突然のプロポーズ4
若い侍女はコレットよりも二、三歳年上に見える。にこにことしており愛想がよく、戸惑うコレットの手を引いて脱衣籠の前まで誘った。
「あの、準備っていったいなにをするんですか? あなたは?」
「私は侍女のリンダと申します。詳しいことは存じませんが、ここでお嬢さまの身なりを整えるように仰せつかっております」
“身なりを整える”
コレットは頭の中でこの言葉を繰り返した。
城の中に入り陛下に謁見するためには、わざわざ身を清潔にして整える必要があるということだろうか。
整えるというのは、もしや謁見するための特別な服に着替えるということか。それは囚人服だろうか。沙汰を言い渡されるだけなのに、こんな手順を踏むとは、きっと機嫌を損ねてはいけないからだろう。やっぱり狼陛下は恐ろしい人なのだと改めて認識する。
メガネの騎士は『すぐに帰れる』と言っていたが、果たして本当なのか。コレットは訝しく思い始めた。
そんなふうに悶々と考え事をしているうちに、身に着けていた木綿のワンピースはリンダの手によってするすると手際よく脱がされ、いつのまにか一糸纏わぬ姿にされていた。
「え、待って。ちょっと待ってください」
慌てて露わになった部分を腕と髪で覆い隠して、頬を染める。女性とはいえ、他人に裸を見られるのは初めてのことだ。
そわそわと落ち着かないコレットに対し、リンダは手慣れたふうでてきぱきとワンピースをたたみ、布と石鹸を準備している。
「さあ、こちらにいらしてくださいませ」
「あ、あの、いいです。洗うだけなら自分でできますから、あなたは離れていてください」
裸を見られた上に、触られるなど冗談ではない。赤ちゃんではなく、いつ結婚してもおかしくない体に成長しているのだ。
「それを貸してください!」
道具を渡してもらおうと手を出せば、リンダはそうはさせまいとばかりに背中に隠して首を横に振った。
「そういうわけにはまいりませんわ。清潔にすることもですが、お嬢さまの体をお調べすることも、このリンダは仰せつかっておりますので」
「へ? 体を調べるとは、それは、どういう意味ですか?」
「えっと、そうですわね。簡単に申し上げますと、お嬢さまのお肌に傷がないか調べる、ということですわ。さあ、お覚悟を決めて、どうぞ、私にお任せくださいませ」
布と石鹸を持って迫るリンダの瞳がキラッと輝き、コレットはこくんと息をのむ。
この仕事に関しては百戦錬磨であろう彼女の迫力に負け、渋々ながらも体を預けた。
髪はもちろん指の間、爪の間まで、すべての部分を丁寧に磨かれて湯船に浸かる。湯に浮かべられた薔薇の花からほんわりと甘い香りがし、コレットの身と心を和ませていく。
罪人なのに、こんなに贅沢なお風呂に入ってもいいのだろうか。そんな疑問がわくが、もうこの際身を任せていくしかない。そうだ、なるようにしかならない。
体からほかほかと湯気が立ち上り、どこもかしこもツルツルピカピカになったコレットは、ローブのような服を着せられて、お風呂の隣の部屋に入れられた。
そこにあるものを見て、声を失う。
壁側にあるクローゼットの扉が開けられており、赤や黄色に青など、色とりどりの服がたくさんかけられていたのだ。
「これが、囚人服、なの? まさか?」
首を傾げるコレットに、リンダは眉を下げて申し訳なさそうな顔を作る。
「急ぎの手配でしたので、種類が少ないのですわ。ですが、リストにあった色は全部取り揃えてございます。お嬢さまには、そうですわね……こちらがぴったりお似合いです!」
リンダが手に取ってびらっと広げたのは、目にも鮮やかなペールグリーンで、胸にも袖にも裾にもレース飾りが施されたもの。
コレットはリンダとドレスを交互に見て、目をごしごしとこすった。片目をつぶっても半目にしても、紛れもなく立派で豪華なドレスに見える。
到底牧場の娘が着るものではなく、ましてや、コレットは罪人だ。美しいドレスを着た姿を見て、怒りをあらわにする狼陛下を想像して震えてしまった。リンダの手配違いに間違いない。
