煙のように消失し、いろんな解析法を試みたが分析不可能でまるで幽霊や妖怪の痕跡とでも言えるメルヘンな代物だったそうだ
科学者がそんなもんを信じるなんて非現実的だがそれも踏まえ試行錯誤の結果、ようやくそれを持ち出す事に成功したらしい
そしてその未知の物質と人の細胞でクローンを作る実験を始めたがどれも上手くいかず最後にようやく成功したのがエンジェル09である織彩だ
織彩は生まれて間もなくあらゆる知識をインプットされたがそれを尋常では無い速度で活用し始めた
だが何も感情が無い訳じゃない‥人並み以上の母性と慈愛を誰に教えられるでもなく持ち合わせてる
初めは平和的利用をするべく始まったプロジェクトだったがトップ二人の考え方の決別から組織は割れ軍事目的を主とした一人が織彩を独占し生物兵器を開発し始めた
俺達の大将はあくまでも織彩を医療に役立てたかったから抵抗したが殺されそうになって潜るしかなかった
だから織彩をこちら側へ連れて来なきゃならないって事で今は納得してくれ‥」
明希の説明で大まかな所は理解出来たがやはり分からない事が山積みだ。噛み締めるように考え込んでいるとナビが反応する。
「ポーン‥目的地ニ到着シマシタ」
あまり景色を見る余裕も無く何処をどう走ってきたのか覚えていないが到着した場所はどうやら道の駅に近しい感じのトラックターミナルのようだ。陸は明希に指示されて大きなトラックの横に車を付けたが先ほどのトラックは見当たらない。陸が辺りを見回していると明希は樹莉をポケットに隠し車を降りた。
「おい、海を乗せてるトラックは?」
「こいつに乗せ換えられてる」
追いかけるように陸も車から降りて問うと明希は答えて隣の大きなトラックの荷台にあるサイドドアをコンコンとノックする。
「遅かったね‥今、第二段階よ」
ドアが開いて栗色の髪の女性が二人を見下ろしそう告げると奥に入った。明希はそれに続くように荷台に乗り込み陸にも入ってくるように目配せする。入ってみて陸はまた固まった。トラック内と思えないほどSF映画並みの機械が並んでいて後部にはガラスケースのようなカプセルが横たわり中は赤い液で満たされていた。
「まぁ少し座れや‥」
空きっぱなしのドアを施錠してから明希は言ってカプセル前の壁面にある簡易の椅子に腰を下ろした。陸もそれに続くと横に座る。
「まだ見えないがこの中にあんたの弟がいる
今、第二段階らしいからそろそろ姿が見えるようになる頃だろうよ‥そうすればあと二時間くらいで出て来れる」
カプセルを眺め説明するが陸は思考停止状態でもう返事すら出来なかった。
どれほど時間が経ったか分からないが小さなアラーム音と共にカプセル内の赤かった液体が徐々に透明になりうっすら海の姿が見え始める。すると何かに気付いた明希がガバッと立ち上がりずっと車内前方でPCと計器を弄っていた先程の女性の元へ駆け寄った。
「こりゃどういう事だ?
まさか‥ソルジャークラスだなんて‥」
言いながら女性の後ろからモニターを見て何かを確認している。
「信じられない‥一般人よね?」
女性も計器を弄りながら神妙な表情を浮かべ明希に確認した。
「おい‥何がどうしたって言うんだ?」
そのあまりの慌てように陸は困惑しながら二人に近寄って聞く。二人はそのまま少し考え込んだが明希は無言でもう一度カプセルの前に戻ろうと陸を促す。
「俺達にはそれぞれ力の強弱や能力がある
それは俺達の中にある妖質に寄るものだがそれがはっきり出る部分がある‥髪の色だ」
改めて海の姿をカプセル越しに眺め明希が言うと陸もその視線を追った。鮮明な黄緑色の髪をした海の姿がそこにある。
「これは‥」
その姿に陸はフリーズしてしまいただ立ち尽くす事しか出来なかったが暫くするとそのままその場にストンと座り込んだ。
「ここまではっきり髪の色が出てしまうと強力な調整が必要になる
本来なら未調整の人間にこんな風に出る事は無いんだが‥とにかく予定よりもう少しかかるから覚悟してくれ」
明希の言葉が陸の脳内には全く入って来ずただそのまま呆けているしかなかった。
どれくらいそうしていたか気付けば床に付いた膝の周りで樹莉が心配そうに陸を見上げながらウロウロしていて陸はそれを見て力なく微笑んだ。
「大丈夫だ、海はちゃんと生きてる‥生きてるんだ‥」
己に言い聞かせるように言うと樹莉を撫でた。そして辺りを見回し明希がその場にいないのに気付く。
「明希ならさっき出かけたの
すぐ戻って来るって言ってたの」
樹莉が陸の疑問を察して答えるとさっきの女性に目を向けてみたがやはり慌ただしくPCと計器に向かって操作を続けていた。あれから海の様子に変化はない。陸は樹莉を抱き上げると椅子に座り直して今はとにかく落ち着こうと思った。
「どうせあと五時間以上はかかるから飯食いに行こう」
戻ってきた明希がそう言って陸と樹莉を連れてターミナル内の食堂へ向かう。外はもう日が落ちようとしていた。
「彼女は良いのか?」
残って海の調整をしている女性を気遣いながら陸が聞く。
「あいつは適当にタイミング見計らって休憩してるから気にしなくて良い
むしろ下手に声かけたらどやされるからな」
