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狼陛下と仮初めの王妃  作者: 涼川 凛
9/41

狼陛下の婚約者5

ガルナシア城の最上階、朝の廊下。


サヴァル陛下は定位置となった階段そばに立ち、今日もコレットを待っている。壁に背を預けて腕を組みリラックスしている様子は、コレットにはお馴染みになりつつある。


けれど、彼から醸し出される威厳と体を貫くような強い眼差しは、部屋を出た瞬間から感じられ、コレットを緊張させて足を鈍らせてしまう。食事の間で待っていてくれたら少しは気が楽なのにと思うが、陛下は一緒に行くと決めたらしく、毎朝同じ場所にいるのだ。


そんな陛下を見るにつけ、リンダは頬を赤らめながら言うのだ。


“陛下のご様子は、コレットさまへの愛情がほとばしるようにあふれ出ておられます~”と。


リンダにとってコレットは、陛下が恋い焦がれて妃に迎える人と思い込んでいるから、そう思うのだろうが。コレットにとっては“教育の成果を確かめられている”状態に過ぎなくて……。



「陛下、お連れいたしました」



先導していたリンダが微笑みながら辞して行く。


陛下と向かい合ったコレットは、ドレスの裾を少し上げて礼をとった。



「陛下、おはようございます」



頭を下げると艶やかな髪がさらりと揺れ、ふんわりと広がる石鹸の香りが陛下の鼻をくすぐる。


覚えたての作法で挨拶をするコレットを見て、陛下は少し口角を上げた。ひと睨みで飛ぶ鳥を落とすような狼の眼差しが、少しだけ和らいだ瞬間。


今日のドレスは、クリームイエローでレース飾りの少ないシックなもの。それがスタイルの良さを引き立たせており、なんとも美しい。


しずしずと歩く姿と丁寧な所作は、とても牧場の娘だとは思えず、どこから見ても貴族の令嬢のよう。アーシュレイの教育の賜物である。



「おはよう。ふむ、随分上達したな」



まさかの誉め言葉に驚き、コレットの胸がトクンと鳴る。アーシュレイに叱られて、ときに涙しながらも、がんばった甲斐があるというものだ。



「ありがとうございます! たくさん練習しましたから」



うれしくてたまらないコレットは、心からの笑顔を向ける。青い瞳をキラキラさせてほんのり頬を染め、はにかんだ笑顔は初めて陛下に見せるもの。


すると陛下はわずかに目を見開いた後、ふぃっと顔を反らしてしまった。



「……行くぞ。」



いつもと変わらない単調な声で腕を差し出され、コレットはそっと手を預ける。



偽物婚約者として城で暮らしはじめてもう五日めになる。初日に下りられずに泣いた階段は、今は陛下の支えも手伝って上手に下りられるようになってきた。


食事のマナーも覚えてひととおりの作法もでき、日々できることが増えていくのはとても充実感がある。それらは牧場の生活では味わえないことで、コレットはそれなりの楽しさを感じ始めていた。


そしてもう一つの変化。食事の席では威圧を感じながらも、少しずつお話ができるようになっている。


牧場での出来事や日常の他愛無いことをぽつりぽつりと話すと、極々たまに「そうか」だの「ふむ」だのと相づちを打ってくれる。煩いとも黙って食べろとも言われないので、迷惑ではないようだ。


でも普通ならクスッと笑ってしまうようなことでも、陛下は笑顔にならないので、ちっとも楽しんでいないようだが。


そんな会話とは言えない一方通行ばかりの朝食の席、牧場の緑の美しさを語っているとき、陛下がぽつりと言った。



「今は城の庭が美しいぞ」


「え、今なんておっしゃいましたか?」



デザートのフルーツを食べる手を止め、コレットはお茶を飲む陛下を見つめた。


短い相づち以外の台詞を言うのは、すごく珍しいことだ。つい確認してしまう。



「庭を散策するといい、と言ったんだ。庭師が心を尽くしている」



陛下はカップを置いて席を立ち、コレットの横に来たので慌てて立ち上がる。


見下ろしてくる紫色の瞳が、いつもよりも少しだけ柔らかいように感じるのは気のせいか。


まっすぐに立っている陛下の手が、何かを迷うように、コレットのほうへ延びかけては定位置に戻るを繰り返している。そのことに気づかないコレットは、じーっと見つめたまましばらく何も言わない陛下に対し、おずおずと呼びかけた。



「あ、あの……陛下、どうかなさいましたか?」



するとコレットの方へ延びかけていた陛下の手がぴたりと止まり、ぐっと拳を握って定位置に戻った。



「君は……かなり上達したから、もう出歩いても平気だろう」


「まさかそれは、今日からお散歩してもいいってことなんですか!?」



飛び跳ねる勢いで喜ぶコレットに対し、陛下は厳しい顔つきになり強い眼差しを向ける。



「そうだ。時間があるときはいつでも散策していい。だが、いいか。君は、決してひとりでは外に出るな。必ず、供をつけるんだ」


「え? 友……とは、友人のことですか?」


「違う、供だ。君がひとりで行動することは、私が許さない。本来ならばアーシュレイをつけたいところだが……今日はここでリンダが来るのを待ってろ。今朝の散歩は教育が始まる時間までの間だぞ。いいな?」


