変な女
また、森か。森には嫌な思い出がある。でもその森は、思っていたよりも簡単に抜けられそうだった。大きな森ではないし、魔物もほとんどいない。道に迷うこともなく進んでいるが、それには理由がある。
目的の街には少々特殊な噂があり、それを信じて訪れる人がいるのだ。
舗装こそされてはいないものの、街までは、木や草がそこそこ刈り取られていて、道と呼べるものができ上がっていた。
何事もなく森を抜けられそうだ、と思ったところで、変なもの、いや、人を見つけた。
行く手を阻むように、道に対して垂直に倒れている。まるで俺の進行を邪魔しているかのようだ。うつ伏せで倒れている、その人物。生きているのか、それとも、死んでいるのか。
「よし」
全く動く気配がないので、死んでいると判断する。行き倒れか、はたまた魔物にでもやられたのか、大方そんなとこだろう。
身体は、何事もないように見えるが、ひっくり返すと内臓が食われている可能性もある。想像すると嫌な気分になったので、とりあえずは無視をして進むことにした。背負って行くのも疲れるし、街に着いたら人を送ってもらおう。
その死体と二メートルくらいの距離まで近づいた時、顔が動いた……気がした。視線を向けてみると、口も動いた……ような気がした。
「う……。お腹、空いた」
「そうか」
俺は、その死体を跨いで先を急ぐ。後で、しっかりと供養してやるからな。
「ちょ! ちょっと、ちょっと! 待ってよ!」
背後から聞こえてきた声に反応し、顔だけを向ける。すると、先程の死体が起き上がり、ゴキブリのような体勢で、俺の方へ迫ってきていた。……ああいや、死体ではなかったのだが。
「こわ!」
俺は得体のしれない恐怖を感じ、走リ出す。
「え、嘘? ありえないって! ちょい待てや、コラァ!」
体勢はそのまま、さらに速度を上げ、走り出した俺に飛びついてきた。ゴキブリを追いかけ回していたら、いつの間にか攻守が逆転し、羽を広げ、自分の顔に迫ってきた時の恐怖を思い出す。
「ひえっ!」
「捕まえたぁ~」
俺を捕まえたそいつは、嬉しそうな声をあげていた。羽を広げたゴキブリが迫り、そのまま、顔に着地してしまったことを思い出す。
「離れろ! ゴキブリ野郎!」
離そうとしてみたが、腕も足もしっかり使い、絡みつかれ、振りほどけない。そもそも、結構力が強かった。
「ゴキブリって……ひどいなぁ~。私は人間だよ。それも女の子」
俺の胸部に、自分の匂いを擦り付けるようにすりすりと抱き付いてくる。――誰? 何で?
俺の知っている女の子は、こんなのではなかったはずだ。だが、ひとまず人間ということは分かったので、落ち着くことにする。
「というか、普通あり得ないでしょ? 倒れている人を無視していくなんて」
「死体だと思ったんだ」
「私と目、合ったよね?」
「勘違いかと、思ったんだ」
「私、喋ったよね? お腹空いたって。しかも君、そうかって返事してたけど?」
「いや、道に落ちているものは拾ったら駄目って、小さい時に教わって……」
「それは、ちょっと苦しくない?」
苦しいのは分かっていたが、俺は出来る限り、この女と関わり合いたくなかった。
何しろ、こいつは変なのだ。どこがと言われると、まず見た目が変なのだが、それ以上に俺は、こいつから得体の知れない何かを、感じていた。
その見た目だが、身長は俺の胸元辺りだろうか、少し小さい。髪の色は茶色。長さは肩にかかるくらいで、ふんわりとウェーブがかかっている。服装は、Tシャツにホットパンツ。まあ、そこまではいい。
目元に、なぜかアイマスクをしていた。アイマスクは黒色のシンプルな物だったが、そこに子供の落書きのような目が書かれている。
目が合った、とか何とか言っていたが、正直、どこ向いているかなんて分からんだろ、これ。というか、前見えてんの? それ。
口元は、中々に表情豊かで、先程まで怒っていたのが、今はニヤニヤと笑っているのが分かる。年齢は、俺より下に見えるが、上のような気もしてくる。つまり分からない。
アイマスクを着けていることも十分変だが、それより変なのは、俺が捕まったことだ。気持ち悪い動きで少し焦ったんだ、と言い訳したいが、俺はあの時、本気で逃げるつもりだった。だというのに、避けることすらできずに、捕まったのだ。
「もう! そんなにジロジロ見ないでよ、エッチ~。そんなに見つめられると、惚れちゃうぞっ!」
考えすぎか。頬に手を当て、くねくねと体を動かしているこいつを見ていると、どうでもよくなってきた。もういい、無視して先を急ごう。
俺は体にくっついている女を剥がし、森の出口に向かって歩きだした。
「あ! 待ってってば~!」