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Children Of Sanuma  作者: momo
5/16

5

 あんちゃんのライブの日は、まもなくやってきた。

 

 「いやどうも。(注:茨城弁で極めて多様な意味を持つ。ここでは凄いな、驚いたな、の意)」

 四人が降り立った水戸駅は下妻駅とはまるで格が違う。デパートにビルディング等、テレビで見た大都会の街並みそのものである。

 大地は思わず瞠目し、ため息まじりに呟いた。

 「たまげでる場合でねえよ。早よあんちゃんどご、行くぞ。」大河は大地の背を軽く突き飛ばし、人ごみの中へ歩みだす。

 夕方の水戸駅はキラキラ輝いていて、こんなところであんちゃんはライブをやるのかと思うと、大地は幼少時とはまた異なった種類の憧れと、俺らのあんちゃんだど、とでもいうような晴れがましさと、それからよくわからない少々の嫉妬との入り混じった気分に襲われた。

 朱里が足早に先頭を切って歩きだす。久しぶりに兄に会えるのが楽しみなのかもしれない。

 その後を三人が続いた。

 「俺中学出たら、こんな都会さ行ぎでえんだよな。」ルアンが言った。

 「ええ? 中学出たらって、……高校があっぺな?」驚いて大地が問う。

 「おどづい、母ちゃんに高校は行がせらんねって言われだ。」

 「なんでだ?」大地は眉根を寄せて問う。

 「おれな、戸籍ってのがねえんだど。」

 「戸籍って何だべ?」大地が首をかしげる。

 「市役所どがに仕舞ってあるやづでな、どごで産まれたとか、父ちゃん母ちゃん誰だとか、そういうんが書いてある日本人の証明なんだど。……おれ日本人じゃねえがら、日本にいますって証明ができねで(注:できなくて)高校上がれねんだど。」

 「マジか。」大地は驚いた。「ほっだごど言ったっで、おめ何年も日本いべよ。俺が証明してやっぺな。ずっといますよって。」

 「証明の紙がいんだど(注:いるんだって)。」

 「ほっだのいくらも書いてやっぺよ。」

 「おめがか?(注:お前がか)」

 「ほだよ(注:そうだよ)。……まあ、大河の方が習字うめえがら、大河でもいいや、『大河、書いてくろ(注:書いてくれ)』。」

 大河は困惑したように振り返る。「戸籍っつうのは、勝手に習字で書くもんでねど(注:ないよ)?」

 「じゃ、先生に頼んでみっぺ。赤塚先生だったら字もうんめえし、おめのごろ常日頃っから心配しでっがら一肌脱いでくれっぺよ。」

 「赤塚先生でもだいだべ。(注:だめだろう)」

 「じゃあ、だいなら(注:誰なら)やってくれんで? ルアンがそんなさっさと都会さ行っぢまうっつうのは、寂しいなあ。」

 先頭を行く朱里の歩みがほんの少し遅くなったような気がした。

 「うん。……俺も、おめらと一緒にいでえんげどなあ。(注:いたいんだけどな)」切実な響きがあった。

 どうしたらよいのか、田舎の子供たちには見当もつかない。今まで戸籍などという存在について考えたこともなければ、それがないということで将来がどのようになってしまうのかなど、知るべくもない。ただし、顔かたちが下妻の他の子供たちとは少々変わっているだけで、ルアンは大切な幼馴染であった。

 誰もルアンの言葉に適切な返事を見出せないまま、やがて、ライブハウスに到着した。


 「あんちゃんのバンドだっぺ!」大地が叫んだ。

 ライブハウス前には本日のバンド名の書かれたボードが設置されていた。そこにはたしかに、あんちゃんのバンド名がでかでかと記されていた。その下にはA4サイズのポスターも貼ってあり、その真ん中にはレザージャケットに身を包み、背中まで髪を伸ばした下妻時代とは異なるあんちゃんの姿があった。

