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DIVE  作者: 関鯖
14/26

#05 盟 約(4)

 

 

 

「契約……?」

「そう。契約だ」

「あの……それって、具体的にどんな?」


 恐る恐る聞き返したら、男がピクリと片眉をあげた。

 そして、その唇が愉快そうに弧を描く。


「説明してもいいけれど、それを聞いたところで何になるの?」


 そう言って、彼が向けた視線の先にあったのは、今や薄っすらとしか見えなくなってしまった椎名くんの姿だった。

 光の繭に包まれて、椎名くんが消えようとしている。

 力なく垂らされた小麦色の長い腕。

 茶色の髪は汗で額に張り付いている。

 椎名くんは大きな身体を胎児のように丸めて、苦しそうに顔を歪めていた。

 男の言う『契約』が、一体どんな事なのか想像もつかないけれど……

 わたしがそれに応じなければ、椎名くんはこのまま吸収されて、やがては消滅してしまうに違いない。


「僕と契約を結ぶのなら、彼に手出しはしない」


 甘く暗く響く、心地よい声音。

 長い指が、わたしの唇にそっと触れる。


「約束するよ、綾音」


 男の言葉に、わたしは目の前が真っ暗になる思いだった。

 椎名くんが消滅するか、男と契約を結ぶか――。

 わたしに残された選択肢は、最早この二つしかないのだ。


(どうしよう……!)


 半ば呆然としつつ、椎名くんを見つめる。

 すると……驚いたことに。

 意識を失っていたはずの椎名くんが、目を開いたではないか!


「椎名くんっ!」


 思わず叫んだわたしに、椎名くんは顔をあげて苦しそうに微笑んだ。

 少し虚ろではあるけれど、こちらを真っ直ぐに見つめてくる、澄んだ鳶色の瞳。

 やがて椎名くんは口を開くと、声にならない声でわたしの名を呼んだ。

 ――そして。



 “逃げろ”



 驚いて目を見開いたら、椎名くんは顔を歪めて弱々しく首を振った。

 まるで、自分のことは構うな、とでも言うように――。


「――僕と契約を結ぶのなら、僕はあなたに仕えよう」


 耳元で甘く囁く、悪魔の誘惑。

 奇妙なほど穏やかな声音。


「あなたが願うなら、僕がその全てを叶えてあげる」


 その言葉に、わたしはゆっくりと視線を男へ戻した。

 美しく弧を描く唇。

 細面の、まるで天使みたいな綺麗な顔立ち。

 その顔を、わたしは正面から睨み据えた。


「……契約したら、椎名くんを助けてくれるのね?」

「ああ。約束する」

「本当に……?」

「言ったろう、僕は嘘は吐かない」


 男がわたしの頬をそっと撫でる。

 視界の端で、椎名くんが何かを叫びながら、わたしに向かって腕を伸ばすのが見えた。

 だけど。

 わたしは……

 わたしは……



「わかった――あなたと契約する」



 そう告げた瞬間、急に視界が暗くなった。

 室内に溢れていた眩いばかりの光が消え失せて、唐突に辺りが闇へと沈み込む。

 わたしは小さく息を呑むと、咄嗟に椎名くんの姿を探した。

 しかし、必死で暗がりのなか目を凝らすも、椎名くんはどこにも見当たらない。


「しっ、椎名くんは!?」

「彼には退出してもらったよ。安全な場所へ移動してもらった」


 安心して、と。

 穏やかに言うと、彼は震えるわたしの背中を優しく撫でた。


「僕を見て、綾音……」


 低く名を呼ばれ、そっと上向かされる。

 男は覗き込むようにして、わたしをじっと見つめた。

 見る者を溺れさせるような、深い瑠璃色の眼差し。

 象牙のように滑らかな肌が、暗闇の中で鈍く光を放っている。


「これでもう、あなたは僕から逃げられない」


 笑いを含んだ声で言うと、男はゆっくりと首を傾げて。

 次の瞬間――わたしは彼に唇を奪われていた。

 驚いて押し戻そうとするも、覆いかぶさる様に抱きしめられてしまい、身動きが取れなくなってしまう。


「綾音……」


 呻くように言うと、彼はわたしの唇を優しく吸った。

 繰り返し角度を変えて、まるで宥めるように、何かを問いかけるように。


「あなたは、僕のものだ」


 掠れ声で囁くと、男の舌は歯列をやすやすと割り、わたしの上顎をゆっくりと辿った。

 そして、そのままわたしの舌を絡めとる。

 次第に深まる口付けに、わたしは指先から溶けてしまうような錯覚に陥った。

 緩慢な動作で唇を吸われて、身体から力が抜けてゆく。

 冗談じゃないと思いながらも、何故か足が萎えてゆく。

 どうすることも出来なくて、わたしは溺れる人の様に男の身体にしがみ付いた。


「綾音、誓うんだ……」


 男がうわ言の様に呟いた。

 彼の膝がわたしの膝を割り、互いの足と足とが絡み合う。

 少し身を硬くしたら、宥めるように背中を優しく撫でられ、彼が低くため息をついた。


「あなたは僕のものだと、そう誓え」


 頭の芯がじんわりと痺れて、わたしは耐える様にきつく目を瞑った。

 その刹那、瞼の裏に白い閃光がパチッと弾ける。

 その光は、ひらりひらりと舞い散って、やがて桜の花びらとなった。


――あの桜の森へ行ってはいけないよ


 頭の中で、誰かがわたしに語りかける。

 視界いっぱいに広がる、満開の桜の森。

 聞き覚えのある、懐かしい声音。

 なぜ、と聞き返すわたしに、その声は答えて。


――だって、あの森には鬼が棲んでいるから……

 

 軽く肩を揺さぶられて、わたしは喘いだ。

 ぼんやり目を開けると、こちらをうかがう様にして、サファイアの瞳が瞬いている。


「――誓って、綾音」

「ち、かう……?」

「“アキ、汝と契約す”」

「な……」

「“アキ、汝と契約す”。さあ、言うんだ、綾音……」


 甘く暗く響く、心地よい声音。

 酷く優しく、噛んで含めるように男に即されて。


「アキ、汝と、契約、す……」


 乞われるままに言うと、わたしは男の腕の中で意識を手放してしまった。

 

 

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