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パレットの憂鬱

 パレットの憂鬱




 すっかり暗くなった店内でパレットは灯りもつけずに何度目かの溜息をついていた。

 アニエスのいう事ももっともだと納得しつつも、踏ん切りがつかないからだ。

 ペートの行動や言動を、一つ一つ冷静に思い起こしてみれば、そのどれもがアプローチであることは間違いなく、そんな彼に対して見当違いな受け答えをしていたパレットを諦めることなく実に根気よく、アプローチを続けてくれていたのだ。

 そこまで思い至れば流石のパレットでも気が付いた。


 切り札となるカードは、もうとっくにパレットの手に委ねられていたという事を。


 所謂返事待ち。

 ペートはただパステルのリアクションを待っている状態だ。

 その事は今のパレットには巨石のように重くのしかかり、今にも音を上げてしまいたくなるほどに重圧(プレッシャー)となっていた。


「こんなことならいっそ押し倒されてしまえば楽なのに」


 不穏な事を呟きながら、また一つ。溜息を重ねながらカウンターの上に突っ伏して無為な時間を過ごしている。少なくとも母親が帰宅するまでは店番をしなければならず、勝手に店を閉めてしまう訳にもいかない為に、英気を養っているといえば聞こえはいいものの、実のところは他に頭が回らないというのがパレットの正直な心境だった。


「あんたねぇ、灯り位つけなさいよ」


 傍目から見ればすっかりとやる気の見えない店番の様子に、帰宅した母親は呆れながら、買い物籠をパレットに押し付けると


「ほら、パントリーに入れといで。店の方はアタシがやっておくから、せめてそれくらいはして頂戴」


 とパレットを追い出すように店の奥へと追いやった。


「あ、お母さん……今夜はアニエスのとこで夕飯呼ばれてるから――それと、もしかしたらだけど……今夜は帰らないかも」


「何だい。また随分と急な話じゃないか。まあいいさね。あんたも立派な大人なんだ、アタシはとやかく言わないから、好きにしたらいいよ」


「……引き留めたりしないのね?」


「ああ、しないよ。それよりほら、そんな恰好で行くわけじゃないんだろ? 早いとこ湯を沸かして着替えておいで」


「うん」


 パレットはそう答えて買い物籠の中身をパントリーにしまうと竈で燻ぶっている炭に薪をくべると大鍋に水を張り湯を沸かし身を清める準備を始めるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 パレットの自室にはあまり物が無い。

 寝台と小さな机と椅子があるほかは、精々箪笥が一つ置かれているくらいで、その上には毛糸玉の入っている大きな竹籠があるくらいだ。

 幼いころに父親を亡くしたパレットは質素に暮らす事に否が応でも慣れざる得なかったのだから、この質素な部屋はそういった彼女を取り巻く状況の副作用とでもいうのだろうか? 成人してからはあれこれと画策し、若干収入が増えたおかげで多少は増えた小物類があるほかは、おおよそ贅沢とは無縁の生活を送っていると言っても過言ではなかった。


 そんな彼女の前に置かれた包みは、彼女からしてみれば非常に高価なものだった。

 もっともこれらは偶然知り合ったエルフの好意で貰ったもので、彼女自身が買った訳ではないのだが、それでも情報にはなにかと気を遣っているパレットにはこの包みの中身がいかに高価なものなのか、十分すぎるほどに承知していたのだ。


 経木の包みを開けるとほのかに香る檜の香りが心地よく、その中に収められていたものはノーザ王国の首都、王都リオンでしか手に入らないはずの高級下着だった。

 ここ半年くらいで出回りだしたこの下着は、婦女子の間で最早伝説といっていいほどの評価を受けており、噂によれば恋の成就を助ける(まじな)いまで掛かっているとかいないとか。

 その噂の真偽はさておいて、実際にこの下着を手に入れて意中の相手と結ばれた者は少なくなく、パレットにしてみればむしろそちらの方面からこの下着の存在を知った位なのだった。


「随分小さいように見えるけど、こんなのつけれるのかしら?」


 湯で絞り出した手拭で身体中を清め、今は一糸纏わぬ姿となっているパレットは、恐る恐る小さな布塊を手に持って、静かに足を通すと恐る恐る引き上げた。


「え? 嘘……」


 とてもそのままでは入りそうも無いと思っていた小さな下着は不思議と引っ掛かることも無くまるで肌に吸い付く様に収まった。そして揃いの柄の胸当てをした時に、この品が出回っている品の中でも最高級品である装備化された下着であることに気が付いたのだ。

 彼女の記憶が正しければおよそ四銀貨するというこの最高級下着のセットは下手をすれば彼女の稼ぎ、一ヶ月分を上回る上に、本来であればリオンでしか買えない上に、発売されても即時完売してしまうほどに貴重なものだった。


「あ、ちゃんと王家の焼き印もあるわ!? でも、こんな高価なものをくれるエリスさんって一体何なのかしら? 姫様への贈り物の代金も事も無げに出していたけれど……実はエルフのお姫様、だとか?」


 類似品かと思って包みを見れば、そこには見慣れたものとそうでない紋章がそれぞれ一つづつ押されている。片方はノーザ王国のものであり、もう片方はこの下着の製造元らしいのだが、一介の工房が紋章を許されるなんて事が起こるのかと、パレットにしてみればそちらの方がエリスの正体より気になった。


「パレット、入るよ?」


「うん」


 軽いノックと共に掛けられた声は勿論この家のもう一人の住人である母親のもの。

 彼女は部屋に入ってくると、下着姿の愛娘を検分すると満足そうに頷いて


「ちょっと見ない間に立派になったじゃないか。これならもうどこに出しても恥ずかしくない。流石はアタシの自慢の一人娘といったところだね」


「なによ、もう。突然変な事言わないでよ」


「別に変な事ではないだろう? それよりそれがエリス様から貰ったっていう巷で噂の下着かい?」


「そう、なんだけど……これ多分普通に出回ってる物じゃないわ。とんでもない高級品のほうみたい」


「エリス様は特に何も言って無かったようだけどねぇ?」


「でもこれ、間違いなく王都でしか買えない四銀貨の品物よ?」


「はぁ~さすがは若様がやんごとなき身分のお方と言うだけの事はあるわけね。でも良かったじゃない、今夜はお前にとっても特別な夜になるかもしれないんでしょ? ほら、革屋のお爺さんも早速届けてくれたわよ」


 母親は服を着たパレットに手にした包みを渡すと、椅子に座らせて愛娘の髪を梳き出すのだった。


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