#01 光る男
地下鉄の階段を登りきった瞬間、あまりの暑さに驚いた。
なんなんだ、この日差しの強さは。
九月も終ろうかというのに、まるで真夏へ逆戻りしたみたいだ。
(家を出るとき、あんなに涼しかったのに……)
わたしはため息をつくと、羽織っていた上着を脱いだ。
駅前のロータリーにはバス待ちの長い列が出来ていて、そこに並んでいる人々もウンザリした様子で汗を拭っている。
この暑さを思うと、本気で学校をサボりたくなったけど、今日はそうもいかないワケで……。
(ちゃんとクーラーきいてるかなー、ゼミ室)
大学の埃っぽいゼミ室を思い浮かべつつ、わたしは憂鬱な気分で列の最後尾についた。
今日は講義に出るわけじゃない。
学校に着いたら、面倒な雑用がわたしを待っている。
というのも、先週ゼミを休んでしまった穴埋めに、資料室の片付けに駆り出されてしまったのだ。
先輩に聞いたら、作業は午前中には終るって言ってたけど。
(無理だろうなあ、多分)
半ば諦め気分で、わたしはバス待ちの列をぼんやりと眺めた。
通勤途中のサラリーマンやOL、それに制服姿の学生たち。
いつもの見慣れた風景を、何とは無しに目で辿っていく。
と、その時。
(……ん?)
わたしの視線はピタリと止まった。
妙な男がひとり、目に付いたのだ。
スラリとした長身に、喪服みたいな黒いスーツの後ろ姿。
“妙”とは言っても、背格好だけ見れば至って普通なんだけど。
(なんか、光ってる……?)
そう。
男は鈍く発光していた。
というか、少なくともわたしにはそう見えた。
初めのうちこそ目の錯覚かと思ったけれど、そんなわたしの考えをあざ笑うかのように、その光が次第に強さを増してゆく。
何がなんだかよく分からないうちに、やがて男が燦然と輝きはじめたのを見て、わたしは驚きのあまり口をポカンと開けてしまった。
(……何あれ!?)
その光景の異様さに、思わず後退る。
しかも、異様なのはそれだけじゃない。
わたしを更に驚かせたのは、周囲の人々の反応だった。
なぜか――皆一様に平然としているのだ。
男の真後ろに並んでる女子高生はダルそうに携帯を弄ってるし、すぐ横のサラリーマンなんて大きく伸びてあくびまでしている。
近くを行き交う人々の反応も似たり寄ったりで、誰一人男の方をチラとも見ようとしない。
(なんで!?)
わたしはすっかり混乱していた。
だって、意味が分からない。
誰か一人くらい騒ぎたてても良さそうなものなのに。
っていうか、こんなの不気味すぎるんですけど!
(……みんな目の錯覚だと思ってるとか?)
混乱した頭で必死になって考える。
それとも、おかしな人間と係わりたくないから、みんな見て見ぬフリをしてる、とか?
実は単純に誰も気付いてないとか?
(まさか! あんなに光ってるのに!?)
思わず自分につっこんで、わたしはハタと気がついた。
だって、これって。
この状況って、もしかして、もしかすると……。
(わたしにしか、見えてない……?)
そう思ってゾッとした刹那、突然男が振り返ったので、わたしは悲鳴をあげそうになった。
輝きの中心に佇む、スラリとした細身のシルエット。
“見てはいけない”と本能がわたしに告げる。
それでもわたしは吸い寄せらるようにしてその姿を見つめた。
目が離せなかった。
なぜなら……その男が水際立って美しい顔立ちをしていたからだ。
細面の輪郭に、涼しげな切れ長の目。
青白い光に包まれて、艶のある黒髪が濡れたように光っている。
肌は透き通るように白く、その瞳は海のように深く青い。
少し冷たい感じがするものの、その顔は一度見たら忘れられない、それこそ輝くような美しさだった。
――いや。と、言うよりも。
(実際、光ってるし!!)
心の中で絶叫する。
マジでなんなんだ、あの男は。
電飾じゃあるまいし、なんであんなにキラキラ光ってるわけ!?
そりゃビックリするほど見た目はいいけど、発光するとか怪しすぎるんですけど!
(あんなの絶対普通じゃないし……!)
だけど、そんなわたしの思いをよそに、男は射るような目つきでこちらをジーっと見つめてくるわけで……。
てか、わたしか?
わたしを見てるのか!?
――ア・ヤ・ネ
不意に名前を呼ばれて、わたしは目を見開いた。
直接思考に響くような、不思議な感覚に鳥肌がたつ。
これは声じゃない。
でも、声じゃなかったら一体なんだと言うのだ。
(しかも、どうしてわたしの名前知ってるの……!?)
わたしの体の全細胞が、ヤバイヤバイと騒ぎ出す。
だけど、焦る気持ちとは裏腹に、体がピクリとも動かない。
足が震えて萎えそうになるし、おまけに声も出ない。
(どうしようっ……!)
頭の中が真っ白になる。
周囲に助けを求めようにも、誰もこの異変に気がついていない。
いつも見慣れた日常から、今やわたしは完全に切り離されているのだ。
冷や汗が背中を伝う。
視線すら外すことが出来ずに、わたしは小さく喘いだ。
(……怖い!)
心の中で叫んだ、次の瞬間。
気がついたら、わたしは弾かれたように走り出していた。