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その時既に、茨城に期待の持てる若手メタルバンドがいる、というのは都内でも有名な話であった。特にそのソングライターがかのNeedled24/7のフロントマンの実弟で、才能に満ちたギタリストであるということと併せて。
In Your Faceはつくばのライブハウスを拠点に活動しつつ、四人は海里から様々な国内外のメタルバンドを教えられ、彼等の名盤を聴きこみ、自分たちの曲に反映させていった。その中心的存在である朱里にとっては、コード進行、インパクトを出すアレンジ、ギターソロ、心震わせるリフ、生み出さなければならないものはそれこそ五万とあって幾ら時間があっても足りなかった。しかし、東京に出るまでに、もっともっと自分たちをアピールし得る曲を作りたかった。兄にも負けぬようなバンドを作りたかった。言葉が出ない分、全ての表現への希求は曲のみに集約され、そして発揮されていった。
ある日のこと。
蔵でいつものようにバンド練習を行っていると、海里から朱里のスマホに一通のメッセージが入った。
――俺たちのライブのオープニングアクトをやらないか。――
大地たちは色めき立った。あんちゃんと同じステージに立つことができるなんて、いつかとは思ってはいたものの、まだまだ先のことだと思っていた。
「何でだ?」大地は朱里のスマホを引っ手繰ってメッセージを返す。
――実はもともと決まってたバンドがキャンセルになっちまったんだ。メンバーの一人が失踪したらしい。――
「やる」大地は誰にも聞かずそう返信した。大河とルアンが目を丸くする。
「おめ、時間とか場所とか……、Haxedの予定とぶつかってねえが確認しねえど……。」と一応大河。
――ライブは再来週だから時間が迫ってて、こっちじゃもう出られるめぼしいバンドがねえんだ。そんでおめらの噂を聞いてた今回のブッキング担当者が、おめらをぜひ茨城から呼んでくれねえかって。――
「どうする?」笑顔で大地が尋ねた。もうその得られるべき回答はわかっている、そんな笑顔だった。
「出てやっぺ」とルアン。「……正直『穴埋め』つうのは気に食わねけんど、俺らの実力を東京に見せつけてやるいい機会だっぺ。」
大河と朱里は顔を見合わせた。
「朱里は、どう思う?」
困ったような考えるような顔をしつつも、頷いた。
それを見て、「よっしゃ!」と大地は歓声を上げ、ルアンとハイタッチを交わす。
――もうチケットは販売してあって明日にもオープニングアクトの変更が伝えられる。持ち時間は45分フル。曲数は任せる。大丈夫か?――
朱里は今度は口元にぎゅっと力を込めて頷いた。
東京に、出る。あんちゃんのファンに、観てもらう。たくさんの人に聴いてもらう。そっと武者震いを始めた右手を左手で覆った。
別々のバンドをやっている兄弟が、一つのライブイベントにブッキングされるという話は珍しい。ましてや片や日本のメタルシーンを牽引する有名バンド、そしてもう一方が中高生のバンドである。
チケットの売れ行きはもちろんNeedled24/7がメインアクトである時点で好調であったが、オープニングアクトとして実弟が出るということで残りの分もすぐにはけた。当日券の見込みもない。
四人は何度も協議を重ねて演奏曲を決めた。持ち時間は45分。今回は板付きであるので与えられた時間はフルに曲に使えるものの、自分たちでは6曲がせいぜいのところである。
そのうちほとんどはスムーズに決められたものの、残りの一曲をどうしても朱里が納得しない。
つくばのライブハウスで最も客が盛り上がる曲、これは最高だと店長に褒められた曲、他の誰でもない海里が讃嘆してみせた曲、どれもこれも評価は高いのに朱里がうんと言わないのである。
「じゃあ、どうすんだよ。5曲で終ぇにすんのが?」
朱里は首を横に振る。6曲はやりきりたいらしい。
「時間余すのはだいだ。」ルアンも厳しく言った。「やり切らねえどな。せっかく東京さ行ぐんだからよ。」
わかっている、朱里は頷く。メンバーから提示された持ち曲はどれもこれも自分の分身とも言うべき思い入れのあるものであるが、初めて兄の前で、初めて茨城の地を出て演奏するのであればどこか
物足りない気がしていた。
大河は心配そうに朱里を見つめる。きっと何か思うところがあるのだろう。決してノリや勢いで判断することのない理論的な朱里だ。
「……んじゃ新しいの作るが?」思い当って大河が言った。
「なーに言ってんで? もうライブは再来週だど!」唾飛ばしながら大地が叫んだ。
「詰めらんねえべよ! 一曲完成すんのにどんだげかかってきたが、わがってっぺ?」ルアンも勢いよく応戦してみせる。
でも朱里は違った。そうかもしれない。この新たなステージを新たな曲で彩りたい。それが無理難題であるのはわかっている。でも今までとは違う、自分たちの今までを総括して見せるような、そんな曲が欲しい。
どこか天啓の降りたような済ました顔つきで朱里は三人の顔を順繰りに見詰めた。
「……マ、マジで作る気なのが? 一から?」大地が恐る恐る問う。
「それ、……ライブの日までにちゃんと形んなんのが?」ルアンも泣き出しそうな声で言う。
