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ITエンジニアの異世界デバッグ  作者: 冷静パスタ
第二章 神の住む街
20/202

白い少女

 宿のベッドから体を起こし、伸びを一つして準備をする。目的の町に着いたはいいが、まだ何を盗めばいいのかも分からない。

 最悪、失敗してもいいよな。だって俺、新入りだし。アイムソーリー、ヒゲソーリーってな。鏡の前で、さっと顎をひとなで。髭は濃い方ではないので、産毛が生えているだけだった。


 宿から出発し、街外れを歩いていると、一人の少女が俺の方を見ていた。少女がいる場所は、小高い丘になっており、そこにあるのは一本の木だけ。


 俺よりは年下で間違いないだろうが、いくつくらいだろうか? 幼い雰囲気はあるものの、顔は整っており、白いワンピースに、青いリボンのついた白い帽子を被っていた。髪は腰に届くくらいの長さだが、髪の先まで真っ白。

 少女は木陰に座り、ただじっと俺の方を見ていた。


 何となく気になった俺は、少女に近付いていく。声の届く距離くらいまで近付いても、少女は視線を逸らすことなく、ただずっと前を見つめていた。……何だ? 俺も負けじと、見つめ返すことにした。


 互いに無言で見つめ合う。そうしている内に、話すタイミングを失った。

 いや、これは戦い。先に声を上げた方が、負けなのだ。初対面の男との、気まずい空気を楽しめ。


 勝手に始めた、面白くもない戦い。互いに動かず、ずっとそうしていると、不意に風が吹いた。少女の帽子が、風に舞う。


「あ……」


 少女が声を出す。勝利は、いつも虚しい。


「帽子……」


 俺は、足元に落ちていた帽子を、拾い上げる。


「遠くまで、飛ばなくてよかったな」

「あ……」


 ありがとう?


「……誰?」

「気付いとらんかったんかーい!」


 拾い上げた帽子を、少女の反対側に思いきり投げ飛ばした。戦いは、始まってすらいなかったのだ。

 少女の顔を伺うと、不安げな表情で、風に舞う帽子を目で追っていた。そして、溜まり始める、少女の目に涙。――う~む。


 全力で走った。距離は、十メートルってとこか? このままでは間に合わないと思った俺は、ある魔法を使い、急加速する。

 急加速した俺は、ふわふわと風に乗った帽子が、地面に落ちる前に、何とか滑り込み、拾った。

 ふーっと息を一つ吐き出し、ゆっくりと少女の元へ戻る。


「ぼ、帽子……」

「ああ」


 早く渡して、とばかりに少女が手を伸ばしてきたので、俺は何となく、帽子を引っ込める。少女の手は、空を切った。


 帽子を近づける。

 引っ込める。

 少女の手は、空を切った。


 無表情で見つめ合う、俺達。少女の目には、また涙が溜まり始めていた。


「こ……」


 この野郎? 殺してやる?


「……こんにちは?」

「挨拶ぅー!」


 再び、帽子を後ろに投げ飛ばし、少女の反応を見た後、全力で走り、拾う。フリスビーを投げては拾ってくる、犬のようだった。この場合、飼い主も犬も、全て俺なのだが。

 色々とずれている気はするが、挨拶すること自体は間違っていない。落ち着け、振り回されるな。いつもの俺、ハウス。


「ああ、こんにちは」

「あの……帽子、返して?」


 若干怯えた声で、そう言われる。いや、最初から渡すつもりだったのだ、俺は。職業は盗賊だが、別に盗るつもりなんてなかった。やってみただけだ、さっきのは。

 安心できるようにと、少し笑顔になった俺は、帽子を前に出してやる。


「ほら」


 しかし、そんな俺の気遣いとは裏腹に、少女は俺が手を引っ込めるものと思ったのか、逃さないとばかりに、体ごと飛びついてきた。普通に返すつもりだった俺は、飛びつかれ、そのまま後ろに押し倒される形となる。


