一一八五年四月 「二手」
元歴二年四月 京 六波羅 平時忠邸
一ノ谷の戦いから一年。屋島、壇ノ浦と、大勝利を収めた源義経は源氏の大将軍として、京へ凱旋した。秘密裏に平家の情報を義経に流していた時忠父子も捕虜として京へ戻る。時忠は三種の神器のうち、八咫鏡と八尺瓊勾玉を無事に返還した功績もあり、罪が決まるまでは、自邸で閉門する程度の軽い処分で済んだ。
「さて、これで英雄義経は成った。巷で義経が何と呼ばれているか知っているか? 軍神だ! 時実、わしは神を造り上げた!」
「平家の命を生贄に捧げて、ですね…」
「覚悟を決めろ、時実。次はもう一人の神をこちらに引き寄せる。法皇だ」
「方法があるのですか?」
「義経に頼朝の命令より、法皇の意を優先させるだけでいい。あの君は、武家は物言わぬ犬でなければならないと思っている。だから、忠犬でありさえすればいい。すでに一年前に布石は打ってある。頼朝が、院から直接受けることを禁じた官位を義経に受け取らせた」
「次の手は?」
「無様に生き残った平家の棟梁を生贄にする」
壇ノ浦では平家一門が海へ身を投げ込み、安徳天皇も海底へ消えたが、宗盛は肥満した身体が沈まず、泳ぎも上手かったため生け捕りされた。
「宗盛を鎌倉まで護送するとき、義経の供回りに歴戦の勇士をつけて頼朝を討たせる」
「一か八かの賭けですね」
「義経にはそう言った。だが、わしと頼朝の勝負に運頼みの策はふさわしくない。義経が京を発った後、我が娘の蕨姫を義経に嫁がせたことを大々的に公表する」
「それでは、頼朝が義経を疑って会わないでしょう。なぜ矛盾したことをなさるのですか?」
「理由は二つ。一つは頼朝と義経の亀裂を深め、義経に覚悟を決めさせること」
「もう一つは?」
「わしから頼朝への宣戦布告だ。頼朝が討たれるとき、義経に負けたと思われてはかなわぬ。この婚姻で頼朝はわしが勝負相手だと理解する。ダーハッハハハ!」
六月、時忠の読み通り、義経は頼朝に会うことはできず、憎悪の言葉を吐いて戻ってきた。
八月、義経は検非違使・左衛門少尉に加え伊予守を受ける。
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元歴二年八月 相模国 鎌倉 大倉御所
京から戻った梶原平三景時が、流罪が決まった平家の捕虜のうち、平時忠父子だけが京に留まったままでいることを報告した。安達藤九郎盛長がうんうんとうなずく。
「鎌倉殿の言う通り、真の敵は時忠だった」
「梶原平三、余と義経が戦うとなったとき、御家人はどう動くか答えろ。そつのないお前のことだから調べているはず」
「それが…。様子見が多く、どちらに御家人が多くつくかは、まったく読めませぬ」
「馬鹿平三! あれだけ義経の悪口を鎌倉殿の耳に入れておいて、勝算が無いだと!」
「面目ない!」
「フフフフ」
「鎌倉殿、何を笑っているのだ」
「こうだ! 勝負はこうではなくては! 脳が臨界に迫り、心が爆ぜる!」
頼朝が出ていくと、藤九郎が梶原平三に頭を下げた。
「なぜ頭を下げる? 悪いのは義経の声望の大きさを読み違えた某だ」
「鎌倉殿のうれしそうな顔を久しぶりに見た。その礼だ」
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文治元年九月 京 六波羅 平時忠邸
平時忠は鎌倉からの使者を迎えると、不敵に笑った。
「梶原平三景時。頼朝の腹心のお出ましか。流罪の催促ではなさそうだな」
「某は知恵があると自負していましたが、時忠卿の掌の上で踊らされておりました。義経に某を侮辱させることで某の心を見事に操られた。ですが、今日は恨み言を言うために来たのではありません。主の伝言を持って参りました」
「頼朝の?」
「時忠卿に敬意を表し、二手で倒す。そう伝えろと」
「ほう、こちらは後一手だ。頼朝のことだ。見抜いてはいよう。だが決して防げぬ」
「厳しい手を打たれたと申しておりました。心が爆ぜる、と」
「狂人め。頼朝に伝えよ。わしの心も爆ぜている、とな」
梶原平三が去った後、時忠は時実を呼んだ。
「頼朝追討の院宣はまだか?」
「まだ後白河院が叡慮しているとのこと」
