少年
「ログ爺、本日も色々と聞かせて頂きたいのですが?」
丁寧な物言いとは裏腹に、黒い瞳を爛々と輝かせた一人の少年。
園長から与えられた一日分の仕事を終え、ログ爺の元に直行してきた少年の息は荒い。
「ほぉー、こりゃまた今日は随分と早いお出ましだなぁ。まさかと思うがサボって来たんじゃなかろうなユダよ?」
真っ白に退色した癖の強い髪を肩に届く程度で切り揃え、後ろで一つに纏めたログ爺と呼ばれた初老の男。
彼が椅子に座り読み耽っていた携帯端末から視線を上げ、肩で息をするユダへ笑いかけると、少年は憮然とした表情を作り異議を申し立てる。
「まさか。この前来た時にログ爺に調整してもらったナイフのお蔭です。これまで使っていた物よりも嘘みたいに切れるので、作業が早く終わっただけですよ」
ユダはそう言いながら、腰に吊るした硬質な革でしつらえた鞘へ収められたナイフの柄を軽く叩いてみせると、ログ爺は呆れたとも驚いたとも感心したとも取れる表情をする。
「なんともまぁ器用なもんじゃ。本来それは戦闘用なんじゃが、ユダにかかれば立派な生活道具かや」
「……え……これ戦闘だったのですか……それならばボクが持っているよりも、警備隊か発掘隊に使って貰った方が有用ですね……」
ログ爺の言葉に少年は、新しく手に入れた相棒の本来の用途を知り肩を落とした。
「戦力として考えるならその方がいいじゃろう。じゃが生産性を考えるのならばユダ、お前さんが使った方がいいのではないかの? それに振動ナイフは遺物としては珍しく無い物じゃ。直ぐに他にも発掘されるじゃろうで、それは主が持っておればよいと儂は思うがの」
普段は年齢とは不釣り合いな落ち着きを持つ少年がみせた年相応の表情に、ログ爺は柔和な表情で頭髪と同じく色褪せた顎髭をしごきながらそう言うと、ユダの表情は見る見るうちに輝きを取り戻す。
そして少年は大きく頷くと、大事そうにナイフの柄を優しく撫でるのであった。
*
一頻りナイフを愛でたユダは、来訪の目的を思い出す。
「……あー……ログ爺こんなんでなんかアレですが、今日もよろしいでしょうか?」
頬を指で掻きながら、申し訳なさそうに言うユダへログ爺は笑う。
「もちろんじゃよユダ。こんな老いぼれの話でよけりゃいくらでも聞いておくれ」
そしてこの時代では、貴重な白檀の精油を練り込んだワックスで磨き上げられた丸椅子をログ爺が手で勧めると、ユダは軽く会釈をし腰掛ける。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて早速なのですが、昨日の続きを是非ともお願いします」
行儀よく足を揃え背筋を伸ばしたユダは、綺麗な二重の瞳を爛々と輝かせログ爺へせがむ。
「んー確か昨日は生体種と機械種について少し話したんじゃったな……ふむ。……ではユダよ、主は天津民と言う言葉は聞いた事はあるかや?」
「……えぇ、それはもちろんあります。【神の雫】に出てくるから、知らない方がおかしいですよ」
ユダは数あるおとぎ話の中で、有数の知名度を持つ物語に出てくる名称を聞かれ、思わず形のいい眉をひそめて抗議をする。
「そう怒りなさるな。知らぬと思って聞いた訳じゃぁない。……ならば今日は【神の雫】について少し話させてもらおうかや」
拗ねた様な表情をみせるユダ。ログ爺は内心、今日は珍しいモノを拝見出来て幸運、とにやけつつも、それを微塵も出さず手で少年を宥めテーブルの上で静かに湯気を吐くポットを取った。
「【神の雫】ですか……正直ピンと来ないですね……えーっと……神さ……天津民が世界に蔓延っていた災厄を祓って、尚且つ遺跡を創り人類種が生きる為の手段を与えた、って感じでしたっけ?」
