9.ツケを払うことになった、
朝、目を覚ました瞬間、妙な違和感があった。
静かすぎる。
いつもなら、家の中には生活音がある。テレビの音だったり、食器の触れ合う音だったり。けれど今日は、それがやけに遠く感じた。
重い体を起こし、リビングへ向かう。
「……あ」
そこには、恵がいた。
まるで最初からそこにいたかのように、自然な顔で椅子に座っている。スマホをいじっているわけでもなく、ただ静かにテーブルの上を眺めていた。
「おはよう、仁君」
「……おはよう」
短いやり取り。だけど、この距離感は嫌いじゃない。
俺は椅子に腰を下ろし、用意されていた朝食に手を伸ばす。味はいつも通り。けれど、頭の中には別のことが浮かんでいた。
正利さんからの連絡。
――ギルド本部のビルに来てほしい。
「……なんで俺なんだよ」
思わず、口からこぼれる。
恵は少しだけ視線を上げた。
「呼ばれてるんだから、行くしかないでしょ」
「いや、そうだけどさ……」
正直なところ、全部正利さんがやってくれている。ギルドの運営も、外との交渉も、情報整理も。俺がやることなんて、ほとんどない。
いや――“ないはず”だった。
「……正利さんがギルマスでいいじゃん」
ぼそっと呟く。
それが一番効率的だし、誰も困らない。俺なんかより、ずっと向いている。
けれど恵は、ほんの少しだけ苦笑した。
「それ、本人に言ってみたら?」
「絶対断られるだろ」
「でしょ?」
……分かってる。
だから余計に、面倒くさい。
朝食を流し込むように食べ終え、俺は立ち上がった。
「行くか」
「うん」
家を出る前に、親には適当に「遊びに行ってくる」とだけ伝える。もちろん、本当のことなんて言えるわけがない。
ダンジョンだのギルドだの、そんな話をしても信じてもらえるとは思えないし、何より心配をかけるだけだ。
外に出ると、まだ少し冷たい空気が頬を撫でた。
春は近いはずなのに、朝はまだ冬の名残が残っている。
恵の原付の後ろに乗り込み、エンジンがかかる。
軽い振動とともに、日常が遠ざかっていく感覚。
「で、場所は?」
「東京都渋谷区✕✕✕の✕丁目」
「遠いな……」
「文句言わない」
アクセルが回され、景色が流れ始める。
最初は住宅街。やがて幹線道路に出て、車の流れに紛れる。信号、看板、人の群れ。どこにでもある日常の風景。
けれど、その裏にある“もう一つの世界”を、俺たちは知っている。
「恵、今何レベルだ?」
ふと思い出して聞く。
「40」
「やっぱりか……」
思わず、息を吐く。
「俺は46。称号のせいか、上がりやすいけど……」
「持久戦、ダメなんでしょ?」
「……よく分かってるな」
苦笑する。
瞬間的な火力やスピードなら問題ない。むしろ、かなり強い部類に入るはずだ。
でも、それが長く続かない。
スタミナが持たない。
「長期戦になると、一気にきつくなる」
「弱点だね」
「分かってるよ……」
分かっているからこそ、どうにもならないのが厄介だ。
しばらくして、都会の景色が濃くなっていく。
ビルが増え、人の数も増える。
そして――
「着いたよ」
目の前に、大きなビルがそびえ立っていた。
「……これか」
思わず、見上げる。
十二階建て。外観は普通のオフィスビルだが、どこか無機質で、近寄りがたい雰囲気がある。
その入口に――
「仁君!」
正利さんがいた。
相変わらずの大柄な体。人混みの中でも、一発で分かる存在感。
「久しぶり!」
そう言って、いきなり抱きついてくる。
「ぐっ……!」
肺が圧迫される。
「ちょ、ちょっと待って……!」
「ははは、ごめんごめん!」
軽く笑いながら離れる正利さん。
いや、笑い事じゃない。
「相変わらずだな……」
「元気そうで何よりだよ」
その言葉に、少しだけ安心する。
この人がいる限り、大丈夫だと思える。
……だからこそ。
「やっぱり、正利さんがギルマスでいいんじゃないですか」
思わず、口に出していた。
一瞬、空気が止まる。
「……またそれ言う?」
苦笑しながらも、どこか真剣な目。
「だって、その方が――」
「ダメだよ」
即答だった。
「これは仁君のギルドだ。俺はあくまで“支える側”」
「でも――」
「それにね」
正利さんは、少しだけ声を落とした。
「君にしかできないことがある」
