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一一八〇年十月 「富士川の戦い」

治承四年十月 武蔵国


 頼朝軍は、下総国の千葉一族、相模国の三浦一族、武蔵国の秩父一族など有力豪族が中心になっているが、頭一つ抜けた力を持つのが上総国の上総一族である。上総氏が頼朝軍に入ったことで、他の豪族が争って追随した。頼朝軍を大きくした立役者といえよう。その上総氏の軍の中に、平時忠の次男・時家がいた。


 幼少のころから蹴鞠や管弦に没頭して、政治を学ばない時家に対し、時忠は愛想をつかしていた。しかし、あるとき道楽息子の持つ才能に目をつけた。芸達者で政治に興味を示さない時家は、親平家、反平家の関係なく交流し、親しく付き合いを持っていたのだ。


 時忠は時家をスパイとして利用した。後白河法皇に近づけることで、院の反平家行動を未然に察知。清盛による法皇幽閉に貢献させた。本来ならここでお役御免となるのだが、時忠はそうしなかった。法皇の一味として処罰し、上総国へ流刑とした。この処遇に対し嫡男の時実は時忠に猛抗議した。


「時家の手柄は官位を上げて報いるべきもの。それが流刑とは納得できませぬ!」

「頼朝を見張らせる。伊東祐親の目は節穴だった。そして、頼朝のように反平家の烙印を押された流人が坂東でどう扱われるか、時家を通じて知ることができる」

「父上は子を何だと思っているのです! 蕨姫を遮那王にやると言ったときもそう! 私たちの気持ちはどうでもよいのですか」

「平家にあらずんば人にあらず!!! 平家は虫けらのような、源氏に、頼朝に断じて負けてはならぬのだ!」


 時実の反対もむなしく時家は上総国へ流された。上総国では従四位下だった風雅人が来たということで、周りから歓迎され、上総氏当主・上総広常の娘を与えられた。このあたり、北条氏と頼朝の関係に似ている。


 時家は上総軍の中で一人、鎧兜を身に着けず、馬に揺られていた。蹴鞠を指先で回転させながら時家はつぶやく。


「頼朝の膨張に対して、平家は大軍を差し向けてきた。平家が勝てば御役御免で京へ戻れる。だが、平家が負けたときに、父上が打つ手を敵側で見るのも悪くない。天下という名の鞠の行方。特等席で見物させてもらうとしよう」


――――――――――――――――――――

治承四年十月 相模国 鎌倉


 鎌倉に入った頼朝は「平家軍七万迫る」の報を受けても、すぐには向かわず、大庭景親や伊東祐親ら、在地の親平家軍の討伐を命じた。だが、納得のいかない安達藤九郎盛長は頼朝に詰め寄った。


「もたもたと枝葉の軍を相手するなど時の無駄だ! 幹である平家軍主力を打ち破れば、枝葉は何をせずとも落ちる!」

「お前は単純だ。味方に勢いがあれば、すぐ気が大きくなる」

「そうじゃない! 軍略の進言をしている!」

「枝葉が無くなれば幹も枯れる」

「それは樹のことだろうが! 軍は違う!」

「お前の例えに合わせてやっただけだ。違うなら別の例えを探せ」

「ぐぬう!」


 甲斐源氏の武田信義から挟撃の誘いが来ても、頼朝は後回しにした。そして、たった数日の間に大庭・伊東の軍を破り、相模・伊豆両国に残っていた親平家勢力は消滅した。


「私はもたもたしていたか? 藤九郎」

「こんなにたやすく勝つとは…」

「お前がくやしそうな顔をしてどうする。簡単なことだ。伊東たちには戦う気がなかったからだ」

「そんな事があるか! 負ければすべてを失うのだぞ」

「平家軍が来ていない場合はそうだ。だが、平家軍という希望が闘志を奪った。伊東は平家軍に合流することしか、考えられなくなった。逃げようとする相手を討つのは狩りと同じ。来るべき場所で待ち伏せていればいい」

「それで、平家軍を後回しにしたってことか」

「それだけじゃない」


 頼朝は武田信義からきた書状を藤九郎に見せた。そこには、平家軍に対し挑戦状を送り付けたが、平家が軍の作法を無視して使者を斬ったと書いてあった。


「向こうは盛り上がっているな! 今でも決戦が始まりそうだ。佐殿、急ごう」

「ああ、ただし布陣するのは敵から十里離れた場所だ」

「それじゃ戦が始まったときに出遅れる。間には富士川も挟んでいるのだぞ」

「布陣した時点で勝ちは決まる」

「離れていて、どうやって勝つというのだ?」

「理由はこの書状に書いてある」


 藤九郎は目を皿にして何度も読んだ。


「わからん、さっぱりわからん! 見えないような小さな文字で書いてあるのか?」

「目で読まずに頭で読め、阿呆。さあ、行くぞ」


 頼朝は全軍に進軍を命じた。


――――――――――――――――――――

治承四年十月 駿河国 富士川


 富士川を挟んで西岸が平家軍。東岸に甲斐源氏軍。鎌倉軍は富士川から離れた黄瀬川に布陣した。頼朝軍四万が来たのは立ち上る砂塵で、平家軍にも察知された。布陣した日の夜、水鳥の羽音で藤九郎は目を覚ます。


