1-2
「なるほど、そんな事がのぉ……」
何とか場を収めてカトゥが玉座に座り直した魔王に経緯を説明すれば、彼は仕方が無いなと困ったように笑った。
現在、王の間にはブンちゃんとカトゥ、そして玉座の前に直立している人族の青年のみ。他の兵士や侍女達は、ノドゥスが壊した召喚の間の修繕やらに駆り出されている。
「まあ、ノドゥスが召喚の間を破壊したもの、元を辿ればわしの為にした事であるし、今回は大目にみよう。して、そこの青年よ。名は何というのじゃ?」
そうして魔王が話を振ったものの、青年は一瞬きょとんとして自分の事かと尋ねて来た。
「お主以外に誰が居るんじゃ……」
「い、いやぁ……僕これでも三十超えてるので、青年って呼ばれる歳じゃ……」
「は!? 嘘じゃろ!? 精々二十代前半程度にしか見えんのじゃが!?」
「ははっ、良く言われます」
どこか遠い目をする青年に、言われ慣れてしまっているのかとカトゥは少し同情した。
だが、丸く線の細い輪郭と髭の無い艶のある肌、くりくりとした目元、そこまで高くない鼻筋は、何処をどう見ても十代……どれだけいっても二十代程度にしか見えない。
初対面で彼の年齢を間違える事無く言い当てる人物は、この世界の何処を探してもいないのではないのだろうかと、カトゥは密かに考えていた。
「と、とりあえず、僕は佐野と言います。こちらで言う異世界? で整体師と言う仕事をしています」
「ふむ、変わった名前じゃの。おっと、こちらも名を名乗っておこうかの。わしはこの城の主である魔王! 名を、かりゅぶ、か、かりびゅ……ブンちゃんと言うぞ!!」
(諦めないでお父様!?)
自分のフルネームを言う事を諦めてしまった父に、思わず頭を抱える。
「そして、この最高に美しくて、かっこ良くて、可愛い子が、わしの愛娘のカトゥじゃ!!」
(きゃああああああああ!! お父様大好きぃいいいい!!)
そんな呆れも、ブンちゃんからそう紹介された事で一瞬で吹き飛んで行った。基本的に、カトゥは父が大好きなのである。
「カントゥス・フォルトゥーナ・フルクトゥアトと申します。カトゥとお呼びください」
自身の事をべた褒めしてくれる父に心で黄色い声を上げながら、カトゥは名を名乗る。
「それと、父上の真の名は、カリブンクルス・フォルトゥーナ・フルクトゥアトです。まあ、父上はこちらの名前で呼ばれるのを嫌がりますので、ほとんど使われないと思いますが」
「じゃって、可愛くないんじゃもん。わしのぷりちーな見た目には、似合わんじゃろ?」
「あはは……」
可愛らしくウィンクを決めるブンちゃんに、佐野は困ったように笑う。
「ええと、ブンちゃん……様とカトゥ様ですね。あれ王妃様はご一緒じゃないんですか」
佐野の言葉に息を呑んだカトゥは、次の言葉を絞り出す事も出来なかった。
「……ああ、妻はもう亡くなっていての。今はわしとカトゥの二人だけじゃ」
そんなカトゥに代わり、ブンちゃんが答える。笑顔を作るその顔は、何処か寂しげで憂いていた。
「そう、でしたか……申し訳ありません、失礼な事を」
「なに、お主が謝る必要は無い。父娘が揃っておるのだから、母親の存在が気になるのはしょうがない事じゃ。それより、さっき言ったセイタイシなる職、一体どう言ったものなんじゃ?」
重くなってしまった場の空気を変えようと、ブンちゃんがそう尋ねる。
「あ、ええっとですね。簡単に言ってしまえば、体の不調を整えて元気にする職業です」
佐野がそう言うものの、当然ながらカトゥ達にはいまいち理解が出来ず、親子揃って首を傾げた。
「えーっと、なんて言えばいいかな……。例えば、腰元の骨のズレを矯正したり、筋肉の緊張を和らげる事で、肩こりや腰痛を改善する……って、わかりますかね?」
何とか伝えようとしてくれてはいるが、そもそも彼の言う整体の概念がない為、全くぴんと来ないのが現状だった。
「ふうむ、少なくとも、戦士や冒険者などのように戦いを専門とするものでは無いらしいの」
(生産職って訳でも無さそうだし、体を触るだけで食べていけるのかしら?)
彼が召喚されてすぐに触られはしたが、果たしてあの行為で職として成立しているのか。
「でも体の不調なら、魔法を使えば良いのではないのかしら」
「あ、そもそも僕の世界には魔法はありません。空想上のギミックと言うか、まあそんな感じの概念だけはあるけどって感じですね」
(まじで!?)
