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狼陛下と仮初めの王妃  作者: 涼川 凛
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狼陛下の婚約者7

アーシュレイの厳しくてみっちりなダンス教育の中、コレットにとって束の間の休息になる三時のお茶の時間。


教育部屋まで来たリンダは、小さなテーブルの上にレース編みのマットをぴらっと広げた。


花柄のティーセットによく合うようにと、リンダ自身が用意したもの。テーブルと椅子以外何もない殺風景な教室でも、お茶をゆっくり楽しめるようにと、リンダなりのコレットへの心遣いだ。主人にはいつも笑顔で過ごしてほしいと思っていて、リンダ自身も常に柔らかい表情を心がけている。


そんなリンダだが、今日は少しむっつり気分を隠せないでいた。コレットのカップにお茶を注ぎながら、少し口を尖らせて言う。



「コレットさま。サーラが食べられることを、侍女の誰も知りませんでしたわ。“そんなこと知っていたら、ちゃんと話すわよー”とか、“それで、本当に食べちゃったのー?”なんて、笑われてしまいましたわ」



庭園での一件のあと、リンダはそれとなく仲良し侍女たちに聞いてみたという。



「あの髭のミネルヴァさまは、もとは農林業の大臣だったそうですの。うわさによりますと、内戦では陛下と敵対する勢力のほうに通じていたとか。降参したときに陛下に忠誠を尽くす誓約をして、どうにか刑を免れたそうなんです。表面的にはおとなしくしておられますけど、今でも陛下のことをよく思っていないに違いありませんわ」



だから、婚約者であられるコレットさまにいたずらをしたのですわ!!と忌々しげに言って、ティーポットをワゴンの上に戻した。そして気分を変えるように深呼吸をしたあと笑顔になり、コレットの前にお茶と焼き菓子を置いた。



「コレットさま、どうぞ」



コレットを見つめるリンダの様子は、さっきまでのむっつりした表情とはまるで違い、何かを期待するような気を放っている。


今日のお茶の時間にはなにやら秘密があるようで、そのワクワクとした様子がコレットにも伝わってきていた。秘密は、お茶だろうか。それともお菓子だろうか。



「ね、リンダ。今日のお茶はいい香りね。いつもと違うわ?」


「まあ! お気づきとはうれしいですわ! さすが、コレットさま。今日は、ローズティーにしてみたんです。これは今街で流行っていて、すぐ売り切れてしまうものなんですよー」



即座に破顔したリンダは、手に入れることができた時の武勇伝をひとしきり語りはじめた。今日のお昼はたまたま街に出る用があったので、ついでにお茶屋に寄ったのだと話す。



「……気づいたら、どこかのお邸の侍女も、お店に向かって走っていたんです。それも鬼気迫る表情で。ですから私、これは、あのお茶を狙っているに違いない!と確信いたしましたの。だからもう、負けるものかの一心で、一生懸命に走りまして。それで、最後の一個を掴んだんです!!」



身振り手振りも交えて楽しげに話すリンダに相づちを打ちながらも、コレットは亡き母のことを思い出していた。


彼女もお茶が大好きで、新茶を手にいれるたびに、すごくうれしそうに笑っていた。あの内戦さえなければ……と、今でも悔しく思う。



あの争いは、先代の国王が若くして急死した時に始まった。先代には子がいなかったため、次の王を決める際に有力者の勢力争いが激しくなったのだ。


長引き始めた争いに反王政派が便乗してしまい、内戦へと発展していった。


勢力は大きく四つあり、どれも力は同等で、長引く争いに誰もが疲れ『この内戦は終わらない』と諦めかけていた。


そのとき、新たな勢力が現れた。現王サヴァル陛下率いる騎士団だ。


全員が黒衣を纏っており“黒の騎士団”と呼ばれた騎士たちは、圧倒的な強さをみせた。瞬く間に各勢力を制圧していき、あっという間に内戦を終わらせたのだ。


その終戦の時、各勢力のトップが一堂に会して話し合いがなされたという。国民には詳細が明かされていないが、その密議のあと、サヴァル陛下が正式にガルナシア国の王となったのだった。



「こんな風にリンダが一生懸命手に入れてくれた、美味しいお茶を飲めるのも、平和になったおかげだわ」



コレットがしみじみと言うと、リンダも感慨深げにうなずいた。



「本当にそうですわ。陛下の、騎士団の皆さまのおかげです。でも考えてみますと、陛下は元々先代国王直属の騎士団長でいらしたお方。ミネルヴァさまのような貴族方からすれば、平民ですもの。そこが気にくわないのかもしれません。私たち庶民にとっては、争いを終結させたヒーローですけれど」


「そう、よね……」



カメの数を誤魔化すようすすめてきた街の人たちは、騎士団のことを尊敬していた。ニック夫妻も“今は、暮らしやすくなったなあ”と言ってよく笑っていた。


コレットには政治の難しいことはさっぱり分からないが、アーシュレイが言っていたことだけは、なんとなく理解できる。陛下をたぶらかして、国を牛耳ろうとする者たちから守らなければいけないと。


