転機
「行きたくないなぁ。あぁ……本当、行きたくない」
気付けば、愚痴をこぼしていた。
「そんなに嫌なら、行かなければいいんじゃないの?」
「んー。そうだけどな。そういう訳にもいかないっぽいんだよ」
「自分の事なのに、他人の事のようだね」
あはは、と俺の話相手は笑いながら言った。他人事だと思って笑いやがって。いや、実際こいつには関係ない話だけどさ。
それでも何となく、人の不幸を笑うそいつに恨めしい目を向け、手元にある酒をちびちびと飲んだ。
今、俺はとある街の酒場にいた。気分転換に一人で飲んでいたはずなのだが、いつの間にか、俺に話し相手ができていた。もちろん知らない奴だったが、特に気にはしない。酒場なんかでは、よくあることだろう。
年齢は、俺より下に見える。長くも短くもない髪は、綺麗な銀色だ。そこまではいいのだが、中性的な顔をしていて、男か女か分からない。一緒に酒を飲む相手。個人的には、女であってほしい。
隣を見ると、まだ少し笑っていた。文句でも言ってやろうかと思ったが、あははと、本当に楽しそうに笑うその顔が、子供の様でどこか憎めなかった。
「ごめんごめん。事情は知らないけどさ。その、かわってくれる人とかいないの?」
「あまり他人に頼めないというか……頼みにくいことなんだよ」
そりゃあ、頼めることなら頼みたい。だが、内容を知ったら誰もが首を横に振るだろう。結婚したての熱々な新婚夫婦でも、その場で解散だ。
死んでこい、と言うようなものだからな。頼めるとは思っていなかったが、話の流れで聞いてみる。
「ああ、どうだろう。お前、俺の代わりにやってみる?」
「僕に出来ることなら、やってあげたいとは思うけどね」
まあ、頼み事を聞く前ならそう言えるよな。
「それで何を? まずは聞いてみないとね」
「魔王討伐」
「え?」
「魔王討伐」
「あはは、僕には無理。ごめん」
ニコ。
「いやいや! そんなこと言って、本当はやってくれるんだろ? みたいな顔されても!」
シュン。
「いやいや! おかしいでしょ! 何で引き受けることが当たり前だった、みたいな顔なの!?」
「これが、スピード離婚か……」
「僕達、結婚どころか今日会ったよね。そもそも、男同士だし」
「そんな! あの時の約束は嘘だったのね!」
「そんな約束、した覚えはない! あの時ってどの時だよ!」
必死に、ツッコミを入れる奴がいた。――今、男同士って言った?
「くく……。嘘嘘、冗談だよ」
「あはは、そりゃそうだろうね」
「ま、誰かに頼めるとは思ってないよ」
そこで、銀髪男は笑うのをやめて、真剣な顔になった。横から、グラスを傾けた俺の顔を覗き込んでくる。
「魔王討伐ってのは、本気なんだね?」
「まあな。とは言っても、俺は荷物持ちだ。俺には、魔王と戦える力もないし、近い内死ぬかもな」
これ、笑い話だぜ? って感じで話したのに、銀髪男は笑わなかった。
「逃げないの? いや、逃げたくはないの?」
「逃げたいよ、もちろん。ここまでもったのが不思議なくらいだ。大人のしがらみってやつだな」
俺は逃げる。間違いなく。ロイヤル勇者達や、それに協力している人からは、追われる立場となるかもしれないが、いざとなれば命には替えられん。
「逃げて、その後はどうするの? 逃げて逃げて……その後はどうなるの?」
「お前」
それは、俺への質問なのか? 何故かこいつが、いつかの自分と重なって見えた。お前も、何かを抱えているのだろうか?
「どうなるのかなんて、俺には分からない」
「そうだよ、ね」
「でも、死ぬのなら。いや、死にたいくらいの何かがあるのなら、逃げればいい。何もかもから逃げればいい。逃げて誰かに迷惑を掛ける? 逃げればもっとつらくなる? はっ、知るかよ。それすらからも逃げればいい。どうせそのままだと苦しい、いや、死ぬかもしれないんだろ? なら俺は、自分の体が、もしくは心が、ギリギリ耐えられる所までいって、そして逃げる。逃げた先で死んだとしても、それはそれだろ。まず逃げてみなければ、その前に死んでしまうのだから」
これは気付きだ。俺個人の考えだ。いくら人から伝えられても、本当の所には届かない。自分でそれを見つけないと意味はない。ただ、ほんの少しでも、それを捕まえる手助けになれば。
「それすらからも、逃げる……」
俺の言葉に、神妙な顔で呟く銀髪男。
ちょっと、余計な事まで言い過ぎたな。でも、伝わっただろうか。こいつの求める答えに、俺は少しでも応えられていたのだろうか。
銀髪男は黙り、何かをずっと考えているようだった。そして、何かを決めたような顔をしてこちらを向く。
「まず、聞いていいかい? この街にいるってことは、あの砦を攻めるってことでしょう?」
「ああ、そうなる。つまり明日には、俺は死んでるかもな」
こいつの言う砦とは、魔族領に入る唯一の道、と言われている所に建てられた難攻不落の砦だ。難攻不落と言うが、実際それは正しくない。正確には、魔王の右手と言われる魔族の幹部が、そこに来てから言われるようになった。
この先、どうなるかは分からないが、俺も。――ここらが潮時かもな。
「勇者の荷物持ちをかわることは、僕には出来ない。でも、逃げる手伝いをすることは出来るかもしれない」
「ん? いや、逃げるくらいなら一人で出来る。さっきまでの代わる代わらないの話は、冗談だって言っただろ?」
別に、普段から勇者達に監禁されている訳でもない。現に今、一人で酒を飲みに来ていたしな。
「違う。そうじゃないな、ごめん。それは、僕のやりたい事でもあるんだ。言い方を変えよう。僕と、協力しないか?」
「協力? お前は一体……」
誰なんだ? 何がしたいんだ? そう問おうとした俺に、銀髪男は言った。
「僕は魔族なんだ。あの砦を守る、君達の敵さ」