愛する故に
愛する故に
昨日言われた通りの時間に子爵城館を訪ねたパレットはどういう訳か屋敷の中へと案内された。
訳も判らず赤髪のメイド――ソルティについて歩くパレットは屋敷の中の一室に通されると少し待つように言われ、ソルティは再び部屋を後にした。
「凄い……お屋敷の中、初めて入ったけどなんだか違う世界に迷い込んだみたいだわ」
塵一つ無いのではないかというほどに掃除の行き届いた部屋には格子窓が取り付けられており、そこに嵌め込まれた硝子は極めて質の高いものだ。そういえば街の高台にある高級旅籠サイダの山百合では数年前に巨大な一枚の板硝子を窓にしたとして話題になっていたことを思い出し、パレットは噂に聞いたその硝子の価値を思い出すと思わず窓から後ずさり、ソファーへと腰を掛けた。
ふわりと包み込まれながらも適度な処でで沈み込むのをやめたクッションは、言うまでも無くパレットが座ったことのないような上質なものであり、これ一つでも目の眩むような価値があるのだろうと想像すると、なんだか急に落ち着かなくなるのだった。
「お待たせしました。さあ、ミリア様こちらでございます」
ノックと共に部屋に戻ってきたソルティに続き部屋へと入る二人の人物。
そう、パレットは思いもよらない人物と顔を合わすことになったのだ。
パレットより拳一つ半程度低い背丈のその少女は、明るい金髪を片側でサイドロールにまとめられていた。
自身の記憶が確かなら、つい先日に大都会シリウスよりこのサイダへとやってきた次期当主婦人――ミリア・グローリーからミリア・フレバーへと名前を変えたその人だった。
「まさか……姫様!?」
予想だにしなかったこの異例の会見に、パレットは慌てて立ち上がり恭しく臣民の礼を取ると、ミリアの手を取っていたもう一人のメイドに窘められた。
「今日はそのような席ではないと聞いています。ミリア様もそのつもりでいらしてますので、普段通り気楽に振舞うように」
「ほら、ライカさん。それでは却ってパレットさんが緊張してしまいますよ」
逆に若いメイドを窘めるソルティに対し、パレットの対面へと座ったミリアは笑いながら
「ソルティもその位にしてあげて? ライカも別に悪気があっての事ではないの。それに――お客様も驚いてしまっているわよ?」
可愛らしい瞳がパレットをチラリと窺うように向けられて、二人のメイドは恭しくミリアに礼をすると申し合わせたようにお茶の準備を始めたようだ。
「さて……パレットさん、でしたね。なんでもエリスお姉様からの贈り物を毎日届けてくださっているのだとか?」
お茶の準備を始めた二人を確認するとミリアはそうパレットへ切り出した。
「は、はい。エリス様からは一年間毎日お花を届けるようにと承っています」
「そう……本当に嬉しい限りだわ。エリスお姉様とはあまり長くを過ごしたわけじゃないけれど、こうして今でも私の事を妹のように気に掛けてくださっている。そしてその想いに応えるように、あなたも毎日素敵なお花を届けてくれているわ」
「その、喜んで頂けてるようで良かったです」
「ええ、とても。勿論お仕事という事も有るでしょうけれど、それでも丁寧に手入れされた花を見れば、それがいかに大事に育てられたか分かるものだわ」
「お褒めの言葉を頂けて、母もきっと喜ぶと思います」
「そうね。でも私が嬉しいのは、こうして新たな出会いのきっかけをくれるエリスお姉様の気遣いが嬉しいの」
「出会い、ですか?」
「そうよ、出会い。今日こうしてあなたとお話する機会があることも、そもそもこの家に私が嫁ぐことになったことも、もとを糺せばすべてエリスお姉様のおかげなの。ううん、それだけじゃないわね。そこに居るライカが私付のメイドとなったのも、ソルティが再び笑顔と声を取り戻すことになったのも、全てはエリスお姉様のおかげだわ」