お沙汰で与えられた責務とはいえ、コレットは改めて決意するのだった。



「わたし、がんばるわ!」



胸の前で手を組んでリンダ相手に宣言をすると、教室の扉がコンコンと叩かれた。


振り向けば、開いたままの扉を肩で支えるようにして、アーシュレイが立っていた。手には、丸みを帯びた木の箱のようなものを持っている。



「さあ、おしゃべりはおしまいです。練習を再開しますよ。リンダ、ごくろうさまでした」



アーシュレイは扉を支えた姿勢のまま、リンダが教室から出ていくのを見送った。リンダは横を通りざまに少し頬を染め、それを見たアーシュレイは僅かに微笑んだ。



「さて、ダンスのことですが。ステップや基本動作は粗方できるご様子なので……今からは、パートナーと一緒に曲に合わせて踊っていただきます」



アーシュレイは丸っこい木の箱を開けて、楽器を取り出した。旅の楽団が噴水広場で演奏しているのを何度か目にしたことがある、楽器。バイオリンだ。



「まさか、それ……弾けるんですか……?」


「もちろんです。この私をなめてはいけません。幼いころは、楽師を目指したこともありますから」


「ええっ、騎士なのに、楽師を目指していたんですか??」


「その訝し気な顔。まったく信じていませんね? いいでしょう、短い曲をひとつ聴かせてあげましょう」



アーシュレイはバイオリンを構え、すっと目を閉じた。


彼の体をまとう気が静まり、部屋の空気がピンと張り詰める。


弦にあてた弓をスッと引くと、のびやかで優しい音楽が奏でられ始めた。そのさわやかなメロディは、草原を渡る風を思わせ、ゆったりとしたリズムは牧場で草を食む牛を思い出させた。


コレットの耳と心を魅了していくバイオリンの音。楽師を目指していたというのは伊達ではない。ガルナシアが、内戦もなく平和な国だったら、アーシュレイは騎士ではなく楽師になっていたかもしれない。


やがて曲が終わり、バイオリンを下して一礼した彼に、コレットは盛大な拍手を送る。


手が痛くなるほど叩きながらふと思う。アーシュレイが音楽を担当するのなら、誰がダンスのパートナーになるの?と。


その疑問は、音もせずに開いた扉の向こうにいた人物が、答えをくれた。



「久しぶりだな、アーシュレイのバイオリンは。廊下まで響いていたぞ。昔と変わらずいい音だ」


「いや、久しぶりなので、硬い音になってしまいました」


「そうか……だが、一曲弾いていたとは、少々遅くなったな?」


「いえ、一曲弾いたのは余興です。今から始めるところです。お願いいたします」



うむ、と短い返事をしてコレットの前に来たのは、銀の髪に紫色の瞳の人。そう陛下だった……。



いきなり陛下とのダンス!? 初めてなのに!? あまりの驚きでカチンと固まるコレットに対して、陛下は銀の髪をサラリと揺らし、流麗に礼をとる。


コレットもぎこちないながらもドレスの裾をあげ、挨拶を返した。



「君は、緊張しているのか? 一番簡単なステップだぞ」



震えるコレットの手を握る陛下の手は、大きくてあたたかい。リードも優しく感じるけれど、動きがぎこちなくて下手だから、怒られてしまいそうに思う。



「はじめてなので……その、下手で……すみません。他のお方と、練習したあとの方が、いいのでは……ないでしょうか?」



コレットが、消え入るような弱い声を出すと、陛下は華奢な腰に当てた手にぐっと力を込めた。


その影響で、コレットの体が陛下に密着してしまう。目の前に広い胸があり、ほとんど抱きしめられている状態になっていた。



「コレット・ミリガン。分かってないようだが。君の初めての相手は、ほかの誰でもない、常に私だ」



“下手なのは承知の上だ”と低い声でささやかれたあと、再びステップを踏み始めるが、緊張と胸のドキドキで、何度も足がもつれてしまいそうになる。


それでもなんとか一曲を踊りきり、互いに礼をして終えた。


ちっとも上手くできなかったけれど、ダンスを一曲踊り切った。そんな、ちょっとした達成感を味わいつつ、「終わった」とホッと息を吐いているコレットに対し、アーシュレイは「あと二、三曲踊りましょう」と言ってバイオリンを構える。



「えっ、もう十分ではないでしょうか」


「あなたは何を言うのです。あなたは、陛下と踊るようになれればいいんです。そうすれば、ほかの殿方など、動く南瓜に見えますよ! 文句のつけようがないくらい、すいすいラクラクステップが踏めるでしょう。何事も『習うより慣れろ』です。あなたのために、陛下がわざわざ付き合ってくださっているのです。無駄にしてはいけません。さあがんばりますよ!」



たたみかけられるように言われて圧力に負けたコレットは、ピシッと姿勢を正した。



「は……はいっ。お願いします」



それから『ダメです。まだまだです!』と叱咤激励されつつ十曲ほど踊り、コレットが身も心もクタクタになった頃、本日のダンス教育は終わりを告げられたのだった。


婚姻の儀式までは、あともうわずかである。



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