「はいっ」



アーシュレイには庭へ迎えに行けと命じておくと言い残し、陛下は食事の間から足早に出て行った。


あとに残されたコレットは、初めてのことにわくわくと胸を躍らせ、リンダが来るのを待った。



間もなく迎えに来たリンダとともに、城の正面玄関から外に出るコレット。


キラキラと光る朝の日が、やけに眩しく感じる。城には窓はあるが、やはり明るさが全然違うのだ。


外に出るのは、なんといっても五日ぶりこと。解放感が喜びに変わり全身を駆け巡り、牧場で暮らしていた時のように、清んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで伸びをしたくなる。


だがそれは、貴族令嬢としてははしたないことであり、静かに深呼吸するだけにとどめた。それでも十分に気持ちがよく、散歩ができる喜びを感じていた。


リンダは、そんなコレットの横に立ちにっこり笑いかける。



「さあコレットさま。陛下がおっしゃるには、右の庭園がオススメとのことですわ」



リンダが示す方、城の真ん中にある馬車道の並木の向こうには、白い柵と低木に囲まれた小さな庭園がある。


リンダはサヴァル陛下から散策の供を命じられた際、『右の庭園が美しい』と言われたのだった。普段の陛下はあまり表情がなくて何を考えているのかわからず、紫色の瞳はいつも鋭い光を宿しておりとても恐ろしい人だ。実際に会って、巷でうわさに聞いていた通りの人だと実感している。


それが、コレットに関することになると、少しだけ柔らかい瞳になるのだ。そんなところを見るたびにリンダは思う。愛情がじゃぶじゃぶと噴水のようにあふれ出ていらっしゃる!と。


主であるコレットは容姿は美しいけれど、それを鼻にかけないとても純粋で素朴な人だ。仕え始めてたった五日しか経っていないが、リンダはコレットのことが大好きになっている。そして、他の誰でもないコレットだからこそ、陛下に恋をされたと思うのだった。



「コレットさま、仲が良くなった侍女が申しますには、内戦が始まる前は、あの庭園でガーデンパーティを催していたそうですわ。今はサーラが満開だそうですよ」


「……サーラ? 聞いたことがないわ?」


「はい、異国の花ですもの。ガルナシアでは、あの庭園でしか見られないそうです」


「わあ、珍しい花なのね! それは楽しみだわ! リンダ、早く行きましょう!」


「はいっ、コレットさま」



弾んだ声で応えるリンダの瞳はキラキラと輝いており、コレット同様にわくわくしている様子。それもそのはずで、城へ奉公に上がったばかりの彼女も、仕事や環境に慣れるのに一生懸命なのだ。主であるコレットの前では泣き言を言わず、不安な素振りなど一切見せないが、それはもう、それなりに苦労しているのだ。だから仕事の一環とはいえ庭の散策は楽しみで、なによりも主の表情が明るいのがうれしいのだった。


ふたりは年頃の若い娘らしく、きゃあきゃあと楽しげに話をしながら馬車道の歩道を歩く。


クリームイエローのドレスを着て、豊かな髪を風に遊ばせるコレットは、馬車道に咲く一輪の花のよう。そのそばに寄りそうように歩く侍女も、ブラウンの髪をきっちりまとめた姿はつつましい美しさがある。


朝のまだ人気の少ない城の中、華やぐふたりはとても目立っており、見回りの騎士たちもふと立ち止まって見入るほど。


そんなふたりの横を、一台の馬車が正面玄関に向かってゆるゆると通る。


ピカピカに磨き上げられた鈍色の車体、貼り付けられた銀の紋章が朝日にあたって鈍く光る。馭者はきちんと正装をしており、ひと目で、高貴な人が乗っていると分かるもの。


その馬車の中から、歩道を歩くコレットたちを見る黒い瞳が、スッと細くなった。



「あれはまさか……あの娘が……そうか……」



唇をゆがめて苦々しげにつぶやく声は、もちろん、コレットたちには届かない。


馬車はガラガラと車輪の音を立てながら、玄関前のロータリーに入っていく。


正面玄関前でぴたりと止まった馬車から降り立ったのは、口ひげを蓄えた細身の紳士だ。


玄関からいそいそと出てきた役人が紳士の前でスッと礼をとる。



「ミネルヴァさま、おはようございます。今朝は、お早いお着きでございますな」


「うむ、少し用があって早く参ったのだが……その前に、少々花を愛でてくるとしよう」


「は? 花を、ですか。今朝は珍しいことをおっしゃいます」


「ああ、来る途中、珍しい花を見つけたのだよ。じっくり眺めて、美しさを堪能せねばなるまい」


「はあ……そうでございますか」



きょとんとする役人にニヤリと笑って見せ、ミネルヴァは踵を返して馬車道へ向かった。



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