#04 真夜中の訪問者(2)
窓が閉じられて、はためいたカーテンが静止する。
舞い散っていた花びらは、床に落ちると淡雪のように融けて消えた。
「こんな時間に失礼」
短く詫びると、彼は広げた翼を優雅にたたんだ。
朝見たのと同じ喪服みたいな黒のスーツ姿。
月明かりの中、瞳だけがサファイアのように煌いている。
「――また、あんたなの!?」
薄く笑みを浮かべた彼の表情を見て、わたしは思わず声を荒げた。
わたしなんて、どうとでもなるといった感じの、余裕の笑み。
――こんなのもうウンザリだ。
そう思った瞬間、彼に抱いていた恐怖が怒りへとすり替った。
「こっちに来ないで!」
怒りに任せて投げつけた枕が、事も無げにかわされる。
携帯、手帳、財布にバッグ。
手当たり次第に投げつけたのを、全て涼しい顔でかわされて。
てか、一発くらい当たらないわけ!?
メチャむかつくんですけど!
「一体なんなの!?」
最後にスリッパを投げつけると、転げるようにベッドから飛び降りたわたしを見て、彼は不快そうに眉をひそめた。
「そんなことをしても無駄だと分かっているだろう? あなたは僕から逃げられない」
彼の冷ややかな声音に、わたしは身体を強張らせた。
悔しいけれど、彼の言うとおりなのだろう。
この先わたしがどんなに必死になって逃げ回ろうが、彼はあの不思議な力を使って必ず追ってくるに違いない。
それが例え、地の果てであったとしても――。
「なんなのよっ……あなた一体何者なの!?」
「僕はアキ。今は、あなたの従兄だ」
「ふざけないで! もうあんたの顔なんて見たくも無い!」
「綾音……」
「お願いだから、これ以上わたしに構わないで!」
「残念ながら、それは無理な相談だ」
彼は落ち着いた物腰で近付いてくると、真っ直ぐにわたしの目を見つめた。
その表情は、ごく冷静で憎たらしいくらいだ。
「僕たちは話し合う必要がある」
「わたしには話すことなんて何も無い」
「それはどうかな。あなたは、僕に聞きたい事はないの?」
「それは……」
確かに。
そう言われちゃうと、こいつに聞きたいことは山ほどあるんだけど……。
わたしが口ごもっていたら、彼はもの問いたげに首を傾げた。
「あるだろう?」
「う……」
「あなたが質問してくれたら、僕の知っていることは全て答えるよ。約束する」
「…………」
「綾音?」
「……っていうか……どうしてわたしの名前知ってんのよ……」
彼から目を逸らすと、わたしは不貞腐れて小さく呟いた。
すると、彼はわたしの頬に優しく触れて。
「それが、あなたの真の名だから」
「え? まことの、名……?」
「そう。あなたの真の名は、綾音」
彼はわたしの目を覗き込むようにして穏やかに言った。
不思議な輝きを放つ、海のように深く青い瞳。
その瞳の中に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「あなたは……何なの? 何者なの?」
「僕は、僕だ。それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉に、わたしは頬を膨らませた。
「そんな言い方ずるい。そんな風に誤魔化すなんて、やっぱり悪魔とかなんじゃないの……?」
責めるように言ったら、彼は苦笑して。
「誤魔化してなんかいない。悪魔だの天使だの、それは勝手に人が付けた呼び名だろう? 僕はそんな存在じゃない」
「でも……人間じゃないんでしょう?」
「それはそうだけど、それでも僕は僕だとしか言えないな。否、僕だったというべきか……」
そう言うと、彼は少し考えるように眉をひそめた。
「僕が死神かと、あなたは問うたね」
「それは……初めて会ったのが、あんな場面だったから。違うの?」
「違う。だが、あなたがそう感じてしまったのは無理もない。僕は今までに幾度となく人の死を見送ってきたからね。人が死に、その身体から魂が離れてゆく瞬間を」
「魂が離れるって……それを見たっていうの?」
「ああ、そうだ。それはまるで、煌めきながら水面へ向かって立ち上る泡に似ている。あなたは見たことが無いの?」
「まさか! そんなの、あるわけ無いじゃん!」
「そう? まあ、とにかく僕は、そうした魂が泡沫のごとく消えてしまう前に、在るべき場所へと導くことにしているのだけれど。そういう意味では、死神というよりは、天使と言った方が良いのかもしれない」
「天使……」
話の展開について行けずに、わたしは口をポカンとあけて、まじまじと彼を見つめた。
抜けるような白い肌に、サファイアみたいな青い瞳。
中性的な顔だちは、天使といわれても思わず納得してしまうような美しさだ。
そして、月の光を集めたようなこの青白い輝き。
いつの間にか、彼の身体は鈍く発光していた。
背中に生えた黒い翼も、その不思議な光に包まれている。
「天使なのに、翼が黒いの……?」
わたしの問いかけに、彼は低く笑った。
「なら、僕が悪魔だとでも?」
「……そうじゃないけど……」
「だが、そうとも言えるかもしれない。僕みたいな存在の中には、魂を導くどころか吸収してしまうような輩もいるからね」
そう言って、彼は長い睫毛の向こうから、すくい上げるようにしてわたしを見つめた。
「え? 吸収!?」
馬鹿みたいに、彼の言葉を繰り返す。
「ああ。魂を自らの中に取り込んでしまうんだ。同化して、一つの存在になる」
その言葉に、わたしはショックのあまり目を丸くした。
だって、なにソレ?
