ある愛のある関係
低い唸りが生まれ僅かな色彩の明滅が循環していく。物語の手前のまっさらな世界から揺らぎをみせて、寡黙なその足取りにて動き始めていくのだった。
互いは向かい合っていた、自我と他者とのそれぞれの対峙があった。そうして、少しずつ、語らう夜に変貌していくのであった。
老人のようであった、唸りを生む口もとは、何かを溜め込んだようにただ震えてばかりいた。
ガッシリと開かれた眼はとても大きなものだった。黒目のない白い瞳に夢を映している様は、皺枯れた膚や表情に似つかわしからぬほどの優雅さが感じられて、それはその瞳のもつ深海のような、永遠さえも想起させてやまない懐の広さがもたらすものに違いなかった。それほどに、老人のその、白磁に美しく滑らかな一対の光沢は、無垢であるのだった。
それは人工知能にその存在性を極めた無機質としての生命体だった。しかし、相手には知られていないのであった。無機質生命体は聴力をもたなかった、耳のないノッペリとした側頭部をした彼には静寂の世界が広がっているだけだった、ただただ無限を想起させてしまう、一元世界を所有していたのだ。それはやはり白磁に美しく滑らかな光沢であり、無垢な世界に違いなかった。
始めはほんの僅かな想い出の上映に過ぎなかった、記憶の一瞬の断片を点滅させていただけだった。無機質生命体は、老人の、白磁の瞳に映写していって、いつしか長い夢の上映へとその次元を高めていくのだった。
応えるように老人も、唸りから段々と柔らかい響きへと変化させていき、それはいつしか音楽へと高まってしまったのだった。
単に対峙していただけだった、ふたつの、映像と音楽とは、求愛するかのような関係性を築いてしまっていた。
つまり、彼の映像によって視力をもたないはずの老人の自我に、物語としての視覚世界が広がっていったのだ、それにより、老人は、彼に向かって歌い続けていくのだった。
夢見心地な歌声は生まれて……
そして彼は、彼の視力だけで、老人の素振りと伝い来る響きだけで、その歌声を全て感受してしまうのだった。
彼らの関係性は、世界一の相棒どうしであったし、もう最早、世界一の愛情、ばかりか世界一の愛憎にすら発展していくのだ。
物語は生まれ続けていく。
彼らはすれ違うだけの関係で、それ以上を必要としていなかった。そこにはとうとう、婚姻の衝突が集約して、山脈が生まれていた、つまり、物語は聳え立つのであった。
ふたりは互いを知らぬままで、しかし精神の交感は止めどなくて、物語だけが、ふたつの精神の、共鳴の果てに生み出されていくばかりであった。
精神以外、肉体的にも性的にも結ばれることのないふたつの愛欲する魂は、きっと皮肉にも恋物語なんだろう……
何故なら、彼の投げつけた映像をひと目視るなら……老人の歌うメロディをひと節耳に入れるなら……しかし彼らは彼らの互いの恋物語を、想像する以外に、それ以上知ることは出来ないのだ。
残酷な恋、美しい恋。
互いは互いを高めあって、物語は現実では辿り着けない高みへともう、跳躍してしまっている。
成就することのない、その恋は罪悪。
それでも、物語の跳躍は、ふたつの魂を、いつの間にか他の誰もが辿り着けない高みへと押しやってしまったのであった……自我という、重力で……愛欲の、遠心力へと向かって……
【第93回フリーワンライ】
お題
語らう夜に
瞳に夢を映して
恋は罪悪
世界一の○○(○○は自由)
静寂
使用お題 全部