そうは言いつつ三人とも内心ではわかっていた。朱里がやると言ったら付いていくしかない。今まで朱里の曲でここまで来たのだ。朱里が納得いかなければバンドの総意などありえない。泥船だろうがなんだろうが、乗るしかないのである。
「わがっだ。最後の一曲はおめに任せる。」大地が低く呟いた。
「でき次第練習に入っぺ。」ルアンも項垂れつつもそう絞り出した。
だからと言ってその時朱里に何か特別なアイディアがあるわけではなかった。無責任な話であるかもしれないが、東京進出のための新曲を作る、というのは説明し難い直観的なひらめきであった。でもそれはひらめきであるだけ覆すことのできない重みを与えてくることになる。
朱里は一人離れに戻ってギターを爪弾きながら、天啓を待った。
ーーあんちゃんはどうやって毎回コンスタントに曲を産み出しているのだろう。彼もまたバンドの作曲を一任されているので、そんな疑問が生じ、いつか聞いてみたことがあった。
――飯食いながら思いつくこともありゃあ、クソしながら思いつくこともありゃあ、まあ色々だな。――
そんな、なんの参考にもならないことを笑いながら言っていたっけ。
でもあんちゃんは昔から努力を隠し通す部類の人間で、馬鹿なことをやっている時は誰よりも堂々として、真剣な顔はそれこそ家族にだって見せない、ということを徹底していた。でも朱里は知っている。ギターをこの離れで徹夜して練習していたことを。蔵の中で全部のパートを叩き、弾き、歌い曲を仕上げていた時のことを。覗くと怒られるから、朱里はそっと蔵の煉瓦に耳をくっつけて、兄の作る曲を聴いていたものだ。時には何度も何度も繰り返し、何がどう変わったのかわからないようなレベルで録音を繰り返し、そしてできた曲だけ「どうだ」と自慢げに聴かせてきた。
産みの苦悩、を朱里は壁越しにだけ、知っている。
自分が同じ道を選んだのはなぜだろう。
無論自分の内面を、外に出してみたいというのも大きかった。幸運なことに察してくれる人はいつでも周りにいてくれたけれど、それでももっともっと、自分の内側には世界がある。宇宙がある。
自分が死んだら、これは誰にも気づかれないまま葬られてしまう。思春期に差し掛かった時に、突如そんな恐怖に襲われた。でも相変わらず言葉は出ないし、そうこうしている内に自分の表現手段はそこにはないのだと思われ始めた。では何なのだ? しばらくはわからなかった。母親が絵を習わせ、ピアノを習わせ、バレエを習わせたりもしたが、どれもこれもしっくりくるものではなかったのだ。
自分が好きな人は何人かいるけれど、その中心にいるのは絶対にあんちゃんだ。何せ一番格好いいし、一緒にいて楽しいし、天才だもの、朱里はそう確信する。あんちゃんが東京に行ってしまった日、朱里は一晩中泣き通した。辛くて、辛くて、敵わなかった。大学なんてなくなってしまえばいいのに、そう思ったけれど、あんちゃんは別に大学に行きたいのではなくて自分の曲とギターを武器に、音楽をやりにいくのだと知らされて、なんとか寂しさに耐えなければならないと思わされた。あんちゃんはその思惑通り、さっさと大学は辞めて(それで父もじいちゃんも表面上は激怒していたが)、音楽に没頭した。バンドメンバーを集めて自らはフロントマンとして毎月毎月ライブをこなし、CDを作り、曲を配信して、あっという間に人気者になった。気づけば日本メタルシーンを牽引する若手筆頭格だ。
朱里は心酔すると共に憧憬した。でも自分には何もできないと思った。ギターだって正直かじっただけだし、作曲なんてしたこともない。それにここ下妻で暴走族はいてもバンドをやりたい人なんていないだろう。
そんな時にあんちゃんが茨城でライブをすることになったのだ。大地や大河、ルアンも行きたいと言い出し四人で向かった先には、今まで見たどんなあんちゃんよりも大きくて迫力があって、感動的で凄まじいあんちゃんがいた。あれは、全世界、否、全宇宙中のエネルギーというエネルギーを全部この一点に集めたのかというぐらいの熱量で、全員がバンドをやりたいと言い出したのも必然すぎる程必然だった。
自分だって、――と朱里はあれからの自分を振り返る。今まで時間を忘れるほど熱中して練習したり考えたり、悩んだりしたことはなかった。それにいつしかそれまで白黒同然だった世界が色鮮やかに見えだした。他人事だった世界に、自分が参加しているという気がしてきた。だから何かを表現しなくてはいけない、という気持ちにもなった。この世で生きる時間は永劫と比べたらほんの一瞬かもしれないけれど、その一瞬をきちんと残したい、刻んでおきたい、そんな気もし出したのである。自分は片田舎の子供にすぎないけれど。自然いっぱいの緑の中で友達と戯れているだけの存在かもしれないけれど。
朱里はその時はっと息を呑んだ。ぱっと目の前が真っ白に輝き、今のこの自分の本当に残したいメロディ、これがすっと自分の真ん中に刺してきたのである。今まで何曲も作曲はしてきたが、こんな経験は初めてであった。慌てて朱里はペンを執ろうとした。が、震えてうまくいかない。朱里は目をぎゅっと閉じて、メロディーを頭に刻みつけようと試みた。
果たして作曲はこの一晩きりでほぼ完成を見たのである。




