一一八四年一月 「負けて勝つ」
寿永三年一月 摂津国 福原 平時家邸
平時忠が木曽義仲から届いた書状を破いたので、時実は驚いた。
「ようやく義仲から和議を受けると申してきたのに…」
「二手、遅かった。義仲による法皇の幽閉が遅れ、頼朝が米を餌に院宣を引き出した。そして、平家軍が鎌倉軍より早く京まで迫れなかった。今の義仲など二束三文でも買わぬ」
「では、これからは頼朝と直接戦うことになりますね」
「義仲と違い、頼朝は源氏をまとめおった。しかも、頼朝は法皇を味方につけている。今の平家では源氏に勝つのは至難。だが、“わし”は“頼朝”に勝ってみせる」
時忠は義仲滅亡の報を聞くと、平家棟梁の宗盛の館に行き、平家軍の大将軍である平知盛を交えて戦術を進言した。
「福原は北には山が迫り、南には海が広がる要害の地。敵は東西から攻めるしかない。しかし、東西どちらかが敗れれば挟撃される」
「そんなことはわかっておる。今更、大納言殿に言われるまでもない」
「否。それこそが平家の勝機」
「なぜそうなる」
「平家には水軍がある。そして水軍は陸の軍より速い。挟撃されたと見せかけ、中央から海に出て東西に回り込み、勝って油断している敵を逆挟撃する。敵は海に逃げられずに全滅する」
「ふむ。だが、そう上手く軍を動かせるか…」
「中納言殿。平家は劣勢。守っているだけでは痩せていくだけだ」
「ううむ」
「源氏が平家を凌駕したのはなぜか? 奇策・奇襲で平家の大軍を破ったからだ」
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寿永三年二月 讃岐国 屋島 平時家邸
一ノ谷の戦いで「平家一門ことごとく討ち取られる」と言われるほどの大敗北を喫した平家は、屋島へ這う這うの体で逃げ帰った。時忠は敗因の責任を取らされ、閉門謹慎を命じられる。
「内府殿も中納言殿もひどすぎます。父上の献策を採ったのは大将軍の中納言殿ではないですか! それに、義経も義経だ! 父上の恩を忘れて、崖から奇襲を仕掛けてくるなんて。あの奇襲が無ければ父上の策は決まっていた」
「そうではない。わしの策は、知盛が言った通り、動かし方を少しでも間違えれば、大混乱をきたす危ういものだ。わしなら決してやらぬ」
「え…。では、なぜ、献策したのですか?」
「そして義経は恩知らずではない。わしの言う通り動いた」
「そんな…。まさか…」
「わしが源氏を大勝させた」
「平家を裏切ったのですか! 父上!」
「頼朝に勝つためだ!」
「平家を弱らせて、どうやって勝つといのうです!」
「平家はもはや人にあらず! 栄枯盛衰。勝者必衰。衰運の平家では源氏に勝てぬ。だが、わしと頼朝の勝負は別だ。平家が仕えぬなら、源氏を使えばいい。平家の血肉を義経に喰らわせればいい」
「なんてことを…。身勝手すぎます!」
「そう! そこだったのだ!」
「え!?」
「頼朝は身勝手で、わしは人に仕えていた。暴君と賢臣。その差で遅れを取った。もう、わしは宗盛には仕えぬ。宗盛が清盛公にほど遠い愚物で良かった。裏切ろうとも心が揺れぬ。微塵もな」
「父上は狂われた…」
「狂ってこそ、頼朝の読みを外すことができる。頼朝よ、勝ち続ける源氏を見ながら、せいぜい喜んでいるがいい。だが、強くなるのは頼朝ではない。わしの持ち駒、英雄義経だ! ダーハッハハハ!」
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元歴元年四月 武蔵国
頼朝の長女・大姫の婿という形で鎌倉の人質となっていた清水冠者義高は、父である木曽義仲が討たれた後、殺さるのを恐れて鎌倉から逃亡した。しかし、武蔵国で追手に捕まり、頼朝の前に引っ立てられた。頼朝は安達藤九郎盛長だけを残して人払いすると、義高に聞いた。
「義高、いくつになった?」
「十一です。なぜ、義父上は笑っているのですか?」
「お前が父より優れているからだ。幼い家人に身代わりにし、大姫に馬を用意させ、己は女姿で逃げる。他者から信頼される魅力があり、他者を道具にする身勝手さもある。知恵が足らず捕まったが、平治の乱のときの余に比べれば二歳足りない。年を重ねれば知恵も増える」
「僕を褒めているのですか?」
「お前には余の勝負相手になる才がある。生かしてやるから知恵を磨け。大人になり、勝てると思ったとき、余に挑んで来い」
「おい、何を言っている!」
「藤九郎。余の心を生かしたければ、黙っていろ」
「近頃、その言葉をよく口にするが、理屈がさっぱりわからぬ」
藤九郎が首をひねる。
「僕には義父上と勝負できる才はありません。すべて大姫が考えたことです」
「ほう、嬢ちゃんが! そいつはいい!」
「大姫にそうさせたのはお前の将としての才だ」
「将ではありません。夫婦としての情です」
「…残念だ。お前はここで死ぬ」
「死にたくはありません。大姫と再び会うと約束しました」
「ならば、余を倒せ。その他に手はない」
「僕も大姫も戦は嫌いです。他の方法を見つけて必ず会いにいきます」
「難問だな。余を倒すのと同じぐらい」
「それが僕の勝負です」
「フフフ、おもしろい賭けだ。乗ってやる。お前が勝負に勝ったら願いを一つ叶えてやる」
「ありがとうございます!」
義高は礼をいうと森の中に消えていった。
「藤九郎、義高は殺したことにしろ。大姫にも言うな」
「承知した。反乱することは無さそうだしな。しかし、嬢ちゃんがなあ。十一歳と八つの童同士で夫婦の情など湧くかね」
「不思議じゃない。余は十歳で浮気をした」
「十歳で? っていうか、浮気ってことは恋人が何人も!? やはり、鎌倉殿はどうかしてる」
藤九郎は改めて頼朝を狂人だと思った。