幼馴染み
余った廃材で組み上げられた簡易作業台。地面と同じ様にビニールシートがかけられた上でユダの腕が踊る。
まず両後脚の足首周囲の皮に切り込みを入れ、後脚と皮をそれぞれ手で掴む。皮を頭の方へ引っ張りながら剥がしていき前脚の先まで剥がすと、血抜きがされている肉は綺麗なピンクを晒す。
そのまま顔も引っ掛かる所にナイフを入れて剥いでいく。すると耳の根元に白い物が見えるが、少年のナイフは抵抗無く骨を切断する。最後にユダが引っ張ると、綺麗に輪郭を残し肉と皮にわかれた。
そして剥ぎ取った毛皮をタライへ投げ込むと、兎型を全て運び終えたミカエラが、それを抱えてふらつきながらも木陰裏の小川へ行きジャブジャブと洗っていく。透き通った綺麗な水中に血や肉片が浮くがすぐに流されていき、少女は丈夫な生体種の毛皮ならではの方法で次々に浄めていく。
「ミカエラ、そのタライで毛皮は最後です」
とりあえず作業の区切りが着いたユダは肩や首を解しながら、丁寧に毛皮を洗うミカエラへ声をかける。
「はーい、じゃぁこれ終わったらソミュール液とピックル液の準備しとくねー」
小川の縁に用意した小さな椅子に腰掛けたミカエラは、未成熟ながら女性特有の優しい輪郭を持ち始めた脚を水に浸けたまま、ユダの作業が捗るように先回りする。
「うん。いつもありがとうございます」
言葉にせずとも意を酌んでくれる幼馴染みを、愛おしく思い頬を緩ませるユダ。
しかしそれも一瞬。
表情を引き締めた少年は、作業台の上に転がる毛皮を剥がれた兎型を掴み仰向けに動かした兎型の腹に、ヴィブロナイフの切っ先を撫でる様に走らせる。下腹部から喉元まで入った切り込みから手を突っ込み、破らない様に優しく勝つ素早く内臓を取り出し、分別していく。
肝臓は料理に使えるのでパレットへ。背の辺りの方から外した腎臓は周りを包んでいる脂を取り除き、肝臓と同じく料理に使う為に別のパレットへ移動させる。
そしてユダは中身が空になった肉をタライへ入れ、そのまま次の兎型へ手を伸ばし全く同じ動作で解体を繰り返していくのだった。
*
「ユダ、お疲れさま!」
早朝から開始されていた解体作業の終わりを、日が傾き燈の色に染まり始めた空の下に響いた鈴の様な声が告げた。
全身に血や肉片をつけたユダはミカエラが用意してくれた椅子に、倒れ込む様に突っ込む。昼前には兎型の作業を終えたユダだったが、そんな少年に立ちはだかったのは二十八頭もの猪型だった。一卵性双生児のアシュとヴィンの手助けがなければ、とても一日では終わらなかった量だった。
とは言え、ユダの頑張りを疑う事は無く、椅子の上で脱力しているユダの頭を誉めるように撫でるアシュとヴィン。
「本当に助かりました……ありがとうございました……」
息も絶え絶えな状態だったが、ユダは何とか礼を伝えると一卵性双生児は軽く頷く。
「よく」
「頑張った」
控え目ながら優しい笑みを見せた二人は、ユダとミカエラへ手を振り自宅へと帰っていった。
そうしたやり取りの間も、燻製液と肉が詰められた樽を運搬していた男衆からもユダとミカエラに声がかかり、疲労困憊の少年少女へ気力を注入していった。
「後片付けはやっといてくれるって」
比較的疲労度が軽かったミカエラが雑談をしていた男衆からの厚意を、目を瞑ったままのユダへ伝える。
「……本当にありがたいです……」
既に半目状態のユダがおぼつかない足取りで立ち上がり礼を言うと、男衆は気持ちの良い笑顔で手を振る。
フラフラとユダも振り返すが、今にも落ちそうな瞼にミカエラが苦笑いを浮かべる。
「んじゃユダ……帰ろっか」
耳元で囁く様に言った少女は、幼馴染みの手を握る。
ごつごつとした感触。
でも嫌じゃない。
世界で一番、愛とおしい手を引く少女の頬は桜色に染まり、夕焼けの色と混ざっていくのだった。
*
「ユダ、痒いとこ無い?」
そんな幼馴染みの少女の声が少年の耳を打った。