「そんなの、着られません」
とんでもないですと言ってぶるぶると首を横に振ると、リンダは顔を曇らせた。
「まあ。お気に召しませんの?」
「そういう意味じゃないです。豪華すぎて、あの……」
なんと言えばいいのか。手配違いと言うには、コレットには分からないことが多すぎるのだ。
口ごもるコレットを見、リンダはクローゼットからピンク色のドレスを持ち出した。
「ではこちらは?」
「それも無理です!」
半ば押し問答となり、業を煮やしたリンダは「それでは問答無用ですわ!」と眉を吊り上げ、コレットにペールグリーンのドレスを強引に着せつけた。
そしてリンダの手は、コレットの顔と頭の周りを忙しなく動く。逆らうのを諦め、されるがままになるコレットだが、この部屋には鏡がないために自分がどんな状態にあるのかさっぱり分からないでいた。胸の中は不安しかない。
「さあ、出来上がりましたわ。完璧でございます」
やれやれと額の汗をぬぐう仕草をしたリンダに連れられ、コレットは建物の外に出る。
すると待っていたメガネの騎士は、姿を見るなり、ヒュウッと口笛を吹いて目を丸くした。
「あの、これはいったいどういうことでしょう?」
「さっき言いませんでしたか? 陛下に会うための準備ですよ。さすがリンダですね、完璧です」
褒められたリンダは少し頬を染めて、うれしそうに微笑んだ。そして、紙らしきものをメガネの騎士に渡している。
メガネの騎士はその紙を懐に仕舞って懐中時計を取り出し、スッと眉を寄せた。
「結構時間を取りましたね。急ぎましょう。陛下がお待ちです」
コレットは再び馬に乗せられて城の入口まで行き、お沙汰を申し渡される場所へ足を踏み入れたのだった。
「ここで、お裁きがあるの??」
コレットは落ち着かない心持ちで部屋の中を見回した。
『ここで待っていてください』とメガネの騎士に言われて入れられたのは、とても広くて豪華なお部屋。
てっきり謁見の間に行くものだとばかり思っていたのに、あまりに見当違いなことばかりで、これからどうなるのか予想できないでいた。
部屋の真ん中には革張りのソファセットが置かれていて、そばに猫足のチェストがひとつある。
床にはえんじ色の絨毯が敷かれている。うっかり躓いて転んでも、かすり傷ひとつ負いそうにないくらい、毛足が長くてふかふかなものだ。
壁には美しい花の絵画が掛けられ、金の刺繍の施された重厚なカーテンが窓を覆っていた。
コレットはどこにいればいいのか迷い、とりあえず廊下側の壁際にぴったりくっつくようにして立っていた。あんな高級そうな絨毯をガシガシ踏む勇気はない。
間もなく廊下から硬質な足音が聞こえてきた。それは早いリズムのもので、数人分の足音と思える。
それがこの部屋の前でピタッと止まり、コレットの緊張が一気に高まった。陛下が来られたのだ。
キィと蝶番の軋む音がして、内開きの扉が大きく開いた。
飴色の扉の向こうから姿を現したのは、黒い騎士服を身に纏ったサヴァル陛下とメガネの騎士。
陛下は部屋の真ん中まで歩いていき、くるっとコレットの方を向いて怪訝そうに首を傾げた。
「コレット・ミリガン。どうしてそんな隅にいるんだ。私の傍まで来い」
抑揚のない冷たい声が部屋の中に響く。
陛下はソファに座ることなくそのまま立って待っており、コレットは着慣れないドレスと、履きなれないヒール付きの靴に苦労しながら、ゆっくり歩いていった。
ふかふかの絨毯の上をそろそろと歩く姿を、陛下は無言のままじっと見つめている。
そのとんでもない威圧感と緊張で、頭がくらくらして足元がふらつきそうになる。それでもなんとか歩くが、足がもつれて、とうとう絨毯の毛足にヒールを取られてしまった。
「あっ」
転びそうになり、急いで体勢を立て直そうとするも、ドレスが足に絡まってしまってうまくいかない。
「きゃあっ」
わたわたと腕を動かしつつ前のめりに倒れていくコレットの視界が、ぽすんという衝撃とともに真っ黒に染まった。
