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DIVE  作者: 関鯖
22/26

#07 潮 騒(5)

 

 

 如月ゆりの頬を、涙が伝い落ちてゆく――。

 声も出さずに泣き続ける彼女を前にして、わたしはただ呆然としていた。


(椎名くんが、わたしのこと……?)


 フリーズしそうな頭で考える。

 だって、いきなりそんなこと言われても。


(そんな。てっきりわたしの勘違いだと思ってたのに……)


 突きつけられた事実に困惑する。

 椎名くんのことが、「好き」か「嫌い」か選べって言われたら、もちろん「好き」だ。

 だけど、それが恋愛感情なのかはハッキリしなくて。


(もともと椎名くんとわたしの関係ってすごく曖昧だったし……)


 友達以上かもしれないけど、恋人未満ともいえないような――そんなふわふわした微妙な関係。

 だけど、それが妙に居心地良くて、わたしは無責任にも“こういう気楽な関係もいいな”なんて思ってた。

 でも、彼女は違う。


 彼女は椎名くんのことが好きなんだ。

 本当に本当に、大好きなんだ。


 それなのに、中途半端なわたしのせいで、彼女は涙を流すばかりか、こうして頭まで下げている。

 いくら知らなかったとはいえ、こんなことさせてしまった自分に嫌気が差すし、腹が立つ。

 だけど、彼女のために、今わたしに何が出来るというのだろう?


(わたしが慰めるのもおかしいし……)


 だって、これっていわゆる三角関係ってヤツだろうし、と。

 アレコレ考えながら、自分の置かれた微妙な立場に、わたしはほとほと困り果ててしまった。

 すると、その時。


「僕に紅茶のお代わりを」


 重苦しい沈黙を破った涼やかな声に、わたしはハタと我に返った。

 ビックリして横を見れば、彼が軽く手を上げてウェイトレスを呼び止めている。

 ていうか、なんで今?

 このタイミングでしれっとお代わりとか、意味が分からないにも程があるんですけど!


「……何やってんの!?」

「ああ、少し喉が渇いたから。あなたも紅茶でよかった?」

「えっ、わたし? わたしはアイスコーヒーの方が……って、ちがーう!!」


 いつもの癖で、思わずノリツッコミしちゃったけど、ホントなんなんだ、この男は!!

 勝手について来たうえ、空気読めないとか最悪なんですけど。

 ほら、彼女だって呆れてこっち見てるじゃん!


「というか、なに勝手に頼んでるわけ? 信じられない!」

「ああ、これは失礼。如月さん……だったよね? 君はどうする? 紅茶で良かった?」

「そーゆーことじゃなくて! 空気を読んでよ、空気を!」


 更に突っ込むも、彼はちょっと肩を竦めただけだった。

 そして、小さくため息をつくと、瑠璃色の眼差しで如月ゆりをじっと見つめて。


「綾音はこう言っているけれど、君も喉が渇いただろう? 沢山泣いたし……ね?」


 穏やかに言うと、彼はうっとりするような微笑を浮かべた。

 すると、驚いたことに……彼女がピタリと泣き止んだではないか!

 なにこれ、なんてイリュージョン?