「チッ! ここにきてまた法皇か! 公卿を使って引き出させろ!」
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文治元年十月十八日早暁 京 六波羅 平時忠邸
「父上、昨夜に頼朝の手勢六十騎が義経殿の館を急襲しました」
「何だと!」
「安堵ください。義経殿は返り討ちにしました」
「フン、夜襲が一手とは、追い込まれて頼朝も知恵が枯れたか。義経は何をしている?」
「頼朝の非道な行いを訴えるため、院に向かっております」
「よし! これで法皇も頼朝追討の院宣を出すだろう。藪をつついて蛇を出すとはこのことだ。時実よ、これでわしの勝ちは決まった。ダーハッハハハ! ダーハッハハ……」
「どうされました?」
「違う。わしの知っている頼朝はそんな阿呆ではない。夜襲の一手は二手への罠…。だとすれば、院宣をもらえる状況になったのではなく、頼朝に院宣をもらうよう誘いこまれたことになる。時実、義経を止めろ! 今、院宣を受けてはならぬ!」
「ハッ!」
時実が出て行った後、時忠は頼朝の二手目を考えたがわからなかった。
(必ず何かある。わしの心が凍り付いたのがその証)
時忠は時実が戻ってきたときの表情で、院宣が下ったことを理解した。落胆している時忠とは対照的に時実は興奮していた。
「義経殿は院宣を掲げて兵を募っています。すぐに数千、数万の武士が軍神の元に集うでしょう。きっと父上の思い過ごしですよ」
「だと、いいが…」
数日後、義経の予想を裏切り、集まったのは三百騎だった。
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文治元年十月二十四日 相模国 鎌倉 勝長寿院
頼朝は、父・義朝の菩提寺・勝長寿院落成供養を行うため、義経を襲撃する数日前から、全国の御家人に鎌倉に来るよう命じていた。京から義経の挙兵および、頼朝追討院宣を知らせる急使が来ると、すぐさま頼朝は御家人たちに義経を討てと命じた。しかし、御家人二千九十八名のうち、応じたのはわずか五十八名だった。
藤九郎があきれて頼朝に言う。
「ほぼ、すべてが風見鶏ではないか」
「余と九朗の差は無かったということだ。風向き次第でどうとでも変わる」
「だから、一手目で鎌倉に御家人を集めたのだな。落成供養といえば、義経に心を寄せる御家人もやってこざるを得ない。集まったところで、義経を襲う二手目だ。義経が院宣をもらうころには、どこを見渡しても御家人はいない」
「少しは賢くなったな、阿呆」
「くっ!」
梶原平三がやってくる。
「鎌倉殿自らが出陣されると聞いて、腹を決めた御家人が出てきました。後は放っておいても、風になびいてくるかと」
「藤九郎、賢くなった褒美だ。先陣を命ずる」
「おう!!」
勝長寿院落成供養から五日後、頼朝は京へ向け大軍を発した。
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文治元年十一月三日 京 六波羅 平時忠邸
時忠と時実は御家人が集まらない理由がわかると、館を出ることを決めた。ただし、二人の行く先も目的も違った。時忠は配流先の能登へ。時実は義経と西国へ。
「なぜ晴れ晴れした顔をしているのです。父上は悔しくはないのですか」
「わしが全身全霊で考え抜いた一手を、頼朝は鮮やかに破ってみせた。完敗だ。悔しさより清々しさを感じる。こんな気持ちにさせられては勝負をする気にならぬ」
「まだ、勝負は終わっていません。四国・九州に行けば兵は集まります」
「京を捨てることは、法皇を捨てることに等しい。賊軍では流れを変えられぬ」
「だからといって義経を捨てるのですか! 私は平家を裏切った時から、ずっと苦しんでいた! 父上のように考えられなかった! 父上、これが今生の別れになるでしょう。私の最後の言葉を受け取ってもらえますか」
「聞こう」
「人は駒じゃない! 蕨姫も! 時家も! 平時実は最後まで義経と、いや義弟と共にします!」
「しかと、受け取った――時実、身を大事にしろ。武運を祈る」
「父上も」
「流罪には慣れておるわ」
時忠は苦笑しながら時実を見送った。