茶化す明希に陸は少し申し訳無い気分になりながらトラックを振り返る。そして食堂まで来るとそれぞれ注文した物を手に人気のない角の席に座った。
「ちゃんと食っとかないと腹減るぞ」
陸がうどんだけなのを見て明希が言う。
「そっちは食べ過ぎじゃないか?」
ラーメンにチャーハン、牛丼に唐揚げと体型の割に少し過剰と言える量の食事に引き気味に陸は返した。
「忙しくて昨日から何にも食って無いんでな‥なんせ肉体労働者なもんでこれくらい食わないと力が出ねぇんだよ」
そう言いながら小皿にあれこれ少しづつ取っていくと見えないように隣の席に置いた。
「頂きますなの!」
小さく聞こえる樹莉の声に陸はいつの間に樹莉をそこに座らせたのだろうかと疑問に思ったが敢えて口にしなかった。がっつく明希を見ながら自分もうどんを食べ始めるが何だか上手く喉を通らない。心配事が重なったり凄惨な事件現場を見てもこうはならなかった事を思うとかなり参っているのだと実感する。半分まで食べ終わったところで陸は箸を置いて溜息交じりに水を飲んだ。空腹の筈なのにこれ以上、食べ進める事が出来ない。
「気持ちは分かるが無理にでも食っとけ
あんたがしっかりしないと弟も安心出来んだろ?」
ラーメンとチャーハンを片付け牛丼に手を付けながら明希が言うと陸はもう一度、箸を持って食べ進めた。陸がようやく食べ終わる頃には明希は食後のコーヒーを楽しんでいて樹莉の寝息が微かに聞こえていた。
「俺達はこれからどうすれば‥」
少し冷めたコーヒーを一口飲んで陸が呟く。
「どうするも何も普通に暮らせば良いさ
ただ怪我は絶対させるな‥健康診断も無しだ
普通の人間じゃない事がバレるし下手すりゃ向こうの組織に見つかってモルモットにされる」
言いながら明希が手首に巻いた止血テープを取ってつい数時間前に付けたはずの傷を見せると陸は言葉を失う。あれだけ血が出ていたのだから相当深い傷口の筈で塞がっている訳が無いのに血痕だけで傷痕すら無い。
「言ったろ‥化け物だって‥
ともかく何かあっても病院へは行くなよ」
明希は血痕で汚れた手首を拭きながら念を押すように言った。
「しかし‥もし病気や怪我でもしたら?」
今、現実に見てもまだ信じられず陸は視線を落としながら聞く。
「心配無い、あいつはもう普通の人間が罹るような病気にはならないし致死量の失血か頭を潰したり首を落とさん限り死にはしない
無論、怪我をすれば傷の大小にかかわらず痛みはあるがな‥
もし大怪我をしたら俺達が診るから連絡してくれりゃぁ良い」
言い終えるとコーヒーを飲み干し、樹莉を起こさないようにそっとポケットに移動させ席を立った。陸も慌ててコーヒーを飲み干し同じく席を立つ。明希は食器を返すと隣の売店で甘味を少し多めに買い漁りトラックへと戻る。
「ほら、紫苑‥お土産‥」
トラックに乗り込むと甘味の入った袋をあの女性に差し出す。
「ありがとー!」
紫苑は手を止め嬉しそうに受け取るとごそごそ漁って一つを口にしながら引き続きPCに向かう。明希は陸に目配せしてから元の場所に座った。陸もやはり隣に腰を下ろす。
「ま、無かった事にしろとは言わんが忘れとけよ」
明希はそれだけ言うと静かに目を閉じた。陸は今まで聞いた話をゆっくり頭で整理しながら海を見詰める。今朝、祖母の家を出発してから一日も経過していないというのに既に情報量はキャパを超えていた。
気付くと眠ってしまっていたようで顔を上げ海の様子が変わらない事を確認してから辺りを見回す。どうやら明希も眠っているようで壁に凭れ掛かり寝息を立てていた。紫苑の方を見ると相変わらず慌しく作業をしている。陸は時間を確認しようとスマホを取り出した。既に時間は夜の九時を回っていて陸は慌てて祖母に電話をかけようとしたが繋がらない。
「ここ、電波暗室だから外でかけないと無理よ」
その様子を見て紫苑が言った。
「あ‥ああ、そうなんだ
すまないが家族が心配するので少し電話してくる」
陸は申し訳無さそうに言ってからトラックを出て祖母に今日は戻れそうに無いとだけ伝えて電話を切った。祖母も深く理由は聞かなかったが恐らく少し心配しているだろう。陸は樹莉の事を含めどう説明しようかと頭を抱えながらトラックに戻った。陸が戻ると明希が起きていて紫苑に声をかけてから再び陸を連れてトラックを出る。
「夜中くらいには終わるそうだからあんたの車で少し仮眠を取ろう」
まだ眠いのか欠伸交じりに明希が言うと陸は溜息交じりに自分の車へ乗り込んだ。明希もさっきのように助手席に座ると背凭れを倒す。
「元の身体に戻れる可能性はあるのか?」
「さぁな、だが織彩がこちらに来ればその可能性は出てくる
勿論、生体兵器なんて存在も頂けんしな‥」
陸も少し背凭れを倒すと聞いてみたが相変わらず何処までも緊迫感の無い口調で返事は返ってくる。だが陸はその答えに希望を見出すしかなかった。また考え事をしている間に眠ってしまったのか気付けば明希が肩を少し揺すっていた。
「そろそろ終わるらしい」
小さく明希が言うと陸は慌てて背凭れを戻して車を降りようとする。
「あいつの着替えになりそうな物はあるか?
