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翌朝、すっかり熱の下がった朱里は、数日ぶりにギターを持って蔵に姿を現した。それによって久かたぶりにルアン、大地、大河、朱里の四人が揃うことになったのである。
「いや、いがっだな!」大地はそう言って朱里の肩を叩いたが、明らかに不機嫌そうに朱里はそっぽを向いた。
「どうしたんで?」早速異変に気付くのは大河である。「大地、なんか朱里にしたんが?」
大地は頭を搔きながら、「ちゅーしちまった。口んどごに。」と言って照れくさそうに笑った。
大河は思わず後ずさった。「何やってんだべ!」
「いんや、なんか、つい。」
「つい、じゃねえべよ! ド変態だべ! 前々からド変態だと思ってだんが、いよいよド変態確定だっぺ! 朱里可哀そうだっぺ!」唾を盛んにぺっぺと吐き付けながら大河が怒鳴り散らす。
朱里は応戦を得て、ますます大地を白眼視する。
「ちゅーしだどご、朱里の母ちゃんに見られぢまっでよお、でもめおどになったら赦してぐれるっでいうから、めおどになっことに決めたんだ。」
朱里は呆れ切ったように鼻息を漏らす。
「めおどっで、……おめ、何考えてんだべ。」
ルアンは「口くっつけただけで結婚すっごどになんのか……。」と恐れ入ったように言った。
「朱里は男だど? おっかしがっぺよ! 朱里は大地とめおどさなっでいいのが?」
そう言われて朱里の目が明らかに曇る。
「ほだ、やめどげ! やめどげ! こんなごじゃっぺ(注:馬鹿者)!」
「何がごじゃっぺだ。」
「ごじゃっぺだっぺ、友達にチッスするなんで聞いたごどね! 気持ち悪い!」
うん、まあ、たしかに。大地は再び頭を掻く。自分でもよくわからない。なんであんな行動に出たのか。かといって別に後悔しているわけではないが。
「ったぐ。朱里が気の毒でしゃんめ(注:仕方がない)。なあ、朱里、泣きべそ搔きたくなったら泣いてもええがんな? 病み上がりなんだかんな。無理はしねのがいい。」そう言って慰めてやった。
久しぶりのバンド練習はそういう経緯で少々の人間関係における亀裂は生じさせつつも、音としてはまずまずの出来だった。
休憩時間には朱里が作ってきた新曲も披露され、大地が讃嘆したものの朱里の反応は相変わらず冷淡で更に大河の大地に対する怒りがぶりかえされた。そうして一通り練習が終わる。
大地と大河が家に帰ると、既に夕飯であった。
母親が子供たちの好物である大根おろしハンバーグの乗った皿を並べながら、「ほだ(注:そうだ)、大地、おめ朱里と付き合ってたのが。」と宣った。
大地は目を丸くして「なんでぇ?」と頓狂な声を上げた。
「朱里のおっ母さんから聞いたべよ。なんでえ、すっかりギターの練習さ通ってるかど思ったら。ほっだらごとになってんなら、こっちからでも挨拶しねど恥つかしかっぺよ。まったぐ。」
「バンド練習に行ってんだど?」さすがに大河も助け船を出す。「朱里のおっ母さん、なんつってたんで?」
「大地は朱里とめおどになるごどに決まっだがら、よろしぐっでな」
「早ぇな!」大地は田舎の流言のスピード感に驚嘆した。たしかにどこの夫婦が離婚しただの、どこの子供がどの学校に受かっただの落ちただのの話は数時間もあれば町中を一周するくらいのスピード感があることは認めていたが、中学生の婚約も同レベルの速度だとは恐れ入る。さすが下妻だ。
「まあ、おめがいいつうなら、朱里なら小っちぇえ頃からよーぐ知ってるし別段構わめ。」どうでもよさそうに母親は言った。「……ほれ、付け合わせの人参もほうれん草も、ちゃんと食うんだど? じいちゃんが畑で作ったほうれん草だかんな。」
「……朱里は男だど?」大河は一応念押しする。
「ああ?」母親は何を言っているんだとでもいうような非難がましい声を出したが、たしか昔、そんな話もあったような気がするとふと思い返す。なぜだか中学校の制服も朱里はセーラー服を許されているし、声も出さぬので、男だと知らぬ者もいれば、男だということを聞いてはいてもすっかり忘れてしまう者もいる。母親は紛れもなく後者であった。「んだっけが?」
「ほだよ、朱里は男だべよ。」
大地は甘く煮た人参をひらりとつまんで口に放り投げる。
「ま、朱里は器量よしだべ。どっちだっていがっぺ。」母親はそう言って手づかみの大地の手を叩いて箸を握らせた。
ここで大地が朱里にキスをした、などということを暴露したところで何の意味もなさそうであると思いなした大河は、行儀よく手を合わせて「いただきます」を言うと、ご飯を掻きこみ始めた。
バンド練習を毎日欠かさない身にも高校受験とやらは刻々と近づいてくる。
大地は学校は友達とわいわい騒ぐ場だと思っているし、塾なんぞ近寄ったこともないので学力はいつもかなりの低空飛行である。大河が練習の合間合間に勉強の面倒をみてやって、それでどうにかこうにか少しずつ、学力が付いていった。それを見てルアンがうらやましがるので、大河は秋からは二人の家庭教師を担うこととなった。
練習後、だいたい一時間程度蔵では大河による講義が行われる。朱里は勉強はできる方であるので関係ないのだが、気になるのか隣でちらちら様子を伺いながらパソコンを使って作曲をしたり、ギターのメンテナンスを行ったりしているのが常である。
英語の動詞の活用形、国語の品詞分解、数学の証明、理科の化学式、社会の地図の記号そんなものができるようになると朱里は二人にご褒美をくれてやる。一昨日は饅頭、昨日は羊羹、今日はチョコレート。
朱里はすっかり喉元を過ぎ去ったのか、大地の無礼には怒っていないようである。それよりもバンドを継続するために、二人にはしっかり勉強をさせ高校に行ってもらいたいようである。
ルアンもすっかり朱里の離れに居を構えた風になり、牛乳配達をせずとも朱里の親から一定の小遣いを与えられ、日々の食事にも困らず、すっかり勉強とドラムだけに専念できることとなった。故郷に帰った母親もその直後は心配していたそうだが、日々の生活ぶりを報告してやるたびに安堵し、今では朱里の家に何かにつけて季節の食べ物だの故郷の名産品だのの付け届けを送ってくるようになった。故郷で落ち着いた生活ができているのであろう。朱里の親たちも安堵した。
秋も深まる頃、四人の話し合いの下ライブはしばらくお預けとなり、高校に合格した暁にまた開始しようということとなった。
そうして春。
希望は、形となる。
大地、朱里、ルアンの三人はそれぞれ別の高校へ進学する運びとなった。
大地は大河の指導のお蔭でどうにか海里と同じ高校へ滑り込み、朱里は地元有数の私学の進学校へ、ルアンは自らの意志で定時制高校を選び、朱里の家で世話になりつつも日中は地元の工場でのアルバイトに励んだ。
それぞれ別々ではあったが、唯一の条件はバンド活動に支障が出ないこと。朱里の選んだ高校は校則も厳しく少々難儀に思われたが、そこは祖父及び父親の働きかけで容易にクリアした。三人の目標は大河の高校卒業をまって東京に出、バンド活動を本格化させることである。そこに揺らぎはなかった。