その言葉に、返す言葉が見つからない。
何ができるのか、まだ分からない。
けれど――期待されているのは、確かだった。
「……中、案内するよ」
ビルの中に入る。
一階は受付。
すでに何人かの覚醒者がいて、手続きをしている。装備もバラバラで、いかにも“個人プレイヤー”といった雰囲気の者もいれば、統一された装備のパーティーもいる。
「ここが受付。依頼とか、情報のやり取りはここでやる」
「普通のギルドっぽいな」
「まあね。でも――」
エレベーターに乗り、上へ。
「この上からが、ちょっと違う」
二階。
扉が開くと、そこは広い空間だった。
カウンターが並び、素材やアイテムの査定が行われている。
「換金所だよ。ダンジョン産の素材を買い取る場所」
「……思ったより、本格的だな」
「でしょ?」
さらに上へ。
三階から上は、事務所や部屋になっていた。
「ここはギルメン用のスペース。長期滞在もできるようにしてある」
「……もう、完全に組織だな」
ぽつりと呟く。
ダンジョンは、もはや個人の冒険じゃない。
組織、金、情報――全部が絡み合っている。
「地下も見ていく?」
「行く」
再びエレベーターへ。
地下に降りると、空気が変わった。
少し湿っていて、冷たい。
「ここは倉庫。地下三階まである」
積み上げられた資材、武器、防具、そして見たことのない素材。
金属の匂いと、わずかな埃っぽさ。
「……すごいな」
「政府の支援も入ってるからね」
「政府……」
その言葉に、現実を突きつけられる。
「ダンジョンや試練について、意見を求められることもあるよ」
「……そんな規模かよ」
「うん。もう“遊び”じゃない」
静かに言われる。
分かっていたはずだった。
けれど、こうして目の前にすると、重みが違う。
地上に戻る。
ビルの入口から外を見ると、いつもの渋谷の風景が広がっていた。
人が行き交い、車が走り、何も知らない日常が続いている。
そのすぐ隣で、俺たちは別の世界に立っている。
「……なあ、正利さん」
「ん?」
「俺に、何ができるんだろうな」
正直な疑問だった。
強さだけじゃ足りない。
組織を動かす力も、経験も、まだ足りない。
それでも――
「さあね」
あっさりと返される。
「でも、考えて動くしかないよ」
「……ですよね」
苦笑する。
逃げる選択肢は、もうない。
ここまで来た以上、前に進むしかない。
俺はもう一度、ビルを見上げた。
ここが――これからの拠点。
戦場であり、日常でもある場所。
「……やるか」
小さく呟く。
その声は、自分でも驚くくらい、はっきりしていた。
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――ガタンッ!!
一階の方から、大きな物音が響いた。
「……なんだ?」
空気が一瞬で張り詰める。
さっきまでの落ち着いた雰囲気が、一気に崩れた。
「トラブルっぽいね」
恵が短く言う。
正利さんはすでに動いていた。
「行こう」
俺たちは足早に一階へ向かう。
階段を降りる途中でも、怒鳴り声がはっきり聞こえてきた。
「ふざけんなって言ってんだろ!!」
受付前。
そこには、一人の男がいた。
年は二十代後半くらいか。装備はそれなりに整っているが、どこか荒い。手には血の付いた短剣。
周囲の覚醒者たちは距離を取っている。
「どうしましたか」
正利さんが前に出る。
穏やかな声。けれど、その一歩には圧があった。
男は苛立ったように舌打ちする。
「どうもこうもねぇよ!査定だよ査定!なんでこんな安いんだよ!」
カウンターの上には、魔物の素材がいくつか置かれていた。
牙、皮、そして――黒く濁った結晶。
「こちらの素材は劣化が見られます。正規の価格では――」
受付の女性が説明するが、男は遮る。
「うるせぇ!!ちゃんとダンジョンで取ってきたもんだぞ!」
空気が悪い。
ただのクレーム、じゃない。
「……仁君」
小さく呼ばれる。
振り向くと、正利さんが俺を見ていた。
「どうする?」
「え?」
一瞬、意味が分からなかった。
「これは“君のギルド”の問題だ」
その言葉で、理解する。
――俺が動く場面だ。
心臓がドクンと鳴る。
正直、面倒だと思った。
でも、それ以上に――逃げたらダメだ、と思った。
「……分かりました」
