7、代償は求めない
「私のことより……ラオネ様は大丈夫ですか?」
「そんな騒がなくても、俺は仕事をしてきただけ」
仕事、彼がいう仕事はきっと殺しだ。この血も全てが彼のものではないのだろう。
「血……すごいですよ。手当します」
それでも放っておけない。彼を無理やり私の部屋に引っ張った。たしか医療箱が部屋にあった気がする。彼が左足を怪我しているのは確かだ。それだけは何とかしたい。怪我をしたことを知ってしまった以上、見て見ぬふりはできない。
「いらないよ。俺のじゃないから」
「知ってます。でも、足を痛めているようなのでそれだけでも手当させて下さい」
「……はぁ?」
突き放すように冷たく言ったラオネ様が一瞬目を見開く。それ以上は反抗せず、面倒くさそうな表情に戻る。抵抗しないことに安心しつつ、そのまま私の部屋で治療を始めた。
「痛いんだけど」
「少し我慢して下さい」
左足には小刀でも刺さったような傷がある。丁寧に消毒し包帯を巻く。文句を言うわりに痛がっているようには見えない。本当によく分からない人だ。
「で、手当までして何が目的なわけ?」
「えっと、特に目的はないですね。とりあえず治療できたので良かったです」
「何……アンタ結構お人好しなの」
淡い月明かりに照らされた彼の横顔は目に毒かもしれない。作り物のように整った顔はどこか憂いを帯びている。遠くを見つめる瞳には夜空の闇が映っていた。
「違います。さすがにあの状態の人を放っておく気にはなれませんよ」
「そ。でも、アンタは俺に聞きたいことあったでしょ?」
「聞きたいこと……」
そう言われ、何から聞いていいか分からなくなる。ここに連れてきた目的? それとも見逃した理由? 素直に答える気があるようには見えない。上機嫌そうに歪めた形の良い薄い唇が真実を話すようには全く見えなかった。
「私に何をさせようとしているのですか?」
「女中。この城の」
「……そうではなくて、本当は何の目的があって私をここへ連れてきたのですか?」
「別に。ただの気まぐれ。アンタなら殺しても殺さなくてもどっちでも良かったしね」
じゃ、行くから、と立ち上がるラオネ様を呼び止める言葉も見つからない。ぼんやり背中を見送っていると、ラオネ様が一瞬振り返る。
「花、もっと咲かせれば?」
目が合うとそれだけ言って部屋を出ていった。彼の言葉に立ち上がろうと力を込めた足が動かなくなる。
見られてた? それとも、元々知っていた? あの場には誰もいなかったけれど私は彼の気配には気づけない。いたとしても分からなかっただろう。
出しっぱなしの救急箱をのろのろと片付け始める。さっきまでそこにラオネ様がいたはずなのに、そこにいた形跡すらもうなかった。私の弱みは全て彼が握っているし、命を救われている以上逆らえない。何が目的だとしてもそのために動くことになるとほぼ決まったようなものだ。それとも、本当にただの気まぐれで私を助けたの?
結局、考えても分からない。そのうえ何だか眠くなってきてしまった。慣れないことしたせいだろうか。ベッドに前より少し重くなった体を預ける。細かった腕は人並みの太さになり、顔も少しだけ丸くなった。十分過ぎる程の健康体だ、これが自分だと今になっても信じられない気持ちに時折なる。
それに最近は、普通に眠れる日が増えてきた。もちろん悪夢に飛び起きる夜もあるけれど、毎晩魘されることはない。
無意識に握り締めていた右手を開く。いつか、この力のことを話しても皆は軽蔑しないだろうか? 多分、答えは出ている。全てを知って豹変するアリアさんもセザール様もルイ様もあまり想像できない。それ以上は考えるのが面倒になり目を閉じた。結局、その夜はあまりよく眠れなかった。
「フィオネちゃん、何だか眠そうね」
「少し寝付けなかっただけなので大丈夫です」
「そう? ねぇ、昨日フィオネちゃんが見てた花壇……」
もしかしてラオネ様が言ったの? 何を言われるのか体が強ばるのを感じる。不安が出ないように繕った笑みを浮かべ、次の言葉を待った。
「すごく綺麗な花が咲いてたのよ! 蜂が来るのも納得だわ」
「え……」
「あんなに素敵な花、城下にも咲いたらいいのに」
「そうですか……」
想像した言葉と違い、上手く言葉を返せない。あどけない笑みを浮かべて楽しげに言うアリアさんに強ばった体から力が抜けた。
「そっか! フィオネちゃんは知らないものね」
「何をですか?」
はっとした表情のアリアさんに軽く首を傾げる。
「フローレンスは花の国って言われるように誰もが花を愛してるのよ。そのうち宵花祭があるわ。とっても楽しいの!」
「宵花祭?」
「そう。この国で一番大きな秋にあるお祭りよ。宵闇に光る花が浮かんで本当に幻想的なの」
聞き慣れない単語に聞き返すと、アリアさんは軽く頷くと説明をしてくれた。光る花なんて聞いたことがないけれどそんなものがあるのだろうか? そう思いつつも幻想的な風景が容易に頭に浮かんだ。
「あ……! そうだわ、一緒に回りましょ! きっと楽しめるわ」
「私でいいんですか?」
「ふふ、もちろん。あなたがいいの!」
「……わ、私もアリアさんがいい!」
私の顔を見て少し驚いた表情をしたアリアさんは、いつもより大きな声でそう言った。その言葉に私も自然と弾んだ声が出る。嬉しいはずなのに何だか目の奥が熱かった。