 なんか負けた気分なんですけど……。


「自己紹介がまだだったね。僕は氷川晃」

「あっ……わたし、ゆりです。如月ゆりっていいます。あのう、失礼ですけど、氷川さんは……?」


 口ごもった如月ゆりに、彼はちらりと微笑んだ。


「僕と綾音はね、いとこ同士なんだ」

「いとこ同士?」

「そう。いとこ兼、幼なじみ。君たちの関係ととても良く似ているね」

「祐ちゃんとわたしの……そう、ですね」


 如月ゆりはひっそり呟くと、やがて寂しげな表情で頭を振った。


「ううん。わたしと祐ちゃんは……氷川さん達とは違います。全部わたしが悪いんですけど……」


 表情を曇らせる如月ゆりを見て、わたしの胸はズキリと痛んだ。

 こんなにも健気で可愛くて、しかも小さい頃から椎名くん一筋なのに。

 もしかして、あの一件のせいで喧嘩でもしてしまったのだろうか――。

 そう思ったら居ても立っても居られなくて、お節介とは思いつつも、わたしは思わず聞いてしまった。


「椎名くんと喧嘩したの? それとも何か言われた、とか……?」

「いいえ。祐ちゃんは……何も。おまえを責めるつもりはないし気にするな、とは言われましたけど」

「じゃあ椎名くん怒ってなかったんだ。良かったじゃない」


 わたしの言葉に、如月ゆりが力なく首を振って項垂れる。


「でも、祐ちゃんすごく落ち込んでて……。怒らないからこそ、逆にわたしも申し訳なくて。結局わたしからは何も話せないまま……」

「話せないって……まさか、わたしと会った日からずっと?」

「はい。でも、もういいんです。自業自得ですし、今更どうしようもない事ですから。祐ちゃんには謝れないけど、こうして御園さんにちゃんと謝れただけで、わたしはもう……」

「そんな……ちゃんと仲直りすればいいのに」


 そう言ったら、如月ゆりは弾かれたように顔をあげた。

 長い睫毛に縁取られた、黒目がちな目。

 こちらへ向けられた眼差しが、あまりにも虚ろで、ぞっとする。


「――もう止めた方がいい、綾音」


 彼に優しく腕を撫でられて、わたしは我に返った。

 気遣うようにこちらを見つめる、深い瑠璃色の瞳。

 その目が、これ以上踏み込むなと言っている。


(確かに、こんなの出すぎた真似だし、大きなお世話だろうけど……)


 でも。

 こんなにも傷ついている彼女を放っておけないし。

 自分も関係していることなのに、見てみぬふりなんて、わたしには出来ないし。


「あの……もしよかったら、なんだけど」


 意を決すると、わたしはテーブルに身を乗り出した。


「わたしから椎名くんにメールしてみようか?」

「え……?」

「こういうのって、きちんと話し合った方が良と思うんだ。時間が経つと余計に拗れるものだし」


 そう言って、わたしがバッグから携帯を取り出したら、如月ゆりが目を見開いた。

 そして、次の瞬間、彼女が怒りに顔を歪める。


「御園さん、なに言ってるんですか?」

「ご、ごめんね。わたしが口出しする事じゃないって分かってる。だけど椎名くんなら話せばきっと――」

「それ……本気で言っているんですか?」

「え? わたしは、そのつもりだけど……?」

「そのつもりって!? あなた、わたしのこと馬鹿にしてるんですか!?」

「そんな! 馬鹿にしてるなんて、わたしは……!」

「さっきから祐ちゃんと話すとか、連絡取るとか……そんなこと、出来るわけないじゃないですかっ!」

「ええっ、なんで!? と、とにかく落ち着いて?」


 興奮した彼女を宥めつつ、わたしは携帯を開いた。

 真っ黒なディスプレイを見て、慌てて起動ボタンを強く押す。


 取り乱す彼女を見ていたら、妙に胸がざわついてくる。

 何ともいえない嫌な気持ちが喉元まで競りあがってきた。


 ――突然わき上がる、純粋な恐怖。


 無性に椎名くんの声が聞きたくて、わたしは何度もボタンを押した。

 でも……どのボタンを押しても画面は黒いまま、携帯は一向に反応しなくて。


「そっか……昨日の夜から、ずっと充電切れてたんだったっけ……」


 惚けたように呟いたら、耳元でパチンと乾いた音が鳴り響いた。

 続いて聞こえてきたのは、「ふざけないでよッ!!」 という如月ゆりの怒鳴り声。

 そして、困惑した店員の声と。


 でも。


 じんじんする頬の痛みも。

 如月ゆりの怒鳴り声も、周囲のざわめきも。

 何もかもが、今のわたしにはどうでも良いことだった。


(そうだったんだ……)


 ようやく悟った事実に、呆然とする。

 今朝方、携帯の電波が入りにくかったのは。

 あの時、電話口から聞こえてきた音は、雑音なんかじゃなくて――



「潮騒の、音だったんだ……」



 かすれ声で呟いたら、彼の腕が伸びてきて、優しく抱き寄せられる。

 足早に去ってゆく如月ゆりの後ろ姿が、彼の肩越しに滲んで見えた。


「そう、か……」


 呻く様につぶやいて。

 そのまま肩に顔を押し付けると、わたしは声を殺して泣き始めた。

 

 

 

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