「あと、種族は人間、じゃなくて人族? しかいません。魔族も魔物もいません」
佐野の口から飛び出たとんでもない発言に、カトゥは驚愕する。ちらりと父の事を隠れ見れば、彼も同じような事を思ったようで、とてもショックを受けているようだった。
(いやまじか……魔法の無い世界なんてあるのね……え、魔法無いのにどうやって暮らしてるの? 想像もつかないんだけど……)
カトゥ達の生活は、基本的に魔法が使える前提である事が多い。その為、佐野の話にただただ驚くばかりだった。
「……とりあえずサノよ。本来であれば、目的から逸れた召喚という事でお主をすぐにでも、元の世界へ戻してやりたい所。なのじゃが……」
ブンちゃんの言いたい事が分かっているカトゥは、やれやれと首を竦める。
「今回の事で、ノドゥスが体調を崩してしまっての。サノを帰還させるには、召喚者であるノドゥス……あぁ、あの一人だけジジイがおったじゃろ? そやつが居なくては魔法を発動する事も出来んのじゃよ」
実はノドゥス、魔力の使い過ぎであれからすぐに倒れてしまったのだ。傍に仕えていた部下によって自室に運び込まれた彼は、現在進行形で看病されているらしい。
(なんだかんだ、部下達もノドゥスの事が大好きだからね……今頃、誰が看病するか喧嘩になってそうだけど……と言うかお父様ったら、またノドゥスの事をジジイって……)
「……っんん。父上、口が悪いですよ」
ノドゥスへのジジイ喚びに思わず吹き出しそうになったものの、何とか耐えたカトゥ。平静を装ってそう注意すれば、ブンちゃんはいたずらっ子のようにニシシと笑った。
「そう言う訳で、サノには当分の間、この世界で暮らしてもらわなければいかんのじゃよ」
「はあ、そうなんですね……。え、待ってください。僕これからどうすれば……?」
ここに来てようやく自身の現状が呑み込めたのか、一瞬で顔色が悪くなる佐野。そんな彼に、ブンちゃんがある提案をした。
「それに関しては、召喚してしまった側の責任として衣食住をある程度提供しよう」
「ほ、本当ですか!!」
「ただし」
途端、穏やかに話していた父の声色が変わる。佐野を値踏みするように見下ろしている表情も、幼い見た目からは考え付かない老獪さが滲み出ていた。
佐野もその変化に気付いたらしく、僅かに喉を鳴らして次の言葉を待っているようだ。
「魔王として、未知の場所から来た存在を、そう易々と受け入れる訳には行かんのじゃよ。よって、客人として迎え入れると同時に、暫くは監視をさせてもらうぞ」
良いな、と有無を言わせぬブンちゃんの言葉に、佐野もおずおずと頷いた。
(一国を背負う者としては、当然の対応になるわね。巻き込まれたサノには申し訳ないけど)
「しかし父上、彼を監視するにしても、ずっと城の一室に軟禁する訳にもいきません。何かお考えが?」
カトゥがそう聞けば、ブンちゃんはよくぞ聞いてくれたと、元気よく立ち上がる。
「そこでじゃ! サノ、お主が扱えるセイタイなる異世界の術、それを使って我が娘カトゥを笑顔にして欲しいのじゃ!!」
「……はぇ??」
彼にとっても予想外の言葉だったのだろう。口をぽかんと開けた間抜けな顔で、佐野はブンちゃんの事を凝視していた。
(と言うかお父様、それ例の件についての事ですよね? 私なんっにも聞かされていませんが?? なんで勝手に娘に謎の術をさせようとしてるんです??)
父が何をさせたいのか分かり、カトゥは頭を抱える。
「先日、ここから遠く離れた人族の王国で、舞踏会を開くと連絡があった。それに親子共々招待されたのじゃ」
固まったままの佐野とカトゥを尻目に、ブンちゃんは魔法を使って手元に一枚の手紙を呼び出した。
「おぉ……呼び出す魔法に、舞踏会の紹介状……ファンタジー世界で良くあるやつだ!」
(ちょいちょい思ってたけど、サノって適応力、順応性? が高いのかしら……なんにしても、ちょっと暢気すぎるような……)
魔法に目を輝かせる姿は、三十代と言う割に幼い顔と相まって猶の事子供っぽく見える。
「まあ、舞踏会とは名ばかりの、一種の見合いじゃ。あちらさんとしては、魔族との関係をより強固にしておきたいんじゃよ」
(あ~、行きたくないんじゃ~……!!)