 ライブハウスの周囲には、あんちゃんと似たようなレザージャケットを身にまとった長髪の男たちが大勢列をなしているのである。

 「……おっかねそうなのがいっぺえいっど?(注:怖そうな人がたくさんいるぞ)」大地が思わずつぶやき、「こっだら人(注:このような人)、下妻にはいね(注:いない)。見だごどね。」こっそりと大河に耳打ちされる。「おどごめ(注:男)なのに、髪の毛長ぇし耳っどごえれえ穴開いでっぺよ。ほれ。」大河は大地に、それ以上言うなと片手で制しつつ、でもしきりに頷いた。

 意外にそこになじんでいるかに見えるのがルアンである。ルアンは彫りの深い顔立ちに金髪であって、その顔つきがやけに落ち着き払った表情でいるのに、にこの時ばかりは大地は嫉妬を感じた。たまに学校に来てはクラス内外の女の子にちやほやされている時には感じなかったのに。

 「あんちゃん、本当にこごにいんだべな?」

 大地に問われ、朱里が小さく頷く。

 「いねがっだら、おれすぐ帰るぞ。そわそわしっちまう。」

 列に並んで受付前に来ると、大河が練習してきた通りに、「Needled24/7のギターの海里さんの名前で4名分チケットを取って頂いていると思うのですが。」精一杯の標準語で、ピンク色した髪の女性に伝えた。

 「海里さん、海里さん……」女性はものすごい長い爪で巧みに紙を繰る。「あ、OKです。ドリンク代も頂いてますんで。お代は頂戴しません。このまま奥へどうぞお進みください。」

 ルアンが目を見開いた。

 「ただで入れんですか?」大河がもう一度確認した。

 「500円いるって聞いでだど?」大地が驚いて言う。

 「ええ、どうぞ。」女性はにっこりと微笑む。「海里さんの弟さんたちですよね、聞いていますよ。」

 促され一歩扉をくぐると、そこは見たことのない世界である。

 真っ暗な客席には、大勢の大きな男たちがそれぞれ楽し気に言葉を交わしたり、スマホを見つめたりしている。

 ふと前方を見やると、ステージに掲げられているバックドロップには「Needled24/7」の血の滲んだような恐ろし気な文字がでかでかと躍っている。

 「あんちゃんのバンドの名前だっぺ。」大地が落ち着きなく言う。

 一方ルアンは口笛でも吹きそうなリラックスした様子で、バーからドリンク片手に戻ってくる。そのままルアンは三人を引き連れて、「こっちさ行くべよ。」と客席中央へと促した。

 「あんちゃんは歌だから、いつも真ん中にいっがんな。あんちゃん見ねえどしゃんめ(注:仕方ないだろう)。」そう言ってルアンはおじることなく、ずんずんと人ごみの中を真ん中に進んでいく。

 「まあ、ここいらでいがっぺ(注:このへんでいいだろう)。」

 大地はルアンの新たな一面に驚きを感じざるを得なかった。ルアンは大抵どこにいても(朱里の離れは除いて)居心地の悪そうな、もっと言えば存在していること自体に対してどこか申し訳なく思っていそうな、そんな気配を常に漂わせていた。外国人の風貌もそう見せる因の一つだったかもしれない。

 朱里の家にいる時だけはぐうぐう寝ていることが多かったが、それも他の場所では窮屈な思いをしているから精神的にも疲れ切っているのだろう(牛乳配達による早起きもあるが)と大地は勝手に感じていた。

 しかしそのルアンが、赤だの金だのの髪をやたら伸ばした屈強な男たちの中では、水を得た魚のように生き生きと過ごしているのが、なんだか不思議でならなかった。嬉しい意味での裏切り、に似た感覚であった。

