突然のプロポーズ3
「ありがとうございました。明日は必ず規定通りに納めます」
役人たちに深々と頭を下げて納入を済ませ、コレットと荷馬車は小さな通用門を出た。
一つの心配事が取り除かれると、もう一つの不安が胸の中を占領する。
コレットは左右に伸びる灰色の城壁を見上げた。
道からはお城の屋根も見えないほどの堅牢な造りは、恐ろしくて強いサヴァル陛下のイメージそのもの。このお城のどこかに陛下がいて、自分の罪を裁いているのだろう。そう思えば、奈落の底まで気分が沈んでいく。
いったいどんなお沙汰が下りるのか。ニック夫妻に迷惑が掛かるものでなければいいが。
コレットは楽しみにしていた買い物をする気にもなれず、まっすぐニックの牧場へ戻った。
暗鬱なコレットをよそに、牧場はゆったりと平和に時が流れている。
さわさわと草を揺らして吹く風が、豊かなブロンドの髪をふわりと揺らす。牛の鳴き声に加え、首に着けたカウベルの音が耳に心地よく、欝々とした気分を少しずつ癒していく。
コレットはこの牧場が好きだ。優しいニック夫妻はもっと大好きだ。
もしも罪状が牧場に迷惑をかける様なものだったら、自分ひとりのものに変えてもらうよう強く願い出よう。
そう決意し、荷車を作業小屋に戻して馬を小屋に入れた。
家の中に入ったコレットは、ただいまの挨拶もそこそこにしてアリスに声をかけ、ニックの休む部屋に集まっていた。
ニックはベッドの中、アリスはベッドわきの椅子に座り、コレットは扉近くに立っている。
コレットが都であったことを話すと、最初笑顔だったふたりの表情からみるみるうちに色がなくなっていった。
「それは本当なの!?」
アリスはガタッと音をたてて椅子から立ち上がり、胸の前で手を組んでオロオロと部屋の中を歩き回った。ニックは苦虫を噛み潰したような表情をして、拳を握りしめている。
「畜生、俺が腰さえ痛めなきゃ。こんなことには……」
狼と怖れられる陛下に出会ったことも稀なのに、まさかミルクをぶっかけてしまうとはなんたることか。
ニック夫妻は驚くやら困惑するやらで、シュンと沈むコレットにかける言葉を失っていた。
「ごめんなさい。ミルクを失った上に罪まで犯してしまって」
「そんなことより、コレット。ほかにするべきことがあるよ!」
深々と頭を下げるコレットの両肩を、アリスはガシッと掴んでいた。その顔は青ざめているが、瞳には鬼気迫る光が宿っている。こんなアリスの表情を見るのは、四年前に戦場である都からコレットを連れ出してくれた時以来だ。
「あ、アリスおばさま? ほかにするべきことって?」
「今すぐ逃げなさい」
「は? おばさま、なにを言って……そんなことをしたら、ここに迷惑が掛かります!」
「いいから。早く荷物をまとめて。お相手は狼陛下と呼ばれるお方なんだよ。もしかしたら、首が飛ばされるかもしれないんだ。私はそんなの絶対嫌だよ!」
アリスは目に涙を浮かべ、頼むから逃げてくれと何度も言う。ニックも同調し、腰が痛いながらもゆっくりベッドから下りてコレットの手を握った。
「コレットのことは、娘同然に思ってるんだ。家族と一緒なんだよ。だから、今夜、闇に紛れて逃げてくれ」
さあさあ早く支度をして!と追い立てられるようにされ、コレットは戸惑いながらも自室へ入った。
外はいつの間にか夕暮れが迫っている。すべてを黒色で覆い隠す夜が訪れるのは、もう間近だ。
小さなバッグに荷物を入れながら、本当にこれでいいのかと思う。
ニック夫妻に迷惑がかからないようにと、決意したばかりではないか。それに、いくら恐ろしい狼陛下でも、ミルクをかけられただけで首を飛ばすなど、そんな無慈悲なことはなさらないはずだ。
なんらかの罰はあるだろうけれども。
「そうよ。やっぱりこんなのダメだわ」
荷物をまとめるのを止めて、コレットはニック夫妻のところに戻った。
声をかけようとするが、ふたりの様子を見て驚いてしまい、何度も瞳を瞬かせる。
アリスはフライパンを握りしめて窓の外を窺っているし、鍋を頭にかぶったニックは椅子を玄関の扉前に置いて座り、棒を持って真剣な表情で陣取っていた。
まさに臨戦態勢。コレットが無事に逃げるまで、城からの使者を入れないつもりらしいのだ。
いつ何時来るか分からないのに、騎士団を相手にしては敵わないと分かっているのに。
そんなふたりの気持ちをありがたく感じ、コレットはますます逃げない決意を固めるのだった。
「ニックおじさま、アリスおばさま。聞いてください! コレットは、絶対逃げません!!」
