終わらぬ準備
固定視点の練習と言えどうにも慣れませんね。
終わらぬ準備
午後になり、パレットは買い物へと出かけた母親に代わり店のカウンターの中に身を置いていた。
細い編み棒を器用に使い、こうして店番の間に編み上げるレースの敷物は花瓶の下に敷かれたり、タペストリとして飾られる等、中々に評判の品であり、パレットの貴重な収入源の一つであった。
しかし今日の彼女の膝上にあるものは、編みかけのレースの敷物ではなく、柔らかな毛糸の編み物だった。
パレット自身ソルティに言われるまでも無く、ペートからつい逃げてしまうという今の状況をなんとか打破したいと思っていたのだ。
その為に選んだのは、結局のところ彼女の得意な編み物でという所に落ち着いて、こうして暇を見ては編んでいたのである。
時折訪れる来客の度に、編み目の数をメモしては編み続けるのはなかなかに難しいものなのだが、パレットは間違えることも無く手馴れた様子で編み物を続けていた。
「ペート気に入ってくれるかしら?」
「俺がなんだって?」
「わあ!?」
頭の中で考えていたことが、思わず声に出ていた時、まさかその相手が目の前に居るなんて思いもよらないパレットは、座ったまま飛び上がるという器用な反応をしながらも、手元の編み物をなんとかカウンターの下へと押し込んだ。
「ペ、ペート!? なんでこんな時間に……」
「確かに少しばかり早いけど、今日はこんな天気だからな。ユーリに唆されて戻ってきたんだよ」
「そ、そうだったの……まあ、でもたまには良いんじゃない?」
必至で取り繕いながら、パレットはこの夏の初めに結婚したばかりの親友を夫がそんな調子で大丈夫なのだろうか? と少しばかり心配するのだった。
「――と、今日はなにか買取品はあるのかしら?」
「いや、買い取って貰うものはないかな」
「ならどうしたの?」
「いや、帰りがけにこんなの見つけたから……その、お前にお土産」
パレットの問いに、背嚢から何かの包みを取り出しながらペートは答えると、カウンターの上にそれを乗せる。
「ほら、開けてみろよ」
「う、うん……あっ! 皇帝花」
ペートが取り出した包みには皇帝花の枝が入っており、沢山の蕾を付けていた。
紫から桃色、白色へとグラデーションするこの花は、冬の前、陽の短くなる頃になると華やかな大輪の花を咲かせるもので、刹那の時を咲き誇るとして、誰が付けたか皇帝花という名前が付けられていた。
王政が根強いこの世界において、一時は西の大陸の大半を手中に収めたものの、一代を待たずして謎の滅亡を歩んだ帝国の儚さに例えられているのだという。
「明日か明後日には咲くだろうから、取ってきたんだ。その――パレットが喜ぶと思って……」
尻すぼみに声を小さくしながらもそう言うペートの気持ちが嬉しくて、パレットは胸に灯る小さな温もりを感じながら
「ありがとう」
と、やはり小さな声で言うのだった。そしてこれまで何かと避けてしまっていたペートに対し、申し訳ない気持ちで一杯になったパレットは少しバツが悪そうに
「その、ごめ……なさい」
「え? 何か言ったか?」
「え? ううん。なんでもない。ほら、そんなに濡れてるんだから早く家に帰って着替えないと風邪ひくわよ」
上手く聞き取れなかったペートをまくしたてるように追い出して、再びカウンターの中に戻ったパレットは母親が帰るまで、暫く自己嫌悪に陥る事となったのだ。
◇ ◇ ◇
その小さな家の中は、まだ真新しい生活用品で溢れていた。
他の生活用品と同じく、まだ新しいテーブルに肘をつき、夫の話を聞いているのは焦茶色のゆるりとカールした髪を持つアニエスだった。
「なあ、だから良いだろ? ちょっと協力してくれよ」
「ユーリの話は分かったけど、あまり気が乗らないなぁ」
「そういうなって、それにアニエスはパレットと仲が良かったろう?」
「そりゃそうだけど……もう、あの二人一体いつまでうだうだやってるのよ。ペートも何でもっと、こうガッと押さないのかしら?」
アニエスはしきりに細い指先でテーブルを小突きながら、何かを思い浮かべては口を尖らせていた。その様子を出来るだけ見ないように、ユーリはテーブルに両手をつき、拝み一辺倒といった様子で頭を下げていた。
ユーリも伊達にアニエスの夫であるわけでは無い。彼女がこうした動作をするときは、決まって機嫌の悪い時なのだ。
ちょっとお互いの友達の、背中を押してやろうというユーリの策は、どうやらアニエスにとっては気に入らない無いようだったようなのだ。
「なあ、ペートのあの情けない顔をアニエスだって見たろう? あいつときたら昔からパレット一筋だ。それなのにいつもいつもその行動がわかりにくい。なんつーか、回りくどすぎるんだよな」
ユーリは出来るだけアニエスの感じているいらつきへ同調しながらも、彼女の行動をなんとか誘導しようと試みる。
勿論アニエスの言う通り、放っておいてもいずれはくっつく筈の二人である。ここで下手にまくしたてて何かあったら申し訳が立たないというアニエスの意見も十分理解できるものの、二人に任せておいては一体いつになるやら分かったものじゃないという所なのだ。
ほかにも理由はあるのだが、そちらについては自身の心の奥にしまい込んで、厳重に鎖で絡めとっておくことにした。
必至で食い下がる夫の様子に、ついにはアニエスが折れることとなり嘆息と共に
「ホント今回だけだからね?」
と、厳重に念を押されたものの、ユーリは心の中でしっかりとガッツポーズを決めていた。