処置の最中に全部捨てちまったらしいんだが‥まさか素っ裸でウロウロ出来んだろ?」
明希が言うと陸は普段から車に常備している泊まり込み用のセットを持って車から降りトラックへ戻った。中へ入るとカプセル近くの端末を操作している紫苑を見ながら邪魔にならないよう手前で立ち止まる。
「あと十分ほどで終わるわ」
操作を終えると紫苑は二人に言いながら横を通り過ぎ再びPCに向かう。それを聞いて二人はまた海の傍へ歩みを進めた。少しするとゴボゴボとカプセル内の液体が抜けていく。全部抜けるとカプセルは開いた。
「海!」
陸が声をかけながら近付くと少し海の表情が動き生きている事に安心して強張った表情を緩めた。するとゆっくり気怠そうに海はようやく目を開けて陸をぼんやり眺める。
「何だよ‥もう朝か?」
呟くとまだ思考がはっきりしないのか陸から視線を辺りに移しても反応はかなり薄い。陸はとにかく海が目覚めた事で至極安心してその場に膝を付く。
「さっぶ!」
間を置いてから海は急に寒さを訴えて体を丸めた。それを見て陸は慌てて持ってきた荷物の中からバスタオルを取り出し海にかけてやる。考えてみればトラック内もそれほど暖かい訳ではない上に、今までカプセルの中で液体漬けになっていてずぶ濡れ状態なのだから当然の反応だ。海はゆっくり感覚を確かめるように体を起こすとタオルに包まりながらもう一度辺りを確認する。
「とりあえず服着ろ‥話はそれからだ」
明希が言うと海はそちらを見てからまだはっきりしない頭で身なりを整え始め陸はそれを補助した。身なりが整う頃にはだいぶ海の頭もはっきりしてきて何かよく分からない事態になっていると理解が出来た。
「とりあえずいろいろ説明する」
明希はそう言ってから海と陸を簡易の椅子に座らせ自分は空になったカプセルに凭れ掛かりながら大まかには陸に説明したような事を海にも説明した。海は珍しく何を聞いても質問せずに黙っていてそれを見た陸は少し心配になる。記者という職業のせいか疑問があれば話を遮っても質問するような性格なのにこんな現状にも関わらず何一つ言葉を発さない。寧ろこんな現状なら前の海ならもっと明希を質問攻めにしていたろう。
「‥と、こんなところかな
何か分からない事があれば都度聞いてくれ
連絡方法はスマホでもPCでもネット環境が整っていれば“三上明希に連絡”と検索画面に打ち込めばこちらから連絡する」
明希は一通りそうして説明を終えると栄養ドリンクのような物を海に手渡した。
「あと、そのままだとマズいからとりあえずそれを飲め」
言われて海は躊躇い無く開けて一気に飲み干す。
「うわ‥まっず‥」
「そりゃ薬だから美味い訳ゃ無いわな」
海が感想を述べると明希は即座に返した。
「その薬は定期的に届けるから五日置きにちゃんと飲め‥でないと髪の色が戻っちまう
それから樹莉はこちらで引き取るからこのまま置いていけ‥何、生育が終わって完全体になったらまたいつでも会えるさ」
明希は自分のポケットで眠る樹莉に視線を落とすと二人に言う。それから数分で海の髪の色は元に戻り陸はそれに驚きつつもまだ明希に聞きたい事はいろいろあったが今は一先ず海を連れて老女の元へ戻る異にした。トラックを出るともう空が赤く染まっている。二人が車に乗り込むと前から真っ赤な髪の青年が二人の方へ歩いてきた。異様なほどの髪の紅さと朝日が相まって幻想的に見え、二人が見惚れていると赤毛の青年は二人をチラリと見てからトラックの運転席に乗り込んで発車させる。呆気に取られながら少しそれを眺めていたが我に返ると陸も車のエンジンをかけ老女の家に進路を向けて走り出した。
だいぶ長い事かけて再編集したので誤字脱字や挿絵とかいろいろ差はありますがご容赦くださいませ( ̄▽ ̄;