「まったく、君は……こんな場所で転ぶとは。これは、しっかり教育しなければ駄目だな」
頭の上から声が降って来て、心臓がドクンと震える。
サラリと揺れる銀の髪が額をくすぐり、見上げれば、紫の瞳と視線が合ってしまった。
「あ……あ……」
なんということだろうか。不可抗力とはいえ、サヴァル陛下の胸に飛び込んだ形になっていた。
「も、申し訳ございませんっ。とんだ失礼をしました!」
慌てて離れようとするも、却って腰を引き寄せられてしまう。おまけに長い指が顎に添えられ、くいっと上を向かされた。
「私に顔をよく見せろ」
陛下の紫の瞳が、コレットを観察するようにゆっくり動く。
豊かで美しいブロンドの髪、長い睫毛に縁どられた青い瞳、ほんのり染まった頬、ピンク色の唇。白い肌は吸い付くように滑らか。それらひとつひとつの美しさを確認し、サヴァル陛下はスッと口角を上げて、手を離した。
「コレット・ミリガン。沙汰を申し渡す」
落ち着いた静かな声が室内に響き、コレットはきちんと居住まいを正した。
「……はい」
「君を、私の妃とする」
「え?」
告げられた言葉は、にわかに信じがたいもの。耳を疑いつつも、コレットは顔を上げた。
「あの……すみません。今、なんとおっしゃいましたか?」
「この国の王妃になってくれ、と言ったんだ」
「はい!? あの、王妃とは、そんな……わたしには勤まりません!」
「務まる務まらないの話ではない。これは、罪に対する償いだ。永遠ではなく一時的なもの。本物ではなく“仮”。君に拒否権はない」
身を射るような強い眼差しで見つめられ、コレットはその場に縫い止められたように動けなくなった。
「一週間後に儀式を行う。それまでに歩き方を覚えておけ。いいな」
サヴァル陛下はメガネの騎士に「後の処理を頼む」と命じ、足早に部屋を出ていった。
パタンと扉が閉まった途端、コレットはへなへなとその場に座り込む。ペールグリーンのドレスが、ふわりと花のように広がった。
「まさか、王妃だなんて……」
いったいどこをどう間違えて裁けば「妃」というお沙汰にたどり着くのか。陛下の頭の中を覗いてみたい気持ちになる。
一時的とはいえ、王妃とならばお側にいることになるのだろう。あの、恐ろしい狼陛下のお側に……。
コレットのうちひしがれる様子を見ていたメガネの騎士は、コホンと咳払いをした。
「あなたは、陛下に対して侮辱罪を犯しました。さらに服を染みだらけにしました。本来ならば投獄されて、服の弁償として科料されるところなんですよ? それが一時的とはいえ王妃となり、優雅な生活を送れるのです」
あなたは投獄プラス科料と仮の王妃とどちらがいいですか?と、騎士はメガネをぎらっと光らせる。
冷静な物言いだが、脅されているような気がする。コレットが何も言えずにいると、メガネの騎士はさらに言葉を続けた。
「あなたの容姿の美しさと、正直さを、陛下は見込まれたのです。これは、名誉に思うべきことですよ」
「わたしの、正直なところですか?」
「そうです。あなたは今日、ミルクのカメの数を誤魔化しませんでした。そこが、陛下の傍に置いてもいいと思わせたのです。嘘がつけない人が必要なんです」
メガネの騎士は、コレットの配達したミルクの数をチェックしていた。陛下はウソや誤魔化しが大嫌いなお方で、もしも数を誤魔化していたらどんなお沙汰になっていたか分かりませんよ?と言って、冷ややかに笑う。
「あ、ちなみに参考までに言っておきますが、陛下の服の弁償代は、全部で五百万シリンですので。お沙汰を受ければそれが免除されます」
五百万シリン……。一般的な家庭の一年ぶんの生活費に相当する。とても一度に支払える額でなく、あのとき勧めにのって誤魔化さなくてよかったと、コレットは心底思う。狼陛下のおそばにいるよりも、ずっとキツイ処罰になったかもしれないのだ。
この先どんな生活になるのか見当もつかないが、仮の王妃となる覚悟を決めたのだった。