女の口に戸は立たず
女の口に戸は立たず
雛段のように作りつけられた棚には所狭しと鉢植えが置かれており、土間となっている床の上には沢山の水桶が並べられ、その中には沢山の切り花が投げ込まれている。
サイダの街唯一の花屋では、訪れた客の要望を聞いたうえ、予算と目的に合わせてその場で花束を組んでいた。
勿論そのように即興で花束を作るには、一朝一夕という訳にはいかない程度の知識が必要となるのだが、幼い頃よりこの店で育ってきたパレットにしてみれば、例えば息をするように自然と行える事だった。
パレットはこの店のカウンターを通して眺める風景が好きだった。
やや薄暗い店内から店の入り口を望めば、豊かな色彩のグラデーションが陰影を伴って光の中にフレームの如く飾るのだ。店の手前はハッキリと、入口に近寄るほどに次第に薄れる色合いと、影を増すコントラストがその先店の入り口周辺に置かれた鮮やかな花々を際立たせ、道行く人々はさながら花に飾られたフレームの中の一場面、その生活の風景を切り取った絵画にも見えるのだ。
晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日の、うつろう景色の一部を切り取って、彼女を空想の世界へと誘うのだ。
その日も彼女はカウンターの中に陣取って、先日からコツコツと編み続けている中折れ帽子の仕上げに取り掛かっていた。本格的な冬がやってくれば、この辺りの冷え込みは厳しいもので、山の上ともなれば街中とは比較にもならないほどだ。この仕上げが終わったら、革職人に頼んで外郭となる部分を作ってもらい彼女の考える帽子は完成となる筈だ。
水にも強い鞣革の外郭と、柔らかく温かな純毛のインナーをもつ帽子ならば、いかに山の寒さが厳しいと言え、随分とその冷気を弱めることが出来る筈だから。
山に入ることを生業とする山守達は中折れ帽子を好んで使う事が多く、この帽子をプレゼントする相手も、普段はそのような帽子を着用していることを、パレットはしっかりと把握しており、彼女の脳裏にはその真新しい帽子を被り、笑顔を浮かべた彼が仕事を終えて帰ってくる、そんな光景がありありと映っているのだった。
「……レット……パレットってば!」
「あ、あれ……? アニエス?」
「あれ? じゃないでしょう? パレット。しっかりしてよもう」
いつの間にか目前に現れた幼馴染はカウンターごしにパレットの額を軽く小突くと彼女の膝の上にある完成間近の編み物に気が付いた。
「なるほどね。大方完成したソレを渡すとこでも妄想していた、ってところかしら?」
「ば、馬鹿言わないでよ。別にそんな事は……」
「嘘おっしゃい。そのデレーっとした顔を鏡で見てきなさいよ。誰が見たって恋する乙女の顔だったって言うに決まっているわ」
パレットはどちらかといえば勝気な少女であったものの、今彼女の目の前にいるアニエスは、更にその上を行っていた。
両手を腰に当ててやや屈みこむ様にカウンター越しにパレットを覗き込むアニエスにパレットは苦笑いを浮かべながら椅子ごと後ずさると話題を変えるべくアニエスに切り返す。
「そ、そんな事よりどうしたの? アニエス。あなたが花を買いに来るなんて珍しいじゃない」
「――ま、いいけどさ。でも別に花を買いに来たわけじゃないんだ。あなたに用があって来たんだから」
「うん? ……私に?」
「そ。あなたに。ちょっと今夜時間あるかしら? いや、あなたが来ない事には意味がないから、来て貰わないと困るのだけど」
「え? 今夜? 随分と急ね」
「まあ、そうなるわよね。いいわ、あなただから言っちゃうけれど、どうもユーリがなんだかお節介を企んでいるのよ……春頃に、あなたとペートがしたように……」
「ア……あぁー」
アニエスの言葉にパレットは何かを思い出し、春の宴の頃に画策したことをありありと頭に浮かべていた。
簡単に言えば、ユーリとアニエスをくっつけたのだ。
そして彼女の言葉を察するに、今度はそのお返しとばかりに煮え切らないペートとパレットをくっつけよう、といったところなのだろう。
パレットは少し思案すると目を細めてパレットを注視するアニエスに、やや上目遣いで問いかけた。
「その、あの時の事……怒ってる?」
「馬鹿ね。怒ってる訳ないじゃない。そもそもあなただって私がユーリの事を憎からず思っていた事は知っていたじゃない、結果的には感謝しているくらいだわ。もっとも――ユーリがあそこまでケダモノだとは思ってもみなかったけどね」
アニエスの言葉に若干救われつつも、翌日出会った彼女が痛々しそうに歩いていたことを思い出し、パレットは改めて心の中で手を合わせた。
「とにかくそういう訳だから、ちょっと位は準備しておきなさいよ? いい加減ペートの気持ちには気が付いているんでしょ?」
「……うん。でもね? アニエス。私、この気持ちが本物なのか分からない……なんだか怖いわ」
遠回しな肯定をしながらに、自らの不安を語るパレットに、いよいよ呆れ顔のアニエスは
「散々デレデレした顔してた癖に、よく言うわよほんと。本当はあんまりせっつくつもりも無かったけれど、いい機会だわ。覚悟決めちゃいなさい?」
幼馴染はそんな言葉を諭すように告げると、「じゃあまた夜にね」 と店を出ていってしまったのだった。
再び一人になったパレットは膝の上の編みかけの帽子を手早く仕上げると、戸口に外出中の札を掛けて広場の方へと駆けていくのだった。