「ぐお! 何しやがる、てめえ!」


 胸の中にいた少女が、顔をあげる。そして、少しだけ申し訳なさそうな表情をして、口を開いた。


「また、意地悪すると思った」

「馬鹿! もっと人を信じろよ! 俺がそんなことするかよ!」


 全く、人を何だと思っているんだ。ちょっと帽子を投げたり、返す振りをしただけだ。


「……すると思う」


 今度は、恨めしそうな表情をして、そう言われた。出会ったばかりのはずなのに、俺への評価は厳しい。初対面の人間を頭から疑ってしまう世の中に、俺は憤りを覚えた。


「……それで? お兄さん、誰?」

「俺はエンジ。ここへは観光にきた。お前は?」

「クリア。私は……ここに座っていた」

「そうか」


 いや知っている。お前がそこに座っていたのは。

 クリアと話していても、何の進展もしない会話になりそうだと思ったが、せっかく知り合えたのだ。とりあえず、神の涙について何か知っていることはないか、聞いておく。


「この街に来れば、神の力を感じられるって聞いたんだが、本当か?」

「うん。皆、そう言ってる。私は、いつもよく分からない」


 こいつは、神の奇跡を経験していない?


「じゃあ、神の涙ってものに心当たりは?」

「知らない」


 そうだよな。ま、予想はしてたけど。朝からそれとなく、神の涙について調べていたが、これといったものはなかった。

 ここに来てから調子がいいんですよ! とか。長らく使えなかった魔法が使えるようになりました! とか。怪しい広告のような話は、ちらほらと出てきたが、そんなもん、絶対思い込みか何かだろ。


 しかし、どうするか。神の涙は何かの比喩で、神由来の何々という感じで、どこかに宝石でも飾ってあると楽なんだが。ま、今夜の神の奇跡とやらに、期待するしかないかね。


「……さっきの、凄かった」

「ん?」


 考え事をしていると、クリアが話しかけてきた。


「帽子。ビューン」


 ビューンて。まあ、別に隠している訳でもないが。


「あれは、魔法で身体を強化しただけだ」


 正確には、少し違う。身体強化魔法は存在しているが、俺の使ったものとは違うのだ。


「私もやりたい」

「やめとけ。すぐには覚えられんし、魔力もある程度ないと、使った瞬間倒れるぞ?」


 俺の使った魔法は、教えてもできないのだが、身体強化の魔法であれば……そう思ったのだが、すぐに思い直す。少女から見える魔力は、微量だった。


「魔力……ある」


 少女が、腕のブレスレットを外し目を瞑ると、全身に魔力を巡らせ始める。それも結構な量で、俺が見てきた中でも相当多い方だった。――これは。


「へぇ……」


 少女は、魔力を抑えていたのだ。しかし、なぜだ? 理由は分からないが、あのブレスレットで抑えているのだろう。ああやって、道具で強制的に魔力を押さえ込むと、自身の許容量を越えてしまい、体に悪影響を及ぼすと聞いたことがある。

 突然、身体が爆発してしまうようなことにはならないが、普通に生活する分には、垂れ流す量より、生成される魔力が多いので問題はないはずなのだ。


「魔力……ある。教えて?」


 俺は、魔法の目に魔力を流し込み、教えて? と首を横に倒しているクリアを観る。

 魔力量は、現時点でも相当なものだし、才能もありそうだ。初級魔法である身体強化くらいなら、少し練習すれば覚えられるだろう。……しかし、これは?


