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悩める山守

 悩める山守



 霧に煙る山中を、迷うことなく歩き通して、彼は山小屋へとやってきた。

 山守の為に建てられた山小屋は、天気の変わりやすい山での仕事には欠かせない休憩場所である。

 山守は過酷な仕事ではあるが、れっきとした公職だった。

 形式上は庭師等と同じ様に、領主が年間を通じて雇っている領地の保守管理の為の要員であり、高額とは言えないが、毎日の給金をきちんと支払われているのだ。

 無論それだけでは山守も生活できないことは領主も判っており、日々の作業の中で得ることの出来る材木等を、格安で領主から買い取る権利を有している。

 この場合買い取ると言っても、卸した先の材木屋がまとめて領主へ納めるために、山守たちは実質材木屋から代金を貰うだけなので、領主から材木を買っているという意識は低いのだが、それはまた別の話となる。

 勿論切り出してよい数は山の維持に支障をきたさない量が定められており、豊かな資源を確保するために、計画的に伐採と植樹が行われており、彼らが山を荒らすことは無いのだった。

 冬に差し掛かるこの時期は、薪の需要が高まるために、山守たちは夏の間に間伐した木や枝を一か所にまとめて乾燥しておき頃合いを見て小分けに街へと運び出し売ることとなるのが通例だった。


 春から秋にかけては副収入となる山野草も多く、比較的実入りの多い仕事だが、冬になれば夏の間に貯えた間伐材が生命線となるために、実入りが多いと言って手を休める山守はまずいない。

 夏の暑さに怠けていては、厳しく長い冬を超えられないことを彼らは良く知っているのだから、当たり前といえば当たり前だろう。



 すっかり冷え切った体をさすりながら、山小屋へと入ってきた彼は慣れた手つきで暖炉に火を起こすと冷たく濡れた衣服を脱ぎ去って、縄に通すと暖炉の近くに手早く干した。


「思ったより雲が濃かったな……中までもうグッショリじゃないか」


 彼以外に誰もいない山小屋で独り言のようにごちると背嚢から替えの下着を取り出して着替えると、漸く一息つけたのだった。


「邪魔するよ」


 僅かに扉を軋ませて小屋の入り口より入ってきた者はまだやや高い声色に、その年齢の若さを窺えた。


「なんだ、お前も退散か」


 下着姿で暖をとっていた青年――ペートは入ってきた仲間の山守に、呆れたように声を掛けるがすかさず仲間の反撃を受けることになるのだった。


「真っ先に退散してぬくぬくと寛いでいるお前に言われるとは心外だよペート」


「馬鹿言うな、ユーリと違って俺の持ち場は遠いんだ、このまま天候に任せていたら凍えちまう」


「はは、そりゃ違いないね」


湖霧(じり)でお前も濡れ鼠だろ? はやいとこそれ脱いじまえ」(注:1)


「言われなくともそうするさ、俺だって風邪はひきたくないからな」


 幼馴染であり、同僚でもあるユーリとそんな事を言い合いながら二人はそれぞれ暖炉の前に落ち着くと、ペートは背嚢から取り出した固焼きのパンを齧りながら昼食の代わりとした。


「なんだペート、味気ないな。また固焼きパンか?」


 そう言いながらにユーリが取り出したのは、やや小さめのランチバスケットで、中には色とりどりの野菜や揚げた肉が詰められていた。


「そういうお前は……クソっ愛妻弁当か! 新婚だからって見せつけやがって……お前なんか火竜に焼かれてしまえ!」


「浅はかだなペート。そんなんだからお前はダメなんだ。いいか? 俺の嫁が可愛いのは当たり前として、その真髄はこの先だ」


 悪態をつく幼馴染に気を悪くすることなく、ユーリはさらに背嚢からもう一つ、更に小ぶりのバスケットを出したのだ。


「ほら、うちの嫁からお前たちに差し入れだ。どうだ? できた嫁だろう!?」


 すっかり冷めてしまっているとはいえ、バスケットの中から漂う香ばしく美味しそうな匂いに、ペートは目を見開いてただ一言。


「おまえの嫁は神なのか?」


 そう言って自らの完全敗北を認めたのだった。



 ◇ ◇ ◇



「なんだ、それじゃあ全然進展してないっていうのか?」


「ああ、我ながら情けないが、完全に嫌われたかも。一体なにをしくじったのかパレットの奴まったく会ってくれないんだ」


 食事も終わり、沸かした湯で温かいお茶を飲みながら、ペートは抱えた悩みを人生の先輩である幼馴染に打ち明ける。

 項垂れるように語るペートの言葉を聞きながら、ユーリは真顔でペートの顔を見つめ、意外に逞しいその両肩にがっしりと手を掛けると――


「お前がそこまで馬鹿だったとは思わなかった」


 と、眉をハの字に呟いた。その言葉に反論する元気も出ないペートは更に落ち込む様に肩を落とし、そのあまりの落ち込み様に慌てたユーリはすかさずフォローの言葉を忘れない。


「馬鹿、額面通りに受け取るんじゃない。大体お前、それはどう見ても脈ありのサインだろう?」


「そう……なのか?」


「おいおい、お前の好きなパレットは、あのパレットだぞ? お前がその性格を忘れたわけじゃないだろう?」


「ユーリ、もう少し解るように説明してくれ、俺にはどうしたらいいか、本当に判らないんだ」


 力なく絞り出す様にそう語る友人に、これは重症だとユーリは密かにを思考を巡らせて、一つの策を思いついたのだった。


「よしペート。服が乾いたら今日はもう上がろうぜ。どうせ午後は雨降りだ。折角乾いた薪を雨に濡らすことはないだろう?」


 まずは策の一つ目と、ペートに早く仕事を切り上げるように誘ったユーリ。

 ペートの方もすっかり落ち込んでいるために、ユーリに誘われるがまま、二人は服が乾くと荷物をまとめ、山から街へと戻るのだった。




(注:1 本来は海霧(じり)です。この街は冷たい湖に温かく湿った空気が吹き込むことで発生します。)

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