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DIVE  作者: 関鯖
23/26

#08 二つの海

 

 

 病室の窓から見える中庭は、朝の光に満ち溢れていた。

 車椅子に乗って散歩を楽しむ老人。

 看護婦付き添われ、青々とした芝生の上ではしゃぐ子供達。

 もう九月も終ろうかというのに、どこかで蝉が鳴いている。

 きっと今日もうんざりするくらいの快晴なのだろう。


(ほんと、真夏に戻ったみたいだ……)


 窓ガラスに額をくっつけて、わたしはじっと目を閉じた。

 一泊だけの入院だったこともあり、帰り支度はとうに終っている。

 退院の手続きも済ませたし、あとは病室から出てゆくだけだ。

 それでも、わたしは窓辺から動こうとはしなかった。

 人を待っているのだ。

 きっとこの部屋を訪ねてくるであろう、あの人を。


(――来た)


 控えめなノックの音に目を開く。

 返事をしないでいたら、その人は少し焦ったのだろう、やがておずおずと扉の開く音がして。

 続いて聞こえてきたのは、はっと息を呑む声と。

 そして、こちらへ慌しく駆け寄ってくる足音と。


「……御園!」


 乱暴に肩を掴まれて、わたしはゆっくりと振り返った。

 日に焼けた素肌に、少し色の抜けた髪。

 明るい茶色の瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめている。

 その眼差しが不安そうに揺れるのを見て、わたしは慌てて微笑んで見せた。


「おはよう、椎名くん」

「おまえな……おはよ、じゃねーだろ!」


 呆れたように言うと、椎名くんはガックリと肩を落とした。

 気が抜けてしまったのか、わたしの肩を掴んでいた手が滑り落ちる。

 口をへの字にして睨まれて、思わず顔が綻びそうになったけれど、それと同時にわたしの胸はズキリと痛んだ。


「笑うな」

「ごめん」


 素直に謝ったのに、大きな手が伸びてきて頭をグシャグシャにされてしまう。


「もー、マジごめんって!」

「うっせ、バーカ!」


 逃げようとするわたしを押さえ込むと、椎名くんはイキナリわたしの頬をぎゅうっと抓った。


「痛だだだだっ! ちょっ、本気で痛いんだけど!?」

「そりゃ本気で抓ってんだから、当然じゃん」

「なにそれ、ヒドイ!」


 涙目で睨んだら、もう片方の頬も引っ張られて。


「酷いのは御園だろ。居るなら返事くらいしろよ。あんなことあった後だし、焦るだろーが……!」


 その余裕の無い表情に、わたしは何も言えなくなってしまった。

 こんなにも心配してくれていたのかと改めて思い知る。

 やがて頬から椎名くんの手が離れたので、小声で「ごめん」と謝ったら、ふっと柔らかく笑われた。


「ほんと、すみませんでした……」

「もういいよ。オレもちょっと言いすぎたし……。でもさ、ここに来るまで、オレすげー不安だったんだ」

「どうして? 今朝、携帯で話したじゃん」

「それでも不安だったんだよ。もしも御園に何かあったらって。だから、こうして顔をちゃんと見るまで気が気じゃなかった」


 そう言った椎名くんは、別に軽口を叩いている風でもなく。

 むしろ、そんな雰囲気から程遠い真剣な眼差しで見つめられて、わたしはドキリとしてしまった。


「……綾音」


 出し抜けに下の名で呼ばれて、胸の鼓動が一つ飛ぶ。

 額にかかった前髪を指で優しく掬われて、わたしは思わず硬直してしまった。

 すると、椎名くんは何故か不機嫌そうに顔をしかめて。 


「――って呼んでたよな、あいつ」

「……へ?」

「気に入らねえ。マジむかつく」

「む、むかつくって? なんか話が見えないんだけど?」


 戸惑いながら椎名くんを見上げたら、ギロリと睨まれる。


「で……アイツは?」

「へ? あいつ?」

「アイツだよ、あ・い・つ! 背中に翼生やした、変な男!」


 そこまで言われて、わたしは漸く気が付いた。


「あ、ああ! あいつ、ね。あの人、今ここには居ないの」

「もしかして、どこかに飛んで行っちまったとか?」

「いや、飛んで行ってはいないんだけど。なんか支払いがあるとかで、いま下の受付に居ると思う」

「は? 支払い?」

「うん、わたしの入院費。わたし今日で退院なんだけど、うちの母親の出張とあたっちゃって。それで、彼、諸々頼まれたちゃったみたいで」

「ちょ、待てよ。なんでおまえの母親があいつに頼むんだよ?」


 やっぱそう思うよね、と思いつつ、意を決して口を開く。


「それは……彼、イトコみたいなの。わたしの」

「イトコって、あいつが御園のっ……!?」

「そう。しかも、わたし達、一緒に住んでるらしくて」

「はぁ!? おまえソレどーゆー事だよ!?」

「こっちが聞きたいよ。だって気が付いたら、そーゆー事になってたんだもん!」

「何だそれ!? 意味分かんねーし……!」


 すっかり混乱した様子で言うと、椎名くんはイライラと頭を掻き毟った。

 っていうか、この反応のしかたって、昨日のわたしと全く一緒だし……。


「だよね。意味分からないでしょ? わたしもそうなんだよね。ほんと笑えるっつーか……」


 ははは、と乾いた声で笑ったら、椎名くんから物凄く怖い顔で睨まれた。

 えっ、なんで!?

 もしかして、なんか地雷踏んじゃったとか!?


「……駄目だ」

「えっ?」

「絶対、駄目だ!!」


 突然叫ぶなり、椎名くんはわたしの両肩を強く掴んだ。

 少し痛かったけれど、なんだか様子がおかしかったので、わたしが大人しくじっとしていたら。


「無理」


 ポツリと呟いた、椎名くんの目は完全に据わっていた。

 なんか、鬼気迫るって感じでちょっと怖い。


「む、無理って……?」

「色々と。御園だって、あんな男と一緒に住むなんて嫌だろ?」

「まあ、そりゃそうだけど……」

「だろ!? なら、良い方法がある」


 その言葉に、なんだろうと思いつつ、椎名くんの顔をじっと見つめる。

 すると。


「おまえさ、オレの家に来いよ」


 予想外の提案に、わたしは目を見開いた。

 

 

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