一一八六年~一二〇〇年 「頼朝の敗北」
文治二年 上総国 平信時(時家)邸
平時実は案内された館の大きさに戸惑っていた。
「流人には贅沢すぎるのではないか?」
「私はほとんど鎌倉にいます。兄上がお使いください」
「死一等を減じ、配流先を上総国にしたのは、そなたの働きか? 時家」
「平家が滅んだ後、名を改めました。今の名は信時です」
「名を捨てて頼朝に忠誠を示し、助けてくれたのだな」
昨年、源義経とともに四国を目指した平時実だったが、荒波で義経の船団は転覆。皆、散り散りになった。時実は義経を逃亡しながら義経を探していたが捕縛された。そして今、上総国へ流されてきたのである。
「父上から知らせがあったときは驚きました。真面目で従順だった兄上が逆らうなんて。兄上は父上に詫びさせたかったのですか?」
「いや、父上の詫びる顔は見たくない」
「私はずっと見たかった。日本一身勝手な親でしたからね。でも、想像の中で見ようとしても、思い浮かぶのは、あの傲慢な顔だけ」
「違いない」
兄弟は久しぶりに笑いあった。
「私は父上に偉そうに言ったが、義経と共に逃げることさえできなかった。口だけで何も変えることはできなかった」
「そうとも限りません。父上からの書状です」
時実が書状を読むと、そこには『駒が人に見えるようになった』と書かれていた。
「父上を変えられました。詫びの言葉は一言もありませんが」
「父上…」
「兄上の命乞いをしたのは父上です。配流先から朝廷に手を伸ばして。まったく、とんでもない流人です」
「感謝…いたします…」
時実は書状が時忠であるかのように頭を下げた。
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文治二年 能登国 平時忠邸
雪が降り始めるころ、時忠の屋敷に山伏姿の源義経があらわれた。奥州へ落ち延びる道中に寄ったという。やつれた顔で義経は時忠に問うた。
「どうすれば頼朝に勝てる? 知恵が欲しい」
「流れが変わるまで待て。今の頼朝は平治の乱を制したときの清盛公と同じ盛運の中にいる。流れに逆らえば、海で難破する不運にも襲われることになる」
「いつまで待てばいい?」
「頼朝は二十年待った」
「二十年…」
「気が遠くなる。だからわしは勝負を降りた。もう一つの道は頼朝が思いも及ばぬ所で力を蓄えることだ」
「それはどこだ?」
「大海を超えた唐土の国」
「馬鹿馬鹿しい。話にもならない。時忠殿も耄碌したようだ」
「義経、奥州に行ってもむやみに動くな。そなたの軍才はイカサマでできた幻。動いた分だけ滅びに近づく。生きることだけ考えろ。これは知略ではない。義父としての本心だ」
「もうあなたの指図は受けない。ゆくぞ!」
義経は立ち上がると従者たちに出立を命じた。
「蕨姫は置いていく。耄碌じじいには世話人が必要だ」
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それからの時忠は、役人の仕事ぶりが悪いと、激怒する流人として、能登の人々から恐れと敬愛を受けながら余生を過ごした。
そして、文治五年二月。配流先の能登国で平時忠の命は幕を閉じた。時忠の死を聞いた頼朝が言った言葉が吾妻鏡に残っている。
『智臣の誉あるによりて、先帝の朝、平家在世の時、諸事を補佐す。当時と雖も朝廷の為に惜しむべきか』
平時忠の死後、嫡男の時実は赦免されて帰京。朝廷の中心にこそ戻ることはなかったが、公卿相手でも間違いあれば直言し、『心猛き人』と評される。晩年には従三位を叙位。
次男の信時(時家)は、頼朝に気に入られ、鎌倉幕府の儀礼や式典の顧問として活躍するが、時忠の死の四年後、若くして病死する。
蕨姫や他の遺族は、頼朝から返還された京の時忠邸で過ごしたという。
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建久六年二月 京 六波羅 源頼朝宿所
時忠の死から六年。すでに源義経も後白河法皇も奥州藤原氏もこの世にはいなかった。征夷大将軍となった源頼朝は東大寺再建供養のため上洛していた。しかし、真の目的は頼朝の長女・大姫の入内工作だった。
「義高を逃がしてから十年。何もしてこぬので不甲斐ない男とがっかりしていたが、嬢ちゃんが天皇の后になるのなら、むしろ良かった」
「大姫は拒絶している。病もますます重くなった。どんな医師を連れてきても治らない」
「そのことよ。ありゃあ恋煩いだ。死んだ義高を未だに想い続けている。生きているなんて伝えていたら、入内など絶対しなかった」
「余はどちらでもいい。お前らの好きにしろ」
「俺は鎌倉殿のほうが心配だ。ここ数年、笑った顔を見たことがない。医師に診てもらったらどうだ?」
「余が病でないことは知っているだろう」