ミリアの語るその言葉に、パレットは先日の店の存続の危機を思い起こしていた。
あのエリスというエルフが立ち寄らなければ、結納の儀をを飾る祝福の舟は、とても貧相なものになってしまっただろう。その危機を覆したのは間違いなく彼女なのだ。納品する花々を増やしただけでなく、こうして一年間毎日花を贈るという、ボーナスまで用意して彼女の家の一助となったのは、間違いのない事だった。
「わたしも、あの方には大変お世話になりました……」
「エリスお姉様は、出会いと愛を運ぶのよ。エリスお姉様に会ったのなら、一緒に居たメイドも見たかしら? 彼女は元々私の専属メイドだった。でも彼女は心に深い傷を負ったまま、深い闇の底に沈んだままの抜け殻だったわ。それを救い出したのもまたエリスお姉様……。そうやって次々と、周囲の者に出会いと愛を振りまいて、ご自身は苦痛の渦に身を置かれても、決して逃げ出すことは無い」
「お強いんですね」
パレットの言葉にミリアは優しい笑みを浮かべたまま静かに首を振り
「その逆よ。エリスお姉様はきっと誰よりも弱い。弱いからこそ、何かに傷つき怯えてる者を放っておけない。強いのはあくまでその意志で、事実お姉様は不安を一人で抱え込み、人知れず涙を流して泣いていた事もあったのよ」
「そんな事が……」
「あったわね。それにエリスお姉様は見た目ほど歳を取られていないわ。エルフということであまりそう感じさせないけれど、私も驚いたけれど、十七歳と私たちとそう変わらないのよ?」
その言葉はパレットにとって衝撃だった。自分と一つしか変わらないエルフなんて、会ったことが無かった。
いつまでも老いる事無く美しいエルフは軽く数百歳であることも珍しくない。落ち着いた考えも、それを考えれば得心の行く、年齢からくるものだとばかり思っていたのはパレットのエルフに対しての先入観故だった。
「でも、だったら何故あの方は、そこまでするのでしょう?」
パレットの疑問に答えたのはミリアではなく、ソルティだった。
「多分――愛してしまったから。エリス様の場合は、世界を愛してしまったからですね」
――愛。
その言葉にパレットはどんな意味があるかを考えていた。
世界を愛する事と、周囲の人を助けるのと、どう関係があるのだろう?
「人にはそれぞれ愛の形がございますわ」
まるでパレットの心を読む様に、答えたのはライカだった。
「そう、ライカも私を愛してくれている」
ミリアの言葉にドキっとしながらパレットはライカを窺うと、彼女も静かに頷いていた。
「それだけではないわ。まだ会って間もないけれど、私はハッカー様を愛しているわ。そしてそこに居るソルティもまた、ハッカー様を愛している」
ミリアの投げかけたとんでもない爆弾に、パレットの思考はいよいよショート寸前となるのだが、続くソルティの言葉は何よりパレットを大きく揺さぶるのだった。
「そう、私は許されないと知りながら、ハッカー様を愛してしまいました。その代償はアクアとの契約に繋がり、十年の時を苦しむことになりました」
「でもそれ故にわたしは彼女――ソルティを信頼できるの。同じ方を愛したソルティだからこそ、彼を、私を守ってくれる」
「パレットさん、覚えておいてください。恋とは落ち醒めるものですが、愛とは後からでも育むことが出来るものなのです。もし恋を飛ばして愛に移行したとして、それはなんらおかしい事ではないのですよ」
そう締めくくるソルティが、なぜこの場を設けてくれたのか、その時になって初めてパレットは朧気ながらも理解したのだった。
そう――パレットが思い悩んでいたのは、ペートの事を既に恋心ではなく、愛で見てしまっていた事だったから。
そして恐らく彼もまた――同じ悩みを抱えていたのだろう。




