An Orphan
「ふぁぁ……」
昨日の解体作業の疲れもあったが、それよりもミカエラとの入浴によって刺激されてしまった頭と身体のせいで寝付けなかったユダが目の縁に涙を溜めて大きく欠伸をすると、少年の隣で素材や遺物の鑑定をしていたログ爺が笑う。
「ん? 欠伸とは主には珍しいのぅ。寝不足かや?」
「す、すいません!」
「ふぉっふぉ、別に謝る事じゃあなかろうて。お、ユダそこの黒い箱はこっちに頼む」
「はい! し、しかし今回は本当に大漁ですねっ」
真っ赤になった少年はそれを誤魔化す様に大きく咳払いをし、ログ爺に言われた物を手に取り台車へ運ぶ。
「ユダの言う通りじゃな。しかも質もかなりのものじゃて……さすが世界樹方面といったところかや」
「え……世界樹方面って……」
その一言によって一瞬で表情を消したユダは、ログ爺越しに聳え立つモノを見つめる。遥か彼方にあるそれはぼんやりとしか少年の眼には写らないが、ただ真っ直ぐと伸びる輪郭は天へと向かい、そして空に浮かぶ白亜の回廊へ続く。
五年前、世界樹方面へ向かったミカエラの兄ハビエルを含む新規発掘隊を襲った悪夢。出発時百を超す人員の中で帰還出来たのは僅か八人。
二千人にも満たない集落にとって大きすぎる被害は、世界樹方面への遠征を禁止にするのには十分すぎる理由だったのだが、ログ爺はそれでも再開せざる得なかった訳を食い縛る少年に諭すように言う。
「……随分と前から此処等の目ぼしい遺跡は干上がっておってな……それにタイミングよく腕のいい戦闘屋達もおったからのう」
居心地悪そうに身体を揺するログ爺を視界の端にユダは、落ち着くために深呼吸し足元にあった手のひら大の金属の塊をてにする。それを両手で転がしながら、今回の遠征前に見掛けた見知らぬ二人を思い出していくと、少年が対照的な二名の特徴に辿り着く前に落ち着きのある声がかけれらた。
「ロズベルグ様」
ミカエラとは違い大人した女性ならではの雰囲気に少年は思わず声のした方を向くと、一軒家並の広さを持ったテントハウス内に、ところ狭しと並べられた遺物等の間を縫いながら寄ってくる二人の女性。
「おぉマアラ、タバサ。今回も世話になったのう」
ログ爺からの労いが嬉しいようで、声の主である童顔かつ小柄ながら霊峰と野生的かつ長身な大平原は弾むようにユダ達のもとへ来る。
「礼不要。ログの頼みならあたりまえ」
慎ましい胸を誇らしげに張ったタバサが嬉しそうに笑うとマアラも頷く。
「そうですよ。むしろロズベルグ様からのお願いを私……達が嬉しくないとでも?」
すぅーっ、とログ爺に身体を寄せたマアラが浮かべるのは非の打ち所のない完璧な笑顔なのだが、それをみたユダの心臓と男性の象徴《シンボル》が縮み上がる。
「こ、これマアラっ、近い顔が近すぎるぞい?」
「書き置き一枚だけ」
「ぐっ……」
「開発するだけしつくして飽きたら……ポイっ、ですか?」
ほぼゼロ距離でログ爺に詰め寄っていたマアラの口から出た言葉に、少年は目を見開く。
「ロ……ログ爺……」
「ユ、ユダ? 誤解じゃぞー主は誤解しておるぞっ!?」
「誤解だなんてひどいです……毎日のようにロズベルグ様自身が、手取り足取り私の腰が立たなくなるまで仕込んでくれたじゃないですかぁ……」
尻すぼみで声が弱くなっていったマアラの頬に朱がさすのを見た少年は、全て理解し金属の塊を手から滑らせ地面へ落としてしまう。
「マ、マアラ!? ワシはお前さんが望んでおると思ったからこ」
「ロズベルグ様は嫌々だったんですね……そうだったんだ……私だけだったんだ……」
「ま、まてまて! 誰が嫌々と言ったっ?」
「……だってロズベルグ様の言い様が……」
「例えマアラが嫌がったとしても、ワシは無理矢理にでもお前さんを仕込んだぞい」
先ほどまでのログ爺の狼狽は何処へ。
優しくマアラの両肩に手をかけるロズベルグと、放心状態で立ち尽くすユダの口からは【かいはつしこむかいはつしこむ……】、と呪文の様に漏れ続ける。
そしてタバサはユダ達のやり取りを見ながら、必死に声を抑え笑いを堪えていた。
*
「ご挨拶が遅れてごめんなさいね。ロズベルグ様の元部下のマアラ・マクスよ。よろしくね」
「同じくタバサ・ヴェイド」
あの後、笑いを堪えられなくなったタバサが、【あっちのせかい】へ逝っていたユダに事の真相を説明し、ようやく落ち着いた少年へ軽い自己紹介と共に手を差し出す二人。
「え、あ……こちらこそお見苦しい姿をお見せして申し訳ありませんでした……ユダ・ヘルメスと申します。ログ爺の元で勉強させて頂いてる身です。こちらこそ宜しくお願いいたします」
己の早とちりを思い出し耳まで真っ赤になったユダは、順に差し出された手を両手で握り返し頭を下げた。
「あ、なんだユダ君もロズベルグ様門下生なんだ。じゃぁそんな他人行儀な言葉使いは無しでいこうよー?」
ユダが同門と知ったマアラは若干砕けた言葉をかけるが、顔を上げた少年は首を傾げる。
「ユダはそれが普通じゃよ」
「……ログ……それはいくらなんでもスパルタ過ぎ」
「ユダ君。オネーサンに全部任せて」
何気なく答えたログ爺へ半目で抗議の視線を向けるタバサとマアラ。
「ちょ、ちょっとまてい二人とも……ユダの言葉使いは出会った頃からこのままじゃ。な?」
慌てるログ爺はユダに向かって同意を求め少年はそれに頷き答えるが、半目のままのマアラは聞く。
「……ユダ君、いくつ?」
「じゅ、十三です」
有無を言わせぬ雰囲気に震えながら答えると、半目だったマアラの瞳が見開かれ、ハイライトの消え去った瞳でマアラがユダの両肩を掴む。
「……じゅ、じゅうさん……うんそうかそうなんだわかったわかったよオネーサンぜんぶわかっちゃったよユダくん……ごりょうしんにあわせて」
最後の一言を聞いたログ爺の雰囲気が一瞬で鋭くなり、マアラを一喝しようとしたその時。
「……す、すいません……父も母もボクが生まれてすぐに機械種に襲われて……他界しています」
血が流れる程に拳を握り締めたユダは、マアラに向かって目を逸らす事なく震える声で言い、歪に笑う。
外敵が跋扈するこの世界で、孤児は珍しいものどころか掃いて捨てる程にありふれたものだ。だからと言って無遠慮に話題にしていいものであるはずも無い。だから孤児特有の荒んだ空気を纏っていないユダになら大丈夫と思ったマアラだったのだが、無惨にも地雷を踏み抜いてしまい言葉を詰まらせ固まってしまう。
しかしマアラとは対照的にタバサが動いた。
「すまない」
たった一言だけ。
たったそれだけの言葉に込められた彼女の誠意は、真っ直ぐにユダに届く。
ぎこちなさは多少残ったままだったが少年は笑顔を浮かべ小さく頷き、そんな健気さに打たれた二人の女は、引き寄せられるようにただ無言でユダの身体を包み込むのだった。