「夜襲! 夜襲だ! 痛っ!」

「黙れ、阿呆」

「佐殿! あの羽音の大きさは敵が川を渡ってきたに違いない。迎え撃たねば!」

「甲斐源氏が夜襲したかもしれない。逆だとしてもこちらと平家の間には甲斐源氏がいる。さっさと、お前のような慌て者を静かにさせろ」

「佐殿は?」

「夜は寝るものだろう?」


 頼朝が動じずに寝たという話が広まると浮足立っていた武士たちも落ち着きを取り戻した。


 翌朝、頼朝軍は捕えた伊東祐親を連れて富士川西岸に向かった。


「頼朝、平家軍七万を見て腰を抜かすなよ! 昨晩、夜襲があったそうではないか? ほれ見ろ! 甲斐源氏の影も形も無い。負けて逃げ散ったのだ。次はお前の番だ。フハハハ!」


 祐親の言葉を無視して頼朝は黙って軍を進める。甲斐源氏の陣地に入ると、死体がいくつも転がっていた。隣にいる藤九郎の胸中に不安が広がる。


「佐殿、まさか、祐親の言う通り…」

「前をよく見ろ、阿呆」


 対岸の平家軍陣地からも人の姿が消えていた。その意味がわかったのだろう。祐親が腰を抜かしてへたりこんだ。


「へ、平家が負けた…」

「甲斐源氏がいないのは追撃しているからだ」

「では、昨夜の夜襲は甲斐源氏のもの…」


 藤九郎が首をかしげる。


「それはおかしい! だったら甲斐源氏の陣地に死体が転がっているはずはない」

「夜襲を仕掛けたのは平家だ。退くためにな」

「七万の大軍がいるのに、退く理由があるのか?」

「七万というのは平家が作り上げた幻影だ。平家が追討を決めてから、まだ一ヶ月。京に七万もの兵を集めるには時が足らず、進軍しながら兵を集めるしかない。先に七万という数を示すことで、平家の強大さを誇示し、祐親ら東国の親平家の豪族を励ます」

「バレたら終いだろう?」

「移動し続ける七万の兵など誰も数えることなどできない。一万もいればそれっぽく見える。だが、平家軍の大将は不安だったろう。私の軍は四万。甲斐源氏も一万は超える。そんな平家軍が望みにしていたのは何だと思う? 祐親、お前たちだ」

「平家がわしらを望みに…」

「お前らが山に籠って粘り、余の背後をおびやかせば、平家にも勝機はあったかもしれない。だが、お前らは平家と合流することしか考えず、軍を消滅させた。急遽かき集めた平家軍のほうでは、敗北の影が首をもたげると、抜け陣が出てくる。そして平家軍はやせ細っていく」

「わしが平家を負けさせた…」

「なるほど、枝葉を切って幹を枯らすとはそういう意味だったのだな! だが、ここまでの話は佐殿の読みにしかすぎぬ。実際はどうかわからぬではないか」

「武田信義が確かめてくれた」

「確かめたって…、あの書状には使者が斬られたことしか…」

「それが答えだ。あの時、平家軍に対峙していたのは甲斐源氏一万。平家が大軍ならば、使者に軍勢の多さを見せつけてやったほうがいい。それだけで甲斐源氏への脅しになる。だが、平家の大将はそうしなかった。なぜか? 知られれば弱みになるほど、兵の数が少なかったからだ」

「そして、佐殿の軍が来たのを知った平家軍は夜襲を仕掛けるように見せて退却した。それがわかっているから佐殿は動かなかった。平家を迎撃しに行けば、平家のいない闇夜で甲斐源氏と鎌倉軍の同士討ちが起こる。ここに転がっている死体も同士討ちのものか…」


 腰を抜かしていた祐親が、気力を振り絞って立ち上がる。


「たいした慧眼だ。もう平家は来ぬとなれば、わしの負けだ。さあ、首を斬れ。貴様の子・千鶴丸を殺した罪を償おう」

「お前が殺したのは八重の子じゃない。鶏だ。祐清に免じて命は取らない。償いは働きで返せ」

「そうだったのか…。佐殿、この祐親の完敗でございまする」


 祐親は膝から崩れ落ちると頼朝に平伏した。

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