 「俺も喉乾いちまったー。おめ、何飲んでんで?」

 「あ? ビールだよビール」

 大河が眉を顰める。「だい(注:だめ)だっぺよ。」

 「ほがー? 俺、母ちゃんの店で客の残したのよぐ飲んでっど? つんのめった(注:つまづいた)こどもね(注:ない)。おれ、酒に強いんだ。」

 「ほっだらごど(注:そんなこと)言ってんでねえよ。法律だっぺよ。未成年はだいなんだっぺよ。ほれ、捨ててこいよ。な。頼むからよ。」もはや懇願である。

 「もったいね。」と言って一気に呷って飲み干した。

 大河は呆れたように溜息をつく。

 「おれはファンタもらってくんべ。おめは何だ? お水か?」

 朱里は大地を見返す。

 「わがっだ。もらってきてやっかんな。」

 そんなやりとりをしつつあんちゃんへの期待を募らせていると、突如、客席のライトが落ちた。


 同時に、うおおおお、という地鳴りのような男たちの声が響いた。大地はぎょっとして思わず大河に抱き着く。即座にやめろよ、と言わんばかりに荒々しく振り払われる。

 ステージが光った。と同時に、耳を劈くすさまじい音量が大地らを襲った。雷。

 ーーあんちゃん、がそこにいた。

 あんちゃんは長い腰までの黒髪をなびかせながら、とてつもない怒りと喜びを秘めた目つきで、ギターを弾きながらがなり声をあげた。それは獣の咆哮。

 何を言っているのかわからないが、体が、心がその根底からぐらぐらと揺さぶられとてもじっとしてはいられない。気づけば周りの男らにつられて、大地も大河も、朱里もルアンも、拳を上げ頭を振っていた。

 ーーなんだがわがんねえけんど、体が熱ぃぐでかなわねえ。頭ぶん殴られて痛ぇような気もすんのに、もっと暴れたくてかなわねえ。あんちゃんみてえに叫びたくってかなわねえ。ーー

 大地は初めての感覚にほとんど泣きそうになった。

 立て続けに曲は次々と展開していく。

 あんちゃんも、その隣にいるギター、ベース、そして要塞に囲まれているかの如くのドラムも、それぞれが異なった形でのすさまじい存在感と威圧感と、衝撃とを隈なく与えてくる。

 客席が変わる。頭を振り、拳を掲げていた何人かがぐるぐると客席に渦を巻いて走り出し始めた。そこに真っ先に加わったのが、今までに見たことのないはちきれんばかりの笑顔のルアンである。

 早速知らない男たちに肩を組まれ、一緒になって拳を突き上げながら駆けずり回っている。大地はそれを見ながら腹の底から笑った。湧き上がる嬉しさがもはや苦しかった。

 あんちゃんがそれに気づいて、がなり声をあげながらにやりと唇の端で笑った。金髪で長身のルアンは目立つ。

 あんちゃんは背を屈め、ステージ前で走っていたルアンの腕を荒々しく掴み、そのまま自分の隣に引っ張り上げた。

 「あんちゃん!」ルアンの口はそう言った。

 あんちゃんは再び不敵な笑みを浮かべた。と同時に、エフェクターボードでワウを踏んでいた右足を上げ、思い切りルアンを蹴り飛ばした。ルアンはそれはそれは見事な弧を描いて客席に落ちて来た。一瞬一瞬がスローモーションであった。

 「あんちゃん、何すんでー!」大地は叫び、届かない腕をそれでも必死に伸ばした。

 しかし、ステージ前の男たちが落ちて来るルアンを皆で抱き留めていく。

 大地はそれを見て一瞬膝から崩れ落ちそうになったものの、肩で息を大きく吐いてなんとか堪えた。

 なぜか前方の客たちは歓声を上げている。とんでもない奴ら、だと思った。あんちゃんも笑っている。

 しかしルアンは再び走り出す。大男らと一緒になって。金色の髪を靡かせ汗だくになりながら。

 その時大地は思った。ここはきっと天国だ。誰もが喜びそれを全身全霊で分かち合える天国だ、と。戸籍がなんだっていうんだ。証明がなんだっていうんだ。そんなものなくたって、幸せは手に入れられるべきじゃないか。そうだ、これを自分もあんちゃんのように作り出せる人になろう。それが自分のここに生まれた使命なのだ。


 やがてライブは幕を閉じた。

 理性を取り戻したかに見えるあんちゃんが、客一人一人を讃えるようにしながらステージを去っていく。

 再びライブハウスには静けさが戻った。

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