一歩、前に出る。
視線が一斉に集まる。
男も、俺を睨んだ。
「あぁ?なんだガキ」
「話、聞かせてもらっていいですか」
できるだけ落ち着いた声で言う。
端にいる人達が、「おい、あれってギルマスだよな」、「あいつ、絡む相手くらい選べよ」と騒ぎ始めた。
「値段に納得いってないんですよね」
「当たり前だろ!」
男は素材を叩く。
「命がけで取ってきたんだぞ!それをこんなゴミみたいな値段で――」
「本当に“ちゃんと取ってきた”やつですか?」
俺は遮った。
一瞬、沈黙。
男の眉がピクリと動く。
「……どういう意味だ」
「その結晶」
黒く濁ったそれを指さす。
「普通のドロップじゃないですよね」
周囲がざわつく。
受付の女性も、驚いたようにこちらを見る。
「劣化してるんじゃなくて、“変質してる”」
俺は続ける。
「たぶん、暴走個体の影響を受けてる」
男の表情が変わった。
わずかに、焦り。
「……なんで分かる」
「似たの、見たことあるんで」
嘘じゃない。
あの時――外に出た後、襲ってきた覚醒者。
あれと同じ“違和感”。
「それ、普通に流通させたら危ないですよ」
「は……?」
「最悪、触れたやつが影響受ける可能性もある」
ざわっ、と空気が揺れる。
受付の奥で、誰かが小さく息を呑んだ。
「だから、値段が低いんじゃなくて――」
一拍置く。
「“扱えない”んです」
男は黙った。
拳が震えている。
怒りか、それとも――
「……じゃあ、どうしろってんだよ」
絞り出すような声。
さっきまでの勢いはない。
「無駄になんのかよ……」
その一言で、少しだけ理解する。
こいつはただ、損したくないだけじゃない。
命をかけた結果を、否定されたくなかったんだ。
「処理方法はあります」
俺は言う。
「ギルドで引き取ります。ただし――」
「ただし?」
「危険物扱いになるんで、通常の換金はできません」
「……は?」
「代わりに、ギルドの“貢献ポイント”として処理します」
正利さんが少しだけ目を細めた。
でも、止めない。
「ポイント?」
「ギルド内で使えるやつです。装備の貸し出しとか、情報優先権とか」
男は黙って考える。
「……現金じゃねぇのか」
「リスク込みなんで」
はっきり言う。
ここで甘くすると、後が続く。
しばらくの沈黙の後――
「……チッ」
男は舌打ちした。
「分かったよ、それでいい」
空気が、少し緩む。
受付の女性がほっとした顔をした。
「では、こちらで処理を――」
手続きが始まる。
男は素材を押し出すように置いて、背を向けた。
去り際、小さく呟く。
「……ありがとな」
聞こえるか聞こえないか、ギリギリの声。
俺は何も返さなかった。
ただ、その背中を見送る。
静かになった受付。
「……ふぅ」
息を吐く。
一気に疲れが来た。
「いい対応だったよ」
正利さんの声。
「……そうですか?」
「うん。ちゃんと“守る側”の判断だった」
その言葉が、少しだけ胸に残る。
恵が隣に来る。
「意外とやるじゃん」
「うるさい」
「でも、ちょっとカッコよかったよ」
「……やめろ」
顔が熱くなる。
視線を逸らす。
けれど――
悪くない。
そう思っている自分がいた。
ギルドの中を見渡す。
さっきまでと、少しだけ景色が違って見えた。
ここはただの建物じゃない。
人が集まり、問題が起きて、それを解決していく場所。
そして――
その中心に、自分がいる。
「……次は、何が来るかな」
小さく呟く。
その時だった。
受付の奥から、慌ただしい足音。
「正利さん!」
スタッフの一人が駆け寄ってくる。
「皇居にあるダンジョンの一つで、異常発生です!」
空気が、再び変わる。
「……詳しく」
「いきなり等級が7から4級に上がったと鑑定士から報告が……それと――」
一瞬、言葉を詰まらせる。
「探索者が、戻って来てないのにダンジョンがフリーになってるそうです...」
沈黙。
さっきとは比べものにならない、重い空気。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
――来た。
日常の次は、非日常。
「……行きます」
迷いはなかった。
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