「え……?」
疲労で朦朧とする中、ユダの口から掠れた声が漏れる。
「だから、痒いとこ無い?」
再び幼馴染みの声が浴室内に響く。
エコーの効いた少女の声は少年の思考を小刻みに揺すり、ユダを覚醒させる。
天井から結露した滴が湯船を打つ。
その滴が水面に波紋を作る短い時間で、少年は霧の晴れた頭を全力回転させ、自身が置かれた状況を正しく把握する。
すなわち。
疲労困憊ながら、血肉にまみれた身体を清めようと入浴しようとしたものの、睡魔に負け意識を手放し全裸で椅子に跨がっていた所へ、薄い手拭い一枚で上と下を保護しただけのけしからん幼馴染みが侵入し、何故か少年の頭を洗っている。
端的に説明するとそんな感じであったが、一桁の年齢だった頃はともかく、ここ数年は一緒に入浴した事は無かったユダは、突然の出来事に狼狽を隠せない。
「え? あ? ミ、ミカエラなんで」
鏡越しに、背後に立つ少女へ問い掛けると、幼馴染みは細い指で血や獣脂で汚れた少年の頭皮を揉みしだきながら答える。
「なんでって、そりゃユダが寝ちゃってたからに決まってるじゃん?」
ショートボブにカットした癖の無い白金の髪を、押さえるようにカチューシャで留めるミカエラは鏡越しにユダに笑いかける。
湯船から上がる湯気によって汗ばむ位の浴室内。必然的にミカエラの肌もしっとりと潤い身体に巻き付けた布を湿らせており、青い果実の輪郭を強調していた。
「いやいや……決まってないと思いますよ?」
少年の性は引き寄せられる様に、生々しい肉感を出す双丘を凝視しつつ突っ込むが、ミカエラは笑って流す。
そしてシャンプーが、ユダの黒髪が隠れる程に泡立ってくると、足元に置かれていたシャワーヘッドを手に取る。
自分の手に付いていた泡を落としながら、ヘッドの持ち手部分にあるボタンを押してお湯を出し温度の確認をしたミカエラ。その前で、今更全裸だった事に気付き股間を隠すユダへお湯をかける。
「熱かったら言ってね?」
少年の行動を見て見ないふりをする少女の頬は赤く染まるが、顔の辺りを漂う湯気に遮られそれに気付かないユダ。
「あ、ありがとうございます。適温ですよ」
言葉通り心地好い水流だったが、ユダの体温は急上昇していた。
ヘッドから勢いよく流れ出るお湯。
飛び散る飛沫。
濡れる布地に透ける肌。煩悩にまみれ主張しそうになってきた愚息を宥めつつ、固く目を閉じ耐えているユダへ、あらかた泡を流し終えたミカエラが、ふと思った事を呟いた。
「はーい、ってそう言えば、こうやって一緒に入るの久しぶりだよねぇ」
「……ですねぇ」
そんな彼女の言葉に込められた想いを感じる少年。
商隊を生業にしていたユダの両親は、彼が産まれて直ぐの仕事で機械種に襲われ商隊諸とも呆気なくこの世を去った。
しかし幸か不幸か、同行していなかった生後間もなかったユダは難を逃れ、そのまま村が運営する孤児院が彼の家となった。ただ幸いな事にスプリングバンクの村人は皆善人で、孤児院で暮らす子供達を差別する事無く、大切に育てたのだった。そんな善意の人々の中にミカエラの兄、ハビエルもいた。彼とミカエラは小さいながらも両親の遺した家があったので、孤児院には入っておらず兄妹二人で慎ましく暮らしていた。
当然、子供二人きりでは生活は厳しいものだったのだが、才覚溢れるハビエルはなんとか生活費を稼ぎ出しミカエラを養い、また自身の可能性も育てていったのだった。
そして屈折する事なく成長していったハビエルは、当たり前の様に自身と同じく、家族を無くした子供達が集まる孤児院へ通うようになり、そこでミカエラと同い年のユダを見つけ、本物の弟の様に可愛がったのだった。
「……ユダはいなくなっちゃダメだからね……」
固く瞑った瞳の奥に、肉親の暖かみを感じさせてくれたハビエルを思い出していたユダに届いた小さな祈り。
「……ミカエラもですよ」
もう一つの小さな祈りが浴室内に響いた。