拳をぐっと握って見せ、力強い決意を示した。
暫し唖然としていたふたりが口を開き掛けると、外から馬の蹄の音が聞こえてきて、ぴたりと玄関の前で止まった。
扉がドンドンと叩かれ、ハッとした表情をして三人同時に扉に注目する。
「ガルナシア城より使者で参りました。コレット・ミリガンは在宅ですか」
返事をするよりも先に扉が開かれてしまい、昼間見たメガネの騎士が立っていた。その後ろには誰もおらず、どうやらひとりで来たようだ。
「ここにそんな名前の娘はおりません! とっとと帰ってください!」
扉の前に陣取り、ぶんぶんと棒を振り回しているニックを華麗に無視し、メガネの騎士は部屋の中を見回し、コレットを見つけるとスッと家の中に入ってきた。
「コレット・ミリガン。あなたに沙汰が下りています。城まで同行願います」
メガネの騎士は冷静な物言いで、コレットに城まで来るよう促した。
外の様子を慎重に伺っていたアリスは相手がひとりだと確信し、胸にちょっとした希望がわいた。メガネの騎士は細身で、パッと見はインテリ風な優男だ。もしかしたら、勝てるかもしれないと。ありったけの勇気をかき集め、アリスはフライパンを強く握りなおした。
「使者だか何だか知らないけど、コレットは行かせないよ。大事な子なんだから!!」
ぶるぶる震えながらもコレットの前に立つアリスを見て、使者のメガネがきらりと光る。
「彼女のしたことは侮辱罪に抵触します。罪は罪。償わねばなりません。詳しくは言えませんが、沙汰は簡単なことです。順調にいけばすぐに帰れますよ」
「簡単……なんですか」
これ以上拒み続けていると、アリスやニックまでもが罪に問われかねない。それだけは避けねばならないのだ。
「はい。分かりました。ね、アリスおばさま。どうか、退いてください。すぐに帰れるそうですから」
どうやら首は飛ばないみたいですと耳打ちし、コレットは優しいアリスの背中をそっと押して、メガネの騎士の前に進み出た。
涙を浮かべるふたりに向かって、笑って「行ってきます」と告げ、メガネの騎士に従った。
ハンカチ一枚持つことを許されず、コレットは馬に乗せられて山を下りる。びゅんびゅんと風を切って走るのが恐ろしく、目をつむって必死にしがみついて耐えているうちに、馬は大きな城門を潜っていた。
夜の闇に浮かぶ白亜のガルナシア城は、とても静かで不気味さを感じる。灯りの点る窓は僅かで、まるで誰も住んでいないように見えた。
そのまままっすぐ城に向かうかと思われたが、馬は道から外れていき、城壁近くにある教会ほどの大きさの建物の前で止まった。
「陛下に会う前に、ここで、少々準備をしていただきます」
馬から降ろされたコレットの頭の中に、大きな疑問符が浮かび上がる。
沙汰を言い渡されるだけなのに、いったいなんの準備がいるのだろうか?
メガネの騎士は建物の扉を開けて「よろしく頼みますよ」と中に声をかけ、コレットひとりが押し込まれた。
真っ暗な建物の奥から、ゆらゆらと揺れる炎が徐々に近づいてくる。小さな灯りで、ぼんやりと人影が浮かび上がっているが、遠目ではどんな人物なのか判別不能だ。
やがてコレットの前に来てスッと頭を下げたのは、燭台を手にした、上等な身なりの初老の紳士だった。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
「……はい。あの、なにが始まるんですか?」
訊ねても、なにも言葉が返ってこない。口止めされているのだろうか? どうして?
訳が分からないながらも後についてしばらく歩くと、初老の紳士がぴたりと止まって古びた扉を示した。
「この中へどうぞ」
「ここに……ですか」
「はい。私は入ることができませんので、おひとりでどうぞ」
「あなたは、中でなにをするのか、教えてくださらないんですね?」
紳士は無言のままゆっくりとうなずくので、コレットは意を決し、恐る恐る扉を開けた。
部屋の中は灯りが煌々とつけられており、暗さに慣れていたコレットの目がまぶしさでくらんでしまった。ちかちかちくちくと目が痛み、何度も目をこすりつつ瞬きを繰り返す。目を開けられないが、微かな湿気を肌に感じていた。
「あら、まあ! 素敵。とても綺麗なお嬢さまですわ!」
明るい女性の声がして、コレットの頭の中の疑問符が大きく膨れ上がる。なにをするところなのか、ますますさっぱり分からない。
徐々に目の痛みが取れてきたコレットが見たのは、お仕着せを着た若い女性と、ほわほわと湯煙の立つ大きなお風呂だった。