腕を組み首を捻りながら答えたユダへ、ログ爺は少年専用となったチタンマグにポットの中身を注いで渡すと、レモネードの爽やかな香りが広がる。
ユダとログ爺が暮らす村はまだ比較的裕福であったが、それでも鼻腔を刺激するレモンと蜂蜜の甘い誘惑は少年とって嬉しい物らしく、両手で受け取り笑顔でそのまま一口啜る。
「ふむ。まぁそんなもんじゃろうなぁ」
マグから唇を離しホッと一息つくユダへ、小さく頷くログ爺。
ユダは口を着けた部位を軽く親指で拭きながら、博識である大好きな老人へ問う。
「そんなもん……ですか。やけに含みのある言い方に聞こえるのですが?」
すると、ログ爺はいつも浮かべている笑みを消すと、真剣な眼差しを少年へ向けゆっくりと言葉を紡いでいくのであった。
*
「……ユダ、主は賢い」
「……いきなりなんですか?」
ユダが期待した内容では無い一言に、少年は男の子にしては少し細い眉を思わずひそめるが、ログ爺はそれを手で制しまっすぐ彼の目を見る。
「今から見せる映像は、ワシがまだ探索者として遺跡を巡っていた頃に収集した情報遺物の物じゃ」
「情報遺物!? って……え? ちょっと待ってくださいよ。ログ爺って探索者だったのですか!?」
「そうじゃよ。と言っても、昔から整備士としても仕事はしておったぞ」
「整備士なのは知ってます! でも探索者だったって話は初耳でしたから、正直驚きましたよ」
誰にも話した事は無かったが密かに強い憧れを抱いてる職業に過去とは言え、目の前の老人が就いていたと知ったユダのテンションは跳ね上がり、興奮ぎみにログ爺へ詰め寄った。
「もう十年以上も前の事じゃよ。っと、話が逸れたのう。どれ……どこから見せるべきか」
軽く目を瞑り手酌で入れたレモネードを一口含み小さく喉を鳴らすログ爺を、興奮冷めやらぬユダは目を輝かせ一挙手一投足を食い入る様にして待つ。
ログ爺はユダの持つ物と同型のチタンマグをテーブルへ静かに置くと、おもむろに立ち上がる。齢六十を越えてはいるが、その体躯に衰えは見えず生気に満ち溢れていた。ただ鍛え上げられた身体の左膝から下は存在しておらず、代わりに骨格構造義足が伸びており、現役を退いた理由が見て取れた。
しかし違和感無く部屋の隅に設置されている棚まで移動したログ爺は、一冊のファイルを手に取る。そして中から掌サイズの石英盤を一枚取り出すと、同じラックに載っているプレイヤーへ挿入した。
自動で照明がしぼられ、天井に吊るされたプロジェクターから映像が投射される。壁に掛けられたスクリーンを二次元ながら精細に表現された映像が彩り、オープニングも無しで唐突に映像が始まっていく。
するとそこには、人類種の敵であり、また重要な資源でもある機械種が映っていた。
「……機械種?」
だがユダはそこに映るモノが自分の知っているソレと同一のモノとは思えなかった。
「でもなんで隣の人類種は襲われない……?」
少年の知っている機械種は人類種を認識すると、まず間違いなく排除行動に出るのだが、驚く事に映像内で犬型機械種は隣に立つ男に対し、その身を無防備に晒していからだった。そして多種多様な工具を駆使する男は、信じがたい事に犬型機械種の調整をしていた。
バラしては組み直しを楽しそうに行う様子が流れ続けたが、いきなり場面が白を基調とした室内から、芝が生い茂る晴天の下へと切り替わった。
「……今度は生体種?」
戸惑いを隠せないユダの眼には、先ほどと同様に少年が知っている敵であり、また重要な食糧でもある生体種が映っていたのだった。