ひらひらと手紙を振るブンちゃんの手元から目を逸らし、出来る限り視界に入れないようにした。
(それに、あの国って王族の人達は朗らかな人達ばかりなのに、そのた貴族が嫌味な人ばっかりだから行きたくないのよね……)
魔族と人族、姿形の非なる両種族は長い戦いの歴史を経て、友好な関係を築いている。同盟を結んで以来このような交流は頻繁に行われているが、その大半は魔王の娘との縁談が目的だ。
「この数百年の間に見合いは何度も行われておるが、その全てが破談で終わっておっての。その原因が、カトゥの表情にあるのじゃ」
「ひゃく……んん。表情、ですか?」
一瞬宙を見て固まった佐野だが、数度瞬きをして視線を肩を竦めるブンちゃんがらカトゥに移す。
「……皆、私のこの表情が恐ろしいと言うのです」
苦い記憶が蘇り、思わず眉間に力が入る。
これまで受けて来た数多くの縁談話、その全てが、カトゥの表情を理由に破談になっているのだ。
——「その……貴女が駄目な訳ではないのです……しかし、その……どんな話題を振っても、真顔で返事を返されるのが、ちょっと……怖い、です……なので、今回の話は、なかったことに……」
(城の皆は、気にする事ないって言ってくれるけど……でも、こう何回もお断りされると、ちょっと落ち込む……そんなに、私の顔って怖いのかしら)
数十年前に言われた言葉が、今もカトゥの胸の中でくすぶっている。
「それはまた、失礼な方もいたもんですね」
聞こえて来た佐野の言葉に、ハッと顔を上げた。カトゥが過去に思いを馳せている間に、ブンちゃんがあれこれと過去の事を話していたらしい。
彼の眉間には皺が寄り、怒っているようにも見える。
「じゃろう!? わしの目に入れても痛くないくらい可愛い娘を怖いなど、失礼極まりない連中じゃわい! ま、関わりの無くなった腑抜け共の事なぞ、今更どうでも良いがの!!」
(……なーんか色々恥ずかしい話をされた気がするけど、気にしちゃ負けよね! うん)
昔話の内容が気にはなったものの、あまり深く聞き返す事はしなかった。カトゥは何とも言えない居心地の悪さを誤魔化すように、腰に手を当てて可愛らしく怒る父親を宥める。
「何より、次のお縁談が破談になってしまえば、お見合い失敗記録が九千九百九十九回になってしまうのじゃあ」
(うっそでしょ私そんなに失敗してるのぉ!?)
わっと顔を覆って泣き真似をするブンちゃんの言葉に、カトゥは内心ギョッとした。確かに縁談は失敗続きだったが、まさか既に千回を余裕で超えているとは思わなかった。
「わしの可愛いカトゥがお見合い失敗九千九百九十九回記念を迎える訳にはいかん!! そこで、お主の出番じゃ!」
「えっ」
ビシッと音が鳴りそうな勢いで指をさされ、佐野が驚きの声を漏らした。
「お主は先ほど、セイタイは体を癒す為の物だと言ったの。ならば、カトゥの表情を和らげる事も出来るのじゃないかと思ったのじゃ!!」
(お、お父様……!! そこまで私の事を……か、感激ですぅううううう!! 一生お父様について行きますぅ~!!)
表情には出なかったが、心の中では滝のように涙を流す。
「まあ、つまるところ、これはお主へ向けた試練のようなものじゃ。セイタイを使って見事カトゥの笑顔を取り戻し、お見合い失敗九千九百九十九回を阻止して見せれば、正式にお主を客人として認めよう」
(そこまで失敗回数を連呼しなくても良くないですかお父様??)
「な、なるほど、そう言う事ですか……」
一方、無茶ぶりに近しい提案をされた佐野はと言えば、ブンちゃんの勢いにやや押されているようで、笑顔がぎこちない。
それでもすぐに真剣な表情になると、顎に手を当てて何かを考え始めた。
「でも、そうですね……表情を緩めるなら、顔の筋肉を解せば……いやでも、人間と魔族の体の構造が同じとは……でもぱっと見は人間と遜色ないように見えなくも……いやいや、あの鎧の下には人間とは比べものにならないくらいに凄い肉体があるかも……」
(彼なに、筋肉が好きなの? 恋してるの? それくらいずっと筋肉筋肉言ってる気がするんだけど??)
ずっと同じような事を呟いている佐野に、カトゥは呆れ半分、感心半分で溜息を吐いた。
「うん、僕の整体でも出来る事はあると思います」
「おぉ!! それは頼もしい限りじゃ!」
そう言って、佐野が柔らかな笑顔を浮かべる。期待できそうな彼の返事に喜び、ブンちゃんは玉座の上でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ですが、その……良いんですか?」
「ん? 何がじゃ?」
佐野の言葉に、ブンちゃんだけでなくカトゥも首を傾げる。
「僕は異世界から召喚されたにんげ……人族です。王女である娘さんを、得体の知れない相手に託してしまって……僕が悪い奴で、王女様に危害を加えるとか、考えないんですか?」
(……え、もしかしなくても彼、私の事を心配してくれてるの??)