 するとそこで、街の方から修道服を着た男が走ってくるのが見えた。恰幅がよく、ドスドスと音が聞こえてきそうな出で立ち。身なりは綺麗にしているが、頭は禿げ上がっている。

 男は、俺とクリアの近くまでやってくると、焦ったような、怒ったような顔をして、言った。


「こら! あれほど、そのブレスレットを外すなと教えただろう?」

「……でも」

「でもじゃない! あなたは神に選ばれた者なのです。そのブレスレットは、神の力が宿った神聖なもの、神の御前でしか、外すことは許されません!」


 あの、ブレスレットが? 俺の魔法の目には、特に変わったものには見えない。俺が叱られているクリアの表情を伺うと、説教を聞きながらも、助けてほしそうな視線を、チラチラと俺に送ってきていた。……仕方ない。少し、気になることもあるしな。


「あのー」

「ん? 何ですか、あなたは?」

「昨日、この街にやってきた者です。神の奇跡とやらを、経験できると聞いたもので」


 クリアを止めるのに必死で、気付いていなかったらしい。ハゲ神父は、俺に気づくと、人の良さそうな顔をした。


「お~。そうでしたか。あ、私はこの街の神父を務めております。ブライと申します。神の奇跡ですか。幸運にも! 今夜がその日です! きっと、あなたにも神の奇跡が訪れるでしょう。楽しみにしていて下さい!」


 俺も経験できるみたいだな。正直なところ、神の存在なんてかけらも信じていない男だが、どうなることやら。


「それはよかった。遠い所から、はるばるやってきた甲斐があるってものです」

「ええ、ええ……。ああ! あと、奉納金をお納めになるおつもりでしたら、出来る限り、多く奉納されることをお勧めします」


 奇跡の力を強く感じられるってやつか。


「奉納金は、必要なのでしょうか?」

「いえ、必要という訳ではございません。ただ、神の奇跡を大きく感じることができると言われております」


 やはりそうか。だが、神父はそう言った後、照れくさそうに続けて言った。


「こんな……辺鄙な所にある街です。商売的な側面もあることは、否定できません。ですので、神の奇跡が起こる当日は、奉納金の多かった方については、優先的に、神殿近くに行けるよう配慮しています。ああいや! 神の奇跡は、商売関係なく本物ですよ!」

「そうですか」


 この神父は、強引に入信を勧めるようなタイプだと思ったが、意外とそうではないのか。俺が外部の者とはいえ、そこらへん正直なのは、好感が持てる。それとも、俺に奉納金なんて用意するつもりがないことを、見透かされでもしたかな。


 そのまま、神の奇跡に詳しそうなこの男に話を聞くと、神に選ばれた巫女が、奇跡の神殿とやらで舞を捧げた後、神殿に祀られている『神石』とやらに、魔力を通すことで、神の奇跡が起こるのだという。

 さらには、奉納金を用意しようが、しまいが、この街の中なら、どこにいたって神の奇跡はもたらされるらしいのだ。気持ちの問題なのだろうか? お金をたくさん払って食べる料理が、おいしく感じるように。

 しかし、神石ね……。もしかして、それが神の涙ではないか?


「それで、その娘は?」


 クリアの方に視線を向け、聞いてみる。


「ああ。先程は、お見苦しいところをお見せしてしまいましたね。この娘が、神に選ばれた巫女なのです。神の奇跡を起こすためには……必要なこと、があるものでして。巫女が、ブレスレットを身につけているのも、その一つです」

「へぇ」


 伝統のようなものがあるのだろうか? そうだとすると、俺には口が出せない問題だが……。

 神父は、俺との話が一区切りついた後、クリアに向かって説教を再開した。


「神は寛大です。ブレスレットも……ま、このくらいなら問題はないでしょう。今日は大事な日なのです、あなたには、今日はもう神殿にいていただきます」

「……はい」


 これから、この神父はクリアを奇跡の神殿とやらへ連れて行くのだろう。クリアがブレスレットを腕にはめ、立ち上がる。

 この場で、俺にできることは何もなかった。何かしようとも、思ってはいなかった。だが。


「頑張れよ」

「……うん」


 俺が後ろ姿を追っていると、少し歩き始めたクリアが、振り返った。


「頑張ったら……。ううん……。やっぱり、いい」


 クリアは何かを言おうとしたようだが、少し考え、最後には諦めた。その時の、クリアの悲しそうな表情が、なぜか頭から離れなかった。



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