梶原平三が息を切らせてやってくる。
「名医を見つけました。民を相手にしている貧乏医師ですが、京一番との評判です。大姫様の病が治れば、入内は決まったも同然。将軍家は万々歳。今、診てもらっておりますので、公方様から褒詞をいただけますか。医師も感激して励みましょう」
頼朝たちが大姫の部屋に向かうと、大姫の泣き声が聞こえてきた。
「平三。騙されて藪医師を連れてきたな! 嬢ちゃんが痛がっているじゃねえか!」
「いや、そんなことは…」
「おい、藪医師! 嬢ちゃんに触れるんじゃねえ!」
藤九郎を先頭に頼朝と梶原平三が部屋に入ると、藪医師と言われた男が丁寧に頭を下げた。
「義父上。ご無沙汰しております」
「その顔! お、おぬしはもしかして!」
「お前の勝ちだ。義高」
「清水冠者義高―――っ!?」
藤九郎は口をあんぐり開けたまま、梶原平三は何が起こったか理解できずにいた。
「この十年、何をしていた?」
「医術を学び、大人の顔に変わるのを待っていました」
「鎌倉に会いに来なかったわけは?」
「僕の顔を知る人が多く、医師として評判が上がれば、大人の顔になってもいずれ誰かに気づかれると思いました。梶原様に連れてこられてくる途中が、僕にとっての正念場でした」
「平三、怪しいと思ったか?」
「い、いえ、清水冠者義高は殺されたと聞いておったので、そんなことは頭の隅にも…」
「フフフフ。やはり、お前は大器だった。勝負に十年かけ、大姫が来るかどうかもわからない京で待ち続ける力を持っている。義高、十年やる。余を倒しに来い。父の仇を討ってみせろ」
「僕の願いが違うことはわかっているはずです」
「………。聞きたくはないが言ってみろ」
「大姫に僕と同じことをしてください」
「わかった。大姫はたった今、ここで死んだ」
「えっ!? 公方様、入内はどうなさるのですか! 某がこれまでにやった朝廷との交渉は!」
「死人をどうやって后にする気だ? 平三、公表の仕方はお前に任せる」
「ウ――――――ン!?」
「おい、平三! しっかりしろ! 平三! 平三―っ!」
卒倒した梶原平三だったが、義高の気付け薬で目を覚ますと、頼朝の忠実の御家人として命令を実行に移そうとした。それでも、京で急死では注目を浴びすぎるということで、急病に変え、数年後に鎌倉で病死させる形を取った。
京からの帰り道、頼朝に笑顔が戻るのを見て、藤九郎はホッとした。
「娘の幸せがうれしいようだな」
「義高に勝負にもいろいろあると教えてもらった。藤九郎、余はお前らと勝負をする」
「ハァ? どういう意味だ」
「己で考えろ、阿呆」
それからの頼朝は大型船造りに熱中した。周りは清盛公のように貿易でも始めるのだろうと思っていたが、藤九郎だけは頼朝の行動に何か引っかかるものを感じていた。
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建久九年十二月 相模国 鎌倉 大倉御所
頼朝が義高と会ってから三年後、頼朝は失踪した。残してあった紙には、『唐土へ勝負に行く。余は死んだことにしろ。理由は落馬・溺死・祟りでも何でもいい。お前らで勝手に決めろ』と書いてあった。鎌倉の近くの湾からは頼朝が建造していた大型船が消えていた。御家人による合議が連日続いたが、結局、唐土まで追いかけようという者もおらず、頼朝の病死とすることにし、嫡男の頼家を二代目鎌倉殿として担ぐこととなった。
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正治二年 京郊外 清水義高邸
「義父上、鶏に薬餌を与えないでください」
「数カ月ではどう育つかわからない。何年もかけ、交配を重ね。強さを見つける。それが闘鶏の醍醐味だ。なあ万鶴丸」
頼朝が鶏に話しかける。冤罪で追及されたときに死んだ千鶴丸の子だ。
「幕府を出し抜いてまで、やることが闘鶏ですか? しかも腕一本賭けて勝負しているんですって? 大姫が心配しています。銭なら僕が用意します」
「銭など無用。この身を賭ければこそ、心が爆ぜる」
清水義高と頼朝が話していると、武士が一人、ふらりと入ってきた。
「三年かけて唐土行きの布石を打っておきながら、唐土には行かない。してやられたよ。一年考え続けてようやく気付いた」
「賢くなったな、藤九郎。余に勝ったのは義高とお前だけだ」
「近頃、妙に頭が冴える。死が近づいているのかもな」
「なら、冥土へ行く前に寄っていけ。余と大姫に義高。我が家には現世からの流人、あの世の者しかいない。お前の来世を占ってやろう」
「鶏だけは勘弁してくれよ」
頼朝と藤九郎は大声で笑いあった。
―――――― 完 ――――――
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