申し訳なさそうな顔をしながらそう言った佐野に、カトゥは強い衝撃を受けた。これまで 魔族の戦士として尊敬はされど、王女として心配をされた事は無かった。
身近な魔族達からもそうなのに、まさか出会ったばかりの人族、それも異世界から来た青年からそんな言葉をかけられるとは夢にも思わなかったのだ。
(ええええ~?? めっちゃくちゃ嬉しいんですけど?? 初対面の、しかも異世界の魔族の王女なのに、純粋に心配してくれるなんて……感激なんですけどぉ……!!)
「っ、くっくっくっ……あっはっはっはっはっ!!」
涙が出るかと思うくらいに感動していると、突然ブンちゃんが大声で笑いだす。よほど面白かったのか、勢い余って玉座から転げ落ちてしまうほどだ。
カトゥはそれを軽やかな動きで受け止めると、今だひいひい言い続ける父親を椅子に座らせる。それに感謝を述べたブンちゃんは、目元に滲んだ涙を拭うと、人懐っこい笑顔を佐野に向けた。
「いやぁ、すまんすまん。まさか、娘の事を心配してくれるとは思わんでな。しかも、自分が悪い奴だったらどうする、とまで言うとは。くくくっ、サノ、お主面白い奴じゃの!!」
「あ、あはは、そうです、かね……」
ブンちゃんにそう言われ、佐野は照れたような困惑したような様子で笑い返す。そんな所も気に入ったのだろう、ブンちゃんは上機嫌で彼の事を見つめていた。
「ああそれと、先程サノの言っていた娘を預けて大丈夫かじゃが。そもそもカトゥはこの国一番の魔剣の使い手。並みの男なぞあっと言う間に真っ二つにして肉片にしてしまうから大丈夫じゃ!」
「とっても物騒ですね?」
「父上!!」
あんまりな言い方に、流石のカトゥも抗議した。
「肉片なんてとんでもありません。塵一つ残さず消滅させますから」
「もっと物騒!! 物が残らないだけまし、ってそうじゃない!!」
(あ、しまった。うっかり本音が)
鋭い佐野のツッコミに、カトゥは思わず口を手で押さえる。そのやり取りに、ブンちゃんはまた大笑いをしていて、もはや過呼吸になっていた。
「はー、はー……。頼むからもう笑わせんでくれ……ぷぷっ」
「別に父上を笑わせる為にしてる訳では……」
笑いが止まらない父親の姿に、カトゥは溜息を吐く。
「ふぅ、死ぬかと思ったわい。で、サノ。引き受けてくれるかの」
「……あ、はい。僕は大丈夫ですが、カトゥ様はそれでよろしかったですか?」
(こちらの意見も尊重してくれてる……や、優しぃ~!!)
カトゥが許可を出さなければ、佐野はブンちゃんの話を断るつもりなのだろう。こちらを見てそう聞いて来る彼に、カトゥは嬉しさで涙を流した。もちろん心の中で。
(って、駄目よカトゥ! 彼は監視対象、こんな事で絆されては駄目!!)
「ええ、私は構いません」
気を引き締めてそう返せば、佐野は少し安堵したようでホッと肩を撫でおろしていた。それを見ていたブンちゃんも、決まりじゃ、と立ち上がる。
「父上、玉座の上に立つのはおやめください」
「細かい事は気にする出ない! では、サノよ! 我等からの信用を得る為にも、頑張るのじゃぞ!!」
カトゥからの注意を受け流し、ブンちゃんが満面の笑みで佐野に告げた。
「はいっ! ご満足いただけるよう、精一杯やらせてもらいます!」
佐野の返事は、これまで以上に明るくやる気に満ちていた。
「あくまで監視をする為、ですよ。分かっているのですか?」
「もちろんです。しかし、カトゥ様のお体を触る事が出来るのが嬉しくて……」
つい力んでしまったと頬を掻く佐野に、カトゥは目元に手を当てて天を仰ぐ。
(んんんんん……単純にセイタイが出来て嬉しいって事なんでしょうけど、その言い方は誤解を招くわよ貴方)
ちらりと彼を見れば、自分の発言の危うさに気付いていないらしい。ぽやっとした笑顔で不思議そうにカトゥを見ていた。
「そう言えば、舞踏会のはいつ頃の予定なんですか?」
「ん? ああ日時はじゃな」
そう質問した佐野に、ブンちゃんは手にしていた封筒を丁寧に開くと、中にある数枚の手紙の字を目で追っていく。
「ええと……明日から数えて五日後じゃな!」
「うっそん」
(そんな直近だったっけ!?)
口には出さなかったが、カトゥも佐野と同じく、いやそれ以上に驚愕した。