吸収するって、どーゆーこと!?
それって、人様の魂を吸い取っちゃうってことなんじゃないの……!?
「やっぱ悪魔じゃん!!」
驚きのあまり口をぱくぱくさせるわたしに、彼はチラリと微笑んだ。
なんだか、ものすごーく楽しそうにこちらを見つめてくる。
もしかして……こいつってば、わたしの反応見て面白がってる!?
つーか、これって嫌がらせなんじゃないの!?
「嘘つき! さっきは違うって言ったくせに、やっぱ悪魔なんじゃん!」
「いや、違うね」
「違うって、どこが!? 魂吸い取るなんて、どう考えても悪魔の仕業じゃん! 相当感じ悪いんですけど!!」
「僕はそんな乱暴なことはしない」
「でも……!」
「そんなことをする輩は、ただ単に悪食なだけさ。僕はもっと美食家でね」
穏やかに言うと、彼はわたしの顎に手をかけて、優しくわたしを上向かせた。
「だが、あなたは美味しそうだ」
その一言に、わたしの身体は固まった。
頬を、彼の人差し指がゆるゆると移動してゆく。
やがて、彼は甘やかな微笑を浮かべると、わたしを見つめて低くため息をついた。
「透明で、健やかで。あなたに触れているだけで気持ちが良い」
「な――な・な・なによ!!」
「何って?」
「わたしのこと、吸収するつもり!?」
「さあ、どうかな」
「どうかなって……!」
「なかなか魅力的な提案だけど、今はしないよ。なぜなら、今度は僕があなたに質問する番だからね」
「し、質問?」
彼は親指でわたしの唇に触れると、すうっと目を細くして言った。
「あなたは一体何者なの?」
「え? 何者って……?」
質問の意味がわからずに、ポカンとして聞き返す。
わたしが何者かって?
つーか、突然そんなこと聞かれても……。
「わたしは、御園綾音だけど?」
「それは知っている。それで、あなたは何者なの?」
「え……そんなこと言われても。わたし、普通の女の子なんですけど……」
困惑しながらそう言ったら、彼はもの問いたげに眉をあげた。
「そんなはずは無いだろう。綾音は魔女や巫女の類じゃないの?」
「ええっ、まさか! わたし、普通の学生だし」
ますます戸惑うわたしに、彼は表情を硬くした。
そして、ちょっと首を傾げると、まるで値踏みするようにわたしを見つめて。
「だが、あなたは僕を呼びだしただろう?」
静かに言うと、いきなりわたしの手首を強く掴んだ。
「痛い! ちょっと、突然何なの!?」
「あなたは何者なの、綾音」
「だから、普通の女の子だって言ってるじゃん! 放してよ!」
「そんなはずは無い。僕を呼び出した目的はなに?」
訳も分からず動揺するわたしに、彼が冷ややかな声音で言い放つ。
「痛いってば! そんなの、わたし知らないっ!」
大声で叫ぶと、わたしは力いっぱい彼の手を振り払った。
震える身体を抱きしめて、よろよろと後退る。
すると、彼は妙にのっぺりとした表情でこちらを見つめて。
「だが、あなたが僕を召喚したんじゃないか」
責めるように言うと、彼はわたしを掴んでいた腕を力なく下ろした。